第34話 死闘

「井戸なんですか?」


 地面から30cmほどせり出した、直径が150cmほどの円柱状の井戸は、木のふたの上に重しがのっけてある形からして『肥だめ』のようにも見える。井戸としてみるには何かが足りないなと思ったら、つるべ落とし……っていうか、くみ上げの桶とか滑車付きのロープとかそういうのだ。

 使われていないって言うのなら、空井戸なんだろうか。


「いやいや、ここは初めから抜け道用に作られたものじゃ。村は町と同じ、魔物よけにぐるりと塀で覆われておる。だからというわけでもないじゃろうが、わしのじいさまの時代に抜け道を掘ったそうじゃ」


 年寄り達は次々に重しをどかし、木のふたを手早く外していく。


「ふぅむ。水はたまっとらんようじゃな」


 弓矢を担いだヘルゲルが井戸をのぞき込んで言った。


「しかし懐かしいな。ゼペットは入ったことを覚えておるかの」

「うむ。あれじゃな、王都に出て行く前の通過儀礼のようなものじゃなったな」

「わしもそうじゃ。ただ、わしはそのことが親に知れてこっぴどく叱られてしまったがの」


 年寄り達はわいわいと昔話を始めてしまった。

 こういう場合、任務中だから無駄話はするな、とかってアドニスが言い出しかねなかったのだが、そのアドニスは年寄り達に背を向けて周囲を伺っている。

 さっき『思いやり』だとか話したから、気を遣っているのだろうか。……それにしては顔がこわばっているような気もするが。無理しているんだろうか。


「アドニスさん、大丈夫ですか?」


 一応声をかけてみる。


「……ああ。何か見られているような気配がしてな。トーダも周囲に気を配っていろ」

「本当ですか?」


 アドニスが頷く。

 改めて周囲を伺うが、木々や雑草が生い茂り、視界はそう広くない。それでも上の方で風が吹いているのか、葉擦れの音が止まない。

 隣では年寄り達が「では、誰が入る?」と年寄りの冷や水みたいな発言をしている。まあ、「トーダ、おまえ入れ」とか言われないだけましだけど。


「トーダ。あのダダジムとか言う猿に村の様子を見に行かせることは出来るか?」

「ダダジムをですか?」

「ああ、抜け道の“横穴”は入り口よりもさらに狭いらしい。俺やおまえはもちろん、後ろの連中も背をかがめて進まないといけないだろう。連中は入りたがるだろうが、入れさせるつもりはない。ここからロープで6m下りて、横穴に入り80m進んだ先は本当の井戸だ。桶とロープが垂れ下がっているだろうが、それを引き上げる天秤状の釣瓶竿や滑車は人の体重に合わせて作られていないだろう。井戸の内壁に指をかけて這い上がるしか方法はない。連中ではこれまでの疲労がたたり、井戸に落ちてしまう可能性もある」


 抜け道に降りるためのロープを握り「いや、わしが」「いやいやわしが!」「わしが最長年者じゃ、当然わしが!」などと言っているが、「じゃあ、俺が」とアドニスが手を上げれば「どうぞどうぞ」になるだろう。

 ……たまにチラチラこちらを伺っているし。まず間違いない。


「俺が入ることは初めから計画されていたことで、異存は無い。……だが、またさらに“見られている”感覚が強まった。気のせいかもしれんが、この手の勘はまだ外れたことがない」

「……じゃあ、ひょっとして見つかったかもしれないってことですか?」

「断定はできないが……」


 アドニスは目つきをさらに険しくして周囲に目を走らせている。


「ザイル氏の時に、すでに俺たちのことが知られていたとしても、この抜け道のことは知らなかったはずだ。ここのことはザイル氏にも伝えていない。彼から漏れたわけではないだろうが……」

