第52話 ロー・ランタンの闇語り【中編】★カニバリズム表現注意

「お給金がよかったのよね、このお屋敷のメイド。広いお屋敷で12人のメイドがいるの。私もそのひとりだったんだ」


「朝から晩までお掃除お掃除。メイド長が作るシフト表は、あれゼッタイ私情が入っていたわ。お屋敷は地上2階地下1階で2000平方メートルもあるのよ。もっと使用人の数を増やして欲しいわ……」


「だいたい厨房からゴミ捨て場まで遠いのがいけないのよ。そう思わない? 広いお屋敷の端から端なのよ。最短ルートのお屋敷の中は生ゴミを持って通るコトできないし、正面玄関も横切っちゃいけないのよ。結局裏道を通らなくちゃいけないんだけれど、8分かかるのよ、8分! 両手で重い生ゴミ持って8分! だから徒歩2分のここに魅力を感じちゃったわけ……。私のばかばか……」


「お屋敷に1人ね、素敵なお嬢様がいるの。すっごく頭がいいらしくて大旦那様が猫かわいがりしてたわ。ああ、私もいつかあんなご身分になりたいわ。でも、最近地下で何かの研究してるんだって。きっと発明だって、みんな騒いでた」


「そろそろ結婚しないと行き遅れよね? え、もう遅い? ほっといてよ!」


「私が長女でぇ……下に弟が3人もいるんだ……。私は学校の【検査】で漏れたんだけど、弟たちは3人とも【資質】があったみたいなの……。不思議よね……うちの家系、そういうのはいないはずなのよ……。一番下の弟は【治癒士】よ……。期待されてて……。治しに来てくれないかしら、この脚……。どのくらいで治ると思う? 私が空腹で倒れちゃう前に、治るかなぁ……」


