第71話 パビックの追憶

「それでその、トーダ先輩が『俺が最後にしたことにしとけ』って。じゃないとアーガスさんに殺されるぞって……」


 場所を少し移動し、洗いざらいハルドライド先輩に打ち明けた。

 ハルドライド先輩は最初のうちはうんうん言いながら聞いてくれていたが、途中から何かを考える風に黙りこくってしまった。


「え、と。……アニキ?」


 心配になり声をかけた。


「ん? ……ああ。まあ、アーガスの旦那って線もある、かな? トーダは善意で言ってくれたんだろ、あんまり深く考えんなって。……あー、どっちにしろよ、問題なのは火ぃ着けて回ってる奴がいるってコトだろ。そいつはアーガスの旦那でもトーダでもおまえでもないってわけだしな」

「え、そりゃまあ……はい」


 ハルドライド先輩は明後日の方を向きながらポリポリと頭をかいた。


「まあ、村の生き残りが無駄な抵抗ってんだろうけど、自分の村に火ぃつけるかね、普通――って、避けろ馬鹿!」

「――へ?」


 珍しく真剣な顔のハルドライド先輩が迫ったかと思うと、なにが? と聞き返す俺の胸を蹴っていた。

 その衝撃に、俺は肺の中の空気を絞り出されながら地面に転がった。

 次の瞬間、ドスン、ドスン、と何か重そうなものが地面に落ちる振動を聞いた。

 咳き込み喘ぎながらも見ると、人の頭部ほどありそうな大きな石がちょうど俺がいた辺りに2つ3つ転がっていた。


「チッ、せこい真似しやがって。……おい、パビック早く立てよ。襲撃が今ので終わりだとは限らねぇんだぜ」

「げほっ、すみませんアニキ。助かりました」


 呼吸の度に痛む胸部を押さえながらもなんとか立ち上がる。骨は折れていないようだ。


「ははっ。蹴られて礼を言われるとか、男じゃオメーが初めてだぜ。……いいから周りを見てな。ついでに“連信”でアーガスの旦那にこのこと伝えとけ」

「わかったっす」


 俺は左手の“通信用”の指輪に魔力を注入し、アーガスさんに敵襲を受けたことを伝えた。


「パビック、おまえは確か“暗視”が効かなかったよな」

「あ、はいっす」


 視力はいい方だが、さすがに暗いと見えづらくなる。ハルドライド先輩らは暗くても大丈夫だって言うけれど、俺にはそんな力も無い。


「ならもう少し場所を移動した方がいいな。おらっ、そんなしょぼくれた顔してんな。ファーストジョブを持ってねぇおまえが役に立つのは“状況の視覚描写・現状把握”と“連信”だけだろ。もっと周りを見て気を張ってろっての。敵を前にした【戦士】はよ、そいつをぶっ殺すことしか考えられなくなんだからよ」


 連絡係ならしゃんとしやがれ、バシンと力強く背中を叩かれる。俺はよろめきながらも燃えている民家の近くへと走った。

 やがてパチパチという木材の爆ぜる音が大きくなり、燃えている民家の向こう側に誰かと話しているボルンゴ達の姿があった。

 俺は目の前にあった僅かな水たまりを構わず踏み飛ばし、彼らに声をかけようとした――が、その水たまりに右足が張り付いてしまったかのように動かくなり、俺はつんのめり、両手と顔面をしたたかに地面に打ち付けることになった。


「そのまま頭を上げるな!」


 ハルドライド先輩の鋭い声と、耳を掠める疾風、――何かが頭のすぐ上で「ガチン」と打ち合うような音が聞こえた。


「っしゃあ!! 俺様に同じ手が通じると思うなよ。へっへっへっ、今おまえに向けて投げ落としてきた石を俺が打ち返してやったぜ! ざまぁみやがれってんだ」

「…………」


 見上げると、ハルドライド先輩が腰から鞘ごと抜いた剣を手にガッツポーズを決めていた。……どうやら、転んだ俺の頭部に落とそうとした石を器用に剣で打ち返したらしい。


「そこで待ってろ。屋根の向こう側に落ちた奴を殺してくる」


 そう言い置いて、ハルドライド先輩は走って行った。

 俺はのろのろと身を起こすと、鼻をさすった。何か液体のようなモノが指に触れて眉をしかめたが、火事の明かりに照らしてみると、それはただの鼻水だった。服からチリ紙を取り出して鼻をかむ。少し血が滲んでいるところを見ると、鼻の頭を擦り剥いているらしい。

