第72話 パビックの苦悩

 ミロードが死んだ。俺の目の前で殺された。

 女の手にしていた“武器”がミロードの頭部を貫いたのだ。


「――さて、パビック。おまえの話に戻ろうか。おまえ、わたしたちの後を着けてどうするつもりだったんだ?」

「…………」


 女が何か言っていた。

 俺に向かって話しかけているらしい。後ろから強い力で肩を揺すられるが、なぜ揺すられているのかわからない。


「ショックで放心しているみたいだぜ。どうするんだ?」

「指の一本でもちょん切ればぺらぺらしゃべり出すんじゃなーい?」


 ミシュトラーゼがハサミをチョキチョキさせ、俺の指に触れた。

 俺は抵抗する気力も無く、考えることを放棄していた。殺されるのだ。俺も殺される。

 ――ああ、どうせ殺されるなら、


「絵を、完成させてからがよかったなぁ……」


 ぽそり、と言葉がこぼれ落ちた。

 俺の利き腕の指にミシュトラーゼの鉄のハサミが添えられる。野に咲く花でも切り離すように――


「やめろ、ミシュトラーゼ。おまえはいつもやり過ぎだ。こういうのはな、鼻でもつねってやればいいんだ」


 そう言って女は俺の鼻をつねった。「痛っ」と俺は目を閉じて身を捩ったが、後ろの男が俺をがっちりと押さえつけていた。


「正気に戻ったか、パビック。――パビック・ポルパウロ。その赤と茶と緑の石の入った指輪は……【設計士】か。まだ若いのに立派なものじゃないか」


 まだ若いって、女は俺と同じくらいに見える。……って、


「どうして……俺の名前……」

「ははは。だいぶ落ち着いてきたな……。いや、まだ声が震えているか。話はおまえの思考を今少し元の世界に戻してからだな。そうだな――パビック、算数は得意か?」


 女は俺の問いに答えもせず、ひょんなことを聞いてきた。


「わりと……、出来る方だと思います」

「なら、“1~99までの整数をすべて足すといくつになる?”さあ、よく考えて答えてみろ。言っておくがトンチではないからな。ロードハイム、アーガス、ミシュトラーゼ。おまえ達もだ」


 「ああ? まじかよ」俺の肩が後ろの男にギュッと掴まれた。

 「ちょっと、あたし算数苦手なのよー」と両手を頬に当てるミシュトラーゼ。

 「…………」二人をよそにアーガスはぶつぶつとなにか呟き始めていた。


「ネェネェ、お頭ー。この死体食べてイイ? 食べてイイ?」


 空気を読んでいない入れ墨男が女のスカートの裾をクイクイと引っ張った。


「もちろんいいぞ。ただし、1~99の数字を、1+2+3+(中略)+98+99と、すべて足し終えたらな」

「エエ~、そんなのたくさんだヨー」

「たまには頭を使え。数は物事の基本だ。――おい、パビック。タイムリミットが無いなどと思うなよ。必死で頭を動かせ」


 女は俺にジロリと鋭い視線を走らせると、俺の緑の絵の具に視線を落とした。

 俺は必死で計算を始めた。学校で似たような計算を授業中に受けた気がする。1~10までなら、その答えを覚えている。

 ――でも、99までなんて計算数が多すぎる。なにかコツでもあれば簡単なんだろうけど、ノートもないし、頭の中だけじゃ難しすぎる。ああ、駄目だ。極度の緊張とミロードの死で脳がまともに動かない。

 それでもどうにか1~15までの数字を足し終えたとき、


「――4950!」

「4950!」


 ほぼ同時に、アーガスとロードハイムが答えをはじき出した。

 女はおかしそうにカラカラと笑う。


「二人とも同時とはな。正解だ。ロードハイム、おまえはどんな計算をした?」

「ああ? ……1~99だろ? 1+99、2+98……つまり、足して“100”になる組み合わせが49組あるわけだ。そして50だけはペアがいねぇ。つまり49×100+50で、4950だ」


 俺はぽかーんとしてロードハイムの講釈を聞いた。


「ははははは……。おもしろいな、ロードハイム。その考え方はユニークだ。ならアーガス、おまえはどうだ」

「私は大旦那様から教えて頂いた『n(n+1)/2』の公式に当てはめました。99×100÷2です。4950になります」

「ああ、わたしも公式派だ。おまえはどうだ、ミシュトラーゼ」


 そう言って女は、地面に木の枝で数字を書き込んで計算しているミシュトラーゼに声を掛けた。


「ああ、もう、話しかけないでったら! 今ので幾つまで足したか全部忘れちゃったじゃないの! でも、もう答えがわかったから終わりでいいわよね! 4950! 算数大っ嫌い!!」


