第37話 一難去ってまた一難

 とりあえず、横穴を空井戸の方に向かって進み、途中ゼペットさん達の服とか道具入れとか遺品をまとめると、それらを引きずりながら横穴の出口までやってきた。

 空井戸の蓋は外されたままになっていて、木々の隙間を縫う淡い光が内壁の中腹ぐらいまでを照らしていた。

 そっと聞き耳を立ててみるが、しばらくの間、何も聞こえなかったので、俺は横穴から這い出ると、「んん~~」と腰を伸ばした。ついでにトントンと叩いておく。


「まあ、一応中身を調べておくか」


 横穴の入り口に腰掛けて、俺はホークさんとゼペットさんの道具入れの中身を漁ることにした。

 年寄りなんだから飴玉のひとつでも入っていないかと期待したのだが、中から出てきたのは『消毒液50cc』『ハサミ』『包帯』『チョーク×2』『針金の束』『穴の空いた銅貨×5』『ハンカチ』『糸と針セット』『コンドーム×2』

 …………。あ、あれ? この形状、『コンドーム』だよね?!

 あはは。あーそうか、水筒代わりに使うんだ。水が1リットルも入るんだー……っておい。

 形状は『コンドーム』そのもので、それを包んでいる半透明な入れ物はビニールとかではなく……もっとこう、フィルムっぽいなにかで出来ていた。さわり心地が新鮮でたぶん元の世界にはない材質のものかもしれない。

 『コンドーム』って異世界でも使われていたのかと、感心する反面、ジジイ若いな何考えてるんだよとニヤニヤしてしまう。

 まあ、これはそのあれだ。水筒の替わりとしてセンセイが没収しておく。いいな。後ろのポケットにねじり込む。

 ひょっとすると『選出者』あたりがコレ広めたんじゃないかなーと邪推しなくもない。

 うむ。こういう非生産的なものがある以上、いかがわしいお店がミサルダの町にはあるとみた。実にけしからん。だが、俺にはこの世界をより深く知るため、時には社会勉強も必要だろう。

 俄然やる気が湧いてきた。頑張って生きて帰るぞー。


 道具袋の中を整理して、二人分の中身で使えそうなものをひとつにまとめ、ゼペットさんの道具袋の方が新しかったのでそれに入れ替えた。道具袋には『番号』と『ゼペット・ライオネル』と名前が書かれていた。

 一応、遺品となる『兵士の指輪』をふたつ道具入れに入れた。

 腰のベルトの前側には『風のナイフ』を留めてあるので、道具袋は自然と後ろになる。腰を振って重さを確かめてみるが動くのに支障はなさそうだ。


「……よし、ではロッククライミングを始めるとするか」


 そう宣言して空井戸の内壁――『瀕死体験』でゼペットさんが登った通りの順番で、“三点支持”を守りながら出っ張りに手を伸ばし、ゆっくりと登っていく。もともと抜け道用に作られた空井戸もどきなので、一応一般人も登れるように出来ているみたいだった。

 指先ひとつで天井に付いたネジにぶら下がれるほどの力はないが、垂直のハシゴを登り続けるぐらいの体力はあったのでなんなく地上付近まで登ることが出来た。

 スーパーマリオ3に出てくるモグラキャラのごとく、チラッと地上に顔を出して様子をうかがってみる。


「――しめしめ、誰もいないな」


 何がしめしめなのかわからないが、とにかく誰もいないようなので俺はようやく地上の土を再び踏むことに成功した。

 てっきりアドニスに殺された盗賊が8人くらい手足バラバラ事件で転がっているものと思っていたけど、ゼペットさんが盾にしていた空井戸の蓋が壊れたまま転がっているだけで、辺りには収集できそうなものが何も残っていなかった。

 ――と、視界の端に何かを見つけた。今までの感覚からして、『探知のスキル』が発動したっぽい。

 俺は周囲を警戒しつつそれに近づくと拾い上げた。

 それはアドニスが俺に見せてくれた――『雷鳴鳥』の道具箱だった。『暗視スキル』がまだ効いているようなので、光を入れないようにそっと中を覗いてみると、『雷鳴鳥』がバンドで固定された格好のまますやすや眠っていた。

 ……なぜか“2匹とも”いた。アドニスはなぜ『雷鳴鳥』を飛ばさなかったのか。道具箱のベルトを外せる時間があるのなら、蓋を開けた方が早いのに。

 そういえばアドニスに頼まれていたな~と思い出し、2匹とも解放してやろうかと思ったが、とりあえず食べられるかもしれないので持って行くことにした。

 『雷鳴鳥』が町に届けば南門は盗賊対策に完全封鎖されるらしい。

 なんかむかつくので、今夜のディナーは焼き鳥にしようと思う。


 俺はアドニスが身につけていたように道具箱から伸びている太いベルトを腰に巻き付けた。わりかしかさばるのだが、背に腹は代えられない。収集ケースが多くなったと思って、我慢しよう。

