第32話 アドニスとの会話①
「さ、三番目のお兄さんの話はまだ聞いていませんでした。それに、ザイルさんがいつ魔物を殺せるようになったのかも聞いていませんっ!」
「それは私が終わらせたあとでお話しいたしますじゃ。短い限られた時間ですべてを話すには……ほほほっ。むしろ、トーダ様にはこれより先、ラフィア様のことに心を向けた方がよいでしょう。いずれ会うことにもなりましょうし、私にもしものときには、手数ですが、孫たちにそのことを伝えていただけると助かりますじゃ」
「だからこそ全員で――」
そう言いかけた俺の言葉を、ザイルさんは手を上げて止めた。拒絶するように。
そして有無を言わせぬ瞳が、無言の圧力をもって俺を引かせた。
「精霊使いには精霊使いにしか知覚できない感覚がありますじゃ。前に休憩したときも、そして今回も『水』の精霊魔法を使った痕跡があり、私はずっと警戒しておりました。三兄が森に私を誘った以上、そこには罠もありましょう。……私は、あなた方をお守りしつつ三兄と戦えるほど余裕はありませんですじゃ」
「つまり、俺たちではザイル氏の足手まといにしかならないということか」
アドニスは静かにザイルさんを見つめると、ザイルさんはその視線から逃れるようにぺこりと頭を下げた。
「ほほほっ。トーダ様もアドニス様も、これはただの獣人同士の兄弟喧嘩ですじゃ。馬鹿な兄貴が改心すれば良し、改心しなければするまで殴るのをやめない……そんな喧嘩ですじゃ。もちろん私も負けるつもりは毛頭ありませんですじゃ。孫には夜までには帰るとそう言って出てきましたから」
ザイルさんは頭を上げると俺たちに、ほほほっと笑ってみせた。
「おぅい、アドニス。作戦はちゃんと伝えたのかの。ならばそろそろ行くぞぃ」
「村まではもうすぐじゃ。馬ももう十分休んだじゃろう」
「行かんのなら、わしらだけで様子を見てきてもいいんじゃぞ?」
お年寄りたちがしびれを切らしたのか、口々に言い始める。アドニスはそれを一瞥すると、
「ザイル氏の馬はここに残していく。ザイル氏は任務遂行したあとは直ちに町まで戻り、隊長に報告をすること。いいな?」
「拝命いたしましたじゃ。任務遂行の後、直ちに帰還いたしますじゃ」
ザイルさんはアドニスに敬礼すると、俺の前を横切り、獣人が消えていった森の中に向かおうとした。
だが、二人の軽率な行動に全く納得がいかない俺は、反射的に手が動きザイルさんの手を取っていた。
「待ってください。まだ話が――」
「痛っっ――!!?」
ザイルさんの顔が痛みに歪むのが見えた。
こともあろうか俺は包帯の巻いてある右手を掴んでしまっていた。ただ近かったというそんな単純な理由で、――利き手とは逆の“左手で”。
初めは、しまったと思い手を離そうとしたが、突如として目の前に映し出された【文字】に、俺は放しかけていたその手を強く握り直した。
ザイルさんの非難めいた目にさらされながらも、俺は思わず唇がほころぶのを感じた。
目の前には……いや、俺の視界に書かれていた【文字】はこうあった。
『修復可能な負傷箇所に接続しました。【魄】の“転用”を開始しますか? はい/いいえ』
俺は、迷わず『はい』を選んだ。
『負傷以前の状態まで戻すのに 6% の【魄】が必要です。実行しますか? 238/6 はい/いいえ』
二度目の確認が聞かれた。
238とは今の俺が手に入れている【魄】の%表示したものだ。
ザイルさんは苦痛を訴えながらも俺の手を振り払おうとはしなかった。アドニスが俺の肩を掴んで引き離そうとする。
俺は構わず、『はい』を選択した。
その瞬間、何かが左手を蛇のように螺旋状に伝っていき、そして――
「ぎゃあ、あぎっぃ~~っっ?!!!」
ザイルさんが高い悲鳴を上げて膝をついた。
俺は一瞬何が起こったのかわからなくなり、思わずザイルさんの手を放してしまった。
ザイルさんは右手を押さえるとうずくまり、地面に頭を打ち据えるように目を閉じていた。その姿は、回復や治癒とはほど遠く、ただただ痛みに耐えかねているように見えた。
俺の心臓は早鐘のように鳴りはじめた。
どうなった? 何をした? どうしてだ? なぜだ?
