第31話 ラフィア

「ケイトは時折、葬儀や教会の仕事を手伝い、神父様から頂く『町内発行券』を集めては飛翔文を母親に送り続けておったのですが、始めの頃は返事はろくに返ってこなかったですじゃ。返ってきても、先代長老の奥方さまが代筆しておりましたじゃ。それでも孫は『町内発行券』を集めては飛翔文を送り続けましたじゃ」

「『町内発行券』ってなんですか?」


 俺は知らない単語が出てきたので、ザイルさんに聞いてみた。少しでも新鮮な空気が欲しいというのもあったりする。


「『町内発行券』はそれぞれの町で発行されている、その町でしか使えない『金券』のようなものですじゃ。私たち『亜人』が町で働けるようにするための仕組みですじゃ。町の中だけで暮らす分には、『町内発行券』もお金も変わりないですじゃ」


 うっわー。それってつまり亜人差別じゃん。


「ほほほっ。ただ、その制度もいいところがありましての。『町内発行券』も町の外では用をなさない紙切れ同然ですじゃ。ケイトは、今まで何度も母親に会いに行こうとして、通行証をもらえないことを悔やんでおりました。ケイトはすでにミサルダの町の『住民権』がありますから、町内事務所で手続きを行えば外に出ることは可能ですじゃ。じゃが、乗合馬車を使わずに里まで行くにはあまりにも遠い道のりですじゃ。私は今までに何度も、お金が無いことを理由にケイトに里へ帰るのをやめさせてきましたですじゃ」

「……あの。実は今朝の仕事で、ケイトさんに現金を渡してしまったんですけど、ちなみにお里までの乗合馬車っていくらぐらいかかるものなんですか?」


 恐る恐るザイルさんに聞いてみる。ちなみにケイトさんには金貨3枚と銀貨2枚を渡してある。


「なんと、片道銀貨50枚ですじゃ。ほほほっ。ウチにはそんな大金逆立ちしてもありませんですじゃ。なにせ、兵士様たちの日の給金が銀貨18枚と聞きましたじゃ。私が一日で稼いでこれる給金は『銀貨換算』でせいぜい8枚ですじゃ。それもすべて食べ盛りの孫たちの食費に早変わりですじゃ。……ですがじゃ、トーダ様。たとえ銅貨でも、あまりたくさんはケイトに与えないでほしいですじゃ。私は、今はまだラフィア様――母親に会うのは早いと思っておりますのじゃ……」


 ほほほっ、とさみしそうに笑うザイルさん。

 うはははっ、と冷や汗だらだらで引きつり笑いの俺。


 やっべー。マジでやっべー。金貨3枚と銀貨2枚って、ケイト一人ならお里にお土産もって3往復できるじゃん! ザイルさんとケイトと孫二人連れてお里まで行って、ザイルさんだけ帰って来て、良くないことが起こっても、またすぐ行くこと出来るじゃん。

 やっべー。金銭感覚の無さってこういうとき困るよねって……もう遅いわ!

 ケイトさんたら、今頃乗合馬車の時刻表なんてチェックしてるかもしれない。マタニティドレスのプレゼントなんかはもう遅いですよね。流行のベビー服とか買いに服屋に行ってる頃かもね。


「お嬢ちゃん、支払いは分割で『町内発行券』払いかい?」

「ふはははっ、現金一括払キャーッシュいで!!」


 って、現実逃避しすぎだ俺!! 

 今のザイルさんの話を聞いていて、もっとすごい突っ込みどころがあっただろう?!

 それを聞くんだよ。さあ、早く!!! 聞け――


 ラフィア様がご懐妊なさって1年近くだそうですけど、息子さんが亡くなったのって2年前ですよね? ラフィア様っていつ再婚されたんですか? って言うか誰の子?