 脱げた右の靴を拾い上げようとケンケンで水たまりに近づいた。……が、靴は水たまりに貼り付いたまま剥がれようとしない。それでも無理に引き離そうとして蹴られた胸部がズキリと痛んだ。

 俺は両足を地に着け両手で靴を持つと全力で引き上げようとした。すると、靴底からにちゃぁぁぁと透明な糸が引き、ようやく靴を引っ張り上げることが出来た。そのまま靴底を地面の乾いたところで2,3回擦って粘り気をとると、腰をかがめて靴に足を入れた。

 どうやら俺が水たまりだと思って踏み込んだ場所は、恐ろしく粘着力のある液体で満たされた“罠”だったわけだ。

 

 ――ふと、腰をかがめた瞬間、髪を何かが掠めた気がした。

 靴紐を結びながら顔を上げた。“敵”はハルドライド先輩が始末しに行ったはずだ。だから大丈夫だと、二度の襲撃を受けたにもかかわらず、俺は慢心をしてしまっていた。

 そこにあったのは。いや、それを理解するのに俺の頭では数秒の時間がかかった。


 そこには、今まで見たことのないような40cm程もある巨大な“蜘蛛”が、目の前に足を広げて上から降りてきていたのだ。

 すっぽりと、その長い毛むくじゃらの足で俺の顔を掴めるぐらいの距離で。

 驚愕した俺は再度悲鳴を上げるために口を開いた。


 だが、その瞬間、巨大な蜘蛛の八本の脚が俺の頭をがっちりと掴み、俺の口の中に何かが入り込んできたかと思うと、喉の奥に何か針のようなモノが突き立てられた。


「んhvじゅいfdshんbgんふぇ;hbんgp;dxfんbgf!!!」


 鋭い痛みが喉の奥から脳天まで突き刺さる。

 俺は呻くことも喚くことも出来ないまま、顔を覆う蜘蛛を引きはがそうと藻掻いた。だが、頭部を覆う八本の脚はがっちりと皮膚に食い込み、喉奥を刺す痛みは増した。

 俺は迫り上がってくる恐怖と吐き気に気をやられながらも、腰からナイフを抜いた。

 そして、もう自分ごと殺してしまうつもりで蜘蛛に突き刺した。顔の前で蜘蛛がむちゃくちゃ暴れるのがわかった。だが、同時に何かが喉に刺さった針を通して奥へと注ぎ込まれるような感覚があった。嫌悪感が全身を駆け巡り、恐怖を凌駕した。

 俺はがむしゃらにナイフを突き刺した。何度かは蜘蛛の身体を貫き、自分の顔に刺さったのかも知れない。でも、痛みよりも恐怖が勝っていた。必死だった。

 それで蜘蛛も怯んだのか、それとも致命傷を与えたのか、急に蜘蛛の脚の拘束が緩んだ。俺は全力で蜘蛛を顔から引きはがしにかかった。

 ぐ、ぐ、ぐ、と力を込めると、隙間から蜘蛛の腹が見えた。蜘蛛の口から伸びていた射出管のようなモノが喉奥から抜けた。細い管のような先に針が付いていた。

 それを見た俺は激しく咳き込み、嘔吐していた。蜘蛛を手にしたまま、他の何事すら考えられず、雑巾を絞るように胃の中のモノをぶち撒いていた。


 どのくらいそうしていただろう、気がつけば震える両手で蜘蛛を捕らえたまま、喘ぐように呼吸を繰り返している自分に気がついた。全身嫌な汗でびっしょりだった。胃液臭い唾を吐きながら両手の中のものを見た。

 確実に蜘蛛は弱っていた。動きは緩慢で、八本の脚を宙を掻くように動かしている。

 俺は地面に落としてしまっただろう、自分のナイフを探した。早くとどめを刺さなければいけない。

 ああ……もう少しだ。もう少しでこの危機を回避して、今回もまた生き延びることが出来る――。 

 そう思ったとき、何かが……悪寒のような絶望的な何かが全身を襲った。蜘蛛が、尻を持ち上げて何かを吐き出す準備をしていた。

 ああ、そうか。

 あのニカワのような粘着性の液体は蜘蛛の糸だったのだ。あの馬鹿みたいな液体を至近距離で吐き出されたらどうだろうか。そんなの決まっている。鼻も口も目も耳もすべてを塞がれて俺は窒息死させられてしまうのだ。

