第61話 悪意の証明
全身に矢を受けて、なおもフラフラと立ち尽くすアドニスの姿が、そこにあった。
「……ダ、おい聞いてるのか、トーダ! 参加するなら参加料を払いな! 新入りだからってダダじゃねぇぞ。銀貨5枚だ」
耳元でがなり立てるサブンズの声が、わぁんわぁんと鼓膜の奥で反響し、ふいに嘔吐感を覚えたが、口に手をやる前に何かが働き、胃の
「なんだよ、おい! やるのかやらねーのか、はっきりしろ! 蹴飛ばすぞ、この野郎!」
「…………」
周りから冷やかされ、俺はサブンズに背中をゲシゲシやられながらも、ハリネズミ状態のアドニスを網膜に映した。距離は30メートルほど。刺さっている矢の数は……10本を超えている。特に右目に受けた矢は、眼を貫通して耳の後ろから鏃の部分を覗かせていた。
「サブンズ! トーダを蹴っちゃ駄目! またお仕置きするヨ!」
「うるせぇこの野郎! やる気ねぇんなら引っ込みやがれ!」
ロー公が俺を庇い、立ち上がらせてくれる。ぱんぱんと背中の砂を払い、「大丈夫?」と声を掛けてくる。俺は曖昧に答え、その場から離れようとした。
落とした視線の先に、お頭の脚があった。
「それでどうする? トーダ。“仲間”になったおまえに、強要はしない。だが、パビックの次はいないようだ。サブンズが最後に弓の手本を見せてくれると言う。トーダ、これは勉強になるぞ。じっくり見ていけ」
「…………」
俺は視線を上げお頭を見た。てっきりにやにやと嗤っているものだと思ったが、意外にもお頭は真剣な顔つきだった。
俺は少しだけ考えて、お頭に言った。
「お頭が俺を精神的にいたぶるために、この催しを主催したんですか?」
「いや。わたしは二階の窓からこの馬鹿騒ぎ見て、おまえにこのことを教えてやろうと思ったまでだ。わたしに殺しを愉しむ趣味はない。邪魔なら殺し、使えるなら生かすまでだ。わたしはただ、おまえがコレを見て、何を感じ、一体どんな反応を示すかと興味が湧いた。それだけだ」
お頭は飄々として言った。それがお頭の本質なのだろう。俺はギリッと奥歯を噛んだ。
「……それで、俺の反応はどうでしたか? お頭好みの反応でしたか?」
喉の奥が震える。
「つまらないな。ひどく不愉快だ。……サブンズ、さっさとそいつを射殺してしまえ。それで“仲間の弔い”は終了とする。トーダ、そいつの葬儀ぐらいはさせてやる。その場で指をくわえて見ていろ」
サブンズが弓を構える。矢筒から一本抜こうとして――
「【射的ゲーム】、ルールを教えてください」
「サブンズ、待て。――ルールを教えてと言うことは、わたしと【賭け】をするということか? さっきの条件を呑むというわけだな」
『何でも言うことをひとつだけ聞く』というあれか。
俺はコクンと頷いて見せた。ちなみに俺に弓の経験は無い。だけど、アドニスを葬るのは俺の義務だと、心に決めていた。
「いい度胸だ。鉄手錠を外せ。ルールは簡単だ。サブンズ、説明してやれ」
俺は左手にはめていた鉄手錠を外して地面に置いた。明日は筋肉痛になっていそうだ。
サブンズが寄ってくる。
「……いいか、トーダ。この場所から弓を射って、あのクグツを仕留める。射れる矢は3本だ。賞金は金貨5枚。参加料は銀貨5枚だ。――ロー、あのクグツ、頭に当たればくたばるんだろうな?」
「……ウン。脳に損傷を受けるか、延髄を断ち切られるかするとクグツは死んじゃうヨ」
「そういうルールだ。トーダ、何か質問はあるか?」
「ありません」
俺は少し考えて言った。……感情に押されていた思考が、より強い裡からの激情に吹き払われて、どちらも跡形もなく消えて無くなる。
そして今、妙にすっきりとした気分だった。
『平常心スキル』のおかげもあるだろうが、ただ、俺の平常はこんな心境ではない。
「わかりました。矢であのクグツを射殺せば俺の勝ちなわけですね? 俺の勝利条件はそれでいいですか?」
「それでいいだろう」
「なら、敗北条件は矢が一本もクグツに刺さらなかった場合、刺さっても殺せなかった場合ですね? 俺の敗北条件はこれであってますか?」