「すぴー……すぴー……」


 ようやく寝たようだ。一体何を話していたのだろう。さっぱりわからなかった。

 さて、眠ろうかと目を閉じようとすると、ヒトが寄りかかってきた。甘い、なんとも言えない、甘い香りだ。

 お腹の中が、いやそのもう少し下の深奥がキリキリと痛む。空腹ではない、何か特別な感情が自分を支配しようとしている。それに抗うために槍を振るべきだろう。

 …………。

 だけど、ようやく静かになったこのヒトを再び起こすべきではない、そう思った。

眠ってしまおう。疲れを癒やし、また明日槍を振るのだ。

 目を閉じる。

 ヒトの寝息が聞こえる。懐かしい。家族の寝息とよく似ている。姉とは違う優しい響きだ。そばで聞いていても苦にならない。

 体温が温かい。肌が柔らかい。食べてしまいたい。

 お腹が痛い。キリキリ深奥が痛く、堅くなる。イライラする。深奥がイライラする。

 眠い。寝るべきだ。明日槍を振るために。

 …………。

 このヒトも、そのうちお腹が空いて死ぬのだろうか。

 死んだら食べていいよね。湧き上がってくる獰猛な衝動にお腹がキリキリと痛くなる。

 困った。

 気持ちよさそうに眠るこのヒトの寝顔が、憎らしく思えた。



「おはよう」

 目を覚ました自分に、そばにいたヒトが気づきそう言った。同じ言葉を繰り返すと、ヒトは目を輝かせ、手を叩いて喜んだ。朝から騒がしいヒトだ。


 起き上がって軽い柔軟。水を飲んで……ああ、そうだ。ヒトの着ている『剣士の服』を破いておかないと。槍を振っている時に声をかけられて中断というのは面倒だ。

 そう思い、ヒトの重ね着している『剣士の服』に手を伸ばそうとすると、拒まれた。

「今日はまだいいわ。食べてないのにもう出るものなんてないもの。おしっこだけ」

 どうやら今日はしないらしい。具合が悪いのだろうか。

 いつものように槍を振っていると、いつものようにヒトがエッチラオッチラ尻をまくり上げて小便をしていた。

 出るモノは出るらしい。よかった。


 昨日一昨日とあれだけ騒がしかったヒトも、今日は静かだった。

 よく眠るようになった。水を飲みに行っても、うっすらと目を開けて微笑んでくるばかりだ。お腹が空いているのだろう。だけど、昨日の今日で残飯が落ちてくるとは限らない。

 今まで連日で残飯が落ちてきたことはないのだ。せめて4~5日待たないと落ちてこないだろう。それよりも先に死体が落ちてきそうだ。そういえば、そろそろ死体が落ちてきてもいい頃だ。今日か明日辺り落ちてくるかも知れない。そうしたら右足か左足かぐらい選ばせてあげよう。真っ先に内蔵を食べ始めたらどうしようか。奪い合いになるかも知れない。

 姉によくおやつを横取りされていたことを思い出してため息を吐く。


「助けは……来ないかも知れない……。マルエルは……。ここのことを知られるのが嫌なのよ……。大旦那様の話を……立ち聞きして、ここのことを知ったって言ってた……。それがバレるのが嫌なのかも知れないわ……。それに……無断で生ゴミを捨てたことも……叱られるのを……あの子……そういう子だし……ああ……。愚痴ばっかり、でちゃう……」


 ぶつぶつと何か呟いていたかと思うと、短い嗚咽が聞こえてきた。また泣き出したようだ。そうしてしばらく泣いて、眠るのだ。

 自分にはどうすることも出来ない。そう思って、無心で槍を振る。


 ――ドシャ、と。前触れもなく死体が落ちてきた。振り返る。ドシャ、ともう一体。そういえば、いつもと違って初めから編み笠が外されてたんだっけ。

 今夜はごちそうだ。よかった。これで喧嘩しなくて済む。ヒトもこれで元気になるだろう。


 次の瞬間、フッと穴蔵の中が暗くなる。どうやら編み笠が、また“食べ物の穴”に被せられたようだ。明るさに慣れていたせいか、やはり暗く感じた。


「――ま、待って行かないで! 助けて! そこに居るんでしょ?! 私はアイーナ! ここのお屋敷で働いているメイドよ! 助けてくれたら何だってするわ! お願い! 私を助けて! ……お願い……無視しないで……こんな、どうして……」


 ヒトは必死で立ち上がろうとしていた。だけど、力が入らないらしい。立ち上がる余力もなくなってきたのだろうか。崩れ落ちて、また、シクシク泣き出してしまったようだ。

 だけど、今回は違う。死体が2体落ちてきた。そうだ。“死体が2体落ちてきた”のだ。しかも、あまり外傷のない死体だ。


 自分は泣いているヒトのそばまで行くと、肩をぽんぽん叩いた。ヒトが自分を見上げた。手を取り、肩を貸してどうにか立ち上がらせる。そして、死体のそばまでヒョコヒョコ歩かせた。死体を見せる。


「死んで、るの……? あの、どうして裸……死体……、殺され……」


 ガクガク震えだしたヒトを、自分の方に向き直らせる。


 自分は両手の指を一本ずつ立てて、ヒトに尋ねた。言葉が通じないので、仕方なく手振り身振りで問いかける。だが、ヒトにはこの暗さに慣れていないのか、まるで反応がない。

 仕方ないので思いっきりジャンプして、編み笠を【死霊の槍】ではじき飛ばす。再び光が先込んでくる。ズチャッと着地して、目を丸くしているヒトにもう一度尋ねてみた。


 ・この死体を食べて、ここでこのまま暮らすか?

 ・それとも、外に出たいのか?


