第49話 虎穴に入らずんば虎児を得ず
俺の考案した料理のほぼすべてが“居酒屋料理”だった。
荒くれの酒呑み共には結構好評らしい。忙しいので、まだ一度しか給仕を担当していなかったが、みんなからはかなりお褒めの言葉を頂いた。ロー公がなぜか自分のことのように喜んでいた。
ちなみに、この村にもかなりの量のお酒が保存されていた。果蜜酒もあったし、他にも蒸留酒や芋焼酎も樽で保存されていた。ただ、貯蔵庫ではなく、長老の家の予冷庫に入っていたのが驚きだった。たぶん村祭りの時にでも振る舞ったのだろう。貯蔵庫に入れておくと飲まれる可能性があるからな。
あと、盗賊どもはお頭の考案した独自のルールでお酒を呑んでいるようだったが、それでも見張りとの交代時にはシャッキッとして行動するのがおかしかった。
ポテトチップスにポップコーン、塩ゆでした枝豆を前菜に、チーズ入りコロッケ、フライドポテト。クリームシチュー。そして定番の唐揚げ。
さらには山盛りのサイコロステーキとハンバーグの山をメインディッシュとして投下すると、さすがに油と肉づくしで満腹になってきたのか、今度は「もっとさっぱりしたものが食べたい」「酸っぱいものが食べたい」とリクエストしてきた。
もう一度枝豆を茹でて、もやしと一緒にサラダ風の和え物にする。
大根の面取りサラダとか、たくわんにカブの酢漬けとか、酸っぱい物も出してみる。
お頭にも同じ物を小鉢に盛り、ロー公に運ばせた。さすがにあの階段は鉄手錠をつけたまま料理を持って上がるのは危険で、なおかつローゼン配膳では意味がわからない。
ロー公に頼むと喜び勇んで持って行き、「うるさいっテ……」と肩を落としてすごすご帰ってきた。
現在はロー公とアドニスにはそれぞれ宿屋の調理場の方でデザートの皮むきと、プリン種を作らせている。アドニスの方が手際がいいので、終われば呼びに来るだろうか。
そしてたった今、ハルドライドが夕飯一人分を小鉢に分けて作ってくれと、赤い顔でわざわざ厨房まで言いに来ていた。ゲップがアルコールとニンニク臭い。
俺は味見くらいで、まだまともに夕食を食べていなかったので、そういう臭いには敏感だった。
おおよそ誰に持って行くか想像はついていたので、小皿に盛り付けつつ、軽く料理に仕込みを入れた。気づいたところで気休めだろうが、ハルドライドのこの入れ込みようから、案外アンジェリカも性奴隷として連れて行かれ、殺されずに済むんじゃないかと思っていた。
――その一言を聞くまでは。
「ヒック。ああ、あんまり香辛料はかけなくてもいいぞ。口ん中切れてザクロみたいになってるんだ。血の味しかしねぇよ。どうせ堅い物なんて食えるほど歯も残っていないだろうしな。ヒック、それに明日の朝には“バイバイちゃん”だろうし」
「…………ぇ? ぁ?」
「すげー臭ぇし、汚ねーのなんの。今朝方ルーザーが無茶やりやがってから、反応薄いしよぉ……」
そして、平常心スキルの効いた俺に対して、こう言った。
「そろそろ、あのブスにも飽きてきたしな――」
少しだけ殺意が湧いた。
堅く棘のような殺意が俺のどこかで突起する。
俺は顔中にしわを寄せて笑顔を作ると、平常心スキルを心の中で撫でた。
「じゃあ、クリームシチューと果蜜酒だけでいいかもしれませんね。今用意します。ちょっとだけ待っててください」
「おうよ。ちゃっちゃと頼むぜ、ちゃっちゃと」
またハルドライドがゲップをする。自業自得だが、料理に入れすぎたニンニクがかなり臭ってきて、気分が悪くなりそうだ。ああ、吐きそうだ。
「……でも、ハルドライド先輩も優しいですよね。捕虜に食事まで持って行ってあげるなんて」
「まーな。ヒック。優しさはイケてる男の身だしなみってやつ? トーダっち。俺を見習って勉強しとけよー? 女は一期一会! 一発入魂! 頬を叩くな、ケツ叩け! なぁ、トーダっち、呑もうぜ!」
