第69話 床下のふたり


「なにか思いついたんですか?」


 ロッドが四つん這いで俺のそばまでやってくる。床下は狭いので俺が四つん這いで移動すると、頭をでっぱりにぶつけてしまう。移動はもっぱら匍匐ほふく前進だ。

 俺は道向こうに放置されているパビックを指さした。 


「ほら、あそこに放置されている死体。あいつ、盗賊の仲間でパビックって奴なんだけどさ」

「……お腹が……」


 内蔵がポップコーンしたパビックを見て、口元を押さえ眉をしかめるロッド。

 やっぱりグログロ状態だと生理的に受け付けないだろうなと思い、ロッドを後ろに下がらせようとして、


「アンジェリカさん……“アレ”を人族で試したんですね……」


 俺は耳を疑った。


「ロッド。ひょっとしてアンジェリカの奴、おまえの目の前であの腹部から誕生までのやつをやったのか? 腹部バーンで、おぎゃーってやつ」

「はい……。畜産小屋に行って、『これが私の召喚術なの』って。そしたら、馬が急に暴れ出して、そしたらお腹が急に膨らんできて……その……中から大きな蜘蛛が……」


 あいつ、子供になんてモノを見せてんだ。幼少期のエイリアンはトラウマモノだぞ。


「うげ。……そうか。災難だったな。…………まてよ。それで、何匹の馬が死んで何匹の蜘蛛が産まれたんだ?」

「あ、はい。……10頭です。この村には赤色野鶏と乳ヤギ、それに牙豚しかいないので、たぶん盗賊の乗ってきた馬です。最初にぽんぽんぽんって馬のお腹に触れていって、何をしているのかなって思ったら……。その、いえ……。一頭当たり2匹の蜘蛛が産まれました。でも、どうして馬のお腹からあんなに大きな蜘蛛が産まれるのか……」


 気味悪がっているのか記憶を消そうとしているのか、ロッドは両手でしきりに顔をこすった。

 10頭で2匹ずつって言ったら、20匹か……。で、その蜘蛛、お腹空いたら残りの馬を食べるんだろ? 20匹がバリバリむしゃこらって。……恐ぇぇ、気持ち悪い、蜘蛛恐い……。


「【召喚術】って言ってただろ、アンジェリカの奴。あいつは召喚術士だ。ちょっと特殊のな。たぶん、右手で心臓の上から自分の魔力を撃ち込んで、触れた生物の魂と肉を媒介にして違う生物を複数産み出すことができるみたいだな。ちなみに、ロッドが背中に乗っていたあのダダジムって生き物は、人族から産まれたんだ」


 俺はそう言ってパビックを指さした。


「ロッドが捕まる直前にアンジェリカがパビックの左胸に触れて、ダダジムを誕生させた。アレがその亡骸だ」

「そうだったんですか……。僕、あの人ちょっと怖いです……。なんだか。いえ、優しいんですけど……」


 何を見て何を感じてきたのか。

 ロッドは本音を口にしたことを慌てたように手を振って否定し、赦しを乞うような目で俺を見た。今のことを言いつけられると思ったのだろうか。


「ちゃんと僕のこと気遣ってくれましたし、顔にかかった血を拭ってもくれましたし……」

「いやもういい。あいつには言わないよ。まあ、俺もそんな感想だし。……でも、今は仲間だ。あいつの協力無くして俺たちは戦えない」

「はい」


 ロッドは力強く頷く。


「それで、話は戻すけど。そこにあるパビックの死体だけど、さっき俺がロードハイムの声をまねただろ? あんな感じでパビックの声でアンジェリカに今俺たちの現状を伝えられないかなって思って」


 俺たちには事前に取り決めた“合い言葉”があって、それを叫べばだいたい通じるはずだ。

 レスキュー編隊ダダジムさんの救援要請だ。エマージェンシー! エマージェンシー!


