第74話 パビックの最期
北へ3日進み、国境を越え、東回りで2日。そこから北へ北へ。
町で宿を取ったのは国境越えの時の一晩だけで、あとは道沿いでの野宿だった。
盗賊達はやはり慣れているのか、キャンプの時でも誰一人文句を言うわけでもなくきびきびと動いた。食事は携帯食を温めるだけのようなものばかりだったけど、ありがたいことに3時間ごとの夜の見張り番を免除してもらった。優しさと言うよりも、俺にはまだ任せられないと言うことなんだろう。
そして、オランドの町の一番近くの村で、俺と盗賊のションゼという男と一緒にオランド行きの馬車に乗った。お頭達は町に着くまで馬車の後ろを少し離れて付いてくるらしい。
「しばらく馬ばっかりだったから、少しの間でも平たいところに座ってられると楽でいいですよね」
「……そう、だな……」
長髪で陰気くさい顔のションゼという男は、俺の“土木・建築関係の同僚”という設定らしい。ションゼが要人暗殺をするのではなく、ただの俺のお目付役だ。ファーストジョブを持っている人と言うのだが、どうも取っつきにくい。
アレコレと気を利かせて話しかけるも生返事が返ってくるばかりだ。ションゼが目を閉じ黙りこくってしまったので俺も諦めて馬車から見える外を眺めることにして――
「ぶーーーーーっっ!!」
俺はそれを見て思わず吹き出してしまった。隣のションゼが何事かと飛び起きる。
構わず俺は御者に馬車を止めるように言った。程なくして馬車は止まり、俺は馬車を飛び降りて、前方から馬でトコトコやってくるハルドライド先輩の前に飛び出した。
「アニキ! 何でここにいるんですか??!」
ハルドライド先輩が俺を見て驚いた顔をしたが、いつものようにニヤッと笑った。
「よぉ。今からか? まあオメーの役割は斥候だろ。聞けばオランドはワインがうめぇらしいからよ、行きがけに一杯引っかけときゃよ、観光客らしくていいんじゃねーか?」
「いや、俺たちは設計の仕事関係で町の中に入るわけですから――って、そうじゃなくて、なんでアニキがこんなところにいるんすか?!」
「ハルドライド……どうした……また女か?」
ションゼが馬車の中から抑揚の無い声で問いかける。
「ん~……まー、そんなところかな」
「そうか……。気をつけて帰れよ……。また店に行く……」
「おーよ。ミシャンテちゃんだろ。そんなに好きならオメー身請けしてやれよ」
「…………」
「ま、いいけどよ。パビック、オメー下手こくんじゃねーぞ」
ハルドライド先輩は手をひらひらと振りながらそのまま行こうとする。
だが、つかず離れずの距離にいたお頭達の馬が、俺たちの馬車が止まったことに気がついて距離を詰めてきていた。
「ハルドライドか?! どうしたこんなところで」
ハルドライド先輩に気がついたお頭が驚いた声を上げた。お頭も知らなかったことらしい。
アーガス、その他の盗賊達もなんだなんだと集まってくる。
「おまえが先回りしているとはな。……まさか、もうすでに町で“仕事”を終えてきたのか?」
暗殺――とは言わない。おそらく何も知らない御者が聞いていることに配慮してだろうが、馬車を止めてこうぞろぞろと集まってこられては御者も堪ったもんじゃないだろう。
ハルドライド先輩はポリポリと頭を掻いた。
「あー……。いや、町には入ってないぜ。入る寸前で追いついたんでな」
「ハルドライド、わかるように説明しろ」
「はいはい、アーガスの旦那。そんな恐い顔するなって。ただ、うちの“家畜”がこんなところまで逃げ出したってだけさ。まあ、それももうすんだんで帰るとこさ。仕事を手伝えっつーんならよ、手を貸すけどよ」
「いや、手は足りている」
ハルドライド先輩は馬の背に括り付けてある荷物と……朱く血の滲んでいる麻袋を指さして言った。
「急いでたからよ。正直食料も金もあんまり持ってきてねーんだわ。邪魔しねーからよ。帰り同行させてもらえねぇか?」
俺は息が詰まってしまう。どきどきとして息が吸えなくなってくる。
あの麻袋には人の首ひとつしか入らない大きさだ。
「アニ――」
思わず問いかけてしまいそうになるが、ハルドライド先輩はデコピンひとつで俺を黙らせた。なぜなのか、ハルドライド先輩は笑っている。