「あ、はい。今、デザートを作っていますからそれが終わったらみんなの所に顔を出そうかと思ってます。あーでもいいなー……死体でもいいから女抱きたいなー……」
そう言うと、ハルドライトの目がキラーンと怪しく光った。
馴れ馴れしく俺に腕を回して、ニンニク臭い息を吐きかけてくる。
「ナニナニ? トーダっちってもしかしてドーテーなの? どーてー。その年でドーテーなのぉ?」
「べべべ、別にそういうわけじゃないですけど、俺はその、別にいいじゃないですか!?」
「あーはーはー。トーダっちその歳でまだ童貞なんだー。ダッセー。あーはーはー。ヒック」
…………いらつくな。
「違いますって、ちょっとそんなに絡まないでください。俺今足枷着けているんですからバランス悪いんですよ。倒れたらひとりで起き上がれないんです! ……はい、クリームシチューと果蜜酒です。早く彼女に持って行ってあげてください。きっと惚れ直しますよ。『きゃー、ハルドライドさんまた来てくれたの? 素敵ー。もうサービスしちゃうー』みたいな」
「ばっか。俺たちもうそういうの……ヒック、とっくにやったの! ウィィ。お水ちょうだい。いいやこれ飲む……」
盆の上に乗せたばかりの果蜜酒をグビグビ飲み干してしまうハルドライド。
「ちょっ、それ入れたばかりの果蜜酒……!」
「いいの。いいの。どーせ、食わねぇし、イヒヒ。たっぷり俺ので栄養ついてるだろうしよ! がははははっ!」
ナニがおかしいのかこの酔っ払いは。……ああ、頭か。
「トーダっちは
かかった。
「……それはうれしいですけど、俺はかなりの
外で待たれていると会話を聞かれる心配があるし、せっかく治療してもすぐまた壊される可能性もある。……それに、【召喚士の指輪】を手に入れるのが先だ……。
「おう! おうおうおう! いいぞー、殊勝な心がけ、ヒック。俺そういうの大~~好き! 好き好きトーダっち、うっふん!」
俺に寄りかかってくるハルドライド。臭っ。さすがに支えきれなくなって俺たちは調理場の床に
「何事だ……? トーダ、そこにいるのか?」
物音に気づいてアーガスがやってきた。
「痛てて。アーガスさん、すみません、足枷のせいで転んでしまいました。ハルドライド先輩、大丈夫ですか?」
「うう~ん。トーダっちの肌ってすべすべだ~。おっぱいもみもみ」
「ひぃぃぃぃ! ハルドライト先輩! ちょっと俺は男ですよ! 正気に戻ってください!!」
かなり具体的に乳首と胸をもみほぐしてくるハルドライドから逃げようと、俺は体を捩るが、なんのつもりか足錠の間に太ももをねじり込んでくるハルドライド。
「よく見たら、今のアンジェリカよりトーダの方が可愛いかも……チューしようぜ、チュー」
「なに考えているんですか!? やめてください。酒が抜けたとき絶望して後悔の涙を流すことになりますよ! ちょ、アーガスさんも見てないで止めてください! なに渋い顔して見ているんですか!?! どこいくんです? 助けてくれないんですか?? アーガスさん!? アーガスさぁぁぁぁん??! ひぃぃ、ハルドライドさん、どこ触って……や、やぁぁぁぁぁあああ!!!!」
その後、どこまで本気だったのか、ズボンのベルトをカチャカチャし出したハルドライトの前にアドニスが音もなくヌッと現れ、事なきを得た。
危うく、新世界エレクザードで新世界体験をしてしまうところだった。事後、たばこを吹かすハルドライドの後で親指を噛んで涙を流すところだ。危ない危ない。明日はどっちだ……。まったく。
ハルドライドがお盆を手に鼻歌交じりの千鳥足で出て行くのを見て、俺はアドニスに“尾行”を命令した。
アドニスが出て行くのと入れ替えに、ロー公が帰ってきた。デザートの準備が出来たらしい。
今度はロー公におんぶで宿屋の調理場まで運んでもらう。はいしどうどう、ここで止まれ。
「じゃ、ささっと作ってしまいますか」