「外に出られるの?」ヒトは上を指さして言った。自分はコクンと頷いてみせる。

 ヒトは「外に出たい!」と天を指さした。

 少しさみしいような気がしたが、これで明日から無心で槍が振れると思うと、少しやる気になった。手ぶり身振りで少し離れるように伝える。ヒトもそれがわかったのか、ヒョコヒョコと少し離れる。

 自分は槍を死体の心臓に突き刺した。ヒトが「ヒッ……!?」と息をのんだのがわかったが、無視してもう一体にも同じように心臓に槍を突き刺す。ヒトがこちらに何か非難めいたことを言っている気がする。

 そうして『クグツ』を作り上げて、【命令】で立たせた。ヒトが悲鳴を上げて尻餅をつく。何をするにも騒がしいヤツだ。自分はヒトに向けて「シィーッ!」とやってやる。ヒトが口を押さえて大人しくなった。自分は満足げに頷くと、【命令】を下した。

 高さはたった8メートルほどだ。

 一体のクグツがしゃがみ込み、もう一体がその肩に乗った。その肩に自分が乗る。立ち上がるように【命令】をすると、クグツ2体が膝を伸ばして立ち上がる。すると、自分はかなりの高さから見下ろすことが出来た。ひょいっと飛べば外に出られるほどだ。

 再び【命令】してクグツ2体をしゃがませる。尻餅をついたまま、あんぐり口をあげているヒトの所に降り立つ。

 手を差し出す。さあ、この手に掴まれ。今のを見ただろう。今度はアンタがこのの肩の上に乗って、この穴蔵から出るんだ。そう言ってやる。……よくわかっていなさそうなので、結局身振り手振りで説明してやることになった。

 それでようやく理解したのか、ヒトは差しだした手を両手で取り、時間をかけてゆっくり、だけど自分の力で立ち上がった。

 さあ、アンタは外を選んだんだ。出て行ってくれ。


 ……ヒトは脚が痛くて肩に乗れないようだった。仕方ないので肩車をしてあげた。届くんだろうか。不安になった。


 柔らかく、温かい太ももの感触が自分の両耳に触れた。あまりに美味しそうなので無意識に匂いを嗅いでいると、上から肘鉄を食らった。またギャーギャーと騒がれ、いやになる。

 極力匂いを嗅がないようにしながらクグツの肩に乗った。【命令】をすると、まずは一段目が立ち上がる。続いて二段目が立ち上がる。そして自分が立ち上がる。

 キャーキャー甲高い声を出して騒いでいたヒトだが、「ごめんなさい。……後2メートルが届かないの……」と言った。太ももの間から苦労して上を向くと、後2メートルほど手が届かないようだ。

 再度【命令】を下す。一段目に両手を上に伸ばさせて、二段目にその手の上に乗らせた。50cm程高くなる。そして自分が二段目の手の上に乗る。これで1メートルほど高くなったはずだ。


「うわっ、高っ!! 恐っ! ……うう、下見ない下見ない。……うーん、後1メートルほどで届きそうなのに……。ちょっとこの槍邪魔よ。なんで持ってるのよ」


 上を見ると、ヒトが自分の肩に立ち上がることが出来れば余裕で届く高さにまで到達していた。なのに、ヒトは脚を怪我しているせいか、これ以上動こうとしない。尻を押そうとすると、「きゃっ、ちょっと触らないでよエッチ!」などと反応するが、こちらの頭を叩くか、届かない場所に向けて手を伸ばし続けるばかりだ。ひょっとしてかなり頭が悪いヒトなんじゃないかと思う。

 しょうがないので、一度膝を曲げて力を込めると、「……ありがとう。やっぱり駄目だったね。あともう少し……ぐす、だったのに……えぐっ……」一気にそこから跳躍した。足下のクグツが崩れる音がした。だが、自分たちはなんとか穴蔵の外に飛び出すことが出来た。途中太ももが締まり、結構危なかった。