「あの死体を使ってですか?! ……お腹の中身が外に出てるみたいですけど」

「いや、頭と心臓が残ってたらいいはずなんだ。結局、“声の記録”から俺が声質をまねるわけだし、死んでても大丈夫なはずなんだけど、ちょっと遠いんだよな……パビックの死体まで」


 ここからだと5~6メートルほど離れている。


「このまま床下から出れば、ほんの数歩の距離ですよ?」


 ロッドがキョトンとした顔で見上げてくる。俺はかぶりを振った。


「実はこの真上辺りにサブンズって言う、弓術士が目を光らせている可能性があるんだ。そのサブンズがロッドを矢で射貫いた張本人だけどな。それがお頭の命令で屋根の上で見張っているんだと思う。……まあ、あれから10分以上経ったし、場所を移動しているかも知れないけど、だからといって屋根から降りるようなことはしないと思うんだ。弓術士は眼が良くて、動くモノに敏感なんだ。だからまあ、こちらも迂闊に動けないってわけ」

「……僕がここから出てあの死体を引きずってきましょうか?」


 ロッドが俺を見て言った。


「僕でしたらトーダさんよりも小さいですし、素早く動けます」

「却下だ。それってつまりパビックの死体を引きずってこなきゃいけないだろ? 俺は声を使ってアンジェリカに俺たちの無事を伝えたいだけだ。パビックの死体を動かせば、結果として必ず俺たちがここに潜んでいることに気づくと思う」

「そうですか」


 サブンズの奴、トイレ休憩とかないのかな? いや、ロードハイムの件じゃ、どうも屋根から立ちションだな。……うーん。こういうときのためにトルキーノの【聴音スキル】があるんだろうし。見つけるためのスキルだけど、よもや隠れている側が必要とするとは。

 …………。あれ? まてよ。そういえば、俺ってばまだひとつ“小玉”のストックがあったんだった。2レベルあがったわけだから、あと一つ何かのスキルを習得できるんだった。


「ロッド、ちょっと考え事するから周りを見ててくれ」

「わかりました」


 よし、俺の一般スキルの中に【聴音スキル】がないか調べてみるか。

 俺は自身に鑑識をかけると、先にネクロ専用スキルを流し読みした。レベル4になったおかげか2のときよりも2つほど新しいスキルが増えていた。……どれも役に立ちそうなスキルだが、今この場ではあまり意味が無いので保留する。死体もないし、魄も少ないし、クグツ……はいるけど、ナマモノで本物じゃないんだよな。

 ちなみに新しく追加したネクロ専スキルは、【追憶キャンセル】……死者の追憶をキャンセルできます。意識を保ちつつ【魄】の吸収時間が短縮されます。大量の死体処理などに最適です。

 とか、【屍体繰術】……グールとして甦らせた屍体に意識を乗り移らせ、MPを消費することで、簡易操作することが出来ます(注:クグツ不可)。


 【屍体繰術】は使えそうだけど、あくまで対象は“グール”みたいだ。クグツでないところがミソなのか。【魄】の使用量も少ないと書いてある。

 使い方としてはたぶん、偵察とか斥候とかそういう捨て駒系だろうと思う。例えば、爆弾腹に巻いて敵陣で爆発させるとか……。嫌すぎる。


 気を取り直して、では一般スキルっと。


 俺はずららら~っと表示された一般スキルから【聴音スキル】を探すことにした。

 節食……、食欲増進……、味覚操作……、ここら辺は『食』に関するところか。なるほど、ジャンルごとにグループ分けされてんのかな? 身体系を調べるか。

 遠視……、凝視……、動体視力……、ここらは『視力』か。アンジェリカが持っていた【遠視】は遠いところをハッキリ見るための視力アップだし、逆に【凝視】は虫眼鏡とかそういう効果なのか……。【動体視力】はそのまんまみたいだ。

 えーと、『聴力』はもう少し先かな? 俺は意識を集中させ、スキル画面をスライドさせる。

 ……とと、行きすぎた。

 消臭……、香臭……、体臭を消すスキルと、自分の臭いを良い匂いに変化させるスキルとかだ。確か剣士とかの御用達だったと思う。いや、あれは【防臭】だったかな? 違いがわからん。特定の魔物を呼び寄せたいときの【招臭】とかもある。