俺はあらかじめ型枠に入れて置いたカラメルソースの上にプリン種を流し込むと、冷やすため貯蔵庫の奥の方に持って行くようにロー公に頼んだ。
あとは、予冷庫に入れてほどよく冷えたヨーグルトにフルーツを放り込んでぐるぐるとかき回す。お頭用に小鉢に盛ると、残りは後でロー公かアドニスに持って行ってもらおう。
そこまで用意して、俺はようやく小さなため息を吐いた。
「……まさか、アンジェリカが危機的状況だったとは思わなかった」
俺もついさっきまで人生最大の危機だったのだが、それはさておき。
どうも本気で陵辱の限りを尽くされたっぽいことを言っていたな。盗賊どもはお頭を除いた全員が男だ。しかも、先日まで人数は20人を超えていた。盗賊の平均年齢が30前半であるとみても、ひとり1~2回ってところか……。ハルドライドだけは7~8回ほどしてそうだが。女性はそんなに保つものなんだろうか。
いや、指輪を外された以上、アンジェリカもただの女だ。しかも、ハルドライドが“ブス”と言う言葉を使った以上、以前のきれいな容姿ではなくなっただろうと推測する。
抵抗して殴られ……一体どれだけ強く殴られたら、たくさんの歯が折れるのだろう。殴られすぎて、眼底出血や顎の骨を砕かれてなきゃいいけど。
「クルルルル………」
聞き覚えのある独特な鳴き声に、俺は目を見開くと顔を上げた。
声の出所を探ると、調理場の窓にダダジムの姿があった。あまりの感動に声を上げそうになる。だが、ここは宿屋の調理場だ。いつドアを開けて盗賊が顔を出すかも知れないし、ロー公ももうすぐ帰ってくるだろう。
本当は俺がそっちに回れば良かったのだが、足枷を外すことは出来ても自分で着けることは出来ない。自由になることは簡単に出来るけれど、少しばかりリスクが大きいのだ。
「誰にも見つからないように、入ってくることが出来るか?」
「クルルルル………」
俺はぴょんぴょんと飛び跳ねて移動すると、宿屋側に続くドアを開け、誰もいないのをチェックする。
勝手口からダダジムが入ってきた。
だが、感動の再会とはならなかった。入ってきたのはダダジムが1体だけだった。しかも全身傷だらけで、立っているのがやっとといった状態だった。
俺は再び、ぴょんぴょんと飛び跳ねててダダジムに近づく。話は後だ、素早くダダジムの体に左手を乗せた。
『修復可能な負傷箇所に接続しました。【魄】の“転用”を開始しますか? はい/いいえ』
どうやら召喚獣にも“転用”が使えるようだ。まあ、メリセーヌの『瀕死体験』までできたのだ、回復ぐらい当たり前か。俺は『はい』を選択する。
『負傷以前の状態まで戻すのに 11% の【魄】が必要です。実行しますか? 217/11 はい/いいえ』
11%とはだいぶ重傷だ。目に見える傷だけではなく、内臓の損傷もあるのかも知れない。なんせ精霊使いとガチで戦ったのだ。
「少し痛むけど、我慢しろよ。絶対声を出すな。必ず治してやる」
「クルルルル………」
息も絶え絶えのダダジムだったが、口元に手を添えると小さくそう鳴いた。
俺は『はい』を選択する。心臓から左手に魔力が流れ込むのを感じる。
「グッ……!?」
押し殺したような悲鳴を小さく上げて、ダダジムが体を強張らせながら細かに震える。痛みに耐えているのだ。俺はその背を撫でながら「大丈夫大丈夫」と繰り返した。
「クルルルル………」
次の瞬間、ダダジムの目に力が戻り、バッと跳ね起きた。――そして、食器棚の下に滑り込んでいく。俺は「??!」となったが、そこにロー公が意気揚々とやってきた。
「トーダー! みんなが早くデザートもってこいっテ! ん? …………くんくん。くんくん。ん~~。なんか動物の臭いがするよ……くんくん。トーダが獲ってきたの? お肉を捌くんなら、ボクがやるヨ! まかせて!」
近くにあった包丁を手に取ると、ぶんぶん振り回すロー公。
