第73話 パビックの生活

 その日、俺は時計塔の鍵をギルドから盗み、【盗賊】に渡した。

 仕方なかった。

 「殺す」と脅されたからだ。俺と家族を。現に目の前で昔からの友人のミロードが殺された。

 どうしようもなかった。

 そうして【盗賊】達は、町の“風の魔晶石”をまんまと手に入れてしまった。


 俺は町に入られなくなり、よりにもよって盗賊達に仲間にして欲しいと頼んだ。

 どうかしていた。

 翌日になって、“お頭”がうちにやってきた。


「パビックさんの検査結果が出ました。非常に申し上げにくいのですが――」


 演技がかったお頭の説明と、森林調査団の行ったとされるニセの簡易検査結果と診断書、そして“本物の”スターフォルガ中立国の入国手続き書の写し。

 ――そして、なぜか金貨50枚もの見舞金が両親の手に渡った。家一軒が立つ金額だ。

 話を聞き、父親が血相を変えて何かを口にする前に、「息子さんの命がかかっているんですよ! 時間との勝負になります。一刻の猶予もありません。人命優先です。わたしたちが必ず息子さんを死なせはしません」とお頭が一喝し、黙らせた。

 さめざめと泣く母親を抱きしめながら、俺はどこか遠くを見ていた。


「手紙を書くよ」


 ただひと言を残して俺は町を出た。

 荷物は持たなかった。そんな暇なんて無かったが正しい。……ああ、いや、朝食として食べるはずだったものを母親がお弁当にして持たせてくれた。

 盗賊は正面の門から通行証を見せて外に出た。隣国のスターフォルガ中立国からの“特使”である書面を渡したらしい。なぜか俺もすんなりと“外”に出ることが出来た。

 門のところまで一緒に来てくれた両親とはそこで別れた。行きがけに書いた退職届を手渡した。『一身上の都合で辞めます』――正しくないけど、間違っても無い。みんなさよなら。

 別れを笑顔で、両親に手を振る。

 門が閉じられる。明るい朝だった。両親の泣き顔が目の裏に焼き付いて困った。



 奴隷のような生活――を覚悟していたのだけれど、それは違った。

 そこはもはや“町”として機能していた。


 馬の後ろに乗っけてもらって4日。川を運搬船で渡って半日。また馬で3日。

 西へ西へと移動した場所にその“町”はあった。

 入り口の検問所みたいなところで、俺だけいろいろな検査や面談を経て、俺はこの町の“住人”になった。

 町の名前は、アルカディア。“楽園”という意味らしい。

 不思議だ。盗賊の住み処というのだから、俺の想像ではもっと荒廃した無秩序な破戒集落だと思っていたのに――。

 というか、盗賊の仲間になったからには町を荒らして回り、殺戮と人殺しときどき強盗致死……だと思って身構えていたのだけれど、俺はこの町で土木兼測量兼設計士の仕事をすることになった。いわば町内事務所の役人だ。この町には、俺の仕事机も住む部屋も温かい食事も用意されていた。俺が検査や面談をしているうちに運び込まれたのだという。


 文化的な生活だった。……うん。俺の町とほとんど変わらない、いや、むしろ……土木関係では町の重要な位置にたどり着けるような気すらしていた。

 測量。土木の見積もり計算。建築の見積もり。住宅設計。んで、町の住人達と協力して家や建物を建設・増築する。どんどん人が運ばれてくる。まだまだ人口が増えそうだった。

 そんな日々が続き、生活にも慣れてくると色んなことがわかってきた。

 この町、アルカディアは、もともとヨゼフという名前の町だった。それがいつの間にか町長が替わり、盗賊達の逗留所に変わっていた。

 表向きは戦災孤児や移民などが多く暮らす町……だが、中身は奴隷と盗賊と町の管理者が暮らす町だった。

 奴隷の内訳は、戦災孤児と戦禍に遭った難民、主に人族や亜人。そして奴隷から産まれた子供。攫われてきた女。労働力として連れてこられた男。拾われてきた子供。買われてきた売られてきた男子女子。etc。