「まあ、いいだろう。仕事が終わればこの先の村で合流する。いいな?」
「あいよ。パビック、せっかくだからワインぐらい飲んどけよ」
ハルドライド先輩はそう言い残すと、振り返らず走り去っていった。
「あのー……」
御者が言いにくそうに声を掛けてくる。
お頭は馬を下りると御者に近づいた。身構える御者にお頭は小さな袋を取りだした。
袋の紐を解き、御者に中身が見えるように手渡すと、演技の笑みを浮かべた。
「お待たせしまして、すみません、もう用は済みましたので。これは貴重な時間を取らせてしまいました迷惑料です。このことは他言無用にお願いしますね」
「え……あ、ひっ、ひぇえ!!? こ、こんなにいいんですかい?! あんた、こんな大金、地の果てまで行ってもおつりがくるべさ!!」
「ええ、ですから。このことはご内密に、ね?」
「へ、へい! あっしゃ、今日で店じまいですや!! 飛ばしやすぜお客さん!!」
御者はひゃっほーいとも言いたげに腕を振ると、俺たちに目配せして馬を走らせた。
後ろから、トルキーノのぼやき声が聞こえた。
「あれで、あっしらの仕事賃と同じって複雑な思いでやす……」
「ばーか」
振り返ると、ロードハイムがトルキーノを小突いていた。
お頭にとってお金は“売買の道具”ではなく、人を従わせる“媒介”なのだろうと思った。
オランド町に着いた。中に入るのは俺とションゼだけなのでお頭達とは別れた。
高い石の壁が町をグルッと囲んでいる。なんだか物々しい重厚な感じのする外観だった。
30年前に戦禍に遭い、復興したというのだから町の造りからして変えたのだろう。
ちなみに、昨日図書館でオランドについて調べたところ、この町は30年前から侵略国側の領土になっている。とはいっても、位置づけは“緩衝地帯”で、いがみ合う隣国に最も近い。
つまりは、この町オランドは、復興した今現在も重要な位置にある町というワケなのだ。
ただ物流は盛んなのか、俺たち以外にも荷馬車が幾つも並んでいて、人の往来も多そうだった。
近づいてきた門塀に通行証を見せ、通行料と袖の下をそっと忍ばせる。
すると順番が6つ繰り上がり、30分待たないうちにすんなり通ることが出来た。時は金なり、お金は偉大。
仮にうちのアルカディアで同じようなことをしようとしたら、指輪を外され、即“住人”にされてしまう。暴れようものなら盗賊がやってきてしばき倒し、人外魔境にお肉として『出荷』されてしまう。殺してしまった場合は死体を空井戸に捨ててるらしいとハルドライド先輩から聞いた。地下水が腐らないのか
門をくぐってすぐに町かと思ってたけれど、今度は木で組まれた木壁で阻まれ、検問所となっていた。物流馬車は右の門をくぐり、左の門は旅人や観光、冒険者一行が出入りしている。
ああ、そういえば、オランドはまだダンジョンが生きている町だったっけか。警備が厳しいわけだ。
馬車を降り、検問所の様子を目に焼き付ける。
「……じゃあ、指輪の登録、行ってくる。……町の入り口で待ってろ」
ションゼが壁外ギルドのファーストジョブの指輪の簡易登録に向かう。通常は町に入るために必要なのだ。町で1日以上滞在する場合は町の中にあるギルドで本登録をする必要がある。当たり前だが、【盗賊の指輪】は外してある。
俺も壁外の総合カウンターで設計士の簡易登録を行う。滞在はふたりとも1日未満なのでこれでいいだろう。
登録を済ませると、兵士に案内されて町の中に入った。通行証があるとは言え、国外からの来訪者と言うことで、この国と町のことを簡単に説明を受け、そこで別れた。
しばらく待っているとションゼがやってきた。
大きな町なので、まず観光士を雇い、町を案内させた。金貨を3枚ほど渡すととにかく彼は饒舌になった。ギルドも覗き、ションゼは探索者や冒険者の質を見極めていた。
昼食をギルド近くの“満腹亭”でとる。やはり物流が盛んなのか、人気ランチメニューはキノコ肉野菜がバランスよく入っていてうまかった。続いて、町内事務所に顔を出し、“設計士”として研修を兼ねた意見交換会と講習、とにかく半日掛けて勉強させてもらった。俺的には大満足だったが、ションゼは目を開けたまま寝ていた。
夕刻時になり、町長を交えた夕食会に招待されることになった。
