第59話 死者の声を聞くがよい②

 ――そんな気持ちの焦りが出たのだろう、私は周囲の警戒を怠ってしまっていた。……いや、結論から言えば、獣族の追跡と“嗅覚”から逃れる術など無かったのだ。私は闇の中、急に襟首を掴まれると、引き倒された。

 ――月明かりを避けた闇に、ただひとつの鋭い光が浮かび、私を見下ろしていた。としゅり、としゅりと足音が近づき、獣族の姿が月明かりの中に現れた。年老いた、片眼の獣族だった。右目は爛々として強い光を放っているのに対して、左目は赤く爛れ、まるで今、眼球をえぐり取られたかのように、新しい血を滲ませていた。

 ――私は早鐘のように打つ心臓に右手を添えた。【治癒魔法】を発動させ、肉体的な筋肉の緊張緩和と、精神的な怯えなどを取り払った。それでなんの解決になるのかわからないが、恐怖で腰の抜けた状態からは脱したようだった。

 ――片眼の獣族が歩みを止めた。ここは相手の出方を待つ他は無い。私は注意深く獣人を観察した。怪我で弱っているようにも見えるが、眼光の鋭さは獣人のそれだ。……獣人の視線が私の指輪に止まっていた。【治癒士の指輪】の識別色は“白”だ。その色を、残った片眼で食い入るように見つめていた。

 ――このままでは、この獣人からは決して逃れることは出来ないだろう。私が咄嗟に考えたのは、この獣人との『交渉』だった。

 ――「わ、私は【治癒士】です。私をこのまま見逃してくれるのなら、あなたのその左目の傷を【治癒】してみせます。……どうですか? あなたたちにとって、たった一人の村人を見逃すことに過ぎません。ただ、私の存在に背を向けて、仲間達に『知らない』と言うだけで、その傷の痛みから解放されるのです。悪い話ではないはずです……」

 ――盗賊どもの声が近くなったような気がした。私を探して、追い立てているような荒れた声だった。私は身体に蓄えられた【治癒魔法】のおかげで、度胸がついていた。私の治癒魔法には“向精神”的な効果もあった。肉体だけではなく、気力の回復や疲労回復効果も兼ね備えており、冒・探検者時代には、とにかく色んなパーティから引っ張りだこだった。……そうでなくとも今は、怯えて震えている暇などないのだ。命をかけた交渉のつもりだった。

 ――片眼の獣人が声を立てずに笑ったのがわかった。肩を揺らしている。彼の中では一体どんな思いが交錯しているのだろうか。ひとしきり笑って満足したのか、片眼の獣族が口を開いた。「やってみせろ」唸るようなしゃがれ声だった。

 ――私は身を起こすと、片眼の獣族に近づいた。膿んだ汚血の臭いが強くなる。私は恐る恐る彼の左目に手を近づけたが、抵抗するそぶりはなかった。そっと、左目の傷に被せるように右手を置いた。「始めます」そうしていつものように【治癒魔法】を発動させた。『彼の者の傷を癒やし給え、ヒール』お決まりの言葉に熱を込めた。ひょっとすると、誰かに治癒魔法を掛けるのが、これで最後なのではないか、そんな思いがした。治癒魔法に、私を見逃してくれるよう、想いを込めた。向精神効果のある私の治癒魔法は、その実、こう言った“想い”を忍ばせることが出来た。よく言えば、『仲間意識を高める』、悪く言えば、『洗脳』だ。私はこの力の特性を糧に、王都の重鎮としてのし上がってきた一人だった。


 ――王都の権力争いが国民のためではなく、【どの国王を選べば自分に有利に働くか】と言った私利私欲の動きに形骸化し始め、私もその波に押し流されかけた。派閥がいくつも作られ、何度も暗殺騒ぎが起きた。そのたびに私が取り沙汰ざたされ、命を取り留めた者もいたし、残念ながら手遅れの者もいた。

 ――私がアルバの村の村長に【抜擢】されたのも、そういった策略のひとつだったに違いなかった。私のような【治癒士】が王都の重鎮にいては“もしものとき”邪魔になると考えられたのだろう。暗殺事件が起きても、心臓さえ辛うじて動いていれば自立呼吸までこぎ着けられたし、矢が刺さった脳の損傷さえ治癒して見せたことがあった。毒殺であっても私にはそれを解毒する力があった。