 ミシュトラーゼはプイッとそっぽを向いてしまった。

 女はおかしげに笑い、その笑みを俺に向けた。目が笑っていない。


「それで、パビック。どこまで計算した?」

「ぁ――か、まだ、15までしか……できてません」

「そこまででいい。答えは何だ?」


 俺はその答えを答えた。女が満足そうに頷く。


「正解だ。……さて、そろそろ思考が恐怖から解放されたようだな。一応自己紹介をしておこう。――わたしたちは【盗賊】だ。そしてこの町にある“風の魔晶石”を盗みに来たわけだ。だが、魔晶石の在りかがわかっても、そこに入るのは鍵を開けなければいけない。どうもその扉、ウチのシーフでは手に負えないほどしっかりした鍵が付いていた。そこで人の良さそうな兵士の一人を捕まえてちょっと脅したわけだ」


 そして、ミロードの死体を指さした。

 頭の深奥がまだ痺れているせいか、ココロが恐怖と現実の間を彷徨っている。


「鍵の在りかはミロードから聞いてわかっただろう? パビック・ポルパウロ。今夜10時までに時計塔の前にその鍵を持って来い。わかったな」


 ぽん、と俺の肩に手を置いて言った。


「え、そんな……」出来るわけ無い。

「今夜10時までに鍵を持ってこなければ、殺す。八つ裂きにしてローに喰わせてやる」


 絶句する俺に、女は何かを手渡してきた。


「こいつは返しておく。指先が動く最後の時間を大切にするんだな。……さて、わたしたちは夜の10時まで何をするかな……。とりあえず、昼食をとるか。おい、ロー、その死体を運んでおけ。計算が終わったら喰ってもいいぞ」 

「ぶつぶつぶつぶつ……」

「なら、あたしがチェックしておいたあのお店に行きましょうよ~。あそこ絶対美味しいわよ~」


 何事も無かったかのように、盗賊達が去って行く。俺を振り返ることなく。

 ――俺は、生き残ったのか?

 しばらくそのまま突っ立って葉擦れの音を聞いていた。

 安堵の息を洩らせぬままに、俺は目元を拭った。汗とも涙ともわからないほど濡れていた。

 あんまり遅れると、両親が心配してしまう。

 俺はゆっくりと貯水湖の方へと足を向けた。足下がふわふわとして地面を歩いている気がしなかった。

 女の言った“鍵”を手に入れる当てなど無い。冒険者ギルドは常時人がいて、深夜にはギルド自体が閉まってしまう。

 ただ、ギルドの奥の資料庫には入ったことがあった。何かの手伝いのときだったと思う。――ああ、俺の初仕事の設計がギルドの炊事場の補修工事の図面だったか。たしか、排煙口と排水溝の位置を決めたり、給水ポンプの配管を――