「盗賊が村の住人を『尋問』したとすればどうですか? 一人ぐらいこの抜け道のことを話してしまうかもしれません。もしそうなら逆に数名は生かしてあると考えられます」

「……近いかもしれない……。だが、まだ正確に俺たちを見つけられていない……そんな感じだ」


 アドニスは俺の声が聞こえていないのか、剣の柄に手をかけようとゆっくりと動いていった。


「すみません。ダダジム達はまだ俺たちに追いついて来ていないようです。この際だから白状しますと、ダダジム達はザイルさんの援護に回らせました」


 俺の言葉にアドニスの指が止まる。


「あ、でも5匹がかりでザイルさんの決闘の邪魔をさせたわけじゃありませんよ。俺が命令したのは『決闘の邪魔をさせるな』ですから、三兄以外が攻撃対象――」

「諸先輩方っ! 盗賊に発見されました。警戒してください」


 アドニスは振り返りもせず、跳ね上げた右手を手信号にして年寄り達に警戒を促した。

 俺の心臓が早鐘のように鳴り出し、全身からぶわっと汗が噴き出してきた。手のひらの汗を拭きたくてズボンを握りしめると、笑えるくらいに足が震えていた。

 今まさに殺し合いが始まろうとしているのだ。


「トーダ、下がっていろ。命を守る行動をとれ」


 アドニスが押し殺したような声で呟いた。それだけで状況がもう引き返せないところまで来ているのだと感じた。

 戦闘に参加しなくてもいいはずなのに、俺は風のナイフの柄を握りしめたまま動けないでいた。

 それでもなんとか気力を振り絞り、「【鑑識オン】……俺」そして『平常心スキル』のスイッチを入れた。

 すうっと何かが抜けていくのを感じた。

 俺はすぐに抜け穴の入り口に近づくと、ロープ束を投げ込んだ。

 おそらくこれが最善だろう。


「中に隠れます。皆さん、ご武運を!!」


 応答のようなものが聞こえたが、それにはあえて応えず、しっかりとロープの一端を持つと、抜け穴側に身を反転させた。


「来るぞ!」


 アドニスが鋭く叫ぶ。戦が始まる。

 戦闘経験の無い俺が邪魔にならない唯一の行動は、おそらく戦闘が終わるまで隠れることだ。

 俺はロープに体を預け、一気に下まで降りると、“L”字に開いていた横穴に身を隠した――その瞬間から、戦闘が始まった。

 わゎわぁと聞こえてくるのは戦場特有のときの声だろうか。

 剣戟の音が時折聞こえ、静まり、また聞こえ、決して相手が一人ではないことがわかる。

 平常心スキルは有能だ。

 少なくともパニックになった状態から“考える”ことの出来る状態へと戻してくれる。

 餅は餅屋、戦闘は兵士に任せればいい。

 俺がこの場に隠れたことにも意味がある。ひとつは、邪魔にならないこと。守る対象がひとつ減ればそれだけ目の前のことに集中できる。ふたつめは、もしもの流れ矢に当たらないため。相手が弓矢を持っていないとは限らないため、怪我をするのは避けたい。みっつめは、俺が身を隠したことを相手に知らせないため。というか、俺の存在を隠すためと言った方がいいか。試みがうまくいけば、もしもの場合“俺だけ”は助かり、あとはダダジムが来るのをひたすら待てばいい。


 ダダジムが来なかったら? そんときはそんとき考えるさ。


 俺の隠れてている横穴は、入ってきた入り口と直径がほぼ同じ大きさで、150cm程度だ。先はこれほどかってぐらい真っ暗で……暗視が働いていたとしても、ほぼ何も見えないだろう深い暗さだ。今は『平常心スキル』以外スイッチが入っていないため、真っ暗としか表現できない。まだ動く気にはなれない。