 道々山菜とか野草とか食べられそうなものを『山菜知識スキル』『採取スキル』で手に入れて。……うん、『料理スキル』があるのでなんとかなりそうだが、火とかどうすればいいのだろう。

 そういえば『野営スキル』があったな。イザベラが『野宿スキル』の上位互換とかのたまっていたので、ありがたく使用させてもらおう。徒歩で町まで戻るなら、どこかで夜を明かさないといけない。

 ……町に戻るまでダダジムに会えなかったら、本気でそうなりそうだ。


「ダダジムや~い」


 小声で呼びながら、俺は来た道を戻るため歩き出した。もちろん呼んで出てくるとは思っていない。それどころか盗賊を呼び寄せてしまわないかの方が心配だ。

 アドニスは探さない。ヘルゲルさんも探さない。村にも向かわない。『雷鳴鳥』も飛ばさない。

 ただ、生きてミサルダの町まで戻って、状況を報告する。

 今の俺に出来ることはこれくらいだろうか。元々『先遣隊』というか、偵察だし。

 せめてダダジム達に再会できたら、帰るか戻るかの選択肢を選べるというのに。

 俺は無力だ。

 ネクロマンサーは独りだと無力だ。

 俺には戦う力はないけど、今なら【魄】を使って“治療”ができる。魔力のいらない【治癒士】みたいなものだろう。

 なんにせよ、今後町に着くまで自身に使用しないで済むことを望むかな。


 てくてくと森の中を歩く。

 『記憶スキル』を頼りに歩いているつもりなのだが、よく考えたら『行くとき進んだ道』と『帰り道』って全然風景が違うね。……もっとよく周りを見ておけば良かった。

 『魅毒花』を避けながら進んだため、もの凄く遠回りしたせいか、もはや全然わからん。

 はい。つまり迷子になりました。


「どっちに進めばいいかわからない。日が暮れ始めているから方角はなんとなくわかるけど、町の方角がわからないぞ。……むう、しょうがない。目印を書きながら進むしかないな。確かチョークが……」


 俺は道具袋から………………あー。そっか。そっか。ピコピコポーン!

 ひらめいたり~!


「そうだ。『雷鳴鳥』だ。こいつならただひらすらまっすぐ最短距離を通って町まで向かうはずだ!」


 アドニスがここに入ったとき放った方角は『記憶』している。それと今から放つ『雷鳴鳥』の方向を照らし合わせてみれば、進むべき方向がわかる。

 そうと決まれば、さっそく取りかかろう。あーよかった。あのとき情に駆られて2匹とも逃がしてなくて。晩のご飯のメニューが一品減るけど、我慢我慢。

 俺は――どっちの鳥にしようか迷ったが、無事に帰れたときの事を考えて『最悪の事態』の情報が搭載されている方の箱を開け、バンドを外して『雷鳴鳥』を取り出した。

 ふわふわとして、なんとも美味しそ――可愛らしい。じゅるり。まあ待てまだもう一匹いる。落ち着け俺。まだ慌てるほどじゃない。

 『雷鳴鳥』を手のひらに包んでしばらく待っていると、目を覚ました。そして、2,3度羽をばたつかせたかと思うと、木々を抜け垂直に飛び上がり、ある方向に向け矢のように飛んでいった。

 俺はしばらく呆然とその方角を見ていたが、のろのろと歩き始めることにした。

 どうやら俺はこの世界でも方向音痴だけは改善されてないらしい。

 俺は元来た道をまっすぐ戻ることにした。


 『雷鳴鳥』の飛んでいった方角をしっかりと記憶し、その方向に向かって歩くことにしたが、まだ少し心配だったので、道具袋の中にあるチョークを使って20メートル間隔ぐらいで木の周りにグルッと一周線を引き、数字を書き込んでいくことにした。

 盗賊に見つかる可能性もあったが、日が暮れる前になんとしてでも“道”にまで戻らないと危ないと感じたからだ。

 道に戻りさえすれば、少なくとも『魅毒花』のような毒草に触れてしまう可能性はなくなるだろう。アドニスの話では森に生えている毒のある植物は1種類や2種類どころではないと言うからだ。