 ちなみに、一般スキルは大まかに3種類に分けられているらしい。

 レベルアップ時にスキルの説明文が表示され、大急ぎで斜め読みしたのだが、それを思い出してみる。

 まず、俺の所持している【野営】とか【裁縫】とか【調合】だ。これは“知識系”としてのスキルだ。オン状態にすることで縫い物が簡単にできたり、手順良く野営準備が行えると言ったものだ。たとえ野営自体が初めてでも山男並にテキパキ行動が出来るそうな。

 MPの消費は付け替えの際に少しかかるらしいが、それ以後はON、OFFの切り替えをしても消費はしないらしい。


 そして、“強化系”のスキルだ。これは【遠視】とか【暗視】の類い。魔力を肉体に滾らせることでまさに“強化”しているわけだ。ちなみにアンジェリカの【快便快尿】はこちらに入る。アンジェリカもこれを手に入れるまでは苦労してたんだろうな、と妄想してみる。はぁはぁ。

 これも付け替えのときと、そしてON状態にするときにMPが消費されるらしい。


 そして最後に“魔力系”がある。これは言わば補助系になるのかな? まあ、さっき言った通り、【消臭】【香臭】とか、アンジェリカの持っている【清潔】【手櫛】とかだ。第三の力を借りるスキルになる。人間どんなに頑張っても自分の体臭は完全に消せないし、モノに触ればバイ菌が付く。手櫛しただけで髪はまとまらない。そういう神懸かりなものを可能にするのが“魔力系”のスキルだ。

 これはさらにON状態を維持するのに常時少しずつMPを消費するらしい。そのせいか、おおよそのスキルには時間制限がかかっていて、時間が来ると自動的にOFFになる。そのことについて説明文には『鑑識を使い、自分の状態をこまめにチェックするくせをつけさせるための仕様』とあった。MPの残量に気を配れということを言いたいんだろうけど、【鑑識Lv.1】の今の状態ではなぜか自分のMP残量すら見ることが出来ない。チェックできるのはLv.2からだそうだ。配慮が足りてない。イザベラにクレーム入れるにはどうするんだ?


 そして、この一般スキル、“一般”と言うだけあって、すべての選出者が情報を共有共通しているスキルだそうだ。レベルアップしたときの小玉さえ用いればほとんどすべてのスキルを習得できると書いてあった。

 ただ奥が深いらしく、一般スキル内には厳密に言えば【野営スキル】は表示されていない。俺の持っている【野営スキル】も元々は【野宿スキル】の互換上位らしいのだ。つまり、【野宿スキル】を小玉を使ってレベルアップさせると【野営スキル】になる。

 ちなみに必要小玉は2つだ。一般スキルを習得するには小玉1個。それをさらに上位スキルに上げるには2個必要になるらしい。

 ただ、応用方法もあって、【野宿スキル】+【?スキル】=【野営スキル】になるらしい。ある異なった一般スキルを二つ所持し、同時にオン状態にすると勝手に上位にレベルアップしてくれるらしい。