 ――私自体は中立の立場ではあったが、どの派閥にも属しておらず、毒にも薬にもなりえていた。そんな私が消えたことで、また王都は混迷を深めていったのだろう。風の噂で、それぞれの派閥が新たな【治癒士】を雇い入れたと聞いた。ひょっとすると、私を親しく想ってくれた人が、あの混沌の渦中から逃がしてくれたのではないか、そう思った。思うことにしていた。


 ――そんな私の治癒魔法でも、獣人の目の治癒には時間が掛かった。少なくとも数年以上こんな状態が続いていたに違いない。……おおよそ通常の怪我の倍以上の傷み具合だった。左目はやはり眼球が無くなっており、一部が壊死を起こし、熱を持っているのがわかった。治癒薬の使用跡があったが、使い方を間違っていたか、粗悪な品を使い続けていたのだろう。回復には至っていないようだった。

 ――時間がかかる。傷みがひどい。常人ならば痛みに発狂するレベルだろう。もしくは……いや、人族と獣族では身体のつくりが違うのだ。ただ、日常生活に不都合があったのは間違いない。

 ――眼球の再生こそ不可能だったが、私は根気よく治癒魔法を続けた。5分ほど過ぎ、ようやく傷の具合も終盤にさしかかった頃、背後から声が聞こえてきた。「親父。……そこで、なにしているんだ?」

 ――私は振り返らなかった。片眼の獣人が一瞬私を見たが、背後の声に応え、「騒ぐな。黙ってそこで見ていろ」と言った。「親父。みんなそいつを探している。そいつをみんなの前に連れて行けば、今度こそ俺たちを認めてくれる」

 ――私は唇を噛んだ。結局、見つかってしまった。私の思惑は外れ、もうどうすることの出来ない事態へと押し流されてしまうようだった。……だが、「黙れ、オイル。あれらに媚びるな」吐き捨てるように片眼の獣人が言った。

 ――「だけどよ、親父。ここに今、こいつがこうしているのを知ったらあいつらまた怒って、また俺たちを……」「静かにしていろ、オイル。儂はあれらがどうなろうと、もはや知ったことではない」

 ――ようやく、片眼の獣族の左目の治癒を終えると、具合を聞いた。「……ああ。ありがとうよ、先生。楽になった……」意外なことに片眼の獣族は私に礼を言った。そして、私の後ろを指さした。「先生、悪いが、そいつの鼻も診てやってくれねぇか」私はゆっくりと振り向いた。思った通り、そこには若い獣族の男が立ち、訝しそうな眼で私を見ていた。

 ――「親父」「診てもらえ。このヒトは立派な治癒士の先生だ。おめぇの使えなくなった鼻も治してくださるはずだ。なぁ、先生よ」私は逡巡したが、それ以外の選択肢は用意されているはずもなく、「……私を見逃してくれるのなら。治療してみます」片眼の獣人は、しゃがれた声で笑った。「オイル、よかったな。先生、診てくれるってよ」「ふざけんなよ! 親父、なに考えてんだよ! そいつに何かおかしなことでも吹き込まれたんじゃねぇのか?!」若い獣人の息子――オイルが大きな声を上げた。私はこの声を聞きつけて誰かがまたやってくるのではないかと危惧したが、盗賊どもの声はまだ遠かった。

 ――「オイル。儂は今から盗賊団を抜ける」「なっ……!!?」オイルが驚愕した表情を見せた。「付いてくるか、来ねぇかは、おめぇに任せる。儂の抜けた盗賊団で、おまえがどう生きるか今この場で、よく考えるんだな」「抜けて……どうするんだ。お袋も、妹もいるんだぞ……」「ヘッヘッヘ。だからおまえに任せるって言ってるだろうよ」「正気かよ、親父」片眼の獣人がまたしゃがれた声で笑う。「儂がまともだった時があるかよ。一度でもよ」