「? それをわざわざ言う必要があったのか?」
訝しげな顔でお頭が俺を見る。
「俺の敗北条件はお頭の勝利条件であり、その逆もしかりです。つまり、矢が全部無くならない限り勝負は決まらない。俺は弓を射ったことがありませんから、まるで初心者です。サブンズさん達と“ハンデ交渉”してかまいませんか?」
「ハンデ交渉だと?」
「はい。さすがに30メートルの距離は遠すぎますから。サブンズさんと交渉して一歩いくらかで距離を短くしてもらおうと思いまして。かまわないですよね?」
「ああ。いいだろう。ただ、一歩銀貨50枚だ」
なかなか法外な値段だ。兵士の日給の3倍。クリスラガー族の最寄りの場所までの片道馬車の値段だ。
「わかりました。一歩銀貨50枚ですね。お頭はたった今、自分でルールを決めましたので、公正公平のために、俺にもひとつルールを決めさせてください」
「ふん…………わかった。言ってみろ」
「そうですね……、お頭には【射的ゲーム】開始から矢を全部使い切るまで、俺の発言に口を挟まず、俺が何を言っても反応せず、黙ってみていることを誓ってもらえませんか?」
「……いいだろう。矢を三本使い切った時点でクグツが死んでいなければおまえの負けだ」
「それでかまいません。繰り返しになりますが、一歩銀貨50枚ルールと俺の発言に口出し無用でお願いします。ロー公先輩、あなたが中立審判で、見届け人ですよ。お願いしますね」
「ウン! お頭はボクとここにいて、何にもしゃべらないヨー」
「…………」
お頭の視線から顔を背けるように、俺はくるりとサブンズの方に向き直った。
「すみません。そういうわけなので一歩銀貨50枚でお願いできますか?」
「金あるのかよ」
「とりあえず、銀貨5枚はあります。……はい、参加料ですね」
俺は革袋から銀貨5枚を取り出すと、サブンズに渡した。「おうよ」とサブンズが受け取り、弓と矢を渡そうとしてくるが、俺は「ちょっとだけ待ってください」と受け取りを拒んだ。
そして、宿屋からこちらを見下ろしているアーガスに向かって叫んだ。
「アーガスさん! 俺の持っている【魔剣】を売りたいんですけど、買い取ってくださいませんか?!」
俺は腰に着けていた『風のナイフ』を掲げて見せた。
だが、アーガスは窓辺から腕を組んだまま、何も反応を示さない。……アーガスは【魔剣士】だから、魔剣を見せれば飛びつくと思ったのだが、どうも予想とは違ったようだ。
……このままじゃ、まずいな。金が足りなさすぎる。
俺はならばと販売相手をサブンズ達にかえた。
「誰か、俺の魔剣を買いませんか? 【疾風属性】のついた『風のナイフ』です。もちろん本物ですよ」
俺は風のナイフを鞘から抜いた。刀身が仄かに光を宿し、微かに風すらも運んでくる。俺はナイフをその場で一閃させた。風切り音は鳴らず、光の軌跡だけがあとを追う。
「さあ、誰か買いませんか? サブンズさん、どうですか?」
俺は風のナイフを鞘に仕舞うと、サブンズに掲げて見せた。――が、サブンズどころか、手下一同、隣の者となにやらぼそぼそ話し合うだけで一向に名乗り出て来ない。おかしいな、村長の『瀕死体験』だとかなりの額の契約金をもらっているはずだぞ? 金なら持っているはずだ。
……いや違う。サブンズもハルドライドも、ロードハイムも……見上げれば、アーガスさえ欲しそうな顔はしている。
なぜだ? このままでは“限界まで距離を縮めて楽してアドニスget作戦”が破綻してしまう。
「トーダ。ルール変更だ。しゃべるぞ」
ジャパネットの社長張りに風のナイフの売り込みを始めた俺に、お頭が近づいてきた。
「その【魔剣】を売った金でクグツまでの距離を稼ぐつもりだったか。相変わらず食えない奴だな。……だが、残念だったな。手下どもには『武器の貸し借り及び、売買』は禁じてある。なにせここにいる全員の武器装備品はわたしが特注で用意した物だからな」
お頭は口角を上げ、挑発するような眼で俺を見つめた。
