第35話 全滅

 とうとう自分の手を汚してしまったことに、ひとしきりゲラゲラ笑って、少し泣いて、気分を落ち着かせると、俺は風のナイフをグールさんの服で拭い鞘にしまった。

 わずかながら灯っていた淡い光が鞘に収まると同時に消え、真っ暗闇になった。そして――『暗視スキル』も『平常心スキル』も時間切れになっていることを知った。

 また、ぼぉ~っとしてしまっていたらしい。いかんいかん、こうしてみんな年寄りになっていくのだ。それともこれが魔力酔いとか言うやつなのか。

 はいそれ、「【鑑識オン】、俺」。ぽちっとな。ふぃ~。

 一応全部のスキルをオンにして閉じる。

 暗視スキルが働き、周囲の状況が見えるようになる。元グールさんが2体折り重なるようにして倒れていた。

 俺は右手をそのうちの一体の頭部に当てた。



 ――わしらは3人とも同期だ。同じアルバの村に生まれ、子供の頃はよく遊んだ。

 ――ホークの家に泊まったとき、3人のうち誰が寝小便こいたかで喧嘩した。すまん、ありゃどう考えてもわしだった。

 ――そんな思い出話に花を咲かせていると、ようやくわしらの秘密基地にたどり着いた。

 ――おうおう懐かしいわい。覚えているか、わしらの冒険はここが始まりだった。村を出る前に、どうしても外に出てみたくて、3人で井戸に入ったっけな。あのころはまだ汲み上げ式のポンプなんてのがなかったから、母ちゃん達の目を盗んで井戸に忍び込むのが一苦労だったな。

 ――覚えてるか? 耄碌もうろくしてねぇって? 嘘言うな、昨日の晩飯も思い出せないくせに。

 ――わしは覚えてるぞ。最初にホーク、次にわし、最後にヘルゲルだったな。ヘルゲルは見張り役だって言ったのに、結局降りて来やがって。覚えてるか? おまえ。え? 順番が違う? わしが一番最後? そうだっけ? はて。

 ――井戸からロープで横穴に入るまでは良かったよな。ああ、覚えてるぞ、足が滑って落ちそうになったところを、おまえらの手につかまって横穴に引っ張り上げてくれたんだ。なに、やっぱりわしが最後だったか。はっはっは。

 ――横穴は暗かったなぁ。三人いるのにランプを持ち出せたのはヘルゲル一人だけ。当然ヘルゲルがランプを持って先頭だ。真っ暗で真っ暗で、息が苦しくて、何度回れ右して帰ろうかと思ったか。なんだ、おまえもか。なに、真ん中にいたから進むしかなかったって? そりゃ悪いことをしたな。

 ――永遠みたいに長かったな。あの長さに比べたら人生は短いもんだとは思わないか? そうだろ。だが、わしらは行きと帰り、二度もあの抜け道を渡ったんだ。えらいものだ。

 ――ようやく空井戸までたどり着いて、三人で壁をよじ登ったっけか。ホークの義父ちゃんが言ってたとおり、クサビが打ってあったけど、あれは今でもあるのか? ある? そうかそうか。確かヘルゲルが蓋を開けて初めに外に出たんだったな。あってるか?

 ――ヘルゲルは王都での適性試験で【弓術士】の適性があって、冒険者になった。わしとホークは駄目で、それからずぅっとミサルダの町で、しがない兵士業。ま、わしは次男だったし、いいんだけどな。ホークは……。

 ――「諸先輩方っ! 盗賊に発見されました。警戒してください」

 ――なんじゃい。わしらの思い出の場所が見つかったのか? ヘルゲル、ホーク、思い出話はあとからじゃい! ちゃっちゃとかたづけるとするか。

 ――わしとホークは剣を構え、ヘルゲルは弓矢を引き絞っている。

 ――「中に隠れます。皆さん、ご武運を!!」

 ――おおよ。任しとけぇ。「来るぞ」かかってこんかい! 手斧を片手に茂みから躍りかかってきた盗賊にヘルゲルが矢を放った。矢は盗賊の肩に当たり怯んだところをアドニスが一撃で仕留めた。どんなもんじゃい。なあ、ホーク。

 ――わしとホークは空井戸の蓋を盾代わりにして構えると、ヘルゲルを守るような布陣をとった。わしとホークの剣技ではせいぜい二人がかりで一人の命を守るのが精一杯だが、3人がそろえば攻守ともに1人前だった。