「聞けるか!? そんなことっ!! 昼ドラ通り越して、火サスに突入するわ!」

「き、急にどうなされました、トーダ様。ものすごい汗ですじゃ。今、木綿のハンカチーフを……」


 ザイルさんが懐から黄色いハンカチを出そうとするのを俺は止めた。


「いえ、ただの発作ですから気にしないでください。季節の変わり目にはよくあるんです」

「そうでしたか。トーダ様はお若いのに苦労されておいでですじゃ」


 うまくごまかせたようだが、代わりに同情されてしまった。

 しかし、かなり重い話を聞いちゃったわけだけど、これって異世界に無一文でお使い頼まれた俺とどっちが悲惨なことなのかな。

 悶々とした気持ちのまま、ザイルさんの話の続きを聞くことにした。

 (以下、「~じゃ」省略・読みやすく改行)



「ケイトたち孫を引き取ってからの里の様子はわかりません。孫たちは皆、ミサルダの町に来た当初はまだ母親のショックから抜け出せていませんでしたから。

 私はなるだけ孫たちを母親の存在から引き離そうと必死でした。

 両親が近くにいる暮らしから、年寄りと細々と過ごす暮らしへの日常の転換は、幼い孫たちには苦痛なだけだったのでしょう。孫たちは夜ごとに泣きわめきました。


 お父さんがいないと言って弟が泣き、お父さんは死んだんだと言ってケイトが泣き、お母さんはどこと次女が泣き、お母さんは私たちを殺そうとしたと、ケイトが泣き、弟はお母さんに会いたいと泣き、私も会いたいとケイトも次女も泣き、全員が泣いて、泣き疲れては眠る酷い生活でした。

 

 私は泣き声が町の住民に漏れるのを恐れ、住居を町の外に移すことにしました。

 町の外と言っても、町の北側にある農業地帯の一角のことで、当然居住区としての整備は行われていません。

 私はそこの使われていなかった古びた納屋を買い取り、私たち全員で家族で住めるようにと修繕しました。


 雨漏りを直し、腐った柱を取り替えて、壁の隙間を板でふさぎ、トイレと台所を新しく造り、近くに井戸を掘りました。家族みんなで一生懸命考え、楽しく暮らすための家作りを目指すことで寂しさを紛らわせていました。

 そうして、手作りの家がどうにか住めるようになった頃には、孫たちの心も私の心も、だいぶ落ち着きを取り戻していました。


 ですが、大きなことをやり遂げたことで、孫たちは目標を失ってしまったのでしょうか。

 私が仕事から帰ってくるまで、孫たちは町の中には近寄らず、農場のあちこちをフラフラ散策して回る日々を繰り返していました。


 私は、これではいけないと思い、それぞれの孫に『仕事』を与えることを思いつきました。

 一番下の次女には教会の託児所に行き、みんなと仲良く遊ぶ仕事を与えました。次女の性格は明るく人なつっこいこともあって、すぐに慣れ始めました。

 ケイトと弟には、教会で学ばせる傍ら、午後からは弟には私と一緒に農場での奉仕作業を。ケイトには教会の仕事をさせました。


 そうしてようやく孫たちがこの町に受け入れられた頃、暫定長老であるバルディーズ様から私宛に飛翔文が届きました。

 内容は、里に現れた冒険者一行のお力添えで、ラフィア様が正気を取り戻した、とのことでした。

 意思疎通も可能となり、少しずつではあるが体を動かそうと言う行動を取り始めている。食事も口から得たいと申し出てきた。ひょっとすると娘はもとの状態に戻るかもしれない、と書かれていました。


 私は喜びましたが、孫たちには知らせませんでした。

 このことを教えれば、必ず母親に会いたがるでしょうし、里に行くまでの旅費を工面しなければいけませんでしたから。

 母親と別れて暮らし、かれこれ1年近くの時間が過ぎていましたが、もう少し時間をおきたいと手紙を書いて、飛翔文を送りました。


 そして数週間たち、また飛翔文が届きました。内容は、少し様子が変わっていました。

 冒険者一行は里を去り、ラフィア様も順調に回復されてきているというのですが、その様子が以前とは少し違うというのです。まず、息子のことを口にしなくなったそうです。

 以前であれば、息子の名を呼び、訳のわからないことを喚いては暴れていたそうなのですが、それも一切なくなり、それどころか、あれほど大切にしていた息子との思い出の品などをすべて処分してしまったと言うことでした。