 ――「一緒に来るか? オイル。おめぇによぉ、手伝ってもらいてぇことがあるんだ……」「……俺は行かねぇぞ。だいたいどこに行こうって言うんだ。俺たちは【咎人】だ。どこで生きることも出来ない、クリスラガー族の鼻つまみ者だ」オイルはまくし立てる。片眼の獣人は、痛みが和らいだのか、少しだけ険の取れた眼差しを息子に向けた。「おめぇの人生だ、好きにしな。だがよ、この先生を傷つけることは許しゃしねぇぞ」ずぃっと私を庇うように前に出ると、オイルを睨んだ。オイルは怯えたように後ずさると、「わ、わかったよ、親父。逆らわねぇよ……。でもよ、お袋が……」不安を口にした。「ならよう、手伝うのは明日一日だけでいい。許可を取って、明日一日だけ儂に手を貸せばいい。それであとは元の鞘だ……これならおめぇも、文句はねぇだろ」「あ、ああ。文句はねぇけど」「この先生は見逃すんだ。そして治療を受けろ。獣族が鼻が利かねぇなんて、恥ずかしくて仕方ねぇ」片眼の獣人が、私を振り返った。「へっへっへ、そういうわけだ先生。こいつの鼻も治療してやっちゃくださらねぇか。餓鬼のとき、あいつらにぶん殴られて以来鼻が利かねぇみたいなんで」

 ――私は頷いた。「わかりました。治療します。どうぞ、こちらに」私はオイルを民家の陰に誘った。「おら。チンタラしてんじゃねぇ、先生が困ってんだろうが」「……わかったよ、親父」オイルが渋々といった感じで歩き出し、片眼の獣人に尻を叩かれていた。

 ――私はオイルの鼻に手を当てると、【治癒魔法】を発動させた。私には怪我の内容を読み解く力もあった。「小さい頃から何度も殴られて、痛かったでしょう。折れた鼻骨の位置がずれ、そのまま固まっているようですね。鼻骨の“矯正”を念じておきます。今すぐとは言えませんが、明日には本来のカタチに少しずつ戻るはずです。比較的片方の鼻腔は神経の繋がりがいいようですから、もうすぐ治りますよ」「…………そうかよ」ふてくされたようにそっぽを向くオイル。「礼でも言いやがれ」と息子の頭をぽかりとやる片眼の獣人。「治療中ですよ、お父さん」と慌てて止める私。

 ――やがて、出来るだけの治癒魔法をかけ、私に対しての好感度を上げるよう強く念を込めた。「どうですか? 鼻の調子は」オイルは恐る恐るといった感じで自分の鼻に触れた。そして目を見開くと、「……すげぇ。臭いが……臭いが入ってくる。くっはぁ! すげえ! すげぇ! これはすげぇよ“先生”!! 親父! 俺の鼻が元に戻った!」片眼の獣人がオイルの背中をバシンと叩いた。「良かったじゃねぇか」「ああ、生き返った気分だぜ」

 ――じゃれ合うような親子に、私は恐る恐る声を掛けた。「それで、私は見逃してもらえるんですよね……」獣人親子は満面の笑顔で私に向き直った。「そ――――」

 ――そりゃあもちろん、先生には感謝しておりますですから、どうぞお通りください――そう、言ってくれるはずだった。だが、獣人親子は空を――屋根の上を見上げながらあんぐりと口を開いたまま、動かなくなってしまった。もしやと思い、私も彼らのように屋根の上を見上げた。


 ――そこには、顔に入れ墨をしたスキンヘッドの青年が、月の光を浴びてジッとこちらを見下ろしていた。手には黒い槍を持ち、微笑を浮かべている。


 ――青年は階段でも降りるような気軽さで、屋根の上から飛び降りると、私たちの前に立った。「お、おまえ聞いて……」「親父……」動揺を隠せずにいる親子の前を通り、スキンヘッドが私に近づいてきた。黒い槍先を私に向けると、「みんなが逃げた奴を捕まえて来いっテ。一緒に来てネ!」口調は明るかったが、有無を言わせぬ凄味があった。ただ、私が逃げ出したことへの憤りや嘲りはないように思えた。「……わかりました」「じゃあ、両手の親指を出してネ」青年は私に近づくと両手の親指を握った。私は観念し、素直に従うことにした。