わからない。
俺は『転用』を使うことで、以前ジルキースが俺に施してくれた治癒魔法のように、ザイルさんの手もこれで回復されるものだと思ったが、予想とは違う結果に俺の思考は混迷を深めた。
ひょっとして、『転用スキル』は回復させるものではない……?
「トーダ。いい加減にしろ! これ以上ザイル氏の邪魔をするのなら、もう一度おまえを殴り、今度は気絶させたまま馬に縛り付けて連れて行くぞ!」
「あ、ぐぐぐっ……」
俺はアドニスに胸元を捕まれると、ぎりぎりと締め上げられ怖い顔ですごまれた。
息が出来なくなるのを恐れ、思わずコクコクと頷きかけたとき、ザイルさんの声が聞こえてきた。
「……治って、いますじゃ」
俺は締め上げてくる手に自らもう一捻り入れて、ザイルさんを見た。
ザイルさんは自分の右腕を確かめるように指を開いたり閉じたりしていた。俺はアドニスの手をペチコペチコ叩いて抗議すると、アドニスは観念したように手を離した。
「すまん……。俺の早とちりだったようだな」
「だ、大丈夫ですかじゃ? トーダ様」
心配そうにザイル氏が駆け寄ってくる。
俺はありったけの空気を鼻水と一緒に咳き込み、総交換を試みると、そのまま天を仰いで寝転がった。
「治ったんなら、これで互角です。もう俺からは何も言いません。お兄さんをぶっ殺して、ケイトさんに悪は滅びたと報告してあげてください。あ、死体はそのままでお願いします。帰りに『浄化』しますので」
「……ほほほっ。トーダ様、アドニス様、勇敢な兵士の皆様、しばし
「気をつけて……。ザイルさん、右手の包帯は町に帰ってから外してください。これはただの『助言』ですが、痛そうなふりをすると油断を誘えます」
「わかっておりますじゃ。ありがとうございます、トーダ様。流石は孫の選んだお方ですじゃ……ほほほっ」
ザイルさんの遠ざかっていく小石の足音を聞きながら、ふと気配を感じ見上げると、傍らにいたダダジムたちの心配そうな顔と目が合った。
「……おまえらがいたなぁ……」
むくりと身を起こしてみる。すっかり忘れていた。こいつらを使わない理由は無い。
「【鑑識オン】俺」
事あるごとに外れている平常心スキルを入れ直しながら、232%となった【魄】の表示を見つめた。
『転用スキル』は【魄】を消費してザイルさんの負傷箇所を治療した。『転用』とはつまり、【魄】を魔力として転換し、それを治療に流用することを指しているのだろう。ただ、治療途中でザイルさんが痛みに悲鳴を上げたのが気にかかるけれど。
「クルルルル...」
「わかってるよ。だけど、アンジェリカに引き渡す前にもう一仕事してもらうからな」
俺はアドニスと年寄りたちがザイルさんのことで話し合っているのを横目に、『作戦』についてダダジムたちと話し合うことにした。
「さっきは……悪かったな」
村に向けて出発してすぐにアドニスが謝ってきた。
隊列は年寄り3人が先行して走り、その後ろ20メートルほどを俺とアドニスが並列して馬を走らせてる構図だ。
「おまえがザイル氏の怪我を悪化させてまで引き留めようとしているのだと勘違いしてしまった」
「ああ、そのことですか。えーと、……よく見たらザイルさんの手首が外れているようだったので、ちょいちょいと治しました。ですが、あそこまで痛がるとは思わなかったので、てっきり失敗してしまったのではないかと青ざめましたよ。うまく治ったからいいものの、怪我が悪化していたら、それこそアドニスさんにぶん殴られても仕方なかった状況でしたから。構わないですよ、別に怒っていませんから」
「そうか」
アドニスが少し安心したように小さく呟く。
うむ。やはり『平常心スキル』が入っていると調子のいい嘘がぽんぽん出てくるな。いや別に平常時の俺が嘘つきだとかそういうことではなくてですね。
「それより、ザイルさんが盗賊討伐の任務のときはいつも参加してたって本当ですか?」