 おおざっぱな階級制があって、500人の平民(奴隷?)の上に約100人の管理人(俺はここ)。その上に【盗賊】たちがいた。

 平民は働き、管理人は平民に仕事を与えた。盗賊は――外で“仕事”をしてくる。そんな暮らしだった。


 ある日、仕事場である町内事務所に“お頭”とアーガスがやってきた。

 所長からそのことを聞き、応接間で会うことになった。


「暮らしはどうだ」


 開口一番お頭はそう尋ねてきた。こうして話しをするのは丸々4ヶ月ぶりだった。

 何不自由ない生活だと伝えると、お頭は「そうか」と言い、朱い封筒の【同行命令書】を渡された。


「同行しろ。2日後、朝7時に西門の前に集合だ。荷物はいらない。帰還予定は14日後だ。遅れるな」


 それだけ伝えると、二人はさっさと帰っていった。所長は去って行く二人に向けてぺこぺこと頭を下げていた。


「所長。明後日から休暇を頂きたいんですけど」

「パビック君、気をつけて行ってきなさいね」

「…………はい」


 その日の仕事を終えて、夜の町をぶらついた。

 目の前を人族の少年と獣族の少年(?)が泥だらけの姿で楽しそうに駆け抜けていく。

 魔光灯で照らされた道ばたで、地面に絵を描いている少女を見つけた。


「こんばんは。……何を描いてるんだい?」


 少女が俺を眩しそうに見上げた。


「おかあさんと、わたし」

「上手だね。もう大食堂でご飯を食べた?」


 この町には食事するところは“大食堂”と呼ばれる場所しかない。いや、あの場所で“お頭”たち盗賊の姿を見たことが無いので、また別の食堂があるのかも知れないが。

 この町に住む住人はそこで食事をとり、それぞれの住居に向かう。

 少女が時計塔を指さす。


「しちじになったらおかあさんとたべる」

「お母さんはどこで働いているの?」

「ううん。きょうは、“おつとめ”だって。かんりしゃさまはもうごはんたべた?」

「今からだよ。あ、そうだ。飴玉があるんだ。あげるよ」

「ありがとう、かんりしゃさま」


 飴玉を少女の手にのせた。はにかむように少女が笑う。

 じゃあ、と手を振って別れようとしたとき、少女の視線が俺の後ろの人物に向けられた。

 少女の顔がぱぁっと明るくなった。


「おかあさん!」


 少女が駆け出す。

 その先には二人連れの男女がいて、片方は少女の母親なのだろう、両腕を広げて少女を抱き留めていた。

 俺はそんな光景をポケッとしながら突っ立ってみていたが、男の方の視線が気になったので離れることにした。ところが――


「パビックか?」


 この声はと思い、俺は男と親子に近づいていく。


「やっぱりパビックじゃねーか。仕事上がりか?」

「ハルドライドのアニキ」


 俺はぺこりと頭を下げた。盗賊の仲間だ。


「じゃあ、私たちはこれで。失礼します」


 母親が少女を抱き上げると、ほんのり上気した顔でハルドライド先輩に頭を下げた。


「おかあさん、マイコ、おなかぺっこぺこだよぉ。あ~、あにきだぁ」

「おーよ。マイコちゃん、久しぶりだな。母親似にて将来美人になるぜ。もう10年経ったら俺と“おつとめ”してくれよな」

「はーい。マイコねぇ、さっきかんりしゃさまにあめだまもらったんだよ」

「そう、よかったわねぇ……」


 母親は困った顔でもう一度ハルドライド先輩に頭を下げると、大食堂の方へ歩き出した。


「パビックよぉ。オメー、俺の女に手ぇ出そうって企んでいるんじゃねーだろうな」


 ハルドライド先輩ががっしと肩を組んでくる。ほんのりと女の臭いがした。