 ――獣人親子の前を通る。青年がおもむろに口を開き、そして親子に笑いかけた。「バイルもオイルも、怪我を治してもらって良かったネー」私は何も言わず目も合わせず、手を引かれるまま、親子の前を通り過ぎようとした。

 ――私がこの親子を巻き込んでしまった。……その考えは、加害者から見れば滑稽で、村の被害者から見れば唾棄すべき歪な思いではあったが、治療を素直に受け、治ったあとのあの喜びようは、今まで治療してきた方々と何ら変わらない姿だった。


 ――【治癒士】として指輪を受け取った時から、私の使命は人を癒やすことだと思い、頑なにそれを守ってきた。だが、いつしか感謝されることに慣れ、有り難がられることに酔い続けていたのかも知れない。この世には【悪】があって、それは決して【癒やせないモノ】だと、気づくべきだったのかも知れない。

 ――私が、王都にとどまり、【権力】と言う名の“病巣”を治癒し続けることが出来たのなら、このようなことは起こらなかったのかも知れない。私には。私は結局逃げ出してしまったのだ。


 ――お大事に。小さくそう呟く。片眼の獣人は目元をぴくりとさせたが、何も言わず、俯いたままだった。

 ――そして、民家の角を曲がった辺りで、後から悲鳴のような声が上がった。「やめろ親父!!? なんでだよ! せっかく治してもらったのに! どうしてそんなことするんだよ! 血がっ!」私は振り返るが、もう見えなくなっていた。


 ――広場では、人相の悪い大勢の盗賊どもがたむろしていた。「捕まえてきたヨー」青年が槍を振るって陽気な声を上げた。「遅ぇぞこの野郎! さっさと連れてこい!」「遅くないヨー。バイルとオイルが捕まえてくれてたヨー」青年が私の捕捉を自分の手柄にはせず、獣人親子の手柄にしたことに驚いた。彼らの裏切りを目の当たりにしていたにもかかわらず、それすら口にしなかった。

 ――と、誰かが近づいてくるのがわかった。短い黒髪で、腰に二本のショートソードを下げていた。頭をガリガリ掻きながら、ふてくされたような目つきで私を睨み付けてくる。

 ――「ジェイル! 待て! そいつには聞きたいことがある!」女性の声が聞こえ、見ると、昼間のアイーナとか呼ばれていた女性が男性と一緒に宿屋から出てくるところだった。「うるっせい! ……おい、さっきはよくも突き飛ばしてくれたな。お礼をさせてもらうぜ。……ロー公、テメェ邪魔だ。指錠だかなんだか知らねぇが、そいつからとっとと離れな」「駄目だヨ。これは一度捕まえたら、お頭の所まで外しちゃ駄目だって言われるてるヨー」「あぁ? ナメてんのか、この野郎!」「ジェイルこそ邪魔だヨー。そこに居ると通れないヨー」


 ――ジェイルと呼ばれた男がいきなり青年を殴りつけた。青年はよろめくが、私と繋がった指錠は離さない。ジェイルはそれが気にくわなかったのか、平手でパシンと私たちの手を引っぱたいた。

 ――「ジェイル! ローの邪魔をするな。そいつをこっちに連れてくるんだ」アイーナの隣にいた男が厳しい目でジェイルを見ながら言った。ジェイルが声に振り返る。「兄ちゃん。ほら、こいつの指輪だよ。白の指輪って何のジョブだったっけ?」

 ――私は慌てて自分の指輪を確認するが、無い。無くなっていた。ついさっきまで確かに右手の人差し指に着けていたはずなのに! 指輪を盗られたのにも気づかないとは一体どういう――。そこで私ははたと気づいた。

 ――そうか、このジェイルという男は、自分で【シーフ】だと言っていたじゃないか。そしてさっき、手を引っぱたかれた時、盗まれたのか。たしか、【シーフ】にはそういう手癖の悪い特技があると聞いている。身につけている物を相手に知られずにかすめ取ることが出来るのだ。

