第30話 ザイルの追憶【後編】

 年寄り達の馬は道を右にそれた。ダダジムもそれに対応してか、なにも言わなくともその後に続いた。河原へと続くなだらかな下り坂を下りていく。

 二度目の休憩も馬に水を飲ませ、脚を休ませるためだろう。ダダジムタクシーに乗って眠らさせてもらったせいか、疲労感は特に感じなかった。

 河原の真ん中辺りでダダジムタクシーは止まると、さぁっと絨毯の下からダダジム達が這い出してきた。

 少し遅れてアドニスも到着し、素早く馬を下りると、ザイル氏に「残りの馬も止めてくれ」と言い、アドニスは自分の馬の疲労具合を手で触れて調べ始めた。


「20分ほど馬を休める。次に馬を下りるのは村から3km手前だ。そこからは徒歩で森の中を進んで村に近づく」

「わかりました」


 俺が返事をすると、アドニスは同じようにザイル氏にも確認をとり、すでに年寄り達が向かっている沢の方へと、馬の手綱を引いて歩き出した。二頭の馬もそれに付いていく。

 さて、トイレでも行こうかと立ち上がろうとする俺に、ザイル氏は頭を下げてきた。


「トーダ様。ダダジム様に乗せて戴き、そしてこの年寄りの昔話に付き合って戴き、ありがとうございました」

「いえいえ。ザイルさんは俺のせいで怪我をされたんですから、絨毯に乗る権利は大いにありますよ。それに、ザイルさんの昔話はとても面白かったです。またあとで続きを聞かせて下さいね」


 そう言って俺は、絨毯を下りると木々の茂っている方へと歩き出そうとするが、すぐにザイルさんから引き留められた。


「トーダ様。小便でしたらすぐそこでなさって下さい。私は気にとめませんから。私の精霊魔法は――砂利の上ですと、とっさのときに役に立たない場合がありますじゃ」

「そうなんですか?」


 見ると、河原の石の上に手を置いて、なにやら難しい顔をするザイル氏。

 ふうむ。『土崩属性』なら地面に手を付けさえすれば、どこでも精霊魔法を使えるのではないかと思っていたが、どうもそう万能ではないらしい。


「小石や砂利などは、『土崩属性』の精霊で操れるわけではないのですじゃ。岩に苔は生えますが、それは表面に張り付いているだけですじゃ。木々が岩に根を下ろすことは通常ありませんですじゃ。理屈はそれと同じで、私の契約した精霊では、土が見えるまで砂利や小石を手で掻き分けなければなりません。なるべく、私かアドニス様から離れないよう、お願いしますですじゃ」

「そうします。じゃあ、おしっこはここで済ませますね」


 俺は鎮座するダダジムとザイルさんの人目を避け、じょぼぼぼっっと放尿する。一瞬森の奧で何かが動いたような気がしたが、俺は放尿を続けた。

 全て出し切ったと同時に、ザイル氏が、あ痛たたたた、と悲鳴を上げたので俺は慌てて振り返った。


「ほほほっ。長いこと座っていたので、足が痺れてしまいましたじゃ」

「……足を崩してゆっくりするといいですよ。ちょっと手を洗いに行ってきます。ダダジム。ザイルさんの足の痺れが取れたら、マッサージしてあげて」

「そんな、悪いですじゃ」

「いいからいいから」


 遠慮するザイル氏に無理矢理ダダジムをあてがうと、俺はアドニス達に近づいていった。

 すると、 流水に足を付け疲れをとっていた年寄りの一人が俺に気付き声をかけてきた。


「ほいほい、体調は戻ったかの?」

「それにしても魔物使いじゃったとは驚きじゃわい」

「あ、いえ、俺は魔物使いじゃ……」

「帰りはわしらが寝させてもらうからの」

「あー、はい。わかりました」


 と言ったものの、村の近くでダダジムを放して帰ってこなかった場合、年寄り達には諦めてもらうしかない。

 年甲斐もなく、バシャバシャと水遊びを始めた年寄り達をよそに俺はアドニスに声をかける。


「村までは後どれくらいですか?」

「あと20分も走らないうちに到着するはずだ。だが、さっきも言ったが、3km手前から森の中を歩くぞ」

「それは、盗賊が村に滞在していることを想定しての行動ですか?」

「そうだ。村までの道は後半ほぼ直線だ。見張りがいればすぐに見つかるだろう。そこの3人組に言わせれば、森の中に村の井戸に繋がる抜け穴があるそうだ。とりあえず、俺たちはそこまで行って、俺が様子を見てこようと思う。トーダはそこまで付いてきてくれれば、先遣隊としての任務はとりあえず果たしたと言っていいだろう。もしも村が全滅していれば、『浄洗師』として再任務に当たってもらうことになるがな」