 以上一般スキルについての講釈終わり。



 えーと、『耳』系、あったあった。……どらどら。聴力向上……、聞き耳……、閉音……、選音……、…………。

 ありゃ、【聴音】が無いぞ……。うーん、とするとあれはシーフ専用スキルだったのかも知れないな。残念。しかし、どうしよう。ここから下手に動けないしな。

 しょうがないので他に何かめぼしいスキルでも探そうとした矢先、ロッドが俺の肩を揺すった。


「――さん、トーダさん。誰か近づいてきます」

「なんだって?! 俺たちがここにいるのがもうバレたのか?! ロッド、さっきの穴に戻れ戻れ」

「……いえ、僕たちに気がついたようじゃないみたいです。女のヒトの声と……ロー公ってヒトの声がします」

「む……。……? いや聞こえないけど……?」


 耳に手を添えてみるがまだ音が遠いのか、遠くからバキ、とかパチとか宿屋の燃える音が時折聞こえてきたりする。


「まだ少し離れていますけど、こっちに向かって歩いてきます」

「俺たちに気がついていないって言うなら、何の用なんだ……? ここにはパビックの死体しか――」


 そこまで言いかけたとき、地面を擦る音が聞こえてきた。


「――っている。だが、今はトーダを捜す方が重要だ。よもやロードハイムが倒されたとは思えないが、二人が消えたのは事実なのだろう? ――サブンズはどこだ?」

「侵入者を追っていて、トルキーノが指を負傷したと連絡があったので、ハルドライド達の方へ向かわせました」

「ふん……それで、相手の顔ぐらい見たのか?」 

「いえ。まだ黒い獣に乗って逃げ回っているようですが、ハルドライドによれば“女”。……臀部の形からアンジェリカではないか、とのことです」


 …………。


「ロー、どうやらおまえの見てきた焼死体は偽装だったようだな。背中にナイフまで差し入れて、ずいぶんなことだ」

「テシシシシシシッ! だってボク、アンジェリカってヒト、まだ一度も見たこと無いんだモン。ワカンナイヨー」

「そうか。なら黙っていろ」

「ハーイ」

「ですが、あのナイフは間違いなくカルシェルのものでしょう。……ただ、アンジェリカの所有物は一度すべて調べたはずでしたが。……あるいは、カルシェルがすでにこの村に滞在して居たとも考えられます。もしくは、トーダが接触し、手に入れていた可能性もあります」


 しばらく沈黙が続き、足音は俺たちの潜む場所からほんの数メートル先で止まった。


「まさか。あれは王家の印の入ったナイフだ。おいそれと他人にくれてやる代物じゃない。カルシェルの“臭い”はすでにローが記憶している。ローには昨日村中を捜させた。その痕跡がないのであればここには来ていないと言うことだ」

「では、トーダの言っていた“ベン”という名の剣士がこの村に潜んでいると言うことはありませんか?」

「…………。ないな。第3者の存在を疑うくらいなら、トーダがローの目を盗んで彷徨き回ったと考える方がまだ常識的だ。ジルキースとカステーロについても勘違いだったことがわかったところだからな。アンジェリカの死体が偽装なら、ゼゼロとパビックの死因も納得がいく。……ふん、【召喚術士の指輪】を宿の部屋に置いておいたのが間違いだったな」


 忌々しい、とお頭。

 ……それより今、『勘違いがわかった』って言ったよな。外部と連絡を取ったのか?



「……ですが、あの部屋には“電撃”の罠を設置してあったはずです。ローはドアは開かれていたと言っていますし、それに、あのゼゼロがアンジェリカに倒されたとは思えませんが……」


 お頭がまたふん、と鼻息を吹いた。


「あるいは、そのゼゼロがアンジェリカに手を貸し、指輪を渡したとも考えられる」

「まさか……」

「治癒薬の在庫は確認したか? サブンズの部屋に残っていただろう。あの場にはゼゼロもいた。色と情にのぼせた男が、助けたつもりでいた女に利用され裏切られたと考えれば、この結果に落ち着くだろう。……あるいは、本当にトーダがアンジェリカに接触し、あの傷を治す能力を使った、か……」

「ロー、トーダから目を離していなかっただろうな」

「大丈夫だヨー、ずっと一緒にいたヨー」


 ヨー。


「ふん。どうだかな。低レベルの選出者といえども二人同時に扱うのは初めてのことだったからな。今まで通りと甘く見ていたか。……まあいい、そろそろ茶番は終わりだ。ロー、パビックをクグツにしてロードハイムとトーダを捜させろ」

