第58話 死者の声を聞くがよい①

「トーダ、大丈夫? なんだかまたうなされていたヨ」


 肩を揺すられて、顔を上げると、そこには心配そうな顔のロー公がいた。

 ああ、終わったのか、と目線を下げる。その先にはロードハイムに斬られて亡くなったヨアンさんの遺体があった。手を合わせて目を閉じ、冥福を祈る。

 その間に遺体が融けたのだろう、ロー公が騒ぎ出した。


「わー、わーわー。どうしてだろう。ドーシテ? トーダ、どうして死体が融けるノ?」

「……俺の『浄化葬』はね、亡くなった人の魂を追いかけるようにして身体が融けるんだよ。【魂】は天に昇るし、【魄】はネクロマンサーが受け取る。身体は地に融けたように見えて、大気に融けるんだ。そして風に乗って【魂】を追いかけていくんだ。俺はそう思う」

「フーン。よくわかんないネ、テシシシシシシッ!」


 ロー公が快活に笑う。まあ嘘だしね。


「ロー公先輩も色んなモノいっぱい食べるけど、ちゃんと感謝してる? それぞれに魂が宿っているんだよ、毎回感謝して食べなきゃ」

「ウン! たくさん感謝してるヨ! テシシシシシシッ!」


 そういえば、ロー公は食べ物に関しては、生きてるモノなら何でも食べるんだっけか。そう考えると、ロー公はある意味俺たちよりもずっと崇高な存在なのかも知れない。

 俺はヨアンさんの服を極力丁寧に畳みながら、ロー公に声を掛ける。


「じゃあ、次の方を運んできてもらえるかな。飛び散ったりハミ出たりしてるから

慎重丁寧にお願いします」

「ハーイ! ……? トーダ、さっきの黒いペット、死体を運んで出て行ったけど、イイノ?」

「預かり物のペットだから、返す時に痩せてたら困るでしょう? あの子達にもご飯を食べさせてあげなくちゃ。幸い、ここにはたくさんあるからね。運んでいったのも仲間達と一緒に食べるからだろうね」

「あのペット、ヒトも食べるんだネ」


 何か思うところがあるのか、ロー公はウンウンと頷いている。


「……ちなみに、オイルさんを襲ったのは俺の命令とかじゃ無いですから。たぶん、狩りの標的がたまたまオイルさんだったんだと思います。ロー公先輩が、あいつらのことをお頭に報告すると、オイルさんの仇とかで殺されそうなんで言わないでもらえませんか?」

「イイヨ! それも秘密にするヨ!」

「……ありがとうございます」


 なんかすんなりにいきすぎて逆に怖いな。


「代わりに、ロー公先輩が俺の監視任務の最中に居眠りしてたことは秘密にしておきますね」

「ソーデシター! ボク、寝ちゃってたんだっタ! テシシシシシシッ!」

「お互い、お頭に怒られるのは嫌ですからね。……でも、俺のこととかダダジムのこととか、本当にお頭に話さないでいいんですか? 知らせろって命令なんですよね?」

「大丈夫だヨ! ダッテ、お頭がボクの買い主じゃないモン! ボクの受けた命令は【お頭を命がけで守る】ことだけだヨ! それ以外は“命令”じゃないヨ! テキトーだヨ!」


 ふむ。なるほどなるほど。

 買い主の命令≧お頭の命≧仲間おれ>お頭の命令>>越えられない壁>>同僚ってところか。


「そうですか……。なら少し安心しました。ダダジム達が殺されたら、“知り合い”にドヤされるところでしたから」

「テシシシシシシッ!」

「じゃあ、張り切って次いきましょうか」


 俺は手を合わせると、ロー公が運んできた死体に――おや? この人は。

 その頭に触れてみた。



 ――村の人に呼ばれて広場まで来ると、マチルダさんが王都の勅使ちょくしだという若い娘さんに乱暴をしていた。それを目の当たりにした私は慌てて止めに入った。「マ、マチルダさん、これはいったい何事ですか……?!」

 ――娘さんが何かを呟き、事切れてしまった。私は全身の血の気が引いた。慌ててマチルダさんの腕に飛びつく。だけど、彼女の腕は太く、私がどんなにか力を入れてもビクリともしなかった。