 ――「【識別色】白は治癒士だ」「…………てめぇにゃ、聞いてねぇよ」ジェイルが私の指輪をアイーナに向かって投げた。指輪はまっすぐに飛び、アイーナの顔にぶつかる直前、兄貴が手を伸ばしそれを受け止めた。「兄ちゃん、ナイスキャッチ!」ジェイルが高々と笑う。アイーナの眉間に深いしわが寄るのがわかった。

 ――そして唖然とする私に、ジェイルは向き直ると、腰のショートソードを抜いた。「礼がまだだったな」そして躊躇なく私のみぞおちに突き刺した。

 ――激しい痛みに私は震え、血が逆流するのを感じ、私は血を吹き出した。「ジェイル! おまえ!」兄貴の方が吠えた。膝がガクガク揺れ、急に足の力が抜けたが、私は倒れることを許されず、青年に指を掴まれたまま膝を付いた。

 ――全身から力が抜ける。即死こそ免れたものの、勢いよく空気の抜けていく風船のように――私の命が終わる。

 ――ああ。神よ。私は幾人もの命を救い、怪我を治し、癒やしてきた。他人ばかりではなく、自分自身も癒やし続けてきた。ただの一度、誰からも心の傷も身体の傷も癒やしてもらったことはないこの私だ。

 ――あなたには頼りません。これまでも、これからも。

 ――だから、せめて私の【治癒士の指輪】を返――



「……ダ、トーダ。もう死体が崩れちゃったヨ。次の死体を持ってきたヨー」


 気がつけば肩を揺すられていた。ロー公の言うとおり、目の前には血に濡れた衣服が蝉の抜け殻のように、その中にあった確かな物を形作っていた。


「またぼぉっとしてました。今、服を畳みますからちょっと待っててください」

「ウン!」

「……ロー公先輩は、この人のこと何か知ってますか?」


 俺は服を畳みながらロー公に聞いてみる。ロー公は少し首を捻りながら、思い出そうとしているみたいだったので、ちょっと助け船を出してやる。


「どうやらこの村の村長で、【治癒士】のジョブに就いていたみたいだったけど」

「アアー! 思い出しましター! ジェイルに殺されたヒトだったヨー。お頭が【治癒士】が欲しかったのにっテ、プンプンだったヨ! それでジェイルがアーガスにおしり叩かれてたヨー。『兄ちゃん痛いよー、やめてよー』ダッテ! テシシシシシシッ!」


 ロー公のツボに入ったのか、床に転がると、お腹と槍を抱えてケタケタと笑った。

 俺は村長の服を畳み終え、目の前のスペースを空けた。


「そういえば、今残っている“同僚”のなかで、【シーフ】っていますか?」

「トルキーノが【シーフ】だヨ! 死んだジェイルも【シーフ】だったヨ!」

「……トルキーノさんの特技って、何がありますか? どんなことが出来ます?」

「トルキーノはネ、【シーフ】の特性でいろいろなものから必要なものを簡単に取り外すことが出来るみたいだヨ」


 俺は【シーフ】の『盗む』の能力を過小評価しすぎていたのかも知れない。触れただけで指輪を外されてしまうのなら、つまり、それは相手のジョブを無効化してしまうことと同義だ。

 おそらく、アンジェリカも抵抗することも出来ず、指輪を外されてしまったに違いない。


 ――ああ、だからか。俺はなぜファーストジョブを持つ者が指輪を隠したがるのか、その理由を勘違いしていた。クレイは幻術で。アルフレッドや盗賊は指ぬきのグローブ、お頭に至っては肌色のテープで指輪の【識別色】を隠してあった。

 そうだ。隠すことに意味があると俺は思い込んでいた。相手のジョブが【識別色】で判別できなければ、戦闘になったとき、ジョブの“相性”で不利に働くことがある。これはアーガスとクグツの相性でわかったことだ。だが、グローブや肌色テープは、何も見えなくしているだけではない。【シーフ】による“盗まれる”を防止する効果もあるからだろう。