そこでも町のさらなる発展のために意見やアイデアを話し合った。……なるほど、確かにこの町のワインは美味しかった。
アルカディアとオランドで姉妹都市協定を結ぼう、とかなんとか酒の席で壮大な話が出たりした。町長は「我が町は戦災を乗り越え復興したのだ」と饒舌に語っていた。
最後に町長と握手を交わして別れた。俺よりいくつか年上の考え方のしっかりした立派な人だった。
町長の名前は『アローン・セパセデス』。
荒廃していた町をわずか10年で復興させた若き英雄であり、俺たちの標的の名前だった。
宿を取ってくれるとの申し出を断り、俺たちは特別に用意してもらった宿泊馬車で深夜に町を出た。夜通し馬車は走り、その間俺たちはぐっすり眠ることが出来た。
朝になって村に着くと検問を済ませ、お頭が泊まっている宿に向かう。途中トルキーノと会い、一足先にお頭へ連絡を取ってもらった。
宿には絵描きグッズ一式とキャンパスが置かれていて、お頭に簡単な報告を済ませたあと、「夕方4時までには『町の見取り図』『要人似顔絵』『要人宅見取り図』を完成させておけ。あとはションゼに聞く」と俺を部屋に残し、全員外に出て行った。
さて、本領発揮だぞ、と俺は新品の筆を手のひらでくるりと回した。
夕方4時までどころか、昼の12時にはすべて描き終えた。
部屋に盗賊一同が集まり、ワイワイやいやいと作戦を練り出す隣で、俺はさらに細かな町の絵を描き出す。町長と一緒に食事した重要人物の顔一覧。町長の家の外観、検問所の様子、広場、観光名所、兵士の装備etc……。
ションゼの方も負けてないのか、ぼそぼそとながら『盗賊視点』での町の攻略法を語る。
夕方4時になり、作戦会議は終了した。
ションゼ、そしてお頭一行は俺とハルドライド先輩を残してオランドの町へ出発した。
二人きりになり、どうしてここにいるのかを聞いた。
「んなもん、決まってるだろ。一昨日の夜にオランドに向けて出発したアマンダを連れ戻しに来た」
アマンダさんは?と聞くと、「今夜辺り、息子との感動の再会じゃねーの?」と言った。
ああやっぱりな、と俺は口をつぐんだ。
「飯食ったら女とやりに行こうぜ」
「……この村には飲み屋はあるみたいですけど、風俗店はないみたいですよ。……まさか、オランドの町に今から行くんですか?!」
オランドの町の観光をしてきたときに風俗店をいくつか紹介された。
戦災復興の町ならではの疵痕だと観光士の人は言っていた。復興する前はもっと店舗も人も数が多かったんですよ、と。
しかし、馬車で片道7時間の距離だ。さすがにおっくうすぎるし、先日ごちそうになったばかりでまだ食傷気味なのだ。それよりももう少しこのまま絵を描いて過ごしていたいのだけど――。
「女は現地調達が基本だろ。まあ任せとけって。ちゃあんと目星は付けているんだからよ」
そう言って、ハルドライド先輩はニヤリと笑った。
嫌な予感しかしない。
不安なとき、お守り代わりに胸ポケットに入れた両親からの手紙を握りしめる。
始めの頃は「病気の具合はどうですか。心配です」と俺のことばかり尋ねるような内容だった。俺は「心配しないで。良くなっているよ」とだけ綴った。
手紙は“郵便検閲所”から検閲を受けた後、飛翔文で近くの町へ届けられ、そこから改めて両親の元へ届く。直通はないのだ。両親からの手紙も同じルートで俺の元に届く。手紙は検閲料と郵送料が結構かかるので週に1回程度と決めた。
そして、こちらで新しい仕事を見つけて働き出したと書いた。
両親からは俺の病気が良くなったことへの喜びと、そして俺が両親の元から巣立ったことへの――激励が書かれていた。自分たちのことは心配するな。気にするなと書かれてあった。寂しさを感じさせない書き方だった。
上司の言うことをよく聞いて、大事な仲間を作りなさい。そして、好きな人を作りなさい。いつか、子供を連れて顔を見せに来て欲しい。それまでは二人で仲良くやっている。
上司の言うことをよく聞いて、大事な仲間を作りなさい――、好きな人を――
やってるよ、父さん。がんばってるよ、母さん。でもねとうさん、でもねかあさん。
上司の言うことをよくきいていいのかな? このままでいいのかな? このままいきてていいのかな?