……恐ろしい嗅覚だ。動体視力だけではなく、嗅覚、たぶん五感すべてが規格外だってことだろうか。ケイトもザイルさんも獣族の五感が優れていたけど、魔族であるロー公も同レベルなんだろうか。
「ああ。さっきまでここに、“ミサルダの町の知り合いのペット”が遊びに来ていたんだ。黒いのが5匹くらいいるけど、知り合いのペットだから間違っても殺さないように気をつけてね」
「フ~ン。わかっタ! トーダの知り合いのペットだもんネ! ボク、臭いを覚えたから勝手に獲って食べたりしないヨ!」
「…………。ここまで会いに来るのにだいぶ疲れてたみたいで、まだ5匹全部と会えてないんだ。弱ってて道に倒れているのを見つけたら拾ってきてもらえるかな? 俺の名前を出せば、ひょっとすると大人しくなるかも知れないし」
「ウン! 見つけたら連れてくるネ!」
ロー公は元気よく返事をする。これでよし。下手に嘘をつかない方がいいよな。
「じゃあ、このデザート運んでもらえるかな? 戻ってきたらアドニス呼んで一緒に夕ご飯食べよう。ちゃんと手を洗ってきてね」
「ウン! じゃあ、行ってくるネ!」
ロー公はそう言うと、デザートを抱えて勝手口から飛び出そうとする。それを俺は止めた。
「あ、待った。この足枷、外すから手の方に着け直してくれるかな?」
「ウン! イイヨ!」
足枷を外すと、ロー公に鉄手錠を着けてもらう。さあ、これでいろいろ動き回れる。
ロー公が改めて勝手口から出て行った。俺は宿屋側のドアを開いて確認すると、小声で呟く。
「……いいぞ。出てこい」
「クルルルル………」
食器棚の隙間から這い出てきたダダジムが、俺の前まで来ると手をついて頭を床に着けた。そしてもう一度、「クルルルル………」と鳴いた。
「なにがあった? ……いや、おまえひとりか? 残りの連中は?」
「クルルルル………」
埒があかない。俺はダダジムに“はい”なら右手あげて、“いいえ”ならしっぽふりふりを命ずると再び質問をした。
「おまえ以外のダダジムも大けがをしていて、おまえが代表でやってきた」
ハーイと手を上げるダダジム。ザイルさんと別れた最後の休憩所とこの村との直線距離はおよそ5~6kmほど。今まで掛かってやってきたのだろうか。
「他の連中は自力で歩けないほどの大けがをしている」
ハーイと手を上げるダダジム。やはりトランシーバーで聞いた、落ちてた黒い後ろ足とはダダジムの切断された足のことか。
「残りの連中は村の外にいて、俺が来るのを待っている」
しっぽふりふり。俺は少しホッとする。
「じゃあ、この村の中にいるんだな? アンジェリカにはもう会ったか?」
ハーイの後、しっぽふりふり。まずは俺に会いに来た訳か。ふむふむ。
「よし、残りの連中も同じように治してやる。一体ずつおまえが連れてくるか? それとも俺が出向いた方が早いか?」
「クルルルル………」
あっと、質問が重複したか。
「他の連中はここから近いのか?」
ハーイと手を上げるダダジム。なら、危険を冒してまでここに連れてくるより、俺が出向いた方が早い。料理もだいたい出し尽くした感じだから、しばらくは外を出歩いていても大丈夫だろう。
「わかった。俺が治療しに行ってやる。ただ、まだやることが残っている。……待てるか? 残りの連中は」
しっぽふりふ……ハーイと力なく手が上がる。こっちも急がないとまずそうだ。
だが、今からすることは俺にしか出来ない。すなわち、情報集めだ。
「ここの向かいの家の調理場に隠れていろ。俺が入ってきたからと言ってすぐに顔を見せるな。『出てこい』の合図はテーブルをノック2回する。それ以外は動かずにいろ。わかったな」
「クルルルル………」
ダダジムは元気よく鳴くと、勝手口から出て行こうとする。俺はロー公の時と同じように呼び止めた。
「もしもスキンヘッドの男に捕まったら、抵抗はするな。でも、出来るだけ捕まらないようにしろ」
「クルルルル………」