 あと、森の中は普通に歩きにくい。何度草や蔓に足を取られたことか。

 俺はけそうになりながらも、とにかく鳥が飛んでいった方向へと足を進めた。


「38…39…40っと」


 近くにあった木に印をつける。よく考えたら20メートルとかは正確に計れないので“歩数”を数える方法に変えた。40歩あるくと印をつけるといった感じでやっている。

 ちなみに、印はグルッと木の周りにチョークで線を引くのだが、数字は『俺たちの世界の数字』を使っているのでこの世界の住人には理解できないだろう。

 つまり、俺のもつ【必須スキル】である【解読】はこの国の文字を“理解”してしまう優れものだが、その逆はない。俺の書いた日本語が相手に理解されることはない。

 これは昨夜、地図作成の時、クレイとアドニスに走り書きを見せたのを理解してもらえなかったときに気がついたことだ。


「33、と。結構歩いたな。たぶんもうアドニス達と来た道に入って来たはずだけど……」


 先ほど見かけた『魅毒花』の咲いていた場所は見覚えがあったので、まず間違いないと思う。

 でも、アドニス達と来たときは『魅毒花』の群生地を避けるため、かなり蛇行しながら進んだので、『雷鳴鳥』が飛んでいった方向とは違う道順で進まないといけなくなる。

 はてさて、ここで選択肢が現れるわけだ。

 ひとつは、アドニス達が通った道順を正確に思い出し、多少時間がかかろうとも安全な道を選ぶ。ただし、日が暮れてしまえば他の毒草を踏んでしまう可能性も魔物の発見が遅れる可能性もある。

 もうひとつは、蛇行をやめて、とにかく『雷鳴鳥』の飛んでいった方向に忠実に進む。かなり早く進めるだろうが、その方法は『魅毒花』群生地を突っ切るかたちとなる。もちろん出来うる限り離れて進んだりもするが、基本飛び越えて進む。

 さてどっちにするか。

 俺が首をひねって考えていると、後ろの方の茂みがガサガサと不穏な音を立てた。

 はい、二つ目採用! 

 なんかいるなんかいるなんかいるー!!

 俺は『雷鳴鳥』が飛んでいった方向に向かって猛ダッシュを始めた。

 途中、『魅毒花』が生えている場所があったが、ホップステップじゃーんぷで飛び越える。

 ちまちま木に印もつけていられないので、とにかく【記憶スキル】全開で、目に付く特徴があるものすべてを覚えつつ進んだ。

 200メートルほど走っただろうか。草に足を引っかけて転びそうになったので、あわてて木にしがみついた。

 息を整えながら振り返ってみる。何もない……。俺はまたそろそろと進み始めた。

 後ろからの物音や気配はあれ以降しなくなったが、なんとなく追跡されているような気がして俺は何度も後ろを振り返った。

 そしてようやく、アドニスが最初に『魅毒花』を発見した場所にたどり着いた。

 『魅毒花』の群生地はここを抜ければ終わりだし、道までの距離ももう半分もないだろう。

 ホッと胸をなで下ろしたのも束の間、後ろから「ぉあああああああああ!!」と言う、奇声が聞こえてきた。

 振り返るが、誰もいない。何もない。だが確かに聞こえた。

 頬に一筋の汗が流れるのを感じた。素早く『鑑識』でステータスを開くが、『一般スキル』は一応まだ全部オンになっている。でも、時間的にそろそろ切れるかも知れない。延長できないのが辛いところだ。


「……今の声、魔物の泣き声と言うよりも、人に近いよな。……グールかも知れない」


 俺は知らず『風のナイフ』に手が伸びたが、もしも近づいてきているのがグールであるならこの場は少し視界が悪い。葉が生い茂っていて、先手をグールに渡してしまうことになる。

 俺は身を翻すと、足下に最大限の警戒をしつつ、『魅毒花』の群生地を突っ切ることにした。

 さっきの叫び声の距離からして、おおよそ50メートル以上離れている可能性がある。せめてもう少し視界の開けた場所でないと、無傷では済まないかも知れない。

 【転用】があるので怪我自体は治せるかも知れないが、噛みつかれた場所が『左手』だったら話は別だろう。左の手のひらが触れられない場合はお手上げ侍となってしまう。


「ごあああああああぁぁ!!」

「うっそ。近い!!??」


 すぐ後ろから聞こえた。

 走りながら振り返ると、今まで俺が立っていた場所にドサッと上から人が飛び降りてきていた。

 グールの正体は、ヘルゲルさんだった。

 爛々と赤く輝く瞳に、歯を剥き出して威嚇するその口元からは赤っぽいヨダレが垂れ落ちていたが、服装からして間違いなく、年寄り三人衆の1人、ヘルゲルさんだった。

 胸から血を流しているところを見ると、そこら辺が致命傷となって死に、改めて【死霊の粉】でもかけられたのかも知れない。

 ヘルゲルさんは俺に向かって「ゴルルルルッルル……」と唸り声を上げると、するすると木に登り始めた。

 そして木から木へ飛び移り、だんだんと俺に近づいてくる。


「う、あ、ぅああああああああああああああああああああ!!!!」


 あんなのグールさんじゃない!! ghoul や!!