 ――ヘルゲルが矢を放てば必ず盗賊に当たったが、現れた盗賊の数はそれ以上だった。倒れた仲間を盾にして盗賊が突っ込んできた。ヘルゲルが矢を放つが、矢は盾にした盗賊の死体を貫通するまでに至らず、接近を許してしまった。

 ――ドシンと盾にした死体ごと体当たりをされ、わしらが構えていた空井戸の蓋はあっけなくバラバラになった。わしはその勢いに押されひっくり返ると、空井戸の端に後頭部をしこたまぶつけた。

 ――簡易兜を被ってはいたものの、ぶつけた拍子にどこかに吹っ飛んでしまった。おかげで、視界が広くなり、とどめを刺そうと手斧を振りかざす盗賊の顔がよく見えた。

 ――わしは思わず顔を手で覆ったが、ヘルゲルの放った矢がその盗賊の背中に突き刺さった。血走った目がヘルゲルに向けられる。わしはとっさに跳ね起きると、そばにあった大きな石――空井戸の蓋の重し――を手に盗賊に殴りかかった。がつんと、側頭部にぶち当てる。盗賊が頭を押さえて怯む。わしはもう一発をぶち当てようと石を振りかぶったが、別の盗賊がホークの背に斬りかかろうとしているのを視界の端に捕らえ、わしはそいつに石をぶつけた。

 ――石はうまく盗賊の背に当たり、盗賊は背をのけぞらせてうめき声をあげた。すぐさまアドニスが駆け寄り、袈裟懸けの一撃を食らわせた。

 ――わしがその光景に気をとられていた隙に、殴られてうずくまっていたはずの盗賊がわしの足を掴んでいた。高く持ち上げられる。あっと思った。遠くでヘルゲルの声を聞いた気がした。

 ――バランスを崩し、倒れると思った。受け身をとろうと手を伸ばすが、なぜか空を切った。

 ――がつん、と今度こそ本物の衝撃が後頭部を襲った。頭の奥がしびれ、体の力が抜けた。涙で滲む視界に、空井戸の内側のレンガが見えた。どうやら盗賊はわしを空井戸のなにかに放り込もうと考えたようだ。天地が逆転し、盗賊がわしの足を離す。

 ――そして重力から解放される。

 ――ああ、なつかしい。 

  ――いつか見た空だ。

 ――空井戸から這い上がるため見上げた空。

 ――覚えている。先に外に出たヘルゲルが汗びっしょりの笑顔でわしに手を伸ばすんだ。

 ――わしはその手を――ぐしゃり。

 ――今まで感じたことのないすさまじい衝撃に襲われる。

 ――痛くはない。苦しくもない。死ぬまでのわずか一秒。

 ――横穴に、うずくまって泣いている遠き日の我を見た――



「……ふぅ。ゼペットさん終了。どうか安らかにお眠りください」


 俺は崩れる前の死体に手を合わせ目を閉じた。

 再び目を開くと、ゼペットさんの着ていた服と靴がそのままの形で残されていた。

 もしも俺が無事に町まで帰ることが出来たら、ゼペットさんの遺品がここにあることを伝えようと思う。だからゼペットさんも俺が無事で帰ることが出来るように祈っていてね。

 次は……マジで誰だろう。顔をずたずたに切られていてわからない。ホークとヘルゲルのどちらかだろうと思うけど。

 それでは二人目、いっきまーす。



 ――ゼペットが空井戸に落ちた。落とされた。わしは自分でも逆上したのがわかった。

 ――咆吼し、よろよろと立ち上がった髭面の盗賊に駆け寄ると、そいつのふくらはぎに思いっきり切りつけた。

 ――盗賊の悲鳴が戦場に轟く。わしはうずくまった盗賊にとどめをくれてやった。どうだ。ゼペット、聞こえたか! 仇はとってやったぞ。感謝しろい。

 ――馬鹿者め! おまえさっき自分の身は自分で守れとかぼざいていたくせに、わしの身を案ずるよりも自分のことをどうにかすればよかったんだ。

 ――しかし、こいつらは手強い。わしは手斧の一撃を受け止めきれず、肩を裂かれて後ずさった。その間にアドニスが滑り込み、巧みな剣捌きでそいつをはねのけた。

 ――「ホーク氏はヘルゲル氏のサポートに回ってください」アドニスが数人の盗賊を相手にしながらも一歩も引かなかった。むしろ腕を切り落とし、肩を裂き、倒れた盗賊を踏み越えて新たな相手に躍りかかっていく。