「ち、違いますよ。あの子がここでひとりで地面に絵を描いていたから心配で声を掛けただけですって」

「本当かよ。オメー、この町じゃ『出荷前の子供』にいたずらしようとしただけで死刑だかんな。あの子はいずれ俺のなの」

「だから違いますって! っていうか、第一、アニキが一番危ないでしょうが!?」

「いーんだよ、俺は。ここの“店”のオーナーは俺の親父なんだからよ。たまーに『出荷前の子供』に抜き打ちヌプヌプ検査とかは義務なんだよ、義務」

「いや、それまずいでしょ……。絶対気づきますって。ソコに敏感な客層からクレーム来ますよ。『処女じゃ無いので返品します』って」

「ばっか。オメー、『出荷先』がまともなとこばっかりじゃねーってことさ。人族の変態貴族に売っぱらわれるだけマシ……」


 フッと、一瞬だけハルドライド先輩の顔が真顔に戻ったような気がした。

 だけどすぐに、


「ったくよー、オメーのせいで冷めちまったじゃねーか。もっかいやらねーと酒がまずくなっちまうぜ。パビック、オメーも行くぞ。付き合え」

「いや、俺はこれから大食堂で晩メシ……」

「いいからうちの売り上げに貢献しろよ。オメー今いくら持ってるよ。ちょっとジャンプしてみろ」

「いや、俺、今月まじ金無いですから」

「ああ? 先週給料日だったろ。なんで来ねーんだよ。ここでの金の使い道って酒か女かバクチだろうが。あ、いや最近西地区に“見世物小屋”が出来たんだったか。いいから有り金吐き出せよ」


 “見世物小屋”って何だろう。……ここしばらく東地区にしか出向いていないからな。西地区は新しい建物を建てる場所が無いので俺としてはあまり用が無い場所だ。

 でもきっと、金の使い道うんぬんって言うんだから、たぶんそういうところなんだろう。


「いや、俺、両親に仕送りしているんで」


 ハルドライド先輩の腕が首に食い込んでぐえっとなる。


「つくづくまじめちゃんだなオメー。ったくよー、まあいいいぜ。今日のところは俺がおごってやるよ。ただし、オメーのロリコンを治すために引退ギリギリの熟女だしてやんよ。オメーの母ちゃんと同い年ぐらいの女だぜ」

「うちの母親60越えているんで……」


 そう言うと、ハルドライド先輩は大爆笑し、人目を憚らずヒーヒー言いながら地面を転がった。

 どうしたものかと思案に暮れていると、ハルドライド先輩はむっくりと立ち上がり、またがっしと肩を組んできた。


「俄然楽しくなってきやがったな。今から空いてる熟女集めて6Pすっぞ、6P」

「まじっすか!」


 経験上、この人の言うことを断れた試しは無いので付き合うことに決めた。


「なんか歌えこのやろー」

「はいっす。♪忘れかけていた幸せー、あなたにも分けてあげたいー、ほぉらチェルシー、もひとつチェルシー♪」

「がははははっ! なんだその歌。ほぉらチェルシー♪」


 やけのやんぱちとでも言おうか、この人といるといつもこんな感じになってしまう。

 ハルドライド先輩は俺がこの町に来たときから気に掛けてくれた先輩で、気さくで面倒見のいい人ではあるのだが、たまについて行けなくなるところがある。

 それでも、俺にオンナ遊びを教えてくれて、たまにこうして会えば有り金すべて巻き上げてしまうような人だけど、頼もしいアニキのような存在だった。

 俺たちは“大浴場”までの道のりを肩を組み、故郷で流行っていた歌を大声で歌いながら歩いた。

 “大食堂”帰りの平民達はそんな俺たちにぺこりぺこりと頭を下げながらすれ違っていく。

 