 俺は全身の血の気が引くのを感じた。両手の指は恐怖で動かない。

 蜘蛛の尻穴がわずかに開いた――。


 だが、そうはならなかった。

 ずぶん、と蜘蛛に何かがめり込むような感覚があった。ピピピッと蜘蛛の体液が顔にかかった。

 蜘蛛真ん中から刃が生えたかと思うと、すぐにミリミリと蜘蛛の身体が裂け始め、その裂けた蜘蛛の間から剣を手にしたハルドライド先輩の姿が見えた。


「大丈夫かぁ、パビック。うっへ、でっけぇ蜘蛛だなぁ」


 ハルドライド先輩が剣に付着した蜘蛛の体液を振りながら、おえぇと舌を出していた。


 助かった。今度こそ。

 また命を長らえた……。

 気が抜けたのかも知れない。俺の目に涙が溜まってきた。

 ハルドライド先輩がハンカチで――じゃない、女物の下着で剣を拭きながらあきれたように言った。


「なに泣いてんだよ。だせぇな。こっちは片づいたぜ」

「ア――アニキがいなくなって、すぐにこいつが顔に貼り付いてきたっす。俺、必死で抵抗して」


 喉の奥が鋭く痛んだ。

 しゃくり上げる度、鋭く痛んだ。だけど嗚咽が止められなくなって、俺はそのまま泣き出してしまった。

 こんなに泣いたのは、あのとき以来だった。




 12才の時の事件から6年が経った。

 町に戻ってから3年間の就学の後、俺は父親と同じ大工にはならず、設計士の見習いになり3年掛けて資格を取った。もともと絵による建造物の構造把握は得意だったし、間取や空間を立体的に捉えた下書きを作成し、それを絵に起こすことも楽しかった。

 俺は一度見た映像を正確に“絵”に起こすことが出来た。ぶっとんだ空想や理想を絵筆で描くことはできないが、設計図や記憶を元に構成された完成予想図を再現することが出来るようになっていた。それを仕事に生かすことが出来ていた。

 芸は身を助ける、だなと父親は笑って俺の就職を喜んでくれた。

 父親はもう大工のジョブを引退し、休日など、俺の趣味に付き合い見よう見まねで絵を描き始めた。母親はそんな父親の車いすを押しながらいつも微笑んでいた。

 

 ある日の休日、町の外れにある貯水場の川の近くでいつものように家族で絵を描きに来ていた。

 うららかな陽気で、木々を揺らす風も穏やかないい日だった。

 俺と父親はキャンパスを広げ、絵を描き始めることにした。母親は近くの岩に腰を下ろしてのんびりと川のせせらぎを愉しんでいるようだった。

 しばらくして、緑の絵の具が足りなくなったことに気がついた。父親の方を見ると、今まさにパレットに緑色の絵の具を使い切ろうとしているところだった。


「父さん、緑色の絵の具が切れかかっているのを忘れてた。ちょっと家まで行って取ってくるよ。父さんは何か足りない色はない? 母さん、“忘れ物したんだ” “ちょっと家まで取りに行ってくる”」


 母親の正面に回り込みながら手話を使った。母親はこくりと頷いた。


「そうだな……。白色が欲しいかな? 今日はいい天気で川面が眩しくて仕方ない」

「俺のを使ってもいいよ。確か白色はまだ予備があったはずだから。じゃ行ってくるよ」


 俺は小走りで小道を駆け上がった。

 水路に沿って住宅区への道を急いだ。途中、林の奥に入ろうとしている数人を見つけた。見かけない感じだったので足を止めて見つめていると、そのうちのひとりが俺に気がつき、俺を指さして何か言っている。すると、先頭を歩いていたのだろう、兵士風の男が林から姿を見せた。