「――んだよ。まだやってねぇのか。せっかくなんだからちゃんと愉しもうぜ。それともなんだパビック。おまえこっちの女の方が好みだったのかよ」
ハルドライド先輩の後ろには、地面に
そうじゃない。
さっきからずっと「姉さん、姉さん」と狂ったように俺の耳元で女の妹が叫んでいる。俺は妹を羽交い締めにしながらも何も出来ないでいた。
俺たちは、ハルドライド先輩が目を付けていた美人姉妹が乗った馬車を襲撃したのだ。
現地調達とは、ナンパのことなんかじゃなかった。先輩が……先輩達が【盗賊】であることを忘れていた。
あっという間に御者を殺したハルドライド先輩が妹を俺に押しつけ、姉の方に覆い被さった。
姉妹の悲鳴が鼓膜を叩いていた。
――俺は。
姉が藻掻きながら妹に手を伸ばす。その手をハルドライド先輩が押さえつける。
――このまま生きていていいんだろうか。
妹が姉を救おうと俺の腕に噛みつき暴れた。だけど俺は恐くて――恐ろしくて、誰かにしがみついていたくて、誰かに助けて欲しくて、彼女を逃がそうとはしなかった。
ハルドライド先輩がフルチンのまま近づいてくる、とふいに妹の力が抜けた。
大人しくなった? そう思った瞬間、妹が後頭部を俺の鼻づらにぶつけてきた。一瞬目の前がチカチカってなって思わず手を緩めてしまった。
「この最低野郎!!」
妹は振り返ると、俺にいきなりパンチを食らわせた。痛みに気が動転した俺を突き飛ばし、妹は林の中に一目散に走り出した。
「ったくよー、パビック、オメーそっちの女逃がさねーように見張っとけよ」
俺にそう言いつけると、ハルドライド先輩が妹を追っていった。
二人きりになった林の静けさに、姉の啜り泣く声ばかりが響く。だがそれも5分も経てば静かになってきた。ハルドライド先輩はどこまで追っていったのだろう。
鼻水を啜りながらも姉は破られ捨てられた服を着直し、身支度を調えていく。
まるで、俺がここにいないかのように下を向きながら黙々と。
俺はハルドライド先輩が一刻も早く戻ってくるのを待ちながらも、何も出来ないでいた。
そうして姉が立ち上がった。
「ま――待って」
逃がしてはいけない。あとでハルドライド先輩になんて言われるかわかったもんじゃない。
俺は意を決して姉に近づいた。
姉が面を上げ、初めて俺を見た。――鬼の形相だった。涙で貼り付いた髪と恨みと怒りが入り交じった貌だった。
心臓をわしづかみにされたようになり、俺は咄嗟に腰に差していたナイフを抜き放った。
慣れない脅し文句と巻き舌を活用する。
「逃げるなよっ! ぶぶ、ぶっ殺されてぇか!!?」
だが、姉は全く臆した様子もなく、林道に向けて斜面を駆け上がり出した――が、痛むのか、ひょこひょこといった感じで、俺でもすぐに追いつくことが出来た。
しばし、姉と俺は睨み合う――が、意外なことに先に根を上げたのは姉の方だった。
「……わかったわ。大人しくするからそのナイフを仕舞ってちょうだい」
俺はホッとしてナイフを仕舞った。姉がジッと俺を見ているようだったけど、俺は少しでも早く凶器から手を放したかった。本当に、慣れないことはしたくない。
「……からだが痛くて動けないの。わかるでしょ? 大人しくしてて欲しかったら、さっきの場所までおぶっていって」
なんかおかしいな、そう思いつつも俺は姉の前に背を向けて膝を付いた。
「……おぶされないわ。もっとしゃがんでちょうだい」