「同じ班になったことはないが、参加していたのは知っている。同じ班になった同僚の話だと、盗賊に堕ちた同族を掟に従って処刑すると言っていたそうだ」
「その同族って言うのが、ザイルさんの三番目のお兄さんだって言うことは知っていたんですか?」
「ああ。以前にバルバ隊長から聞かされたことがあった。ザイル氏は兵士や冒険者でもなければ人族でもない。他から見れば、ただの亜人が盗賊討伐の任務に参加してくること自体異質なことだったからな。ただ、ザイル氏はあの通り精霊使いで、過去の冒険者登録も王都での実績もある。兵士長と町長の特別許可で同行が許されていたわけだが、……俺も精霊魔法とやらを初めて見たが、通りで同僚がザイル氏を自分の班に引き入れたがるわけだ」
俺は相づちを打ちつつも、腑に落ちないことを感じていた。
道がなだらかな傾斜にかわった。前の方でも年寄り3人組が併走して、手振り身振りで何かを話している。
「以前の盗賊討伐の任務で、ザイルさんが人族の盗賊を殺したという話は聞きましたか?」
「いや、ザイル氏が『討伐』した盗賊の数は0だ」
「一人も殺していないってことですか? その数字に間違いは無いんですか?」
「討伐任務は全員がパスを繋いで行動するからな。討伐数の記録には間違いは無いはずだ。ただ、ザイル氏の場合、生かしたまま捕らえた数が18人だったと記憶している。盗賊とはいえ人族を殺せば角が立つと思ったのだろう」
相変わらずアドニスはとんちんかんなことを言っている。
『盗賊討伐』が今までに一度も出来てないじゃないか。『人族を殺せば角が立つ?』それこそ勘違いだ。
ザイルさんは結局、殺すことをためらっているだけだろう。
魔物を殺した手際は凄かったと思うけど、その殺意を一度でも人に向けたことがあるんだろうか。ましてや恩のある三兄に向けられるのだろうか。
「……アドニスさんは、ザイルさんが三兄を追いかけると言ったとき即座に了承しましたよね? あのときはまだ右手を怪我していたままでした。そんな状態で、ためらいもせず送りだそうと判断したのはなぜですか?」
「ザイル氏の同行は『特別任務』だ。俺たちの『先遣隊』とは任務の方針が違う。俺たちとはただ一緒に行動を共にしていただけで、ザイル氏はザイル氏の考えで動くことが許可されている」
だんだんと俺にはアドニスという人間がわからなくなり、同時にアドニスという人間性を理解しつつあった。
「さっきも提案しましたけど、アドニスさんがザイルさんの援護をするという形で、三兄を協力して討伐する考えは無かったんですか? もしくは全員で出来る範囲で協力するという方法があったでしょう。ザイルさんは右手を怪我していたんですよ」
「トーダこそ何を聞いていた。精霊魔法に対して俺たちは何の対策も出来ていない。足手まといになるとザイル氏もそう言っていただろう。それともなにか、前に居る連中が役に立ってくれるとでも思っているのか?!」
アドニスは声を荒げて俺を見た。俺も俺の意見があるので真っ向から対峙する。
「もしもザイルさんが怪我が原因で負けてしまっていたらどうするんですか? そもそも原因は俺ですけど、そういう意味じゃ無くて、もしも負けてしまったら、村の様子を見に行った後の帰り道で、今度は三兄と俺たちが対峙することになるんですよ。おそらく罠が張られている状態のところに、ひょっとすると盗賊の追っ手から逃げている状況かもしれません。そうなれば挟み撃ちです。生きて帰れる可能性は低くなってしまいます」
「だったらどうするんだ。強引に手を貸してザイル氏の足手まといになることがおまえの言う作戦か?! それはただの感情論だ」