 よく見知った顔だった。ミロード。同級生だった子の兄で昔から何かと世話を焼いてくれていた。今は町を守る兵士だ。

 ミロードは俺に向けて手を振った。


「パビック、彼らは隣国から特別招待の森林調査団の方々だ。林道に危険性植物が発生していないか調査してくれている。町の人たちが混乱するといけないからこのことは誰にも何も話すなよ」


 ミロードは遠くから大声で、しかし声を潜める感じで一気にまくし立てた。

 隣にいた森林調査団のひとりが眉根を寄せるのがわかった。ミロードは昔っからそそっかしいのだ。


「わかったよ」


 俺は苦笑し軽く手を振って応えると、そのまま別れた。彼らはミロードのあとについて林の中に入っていった。

 家に戻ると、軽く水を飲んでから緑色の絵の具を探した。絵の具はすぐに見つかり、俺はそれを手に戻ることにした。

 町の時計塔の時刻は11時を指していた。日もだいぶ高く上っている。暑いはずだ。

 俺はタオルで汗を拭いながら貯水場へと続く林道に入った。

 林道は切り出した木を運ぶための道で、路面は台車をスムーズに動かすために綺麗に舗装されている。そのため父親の車いすを押すには人通りのある町中よりも、むしろこの林道の方が揺れずに進めた。

 俺は高い木々の間から差し込む光に、緑色の使い方、絵の構成について想いをはせながら歩いていた。


 ふと、葉に触れた指先に何か液体が付いたのを感じた。

 上ばかり向いて歩いていたせいか、いつの間にか道の端まで来て、葉の滴でも浴びてしまったのだろう、そう思って濡れた手を見た。

 でも、その葉の滴は朱かった。

 思わず足を止めてしまうほどに朱く、そしてまだ僅かに温かかった。


 俺は一瞬、葉に触れたときに指先を切ってしまったのかと危惧した。思わず首元のタオルで血を押さえた。…………が、いつまで経っても切り傷からの痛みの信号が送られてこなかった。

 おかしいなと思い、タオルでそっと拭き取ってみる。朱い液体は綺麗に拭われ、試しに指先の臭いを嗅ぐと、鉄さびのような濃い血の臭いが鼻についた。

 

 俺はさっき葉が触れたところまで戻った。

 そこにはまだ乾ききっていない血が葉の上に点々と落ちていた。その血は林道を横切り、林の奥へと続いているみたいだった。

 ふと、脳裏に浮かんだのはさっきの森林調査団のことだった。調査の途中で怪我をしたのかも知れない。葉の上や地面に残る血の量からしても結構の深手に違いない。

 俺は町に医者を呼びに行こうか迷ったが、怪我人は林道を横断してまた林の中へと入ってしまっている。ミロードもいることだし、よく整備された林道を戻れば一番早く医者に診せることが出来るだろうに。

 俺は迷ったが、血のあとを追って様子を見に行くことにした。


 もしもこのとき、もうひとつの可能性に気づくことが出来ていたのなら、俺の未来は変わっていたのかも知れない。

 この血が――例えば、屠殺場から逃げ出した牙豚のものだとか。傷を負った魔物のものだとか。

 犯罪に巻き揉まれた友人のもの、だとか。

 どれかに思い至っていれば、俺は町に引き返すか両親の元へと向かったはずだった。

 どれにも思い至らなかったのはきっと、昨日と同じように平和な日々が、今日も続いていくのだと固く信じて疑わなかったからだろう。

 町の中でなら、俺の力でも何かの役に立つと思ったからだろう。

 そうではなかったのに。 



 

 ロー公がいないので火事場の検証が出来なかったが、先ほどと同じ犯人による“放火”ということに落ち着いた。

 トルキーノが【聴音】で火事の中を調べたが、生物反応はなく(あたりまえか)、ハルドライド先輩が仕留めた猿のような獣と真っ二つの大蜘蛛の死体を集まったロードハイム先輩達に見せた。