 ――そのマチルダさんが急に拘束を解くと、娘さんが地面に倒れた。私は急いでその娘さんに駆け寄ると【治癒魔法】を使おうとした。まだ間に合うかも知れない。そう思い、その細い首に手を伸ばすが、それより先に娘さんが目を見開いた。そして私を押しのけるようにして立つと、何かを抜き放った。

 ――バン! 目の前でもの凄い音がした。娘さんのもつ道具が火を噴いたのだ。

 ――「ダイナマイトだと思ったか? 馬鹿が。それは布を巻いた木の棒に導火線をつけたものだ。引っかかると思った。ババアは思慮が浅いからなっ、と」彼女が何を言っているのか、意味がわからない。

 ――バン! 再びそれが火を噴き、マチルダさんの背に新しい血のシミが出来た。ああ、と私は気づく。何かに気づく。マチルダさんの言葉に気づく。 

 ――「や、やめなさい!! あなたたちは――」バン! 胸に鋭い衝撃を覚え、一瞬遅れて、今までに感じたことのない激しい痛みが、槍のように身体を貫いた。私は膝を付き、うつぶせに倒れた。呼吸ができない。言葉が出ない。痛い……。

 ――私は最後の力をふり絞って【治癒魔法】を自分にかけた。薄れていく意識と戦いながら、私は神様に祈った。どうか、みんなを、お救いください、と――

 ――「もう、いい。全員殺せ」意識、が……。「うおおおおお」と雄叫びが聞こえた。


 ――気がつけば、夜だった。私は身を起こそうとして、右の胸がズキリと痛んだ。どうやら治癒の途中で気を失ったらしい。私はうずくまると、再び地に顔を着けて喘いだ。

 ――それでもどうにか右手を胸に当て、【治癒魔法】を発動させた。痛みが和らいでいく感覚に、長い息を吐いた。そして身を起こし、その惨たる光景に絶句した。

 ――皆が死んでいた。倒れ伏している遺体は、そのすべてがもう生きていないとわかるほどに、無惨に……置き去られていた。なんと言うことだ。なんてことをしでかすんだ。彼らは――いや、奴らは。

 ――絶望の最中、村に一軒しかない宿屋から笑い声が聞こえた。ドアが開き灯りが漏れた。私は慌てて“死んだふり”をした。誰かが笑いながら出てくる。「ったくよぉ。ここの村の名物って期待してたのに、なんだぁありゃ。草しか出さねえじゃねーか」「野菜と言うんだ。ガスパート。各自持ち場につけ。見張りを交代しろ。サブンズ、【片眼】親子はどこだ」「俺は見てないですね」「誰か知ってるヤツはいるか?」皆口々に「知らない」だの「知らねー」だの言っている。

 ――奴らは盗賊なのだ。このアルバの村に押し入った、盗賊。みんなを殺してこの村を乗っ取った盗賊。私の心にふつふつと怒りが湧いてくる。

 ――「兄ちゃん。ちょっといいか?」「なんだ、ジェイル」「ちょっとこっちに来てくれ。話があるんだ」盗賊がこちらに近づいてくる。ギクリとする。私は息を殺して奴らが過ぎるのを待った。だが、奴らは通り過ぎるどころか、私の真ん前で話を始めてしまった。

 ――「兄ちゃん。兄ちゃんは俺に何か隠してることあるだろ」「……なんのことだ」「とぼけるなよ。お頭も兄ちゃんも、本当はこんな村には用は無かったはずだろ? 計画には無かったはずだ、村の襲撃なんて」「…………」「なんだよ。俺にも教えてくれないのかよ。兄ちゃんいつもそうだ。重要なことは何も教えてくれない」

 ――弟の方がイライラとした口調になり、そばにあった村人のご遺体を蹴った。私は唇を噛み、時と奴らが過ぎ去るのをただひたすら待った。

――「兄ちゃんは“お頭”と出会っておかしくなった。本来、こんなこと兄ちゃんがするべきことじゃないのに。だって、兄ちゃんは今【ルーヴァリアル家】に仕えている騎士だろ?! こんな――野蛮な人殺し、