 ――剣士とはかくも強き者なのか。年甲斐もなく感動をいだきつつも、矢を放つヘルゲルの元へ駆けた。大丈夫かと問うと、指をやられたとヘルゲルは顔をしかめた。見れば右手の小指が千切れかけていて、血が噴き出していた。

 ――わしは腰の道具袋から針金を取り出すと、手早くその小指に巻き付けた。

 ――わしの「よしっ」の合図とともに、ヘルゲルはその手で弓を引いた。「アドニス右に避けい!」ヘルゲルが叫び、矢を放つ。矢は盗賊のひとりに突き刺さる。すぐさまそいつをアドニスが斬り伏せる。地面にはすでに6体もの死体が転がっていた。そして最後の二人が、今アドニスと斬り結んでいた。ひとりは大男で大剣を振り回し、もう1人は双剣で地を這うような低姿勢から執拗にアドニスの足下を捕らえようと躍起になっていた。

 ――「待ってろ、今……」そう言い、矢を番えようとしていたヘルゲルの体がぐらりと揺れた。慌てて支えるも、抱えきれずそのまま倒してしまう。ヘルゲルは顔面蒼白だった。呼びかけるが意識が混濁しているのか、「大丈夫大丈夫気にするな」とうわごとのように繰り返す。

 ――ヌルリとしたものがヘルゲルの脇腹から染み出していた。こいつ脇腹も切られていたのか。装備を脱がそうとしたわしの手を、ヘルゲルはそっと止めた。ヘルゲルの目が薄く開き、「立たせてくれ。歳かの、目がよう見えん」「馬鹿野郎、今止血してやるから」「馬鹿はおまえだ。おまえは耳が遠いなぁ……、アドニスが今戦っているじゃないか」そう言ってヘルゲルの唇が笑う。

 ――わしは奥歯を強く噛むとヘルゲルに肩を貸し、立ち上がらせた。背中を支えてくれと言うヘルゲルはぶるぶる震える指先で矢を番えた。アドニスは防戦一方でだんだんと押し込まれているのがわかった。

 ――「ホーク、おまえがわしの目となってくれ」「任せておけ。ちょい右、もう少し右、でかいのに当てるぞ。ゆっくり、みぎ~みぎ~……」

 ――ヒュンと合図を待たず矢が放たれた。……いや、放ったのではない、指の力が抜けたのだ。矢は大男のすぐ近くの木に刺さり――「当たったぞ、ヘルゲル! よっ、弓術士! 我らが冒険者!」「よせ……それより、あの若いのを……頼む……」「トドメさしてくらぁ」わしは大男に向かって駆けだしていた。何十年ぶりに泣きそうだった。

 ――ゼペットは死んだ。走る。ヘルゲルも死にそうだ。足下の死体に蹴躓きながらも走る。どうしてわしが生きていける? この先わしがどうして生きていけるものか。

 ――「アドニス! わしがでかいのをやる!! おまえは小さいのじゃ!!」

 ――「はいっ!」小気味よい返事に、わしは口元が緩むのを感じた。大男がわしを標的に代えてくれたのか、体をこちらに向けた。わしは地面から草を抜き取って投げつけた。うまいこと大男の顔面に当たり、ぺっぺっ、と顔を拭った。わしは攻めず、アドニス達とは反対側へと距離をとった。アドニスは相手が1人になったこともあり、猛然と切り込んでいる。あと少しで切り伏せられるだろう。

 ――「おおぃ、でかいのこっちじゃこっちじゃ。ほぉれ、捕まえてみぃ」わしは大男に向かっておしりぺんぺんした。大男の顔が真っ赤になって、突進してきた。あとは逃げて時間を稼げば――と思っていたが、「バインド、こっちを手伝え!」小さい方の盗賊の呼び声に大男は向きを変えた。わしは舌打ちをすると猛然と大男との距離を詰めた。アドニスは【ラッシュ】という剣技を放っていた。聞いた話では、あの技は途中で止められないはずだ。

 ――大男がアドニスに向かい、横ふりの一撃を放とうと大剣を振りかざすが、わずかにわしの方が早かった。渾身の突きを大男の背中に突き立てた。――が、途中で剣が折れ、振り向いた大男から裏拳をお見舞いされた。ぶばっと鼻から血が噴き出して、わしは背中から地面に叩き付けられる。大男が大剣を振りかぶるのが見えた。