 直径150cmの穴の中では立つことは出来ないが、中腰で動くことは出来るし、方向転換も出来る広さだ。俺は2mほど横穴の中に入り、目を閉じて耳を澄ませた。

 剣戟の音。誰かの声。まだ戦闘は続いているようだ。

 俺が横穴に入り、体育座りでアドニスから声がかかるのを待ち始めてからどれくらい経っただろうか。


 いきなり、人が落っこちてきた。


 目の前に、どちゃっと、人が。

 さすがに驚いたが、平常心スキルはさっき入れたばかりだったおかげか、心臓が飛び出るほどのショックはなく、冷静に落ちてきた人を観察できた。それが逆に……怖かった。

 落ちてきたのは、お年寄りの一人の、たしかゼペットと呼ばれていた人だった。

 ゼペットは頭から落ちてきて、そのまま重力でぐしゃりとなった姿勢で死んでいた。落ちる前に死んだのか、傷を負って誤って落ちたのか逃げようとしたのか、わからない。

 ゼペットはぴくぴくと痙攣していたが、やがて止まった。おそらく心臓も。


 血の臭いが漂ってくる。

 死体となったゼペットから血が流れてくる。

 俺はただじっと待った。


 少なくとも、俺がここに飛び込んだのは正解だったようだ。あの場に佇んでいたら真っ先に死体になっていたのは俺だったかもしれない。

 俺は時間を知るため、目を閉じて数を数え始めた。戦闘が10分続くとは考えにくかったからだ。


 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10……

 目を閉じたまま、ただひたすらに、それが自分の役目であるかのように数え続けた。


 566・567・568……

 1123・1124・1125……


 あれ、雷が鳴ったよ? バーンって。

 1354・1356・1357……


 ドサッ。また何かが落ちる音だ。今度は盗賊であって欲しい。

 まだかなぁ……。

 早く目を開けたい。こう言うのって、トランプでカードを配られている心境だよね。一枚ずつ配られるのを、その都度めくって一喜一憂するか、後でまとめて見るか。

 ああ。アドニスの呼び声が待ち遠しい。


「……あれ?」


 数え始めて、気がつけば眠ってしまっていたかもしれない。

 そんなわけあるか、と自身にツッコミを入れても……どうしても2000以上の記憶が無かった。

 辺りが暗かった。当然だろう。ここは抜け道のなかだ。

 でも、ゼペットさんが落ちてきたところまでは明るかったよね? ……夜? ひどいなぁ、アドニス達、俺のこと放っておくなんて。死体になったゼペットさんもそのままあるね。

 夜じゃないのかな? 目が慣れてきただけなのかな? まだ戦闘が続いているのかな?

 何も聞こえない。


「【鑑識オン】――俺」


 平常心スキルが切れているのを確認して入れ直す。少なくとも1時間以上は経っているようだった。放置プレイも甚だしい。ぷんすか。

 ついでに、その他の一般スキルを全部オンにしてみる。『暗視スキル』が入ったおかげか、辺りの状況が見えた。

 そしてだいたい状況が飲み込めた。先に平常心スキルを入れておいたのは正解だった。


 死体がふたつに増えていた。

 鑑識をかけてみると、兵士、ホーク・サバサンス<男・67歳>と出た。間違いなく、年寄り連中のひとりだ。年寄りの中で、あとひとりヘルゲルって言う指輪持ちの【弓術士】がいたはずなんだけど、ここには落っこちて来ていないようだった。

 落とされたのは二人だけ。ホークって言う人は頭を割られて死んでいた。殺されてからここに落とされたのかもしれない。口をぽかんとあけたまま上を見ているようだった。


 ……なら、アドニスはどうなったのだろう。

 何かが体の底から込み上げてきそうになるが、不思議な力がそれを押しとどめていた。

 俺は大きく息を吸い込んで気を落ち着かせようとした。

 だが、ある臭いに気づき俺は顔をしかめた。

 ちなみに、血の臭いでも死臭でもない。死んでしまった以上、血の臭いも『死臭』となってしまうため別段気にならないようだ。ネクロマンサーの特性である【腐臭耐性】が効いている。臭わないわけではないが、不思議なことに気にならない。