「ハーイ」


 ローの足がパビックの元に向かう。そして【死霊の槍】をパビックの心臓に突き立てた。

 ロッドの息を呑むのがわかった。


「【死霊の槍】に貫かれし心臓よ。死霊の宿りし心臓よ。我が呼び声に応え、立ち上がれ!」


 ロー公の呼び声に応えてか、パビックの身体がびくんと跳ねた。そして主の命に従い、立ち上がろうとするが、重力に負けて臓物が腹からだらしなくこぼれ落ちる。


「ロー、パビックの裂けている腹と臓物をなんとかしろ。見ていて気分が悪い」


 吐き捨てるように注文をつけるお頭。それに応えて抜いたばかりの槍を再びパビックの心臓に突き立てるロー公。


「ハーイ。【死霊の槍】よ。彼の者の血を喰らい肉を喰らい、裂かれた腹部を復元せよ」


 言うが早いか、パビックの腹部からだらしなく垂れ下がっていた臓物が、じゅるると内側に吸い込まれるようにして収まり、周囲の皮膚もぎゅううと引っ張られ、まるで癒着したかのような歪なカタチで裂けていた腹は一応“修復”された。

 そのやり方はまるで、穴の開いた靴下を縫って穴を塞ぐのではなく、穴の部分を捻って縛るようなかなりいい加減で無理のあるの力業だ。

 たぶん、生きている人間には通用しないやり方だ。


「お頭ー、それでパビックには村の中でこそこそしている敵を捜させればいいノ?」

「それはおまえがやれ……いや、サブンズが村の奥で待機している。黒い獣に乗って逃げ回っている侵入者を追い込んで捕らえろ」


 ゆらゆらと立つパビックを抑揚のない目で見やりながらお頭が言う。

 ロー公が小首をかしげた。


「ン~。じゃあパビックには何を命令するノ?」

「トーダとロードハイムを捜させろ」


 キョトンとするロー公。


「トーダを捜すノ? ボク、そっちがイイヨー」


 嬉しそうな声を出すロー公にお頭は、「駄目だ」とピシャリと言った。


「エエ~?! どうしてお頭~??」

「侵入者の方は、おまえなら追えるだろうが指輪を持たないパビックでは役不足だろう。これ以上遊んでいるとわたしたちの寝る時間が無くなる。いいから早く行け」


 まるで犬を追いやるようにお頭はシッシッと手を振った。ロー公は寂しそうに肩を落とすと回れ右をした。


「ウウ~。ボクだったらこうやってクンクンすればすぐにトーダを見つけられるのニ~…………? クンクン。クンクンクンクン。アレ? 近くでトーダの臭いがするヨ~」


 突然犬のように周囲の臭いを嗅ぎ回り始めたロー公に、俺は青ざめた。

 ふいに袖を引かれ、振り向くとロッドが額に汗を滲ませながら微かに首を振っていた。今すぐ穴に戻ろうと言いたいのだろうが、もう遅い。


「なに……?! どこだ? この民家の中か?! アーガス、捜せ!!」

「わかりました!」


 言うが早いか、アーガスが民家の戸を蹴破り、頭上の床を駆けて行くのを聞いた。ドカ! ドカカッ!っと部屋の荒らされる物音が頭上後方で響く。

 ロッドは口元を押さえながらもゆっくりと後ずさりを始めている。

 ロー公もあちこちと嗅ぎ回っては徐々にこちらに向かって近づいていた。だんだんと体位が下がってきているところから、俺たちのいる床下をのぞき込むのも時間の問題だろう。

 俺は大急ぎで一般スキル習得画面を表示させると、虎の子の小玉を使い、【消臭】スキルを獲得し、【裁縫】スキルとの入れ替えでオンにした。

 臭い消しついでにそばにいたロッドに覆い被さる。床下が狭すぎてむぎゅっとした。


「…………」


 しばしの沈黙のあと、ロー公はゆっくりと身を起こした。そして、あちこちとウロウロしながらフンフンと鼻を鳴らすが、やがてくちゅんとクシャミをした。


「どうした。トーダは見つかったのか?」

「ン~~。テシシシシシシッ! ボクの勘違いだったみたいだヨ! 急に臭いが消えちゃっタ! ゴメンネ、お頭」

「チッ……。おいアーガス! 戻ってこい! ローの勘違いだそうだ! ロー、いいからおまえは侵入者を見つけて追い立てろ。だが殺すんじゃないぞ。――おい、行く前にパビックに『トーダを捕まえろ』と命令を与えておけ」