 ふいに、嗚咽が零れそうになった。目眩がして膝がガクガクと揺れる。

 鼻が痛くなり、涙が零れそうになる。

 だめだ。泣いちゃ駄目だ。泣くくらいなら、鍵を盗み出すための知恵を絞れ。考えるんだ。

 俺は顔を擦って唇の震えを取り除くと、大きく息を吸い、堅く目を閉じた。

 目の前にあるのは、闇だった。



「お。ハナタレ坊主め、やっと戻ったな。やれやれ、ようやく昼食にありつけそうだ」

「…………(おかえり)」


 父親のニヤリとした笑顔と、母親の手話で迎えられる。

 両親は河原にシートを引いて二人で座っていた。その二人の間には弁当が広げられていたが、まだ手を付けてはいないようだった。

 俺が戻ってくるのを待っていてくれたのだろう。

 この二人のことだから、もしあのとき俺が殺されていても、日が暮れるまでずっと弁当を広げたまま待っていてくれたに違いない。

 俺は全力で奥歯を噛んだ。そうしなければ何を叫んでいたかわからない。

 俺は鼻から大きく息を吸い、深呼吸を繰り返した。


「ごめんごめん、ちょっと友達と話し込んじゃっててさ。あーお腹空いた。うっわお、母さんなにこれ、すっごいうまそうだ」


 俺は弁当に手を伸ばそうとすると、


「…………(手を洗ってきなさい)」

「あーこりゃこりゃパビック。まずは川で手を洗ってきなさい。母さんの弁当はなくなりゃせんわい」

「はーい」


 言って、両親に背を向けて川辺に向かった。

 もう、限界だった。

 堰を切ったように涙が後から後から溢れ出してきて、このまま声を上げて泣いてしまいそうだった。

 両親にすがりつき、“助けて”と口にしてしまいそうだった。

 雷に怯えていた子供の頃も。そして、あの事件のあとも二人して俺を抱きしめてくれた。

 俺は堅く目を閉じ、涙を絞り上げた。

 ……どうすればいいのか。答えが見つからない。どうすればいいのか。

 ほんの5メートルの距離が永遠のものに思えた。

 俺は川の水でバシャバシャと顔を洗い、涙を洗い流した。充分に目元の熱を冷まし、気持ちを落ち着かせ、ハンカチで拭いていると、両親以外の声が聞こえてきた。

 

「あ~らやだ、ちょっとイカす感じの場所に出たんじゃないのぉ? これぞ、知る人ぞ知る観光スポットって奴じゃなぁい?」


 俺は振り返った。

 そこには、町に昼食を食べに行ったはずの盗賊一味が河原の砂利を踏みしめながらこちらに向かってきていた。


「な、――んで……?」

「はぁい。また会ったわねぇ。あたしたちぃ、あなたのことが忘れられなくってぇ~」


 ミシュトラーゼが両手を頬に当てながら、くねくねと腰を動かした。

 ――ああ、そうか。こいつら、町に向かうと見せかけて、俺の後を着けてきたんだ……!!

 俺は女を視線を向けると、女は目を細め薄く笑った。

 俺が慌てて両親の元へ向かおうとすると、


「こんにちは。昼食時に失礼します。わたしたちは隣国のスターフォルガ中立国から派遣されてきました森林調査団です。冒険者ギルドの方々と合同で危険指定植物の調査に当たっています」


 女は両親に向かって恭しく頭を下げた。


「ああ、はい。それはそれはご苦労様です」


 父親は慌てて頭を下げ、母親は目を伏せながら帽子を深く被った。


「それで、先ほど息子さんに――その、調査を手伝って頂きまして。お礼も出来ないまま別れてしまいましたので、こうして探していました」


 にっこりと女は笑った。

 態度も声色も先ほどとは打って変わって、まるで別人のようだった。後ろに控えてるアーガスとロードハイムは口元を真一文字に引き締め、目を伏せていた。

 ただ変わらないのはミシュトラーゼだけだった。


「そうよぉ。ポルパウロさん、あなたの息子さんって素敵だわぁ。見ず知らずのあたしたちに親切にしてもらって、もうハッピーって感じなの」

「ええ。ええ。それはそれは、息子がお役に立ててなによりです」


 父親は照れ笑いのように頭を掻くと、俺にニヤッと笑いかけた。

 俺はどんな顔をしていいのかわからず、駆け寄ると両親と女との間に立った。

 何かを言いかけた俺を遮るように、女は一気に話し出した。


「ただ、お手伝い頂いたパビックさんにこんなことをお伝えするのは心苦しいのですが、森で発見された『危険指定植物』はパビックさんのご協力で焼却駆除できたとはいえ、パビックさんも……そしてわたしたちも『危険性黴胞子』を浴びてしまいました。胞子は少量とはいえ、おそらく肺にも入ってしまったと思います。仮に発病した場合、症状としては心神耗弱状態に陥ってしまう可能性があります。また情緒不安定になり、悲しくもないのに涙を流すようなそんな症状が現れると報告されています。実を申しますと、『簡易キット』でうちのスタッフの一人と案内してくださっていた兵士さんから陽性反応が出ました。……パビックさんはあの場にいて、わたしたちと一緒に焼却処分のお手伝いをして頂きました。発病の可能性がないとは言い切れません。そこで、一度簡易検査を受けてもらえませんかと思いまして……」

「息子がそんな……?!」


 父親が驚愕の表情で震え上がった。


「ああ、いえ。胞子を吸い込んでしまったからと言って、直ちに命に別状があるわけではないのでお父さんも落ち着いてください。二次感染の心配もありません。すでに特効薬も開発されていますし、その薬もわたしたちが所持しています」

「ああ、それは良かった。安心しました」


 父親が安堵の息を吐いた。


「ただ、その薬は“耐性菌”を作りやすい薬であるため、薬学法上、必要最少限の人数分しか所持してはいけないことになっていましたので、残念ですがここにはありません。町の外で待たせている“予備の薬”を仲間と連絡を取って持ってきてもらうようにします。今夜中には必ずパビックさんにお渡しできると思います。ただ、そのことをお伝えしたくて後を追いかけてきました。本当に申し訳ありません」