「いいえ、俺はただ意見を言っているだけです。作戦の内容なんてまだ話していません。いいですか、アドニスさん。俺が言いたいのは、“ザイルさんの相手が三兄一人でなかった場合の対処法”です。精霊使い同士の争いごとに首を突っ込むことは出来ないというのはザイルさんも言っていたことですし、それはわかりましたが、相手が一人では無い場合もあります。相手は盗賊で、正々堂々なんて考えもしないはずです。俺も『浄化中』に盗賊どもの非道さを見て知っています。アドニスさんだって、盗賊と交戦したことがあるのなら、相手の狡賢さをよく知っているんじゃないですか?」
「…………複数で待ち構えている可能性か」
「そうです。1対1の勝負と見せかけて、話し合っている最中に後ろから弓で射られるということは考えられませんか?」
アドニスはぐっと押し黙った。
ならばと、俺は続ける。
「俺が提案したのは、アドニスさんがザイルさんのサポートに回る作戦でした。盗賊どももどうせやるなら楽に勝ちたいと思うでしょう。1対1よりも2対1、さらには3対1でも勝てればいいんですから。ザイルさんの同族同士の
ただ、それが通用するのは相手が『力比べ』を望んでいる場合に限られると思います。ザイルさんが行動の基礎に掲げる『掟』『兄弟げんか』『プライド』なんかは、追い詰められた盗賊――三兄からしてみれば、ただの独り善がりに見えるのかもしれません」
「……どうしてそう言いきれる」
アドニスは顔をこちらに向け言った。
「三兄の目を見たんですよ。片方の目は醜く潰れていました。……ザイルさんが言っていましたよね? 『あれは昔、私を見逃した罰として頭目に潰された痕らしい』って。昔っていつだと思いますか? 30年前だそうです。そんな昔に出来たような傷が、今でも膿んでいるかのように赤く爛れているはずがありません。……これは俺の想像かもしれませんけど、三兄はザイルさんのことを逆恨みしているんじゃないかって思ったんです」
俺は向かい風に負けず短く息を吸うと続けた。
「俺の目から見て、二人の実力は拮抗していると思います。ザイルさんの口ぶりでは過去にも三兄とは争った感じでした。そのときつかなかった決着をつけるために、ザイルさんは積極的に三兄を追っていたのでしょう。一方、三兄は『復讐』が望みです。復讐に『力比べ』は必要ありません」
「なら、今回の盗賊の襲撃がザイル氏への復讐劇であったとでも言うつもりか」
「まさか。今回の襲撃がザイルさんへの復讐で行われたというには無駄が多すぎますし、少なくとも『浄化中』に二人の姿を見た覚えがありません。ひょっとすると今回の襲撃もお互いがお互いの存在を知らないところから始まったのかもしれません」
「つまり、どういうことだ?」
「ザイルさんも言っていた、『精霊使いには精霊使いにしか知覚できない感覚がある』ということです。簡単に言えば、犬が縄張りにおしっこかけてまわる行為のようなものです。町にはザイルさんの精霊魔法の使った痕跡があり、三兄はそれでザイルさんの存在を知ったのではないでしょうか。もしも事前にザイルさんの所在地を知ることが出来ていたなら、もっと別な方法があったでしょうし、三兄がザイルさんの存在に気づき、自分を追ってくるだろうと考えていたとしたら、一応つじつまは合います」
「わからないな。ならばなぜ、前回の休憩のときに三兄はザイル氏に声をかけなかった? ザイル氏は『前に休憩したときに三兄の存在に気づき、警戒を強めていた』と言っていた。なぜ精霊魔法の痕跡を残し、警戒させるような真似をした? 前回の休憩のときも、条件は同じだったはずだろう」
そうだ。ザイルさんの様子がおかしくなったのは初めの休憩からだ。俺が気絶していたときに、ザイルさんは三兄の使った精霊魔法の痕跡から存在を知ったのだろう。
待ち構える条件で言うなら、別に最初に休憩した場所でも良かったはずだ。警戒もされずに、同じようにザイルさんを森に誘うことが出来る……。
一度目の休憩時と二度目の休憩時、この二つの違いは何だ?
考えろ……。
こういうとき『平常心スキル』よりも『推理スキル』みたいなのが欲しいね。
……スキル?