 ――私は息を呑んだ。今、私は聞いてはいけない話を聞いてしまっているのではないか。【ルーヴァリアル家】と言えば、隣国の王家筋の家柄と聞いたことがある。身体が自然に震え出す。兄が口を開く。「お頭……いや、彼女がおまえ達をなければ、どうなっていたかわからないでもないだろう」「それには感謝しているさ。なんせ、『縛り首』の直前だったんだからな! でもよ、兄ちゃん!」「わかっているなら、黙っていろ。全員前払いで金貨20枚。後払いで20枚。……それには口止め料も含まれている。当然、『口出ししない料金』もだ。足りないのなら、俺の分もやる。それで我慢しろ」弟が兄に詰め寄る。「なんでだよ! 何で兄ちゃんはあの女にそんなにも肩入れしているんだよ!」

 ――兄が嘆息するのがわかった。「彼女は特別なんだ」そして続ける。「生まれながらにして、俺たちとは違う」

 ――ドカッとまた違うご遺体が蹴られる。「違うって何だよ!? ウチだってそうだろ?! 由緒ある【伯爵家】だ。それで兄ちゃんは正妻の子。でも俺は妾の子だ。兄ちゃんは【魔剣士】に。俺は……【シーフ】だ……」「それはもう何度も話し合ったはずだ。俺はもう【ダビソン家】を出た人間だ。……俺には、おまえに【ダビソン家】を継いで欲しかった」「おあいにく様。俺は兄ちゃんと違って親父にも【麗しい正妻様】にも好かれなかったんでね。だから家を飛び出して、仲間を集めて、盗賊団を作った」兄は深いため息を吐いた。「馬鹿をやって、縛り首まで行きかけた男が、命を救われて、これ以上何を望む……」

 ――弟が大声を出した。「命を助けた? 救ってもらった?! 関係ねぇ!! あの女は俺の兄ちゃんを顎で扱っている! 指図している! 俺にはそれが許せねぇんだ!! 俺は、俺の兄ちゃんがコケにされるのが一番許せねぇ!」弟はもう涙声になっていた。「わかったわかった……。来い。こっちでゆっくり話そう」「グス……、呑もうぜ兄ちゃん。俺の兄ちゃんは最高なんだ……。あんな女になんか……」「おまえは酒が飲めないだろう。……酒臭いな。さては呑んだな」「少しだけ」「次からは果蜜酒にしておけ」「いつまでもガキ扱いするな!」


 ――足音が遠ざかっていく。ゆっくりと待つ。周りから気配が無くなっても私は動かなかった。それだけ【ルーヴァリアル家】の名は大きな存在だったと言えた。私はもとよりこの国の生まれではない。隣国から【治癒士】の教師としてこの国の王都に派遣され、そして引退を機にこの村の村長に抜擢されたのだ。

 ――王都で暮らしていれば、しかもの地位にいたのなら、聞きたくもない情報が入ってくる。内部に潜れば潜るほどだ。昔から【ルーヴァリアル家】は隣国とこの国とを繋ぐ大きな存在だった。血筋的にも政治的にも、何かあるたび【ルーヴァリアル家】が取り沙汰された。あの家が裏で糸を引いているだとか、あの家の意向を尊重しなければいけないだとか。黒い噂の絶えない家柄だった。

 ――それが今の王位継承問題に発展している。【ルーヴァリアル家】は、この国の4人いる王位継承者のひとりと深く繋がっていて、後ろ盾となっていた。

 ――話を聞く限り、【ルーヴァリアル家】と関わりのある人物が、奴ら盗賊団の【お頭】であるということだ。兄の方がお頭を『彼女』と読んでいた。弟の方も『女』と。ならば、あの黒髪の女が【ルーヴァリアル家】と関わりある人物であることは間違いない。まさか本家血筋の者では無いだろうが、子息の妾か、はたまたその娘である可能性もある。

 ――だが、それがなんだというのだ。彼らにこの村の住民を皆殺しにする権利でもあるというのか。ふざけるな。私は口の中の砂を吐き出しながら言った。そんなことあっていいものか。