「どうだ、その“風のナイフ”とやら、わたしがこの場で買い取ってやろう。見せてみろ、わたしが【鑑定】してやる」
俺はお頭が差しだした手におずおずと風のナイフを渡した。『*****』何を呟いたのか聞き取れなかったが、お頭はそれを手に色々と角度を変えて見る。
「……ほほう。これはなかなか良い物だ。【疾風属性】さえあれば扱える代物か。MPの消費も低い。攻撃力も高いな……ふむ。……む、……む?」
お頭は風のナイフを抜こうとしたが、ナイフは鞘から抜けず、お頭には【疾風属性】が無いことが判明した。
「なるほどな。『属性ロック』がかかっている。やはり、わたしには扱えないようだな。おい誰か、これが抜ける者はいるか? 全員試してみろ」
お頭が風のナイフを持ち、俺の横を通り抜ける。そのあとをロー公が歩く。ロー公はアドニスに指先を向け、俺に何か言いたげな視線を送るが、俺は頷くだけにした。一応気を遣ってくれているようだ。今はそれでいい。
「じゃあ、俺が」「いやいや俺が」「俺も見せてくれ」「つぎあっし、次あっしですって!」「俺もいいっすか?」「パビックどけよ、おまえは最後だ」「ええ~?!」「ロドルクどこ行った?」「ドルドラと見回りだ。もうすぐ戻ってくると思うが」「うぐぐっ、抜けねぇ~」
いつの間にか【射撃ゲーム】から“風のナイフ争奪戦”みたいになっていた。
子供のおもちゃの取り合いのようになっている現場を迂回して、お頭の元へを歩く。お頭は腕組みをしながらその光景を見ていたが、ふいに視線を上げた。
「アーガス。おまえもこっちに来て品定めをしてみろ!」
「わかりました」
アーガスがすぐさま窓辺から離れ、部屋の灯りが消えた。またすぐ戻るつもりなら消さなくてもいいだろうが、アーガスの几帳面さが現れている。
俺はお頭に声を掛けた。
「……お頭。それでその風のナイフはいくらぐらいの値段が付きますか?」
「そうだな。いい品だ。それ自体に【疾風属性】の魔力があり、さらに魔晶石2つも使ってある。アーガスの剣は魔力を通すことの出来る素材で出来ているが、その風のナイフは素材にさらに魔力を編み込んで出来ている。王都辺りで買えば、あのサイズだと……金貨65枚といったところか」
「金貨65枚……」
価格を聞いて驚く俺に、お頭は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「標的までの距離は、おおよそ30メートル。トーダの歩幅が50cmとして、かかる金額は金貨15枚か。はははっ。……だが、この風のナイフ、いい品ではあるが、中古品だ。手数料を入れて金貨10枚といったところだろう」
「それ、計算がおかしくないですか?」
なぜ売られている値段の85%引きで譲らなければいけないのか。完全に足下見てやがる。
「何を言うか、嫌なら売らなくてもいいのだぞ。わたし以外に買い取ってくれる者がいるのであればそいつに頼めばいいだろう。だが、そいつは規則違反で死刑か追放だがな」
お頭はククク……と笑った。可笑しげに、その横顔からは優越感がにじみ出している。隣からは「抜けたー!!」とか「抜けねー!!」とか、某エロ漫画家作品の批評みたいな言葉が行き交っている。
「今から【射的ゲーム】をするのだ。ゼロ距離では面白みがないだろう。10メートル前後なら例え初心者でも当たらないことはないだろうからな」
「わかりました。もうそれでいいです。お頭公認でその金貨全部を“歩数”に変えます」
致し方ないだろう。結局、金銭の移動はなく、風のナイフを取り上げられただけになる。だが、ここはお頭の顔を立てることが先決だ。
お頭は満足そうに胸を張ると、サブンズ達の方に向き直った。
「いいだろう。……おい、おまえ達、その風のナイフ、抜けた者はいたか?」
「俺っす!」意外なことにパビックだ。
「あっしもでやす」これはトルキーノ。
「俺もだ。必要ないがな」最後にロードハイムか。
「パビックとトルキーノ、それにロードハイムか。おまえ達には【疾風属性】があることが判明した。よく覚えておけ」