 ただ、よく笑うようになり、息子の形見である『精霊使いの指輪』だけは捨てず、身につけていることからして、辛い過去を乗り越えようとしている心境の変化だろうということで、しばらく様子を見ている状況だというのです。

 私もこれに同意し、その旨と孫たちの様子を書き綴り返事を送りました。


 そしてまた数週間たち、ラフィア様は完全に元通りになったというのです。

 孫たちにも会いたがり、叶わないなら、せめて手紙で孫たちとやりとりしたいと言い出したと言うのでした。私はもちろん賛成でしたが、手紙には少し気になることが書かれていました。


 ラフィア様は精霊との契約を再更新し、失いかけていた力を取り戻そうと努力しているそうなのですが、その精霊との契約のなかに、『土崩属性』が含まれているそうだというのでした。

 『土』の精霊は息子が唯一得意とした精霊で、ラフィア様がそれまで契約を結ぼうとしなかった精霊でした。それをラフィア様は契約を結びました。

 これで12精霊すべてと契約を結んだことになります。バルディーズ様はその前代未聞の大偉業に感涙し、手紙の後半にはラフィア様がどれだけ自分にとって大切な存在であるか、どれだけ娘を愛しているか、娘が才能があるか努力しているか素晴らしいか可愛いか、かなり興奮した様子で書かれていました。

 私も手紙の返事にはその通りだと言うことを書き、ラフィア様が子供たちに向けた手紙を、私も拝読させていただくという条件で許可することを決めました。


 そしてまた数週間後、バルディーズ様の手紙と、ラフィア様の手紙が届きました。

 まず、バルディーズ様の手紙から読むことにしました。


 内容は、ラフィア様がすっかり元気になられて、毎日、精霊魔法の修練に励まれているとのこと。体つきも丸くなり、一時期よりも太ったんじゃないかと冗談を言って笑い合ったと、ほほえましい様子でした。

 最後に、娘の孫への手紙を許可してくれてありがとうと書かれてありました。


 私は次にラフィア様の手紙を拝読することにしました。ラフィア様の手紙は2通あり、孫へ向けたもの、そして私へ向けたものでした。

 私は恐る恐る自分へ向けた封筒を開きました。手紙は3枚もあり、そこには私への謝罪と、孫を養っていることへの感謝が書かれていました。

 覚えている限りの、あの悲惨な土砂崩れのこと、夫を亡くして悲しかったこと、そのせいで我を失ってケイトたちと無理心中を図ってしまったこと、それが間違いだったと深く反省していることが書かれていました。

 そして、まだ自分には娘に会う度胸も資格もないけれど、せめて手紙で母親らしい言葉を伝えたい。もしもこの我が侭な願いが叶うなら、どうか娘に向けて書いた手紙を、娘たちと一緒に読んで聞かせてください、それが叶わないのなら娘への手紙は、封を開かずそっと燃やしてくださいと、書かれていました。

 私は次に孫たちへの手紙を手に取りましたが、検閲のように先に読んでしまうことが出来ず、ほかの手紙と一緒に孫たちが全員そろうまで棚の上に置いておくことにしました。


 その日の夕飯を終え、それぞれが思い思いの行動をとろうと腰を上げ始めた時を見計らい、私は孫たちを膝元に集めました。

 なんだなんだと集まってきた孫たちに、私はラフィア様の手紙を取り出して、お母さんからの手紙が来たことを告げました。

 すると、孫たちは手を取り合って歓声を上げ、ぴょんぴょんと跳ね回って喜びを表しました。私は、ひょっとするとこの子たちは母親による無理心中を根に持っているのではないかと恐れていたのですが、それは杞憂に過ぎなかったのだと胸をなで下ろしました。


 ひとしきり騒いだ後、孫たちは膝を寄せ合い、手紙を読んで聞かせて欲しいとせがんできました。

 私は孫たちの前で封筒を開きました。すると、その中から『光属性』の精霊がメッセージを伴って飛び出してきました。ただ、それは他者に害なす類いのものではなく、薄緑色の淡い光の精霊が集まったもので、手紙を開くと同時にそうなるように細工されていたのでしょう。