「わかったよ」
俺は片膝を完全につくと、身を低くした。
――と、がつんと頭に強い衝撃を受けた。どすん、と大きな石が地面に転がる。そのままドンと突き飛ばされた。斜面を二転三転と転がり、木にぶつかって停まる。
「そのまま死になさい! この盗賊っ!!」
転がされて初めて気がついた。
おんぶしろと言ったところからすべて嘘だったのだ。姉の手には俺のナイフが握られていた。
してやられた。
姉が再び斜面を駆け上がる足音を聞きながらも、俺はどこかホッとして――
「おねーちゃーん、たぁぁすけてーー、あたしぃ、いまからおかされちゃうの~~」
ハルドライド先輩のどこかとぼけたような声でハッと我に返り、俺は痛む頭を苦労して持ち上げた。
ハルドライド先輩はぐったりとした妹を肩に担いでいた。
「パビックよぉ、オメーださすぎるだろ。見張りすら満足に出来ねーとか、案山子かよ」
「す、すみません」
「妹を放して、今すぐここから離れなさい!!」
姉が気丈にもハルドライド先輩に向かってナイフを向けると威嚇する。
「誰が逃がすかぶぁーーか。今からおまえと同じようにこいつを犯すんだよ」
「――っ」
姉が唇を噛みながら身を翻す。逃がしてなるものかと俺はあとを追おうとするが頭の奥が痺れてうまく立ち上がれない。
ハルドライド先輩が姉の背に向けて言った。
「オメーが逃げたらこの女の鼻を削ぎ落とす。耳を片方削ぎ落とす。目蓋を削ぎ落とす。両足の腱を切って馬車道に転がす」
「あんたなんか!!」
姉が振り返り気勢を発す。だが、その目は涙で溺れそうなほど赤く、どうしょうもないほど苦しそうだった。
「死ねばいい!!」
「ま、逃げてもいいけどよ。こいつを犯して、足の腱を切るだろ。あとはオメーが町に逃げ込めるか俺がオメーに追いつくかだ。そうしたらもう一回オメーを犯したあと、約束通りオメーの目の前でこの女の耳と目と鼻をそいでやるよ。なに殺しはしねぇ、それで終わりだ。それで、後々『おねーちゃんのせいでわたしの人生はめちゃくちゃだ』って喚かれるんだぜ」
――最低だ。ハルドライド先輩は最低だ。
だけど、姉にとってそれが決定打だった。
「妹には手を出さないで……」
大粒の涙をこぼしながら姉はその場に泣き崩れてしまった。
俺はなんとか立ち上がると、姉のそばに近づいた。姉がビクッとして俺を見上げる。先ほどとは打って変わって怯えた表情だった。俺に仕返しされると思ったのだろう。
俺は姉の手放したナイフを拾い上げた。まだ使っていない、だけどきっと使われたことのあるものなのだろう。なんせ、お頭から出発時に「もっていろ」と貸し出されたのだから。
ナイフを手に俺はハルドライド先輩に近づいた。
ハルドライド先輩は妹を脱がしにかかっていた。気を失っている妹を一応は気遣うように、起こさないように丁寧に脱がしていく。
妹に覆い被さるハルドライド先輩の姿が――昔、好きだった子に覆い被さるゴブリンと重なった。
様々な思いが頭の中で交錯する。
ずきずきと頭が痛む。姉が石で殴った傷口から首元を伝って温かな血が流れていく。
悲鳴が上がったあの馬車での出来事を思い出す。
あのときの俺は勇敢だった。だけど、持っていたのは勇気だけで、弱かった。
あの日、悟ったじゃないか。自分には誰も助けることが出来ないと。その力が無いと。
あの夜、両親にすがりつきながら流した涙と一緒に諦めただろ?