「わかりました。もしそうなっていたら『浄洗師』として情報を集めてみます」

「頼む」


 アドニスはそう言うと、何事もなかったように馬の世話に戻ってしまう。俺はアドニスにザイルさんのことを聞いてみることにした。


「ザイルさんの手首のことなんですけど、怪我の具合はどんなものですか?」

「……折れてはいないようだが、曲げると痛みが走るらしい。今後は今まで通りの精霊魔法の使用は期待出来そうにないな。トーダもザイル氏の負担になるような軽率な行動は慎んでくれ」

「わかりました。……それで、ザイルさんのことなんですけど、この先遣隊にザイルさんも参加させたのって単に戦力的な理由からなんですか?」


 アドニスは振り返らず、馬の足に付いた泥を擦り洗いながら答えた。


「ザイル氏は、そこの三人と同じように先遣隊に志願してきた口だ。本来ならもう少しまっとうな先遣隊が編成されるはずだったんだけどな。……まあ、ザイル氏の実力は見ての通りだ。俺は別に同行に反対はしていない」

「ザイルさんが先遣隊に志願してきた理由って、聞きましたか?」

「さあな。ザイル氏はあの三人組とは違って、村の関係者ではないことは知っているがな。そういうことは本人の口から聞いたらどうだ?」


 ごもっともな意見だが、そういうのは本人の口から聞かないことに越したことはないのですよ、アドニスさん。

 俺は川辺で水をすくって飲むと、顔を洗った。周囲には昨日と同じような死体が転がってはいなかった。俺は不満げに鼻を鳴らすと、ついでに竹筒の水筒に水を詰めて、ザイル氏に持っていってあげることにした。

 ザイル氏は絨毯の上に寝そべり、ダダジムさん達から極上のマッサージを受けていた。

 これが全員若い裸の美少女であったならと夢想するが、現実は非情。猿っぽい顔をした小柄で毛むくじゃらの召喚獣である。

 そう例えるなら、タイランドまで行ってオイルマッサージを受けずして、足つぼマッサージを受ける、である。理解る人にだけ理解ればよい。


「ザイルさん、水を汲んできました。よかったら飲んで下さい」

「ああ、これはトーダ様。こんな格好ですまみせんですじゃ。ダダジム様のマッサージがあまりに気持ちよく――あ痛たたたっ!!」

「あ、だいじょうぶですか、ザイルさん?! そのまま動かないで下さい」


 ザイルさんは身を起こそうとして、うっかり痛めた手をついてしまったようだった。包帯の巻かれた手を胸に抱くようにして痛みに耐えている。


「へ、平気ですじゃ……。これくらい何ともありませんですじゃ……ほほほっ」


 それがただの強がりだとわかっているが、今の俺にはどうすることも出来なかった。

 せめて昨日たくさん採ってきた『ソトカゲソウ』があればよかったのだが、クレイの奥さんが洗濯してくれたとあってポケットの中にはなにもなかった。

 そこいらの森の中にも、ひょっとしたら群生しているのかもしれないが、おしっこ引っかけに、ちょっとそこまで出向くのを咎められるくらいだから、森の中に単身入れるはずがない。


「精霊魔法には、怪我を治すような精霊はいないんですか?」

「おります。ただ、私はその精霊との契約には至っておりませんですじゃ。治癒を司る精霊は特に気むずかしく、里の中でも扱えるのは次兄とラフィア様くらいのものですじゃ」

「すごいですね。ラフィア様って一体いくつの精霊と契約されたんですか?」


 俺はザイル氏に水筒を渡す。ザイル氏は美味しそうに水をごくごくと飲むと、大げさに息を吐いてから言った。


「12の精霊全部ですじゃ」

「全部ですか。……それはなんとも……」

「昨年まで11の精霊としか契約しておられなかったのですが、今年に入って最後の精霊と契約を交わして、それも今年のうちに『3』クラスまで引き上げられたのですじゃ」

「おお……」


 つい感嘆の声を漏らしてしまうが、俺はザイル氏の言葉に違和感を覚えた。


「11の精霊と……『しか』って、どういう意味ですか? 11も精霊と契約をしたのなら、それはものすごいことなんじゃないんでしょうか? ザイルさんは今でも4つの精霊とだけ契約を結んでいるんですよね?」