 光の精霊は、蝶のように舞いながら手紙から飛び出すと、満開の花のように幾重にも花びらを展開させながら飛び上がり、天井付近で花火のように光が拡散したかと思うと、ひらひらと淡く揺らぎながら落ち、やがて雪が溶けるように消えていきました。


 私はこの光の幻想にしばし心を奪われていました。

 そして我に返ると同時に、改めてラフィア様の力の強さに、畏れを抱かずにはいられませんでした。


 一体誰がこんなことを考えつくのでしょうか。

 光の精霊を封筒に忍ばせたとしか思えないのですが、『光の精霊を封筒の中でイメージを持たせたまま活かし続ける』なんてこと出来るはずがありません。

 しかも、そのときはすでに日は落ち、夕飯を平らげてしまった後のことなのです。光の精霊はすでに眠っている時間で、闇の精霊が目を覚ましている時間帯なのです。

 光の精霊は太陽の光の中でしか活動できません。それなのに、光の精霊を手紙の中で活かし続けるラフィア様の力が、以前より増して強く感じられ、私は指から染み出した冷や汗が手紙に吸い取られてしまうのを怖れ、すぐに布巾で手を拭いました。


 孫たちはそんな私の心境などつゆ知らず、目の前で起きた素晴らしい出来事に目を輝かせ、興奮している感じでした。

 私は震える指先をどうにか押さえ込むと、手紙の内容を読んで聞かせることにしました。


 手紙はケイトと弟にも読めるようにと難しい文字や表現は使われておらず、読みやすく改行がなされていました。

 そして何よりも、きれいな文字でその手紙は綴られていました。それはまるで自分が正気を取り戻したと証明するように。


 私は細心の注意を払い読み始めました。

 ですが、読み進めていくうちに、それは杞憂であるとわかりました。

 挨拶から入った手紙には、子供の毎日を気にする内容と、そこに居てやれない自分のふがいなさ、自分の毎日の生活が書かれていました。

 そして、里に来た冒険者に諭されて自分を取り戻したこと。

 今までを反省して夫に笑われないよう精霊魔法の修行をしていること。孫たちを今でも愛していることが書き綴られていました。


 読み終えて孫の顔を見ると、皆うれしそうでした。

 次女が「お母さん、帰ってくる?」と聞きますが、言いよどむ私に代わり、ケイトが「お母さんはお里で精霊魔法の修行しているから、まだ会えないの」と諭すように答えました。

 弟が「会いに行きたい」と大きな声を出しましたが、それにもケイトが「ウチにはお金がない」とぴしゃりと答えました。


 私はしょんぼりした孫たちに、お母さんに返事の手紙を送ろうと提案しました。

 その提案に孫たちは顔をぱぁっと明るくさせました。

 私は孫たちに1枚ずつ紙を渡し、好きに書くように言いました。そうして私も筆を執ると、バルディーズ様とラフィア様に今の孫たちの様子を書き留め、これからも気が向いたときにでも孫たちに手紙を送って欲しいと書きました。

 その夜は、遅くまで孫たちは頭をひねって手紙の内容を考えていたようで、翌日はみな寝坊してしまいました。


 そうして週に一度の手紙のやりとりが始まり、私たちの生活にも『手紙を待つ楽しみ』が増え、孫たちは1週間の出来事を母への手紙にしたためようと、代わり映えのない日々の日常から抜け出すために、色んなことに挑戦し始めました。


 文字のまだ書けない次女はクレヨンの色を描き分けるようになり、弟は農場の奉仕作業から農業用ダンジョンへ潜りだし、ケイトは私の真似をして葬儀の手伝いをすすんでするようになりました。

 特にケイトは、母の『光の精霊のイリュージョン』に魅せられたせいか、芸術の才能を開花させ、唯一里で契約を果たしていた『土崩属性』の精霊を使って葬儀の場に華を添えることで参列者から感謝されるようになりました。