 女がぺこりと頭を下げ、後ろにいた男二人も続いて頭を下げた。

 両親は不安そうに俺を見つめ、母親は「大丈夫?」と手話で話しかけてきた。俺は大丈夫だと言って頷いた。


「ねーえちょっと、お頭。これすごいわよ、これこれ、わーおよ」


 俺の描きかけの絵に気づいたのか、ミシュトラーゼが急に騒ぎ始めた。

 両親は気づいていないようだったが、ミシュトラーゼは“お頭”と言う単語を使った。

 ロードハイムとアーガスの眉がぴくりと動いた。


「――ミシュトラーゼさん、“お頭”はやめていただけませんかってあれほど言ってたでしょう。せめて“団長”と言ってください。森林調査団長。まったく、恥ずかしいわ」


 女はプンプンと怒った風で腰に手を当てた。――そして、俺の絵を見た。

 じっくり5秒ほど見つめたあと、女は盗賊と森林調査団の両方の合わさった顔でこう言った。


「とても上手ね。完成したのが見たいわ。きっとギルドの人たちだって見たがると思うわよ」


 俺はうまく息が吸えずまごまごしていると、女は両親に向けぺこりと頭を下げた。

 そして、女は俺に必ず指定の時間までに来ることを言い残すと、男3人を従えて林の中に帰って行った。

 今度こそ、もう戻っては来ないだろう。

 俺は息を吸い込んだ。――盗賊どもは、両親の顔を覚えてしまった。もう一人の問題じゃ無い。

 両親が不安そうな顔で俺を見つめていた。


「大丈夫だって! あの人達も言ってただろ、薬ですぐに治るって。それよりも、お腹が空いて倒れそうだ。いただきま~す!」


 俺は空元気でシートの上に座ると、手づかみでお弁当を食べ始めた。

 両親はそんな俺を見て少しは安心したのか、俺を挟むようにして座ると食べ始めた。

 いつもの、これからずっとこうしてあるはずの日曜日のランチを。

 この味を。この景色を。これからもずっとにするために。

 ――俺は覚悟を決めていた。



「――驚いたな、本当に持ってこられるとはな」


 午後10時。魔光灯でライトアップされた時計塔の前には、その灯りを避けるように女とアーガス、それに見知らぬ小男が俺を待っていた。

 繁華街の表通りであるこの場所は、時間が時間と言うこともあり、人通りはまばらで、数人が屯っているのを気にする者もいなかった。

 俺はギルドの資料室から持ち出した時計塔の鍵を女に手渡した。

 女は何事か呟くと、まじまじと鍵を見つめていたが、「トルキーノ」と誰かを呼んだ。


「へい」

「時計塔の鍵だ。あとは一人で行けるか?」

「むしろひとりの方がいいでやす。で、代わりにこの“魔晶石”をおいてくればいいでやすね」

「そうだ。レプリカだが、そこそこの魔力はある。向こう3~4年は持つ」

「あい。じゃ、行ってくるでやす。もしあっしがしくじったら構わず行ってほしいでやす」

「わかった」


 トルキーノと呼ばれた小男は女から皮袋のつつみを受け取ると、まるで初めからそこには居なかったかのように闇に融けていった。


「さて、移動しながら話そうか。町の人間ではないわたしたちがいつまでもここに突っ立っていては不審がられるだろう」


 女は歩き始め、アーガスに促されるように俺もそのあとに続いた。


「よくギルドの中に入れたな。あそこは関係者以外の立ち入りは禁止されているはずだろう。どんな手を使った?」

「……絵を完成させました。その絵を持ってギルドの所長室に飾らせて欲しいと頼みに行きました」

「ほう……?」


 女は興味深そうに相づちを打った。


「前の町の感謝祭のとき、ギルドの所長が部屋に絵を飾りたいと言っていたのを思い出しました。それで、描き上げた絵を額縁に入れてギルドに持って行ったんです」


 絵を見た所長は一目でそれを気に入ってくれた。

 そして是非言い値で譲って欲しいと言われた。俺は、絵の料金は要らないけれど、この絵に興味を持った来客がいたなら俺の名前を出して欲しいと頼んだ。

 お安いご用と、所長もその条件を呑んでくれた。そして絵を飾るにしても留め具の設置があるからと所長室の中に入れてもらった。

 そこで、俺はギルドのマスターキーを盗んだ。そのマスターキーを使って資料庫の鍵を開けたのだ。

 常に係の人がいるギルドのカウンターの下にある資料庫の鍵を盗むよりもずっと簡単だった。

 簡単にはバレないように、時計塔の鍵から“2番”と書かれているキーホルダーを外し、隣に掛けてあった倉庫の鍵に取り付けて元の場所に掛けておいた。