 ――へっ、ここまでか。そう覚悟を決めた瞬間、大男の右目に矢が突き刺さった。大男が大剣を取り落とし、うずくまった。わしはなんとか身を起こすとヘルゲルに向け、親指を立てた。だが、ヘルゲルはすでに倒れていた。

 ――「ぶっ殺してやる!!」右目を押さえて立ち上がった大男が、わしではなくヘルゲルに殺意を向けていた。このまま倒れていれば助かるかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。

 ――だが、老骨に鞭を打って立ち上がると、わしは大男に言った。

 ――「どこに行く豚野郎。そんなでかい腹じゃ、ションベンするとき自分のちんちん見えないんじゃないか? やーいやーい、おまえの母ちゃん、太ったオークを逆レイプ」

 ――大男が振り向いた。殺意がこちらに切り替わる。手元には折れた剣。今度こそ、どうしょうもなく絶体絶命だった。「バインド、てめぇ、助けろ!」小さい方の悲痛な呼び声にチラリと視線をやるが、中指を立ててやると喜び勇んで突進してきた。

 ――わしは最後の力を振り絞って、折れた剣を防戦一方の小さい方に投げた。

 ――結果を拝む間もなく、強すぎる衝撃がわしの脳天を襲った。

 ――膝が折れ、仰向けに倒れた。

 ――木々の隙間から青い空が見えた。ふいに懐かしさがよぎった。いつか3人寝転がって見た、あの空によく似ていた。



「はい、ホークさんでした。お疲れ様。どうか安らかに眠ってください。」


 俺は手を合わせると、ゼペットさんの時と同じように目を閉じて冥福を祈った。

 二人の抜け殻のような衣服を掻き分けて、兵士の指輪をふたつ拾い上げる。


 さて、状況整理だ。これでゼペットさんホークさんが死に、ヘルゲルさんも虫の息、無事っぽいのはアドニスぐらいか。


 あの場にいた盗賊の数は8人。たぶんあのあとアドニスが全員を始末しているに違いない。……だとすると、ホークさんの遺体を顔を刻んでここに投げ込み、【死霊の粉】を使った二人組は後から来た連中だろう。

 たとえば、8人で様子見に行って、帰ってこないから10人近くで探しに来た。惨劇を目に見張り2人を置き【死霊の粉】を渡していったか。

 とすると、俺に声をかけなかったアドニスの動向が気になるところだ。なんにせよ、アドニスが無事で一時的とはいえ盗賊を全員片付けたのなら、俺に一言ぐらい声をかけるはずだ。……たぶん。

 それがなかったと言うことは、周囲を気にして空井戸に向かって声をかけるのがためらわれたか、別の何かが起こったか、アドニスも今もどこかに潜伏中か、だ。


 どちらにしろ、グールの脅威が去った以上、ここはもう安全だが、安全だからと言ってこのままここにとどまることは出来ないだろう。どうにかして町に戻る手段を探さないと。


 ……そういえば、ダダジムさん達遅いな……。さすがにここは見つけることは出来ないのだろうか。仕方ない……動くとするか。まだ見張りがいるかもしれないから空井戸の方は後回しで、井戸の方に進んでみようか。


 俺は四つん這いになると、そろそろと移動し始めた。

 ……なんだ、結局俺が偵察に行く羽目になったじゃないか。ああ、人生こんなんばっかしだ。

 ……ああ、そうか。ダダジムさん達が来ないのは、もう村に着いたからかもしれない。そりゃ、アンジェリカを前にして俺のところには来ないよなあ……。

 ……アンジェリカのやつ、無事かな? 見た目、かなり危ないやつに見えたけどダダジム達貸してくれたし、割といいやつだったのかもしれない。……あれ? そういえば召喚獣が生きているってことはアンジェリカも生きているってことになるよな。ダダジム達もアンジェリカのところに帰りたがっていたし、ふむふむ。どうにかして村に居るアンジェリカと連絡取れないかな? とにかく、ダダジムさんがいないと町に帰れないし。たぶん馬ももういないし。


 ふと、右手が水に濡れ地面が湿ってきているのに気がついた。だんだんと膝も濡れてきている。井戸からの水がここにまで浸みてきているのだろうか。

 それにしても一向に井戸の光が見えてこない。結構来ているはずなのになと思う。

 ひょっとすると井戸の水位が上がったせいで横穴が水没してしまっている可能性もある。そうなったら結構悲惨だ。水中に潜らなくちゃいけなくなるし、濡れた体で井戸をよじ登れるかどうか難しくなる。