 すべてがいい方向に向かい始めていると、そう思っていたとき、里から1通の飛翔文が私宛に届きました。

 ラフィア様からはいつもは週末に届いていたので、私は不思議に思い封筒の宛名を見ると、バルディーズ様でした。

 私は近くに孫たちが居ないのを確認すると、封を開き中を開きました。

 そして私は書かれていた内容に目を疑いました。


 そこには『妊娠』という言葉が書かれていました。

 どうやら、ラフィアが身籠もったようだと。少しおなかが太ってきたかなと思っていたら、妊娠だったらしいと、妻が気づいた。そう書かれてありました。


 私はこれをどう受け止めて良いやら悩みました。

 ラフィア様の手紙には、そういった相手のことなどは一切書いてなかったのです。それどころか、息子の名前すら書かれていることがありました。

 そして、どう逆算しても、息子がラフィア様のおなかの子供の父親ではないことは明白でした。


 ですが、私がラフィア様を今更どうこう言える立場でもありませんし、言えるはずもありません。

 仮にラフィア様が里の者と好き合ったとしても、私は構わないと思っていました。

 逆に、ラフィア様はまだお若いし、とてもきれいな方でしたから、息子や孫のことなどを気にすることなく再婚されるべきだと、私はそう考えていたくらいでした。

 もっとも、そんなこと口が裂けても言うことは出来ませんでしたが。


 私は筆を執ると、バルディーズ様に返事を書きました。内容はこうでした。


『ラフィア様が再婚されるのでありましたら、それはとても素晴らしいことです。孫たちには刻を選び、私の口から上手に伝えますので心配しないでください。きっと孫たちからも祝福されることでしょう』


 そう書いて飛翔文を送ると、3日後にはバルディーズ様からの返事が返ってきました。その手紙にはこう書かれていました。


『儂は以前里にやってきた人族の冒険者どもが怪しいと睨み、ラフィアにおなかの仔の正体を問い詰めてみたところ、ものすごい剣幕で叱られ、屋敷から庭の池まで吹き飛ばされてしまった。儂では到底敵わないので、家内が聞いてみたところ、セイルの仔だというのだ。

 ……すまぬが、そう言うことにしておいて欲しい。あいや、ザイル殿の言いたいことはわかる。だがしかし、この里では娘に力で及ぶ者などおらぬのだ。承知してくれ。たのむ』


 おいたわしやバルディーズ様、と私は思い、すぐさま筆を執ると、委細承知で成り行きに任すことを書き添えて送りました。


 そしてとうとう翌週からのラフィア様の手紙には、『赤ちゃんがおなかに居ます。あなたたちの妹か弟です』と堂々と書かれるようになりました。

 私は、性や妊娠の仕組みの知識など何も知らない孫たちのはしゃぎっぷりを見て、もうこれで良いのではないかと思うことにしました。

 いずれ孫たちも母親の産んだ赤ちゃんと対面するときが来るでしょう。そのときに素直に自分の弟妹だと思える方が幸せであることは間違いないと思ったのです」



 ザイルさんはそう言い切ると、水筒の水をおいしそうに飲み干した。

 そして、長く長く息を吐いた。


「ああ。これで私がお話しできることは全部ですじゃ。私のこともラフィア様のことも、おなかの仔のことも、ケイトのことも。これからトーダ様が私たち家族と関わってくるすべてのことをお話しできましたですじゃ」


 俺を見るザイルさんはすっきりとした笑顔を見せると、ケイトをよろしくお願いしますですじゃと頭を下げてきた。

 ああこれはどうもご丁寧に、俺もぺこりと頭を下げた。

 何か誤解があるような気がするのだが、とりあえずミサルダの町に戻ってからケイトを交えて一度話し合ってみるのもいいかもしれない。


 川岸の方から年寄り連中とアドニスが向かってくるのが見えた。

 あちらもちょうど作戦会議が終わったようだ。このあと俺たちとの簡単な作戦報告会を開いて、いよいよ村に潜入することになるのだろう。

 そう思って立ち上がろうとしたとき、森の方からしゃがれた声が聞こえてきた。


「ザイル」


 聞き慣れない声に反応して、俺は声のした方へと目を向けた。

 そこには森の中に立つ、ザイルさんと同じような顔をした獣人がひとり、こちらに目を向けていた。ただ、その獣人の右目は醜く潰れてしまっていて、残る左目が俺たちを捉えていた。