 俺は今まで見たどんなグールよりも活動的で活発な元気いっぱいの姿に震え上がった。もちろん、『平常心スキル』が働いているため、脳みその中はパニックを起こしておらず、わりかしクールだったが、それでも出てきた答えが『全力で逃げろ。勝てるかぼけぇ!』だった。

 逃げる。逃げる。逃げる。

 呼吸はゼーゼーで、ペース配分なにそれ美味しいの? で全速力で駆け抜ける。


 ――あ、なんか今『魅毒花』蹴っ飛ばしちゃったけど、一本だけだったし平気だよね?


 なんて冷静に考えていられる自分が滑稽でたまらなかった。

 そして目の前に飛び越えられないほどの『魅毒花』の花畑があり、俺は近くの木にしがみつきながらもブレーキをかけた。

 その瞬間、目の前にヘルゲルさんが上からズドーンと降ってきた。

 落下してきたのではなく、確実に俺を狙って降下してきたのだ。まるで空中から獲物を見つけ海に急降下してきた海鳥か……マントマリオのように。

 ヘルゲルさんはお年寄りのくせに、グールのくせに、着地の時は“両手”からだった。両手を『がぉー!』のポーズのまま降下してきて、そのまま爪で地面を抉ったのだ。

 ぐるり、とヘルゲルさんの首が俺の方を向いた。

 にたあ、と開く口元から泡立ったヨダレがこぼれ落ちんばかりにあふれていた。

 ヘルゲルさんとの距離はわずか3メートルだった。

 俺は意を決して『風のナイフ』に手をかけたが、それより早くヘルゲルさんが――木に登って行ってしまった。

 ……いやいや、その場からぴょんとカエルジャンプすれば俺に届く距離だったじゃん。

 そういえば、さっきも上からジャンプしてきたね。

 ヘルゲルさんはどうあっても上からジャンプ降下して獲物を捕まえたいっていう“こだわり派”のグールさんなのであった!

 そうなの? 意味わかんないんだけどっ。ジェネレーションギャップ!!

 どちらにせよ、助かった。今のうちにさらに遠くに逃げるしかない。

 俺は背に腹は代えられず、『魅毒花』の群生地の咲き誇ってるド真ん中を突っ切ることにした。ここを抜ければもうすぐ“道”だ。

 “こだわり派”のグールであるなら、登ることの出来る木々がない道付近なら安全なはずだ。そう勝手に結論づけ、俺はとにかく早く走ることに尽力した。

 また『魅毒花』を蹴っ飛ばし、踏みつけてしまう。当たり前だ。もうそこら中に生えているのだから。

 アドニスは即効性とは言っていたが、今のところ大丈夫だ。幸い足に怪我はないので、傷口から毒が入るということはないだろう。

 そう思って、『魅毒花』をジャンプで飛び越えようとして、足がなにかにぶつかり、俺は盛大にずっこけた。

 なにか――そう、上から急降下してきたヘルゲルさんだった。

 今度も俺が地面に転がっているのにもかかわらず、わずか3メートルの距離をジャンプするのを嫌がるのか、近くの木にまたスルスルと登って行ってしまった。

 ぼんやりとそれを見送りながら、俺は擦り剥いてしまった右肘を見た。擦り傷となり、血が滲んでいる部分には『魅毒花』の毒の部分でもある水疱がたくさんくっついていて、なかには潰れたものもあり、確実に傷口にも接触していた。