 俺の質問に、ザイル氏は口元を押さえ、しまったといった顔をした。

 やだ、仕草が普通に可愛い。もふもふしたい。俺の中のケモナーが騒ぐが、ここはぐっと押さえる。


「トーダ様は言葉尻を捉えるのが上手なお方ですじゃ。ほほほっ。その通りですじゃ、精霊との契約はクリスラガー族にとって生きる意味のようなもの。契約した精霊の属性と数、そしてそのクラスがすべてと言っても過言ではありませんですじゃ」


 ザイルさんはそっと目を閉じると、呼吸を整えるようにして、ゆっくりと話し出した。


「ラフィア様は15歳になられる前に11の精霊との契約を果たされました。それはクリスラガー族には未踏の領域でしたじゃ。ラフィア様の弟君も優秀な方でしたが8つの精霊との契約に留まり、弟君もまたラフィア様を尊敬しておられましたじゃ。11の精霊『しか』と申しましたのは、残り一つの精霊との契約が、実はもっとも契約が容易い精霊だったからですじゃ。私でも最初に契約を結んだのが『土崩属性』の精霊。クリスラガー族なら、子供でも容易に契約を結ぶことが出来るのが『土』の精霊だったからですじゃ。ラフィア様はなぜかこの精霊だけとは契約を結ぼうとはせずに今まで過ごされてきましたが、今年に入って――子……いえ、今年に入ってすぐ『土』の精霊と契約を結び、そして見事12の精霊すべての契約を果たされました」


 言い終えてザイルさんは目を開けると、真っ直ぐに俺を見た。


「トーダ様ならいずれ、ラフィア様に会うこともありましょう。私が長々と私の過去について語ったのも、トーダ様に息子とラフィア様のことを知って戴くためでもありました。そして、私の告解のつもりでもありました。私は――」

「ちょ、ちょっと待って下さい。ザイルさん落ち着いて下さい。ちょっと話をまとめたいのでっ!」


 何となく不穏な空気を感じ、俺はザイルさんの話しを続けるのを一旦止めてもらった。

 俺は一度話の内容の整理をしてみることにしたが、どう考えてもザイルさんがダダジムタクシーの上で語った身の上話は、こっちから振っておいてなんだが、さっき会ったばかりの俺には重すぎるような気がする。息子が生まれた生々しい情事なんて聞かされても、その、困るんだが。


 さらに言えば、息子さんとラフィア様っていうのと俺と、なんの関係があるのだろうと思う。ラフィア様って言うのは話の流れからして、ケイトの母ちゃんって事だろうけど、俺は家族ぐるみの付き合いまではするつもりはないから。

 計画殺人事件の後始末に娘さんを使っているなんてばれたら、ぶち殺してからぶち殺すくらいしそうな感じのヒトだ。

 真面目なザイルさんのことだから、1から10まで全部、順番通りに語らなければ満足できないのかもしれないけど。


 あはは、それにしても身の上話から家族紹介だなんて、これじゃまるで流行りの、

 ――エンディングノートみたいじゃないか。


 エンディングノートってのは、作成者が家族に対する思い、自分らしい人生の幕引きのための準備、資産の所在等を書き記すものだけど、ザイルさんはノートを自分で書き込む代わりに、俺に語って聞かせているように思える。

 まるで、誰かに自分のことを覚えていて欲しいみたいな感じで。

 ぶっちゃければ遺言ってことになるんだろうけど、さすがにそれはないだろう。そりゃ、今は危険な任務中で下手をすれば死ぬかもしれないが、俺たちは別に死ぬことを前提に行動しているわけじゃないと思う。俺たちは先遣隊で、ただの様子見だ。……だよね?