「うそ……。出られ……ちゃった……」そんなことを言うヒトを尻を掴んで肩車から外すと、地面に下ろした。

 太陽の光がまぶしい。まだ穴蔵の方が居心地が良さそうだ。死体も2体あるし、これからアレを独り占めできる。そんな気分でうきうきだった。

 しばらくだけど一緒にいたわけなので、とりあえずさよならの挨拶だけはしておこうと思い、ボーゼンと立ち尽くしているヒトの肩をトントンと叩いて振り向かせる。じゃあ、さよなら、と言って自分はぴょんと穴蔵に飛び降りた。最初に槍を地面に突き立てて衝撃を受けると、膝を上手に曲げて落下の衝撃を逃した。2体のクグツはもう起き上がっていて、ジッとこちらを見ながら【命令】を待っていた。

 さて、どいつから食べようかな……。舌なめずりでクグツに歩み寄る。


 ――ああ、そういえば【剣士の指輪】の実験しなきゃと、指輪と剣を探…………。

 うぉい! あのヒトの怪我した脚に巻き付けた剣と剣士の服の中に入れておいた【剣士の指輪】を回収し忘れた!!!

 自分は大慌てでヒトに呼びかけた。脚に巻き付けた剣と服のポケットに入っている指輪を返してくれと。さっきはアンタを外に出すために外に出たけれど、本当は自分の意思で出たら駄目って買い主に【命令】されているんだ。だから、剣と指輪返して!

 その声が聞こえたのか、“食べ物の穴”からヒトがひょっこり顔を出した。


「ありがとう! 本当にありがとう!! 優しい魔族さん、私、あなたのこと忘れないわ!! 私……ありがと、うぅ……!!」


 最後の方は涙声になっていた。

 何を言っているのかさっぱりわからなかったが、いくらこっちが身振り手振りで剣と指輪を返してくれと何度訴えても、うんうんと頷きながら、ヒトは涙を流すのみだ。アンタ全然わかってないだろう。こらー! 恩知らず-!! ドロボー! 憤慨する。

 ヒトがバイバイと手を振りどこかに行ってしまった。しまった。槍を投げて射落とすタイミングがずれた! 振りかぶって構えた槍が目標を失い踏鞴たたらを踏んでしまう。

 ……まんまと逃げられた。自分は愕然としてしまい、ヒトのあまりの身勝手で、理解力の無さに思わず【死霊の槍】から手を放してしまった。カラン、と穴蔵に乾いた音が響き渡った。

 脱力感に両手両膝をつく。その自分の姿を2体のクグツがジッと見つめていた。



 そのあとはもう、やけ食いだった。

 腕を食べては文句を言い、脚を食べては悪口を言い、はらわたをすすっては罵声を飛ばした。こんなに腹が立ったのは久しぶりだ。あのヒトの顔を思い出すと、無性に気が逆立ち、あの匂いと柔らかさを思い出しては、地面をゲシゲシと殴った。

 やっぱり食べてしまえばよかった。なぁ、おまえもそう思うよな!

 ゆらゆら揺れながらこっちを見下ろしてくるクグツが聞き役だった。

 食べても食べても腹の虫が治まらない。結局、その聞き役すらも手を着けた。もう頭からバリバリいっちゃう。うきー。今度会ったらゼッタイ食べてやる。【命令】なんかかまうもんか。次に会ったらゼッタイゼッタイぜーったい食べてやる。

 あのヒトの微笑んでくる顔を想像しながらガツガツと腹を満たしていく。深奥がうずいたが、このイライラを満たしてくれる存在はここにはいなかった。


 まるまる2体をやけ食いしたのは初めてだった。ポンポコリンになったお腹をさすりながら寝転がる。これじゃしばらく動けそうもなかった。

 天井には編み笠が外され、青い空が見えていた。ぼんやり見ていると眠たくなってきた。まあ、今日ぐらいはいいか。眠ろう。寝て忘れよう。

 食欲が満たされ、深い眠りへと落ちていく。深い深い闇へ落ちていく。

 どれくらい経っただろう。ぽつり、と何かが頬に当たった。水滴……? 目を覚ます。違う。雨だ。本来は編み笠があったおかげで直接この穴蔵に降ってくることはなかったけど、編み笠のない今では、雨をしのぐ方法がない。さりとてジャンプしても届く距離ではない。