俺は右手のナイフを見る。
これは“力”なんかじゃない。ただの幼い子供の握り拳に過ぎない。
――同じ過ちを繰り返すな。
「アニキ……、約束、守ってくださいよ……」
耳に届く姉の啜り泣きを聞きながら、俺はハルドライド先輩の耳元でこう“主張”した。
「『オメーはこっちな』って言ったじゃないっすか。どっちもアニキだなんてずるいっすよ」
「ああん? 逃がしたオメーがそれを言うかよ。ったくよー、おら、代わってやるよ。連れ戻して、大人しくさせて服脱がして股開いたところで交代って、上げ膳据え膳だな、おい。俺はオメーのカーチャンかよ」
「へへっ、すんません」
ぺこぺこと頭を下げる。
ハルドライド先輩はぶつくさ言いながらも代わってくれた。そのまま姉の方に向かう。
俺は手にしたナイフを見つめた。
よく切れそうなナイフだった。俺はそのナイフを使って妹の服を切り、胸をはだけさせた。
汚れの無い白い肌、息を呑むほど綺麗な裸体だった。その裸体に首元から滴った俺の血が腹部を汚した。朱い俺の血だ。どくどくどくどくと心臓が鳴る。ぽたぽたと腹部を汚す。
未だかつて無いほどの高ぶりを抑えながら、ナイフを腰に仕舞った。代わりに俺の狂気を露出させた。
そして、この日初めて【盗賊】として――人を傷つけた。
快楽と、人を支配するという享楽を思いのままに貪った。
俺はもう、戻れない。
――殺される。殺される。殺される。いやだいやだ死にたくない。
だけど、灼けるような絶望的な痛みが右のふくらはぎに突き刺さった。俺は悲鳴を上げ、その場に倒れ込んだ。
……誰かが何か言っている。
何だろう、何が起こったんだ? 全身から噴き出す汗と、鮮烈な痛みで頭が一瞬クリアになった気がした。
誰かが近づいてくる。俺は辛うじて開く目でそいつを見た。――トーダ先輩だ。
ああ、そうか。トーダ先輩が怪我をした俺を助けに来てくれたんだ。
だけど、トーダ先輩が急に後ろを振り返った。屋根を指さして何か大声を上げた。
そのとき、ヌッと現れた黒い獣たちが俺の身体を掴んだ。
一気に引っ張られる。ガガガガガガガガッ、地面を引きずられる。ふくらはぎに刺さったナイフがその振動をダイレクトに脳に伝えてくる。
「ひゃ、ひゃああああああ!!!!」
俺はあらん限りの声で叫んでいた。肺の中の空気を絞り出し、あとは声にならなかった。魔物が俺の顔に乗り、目や鼻や口を塞いでいるのだ。
息が出来ず、気を失いかけた俺の胸に、何かヒンヤリとしたものが乗った気がした。
誰かと誰かが何かを話している。俺は無理矢理顔を横に捻ると気道だけは確保したが、今度は耳を押さえつけられて何も聞こえない。
――だけど、一瞬。信じられないものを見た。
アンジェリカだ。
トーダ先輩と話している。なぜ、なんで、どうして? アンジェリカは火事で死んだんじゃ無かったのか? だって、ロー公がそう言ってただろ?
「…………そう」
「そろそろ行け。追っ手が来てる」
「わかってるわよ」
――え? 追っ手? え? ……トーダ、先輩?