あ、ひょっとして。
俺はザイルさんが言っていた言葉を思い出す。
『精霊使いには精霊使いにしか知覚できない感覚がありますじゃ。前に休憩したときも、そして今回も『水』の精霊魔法を使った痕跡があり、私はずっと警戒しておりました』
三兄は二度の休憩時に『水』の精霊魔法を使っている。
何のために『水』の精霊魔法を使う? 水筒に水をくむ? 馬に水を飲ませる? 少なくとも攻撃や罠を張るためではない。罠を張るなら『土崩属性』の精霊魔法で落とし穴だろうか。
今までその手の落とし穴が設置されていなかったのは、設置してもザイルさんに感づかれるためか、小細工などしないという意思表示なのかわからないが。
「これもただの勘なのですが、三兄の方も盗賊の中では位の低い方ではないかと思うんです。ザイルさんが町で亜人扱いで肩身が狭いように、三兄も未だ盗賊の中でちゃんとした扱いを受けていないんじゃないかって思うんです」
「……その根拠でもあるのか?」
「初めの休憩のときに、三兄は『水』の精霊魔法を使いました。何に使ったんだろうって考えてみたら……これは全部想像でしかないんですが、『武器の血脂を落とす』『血の臭いを落とす』ことじゃないかって思うんです。もしも、町の判断ですぐに追撃されるのだとしたら、それに対抗するために少しでも短い時間で装備を整えようとすると思うんです」
「なるほどな。だが、それは盗賊どもの通常行動の範疇じゃないのか? 三兄が精霊魔法を使えるから、いつものように役割をこなしているだけじゃないのか?」
「すみません。あくまで想像ですから、盗賊の主従関係とかはわからないので
すみません、話がそれました。三兄が待ち伏せしていたというのは確かなんでしょうが、一度は村まで盗賊どもと一緒に攻め入ったんじゃないかと思います。理由は、すぐ後から追撃隊が自分たちを追ってきている可能性があったからです。そして村を占領して、盗賊どもが追撃隊が来ないと判断したうえで、三兄をあの休憩地点に配置した、もしくは自らが志願して『物見』の役を買って出たかでしょうか。ザイルさんが追ってくることを意識してだとすると、数人の仲間を連れて来ている可能性もあります」
「ならば逆に、ザイル氏との決闘目的で村には行かず、一人あの場に残ったということは考えられないか?」
「その可能性もないわけではないでしょうが、少なからず『計画的』な印象を受けました」
「どういうことだ?」
俺はこの世界の人間でも戦闘経験者でもないから、うまく言えないし、間違っているのかもしれない。
「三兄がザイルさんに声をかけてくるタイミングが遅かったんです。ザイルさんと俺が二人きりで話していて、アドニスさんたちも川岸で馬を休ませていたじゃないですか」
「ああ、そうだったな」
「もしもザイルさんを待ち構えていただけなのなら、アドニスさんたちが離れていた隙に、ザイルさんの前に顔を出せばすむことです。それを十分馬を休ませた出発ギリギリになって姿を見せたんです。――つまり、その間に仲間たちを特定の場所に移動させていたか、簡易的に罠を作成したかです。精霊魔法で罠を作るとザイルさんに気づかれるので、おそらくは仲間の配置……もしくは、馬を休ませる時間を作ったことで、ザイルさんと俺たちを分断する状況にしやすくしたのか、たぶんどちらかです。ああ、あと仲間が居たとすれば村に何らかの方法で連絡が取られている可能性があります」
そう言ってアドニスの顔色を伺うが、アドニスは平然としていて視線だけをこちらに向けた。
「……仮に、トーダの言うとおりだったとしよう。ザイル氏が伏兵の居る罠にむざむざかからないように俺がサポートに回ったとする。だったら、相手もそのことに気づき作戦を変更するはずだ。手こずると分かれば、村に居る盗賊たちを呼び寄せることにもなりかねない。それに――もう、着いた」
「あ……、はい」
見ると、前の年より三人組が手で合図して馬の速度を落としていた。俺たちもアドニスの手綱さばきで徐々に速度が落ち、やがて止まった。
「おおよそここが村から3kmほど離れた場所じゃ。ここからは馬を引いて森の中を歩くとするぞぉ」
「この先のカーブを曲がりきれば、村までは直線じゃからの。村にも『物見台』があるし、発見されればひとたまりもないわい」
「わしらはこれから森の中に入り、右回りで村の側面に回り込み、村の空井戸と繋がっとる『隠し通路』から潜入し、村の様子を伺う。これが作戦じゃ」
年寄りたちは俺とアドニスの顔をみて了承をとると、「なら行こうかの」と馬を下りた。