ダダジムが出て行った勝手口を見つめ、俺はよしっと気合いを入れた。
テーブルの上にあるデザートの小鉢と果蜜酒をコップに注ぎ、盆にのせると、俺はお頭のいる二階へと上がってみることにした。
虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。
俺は平常心スキル他すべての有効スキルがオンになっていることを確認して、階段を上った。上りきったところでそれなりに大きな声を出した。
「トーダです。締めのデザートをお持ちしました! お頭、ノックもドアノブもこの小憎たらしい鉄手錠のせいで操作できません。お手数ですが、鉄手錠を外すか、ドアを開けてもらえませんか?」
ドアの隙間から灯りが漏れているので、不在と言うことはないだろう。
しばらく待っていると、カチャッと音がしてドアが開き、アーガスが顔を見せた。どうやら二人で密会していたらしい。怪しい。着衣の乱れがないか要チェックや!
「トーダか、入れ」
「わかりました。アドニスもロー公先輩も作業中で、俺の手が空いてたので持ってきました」
そう言い置いてドアをくぐる。
料理は残さずきれいに食べたらしく、ドアの近くに重ねられていた。ふむ。満足じゃ。
今はテーブルの上には書類の山が散乱していた。どこにあったのか、棚の中にも床にも書類が山のように置かれてあった。アーガスも片手に一枚の書類を持っていた。
俺は【鑑識】【鑑識】と胸中呟きながら、わざとらしく周囲を見渡した。
「テーブルには置けませんね。棚にでも置きますか? それとも後でロー公先輩にもう一度運ばせましょうか?」
「……いい。ここに持って来い」
お頭が書類に目を通しながら呟く。俺はお頭の視線が下を向いていることを幸いと、あちこち【鑑識】して回る。アーガスにはきょろきょろと書類の山を見て回る様子に見えたはずだ。
「フルーツ入りヨーグルトと、果蜜酒です。どちらも冷たいうちにどうぞ」
「…………」
無視かよ、と思ったが、お頭は書類に目を落としたまま、この世界の文字を指でなぞりながら読んでいた。小さく唇が動いている。かなり集中しているようだったので、早々に退散することにしようか。
一応、見たかったものは見られたわけだから、これで十分だ。後はアレをナニして……。
俺はアーガスの監視するような視線を無視すると、ぺこりと頭を下げ部屋を出ようとした。
「どうした? なにか知りたいことがあってここに来たんじゃなかったのか?」
お頭の声に振り返ると、しかし先ほどとまるで同じ姿勢のままだったので、今のは空耳ではなかったかと一瞬疑ったが、お頭の目がジロリと上がり、俺を見た。
ならせっかくの厚意(?)だ。無碍にせず、なにか気の利いた質問でもしておこうか。
「……お言葉に甘えて、2、3気になっていることを尋ねてもいいですか?」
「おい」
アーガスが牽制の声を上げた。先ほど、お頭とロー公については知ろうとするなと言われたばかりだが、俺が聞きたいことは別にそういうことじゃなかった。
「アーガス。トーダを殺すのはいつでも出来る。……わたしは、こいつがわたしに何を聞こうとしているのか興味がある」
「…………」
アーガスは押し黙り、俺は胸中ため息を吐いた。いい加減「殺す」とかいう脅し文句にも慣れてきたところだ。相手がキレていない限りは聞き流すことにしよう。
「そうですね。……先ほどの【質問ゲーム】をしているとき、お頭はトランシーバーでボルンゴさんと話していたじゃないですか。そのとき、ボルンゴさんの口から“セイタロー”という人物の名前が出たのを覚えていますか? オッゾの所の【魔法使い】の名前です」
「ああ。よく知っている。そいつも【選出者】だったな」
お頭は書類に目を落としながらも俺の話を聞いている。だが、先ほどとは違い目線が動いていない。俺の話は適当に聞き流しているという“フリ”をしているようだ。……むしろ、なぜそんなことをするのか、そっちの方が聞きたい。