拘束が解かれ、パッと視界が戻る。だが、すぐに両手を掴まれ、引きずられ始めた。
ふくらはぎから再び絶望的な痛みが届けられる。本能が少しでもそれを緩和しようと身を捩り、右足を横に曲げ――その足をなぜかトーダ先輩が掴んでいる。
ちょ、待――、こんな状態で足を掴んでたら、アンタ――。
構わず、魔物を走り出す。
俺は悲鳴を絞り上げた。ただ、痛みの方は限界は超えていたようで、そこでぷつんと意識の糸が切れた。
「オメー自分が何言ってるのかわかってんのかよ? んなこと、お頭が赦すわけねーだろ」
俺の我が侭なお願いにハルドライド先輩は「はぁぁ?」な顔をした。
「あの……だめっすか?」
「俺はまーいいけどよ。けどよ、“あいつら”はともかく、今度もロシ……なんとかルーレットでオメーの頭が吹っ飛ぶだけだぜ」
「……いいんす。だめならだめで元々っすから」
「ったくよー。素人童貞こじらせた奴はこれだから始末におけねぇ。……オメー絶対後悔することになるぜ」
「…………」
そうして朝になり、お頭達と合流した。
「……パビック。『同行書』を読まなかったわけじゃ無いだろう。規則を破り、ハルドライドの趣味に付き合った罪は問わない。処罰はハルドライドに下る。……だが、“女ふたりをアルカディアまで連れ帰る”というのは、あまりに馬鹿げている」
「俺はとっとと殺して捨てちまえって言ったんですけどねぇ」
ハルドライド先輩の目が「ほれ見ろ」と言っていた。
「……だめっすか? 道中、俺が世話するんで」
「国境を越えるんだぞ。馬車を調達したとしても騒がれればややこしいことになる」
「眠り薬とか、気絶させておけば……」
「馬鹿を言うなでやす。おまえの我が侭に付き合っていられないでやす」
思った通りの叱責を食らい、俺は何も言えなくなってしまった。
だが、お頭は興味深そうに俺を見つめ、
「そうまでしてあの女ふたりをアルカディアまで連れ去る理由は何だ? まさか、惚れたのか?」
仲間から失笑が漏れた。
俺はお頭の目を見て言った。
「ただ、妹の方が俺の子供を妊娠していたら、その、その子を両親に届けたい……」
一瞬の後、「「「「はあぁぁぁぁ~~??」」」」と全員の口から疑問符が零れた。
「パビックおまえ、その妹の方に惚れたとかじゃなくて……?」
「違うっす」
「殺すのが可哀想ってんでもなくて?」
「殺すのは可哀想っす。でも違うっす」
「妹が孕んでる子供を両親に届けたいから、連れて帰りたい……?」
「そうっす」
「なら姉の方は要らないでやす。妹だけでいいでやす」
「姉と妹を離したらお腹の子に障ります」
「「「「はあぁぁぁぁ~~??」」」」
「ちなみに、マジで孕んでるかもどうか知らねーんだけどよ。こいつ、妹の方には俺に手ぇ出させなかったしな。俺がやったら100発100中よ」
「ハルドライド、少し黙っていろ」
ハルドライド先輩を黙らせ、お頭が俺と向き合う。
「……なんのために両親に子供を送る。その理由は何だ?」
「俺はもう“駄目”だからです。俺はもう両親には顔向けできないほどの悪事をやったっす」
「ハルドライド、おまえ……」
「やってねーよ。女ふたりを襲って犯しただけだっての」
「――だから、もう一度、両親にはもう一度【俺】を育てて欲しいんです」
言って、再び「「「「はあぁぁぁぁ…………」」」」と全員から溜息をつかれた。
「お頭、パビックは――」
「わかっている。みんなもよく覚えておけ、これが“善人”を悪人側に引き入れると起こる“エラー”のようなものだ。過度のストレスから産まれるどうしようも無い『産廃思考』だ。――まったく、困った奴だな」
お頭が、はぁぁぁ~~とため息を吐いた。
「こっちを向け、パビック」
言われて、下げていた目線をお頭に合わせた。
すると、思いっきり引っぱたかれた。バシンと、大きな音が辺りに響いた。
「……今回の仕事は、おまえのおかげでスムーズに進んだ。おまえが描いた見取り図や似顔絵が事の成功に貢献した。ただの暗殺だけでは無く、下手人すらでっち上げることができ、町は今頃大混乱だろう。
――ひとつ、我々のために役立つことをしたので、おまえを殺すことはしない。だが、おまえの望みを叶えるつもりも無い。女ふたりを連れて行くことは我々全員の邪魔にしかならない」
スッと手が上がった。ハルドライド先輩だった。