 しばらくそのまま口を開けて雨水を飲む。すっかり夜になり、雨はだんだんと強くなってきた。困った。地面が濡れてびしょびしょになってしまう。

 そろそろ槍を振りたくなった。壁に向かう。ピカッと雷が鳴った。穴蔵の中にも一瞬稲光が差し込まれ、家族の絵が浮かび上がった。

 ……少しだけ手を加えたくなった。記憶が鮮明であるうちに。

 槍に力を込めると、自分は力強く槍を振るった。


 大雨は三日三晩降り続いた。

 雷が始終ピカピカと鳴り、絵の出来を確かめるいい光源になっていた。


 雨が上がり、日が差し込んでくる。絵も完成したので、満足して眠っていると、“食べ物の穴”から自分を呼ぶような声が聞こえてきた。

 どうやらあのヒトの声のようだった。飛び起きて穴の真下まで来ると、スルスルと荒縄に巻き付けられた何かが降りてきた。


「久しぶりー。元気してた? 大雨すごかったけど大丈夫だった?」

 ヒトが何かを言っている。よくわからなかったが、耳慣れたいつもの声だった。


「それは、私が厨房を借りて作ったの。ちょっとした自信作なんだから。この間のお礼ってところね。いい? これで貸し借りナシなんだからね」

 ヒトが何かを言っている。それよりもなかなかいい匂いだ。いつもの残飯ではなく、温かそうな料理だった。「食べていいわよ」その言葉を無視して食べ始める。上からクスクスと笑い声が聞こえてくる。

 温かくて、集落以来久しぶりにちゃんとした食べ物だった。食べ終わって上を見上げる。これっぽっち? おかわりは?


「おいしかった? また持ってきてあげるわね」スルスルと荒縄が引かれ、皿が持ち上がっていく。これを引っ張ればヒトおかわりが落ちてくるだろうと思いながらも、それを見送った。


「……あのあと大変だったんだー。結局……やっぱり、マルエルは誰にも話してなくて、私を見て青ざめていたわ。メイド長には何日もどこに行っていたのか尋ねられたから、『脚を怪我して動けなかった』って言ったら、すぐに治癒士を呼んでくれて治してもらったの。大事を取って休ませてもらったし、もうすっかり元気に戻ったわ」


 何を言っているかわからないが、話すヒトの顔はふっくらと血色がよくなって、美味しそうに戻っていた。

 と、それよりも身振り手振りで剣と指輪を返してもらうよう要求する。


「? ああ、そうそう。これを返さないといけないって持ってきたの。大事なものだったみたいで悪かったわね。ひょっとしてお父さんの形見だったりした? 借りた服に指輪が入っていて、返さなきゃって思っていたの。遅れてごめんなさいね」

 またスルスルと荒縄が降りてくる。先端には剣と服とがくくりつけられ、服のポケットには指輪が入っていた。よかった。これでまた【剣士】と戦える……。


 ほっとして上を見上げる。ヒトもニコニコしながら自分を見下ろしていた。

 またスルスルと荒縄が上に引き上げられていく。


「今日はここまでね。また明日何か持ってくるわ。そろそろお昼休憩が終わっちゃうの。しばらくお仕事を休んでいたから、名誉挽回しなくちゃ。じゃあ、またね」

 バイバイ、と手を振って“食べ物の穴”から人の姿が消える。仄かなヒトの匂いを残して。

 剣と服と指輪を壁の方まで運んだ。服からはヒトの匂いの他に石けんの匂いがした。洗濯してくれたようだ。久しぶりの匂いだった。今度いつ集落に帰れるかわからないけれど、帰ったら新しい服を出してしてもらおうと思った。