 そんなことを考えていると、どん、と壁にぶち当たった。


「……え? なに、これ……。ちょっと……」


 長い長いトンネルの終着駅は、井戸の光を拝むことなく、【壁】で遮られていた。

 年寄り3人組の思い出は使われなくなった井戸とともに閉鎖されていたのでした。ちゃんちゃん。

 …………あれ? 待てよ。ならどうして反対側の空井戸に盗賊どもが顔を出してきたんだ? 閉鎖されたのならそういう情報も流れないはずだろう。

 俺は【暗視スキル】の目でその壁を凝視した。

 そして、それを見つけ、息をのんだ。

 井戸への出口をふさいでしまっている壁はずっと昔に作られたものでは無かった。

 最近、それも昨日今日の突貫工事だった。壁は立派な石造りで塞いだものでもなければ、上から土で埋められたわけでもない。

 井戸に投げ込まれた者でふさがってしまったのだ。

 投げ込まれた“者”で、だ。

 その壁には【手】がはえていた。

 しわしわの、おばあちゃんの手だった。


「酷いことしやがる……。あいつら、殺した村人で井戸を埋めやがった……」


 おばあちゃんの手に触れてみる。皮膚はまだ柔らかかったが、俺の手より冷たかった。

 筋肉や関節はカチカチで動かない。死後硬直だろうか。……殺されたのは昨日のうちだろう。使わない井戸とは言え、水源は繋がっているはずだ。死体が浸かった水を飲むつもりなのか、それともすでに沢で汲んできた水を飲むつもりなのか。それとも、そろそろ出発するつもりなのか。 

 吐き気を及ぼすような惨い光景であるはずなのだが、平常心スキルをつけているおかげでクールでいられる。……いや、先ほどグールさんとの戦闘を終えたあたりから俺の感情のネジが緩んできた気がする。


 困ったな。元の世界に帰ることが出来たら元に戻るんだろうか。

 井戸いっぱいの死体の山を見ても、ネクロマンサー的にはごちそうの山にしか感じない。それどころか、俺にとっては情報の宝庫でもあった。少なくとも井戸をよじ登って、おっかなびっくりしながら村人の死体を探さなくて良くなったわけだ。手間が省けたと言っていい。

 俺は静かに手を合わせて冥福を祈った。

 ……この世界にも“天国”ってあるんだろうか。少なくともここよりましなところであってほしい。いけるといいね、天国。

 よし、では僭越ながらネクロマンサーが、すし詰め状態の井戸の中から皆さんを解放してあげるから、ちょっと待っててね。


「ちょっとずつオラにみんなの【魄】を分けてくれー」


 横穴の出口は、入ってきた空井戸の方とは違い、直径1m程しかない。それを井戸に投げ込んだ死体で埋めて【栓】をした感じになっているようだった。

 試しに【壁】から伸びている手を引っ張ってみるが、すぽんと抜けたりはしなかった。井戸から投げ捨てられた死体は、積み重ねられ、上から落とされる落下の重圧で隙間なく締められた状態になっているようで簡単には動かせそうにない。