 まあ、とりあえず今は、「【鑑識オン】俺」。ふむ。やはり外れていたか。ぽちっとな。

 平常心スキルを入れ直して、もうちょっと客観的に話をまとめてみたいところだ。

 俺は両手で頬をぺちんと叩いて、ザイルさんを驚かせた。


「ザイルさん、間違ってたらすみません。息子さんとラフィア様は結婚して、ケイトさんが産まれた。……ですよね?」

「ほほほっ。その通りですじゃ。年に一度、里で会うだけだったのじゃが、息子とラフィア様は、普段は飛翔文で頻繁に連絡を取り合っていたようですじゃ。ラフィア様は11の精霊と契約を交わし、息子も人族の身で『精霊使い』のジョブを身につけましたじゃ。ラフィア様が里の長として選ばれたのも、当然と言えば当然ですじゃ」

「……ラフィア様が里の長の座に就くのに、誰か反対した人はいませんか?」

「誰もいませんですじゃ。ラフィア様は長老の娘であり、11の精霊と契約した素晴らしいお方ですじゃ」


 ふむ? 権力闘争がうんたらかんたらだと思ったけど、違ったか?


「ラフィア様は女性ですけど、長老になった。……たしか弟君がいましたよね? ラスタとかいう。その子は長男として里の長になりたいとは言い出さなかったんですか? さっきザイルさんが語ってくれていた昔語りに、ラフィア様がラスタ少年に『あなたはいずれこの里の長老になるオトコでしょ?』とか言っていたと思うのですが」

「ラスタ様は、隣国にあるクリスラガー族の里に『入り婿』されましたじゃ。本来は、ラフィア様が隣国の里にお嫁に行き、ラスタ様が隣国からお嫁をもらう手筈だったのですが、ラフィア様と釣り合うほどの方が隣国にいらっしゃらなかったのと、クリスラガー族初の『11精霊』の偉業を成し遂げられたのですじゃ。ラフィア様は我らが里の英雄。とてもとても隣国にお嫁に出すことはできませんでした。それで、代わりにラスタ様が『入り婿』になったというわけですじゃ」


 あーなるほど。そういうことか。


「つまり、見事長老の座に就いたラフィア様が、長老権限を発動させて、自分に足りない『土』の精霊でもっとも優秀な者を夫としたわけですね?」

「ほ、ほほほっ。よくおわかりですじゃ。息子は『土崩属性:3』を取得しておりましたじゃ。……来る日も来る日も、ほほほっ、『土』の精霊魔法ばかり修練を積んでおりましてな。とうとう息子は、私を追い抜いて……行ってしまいましたじゃ」


 ザイルさんは水筒に目線を落とすと、「少し早かったですじゃ……」と小さく呟いた。


「……?」


 ともかく、息子さん編の物語を想像と偏見からまとめると、ラフィアって子が隣国の同族のところに嫁に行くのを嫌がったけど、同盟とか習わしとかでどうすることも出来なくて、もやもやしていたときに、ザイルさん一家がやってきた。

 これ幸いとセイル少年に言い寄ってモノにしようとした。既成事実があれば長老も諦めるだろうと。実際、妊娠でもすれば大問題となり、縁談は破談となるだろうし、ザイルさん一家は打ち首にでもなって話は終わったはずだった。

 その思惑にセイル少年が気づき、ラフィア様と共にもっとも建設的な未来を築き上げたってことか。セイル少年、恐るべし。


 ……以上のことから、わかったことが二つある。俺たち【選出者】がLvを上げて、この世界でチート無双しようとしても、現地人の勇者っぽい人格者たちに、その道を阻まれる可能性が高いってことがわかった。少なくとも俺じゃ敵わない感じだ。


 【選出者】って言っても、俺たちの世界じゃ一般人だろうしな。話の教訓として、この世界にも幼くとも賢い子はいるってのを一応肝に銘じておこう。

 もう一つは、【スキル】について。話の内容から、この世界の原住民は、Lv云々に関わらず、練習訓練修行によって能力を伸ばすことができるようだ。つまり、【スキル】を習得するのにLvはあまり重要ではないということ。Lvをあげるために他者を殺さなければいけないというものではないらしい。……そもそもLvの概念は【選出者】のみが知覚できるシステムなんだし、原住民にその常識が通用しないもの納得できる。