などとお頭のありがたいお言葉を受けて「へ~い」とか生返事をしている3人を押しのけてアーガスがやってきた。
「アーガス。おまえも見てみるか? 魔剣コレクターの血が騒ぐだろう。たった今、トーダからわたしが金貨10枚で買い上げたものだ」
「金貨10枚?!」
アーガスは「馬鹿かこいつ??!」みたいな目で俺を見るが、いやもうどうでもいいから……。
アーガスは風のナイフを抜くと、仄光りするその刀身をジッと見た。
「……ロギスタン・ベルンの作のようです。柄と鞘は現代の物に取り替えられているようですが、間違いありません。骨董品としてオークションに出品すれば金貨130枚ほどの値が付くでしょう。いい品です」
「だろうな。アーガス、戻るまでおまえが持っていろ。わたしには扱えない代物だ」
「ありがとうございます。大切にお預かりします」
恭しく頭を下げるアーガスだが、風のナイフを握る手がぷるぷると歓喜で震えている。ぬぅ。もう少し粘れば良かったかな。結局、買いたたかれてしまった感がある。
まあ、どちらにしろ手放さなければ金が手に入らなかったのだ。今はこれでいい。
「なら、始めろトーダ。金貨10枚分、20歩だけ距離を縮めて始めろ」
「わかりました。とりあえず20歩だけ進んでみます」
俺はサブンズから弓と3本の矢を受け取ると、歩き始めた。
一歩歩くごとにアドニスに近づいていく。20.19.18……
アドニスはただ何もせず、ふらふらと立ち尽くしているだけだ。矢傷を負い、血を流しているところをみると、一度死んだのが嘘のようだと思う。
表情はどよんとしていて、命令を与えられていないクグツはただの生きる屍なのだろう。そもそも生きてはいないのか? こいつはなんなのか。アドニスなのか、クグツって何だ? そもそも生物とは違う存在なのだろうか。わからない。
11.10.9……。
ほぼ全員が俺の歩数を数えている。そんな視線を感じていた。
しかしまあ、ここにこうして“
ショックと安堵、怒りと計画進行への揺るぎなさ。うまく混ざりきらずに混乱を極めてしまった。でも、収穫はあった。思いもよらずこの段階でアーガスが部屋から離れたのだ。
今頃ダダジムが色々とあれこれしているに違いない。
俺は喉の奥で笑った。
笑いながら、なんだか苦しくなった。涙の気配もないのに目を覆いたくなって、哀しくないのに悲しくなってきた。涙を流せれば、
俺は足を止めた。
アドニスが10メートル先にいる。
「おーう、歩数のごまかしはねぇようだな。待ってろ、そこでストップだ」
サブンズが近づいてくる。
「そういえばこの弓って誰の弓なんですか? サブンズさんの弓って、確かロー公先輩に折られてましたよね?」
「ああ。あのクソガキが【死霊の槍】でぶっ壊しやがった。こいつは元々俺が使っていたやつだ。持ってきてよかったぜ。おう、トーダ。弓を教えてやるからよ、構えてみな」
「教えてください。お願いします」
そして俺は【
「じゃ、さっそく試射といきますね」
「おう。へたくそなりにがんばんな」
サブンズが俺の肩をぽんと叩いて離れる。俺はさて、と息を吸うと、アルフレッドとは反対側にいるお頭に向き直った。弓と矢はセットされているが、俺の両手は下ろされていて、弦も張られていない。
その状態でお頭と目が合う。お頭の目元がぴくりと動くのがわかった。にぃぃと笑ってみせる。お頭の隣にいるアーガスが「前を向け」と言うが、俺は無視してロー公に言った。
「ロー公先輩。試射の“的”になってもらっていいですか?」
ざわっ、ざわっ、とギャラリーが騒いだ。俺はそれらに目もくれず続ける。
「ロー公先輩なら俺の矢ぐらい片手で裁けるでしょう? 是非お願いします」
「ウン! イイヨー! 練習ならクグツの距離と同じ10メートルくらいがいいよネ!」
ロー公は思った通り快諾してくれた。ロー公がみんなから反対側に移動すると、民家をバックに向き直った。
見れば宿屋の二階の明かりがついている。……アンジェリカではないな。アーガスが誰か一人残してきたのか。うーん、それならむしろ都合がいいのかな?