 ザイルさんの名を呼んだのだから、ザイルさんの知り合いに違いないのだが、少なくとも獣人の目に親しみなどこもっている様子ではなかった。


 俺はいやな予感を感じ、ザイルさんを見た。

 ザイルさんは落ち着いた様子で、その獣人を見つめていた。少なくともその瞳には驚きの色はなく、相手が誰かわかっているようだった。

 ザイルさんは口を開こうとしたが、結局何も言わず、ただじっとその獣人を見つめ続けた。

 やがて、アドニスたちがすぐそばまで近づいてくる気配を感じたが、俺は森に佇む獣人から目を離すことができなかった。


「トーダ。ザイル氏。集まってくれ。作戦の方針が決まった。…………どうした?」


 呼びかけに何の反応も示さなかった俺たちに、アドニスは訝しんだのか、近づいてくる足取りも少し変わって聞こえ始めた。

 獣人もアドニスの姿をその目で捉えたのか、口元が微かに動き、なにかを呟くのが見えた。そうして、溶けるように森の中に消えていき、俺はその瞬間、力が抜けへなへなと腰を下ろした。

 あの獣人の潰れた目はおそらく用をなしていないだろうが、残されたもうひとつの目は油断無くザイルさんと俺を捉えていた。


「私の三番目の兄ですじゃ」


 ザイルさんは視線を森に向け続けたまま、はっきりとそう言った。

 驚きとめまいに声を出せないでいる俺に、ザイルさんは頷きかけると、アドニスとその後ろを歩く年寄り連中に向かって頭を下げた。


「どうやらここで、皆様方とはお別れのようですじゃ。アドニス様、私は私の任務を遂行することにいたしますじゃ」

「わかった。許可する。気をつけてな」

「え……、ちょっと、アドニスさん、ザイルさんもなに言って……?」


 俺はアドニスの反応に思わず反応した。喉の奥に圧縮されていた空気が、栓が抜けたように動きだし、俺の唇は言葉を伴って吹き出し始めた。


「待ってください。状況がわかっているんですか、アドニスさん?! 俺たちが先遣隊として村の様子を調べに来たように、相手も用心のため見張りをここに置いて行ったんですよ?! つまり、村はもう占拠されているってことじゃないですか! そうでなくともたった今俺たちの存在を把握されてしまったんです。なら、これ以上進まず、町に引き返しても――」


 ザイルさんはようやくこちらに目を向け、そして俺の言葉を切るようにして話し始めた。


「トーダ様。私はバルバ様から特別に許可を得てこの先遣隊に同行させていただきました。それはこの場にいるどの兵士様とも違った理由からでございますじゃ。そして、今までには同じ理由でアドニス様とは何度か盗賊討伐の任で同行させていただいたことがございますじゃ。今回も同じ理由でございますじゃ。私の同行理由は『盗賊の中に同族が居ないか確認する』ですじゃ。

 ――そして今回、とうとう当たりを引きましたですじゃ」


 ザイルさんはにっこりと、満足そうに笑った。


「でも、そんなのザイルさんが一人でやる理由にならないじゃ無いですか!? 戦闘が避けられないって言うのなら、アドニスさんも俺も、いや全員でかかるべきじゃないですか。この場に居る全員で! ……アドニスさん! あなたからも言ってください。一人でやろうとするなって!」

「……そうだな。ザイル氏。あなたは怪我をしている。俺も同行しよう」


 俺の必死の呼びかけに応えてくれたのか、アドニスは一度目を閉じたのち、ザイルさんの右手首の包帯を指さした。


「ほほほっ。大丈夫ですじゃ。多少痛みはありますが、折れたわけではないようですじゃ。精霊魔法も問題なく使えますじゃ。それに、それで言うなら三兄は片目の視力を失っておりますじゃ。……トーダ様は先ほど三兄の右目を見たようですが、あれは昔、私を見逃した罰として頭目に潰された痕らしいのですじゃ。

 ほほほっ。……つまり、私が一人でやらなければいけないことなのですじゃ、わかってくだされトーダ様……」


 ザイルさんは立ち上がると、ぺこりと俺に頭を下げてみせた。

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