「猿に大蜘蛛……。ふん、【魔物使い】か」


 ボルンゴ先輩が鼻を鳴らした。ロードハイム先輩が猿の死体をいじくりながら髭を撫でている。


「ここの場所ってアレっすよね。ロー公のクグツが村中から死体を集めていたところっすよね」

「……だな。村の生き残りがまだ残っていたか……。サブンズはどうした?」

「俺ならここだ。まだ猿共がいるみたいだしな。石落とされて……おまえらこれ以上馬鹿になりたくねぇだろ?」

「ちがいねぇ」


 屋根の上からサブンズ先輩の声。ぷっと吹き出すボルンゴ先輩。


「……で、どうする。今になって“敵”さんはやる気満々だろうぜ。おおかた村の外に用事で出かけていた野郎が戻ってきたってところだろう」

「当然、返り討ち、だな」

「ったりめーだ。どうだサブンズ、【暗視】と【遠視】が同時に使えるのはおまえしかいねぇ。俺たちは戦闘屋だ。相手が見えねぇ狩りは苦手だ」


 ボルンゴ先輩が肩をすくめてサブンズ先輩を見上げた。

 サブンズ先輩が屋根の上から油断無く周りを見渡している。


「……見られてる気配は感じない。しかし、相手が【魔物使い】ってのはやっかいだな。本体がいない。いくら魔物を殺していっても“敵”の居所がわかんねぇぜ」


 そう言ってサブンズ先輩はスン、と鼻を鳴らした。何かを感じ取ったのか、サブンズ先輩はおもむろに振り返り、目を見開いた。


「まじぃな……。今度はあっち、宿屋が燃えてるぜ」

「あぁ?! ゼゼロはどうしたよ?!」


 ロードハイム先輩が大声を上げた。だけど、その声は遠くに聞こえ、俺はだんだんと気分が悪くなってきた。

 そのとき、照明弾が上がった。あの色は確か――。


「パビック、顔色がわりーぞ、おまえ。大丈夫かよ」

「だ、だいじょう――ぅぉええええええ………」


 俺はその場に突っ伏し、もはや胃液だけとなった腹の中身をぶちまけていた。


「うわぉ、きったねーな。吐くなら吐くって言えよ」

「すんませ、ん……」

「ハルドライド。俺たちは先に行くぞ」

「あいよ」


 膝を付いて倒れ込み、地面に着けた額が去って行く仲間の足音を感じていた。

 喉が胃酸で灼けて痛かった。大蜘蛛に喉の奥を刺されたことを思いだし、もう一度吐いた。

 喉の痛みを、たとえ胃液ででも自分のもので洗い直したかった。


「おら、動けるようになったら俺たちも行くぞ。遅れるとウチのお嬢様、こえーからな」

「すんません、まだ、気分が悪いっす……」

「んだよ。しょーがねーな。この蜘蛛に噛まれでもしたのか?」

「……はいっす。噛まれました」


 まさか喉の奥を刺されたとは言えず、俺は噛まれたことにした。

 以前、仲間の一人が大毒蜂に刺されたとき、すぐさまその箇所を削ぎ取っていたのを見た。まさかとは思うが、ナイフで喉の奥を抉るとは言い出さないとは限らない。


「んじゃ、トーダに診てもらおうぜ。そっちの方が早ぇぇ」

「――あ、そうっすね。……おえっぷ、げぇぇ……。ははっ、心臓バクバク言ってるっす。い、急いだ方がいいっすね」

「ったく、世話のやける野郎だ。おら、さっさと立ちやがれ」


 ハルドライド先輩が俺に肩を貸して立ち上がる。


「あ、アニキは……恐くないんすか?」

「なにがよ?」

「その……“敵”に狙われるとか……、殺されるとか……。俺は恐いっす」


 死ぬのが恐い。殺されるのが恐い。自分を傷つけようとするすべてが恐い。


「おまえ、俺たちの仲間に入ってどれくらい経った? 何回“外”で働いた?」

「い、一年半くらいっす。外は9回……いや、今回で10回目っす」


 一年半……。自分で口にしてみて自分が一番驚いていた。


「殺しは?」

「……三人ほど……」

「あ、そ」


 あきれるほどどうでもいいという風にハルドライド先輩がため息を吐いた。

 俺は俯き、盗賊の指輪を引っ掻いた。ズキリと痛んだ。

 ハルドライド先輩のキャリアは10年以上だ。他の仲間はそれ以上の経験を積んでいる者もいる。


「おまえがビビってんのはファーストジョブを身につけてないからだ。俺たちに“そーいう感情”はねぇっての。つーか、俺みたいな“戦士気質”はよ。追い詰められるほど燃えてくるわけよ。しゃんとしろよ、パビック。これ以上手間取らせるんじゃねぇ。じゃねぇと――殺しちまうぞ」