「死体よりもローで試射とはな。どういうつもりだ」
「どうって、ロー公先輩なら弓術士でない俺の矢ぐらい片手で掴めますよ」
「ローを殺すかも知れないのだぞ」
「その覚悟を試すのが、この試射ですよ。少なくとも仲間だった“彼”に矢を向けるよりもロー公先輩に矢を向ける方が気が楽です」
「…………ふん」
お頭が鼻を鳴らす。盗賊どもが無責任に「ぶっ殺しちまえー」とか「コ・ロ・セ! コ・ロ・セ!」とか大合唱している。ははは。あはははははははははは。
「ロー公先輩、行っきますよー。もちろん頭を狙いますから、避けるなり掴むなりしてください。失敗して刺さっても10秒くらい生きててくださいねー。治してあげますからねー」
あはははははははは。
「大丈夫だヨー! 心配要らないヨー! 止まって見えるヨー!」
どうやらロー公も準備万端のようだ。俺はサブンズに目配せすると、射の構えに入った。精神を集中させる。片目で見るのではなく、標的は両目で見る。
矢を番え、弦を引き絞る。
ロー公の頭に照準を合わせ、集中する。集中する。ロー公は余裕なのか、槍を肩に引っかけ緊張なく両腕をだらりと下げて、ニコニコしている。
そういえば、ロー公には色々助けてもらったなぁ、と今更ながら思う。そうして、感謝の想いを混ぜ込みながら、とつとつ湧き上がって来たどす黒い衝動を解放した。
――死ね。
矢を放つ。
想いを乗せた矢は、気づけばロー公の眉間の前で止まっていた。ロー公が鏃の少し後ろの部分を掴んで止めたのだ。
「お見事です。ロー公先輩には負けました」ああ、脱帽だ。
「エヘヘ~。トーダも上手だったヨ! 矢を掴まなかったら死んじゃってたモン!」
ロー公は陽気に応えてくる。瞬きひとつせず、冷や汗ひとつかかず、死と向き合ったのだ。俺が矢を放つ瞬間まではロー公の手は動いていなかった。
俺は本気でロー公を殺そうと矢を放ったわけだが、やはりロー公は一筋縄ではいかないらしい。アドニスさん、ごめんね、仇は無理でした。
「……なかなかうまいじゃないか。いいぞ。その調子であのクグツも殺して見せろ」
「どうでしょうか。俺はこう見えて繊細なんで、集中力が続くかどうかですね。お頭は弓の経験はありますか?」
「ない。わたしにはこれがあるからな」
お頭は腰のホルスターを叩いて見せた。そういうのに頼ってるからいつまでたっても大人になれないんですよー。くそガキめ。
「じゃあ、本番と行きますか」
俺はお頭とは目を合わせずに、頭をかきながらアドニスの方に向き直った。
距離は10メートル。
【記憶スキル】でおおよその感じは掴んだ。腕の位置、角度、集中。扱いやすい良い弓だ。……うまく射ればたしかにクグツは殺せるだろう。
だけど、俺はそこまで鬼畜にはなりきれない。お頭のような腐れ外道にはなれない。盗賊のようにゲス野郎にはなれない。
やっぱり俺はネクロマンサーでいい。
俺は矢を番えると、狙いを定め、矢を放った。矢はアルフレッドの頭部を掠めるようにして飛び、狙い通りの方向へ飛んだ。
「うわぁぁぁぁぁ!!! ごめんさぁぁい!! ロドルクさぁん!! ドルドラさぁん!! 危ないですよぉ! 気をつけてくださぁい!!」
俺はアンジェリカとダダジムとロッドに大声で合図を送った。そろそろ茶番も終盤だ。幕引きと行こう。
「おしい!!」「もうちょっとだったな!」「おら! 掛け金払え!」「トーダ! テメェ外すなよ!!」「よっしゃ! 外れた!!」