 一瞬の気の緩みで、指輪を外されてしまうことがどれほど危険なことであるか、アンジェリカを見ていればわかることだ。まさに【指輪】あってのジョブなのだ。指輪がなくなれば、ただの人になる。剣士や戦士があんな重い剣を自在に振り回せるのは、指輪のおかげだからだ。

 つまり、グローブを着けることによって、『ワンクッション』置くわけだ。【シーフ】とて、グローブ越しにいきなり指輪を外せるはずもないだろう。ズボンを脱がずにパンツを脱ぎとるくらい難しい。……あるいは【選出者】であるなら可能かも知れない。

 ともあれ、貴重な情報だった。今後の作戦次第では混戦になり、下手をすれば俺もアンジェリカも一瞬で【無職】の状態になっていた可能性もあったわけだ。この情報はアンジェリカとも共有しておいた方がいいな。


 ふと、イザベラの言っていた【シーフ】のアビリティを思い出した。


 ――【シーフ】

 ・アビリティ:盗む


「【シーフ】は、素早い身のこなしと器用さ、直感に優れ、主に迷宮での活躍に定評があります。アビリティである【盗む】は、ある必須アイテムを身につけることにより、魔物が隠し持っているアイテムなどを【盗む】ことができます」


 ある必須アイテム……か。どんなアイテムだか知らないが、すでに身につけているに違いない。たぶん【鑑識】で調べられるはず……。ここは深入りせず、あくまで次の情報収集に移ろうか。


「それは便利ですね。他には何があります?」

「ン~。鍵を開けたりするのが得意だったカナ~。『丈夫な針金があればどんな錠前でも開けるでヤス』って言ってたヨ!」

「おおっ! さすが盗賊。やっぱりそれって基本ですね。他には他には?」

「あとネー、ジェイルは使えなかったけど、トルキーノには【聴音スキル】があるヨー!」


 【聴音スキル】? 遠視や暗視が目のスキルなら、聴音って言うくらいだから、耳に関するスキルなんだろうか。


「その【聴音スキル】ってのはどういったスキルなんですか? 知ってますか?」

「エートネ、自分の立てた音に魔力をのせて、その音波を利用して周囲の探索を行うスキルだって聞いたことがあるヨー」

「? それって何の意味があるんですか?」


 自分が立てた音に反応して相手が気づいて逃げてしまわないだろうか。

 ロー公は床にうつぶせに寝そべると、耳を床に着けた。床をドンと叩く。


「こーやってネ、地面に耳を着けてからドンって地面を叩いてたヨ。半径15メートルくらいなら歩いている人の数や足音を聞き分けられるんだっテ」


 …………ああ。つまり、地上版アクティブソナーだ。

 漁船なんかに取り付けられている魚群探知機のことだ。たしか、水中にパルス信号音を発射し、物体からの反射音を受信して物体までの距離と方向を知るのをアクティブソナーって呼ぶと聞いたことがある。

 トルキーノは半径15メートルと短いが、相手の存在を知ることが出来るようだ。でも、ジェイルが使えないでトルキーノは使える。【聴音スキル】は一般スキルなのかな?

 ……まあいいや。これも一応、アンジェリカに伝えておいた方がいいな。作戦中、近くでごそごそしてた時、トルキーノに探されたら所在がバレてしまう。

 ――まあ、それ以前にロー公の嗅覚でバレちゃうと思うけどね。


「よし、休憩終わり。次の方どうぞー」

「ハーイ。オマチドオサマー」


 ロー公が次の死体を運んでくる。今度は知らない人だ。だけど、当然この人にも過去があり、盗賊どもに無理矢理に人生を終わらされた村人の一人なのだろう。

 この人達は、見ず知らずの人に『自分の殺された理由』を知られても平気なんだろうか。……言わば、死んだ人のPCのHDDを無断で鑑賞するようなものだ。そんなこと――――――――――いや。これは、感傷にすぎない。

 まずいな……。昨日と同じパターンだ。疲労困憊になると思考が“鬱”に傾くようだ。残念ながらさっきの【治癒士】とは違って、“転用”では疲労や睡眠不足とかは回復できない。

 とにかく、あと16人前後だ。30分以内に終わらせてしまおう……。

 俺は気合いを入れ直すと、右手で頭部に触れた。

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