俺も慌てて馬を下りる――と、アドニスが腰の道具入れの一つを開き、何かを取り出した。
「……なんですか、それ?」
「“雷鳴鳥”だ。飛翔文よりも早く町に飛び、情報を届けることが出来る。それぞれ情報ごとに向こうに連絡を送っている。……気づかなかったのか?」
そう言ってアドニスは手のひらを開くと、頭に長い毛の生えたツバメのような鳥を空に放った。雷鳴鳥は凄い早さで空高く羽ばたくと、矢のような速度で町の方角へと飛んでいった。
あっという間に見えなくなる。
「飛翔文と違って手紙は持たせられないが、情報分けされた雷鳴鳥を町に向けて飛ばすことで逐一こちらの進捗状況を報告できる。今のは『村へ潜入する予定・またはその直前』と言う情報だ。今までにも3度雷鳴鳥を飛ばしている。一度目の休憩地点、二度目の休憩地点、ザイル氏の離脱、そして潜入直前の4匹だ」
「ザイルさんが離脱したときのための雷鳴鳥まであったんですか?」
「ない。ただ、予備の雷鳴鳥が一匹いるからそれに書き込んだ。雷鳴鳥の腹は白いからな。木炭で文字が書ける。何なら背中にもチョークで文字が書ける」
……ザイルさんのことは報告したんだ。
アドニスは俺の馬も管理してくれるらしく、二頭の馬の手綱を引きながら年寄りたちの後に続いた。
俺は前を歩きながら、
「なるほど。その雷鳴鳥は町に居る『魔物使い』の元に飛ぶわけなんですね。……すごいな、なんかすごいな……」
俺たちの世界でも戦争は情報戦だと知っていたけど、よもや『魔物使い』がこういう使われ方するとは思わなかった。情報局か郵便屋さんか、とにかく『魔物使い』も町に一人は欲しい逸材だろうか。
「じゃあ、その腰に巻いてある道具入れはひょっとして」
「ああ、それぞれの箱に6匹入っていた。残り2匹だ。中はこうなっている」
アドニスは腰の道具箱の一つを開けて見せた。
道具箱は、上からかぽっと開ける『キノコの里』タイプの立方体箱で、開けてもすぐに鳥が居るわけではなく、針金で作ったような檻で中身がすぐに飛び出さないようになっていて――。
「……? 雷鳴鳥が居ませんよ?」
「当然だ。隣の箱の中で眠らせてある。体をバンドで固定させて眠らせてあるから多少動かしても起きたりはしない。光を浴びせればすぐに目を覚まして、飼い主の『魔物使い』の元へと飛んでいく仕組みだ」
「へぇ~……。りくつなー」
「なんだそれは?」
「ただの方言です。文化でも情報でも科学でも技工学でも、自分たちの知っている知識より優れていると感じたときに使う褒め言葉ですよ」
たぶん。
「じゃあ、残りの2匹の情報は『村が占拠されていた』と『住民は無事だった』のふたつですか?」
「いや、『最悪の事態』と『情報を持って帰還する』だな。トーダも見ておけ、右が『最悪の事態』左が『情報を持って帰還』だ。左は腹に俺のサインがないと『最悪の事態』と同じ意味にとられてしまうから、トーダが使う分には同じ意味になる。……もしものときはおまえが雷鳴鳥を放ってくれ」
アドニスは腰の左右の雷鳴鳥ボックスを指さしながら言った。
俺が返答に窮していると、
「前の連中にも伝えてある。もっとも、今夜中に町に戻ることが出来なければ『最悪の事態』が起こったと判断される。そうなれば『討伐隊』は編成されず、南門は完全閉鎖される。――村までの道は半年以上は封鎖状態になるだろうな」
「討伐隊が編成されないってことは、もし捕まったとしても助けが来ないってことですか?」
王都からの応援って意味ないじゃん。
眉をしかめる俺にアドニスは「当然だ」と言い放った。
「仮に俺たち兵士が殺されて、無抵抗なトーダが盗賊に捕らえられた場合、盗賊どもは今町でどのような作戦が練られているか、情報を聞き出そうとするだろう。トーダは拷問に耐えかねてすべてを話してしまう。そうなればトーダは用済みで殺される。そして、再編成された討伐隊が盗賊どもが去った後の村にのこのこ出向き、設置されていた無人の罠に引っかかるわけだ。盗賊もおまえ一人を生かしておく理由もないだろうからな。
南門封鎖は二次被害の防止だ。……どうせ王都の連中もそれが分かっているんだろう」
「つまり、王都から大勢でやってくる自称『討伐隊』はポーズだけだってことですか。先遣隊の情報を元に、村人が全滅していて盗賊が居なければ良し、盗賊が居て俺たちが戻らなくても良し、困るのが村人が人質になっていて、俺たちが情報を持って無事帰ることですか」