 ゾッとするような冷たい声でハルドライド先輩は言った。


「“互いに互いの役に立つ”。“お頭の役に立つ”。“仕事の役に立つ”。この3つが俺たちの役割だ。パビック、ちゃんと立て。……立てなくなったおまえを俺に殺させるなよ」

「……っす」


 俺の唇が微かに動く。ハルドライド先輩が聞き返してきた。


「役に立つっす」

「たりめーだ。役に立つ限り、おまえの背中は俺たちが守ってやっからよ」


 頼もしい言葉にバシンと背中を叩かれる。

 背中の痛みよりも、喉の痛みよりも、今は【盗賊の指輪】をはめている指が痛い。

 蜘蛛を刺しまくっているときに傷つけてしまったのかも知れない。

 目の前がかすみ、頭がぼぉっとする。ひょっとしたら、本当に蜘蛛の毒が回ってきたのかも知れない。

 痛い、痛い、痛い。痛みだけが時計の針のように正確だ。

 あまりに痛くて、その痛みを削り取ろうと、俺はガリガリと『それ』に爪を立てた。

 見れば指輪の周りは血で真っ赤だ。まるであの日拭ったときみたいに。ガリガリガリ。


「パビックー、大丈夫かぁ~」


 見るとドルドラがえっほえっほとこっちに向かって走ってくる。


「さっき屋根の上を魔物に乗った連中が逃げていくのを見た。みんな追いかけてる」


 俺たちは照明弾の光に惹かれるように小走りで駆け出した。





 赤い血の追跡はわずかな時間だった。

 林道を離れ、フラフラと蛇行するような血の跡を追いかける。

 しばらく行くと茂みの奥から声が聞こえてきた。


「――だからぁ、この町の“風の魔晶石”が欲しいわけ。時計塔の二階部分に保管されているのはわかってるの。あたし達は時計塔に押し入るための鍵が必要なわけ。鍵。在りかわかるわよねぇ?」

「っ……。あ、あんたら……、森林調査団の連中じゃ無いな」


 一瞬の間のあと、大爆笑が始まった。


「ほーっほっほっほっ! ばっかねぇ、そんなことあるわけなーいじゃないのぉ。森林調査団? なにそれどーでもいいわけよ。それよりアンタ、知ってるの? 知ってないの?」

「し、知ってたって言うものか!」


 ミロードが言った次の瞬間、「ぐぎゃぁぁっぁぁっぁぁぁ!!!!」と悲鳴が上がった。


「あーら、大変。悪い子はスプーンが持てなくなっちゃいました」

「ミシュトラーゼ、すぐに止血しろ。失血死するぞ」

「はーい、お頭の言うとおりにー。針金でぐるぐるぐる~。……で、知ってるの? 知らないの? もぉ、面倒くさい子ねぇ、じゃあもう片方の手も針金でぐるぐるぐる~。今からどうなっちゃうか、わかるわよねぇ。ちゃんと答えないとアナタ自分のチンチン自分で取り出せなくなっちゃうわよぉ」


 俺はゆっくりとゆっくりと後ずさった。

 姿を見ていないので、会話の意味がまったく理解できなかったけれど、動悸が激しくなって勝手に奥歯が鳴り始めていた。

 トン、と背中に何か当たった。樹か何かだと信じて振り向いたけれど、そこには顔面に入れ墨を施した青白い男が立っていた。

 にこぉ、と男が笑った。そして、俺が何か言う前に俺の襟首を掴むと、もの凄い力で掴み上げた。


「お頭ー。誰か見てたヨー、捕まえたヨー」

 