「“セイタロー”は仲間に引き入れようと思わなかったんですか?」
「アイツはわたしよりもこの世界が長い。それに、もともとオッゾはわたしたちの敵対勢力だ。今回はたまたま利害が一致しただけだ」
「その“セイタロー”ですが、ミサルダの町で死にました」
動揺するか喜ぶかすると思ったが、お頭の反応は淡泊なものだった。
「らしいな。昨日のうちにわたしの所に仲間から飛翔文が届いた。このままオッゾの所に攻め込んでもいいのだが、わたしたちも戦力的にはガタガタだ。なあ、アーガス」
「…………」
アーガスは何も言わず、ただ俺を目で威圧してくる。早く出て行けと言いたげだ。
「その“セイタロー”ですが、名前からして日本人ですよね? ご存じですか?」
「そんなことを言っていたな。……なんだ、そんなことを知りたかったのか?」
お頭が不満そうに顔を上げた。
「質問は以上ですが、あとひとつ疑問を呈します。俺たちの世界の人口はおおよそ70億人です。国の数は196カ所と昔習いました。イザベラは無作為に100人を選んでいると言っていたはずなのに、先日まで同じ国の人間が二人もこの世界に召喚されていました。お頭はこのことについてどう思われますか?」
要するに、イザベラは世界から無作為に100人選ぶと言っていた割に、日本人を同時期に二人召喚していたことになる。もっともニアミスはなく、“セイタロー”の方はお昼過ぎには死んでいただろうが、それでも俺とこの世界で一緒に存在していた時間はあったはずだ。
70億分の100で、日本人が二人も召喚されたのはおかしいと思ったわけだ。……いや、日本人も1億2000万人だから確率的にあっているのか?
お頭はようやく俺に向き直ると、手にしていたペンを置いた。
「“識字率”と“知能指数”が関係しているとわたしは思う」
「自分の国の“母国語”が書けることと、どれだけ頭がいいかってことですか?」
お頭が頷く。
「“世界”で100人という既成観念は捨てることだな。あの女は無作為に選んでいると言っていたが、少なくともわたしはそうは思わない。おそらく“成功事例”から逆算していると考えられる。……だが、“常に100人”というのは間違いないだろう」
「そうなんですか?」
お頭が俺を指さす。
「ぽこぽこと湧いて出る、おまえみたいな低Lvのやつが、わたしたちの“狩り”の対象だ」
「…………」狩りと来たか。
「逆にわたしからおまえに質問を出してやろう。この世界は地図の上では、わたしたちの世界と同じくらい広いはずなのに、なぜ100人ぽっちの、わたしたち【選出者】同士が出会うことが出来るのだと思う?」
「……わかりませんが、【選出者】同士は惹かれ合う、とかでしょうか?」
あながち間違いでも無いだろう。そうでなければそうそう出会うはずもない。夜空に光っている星を見つけるのとは訳が違う。
「近いが、全く違う。わたしもこれまでに数十人と【選出者】に出会ってきた。年間きっちり10名だ。これは偶然ではない確率だと思わないか?」
「…………きっちり10名ということは、10年で全員と会えるってことになりますよね?」
「同じ人間と時間をおいて顔を合わせることも、【カウント】されるらしい」
「……【カウント】?」
「そうだ。ただ視線を合わせるものから、会話をするところまで。とにかく、“会う”ことのできる上限が10名だ。……少なくともわたしはな」
「つまり……年間10名は、“偶然”出会うものではなく、むしろ“必然”ってことですか?」
「ああ、そうだ。わたしもこの世界で20年以上生きている。知らないうちに200名前後の【選出者】と出会っているはずだ」
「逆に、10名を超えてしまったら、【選出者】同士は会うことができなくなる、ということになりますか?」
「会えなくなると言うことはないだろうが、“必然性”は消えるだろうな」