 だからこそ俺の【死体を溶かす能力】が役に立つはずだと思う。死体の投下がこれ以上行われていないのであれば、少しずつ空いた空間を作り出せていけるはずだ。

 一応、グールさんが発生していないか、死体の背中に耳を押し当てて唸り声等々を聞いてみる。

 よし、何も聞こえない。死亡確認。

 俺は死体と死体の間に無理やんこ右手を差し入れ、頭部を探してまさぐった。――と、髪の毛っぽい感触があり、俺は意識を集中した。



 ――「あらぁ、門が開いたわ。ぎょうさん団体さんやわ。なんやろかいね?」

 ――菜園の手入れをしていたヒルデ姐さんが顔を上げて話しかけてきた。見れば、村の表門が開き、たくさんの人が馬に乗って入ってきていた。

 ――「なんやろうねぇ」私はヒルデ姐さんに聞き返した。「今朝方カステーロさん達が出て行ったばっかりなんにねぇ」

 ――「兵士さん達じゃなさそうやし、村長さん、なんか言ってたのを聞いたかいね?」

 ――「聞いてないわ」

 ――あまり人の往来のない村なので、私たちは急に来た団体さんに小首をかしげていた。

 ――ひーふーみー、と数を数えてみる。馬に乗った人が23人いた。うち一人がさっと馬を下りて村の表門を閉めた。

 ――そして、誰かが大声で「誰か、村長を呼んできて欲しい! 緊急報告だ。村の人間全員に話したいことがある。寝たきり老人以外はこの場に集まって欲しい」と言った。

 ――寝たきり老人という言葉にむっとしたが、ヒルダ姐さんが「村長さんは村の南側で回診中です」と伝えた。

 ――「なら、呼んできてくれ。全員集まり次第話をする」

 ――「わかりました」とヒルダ姐さん。「サーラさん、村長さん呼んできてもらえるけ?」今度は私に聞いた。「いいけど、あん人ら嫌な感じやね」「ほやね」私のぼやきにヒルダ姐さんも鼻を鳴らした。

 ――「ほんなら今から呼んできますから」そう言って私は作業用のエプロンを外すと坂に向かって歩き始めた。後ろから声がかかる「急いでくれ、ばあさん」私はむっとして言い返してやった「年寄りだかんね。急かさんね。早く動けんよ」

 ――「村人全員に声をかけてこの場に集めてくれ」私は聞こえないふりで坂を登るが、若い男どもが不満を漏らす罵声とともに、ドスンと、何かが――痛みが、背中が痛い……。痛みに耐えかねて私は膝をついた。

 ――「ばばぁ、聞こえなかったのかよ」「使えねえな。俺たちから探しに行こうぜ」

 ――「あんたらぁ! サーラさんになんちゅうことすんがかや!!!」

 ――聞いたことのないヒルダ姐さんの大声が耳に届く。

 ――痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い。何が起こったやね?!

 ――息が出来ん。苦しくて痛くて、ごぼりと血を吐きだしてしまう。

 ――堪えきれず泣き出して倒れてしまった。

 ――おかしいなぁ。私はこれまで病気ひとつしたことないやけどな……。

 ――痛い。ホント痛いわ……。



 意識が戻ってきてもこう薄暗いままだと、夢か現実か妄想か『瀕死体験』かわからなくなるな。そんなことを思いながらも、手を合わせておばあさんの冥福を祈る。冥福って何だろうって思いながら祈る。

 俺は矢で射られた背中の部分を、手の甲でごしごしこすって『幻痛』を散らすと、一人分減って少しだけ広くなった隙間に再び右手を突っ込んで頭部を探った。

 再び頭部らしきモノを発見し、意識を集中す――いやん、なんかべとべとするぅ。

 我慢して集中する。



 ――ドーンと音がして空を見上げると黒い帯状の煙が上がっていた。

 ――わしは面食らってしまい、隣で家畜の世話をしていたばあさんにあれは何だと聞いた。ばあさんも首を振るばかりでぽかんとした顔をしていた。

 ――何人か集まってきて、あれは黒煙弾じゃないかと言った。昔兵士だった人が言うのなら間違いないだろう。わしらは顔を見合わせるとぞろぞろと連れ立って様子を見に行くことにした。

 ――村の入り口の広場には20人ほどがすでに集まっていて、馬に乗った連中と何か話していた。

 ――どうやら何か重要な話があるらしく、村長をこの場に呼んできて欲しいとのことだった。だが、どうも様子がおかしい。連中の格好はとても町の兵士には見えない。薄汚れていて、まるで盗賊か乞食だ。

 ――「ここに来るんやし、探索者の人かねぇ」「鉱山はもう閉鎖したんにね」「そもそも道がないがに」みんな口々にしゃべり出した。

 ――うさんくさい連中はあきれた顔で「この村の住人は現在何人いる」と聞いた。

 ――「なんでそんなことを聞きなさるがけ?」「村民全員に王都からの勅命を伝えるためだ」「王都からやて! なんやろうなぁ!」「この村から出てけっちゅうんやないやろうな! 年寄りばかりやさけ、馬鹿にしくさって」「ほやほや」

 ――うさんくさい連中の一人が薄笑いを浮かべながら腰に手をやったが、うちひとりがそれを隠すように袖を伸ばした。わしは隣にいたゴスケと顔を見合わせた。

 ――「あんたらぁ、どこの人かいの?」「王都からきたものだ」「なにかそれを証明するもんはあるかいの?」「まずは村長に会ってからだ」らちがあかない。周りがざわつきだした。