 ふと、喧噪が聞こえ、見ると“大浴場”の店の前で男数人が店の人間相手になにか騒ぎを起こしているようだった。

 ハルドライド先輩が急に走り出し、俺も慌ててあとを追った。


「いいからシルヴィアだせよ」


 “大浴場”の店の入り口で低く唸るような声で店の者の襟首を持ち上げている短髪の黒髪の男がいた。

 取り巻きも1~2人いるようで、遠巻きに事態を見守る平民達を威嚇している。


「で、ですからシルヴィアさんは今日は御当番日ではありませんので……。他の方でしたらすぐにご用意いたします、ごふっ!?」


 短髪の男――ジェイルは目の前の男の腹を容赦なく殴った。

 この町では原則として“武器”の持ち込みは出来ない。調理場が“大食堂”にしかない理由も刃物を使用できる場所を制限しているためだろう。平民の服も配給なため裁縫道具やハサミですら町内会館でのみ貸し出しとなる(無料)。

 殴られた店の者が身を縮めながら地面に横たわった。ジェイルはそれでもまだ気が収まらないのか、さらに蹴りを入れようと右足を上げたとき、ハルドライド先輩がふたりの間に割って入った。


「ジェイルよぉ、オメー、先日うちの女の子を殴ってお頭から謹慎くらったばっかだろう? 謹慎期間は2週間。オメーの体内時計、寝てる間に6倍速にでもなってるのかよ」

「へっ、ハルドライドかよ。てめぇこそ外では餓鬼みてぇな女にむちゃくちゃするくせによ、何言ってやがる。いいからシルヴィアを髪掴んで引きずってでも連れて来いよ」


 眉間に皺が寄り、もの凄く恐い顔でハルドライド先輩を睨むジェイルだったが、ハルドライド先輩は気後れした様子もなく、ずいっと前に出た。


「そりゃ店の女の子と野良の女と同一視できるわけねーだろ。オメーもやりたいだけなら外抜け出してやってくればいいじゃねーか。うちの子と遊びてーんならルールを覚えて謹慎解けてからにしろよ」

「聞き分けが悪い坊ちゃんだなてめーはよ! バインド、ロブスローズ、こいつを囲め!」 


 大男ふたりがハルドライド先輩を左右から挟み込むように移動する。

 ハルドライド先輩が舌打ちをする。ジェイルはこれで袋だたきだと言いたげに歯を剥き出して笑った。

 ――だけど、これで終わりなのはジェイルの方だった。


「ジェイル。やはり騒ぎを起こしているのはおまえだったか。こい、話がある」


 平民の囲いの中から現れたのは、俺が【盗賊の指輪】で呼んだアーガスだった。


「に、兄ちゃん。違うんだよ、これは! ……誰だ、兄ちゃんを呼んだ野郎は! ぶっ殺してやる!!」

「これだけ騒げば俺の耳にも届く。全く、どうしておまえはいつもいつも」

「兄ちゃん、ごめん。あははっ、痛いって兄ちゃん。あ、兄ちゃん、夕飯時だった? ほら髭にクリーム付いてるよ。あははっ、痛て、痛て!」


 アーガスに腕を引かれて連れて行かれるなぜか嬉しそうなジェイル。


「んで、オメーらはどうする? うち、遊んでくか? 女の子に優しく出来るってんなら今日はただでいいぜ」


 ジェイルがいなくなって、手持ちぶさたなバインドとロブスローズが顔を見合わせる。


「ん、まぁ……」

「いいけどよ……」

「おら、そうと決まったら中にはいんな。店の前ででけぇ男がつったってんなよ。ハセンビーズ! お客さんを二階に案内してやんな。……ああ、おまえら臭ぇな。まず一階で風呂に入って来いよ」