 ――だが、実際それは起こってしまったのだ。もう、私以外、生存者はいないのかも知れない。そう思うと、急に虚無感に襲われた。これからどうしようか。……駄目だ。何も思いつかない。奴らはすぐにもここを立つ予定ではないようだ。今夜一晩……朝になるまではここで過ごすつもりなのだろう。ひょっとすると、まだ居座る気なのかも知れない。……今私に出来ることは何だろうか。ここでジッとしていることだろうか。いや違う。このことを伝えなければいけない。誰に? ……誰に? いやそれでもだ! それでも誰かに伝えなければいけない。

 ――私だけが知っているこの情報を、誰かに伝えなければいけない。ミサルダの町に……飛翔文を飛ばす。今それが出来るのは私だけだ。

 ――私はそろそろと動き出した。周りに誰もいない今なら動けるはずだ。広場から私の家までは決して遠くはない。だが、奴らが出てきた宿屋の正面なのだ。近づけば近づくほど見つかるリスクは大きくなる。

 ――ジャリッと軽い足音が聞こえてきた。私はすぐまた死体をふりをした。だが、その小さな人影は私のすぐそばを通り過ぎると、10メートルほど進み、そこで足音が止んだ。


 ――「母ちゃん……」


 ――その声に、私は瞬時にその人影がマチルダさんの息子のロッドであると気づいた。「……母ちゃん。ここにいたんだね。母ちゃん……、捜したよ、僕」ゆっくりと首をロッドの方に向ける。ロッドはマチルダさんの遺体の前に立ち、今にも泣き出しそうな顔をして、唇を引きつらせていた。

 ――私はギョッとして、小さくロッドに呼びかけた。「ロッド! 泣いてはいけない。早くここから離れなさい。盗賊どもに見つかる」ロッドは私の声に気づき、辺りを見渡した。そして私を見つけると、小走りで駆け寄ってきた。「静かに」私は牽制の声を呟いた。ロッドがそれを聞き、サッと身を縮ませた。

 ――私は素早く立ち上がると、ロッドの手を引き、私の家まで走った。正面のドアを避け、裏口に滑り込む。久しぶりに走ったので心臓がバクバクとなった。ただそれだけで倒れそうだった。「アルフレッド村長、大丈夫ですか」暗闇の中、ロッドが心配そうに声を掛けてくる。「大丈夫です。それよりもロッド、あなたは無事だったのですね」「はい。おばあちゃん達が僕を匿ってくれました」

 ――私は目を見開くと、闇の中ろくに見えないロッドの肩を手探りで触れた。「まだ、生きている方がいるのですか?」「はい。向かいの宿屋に、おばあちゃん達が3人います」「ああ。神よ感謝します」私は思わず神に感謝した。だが、私の手はロッドに振り払われた。「ロッド……?」「アルフレッド村長、神様がいたらこんなことになんかなっていません」それは、拒絶するような冷たい声だった。顔は見えないが、おそらくはすべての感情を我慢しているのだろう。私はそれ以上何も言わず、「とにかく、君が無事で良かった」ロッドを胸にかき抱いた。だが、ロッドはすぐに私の胸を押して身を離した。

 ――「ロッド?」私の呼びかけに、ロッドは意思のある声で応えた。「これからどうすればいいのですか、アルフレッド村長。僕は悔しくて悲しくて苛ついて、気がおかしくなりそうです」

 ――私はロッドを落ち着かせようと、彼に手を伸ばした――が、その手が彼に触れることはなかった。「ロッド……」私は目の前に突如として浮かび上がった2つの光に、手を止めたのだ。


 ――漆黒の闇の中、二つの獣のように光るまなこが私を見つめていた。


 ――「アルフレッド村長?」光る二つの眼が、私を見てまばたきをした。……そうだ。何を怖れたのか、この子はロッドだ。私は気を取り直すと聞いた。「ロッドは『暗視』を使えるのかい?」眼が……と言いかけてやめる。「いいえ。でも、暗くてもよく見えます」「そうかい」なら、それは生まれ持った特性ということだろうか。マチルダさん自身にそのような特徴を見たことはない。あの人はドワーフではあったが、目を光らせるのは【獣族】の特性だ。きっと、この子の父親が獣族なのだろうと思った。