 ――と、連中のうちのひとりが被っていたフードをとった。年若いきれいな娘さんだった。「わたしはアイーナと申します。王都からの勅使として参りました。訳あって皆さんにお伝えしなければいけないことがあります。とても重要なことなのです。ですからこれからする話は村長さん立ち会いのもと、みんなで聞いて、そして決断していただきたいのです」

 ――きれいな娘さんがいたこともあって、周りは少し落ち着きを取り戻してきた。「村長は?」「今、タローサが呼びに行っとるさかいに」「何の話かいの~」「まだ話せません。全員集まってからにします」アイーサは微笑みを絶やさずに言った。

 ――「ああ、ちょっとよろしいですか?」人波をかき分けて現れたのは、マチルダさんだった。マチルダさんは年寄りばかりのこの村で唯一幼い子供を持つ母親だ。

 ――「あなた方、王都からの勅使ということですけどね、ミサルダの町の兵士さんが一緒にいらっしゃらないようですが、どうしてなんでしょうか?」

 ――「町長に理由をお話しして、今回はわたしたちだけ通してもらいましたから」アイーナはスッと目を細めると、「……あなたは?」

 ――マチルダさんはアイーナの正面に立ち胸を張った。「私はこの村の『警備』を担当していますマチルダと言います。この村では兵士様以外の武器の持ち込みは固く禁じております。恐れ入りますが、お手持ちの武器がありましたら、一時的に預からせていただきたいと思います」

 ――『そんな規則はこの村にはないぞ』喉まで出かかった言葉をわしは飲み込んだ。マチルダさんが後ろ手に、人差し指で『×マーク』を作っていたからだ。わしとゴスケは再び目を見合わせて、頷いた。

 ――「そうだな。村長が来るまでの間に武器を預かるとしょうかい」「だな。うちの村長、規則には厳しいでの。んだって、町の兵士さん以外の人が来るのは久しぶりだなぁ~」そう言いながらわしらは連中に近づいた。

 ――「武器を預けるなんて話、聞いていませんわ」微笑をたたえたままのアイーナの目は、しかし笑っていない。

 ――「ですが、規則ですので。ミサルダの町のロゼッタ町長から話を聞いていないのですか? 彼女ならいつもきちんと話をしてくれるはずなのですが……おかしいですね」

 ――「話はほとんどしませんでした。王都からの勅書と外務大臣のサイン入り通行証を見せただけで、彼女には南門に通していただけました。わたしたちの任務は、村長への勅書の手渡しであって、それを妨げる行為は何人も許されていません。どうかご理解ください」

 ――「あらまあ」マチルダさんは大げさに驚いた顔を見せ、「どうしましょうか?」と周囲を見渡し、目で合図を送った。ウインクを二回ずつ。おそらくは、『勅使・偽物』のサインだろう。ミサルダの町長は男のはずだ。隣にいたばあさんが不安そうな顔で手を握ってきた。

 ――「そういうことでしたら仕方がありませんね。お話は広場で聞きましょうか。……ああ、ちょうど村長もいらしたようなので、はいはい皆さん、村長が通りますよ。皆さん、離れて離れて」マチルダさんは手を大きく広げると、鶏を追うように周囲の人を遠ざけた。その先に村長が歩いてくるのが見えた。

――わしはばあさんと一緒に後ろに下がった。マチルダさんが両手を振って村人をどんどん下がらせた。村長がゆっくりとした歩みで近づいてくる。

 ――と、にこにことした顔で連中に向き直ったマチルダさんが、突然、アイーナの乗った馬の顔をぶん殴った。もの凄い音がして馬の首が横にぶれた。馬はバランスを崩し、泡を吹きながら倒れた。

 ――マチルダさんは自分の方に倒れかかってきたアイーナを後ろから受け止め、そして細い首をひねり上げて見せた。

 ――「はいはい。そこまでだよ、盗賊ども。おとなしく武器を捨てないとこの娘の命は私の気分次第でなくなっちゃうよ」マチルダさんはドスの利いた声で連中――いや、これではっきりした――盗賊達に脅しをかけた。

 ――盗賊が腰に手をやるが、マチルダさんは容赦なくアイーナの首をひねり上げる。その目は真剣そのもので、有無を言わせない凄味があった。

 ――「オーエンさん、村長さん、村のみんなをもっと下がらせてくださいな。巻き込まれると危険ですから」

――「マ、マチルダさん、これはいったい何事ですか……?!」事情を理解していない村長がおろおろといった感じでマチルダさんに近づいていく。

 ――「に、二番を……」アイーナが首をひねり上げられながら呟く。「だまんなさい」とマチルダさんがさらに締め上げると、アイーナの体は急に力が抜け、動かなくなった。村長が慌ててマチルダさんに飛びつき、引き離そうとする。