 そのことを告げると、女は快活に笑った。


「なかなかやるなパビック。――ああ、確かにあの絵は良かった。しかし、完成された絵がギルド所長室とはな。ククク……、実に面白い」


 そして俺たちは人気の無い倉庫裏までやってきた。

 女がミロードを殺した“武器”を取りだした。そしてその“武器”について俺は簡単な説明を受けた。


「――弾倉が6発分。うち2発は抜いてある。生存確率は6分の2だ。祈れ」


 女はレンコンのような弾倉から弾を2発抜くと、指で弾き弾倉を回転させた。

 カシャン、と銃にセットされ銃口が俺の額に向けられた。


 死への恐怖が無かったかと言えば嘘になる。

 完成した絵を持ってギルドに入ったとき、盗賊どものことを報告しようか迷った。

 報告することで警備が厳しくなり、この町の“風の魔晶石”は守られたかも知れない。 

 だけど、俺と両親はいずれ必ず殺されただろう。拷問を受けて。むごたらしく殺されるのだ。

 なんとなく、それだけはわかっていた。

 今、ここで俺が死ねば、おそらくそれで終わりになる。死体は喰われて、俺は病死扱いになるのだ。

 盗賊に出会ったときに殺されるはずだったのが、両親とお気に入りの場所で最期のランチをとることができたうえに絵を完成できたのだ。もうそれでいい。

 撃鉄が落とされる。

 いよいよか……。

 

「命乞いも、抵抗もしないのだな。パビック」


 女は引き金に指をかけた――が、その時はいっこうに訪れなかった。


「なぜだ?」


 女が聞いた。

 黙っていようかとも思ったが、俺はあえて口を開いた。


「――昔、指輪の素質を調べに検査機関行った帰り、馬車がゴブリンの群れに襲われました。馬車の窓が破られて、ゴブリンが中に入ってきました。同級生だった女の子が襲われて、俺はその子を守ろうとして返り討ちに遭いました。その子は殺されました」

「…………」


 女は引き金から指を戻しただけで、無言のまま俺に銃口を突きつけている。


「そのとき俺は町の外では無力だと悟ったんです。でも、今日……その殺された子のお兄さんが町の中で殺されました――あなた方に。ミロードは妹を庇おうとして怪我をした俺によくしてくれた人でした。お人好しで、ひょうきんで、目元辺りが……やっぱり兄妹だなぁって思うくらい似ていました」


 せめて、嫌みのひとつくらい言っておきたい。


「――俺のせいでミロードは時計塔の鍵の在りかを話し、町の裏切り者になってしまった。

 そして俺も、ミロードの仇に手を貸して町の裏切り者になってしまった。みんなみんな、あんた達のせいだ」


 ……言ってやった。

 膝がガタガタと震えている。心臓が破裂しそうなくらいドキドキして、額からの汗がすごかった。喉もカラカラだったのに……それでもまだ俺は死ななかった。

 女は顔色一つ変えずに言った。

 

「当たり前だろう。わたしたち以外の誰のせいだと思うんだ。パビック。わたしたちはすべて理解したたうえで“悪行”に手を染めているんだ。“盗み”“暴力”“殺し”、どれ一つとっても褒められたものではない。褒められたものではないが、それを行使することで、わたしたちはわたしたちの目的を遂行できる。わたしたちの進んだあとに何体もの無関係な善人の骸が横たわろうともわたしたちは前進をやめたりはしない。立ちふさがるモノすべてを排除してわたしたちは先に進む。――さて、銃を持つ手も痺れてきたところだ。そろそろ楽にしてやろう」


 女は再び引き金に指を掛けた。

 俺は銃口の黒い穴ではなく、お頭を見つめ返した。 

 何か言いたいことがあった。いや、たった今

 だけどそれを口にすることは出来ない。憚られた。

 だから、代わりに少し気になっていることを聞いてみることにした。


「なぜ、2発の銃弾を抜いたんですか? どうせ殺すならそんなことする必要なんてないはずなのに」

「ああ、それはただの“遊び”だ。6発中2発は弾が出ない。生き残る可能性がある。“強運”を味方に付けた者をわたしは殺そうとは思わない。そいつには、そのままこの町に住まわせ、“諜報員”として働いてもらうことにする。もちろん、わたしたちのことを話せば殺す。言いつけを守らなくても殺す。与えられた仕事をこなせなければ、応援をよこす。そして断っても殺す」