「ハーイ。アレ? お頭、ロードハイムはいいノ?」

「……。生きていれば合流するだろう。いいからトーダを捕らえさせろ。たとえ死体でも構わん、引きずってでも運んでこい」

「大丈夫だヨー。ちょっとの間だったけど、生きているトーダの臭いがしたモン。じゃあパビック、『トーダを捕まえてきて』が命令だヨ。絶対に傷つけたり殺しちゃ駄目だヨー」

「見つけたら大声を上げさせろ。そうだな……それに黒い猿や大蜘蛛など、命令の邪魔をする連中はすべて排除しろ」

「ウン。『トーダを見つけたらまず大声を上げてみんなに知らせて、それから捕まえること。トーダとお頭の仲間以外は殺して食べていい』。……これでイイノ? お頭」

「いいだろう」

「ヨーシ、じゃあ、出発ー」


 それまでゆらゆらと立ち尽くしていたパビックがこくりと頷くと、小走りでどこかに走り去っていった。

 そこにアーガスが蹴破ったドアを踏み越えて戻ってきた。


「中にトーダはいませんでした」

「ああ、ローの勘違いだったようだな」

「違うヨー、ちゃんとトーダの臭いはしたヨー。でも途中で全くしなくなったんだヨー。不思議だヨー」


 ロー公が抗議の声を上げる。お頭がそんなロー公に向き直った。


「……なぜ、トーダの臭いが途切れたのだと思う? ロー」

「ン~。臭いは死んじゃっても消えないから……デモ、水の中に入ったり、地面に埋まったりすると臭いが途切れちゃうかも知れないヨ。ボクは魔力で臭いを感じているカラ」

「土……、いや、水の中……か。水、水、……。井戸……そうだ、広場の井戸にはこの村からの脱出ルートがあるんだった。トーダの奴、さては足を滑らせて井戸の底に落ちたな。アーガス、いくぞ」

「わかりました」


 ジャリッと踵を返し走り出そうとするお頭とアーガスの後を「ボクも、ボクも!」はしゃいだ声が追いかけるが、


「駄目だ! おまえは命令通り侵入者を追い込め。うまく侵入者を捕らえ、且つ、パビックより先にトーダを見つけ出せたならトーダの足の指を食わせてやろう」

「ボク、トーダは食べないよ。テシシシシシシッ! だって同じネクロマンサー同士なんだモン」

「足の指を失った人族は満足に歩けなくなる。そうなればトーダはおまえに縋って生きるしか術は無くなるだろうな」

「………………。ボク、侵入者の方をすぐに捕まえてくるネ!」


 ロー公が一足飛びで屋根にまで飛び上がると、そのままの勢いで駆けていった。

 その姿を見送ったお頭がぽそりと呟く。おそらくアーガスにだけに聞こえる声で。


「見つけ次第トーダを殺すぞ」


 その言葉にギュッと心臓が締め付けられた。


「いいのですか? 曲がりなりにも【選出者】でしょう。大旦那様に報告し、専用スキルを調べて頂いたあと指輪を交換して、その後、ネクロマンド族へ売り飛ばす手はずだったのでは?」

「…………。無抵抗で出頭でもしてくればそれも考え直すが、もしも抵抗するそぶりを見せた場合、なにか企みがあるのかも知れない。トーダは莫迦を装っている風で何を考えているかわからない。そばに置いておきたくないタイプだ」


 …………。めっちゃ正直やっちゅうねん。


「アンジェリカの行動や火事が陽動であった場合、トーダの目的は“村からの脱出”ではないだろう。ゼゼロ、パビック、ロードハイム。“敵”がいなくなったはずの村の中で3名が死んだ」