 明るい声を響かせながら、俺は茂みを掻き分け奥へと運ばれた。

 そこには、恐怖で怯えたミロードの顔と無惨に散らばった右手の指。そして、鋭い目をした二人の男に冷たい眼をした一人の若い女。


「あぁら、いらっしゃーい。お客様大歓迎よ。ただいま大出血サービス中なの」


 ぎょろりとした眼の髪の長いオカマが、血の付いたハサミをチョキンと動かして嗤った。

 俺は恐怖で頭が真っ白になっていて動けなかった。


「パビック、逃げろっ!」


 ミロードが叫んだ。


「だめよぉ。そぉねぇ、逃げられないようにその子の足の指を切っちゃおうかしら」


 ちょきん、とオカマ――ミシュトラーゼがハサミを動かした。

 俺は戦慄した。


「まあまてミシュトラーゼ。おい、おまえパビックとか言ったな。わたしたちを付けてきたのか?」

「~~~~っ」


 恐怖で喉の奥が詰まって息も何も出来ない。


「お頭ー。切った指、食べちゃってイイ?」

「ふん、いいだろう。アーガス、そいつの身体検査をしておけ」


 女が言うと同時に、入れ墨の男は俺を離すと、地面に散らばったミロードの指をひょいひょいと口に運んだ。

 ミロードが涙を流しながら、ふるふると首を振っている。


「まあ、いい食べっぷりね。もっと食べる? ローちゃん」

「お腹ペコペコだヨー」

「じゃあ、あたしがローちゃんの食べたいところ切り取ってあげるわ」

「ホントー? エットネエットネ、じゃあネー」

「勝手なことをするな、ミシュトラーゼ」


 ぴしゃりと女が言い放った。「はーい」と残念そうなミシュトラーゼ。「エー」と入れ墨男。

 俺のズボンをまさぐっていたアーガスが、中から緑の絵の具を取りだした。


「お頭。こいつが持っているのはこれだけのようです」

「……緑色の絵の具? なんだ、これは?」


 女がジロリと俺を見た。


「絵を……俺はただ絵を……」


 俺の身体はもう自分では止められようもないほど震え始めていた。

 女は俺から視線をミロードに移した。ミロードはバリボリと音を立てながら咀嚼されていく自分の指を声にならない掠れた悲鳴を上げながら見ていた。


「もう一度だけ聞く。時計塔の鍵の在りかを言え。そうすれば――パビックを見逃してやる」


 女はミロードに目を向けたまま、俺を指さした。

 ミロードの顔は青ざめていて、出血のせいなのか目の焦点が合っていないように見えた。

 ミロードの唇が細かく震えた。


「俺が教えれば、町の人間はどうなる……?」

「どうもならない。わたしが欲しいのはこの町の“風の魔晶石”だけだ。騒ぎも大きくするつもりはない。だが、もしおまえが断れば、おまえが見ている前でパビックを拷問し、ローに生きたまま喰わせてやる。そしておまえが死んだあとローの腹の中で再会するんだな。もちろん、そのあとで次の――」

「テシシシシシシッ! ボク二人も食べられるかナァ」

「まぁ、謙遜しちゃってローちゃんたら。ホントは二人くらい入るくせにぃ」

「おまえらうるさいぞ」


 眉をしかめる女をよそに、ミシュトラーゼは入れ墨男の腹をぽんぽんと叩いた。


「テシシシシシシッ! テシシシシシシッ! テシシシシシシッ!」


 入れ墨男はくすぐったそうに笑った。

 頭がおかしくなりそうだ。


「……わかった。教える……。だからもう、誰も殺すな……」

「あらぁ。ようやく素直になったのね。うれしいわぁ」


 ミシュトラーゼは両手の指を組み、くねくねと悦びを表した。


「……冒険者ギルドの、奥の、資料庫の――」

「ほらほら、しっかり。あと少しよ~」

「鍵置き場の棚にかかっている……。2番の鍵だ……札が付いていて、わかる」


 ミロードの目が唇が、だんだんと開かなくなっているのがわかった。ミロードは指の傷だけではない。俺が血のあとを追ってこられるほどすでに血を流していたのだ。

 もうすぐミロードは死んでしまうのだ。


「ご苦労。……そうだな、礼に生きるチャンスをやろう。確率は6分の2だ」

「…………」


 反応する力も無いのか、ミロードは短い呼吸を繰り返している。

 女は腰から何かを抜くと、シャーッと回転させ、その鉄の塊をミロードの眉間に押し付けた。


「どっちかな?」


 女は引き金を引いた。轟音が鳴り響いた。ミロードが頭から血を吹き出し、倒れた。

 俺は目を見開いた。それだけしか出来なかった。

 友の死をそれだけでしか表現できなかった。

 ただゴウゴウと頭の中を轟音だけが反響し続けていた。

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