 ――「村長、マチルダさんから離れて!」わしはそう叫ぶが、勘違いしてしまっている村長は聞く耳を持たず、マチルダさんをアイーナから引き離そうと躍起になっていた。

 ――その隙を突かれたのだろう、盗賊の一味が何か紐の付いた棒のようなモノを取り出し、続いてなにか――指をこすり合わせるような仕草で――導火線に『火』をつけた。

 ――シュウゥゥゥと、導火線が燃える。筒状のものまで、ものの数秒で到達しそうな勢いで燃えている。わしらは昔鉱山で働いていたからわかる。あれは――『ダイナマイト』と呼ばれるものだ。

 ――盗賊は、それをこともあろうかわしらの方に投げ込んできた。それを理解している元鉱夫たち同僚が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。もちろんわしもばあさんの手を取って離れようとした。

 ――そんな恐慌状態だったから、うまく周りが見えていなかったのだと思う。わしも、わしらも、そしてマチルダさんも。

 ――マチルダさんも当然それに気づき、「伏せてください」そう叫び、アイーナを放り出すと導火線に飛びついた。そして、危険を顧みず導火線の火を両手で握り消した。

 ――つかの間の安堵が訪れ、そして“バン!”という大きな音が村中に響き渡った。

 ――わしたちは気づきもしなかった。盗賊どもが火をつけたダイナマイトを投げ込んでも馬を下りようとしなかったこと。それどころか、剣を抜き、矢を番え、手斧を構えていたこと。残忍な笑みを浮かべていたこと。そして――気を失っていたはずのアイーナがむくりと起き上がり、懐から鈍い鉛色した鉄の塊を取り出すと、マチルダさんに向けたこと。

 ――マチルダさんは両手に導火線を握りしめたまま前のめりに倒れた。そのそばにアイーナが歩み寄った。

 ――「ダイナマイトだと思ったか? 馬鹿が。それは布を巻いた木の棒に導火線をつけたものだ。引っかかると思った。ババアは思慮が浅いからなっ、と」

 ――バン! と轟音とともにマチルダさんの背にまた大きな血のシミが広がっていく。

 ――「や、やめなさい!! あなたたちは――」バン! 村長が胸を押さえて倒れた。

 ――「もう、いい。全員殺せ」アイーナは首を回しながら命令を下す。「うおおおおお」と盗賊どもが吠えた。


 ――「待ちなさい!」マチルダさんの制止に、盗賊どもの雄叫びが止んだ。マチルダさんがふらつきながらも、ゆっくりと立ち上がる。「私が――そんなこと――絶対に――」


 ――バン! アイーナが手に持ったナニカを発射した。マチルダさんの頭部から血が舞った。周囲から悲鳴が上がる。ばあさんがしゃがみ込んでしまう。わしはションベンを漏らしてしまった。

 ――だがマチルダさんは倒れなかった。ふらつきながらも一歩、二歩とアイーナに近づこうとする。これにはアイーナも頬を引きつらせ、「くそがぁ!!」と再びナニカを発射した。

 ――バン! と破裂音が鳴り響き、マチルダさんは仰向けにひっくり返った。それでもアイーナはナニカを発射するのをやめなかった。耳が痛くなる破裂音とともに、マチルダさんの体に穴が空いた。

 ――やがて、カチ、カチと音が変わり、破裂音はしなくなった。アイーナは肩で息をしていたが、だんだんと収まっていき、のろのろとナニカを懐にしまうと、こう言った。


 ――「皆殺しにしろ」


 ――わしらは戦慄した。今まで動けなかった脚が、今更動けるはずもなかった。

 ――盗賊どもが再び吠えた。わしは動けなかった。妻がわしにすがりついて泣いていた。どこにもいけんかった。

 ――次々と周りにいる人間が、仲間が、友達が、妻が殺されていった。

 ――「あんたら、何しにここに来たんや?」ぽつり、そうアイーナに問いかけた。

 ――アイーナはけだるそうな顔をこちらに見せて言った。

 ――「そいつ、まだ生きてるぞ。ちゃんと殺せ」

 ――しかめっ面の盗賊がのしのし歩いてきて、「手間とらせんな」手斧を振りかざした。



 脳天から鼻の奥まで鈍い衝撃を覚え、俺は頭を振った。

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