「ロードハイムはまだ死んだと決まったわけではありません」

「トーダと民家に入り、それまで繋がっていたロードハイムの連信が急に途絶えた。あのドワーフの小僧の死体がいつの間にか無くなったのも気になる。………それとも、ロードハイムも相手側に寝返ったか? どう思う、アーガス。最後にあいつらと会話をしたのはおまえだ。その兆候は無かったか?」


 ……。あ。連信が途絶えたのって、ひょっとしてアイテムボックスにロードハイムの右腕を突っ込ませたからか? むむっ。メモメモ……。『アイテムボックス内では通信網が遮断される』。つまり、トンネルに入ったら圏外になったみたいなものか。


「…………考えすぎです、お頭。ロードハイムはそんな男ではありません。井戸に急ぎましょう、蓋が開いていればローの鼻の理由もわかることでしょう」

「ふん、そうだな……。どちらにしろ、あの女アンジェリカの召喚術では、絶対にローの【死霊の槍】には及ばないだろうからな。いずれにせよ時間の問題だ――」


 足音が遠ざかっていく。

 ……なんか、最後に不吉なこと言ってたな。大丈夫かな、アンジェリカの奴。

 俺は身を捩り密着したロッドから離れると、ふぃ~っと安堵した。とりあえずこの場の窮地はなんとかなったようだ。

 だが、まだ安心は出来ない。俺にはパビックというやっかいな追跡者が現れてしまったのだ。


「トーダさん、これからどうするんですか?」

「どうもこうも、ロッドも見ただろ、パビックを取られちまった。しかもロー公の“クグツ”に変わって俺を捜している。これはいよいよまずくなってきた」


 頭を抱えたいところだが、抱えたところで蜘蛛の巣だらけの頭が砂まみれになるばかりだ。


「あのパビックって人、どうして生き返ったんですか……? 裂けていたお腹もなんだか……」

「ロー公はネクロマンサーだ。俺とはタイプが違うけどな。あいつはあの【死霊の槍】で死体をクグツ化して甦らせることができる。“生き返らせる”、じゃなくて“甦らせる”、な。死んだ人は生き返ったりはしない。アドニスもあの槍でロー公のクグツになった」

「…………僕の母ちゃんもあんな“クグツ”に変わるんですか?」


 ロッドは目を伏せ、感情を押し殺したような声で言った。


「わからない。だが俺は“おまえの母ちゃんをおまえを生かすために利用する”。その方針は初めから変わっていない。気をしっかり持て。奥歯を噛み締めて前を向け。しょげてたってどうにもならないだろ」

「……はい」

「しかし、いよいよ行き詰まってきたな……。パビックの奴がこの辺りを彷徨いているわけだし、これでおいそれと外に出るわけにはいかなくなった。狭い穴道ならいざ知らず、大通りで見つかったら速攻で大声を上げられるな」


 体臭はスキルで消しているから隠れていれば見つかることはないだろうが、移動できない以上ジリ貧になる。今こうしている間にも俺のMPは少しずつ消費しているはずだ。それに、ただこうやってしゃべっていることでも、パビックに聞こえていないとも限らない。ロー公のクグツはおそらく耳もいいだろうし。

 リスクを取って安全な場所まで移動するか? それともいっそロッドにアンジェリカへのメッセージを叫ばせるか?


「どうする……。一度さっきの民家まで戻ってみるか。家の中に役立つモノがあるかも知れないし、あそこならまだ若干ここより広場の方に近い……。いや、むしろ何か木箱かナニカ被って行動した方がバレないんじゃないか?」


 若干疲れて働かなくなってきた脳みそに活を入れてシミュレーションしてみる。

 木箱か何かをすっぽり被って行動するのだ。そして彷徨うろつくパビックに見つかりそうになったらぴたっと止まってやり過ごす。――題して『だるまさんが転んだ』戦法。

 ……だめだ。木箱の隙間からパビックの濁った眼で覗き込まれる未来しか浮かばねぇ。


「トーダさん。母ちゃんのところに向かうなら、もうひとつの横穴に入ってみませんか?」


 ロッドがひょんなことを言ってきた。

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