 ――「ロッド、いいかい? 今この村にはおばあさん達を含め、村人は5人しか残っていない。そのうち、私たち二人だけがこの村の惨状をミサルダの町に伝えることが出来ます」「はい。でも、門が閉まっていて近くに見張りも二人立っています」「『飛翔文』を使います。生存者がいることをミサルダの兵士に伝えるのです。必ず助けが来ます。それまで頑張りましょう」「わかりました」「とりあえず、ペンと紙を探しましょう。私の書斎にあるはずです。……ロッド、すみませんが肩を貸してくれますか? 手探りでは物音を立ててしまいそうです」「あ、はい。アルフレッド村長、僕の両肩に手を置いてください」「助かります。まずはこの調理場から出ましょうか」

 ――私はロッドの肩に手を置くとそろそろと歩き出した。ロッドがドアに手を掛け、廊下に出る。普段は灯りのともっている廊下が、これほどまでに暗いものであったのかと私は息を呑んだ。そのまま進み、書斎のドアを開く。窓からの月明かりで書斎が照らされる。私の目も少しだけ闇に慣れたこともあり、私はロッドから離れると机に近づき、『飛翔文用の紙』を手にペンを取った。月明かり程度では手元が暗すぎてやはり書けそうにない。

 ――私はロッドを呼ぶと椅子に座らせた。代筆を頼むと、ロッドはペンを握った。「なんて書きますか?」「そうですね……」私は火急の手紙の書き出しをどうすればいいかと悩んでいると、ロッドが口を開いた。「アルフレッド村長は、あの場で何をしていたんですか?」

 ――私は返答に困ったが、正直に話すことにした。「破裂音と黒煙のことはロッドも知っていますね。私も何事かと広場に赴きました。そこには集められた村人達と、マチルダさんがいました」「…………」「マチルダさんは奴らが盗賊だと気づいていたようで、奴らの一人を人質にとった。私はそれに気づかず、マチルダさんが乱暴を働いたのだと思いました。盗賊達は爆弾を取りだし、村の人たちの中に投げ込んだ。マチルダさんは、それを止めようとして、奴らから気をそらした隙に攻撃を受け……殺されてしまった。私もそのあとすぐに盗賊に攻撃を受けました。右胸にね、ひどい傷でした。咄嗟に【治癒魔法】を使ったのだけど、どうやら途中で気絶してしまったようで、それでロッドが来る少し前に目を覚ましてね……。ロッド、君は?」ロッドは目を伏せると、グッとした唇を噛んだ。直感的に、この子はなにかを隠しているのだと思った。「……話してごらん。辛くないのなら。もしかしたら力になれるかも知れない。そうでなくとも、私たちは力を合わせてここを乗り切らないといけないのです」ロッドの手をグッと握る。ロッドは目に涙をためたまま私を見た。

――「僕が悪いんです。僕が母ちゃんの【指輪】を黙って持って行ったから」月の光を浴びてなお、仄かに灯るロッドの両目から、涙が零れた。流れる涙の理由わけも聞かずに、その涙を拭うことは出来ない。私は出来るだけ優しい声でロッドに聞いた。「【指輪】ってなんのことですか?」「母ちゃんの【指輪】です」「マチルダさんの……? だが、私の知る限りでは彼女は【指輪】をしていたことはないが……」少なくとも私の記憶には指輪を着けた彼女を見たことは無かった。

 ――「母ちゃんは、昔、とても強い【戦士】だったって聞いたことがありました」「それは誰から聞いたのですか?」「母ちゃんの昔の仲間がそう言っていました。一昨年の秋にうちに来たんです。母ちゃんに会いに」「そうだったのですか。気づかなかった。マチルダさんが【戦士】だったなんて……。いや、確かにすごい力持ちでしたからね。私はあれはきっとドワーフの特性なのだとばかり思っていました」

 ――マチルダさんが【戦士】。そういえば聞いたことがあった。彼女は10年前からこの村に住んでいると。長い間旅をしてきて、ようやく落ち着ける場所を見つけたと言っていたか。私も8年前からこの村の村長になり、彼女とは親しくさせてもらっていたが、よもや【戦士】であった過去があるとは思わなかった。