 軽い柔軟を終えると、いつものように元気よく槍を振り始めた。


 そんな日が何日か続いた。おかげで空腹からも解放されて、槍の腕は冴え渡っていった。ひょっとすると、次こそは【剣士】に勝てるんじゃないかという自信が芽生えていた。

 【剣士】に適応する死体が降ってこないかと心待ちにし、それ以上に美味しい料理が降りてくるのを心待ちにしていた。


 ある日、スルスルと降りてきた料理に舌鼓を打っていると、いつものようにヒトがぺらぺらと話し始めていた。ほんの少しだが、聞き取れるようにはなってきていたが、相変わらず話している内容までは理解できなかった。


「――それでね、昨日マルエルと話し合ったんだ。ようやくね。あの子ずっと私を避けていたから、なかなか2人で話し合う機会がなかったんだ。で、話し合って、あなたのことは……というか、ここのことは2人だけの秘密ってコトになったの。あなただってその方がいいでしょ?」

 味付けはもっと薄い方がいいな、と要望を出してみる。


「そうね。マルエルはもうここには近づかないって言ってたわ。だから、ここに来るのは私だけなの。まあ、ここって結構穴場……っていうか、鬱蒼うっそうとしてるっていうか、とにかく見つからないと思うのよ。とくに、お昼休みの時間帯はね。みんな昼寝したり、おしゃべりに夢中だから」

 出来ればもっと味より量を増やしてもらえるとうれしい。器に盛らないでもいいから毎日バケツいっぱい食べたい。残飯でも何でもいいよ。


「……そういえば、あのとき落ちてきた2人の裸の男の人も外に出たの? なんか冒険者の入れ墨をしていたから、最初はギルドの人かと思っちゃった。着地が失敗してたし。……暗かったから死んでるのかとも思ったけど、まさかそんなことないわよね?」

 そんなことより、絵を見に降りてこない? 新しい絵が描けたんだ。荒縄を伝って降りてくれば、またすぐに上れるはずだろ? 安心して、食べたりしないよ。たぶん。じゅるる。おっと失礼。


「ねえ、明日は久しぶりのオフなの。だから明日は持ってこられないのよ。だからって明後日その分持って来いなんて駄目よ。あんまり持ってこられないの。だってこれ、私のお昼ご飯なんだから――えっ?! 誰?」


 ヒトは誰かに気づき、面を上げた。ひょっとしたら死体を持ってきてくれる誰かと鉢合わせになったのかも知れない。困ったな。もしそうで、先客がいるからって死体を持って帰られたら大損だ。とにかくヒトにはとっとと帰ってもらわないと。

 とりあえず大声で、死体を運ぶ連中の邪魔だけはしないように伝えた。


 すると、ふっと一瞬光が遮られ、死体が降ってきた。

 あーよかった。今度はちゃんと伝わったみたいだった。ボクのヒト言語もなかなか上手なのかも知れない。たしかバイリンガルとか聞いた気がする。

 死体をナイスキャッチする。服を着ている。ひょっとするとまた戦えるヤツなのかも知れない。ほくほくしながら死体の顔を――――、ヒトだった。


「う、う、う、痛い……マルエル……なんで……」


 落ちてきたのは、見間違うはずもなく食事を運んできてくれていたヒトだった。ヒトはまた苦しそうに呻き、口からごぼっと血を吐き出した。ヒトを抱く左手が生暖かく濡れていた。見ると血が大量に付いていた。思わずぺろりとなめる。うまし!

 ただ、そこに硬質感があった。見ると、深々と包丁が突き刺さっていた。よくわからないけれど、自分がご飯が足りないと言ったせいで、「私がご飯よ。食・べ・て」と落ちてきてくれたのかも知れない。なんて殊勝な心がけだろうか。では、お言葉に甘えて、いただきまーす。