 こんな状況だ。死体の臭いが気にならないなんて、うれしくって涙が出るよ。

 ああでもこう、ツンとした――刺激臭はちょっとね。

 臭いの元は、『アンモニア臭』だった。ションベン。マイルドに言えばおしっこか。


「これって、上からおしっこかけられたってことだよな」


 言ってみて、再び目元から何かが吹き出しそうになったが、不思議な力ですぐに消えた。

 平常心平常心と唱え続ける。

 俺は二人の死体を踏まないように横穴から這い出ると、上を見上げた。

 木の蓋が閉まっていた。……気休めだが、その木のふたの隙間からわずかに光が漏れていた。まだ昼間らしい。

 俺が降りてくるときに使ったロープもない。どうやって上ろう……。


「これってやっぱりあれだよな。全滅ってやつだよな。絶体絶命ってやつだよな」


 まいった。マジで困った。どうしよう。どうすればいいか分からない。

 ……。

 ……。

 とりあえず、【魄】でもいただいておこうかな? 何が起こっていたか知りたいし。

 俺はホークに近づくと手を合わせた。――と、上からくぐもった声が聞こえて、俺は慌てて横穴に飛び込んだ。

 何を言っていたかよく聞き取れなかったが、下卑た笑い声だけは聞こえた。まだ見張りのような連中がうろうろしているらしい。

 まいったな。これで【魄】をいただいたら死体が消えることになる。そうなると完全に疑われるよな……。

 いろいろ八方ふさがりだ。結構泣ける状況なのだが、泣いていても始まらない。

 少なくともこの抜け道に降りてまで俺の存在を確認しなかったってことは、盗賊から見て俺は存在しない人ってことになる。


「上は見張りがいる。瀕死体験で情報を集めることも出来ない。……とすると、進むべき方向はこっちか」


 俺は後ろに続く横穴に目を向けた。暗視とはいえ、さほど遠くまで見通せるわけではないらしい。

 ぽっかりと空いた横穴は、昔見た山奥の廃トンネルのようで恐れを抱いてしまう。


 ――と、急に光が差し込んできた。

 一瞬びくっとなるが、俺は落ち着いて物音を立てないように後ずさった。少なくともこの位置ならば上から覗いたところで見えないはずだ。

 ただ、相手次第ではここまで降りて横穴の確認ぐらいはするかもしれない。“ここに来た”って言うことは、井戸までの抜け道があると知っていたはずだからだ。


 俺は息を殺しながら相手の出方を待った。

 ただ、様子見で蓋を開けたのかもしれないし、ションベンをするためかもしれない。ただ、ロープが下ろされた場合、降りてくるのは確実だろう。

 なにか、ぽとりと落ちてきた。白い包み紙のようだった。

 俺がよく見ようと身を乗り出して見ていると、続いて、じょぼぼぼぼっっと液体が一筋降ってきた。ションベンらしい。俺はほっと胸をなで下ろした。

 それもそうか、降りてくる気があるんならションベンなんてしないよね。


「……ん?」


 ションベンは白い包み紙を狙ってかけられたのか、包装が溶けて中の紫色の粉が溶かされて流れ出てきた。紫色の粉、だ。

 いやな予感がした。まさかとは思うが……。

 その答えを示すかのように、上から声が聞こえてきた。


「お~、よく出たよく出た。ばっちし、すっきり、さっぱり、元気」

「おい、ちゃんと『死霊の粉』にかけたんだろうな。おまえ、包み紙ごと落とすとかありえないぞ。ちゃんとそいつらが動き出すまで見とけよ。じゃねーと、下に降りて抜け道を確認してきてもらうからな」

「わーったよ。大丈夫だって。ほら見ろよ、上のやつの指がぴくぴくって――」

「動き出したら蓋を――」


 俺は最後までそれを聞かずに身を翻した。

 そしてそのまま150cmの横穴を中腰姿勢のまま走った。アドニスの話では横穴の全長は80mだ。うまくすれば追いつかれる前に村の井戸までたどり着ける。

 そこからはどうにかして村に潜入して、盗賊どもが出て行くのを息を殺して待つ。

 はい計画終了。走って走って。ランランrun。


 時折後ろを振り返りながら俺はひたすら横穴を走る。

 しかし、だんだんと狭くなってきているような気がして、ほとんど四つん這いの状態になりながらも、必死に手足を動かした。

 何度目かの後方確認で明かりが消えたのが見えた。蓋が閉じられたのだろうか。まだ半分くらいしか来ていないのに。中腰以下で走っているせいか腰が非常に痛い。だが、グールと化した年寄り連中に追いつかれるわけにはいかなかった。


「くそっ……くそっ……」


 遅々として進まない速度に苛立ちながら、俺はもしものことを考える。

 もしもグールの速度が俺よりも速かった場合、追いつかれるのは時間の問題だ。その場合、身を守る行動をとらないといけない。

 こんな狭い場所で、ひょっとすると2体同時とか正気の沙汰ではない。もちろん、右手を使って【魄】を吸い取るつもりだが、一撃必殺の右手は一本しかない。【魄】の吸い取り途中で2体目が襲ってきたら、瀕死体験は中断されることになる。瀕死体験の中断は俺の経験上、ものすごい精神負担になるし、おそらく抵抗も出来ずに2体目に食い殺されてしまうだろう。

 なら、1体目は風のナイフで仕留めて、2体目も出来ればそのまま仕留めたいところだが、同時の場合、2体目は右手を使ってでも防がないといけない。その場合、1体目対策は左手で風のナイフを持った方がいいのかな?