「さあな。それは俺たちが考えることじゃない。ただ、村まで盗賊どもが向かったのであれば、南門から出て行った盗賊が『町を再び襲うための陽動作戦』とは関わっていないことになる。どちらにしろ俺たちが戻る頃には、王都の連中の第一陣がすでに町に滞在しているだろうし、改めてミサルダの兵士で編成された討伐隊が総力を持って村奪還に動くという感じになると、まあ、クレイは言っていたな」
……あれ? なんかおかしいぞ。
「王都からの援軍が町についても、討伐隊が組まれるのはミサルダの町の兵士だけなんですか?」
「王都の兵が動くときは『町単位』に限られている。だからミサルダの町を守るために王都は兵士をよこし、そして村の奪還には町の兵士が出向するわけだ。東門から出て行った盗賊どもに再び町を襲わせないようにして守りを固めるのが王都の兵の方針だ」
「……俺が聞いた話だと200人規模の騎兵と魔法使いが編成されたって……」
「それだけいれば町の全兵士が出向しても町の安全と治安を守るには十分だ。昨夜の会議では、唯一、ジルキース氏だけが町の守りを捨て『村奪還』を掲げた『討伐隊』を即日編成することを提案していた。彼にとっては当然の行動だろうと思う、なにせ前日までその村に滞在し、村の住民と話していたわけだからな。……結局否決され、今日になって先遣隊にもジルキース氏の名前が消えていたわけだが……町の騒動が収まったと同時に討伐隊を編成し、村奪還に動いていたら……村人は数名は助かっていただろうかと思うと、な」
「その代わり、数名の兵士は命を失っていたと思います」
俺はぴしゃりと言い、釘を刺した。
「それに、ジルキースさんはただ町に残っただけではなくて、『治癒魔法』を駆使して重傷兵士の治療を行ってくれています。それだけで数名の命が助かることになります」
「……トーダ」
名を呼ばれたので視線だけを向けようとして――目の前にアドニスの拳が迫っているのに気つき、俺は思わずのけぞった。
何のいたずらかと抗議しようとしたが、
「兵士をなめるな」
そのままアドニスにデコピンされた。
ぺちんといい音がして、俺はうめき声を上げた。
「クレイに『トーダを殴るな』と言われている。言われてなけりゃ殴っていたところだ」
「いたた。なにするんですか、もう」
「トーダ。もしもおまえの家族の住む家が火事になったらどうする?」
唐突にアドニスが“もしもの話”を問いかけてくる。
俺はデコピンの痕をなでながら答えた。
「できる限り火を消そうとします」
「二階でおまえの母親が取り残されている。どうやら逃げ遅れたようだ。どうする?」
「水をかぶって助けに向かいます」
「いい心がけだ。なら火事が起こって燃えているのが隣の家ならどうだ。同じように二階から年寄りが助けを求めている。どうする? 水をかぶって助けに向かうか? それとも自分の命と他人の命を天秤にかけるか?」
「それは……」
「おまえにとっては他人事かもしれないが、俺たち『兵士』にとってはどれも同じ命だ。そしてすべてに命をかける義務がある。俺たちが命を張らないでどうする。村の住民が年寄りばかりだから殺されても仕方ないのだとあきらめるのか? おまえの家に盗賊どもが入り込んだと知らされて、一晩たったからあきらめろと言われて頷くのか? 誰か一人、床下にでも隠れている者が居るかもしれない。今も震えながら待っているかもしれない。
いいか、トーダ。俺たち兵士の任務はすべて、命を捨てる義務はないが、命を張る理由はあるんだ。覚えておけ」
「……わかりました。すみません」
俺は軽々しい発言だったと、素直に反省し頭を下げた。
「いい。ただ俺たちが無事に帰ることが出来なかったら、
「いえ。……一応、今日から町の住人になるので。……ただ、俺にとっては町の兵士の命も町の人の命もザイルさんの命も平等です。どうしても目の前に助けられる命があれば、そっちを優先してしまいます」
「そうか。……トーダは兵士には向かないな」
「すみません」
「謝るな。トーダは『浄冼師』だろう。……ただ、この任務に参加している以上、俺の指示には従ってもらう。……反省会は帰ってからだ」
「反省会って、ひょっとしてクレイから聞いたんですか?!」
俺は驚いて、つい大きな声を上げてしまった。
慌てて口を閉じるも、年寄りたちの歩みは止まり、しばらくの後、「しぃ~」っと年寄りの一人に注意された。
「……すみません」
「大丈夫だ。見られている感じはしない。小声で話す分には、むしろ臆病なこいつらも安心する。問題なのはこいつらが恐怖でパニックを起こして暴れることだ」
アドニスはそう言って2匹の馬の鼻面をなでた。
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