 口を大きく開けたところで、またフッと影が差し、荒縄が降ってきた。見上げると、ヒトによく似たヒトが自分を見下ろしていた。


「ばいばい。アイーナ。そのバケモノに骨まで食べてもらってね」


 小さく手を振る上のヒト。どうやら上のヒトが下のヒトを包丁で刺して“食べ物の穴”に落としたらしい。

 編み笠が被せられる。辺りが暗くなった。仄暗い闇の中で、腕に抱いているヒトが痛みに呻き、泣き出してしまった。

 どうやら、自ら進んで“食べ物の穴”から落ちたわけではなさそうだ。これじゃ食べるわけにもいかない。でも、この大量の出血では、もうじき死んでしまうだろう。


「あ、は。……また戻ってきちゃった……。ここ。もう、二度と来たくなかったのに……」

 ヒトの体は痛みに強張り、息を荒くしている。もうあまり時間がなさそうだ。


「マルエル……。昨日あんなに、話し合ったのに。結局、あの子。……自分勝手……」

 またごぼっと血を吐いた。たぶん、刃が内蔵にまで達しているのだろう。


「ごぼっ、ごぼっ、こぼっ」せり上がってくる血に気管が詰まり、溺れそうだ。

 自分はその唇に口を寄せると、じゅるるる、と喉に詰まっていた血液を吸い取った。うまし! あーうまし!

 ぺろんと舌なめずりして余韻を堪能していると、軽く頬を叩かれた。


「ファーストキス、泥棒。初めてが魔族なんて……もう……」

 別段怒っているようにも見えなかった。なのになぜ叩かれたのだろう。よくわからない。

 ああ、そうだ。せっかくここに来たのだから、見せたいものがあったんだ。だけど、暗いと見せられない。ちょっと待ってて。

 ヒトを慎重に地面に寝かせた。仰向けに寝かせるとまた血で溺れるかもしれないので横向きに寝かせる。そして、せーので跳躍して光を遮っている編み笠を死霊の槍で吹き飛ばした。

 ぱぁっと穴蔵に光が差し込んでくる。さあ、これで見えるはずだ。

 突き刺さっている包丁には触れないようにヒトの体を起こしてやる。白いエプロンの半分ぐらいが赤く血に染まっていた。

 ヒトの目が自分の描いた壁画を見て微笑むのがわかった。


「……あは、あれ、私よね……、私を描いてくれたんだ。……ありがとう。上手よ……」

 震える声。ごほっごほっと血を吐いた。顔を歪めている。痛いのかも知れない。体を支えている手に、ヒトが手を重ねてきた。


「怖いわ。……死ぬのが怖いの。そのままちゃんと抱いていてね。なんだか――」


 …………。死んだ。鼓動が止まってる。もう話さない。動かない。

 唇の血をべろんとなめる。もう叩かれない。べろべろべろと舐めまくる。口の周りが綺麗になる。

 顔を舐める。目元の涙も舐める。腹部から包丁を引き抜く。たくさん付いている血をきれいに舐める。地面に口をつけて乾いていない血を舐める。ヒトの腹部の傷口を舐める。きれいに舐める。…………綺麗になる。


 ヒトの心臓に【死霊の槍】を突き刺した。


 食べるのはいつでも出来る。そのとき初めて、自分は意思を持って『クグツ』を作った。

 しなければいけないことが出来たからだ。これから行うことは、自分の望みではない。ヒトの――彼女の復讐けんかだ。


 『命令』で彼女クグツが立ち上がる。瞳が赤々と燃え、やる気に満ちあふれていた。

 さあ行こう。そして一緒に伝えてやるのだ。“食べ物の恨みは恐ろしい”ぞって。


 “食べ物の穴”までの高さは8m。思いっきり跳躍しても、せいぜい槍の先で編み笠を吹き飛ばせる程度だ。うまく飛び出すにはもう1人クグツが欲しかったが、今回はアレがあった。

 荒縄だ。槍の中央に荒縄を巻き付けると、穴に向かって槍を投げた。一発でうまく引っかかる。あとは荒縄を伝って穴から出るだけだった。スルスルと上る。集落では木登りが主な遊びのひとつだったから簡単だった。

 外に出て太陽の下、大きく深呼吸して伸びをする。穴蔵のクグツに上ってこいと『命令』する。

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