「どうして、“必然性”が生まれるのだと思いますか?」
「あの
お頭の指先が再び俺に向けられる。
「だが、おまえは役に立つ。そして――今後は、おまえに対して働く“必然性”も利用して、わたしは『盗賊』を働く。……まあ、持ちつ持たれつの関係というわけだ」
あんた俺に寄りかかって上前ハネているだけじゃないか。武田鉄矢に木のハンガーで殴られてしまえ。
だが、貴重な情報を仕入れることが出来た。これはとてもいい情報だ。
「ありがとうございます。なんかずっと疑問に残っていた謎が解けた気がします。じゃあ、これで失礼します」
俺はぺこりと頭を下げた。
「ああ、後でローをここに呼べ。ローにはおまえの行動監視を命じてある。“おまえがどこで何を企んでいたか”を話してもらうつもりだ」
「……ご随意に」
俺は頭を下げた状態で、ニヤリと笑った。今ので心理的な行動制限を課したつもりだろうが、……馬鹿が、自分から『カード』を見せたぞ。ありがたく参考にさせてもらおう。
俺はドアのそばにあった盆に入った食器を持ち上げると、
「アーガスさん、すみませんがドアを閉めてもらっていいですか?」
「アーガス。トーダを1階まで送って差し上げろ。ドアの前に油でもまかれたら敵わないからな」
「わかりました。歩け、トーダ」
「失礼しました。……そのときはジッポライターを借りに来ます」
眉間にしわを寄せ、再び書類に目を落とし始めたお頭にそう言って、俺はドアをくぐった。アーガスが静かにドアを閉める。今度は以前とは逆で、俺が前を歩き、アーガスが俺の後をついてくる構図だった。
「アーガスさん、よかったら俺の襟首を持っていてもらってもいいですか? 急な階段がやっぱり少し恐いので」
会話のきっかけに俺はアーガスに話しかける。
アーガスが俺の襟首を持ち上げるように握った。少なくともこれで不慮の事故は防げそうだ。
あと、これで後ろから斬りかかられることもなさそうだ。右手が襟首を掴んでいるうちは、だけど。
「……忙しそうでしたね、お頭。俺は、盗賊ってやつは外でらんちき騒ぎをしている人たちばかりだと思っていました」
「黙って歩け」
「…………」
ギッ……ギッ……。やはりこの階段は急だ。そして、二階でも耳を澄ませば階段の軋みが伝わるだろう。二階にある部屋数は3……。お頭の部屋のドアノブには“鍵”はなかったので、他の部屋にもないだろう。頭の中で宿屋の見取り図を完成させる。
階段を無事降り終えた。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
俺はアーガスに向かってぺこりと頭を下げる。アーガスは俺を一瞥しただけで、再び階段を上り始めた。
困るな。自然な会話の中で聞きたいことがあったのに。
仕方ない。ちょっとリスキーだが、今聞いておくか。
「アーガスさん。ちょっとプライベートなことを聞いてもいいですか?」
「……なんだ?」
無視されることもやむなしと思っていたが、一応反応はしてくれた。
「アーガスさんとお頭って、その、恋仲なんですか?」
「……どうしてそう思う」
「盗賊のなかに女がひとり。しかもとても美人だ。それが盗賊のお頭を務めている。……俺の常識では、アーガスさんが――」
「二度と詮索するな。このことはお頭に報告しておく」
「はい……」
アーガスは俺に睨みを利かすと階段を上っていった。
そのまま待って、ドアの閉まる音を聞いた。俺はようやく息を吐いた。
「――よし。計画開始だ。みんな、俺の手の上で楽しく踊ってくれよ」
鉄手錠のついた手のひらだけどな。
俺は調理場のドアをくぐると、次の仕込みに取りかかった。
――さて、踊るのは右の手のひらか、はたまた左の手のひらか。
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