「んじゃよ、俺がふたりを連れて帰るっつー事で」
「却下だ。同行者の我が侭を通したことで、仲間の身に危険が及ぶことになる」
「堅ってーな」
ハルドライド先輩が肩をすくめる。
「パビック。子供が欲しいのなら働いて稼いだ金でハルドライドのところから女を“身請け”しろ。そうして出来た子供ならどこに送り込もうがわたしは何も言わない。だから、今回は諦めろ」
「違うんです」
ぐわんぐわんと揺れる視界と、妙に大きく聞こえる心臓の音。
それらが俺の肩を押す。
「俺の“良心”は妹の方を傷つけたときに無くなりました。でも、亡くなったわけじゃないんです。きっと妹のお腹の中に入って赤ちゃんになって育っているんです」
「「「「…………」」」」
場がシーンとなる。
お頭は額に手をやり、まるでかき氷を急いで食べたような、そんなひどいしかめっ面をすると、
「パビック……。おまえの言いたいことはわかった……。理解は出来きそうにないが、言い分は分かった。それと、おまえが面倒くさい男だって言うこともわかった……」
ひどく深いため息を吐いた。
周りのみんなも珍しいようなものを見るような目で俺を見た。
「パビックよぉ、オメーが落っことしてきたのは良心じゃなくて常識じゃねーのか?」
「ハルドライド。……おまえはここに残って、パビックが満足いくようなあの女どもの後始末をしておけ」
お頭が言った。
「――ただし、殺しはするな」
なんとなくうれしくなってお頭の方を見るが、お頭は目を合わせてはくれなかった。
「ああ? 殺しちまうっつーのは後腐れなくて一番いい方法だって思うだけどよぉ」
「おまえな。パビックをおかしくしちまった責任ぐらいとれよ」
「ったくよー。わかったよ……わかりましたぁ。だがよ、俺今金が全然ねーんだぜ」
「金ならここにある。アーガス、出してやれ。いいか、一週間で戻れ」
金を受け取り、ハルドライド先輩が深いため息を吐いた。
「パビック、オメー町に帰ったらセッキョーだかんな」
――ドグン。
心臓が体内を揺るがすほどの音を立て、俺は意識を取り戻した。
足からの痛みが硝子の切っ先のように脳に突き刺さるが、魔物達から解放されたのか、両手も呼吸も視界も自由になっている。
朦朧とする意識が痛みに引き戻され、視界の端にトーダ先輩の姿が見えた。
問い詰めようと口を開く――が、心臓がよりいっそう大きく鳴り始めた。
ドクンドクンドクンドクン ドクン ドクン!
心臓がなる度、痛みが脳に突き刺さる。歯を食いしばってないと、気を失いそうだった。
だが、それより何より、腹が異常に膨張し始めていた。
ミチミチビチビチと腹の内部から空気を吹き込まれてでもいるかのように膨らみ続けていく。
ドクン ドクン ドクン!
心臓の音に合わせて腹は膨らみ続ける。もうすっかり妊婦の腹だ。そして腹の中で何かが蠢いているのが分かった。
――ああ、そうかと俺はようやく気がついた。
蜘蛛だ。あの大蜘蛛が俺の体内に卵を産み付けたのだ。それが孵化して俺の腹を食い破って外に出ようとしているのだ。
ああ、ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。俺はこんなところで終わってしまうのか。
ぶつん、と音がしてベルトがはち切れた。腹はますます膨張を続け、もう呼吸すらままならない。
「お頭、無理です。回復を受け付けてくれません!」
目の前でトーダ先輩がお頭に向かって叫んでいる。
……アンタ、俺を助けようとしてくれているのか? 本当に? 裏切ろうとしてたわけじゃ……
「しゃべらないで! 安静に!」
助けてくれるはずの仲間から、のど仏を押さえつけられた。
どうして? 俺たち仲間だろ? 助けてくれよ。
反射的に咳が出た。
身体のどこかで何かが裂けた。なんだかぜんぜんいたくなかった。
「クルルルルル……」
近くで産声が上がった。
俺は細かく暖かな血の雨を浴びた。
――なんだ。月の綺麗な夜じゃないか。
ああ忘れてた。父さん母さんに手紙を書かなくちゃ。
もうすぐ“俺”がうちに帰ります、ってね。父さん母さんきっとびっくりして――
でも、「おかえり」
って。
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