 ――「だから、僕も母ちゃんと同じ【戦士】になれるんじゃないかってずっと思ってて。だから……」「だから、いつも鉱山跡地で棒を振るっていたのか」「……はい。指輪を着けてたら、母ちゃんみたいに強くなれると思ってたんです。でも、僕、その指輪を……無くしたんです。探したんだけど、見つからなくて、一生懸命探したんだけど……うぅぅ……」ロッドはそのまま、大声で泣くことも許されぬまま、涙を流した。

 ――「僕が、昨日指輪を持ち出さなかったら、母ちゃんはきっと【戦士】になって、盗賊どもを――」「いいんだ。もう。君のせいじゃない」私はロッドを抱きしめ、泣かせてやった。「ごめんなさい」と、泣きじゃくるロッドの声が極力外に漏れぬよう、しっかりと抱きしめる。そして、そこでようやく私も涙を流すことが出来た。


 ――ドカンと、家の正面のドアが乱暴に開かれる音がした。ロッドと二人、顔を見合わせる。

 ――廊下に明かりが灯り、どが、どが、どが、と乱暴にブーツの音を響かせながら誰かが入ってきた。私たちは凍り付いたかのように動けずにいた。そして、かちゃり、と“隣の寝室”のドアが開く音がして、「まあまあだな。他の家に比べりゃ灯りが付くだけマシか」と、値踏みするような声が聞こえてきた。

 ――私はロッドに、窓から逃げるように促した。ロッドは震えながらも頷き、机の上に足をかけた――が、やはり動揺していたのだろう、こともあろうか机の上にあったペン立てを床に落としてしまった。月明かりに照らされ、ロッドの顔が真っ青になるのがわかった。「誰だ!! そこに居るのは!」隣の部屋から大声が聞こえた。

 ――「ア、アルフレッド村長。僕、僕……」私はロッドに近づくと、震えるその手を握った。その手に、飛翔文に届けさせるはずだった手紙を託した。これは私の……いや、この村の形見になるだろう。


 ――「あなたは、生きなさい」


 ――それは、心からの本心だった。君にすべてを託すと。私は、何か言おうとするロッドを「シィー」と静かにさせ、窓のカーテンを引き、彼の姿を隠した。月明かりが消え、その間にもこの部屋に近づいてくる盗賊の足音が大きくなった。私はドアが開かれるのと同時に、盗賊に体当たりをすると廊下を走った。背後に盗賊の倒れる音と激しい罵声を聞いた。


  ――私は家を飛び出すと無我夢中で走った。何人盗賊どもがいて、どこに潜んでいるのかもわからなかったが、とにかくここは地の利を生かして鉱山跡にでも逃げ込むつもりでいた。この村は外敵から身を守るため、高い塀で囲まれていて、今では出入り口が正門しか無かった。だが、ただ身を隠すだけなのなら、鉱山跡ほどうってつけの場所はない。村長として赴任した時、一度鉱山の中を見せてもらったことがあるのだ。鉱山までは道こそ無いが、行けないこともないのだ。

 ――私の年齢は59歳で、もう若くは無かった。だが、私にはこの【治癒士】としての疲労回復スキルがあった。私は自分に対して、その【治癒魔法】かけ続けながら走った。魔力は消費するだろうが、スタミナを気にせず、常にトップスピードを保ち続けられた。

 ――遠くで、「生き残りが一人逃げたぞ!!」と大声が上がった。ただ、どちらに逃げたかまではわからないはずだ。しらみつぶしに捜されるだろうが、よもや同じ場所にもう一人が隠れているとは思わないだろう。

 ――私は気配を感じて物陰に隠れた。誰かがそのそばを駆けていくのがわかった。私は胸をなで下ろし、そろそろと移動し始めた。

――私は【治癒士】だが、なにもこんな危険な目に遭うのは初めてではない。私にも冒・探索者時代があり、それなりの修羅場をくぐり抜けてきた。とはいっても、斬った張ったではなく、逃げた隠れたの方でだが。

 ――村の広場の方から何事かを叫ぶ声がした。仲間に私を捕らえようと呼びかけているに違いない。だが、私はもう村の端まで来ていた。あとはこの『鉱山跡地』と呼ばれている場所を抜ければ、あとは――

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