 ハセンビーズと呼ばれた店の従業員がハルドライド先輩に代わってふたりを店の中へと案内していく。

 ハルドライド先輩もふたりに何か話しかけながら中へと入っていく。

 今度は俺が取り残された感じがして、とりあえず飯でも食いに行こうとその足を“大食堂”に向けた。

 

 盗賊が統括する奴隷の町――アルカディア。

 “楽園”と呼ばれる歪な町。俺はその住人だった。


 平民でごった返す大食堂で食券を出していつもの定食を受け取る。管理者用のいつもの席で一人で黙々と食べているとハルドライド先輩がやってきた。


「どこ行ってんだよオメーは。飯食うより6Pだろ。何食い気に走ってんだよ。オネーサマ方を4人も待たせてんだよ。おら、行くぞ」


 ハルドライド先輩がスプーンをくわえていた俺の襟首を持って持ち上げる。


「え、やっぱりやるんすか?」

「あたりめーだろ。向こうは引退試合だって張り切ってんだぜ。ひとりは明日から稼いだ金で息子んとこまで旅行だとよ。オネーサマ方うちでいくら稼いだか知ってっか? オメー、それ聞いたら俺様ぶったまげちまったぜ――」 


 快活に笑うハルドライド先輩。 


「おら、ぼさっとしてんな。じゃあよ、今日はオールナイト的な感じで行こうぜ」


 ばしんと背中を叩かれた。平民の皆さんがチラリとこちらを見てすぐに目をそらした。



 きゃー可愛い、うちの息子みたいー、とか。でも堅いわ。若さよねー、とか。

 二階の浴槽付きヴィップルームで4人のマダムにもみくちゃにされて喘いでいるとハルドライド先輩が入ってきた。

 きゃーきゃーと黄色い声が浴槽にコダマする。

 照明のほとんど無い薄暗い浴槽であっても、窓からの月明かりは差し込まれる。ハルドライド先輩の身体はよく見え――俺は目を見開いた。

 俺が息を呑んだのは、その鍛えられた鋼のような肉体でもない。ましてやでかいチンポでもない。


 ハルドライド先輩の、その傷痕の多さだった。

 刃傷がそれこそ体中にあり、歪に窪んだところや、逆に肉が盛り上がっているところもあった。火傷でケロイドになっている箇所もある。

 ハルドライド先輩が湯船に入ってくると、マダム達は黄色い歓声を上げながらその肉体を擦り付けに向かった。だが、先にハルドライド先輩の両脇を固めたマダムふたりが先輩の両頬にキスをすると、後れを取ったふたりが彼女たちにお湯を掛け、こちらに戻ってきた。


「ハイド君とられたー」

「いいもーん。こっちの若い子でがまんするもーん。あたし、アーネットよん」 

「ぱ、パビックです。ど、どもっ」

「わたしアマンダー。今日はいっぱいサービスしてね」

「そりゃオメーがするんだぜ、アマンダ」

「はーい」


 ふたりのマダムに挟まれてしどろもどろになる俺。ふたりともまた美人だ。妖艶な笑みを浮かべ、ふたりはこちょこちょと俺の身体を指でなぞってくる。それがくすぐったくて俺は吐息を漏らしながら身を捩った。

 そんな俺を満足そうに見つめながらハルドライド先輩は言った。


「そういやパビック、オメー今度“初仕事”なんだって?」

「え? あ、はい。っと、今朝、お頭が町内事務所まで来て、朱い封筒の【同行命令書】を手渡されました。明後日から14日間も遠征みたいです」

「でもよぉ、ファーストジョブも持ってねぇオメーが何しにお頭たちと出かけるんだ? 荷物持ちか?」

「えと、これって“ここ”で言っていいのかわからないんですけど……」


 俺に身体を寄せ、肌に指を滑らせながら童女のように水遊びを始めたマダム達に目をやる。


「かまわねーぜ。話せよ。なんかアドバイスしてやれるかも知れねぇし、ここにゃ俺とオメーしか


 チャプン、と水音がして――マダム達が一斉におしゃべりをやめた。見ると、マダム達は皆、彫像のように固まり、目を閉じている。


「――確かに俺はファーストジョブは持ってないですけど、お頭は俺に、『偵察』と『町の見取り図の作成』と『要人の似顔絵』を描かせたいらしいんです。どうも初めて行く町みたいで」