 まずは、1体目を確実に仕留める。続いて2体目。終わったらそれぞれ【魄】吸収。

 計画は以上です。おーけーおーけー。頑張るよおいちゃん。死にたくないからね。


 ……なーんか、後ろから嫌ぁ~な感じで声が聞こえているんですけどぉ。

 確実に向こうの方が早いんですけどぉぉ。

 くそぁ! やるしかねぇのかよ!!

 風のナイフを引き抜くと、刀身が淡く光り、周囲が少し明るくなった。

 後ろに向き直って構えるが、すでに横穴の高さは膝立が満足にできる高さじゃなくなっていた。この状態では正確に頭部を攻撃するには左手を地面につけて上体を安定させなくてはいけない。


 出来るか、俺?! いやちょっと難しいぞ、俺!! 泣き言言うな、俺!! そうよ頑張って、俺! 俺なら出来るぞ、俺! 俺、信じているから俺!!

 もう何がなにやらわからんよ、俺っ。


「――っつ!!?」


 うなり声の主が見え始める。

 グールはまるでトカゲのように地を這いながらものすごい早さで近づいてきていた。あの低い姿勢から飛びかかられた場合、正確に脳髄を攻撃できる自信は無い。

 前屈みの四つん這い姿勢では1体目ですら太刀打ちできないだろう。


「ええいくそ、ばっちこいやぁ!!」


 俺は意を決して風のナイフを鞘に収めると、仰向けに寝転がった。

 股をがばっと広げ、つま先を上げて構えた。腕を地面と水平にして身を起こすと股の間からグールの到着を待つ――まさに屈辱の『正常位スタイル(受け側)』だ。

 だがそれがいい!!!


「ォォォオオオオオオオオオオオオッ!!」


 恐ぇぇぇ!! ちびりそうだ。

 想像してみてくれ、死んだ年寄りが白目剥きながら四つん這いで突っ込んでくる状況を。

 こわくてこわくておそろしくて、逃げ出したいのにそれができない状況を。


 ……残り3m、2m――今だ!!

 俺は覆い被さってくるグールの大胸筋めがけて、両足を突き出すように一気に膝を伸ばした。


「ガァァァ!!」


 うまくいった。両足を使い上体を持ち上げられたグールは、横穴の天井に縫い止められるような形になった。俺がパワー全開で踏ん張っている以上、グールも動けないはずだ。

 俺は首を振りめちゃくちゃに暴れようとするグールを足裏で慎重にコントロールしながら風のナイフを抜いた。

 躊躇できるほど余裕もなかった。奥から2体目のグールさんのうなり声が近づいて来ている。

 俺は両手で風のナイフを構えると、グールの鼻の穴めがけて突き刺した。

 頭蓋骨は堅くてナイフの一撃では脳まで刺さらないと思ったからだ。骸骨の標本を見る限り、鼻は軟骨で出来ているから頭蓋骨よりましだと考えたわけだが――


 風のナイフは豆腐でも切るようにたいした抵抗もなく、ずぶりと根元まで突き刺さった。刀身の淡い光が鼻の奥に消え、グールの暴れ方が一段と激しくなる。

 俺は心の鍵をかけるように、ナイフの柄を右にこじった。

 途端、グールの抵抗は止み、ぴくりともしなくなった。だが、安心するまもなく2体目がうなり声を上げてやって来た。

 風のナイフをずるりと引き抜く。淡い光が横穴を照らす。俺を照らす。地獄を照らす。


 ぷつん、とそのとき何かが切れた気がした。よくわからないけれど、それは俺にとって大切だった何かだった。


「…………せわしないな」


 俺は落ち着いて、慎重に覆い被さっていたグールをどかすと、少しだけ後ろに下がり、もう一度正常位ばっちこいスタイルをとった。


「ばっちこいやぁ! おらぁ!」


 ぶっ飛びかけの頭に気合いを入れてそう叫ぶと、ケツ穴に力を込め、本日2体目のグールさんを大股開きで迎え入れた。

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