こいつらは俺の矢で賭博をしているのか。ゲラゲラという笑い声と罵声に向け、俺は愛想笑い全開でヘコヘコと謝った。
宴もたけなわなので、そろそろ決めますか。
「あと一本! あと一本!」という謎のプレッシャーを与えようと盗賊どもは肩を組んでいる。レートは半々と言った感じか。
お頭が俺を見る。
「約束は覚えているだろうな」
「もちろんです。お頭も、ルールは覚えていますよね?」
「ルールだと?」
「一歩銀貨50枚のルールです。あ、サブンズさんちょっと来てもらえますか?」
俺はサブンズにぺこりと頭を下げると、そばまで呼んだ。
「なんだ。……おい、いいかトーダ。俺はおまえに賭けているんだからな、外すんじゃねーぞ」
「そのことなんですが、はいこれどうぞ。金貨で12枚と銀貨もそれなりにあります。全部俺に賭けてくれてていいですよ。ゼロ距離なんで」
「はぁ?!!」
俺は金貨の入った袋をサブンズに渡した。それなりに腰が軽くなる。
「では、お頭、一歩銀貨50枚で、あと24歩進みます」
「…………おまえ」
低くなったお頭の声音が心地よかった。俺を無一文だと侮っていたあなたが悪い。
「お、おいちょっと。おまえ金持ってたのかよ?!」
「はい。それが全財産ですけど、一応確かめておいてください。あと、この弓はお返しします。右手で、直接ぶち込むんで」
俺はついでに弓をサブンズに返した。サブンズが目を丸くしたまま立ち尽くしているのを横目に、俺は声を上げながらアドニスに近づいていった。
「22.21.20……」
「どこで12枚もの金貨を手に入れた。昨日今日で稼げる金額ではないはずだ」
背後からお頭の声がかかる。俺は振り返らずに答えた。
「19.18.17……っと、昨日行き倒れの旅人の葬儀をしたときに、お代として頂いたんですよ。16.15.14……」
「風のナイフもそいつから盗んだのか?」これはアーガス。
「いえ、風のナイフは今はクグツになっている、このアドニスさんから借りました。町の兵士の備品です。先遣隊の中で俺だけが【疾風属性】があったので13.12.11……貸してもらえました」
「……さっきのはわざと外したのか?」
図星だったのでちょっと動揺するが、俺は歩調を変えず、
「いえ。しっかり狙いましたよ。ただ、しっかり狙って外れたので、最後の一本は絶対外さない方法で仕留めたいと思いました。確か俺の勝利条件は、『矢でクグツを射殺す』でしたね。7.6……っと。少し歩数が余りましたね」
俺はアドニスの前に立った。
アドニスの身体には合計11本の矢が刺さっていた。それぞれがアドニスの身体に突き刺さり、クグツでなければ死んでいる傷を受けていた。
残りの歩数を消費して、ロー公に振り返る。
「俺がロー公先輩のクグツを倒しますよ! いいですね!? ネクロアンサー同士、恨みっこなしですよ!」
「イイヨー! トーダならかまわないよヨー」
ロー公の許可を得たところで、俺はアドニスに向き直ると静かに手を合わせた。後ろで盗賊どもがやいのやいの不満をぶつけていたが、俺は矢の鏃の部分を人差し指と中指の間に挟むと、
「お疲れ様でした。アドニスさん。とりあえず、
そのまま、ぽんとアドニスの頭を撫でるように右手で触れた。
「アドニスさんの料理、うまかったです。ありがとう……お休みなさい」
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