「ふーん。そういやオメー、やたらと絵がうまかったよな。前にもらったやつ、うちの店のカウンターと便所に飾ってあるぜ。知ってか?」


 あげたというか、初任給で絵描きセットを買い、久々に描いた絵を部屋に飾っていたら、「なかなかいいじゃねーか。もらってくぜ」って額ごと持って行かれたわけだけど。


「あ、はい……。なんか周りあるの、すごい名画ばっかりで恥ずかしいんですけど」


 この店の一階は大衆浴場となっていて、平民と管理者が利用できるようになっている。そのカウンターの壁に俺の絵が掛けられているのだが、他に掛けられている絵と比べると、自信作とはいえ……やはり見劣りする。あの絵もここの住人が描いたものなんだろうか。


「そうか? 結構人気あるみたいだぜ。また描いたら持って来いよ。“無料券”と引き替えにしてやっからよ」

「はぁ……。それよりアドバイスの方お願いします」


 前にアーガスやハルドライド先輩から遠征について色々と聞いてはいたものの、やはり気が進まない。


「んで、町の名前は何だ?」

「オランドっていう、ずいぶん北の町みたいなんですけど……」


 チャプン、すぐそばで水音がした。上から滴でも落ちてきたのかなと見上げる。


「あー……、国を一つ跨いだ北方の町だな。国境沿いで何度か戦禍に遭っている。まあ、それから30年近く経ってるっつーし、今じゃ復興してんじゃねーかな。悪ぃな、俺も行ったことねーわ」

「ですよね……、言葉は通じるみたいなんですけど、俺みたいなのが知らない町ウロウロして変に思われないかちょっと心配なんですよね」

「――で、今回の遠征の目的は何つってた? 魔晶石の強奪か、人攫いか――」


 俺は【同行指令書】に書かれてあった内容を思い出す。読んで覚えたらすぐ燃やせって書いてあった内容を話してもいいものかと逡巡したが、どうせすぐに他の盗賊仲間から漏れるだろうと俺は口を開いた。