 俺は馬鹿馬鹿しくなってあはははは、と笑った。しばらくの間、心を空っぽにして笑った。

 涙が後から後から零れてきて、俺は涙にむせながらも笑い続けた。

 女は顔をしかめながらも、俺が泣き止むのを待ってくれた。泣いたことで少しだけすっきりしたせいか、決して口にしてはいけない言葉が飛び出した。


「もしも、俺が生き残ったら――俺を、あなたたち盗賊の【仲間】に加えてください。そして、俺をこの町から連れ出してください」


 この町で町の人たちを欺きながら生きる未来がいやだった。

 両親に顔向けできない自分が嫌だった。

 ミロードの死を無駄にしてしまう自分に腹が立っていた。

 女がニヤリと笑った。


「祈れ」


 ――誰に? 

 彼女たちに付いていったら、その答えに気付けるような気がした。

 そうして引き金は引かれた。カチンと鉦が鳴り、俺の心に錠が下りた。




 

 ドクドクドクドクドクドクドク……。

 早鐘のように心臓が鳴る。なにか……おぞましい何かが全身を駆け巡っている。

 喉が灼けるように痛い。

 あの大蜘蛛に注ぎ込まれた毒が、身体の内側から俺を腐らせているに違いない。吐息が臭い。吐き気がする。まるで死肉の臭いだ。

 血管の中をまるでウジ虫が這い回っているかのように嫌悪感がひどい。目の下の痙攣が止まらない。両手の平が異常に冷たくなっているのに、そこから吹き出す汗が止まらない。

 気分が落ち着かない。何かにせき立てられるように動悸がして、胸が苦しくて呼吸が出来なくなる。ガリガリガリ……。

 いやだいやだいやだいやだ。俺をここから助け出してくれ。ガリガリガリ……。

 こわいこわいこわいこわい。誰か俺のこの震えを止めてくれ。ガリガリガリ……。

 ガリガリガリガリ…………。ぽとり。…………。…………? 音が消えた。

 左手を見る。

 血で真っ赤に塗れていた。

 俺は悲鳴を上げた。「ああああああああああああああああっ!!!」


「自分の血で錯乱してるんじゃねーよ。おら、これ持ってろ」


 ぽかりと小突かれ、抜き身の剣を持たされる。重い。ハルドライド先輩はこんな重い剣を振り回しているのか。やっぱりこの人はすごい。

 ハルドライド先輩が絆創膏を指に巻いてくれた。うれしい。

 じんわりと、ほんの少しだけココロが落ち着くのを感じた。


「ありありあれありが……」喉がマヒし、舌がうまく回らない。

「何言ってるかわかんねーよ。いいから動け馬鹿。世話掛けさせんな」 


 ハルドライド先輩がぺしんと俺の肩を叩き、走り出す。俺も慌ててそのあとを追いかけた。

 だけど、脚が縺れてうまく走れなかった。平衡感覚がだんだんと薄れていき、左に傾いたかと思うと、俺は再び転んでしまった。

 立ち上がらないと……、立ち上がらないと……、気持ちばかりが焦り、言うことを聞かない右足を叩いた。「くそっ」と悪態をつく俺の顔の真横に剣が突き刺さった。

 あの黒い猿を始末したときに付いた血が生々しく鼻腔を擽った。


「――おまえさ」


 ハルドライド先輩が突き刺さった剣に自重を預けるように膝を曲げ顔を寄せてきた。

 俺もなんとか立ち上がろうと必死で両腕に力を込めた。


「これ以上、俺のお荷物になるようなら――殺すぞ?」


 ガシャンと、俺の身体の中で何かが大きな音を立てて壊れた気がした。大切な何かだ。ヒビだらけだったけど、これまでどうにかやってこられた何かだ。

 誰かに必要とされて、俺もまた必要としてきたはずの何かだ。

 俺は謝罪を繰り返し、暗くなった目の前から光を探そうとしたけれど、見つからなかった。

 肩を掴まれ引っ張り起こされた。


「ったくよー」

 

 声を頼りに走り出す。

 少しでも明るい方へ。少しでも温かい方へと。

 さながらそれは、炎の中に飛び込む羽虫のようだと、心のどこかで誰かが俺を嗤った。

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