「あーあ。終わりかぁ……」


 俺が押し花してしまった『魅毒花』の上に大の字に寝転びながら上を見上げた。

 ヘルゲルさんが一生懸命木に登っていた。結構高い木を選んでしまったようで、まだまだ登るつもりのようだった。テントウムシかよって思う。

 ……とても死んでグールになっている人とは思えない行動だった。

 不思議に笑みが零れ、思わず吹き出してしまう。

 俺は今から殺されるのだ。ネクロマンサーのくせに、グール相手にだ。

 『魅毒花』の甘い花の香りがした。

 最後に……そう、最期にこの花のことを知ろうと思った。

 だけど、何も頭に浮かんでは来なかった。どうやら『山菜知識スキル』も『薬草学スキル』も効果が切れてしまったらしい。


「【鑑識オン】――俺」


 静かにそう呟いて、一般スキルを上から順番にひとつひとつ『オン』にしていく。

 『野営スキル』とかもういらないだろうな、なんて思いながらも『オン』にする。

 そして『罠設置スキル』を『オン』にして――

 俺ははたと思いつき、飛び起きると腰の道具袋から『針金の束』を取り出した。

 それをほぐし、手早く手近な二本の木に結びつけた。こんなに早く動けるのかと自分でも驚くほどの手際の良さだった。

 そして、二本の木に張った針金の真下に立て膝を付いて寝転がった。

 上を見上げると、ちょうどヘルゲルさんが木の頂上に到達したようで、何の躊躇もなく俺に向けて降下を始めたところだった。

 両手を鉤爪のようにし、真っ直下で俺に向けて飛び込んできた。


 ――そこに、針金が張ってあるとも知らずに。


 俺は、『落下』してくると思われるヘルゲルさんから『左手』を守る形をとった。

 かくして、ヘルゲルさんはそのまま降下し、針金の『罠』にかかり、首を切り落とされたとさ。

 俺は『落下』してきたヘルゲルさんの死体に押しつぶされるかたちとなったが、覚悟と俺自身が即死しなかったこともあって、【転用】を使って全快することが出来た。

 ちなみに、治療に12%の【魄】を使った。残りの【魄】は263%だ。

 貯めてて良かった【魄】ポイント♪

 ……しかしあれだな。この治療方法って、同じ痛みを二回受けないといけないってのも程度ものだな。

 ヘルゲルさんの首を撥ねるまでは計画通りだったけど、そのあとがきつかった。

 今回は内臓破裂程度で済んだけど、もしも相手が体重のあるアドニスだった場合、背骨までイってた可能性がある。それか心臓破裂。『瀕死体験』で耐性があるものの、たぶん即死だ。

 まったく、それに怪我だけで12%ってどうよ。村人およそ3,4人分の【魄】だぞ。

 酷い目に遭ったよ。

 そう思いつつも、また生き延びることが出来たことに感謝した。


 俺は立ち上がろうとして、右肘の擦り傷も治っていることに気がついた。

 ペタペタと自分の体をまさぐってみるが、他に痛いところはどこもなかった。

 ただ全身がヘルゲルさんの返り血で真っ赤に染まってしまったこと、『魅毒花』を押しつぶしたことで水疱を大量に潰してしまい、やはりびしょびしょになってしまったことだ。

 まあ、血に関してはこれからヘルゲルさんの『浄化』を開始するので、それが終わればだいたい綺麗になるはずだ。濡れているうちなら死体が崩れると同時にリンクして溶け落ちていく。血が乾いてしまうと駄目っぽい。

 アドニスが怖れていた『魅毒花』も、どうやら接触毒ではなく、口にしたら死んでしまうタイプのものだったようだ。

 証拠として、ぱんぱんと腰の泥を叩いたとき『魅毒花』の水泡が潰れ、手が濡れても特に体調に変化はない。まあ、右肘に怪我したとき付いてしまってても平気だったのだから、ひょっとすると『魅毒花』に見せかけて別の植物なのかも知れない。

 試しに『魅毒花』を一本摘んで、ジッと見てみた。

 『薬草学スキル』をオンにしたばかりなので、それでわかるはずだ。


 『魅毒花』


 ・猛毒植物。毒性ランク:6。即効性、皮膚吸収型。多年草。危険指定植物。

 ・花の香りは精神をリラックスさせる効果がある。

 ・葉の先端からにじみ出る水疱は接触すると浸透圧で皮膚から吸収され、肝臓や腎臓を始め、多臓器不全を起こし死に至るケースがある。

 ・初期症状は、皮膚が赤く腫れ、痛みを伴う。

 ・注意:水疱は無生物、無機物には反応せず、服に付いたままの形で知らず運ばれ、二次被害を招くケースがある。

 ・解毒法:魅毒花の種をよく乾燥させたものを磨り潰して飲むと、解毒薬や予防薬になる。毒が回った場合、解毒薬が効果あるとされる時間は20分である。


「…………」 


 試しに水疱が潰れてベタベタになった手でヘルゲルさんの顔に触れてみる。

 変化なし。

 生きてないとか、グールだったからとかそういう理由なのかも知れないが、とりあえず変化がない。俺自身も皮膚が腫れたりだとか、痛くなったりだとかはない。

 まあいいや。

 とにかく、ヘルゲルさんの『浄化』を始めよう。

 あのあとアドニスがどうなったのか気になっていたところだ。

 俺はヘルゲルさんの頭部に手をおいた。

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