「“要人暗殺”だそうです。『アローン・セパセデス』って言う人。アニキ、俺って別に殺しの手伝いまで強要されたりはしないで――」


 ――すよね。

 そう続けたかったが、俺の右隣にいたマダムが目をカッと開いて立ち上がった。そのままバシャバシャと湯船を出て行こうとする。

 その背にハルドライド先輩が呼びかける。


「アマンダ。最後の仕事が終わってねぇぜ。この町に来て27年間頑張って働いてきたんだろ?  退職金は明日の昼までには用意できるぜ」

「ハイド君」


 アマンダが振り返らずに続けた。


「生理来ちゃった」

「あーらら」


 おどけた風にハルドライド先輩は笑った。

 浴室の戸を開け、アマンダは小走りで出て行った。ハルドライド先輩が立ち上がる。ハルドライド先輩のモノははち切れんばかりに怒張していた。


「おまえらの周期はチェック済みだっての……」


 アマンダのあとを追おうとハルドライド先輩が湯船から上がろうとするが、両脇のマダムがそれを止めた。


「どーしたのハイド君。アマンダのことなんてほっとけばいいじゃない」

「ねぇ。早く愉しもうよぉ。ねぇ。お願い……筆卸してあげた仲じゃない私たち……」

「…………」


 ハルドライド先輩が両腕にぶら下がるマダムを見下ろしながら、先輩は迷っているようだった。

 ただ、俺は混乱で訳がわからず、萎縮しながらその光景を見つめるしかなかったのだが――、いきなり背後から金玉を掴まれ、慌てる俺の耳元でアーネットが囁いた。


「ハイド君を追わせないで。あなたも馬鹿みたいな声でこう言うのよ。『アニキ、あんなオンナほっといて、早く愉しみましょうよ~』って。言うのよ。――言いなさい!」


 金玉が強く握られる。胃に来る。


「あ、アニキ~。あんなオンナほっといて、早く愉しみましょうよ~」

「そうよー。ハイド君、この子ったらもう待ちきれないんですってー」


 アーネットの言った通りにしたのでクラッシュ寸前だった金玉を解放してもらえた。

 ハルドライド先輩の肩が溜息とともに下がる。


「ったくよー。一人足んなくなっちまったじゃねーか」


 がっかりといった感じの先輩の背中。せぇので先輩はマダムふたりに湯船の中に引き戻された。ばっしゃーんと派手にお湯が飛び散った。きゃははははっとマダムふたりが笑う。


「大丈夫よ~。あたしがアマンダねぇさんの分まできっちり“おつとめ”するんだから~。パビックちゃん、きっとあたしのテクにめろめろになるわよー。ね?」


 返答を待たず、アーネットは俺の唇を奪うと、足を絡ませてきた。



 夜が明け、未だかつて見たことのないような真っ黄色の太陽が昇るのを背に受けて、ようやく俺は解放された。マダム恐るべし。恐るべし……!

 ちなみにハルドライド先輩は三人を相手したあと、“応援”に来た女達と、たぶんまだやってると思う。あの人はビョーキなのだ。

 腰が抜けかけ、歩く度ズボンに擦れて痛む俺のチンポはもうすでに死んでいる。

 ふらふらヨロヨロと歩き、どこか腰を落ち着かせられる場所を求めて彷徨う。もうしばらくは女の顔なんて見たくなかった。

 ふと、顔を上げると、そこは町の入り口で、馬車乗り場だった。

 ぽけ~っと、馬車の時間を確認する。朝の8時が始発便。4時間ごとに馬車が出る。夜の8時がこの町を出る最終便のようだった。

 もっとも、この町の住人が通行証も無く“外”に出られるはずもないし、ちなみにこの馬車は他の町からこの町の“大浴場”目当てにやってくるお客さん用の馬車だ。

 “大浴場”の二階では、月に一度“出荷前”の娘や少年の品評会なども行われているという。気に入ればお買い上げ。18歳を過ぎて買い手が付かなければ『生産ライン』に乗せられる。

 『生産ライン』ていうのはつまり……。


「お腹……すいたな……」


 深く考えることはやめ、俺は大食堂へと向かうことにした。


 

 翌日の7時に間に合うように集合場所に向かうと、6人ほどがすでにいて、馬を準備して待っていた。

 

「どうだ、パビック。馬は乗れるようになったのか」


 アーガスと話していたお頭が俺に気づくと話しかけてきた。


「はい、一応。16分で一周できるようにはなりました。でも、町をぐるぐる回る程度ですから、夜とか悪路だとあまり早くは走れませんけど」

「かまわない。もしも作戦が失敗して追われるようなことがあれば捕まるといい。口をしっかり閉じてさえいれば外交ルートで恩赦が出るように手配してやろう」


 それを聞いていた周りの盗賊が笑う。その中には小男のトルキーノがいた。ロードハイムもいた。ハルドライド先輩は……いない。


「あの……ハルドライド先輩は来ないんですか?」

「ハルドライドか? 今回は呼んでいない。襲撃ではないからな。少数精鋭で行く」

「そうですか」


 少数精鋭とか言われると、ちょっと嬉しかったりする。


「出発だ。門を開けろ」


 門が開き、盗賊達は野に放たれる。

 彼らが往くところ、誰かが殺され誰かが傷つき、そして誰もがその死を悼むのだろう。

 考えてはいけない。

 俺もまた盗賊なのだから。

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