 ……って、あれ? あれれ? まてよ。

 Lvに関係しないスキルって、つまりネクロマンサー的に言って、【転用】ってスキルのことじゃないか。何に使うのかわからないけど、【転用】は経験値0の俺が、【魄】を100%にすることで手に入れた【ボーナススキル】だ。

 そうなると、【精霊使い】の【○○属性】ってのは相性だとしても、1~9までのランク付けは、ネクロマンサーで言うところの【魄】の“100%”の部分になると考えたらどうだろうか。仮に、精霊魔法が使えば使うほど“%”が上がるのだとしたらどうだろう。

 つまり、原住民の精霊使いは【基本スキル】と【ボーナススキル】のみで精霊を扱っているということになる。まあ、まだ仮説でしかないけど、そう考えると、【幻術士】や【剣士】にも、修行で得られる【ボーナススキル】が存在することになる。

 【鑑識Lv.1】では、セカンドジョブがあるおかげでファーストジョブが見えないし、仮にわかったとしてもLvだけでは計れない【ボーナススキル】の存在が、相手の本当の強さを隠してしまっている。

 やっかいだなぁ。


「じゃあ、ラフィア様とセイルさんは今、お産のために里に帰っていて、ケイトさんとその弟たちの面倒をザイルさんが見ているというわけですね」

「………………」


 どうやら当たりのようで、ザイルさんは目を剥いて驚いた顔をした。

 俺の家の場合、姉は県外だったので帰郷はしなかったが、妹二人は地元の病院で子供を産んだ後、実家に二ヶ月ほどやっかいになっていた。夜中の授乳でほとんど眠れないとぼやいていたのを思い出す。

 ラフィア様の性格のことだから、実家暮らしで自堕落な生活を送って、セイルさんに窘められている構図が目に浮かぶ。いや、仮にも長老なんだしそれはないか。


「ああ、わかった。ケイトさんが遠くに行くって言ったのは、ひょっとして【長老】になるって言う意味じゃないですか? ラフィア様も子育てが忙しくなるでしょうし、今から英才教育を行うために里に――って、ザイルさんどうかしましたか?」


 ザイルさんが怪我をしていない手で、俺の服の袖を急につかんできたので、俺は少し驚いた。


「トーダ様。ラフィア様ご懐妊の話は、どこで耳にされましたじゃ。誰に!」

「ええと、今朝、ケイトさんから……でも、さっき話しましたよね? まあ、その『もうすぐ一年になるのに赤ちゃんまだお腹にいて大変だって手紙が来た』って……話してて。ひょっとして、おなかの赤ちゃんの調子が悪いんですか?」


 ケイトと話していたときも、少し気にはなっていたが、ザイルさんの顔色を見る限り、あまりよくない感じだ。カッと目を見開いている。


「手紙の内容を話し合うほどの仲にまで……。あの子がそこまでトーダ様に心を開くとは思いもよりませんでしたじゃ」


 ガクリ、と肩を落とすザイルさん。

 誤解です。お宅のお孫さんめっさ現金ですよ。お金見せたら口が軽いのなんの、と喉まで出かかったがぐっとこらえた。


「ならば、全部お話ししても、構いませんでしょうか、トーダ様」

「え? ええ、まあ。俺でよければ聞きますけど……」


 チラリと、アドニスたちの方を見てから俺はザイルさんの方に向き直った。

 あっちはあっちで何か真剣な顔で話し合っている。村への進入経路とかそういう作戦だろうか。

 それよりもマイルドな話であってほしいけど、と思いつつザイルさんの話を待った。


「息子は2年前に死にましたじゃ」

「――それは……」


 俺は言葉を失ってしまい、ザイルさんの顔を見た。ザイルさんの目には涙がたまっていたが、まだ流れてはいなかった。これから流れる話になるのだろと、俺は息を吸った。

 (以下、「~じゃ」省略・読みやすく改行)


「2年前までは、私と息子家族は離れて暮らしていました。

 ラフィア様は長老の座を子育ての間という条件で一時的に先代長老に戻し、息子とケイトらと里から一番近くの町で暮らしていました。

 次女が生まれたこともあって、一緒に暮らさないかと言われましたが、私は住居を王都からミサルダの町に移したばかりで、葬儀や農作業を理由に断っていました。

 ……本当は、息子たち家族とは距離を置きたかっただけなのかもしれません。


 ある日、良くない噂を耳にしました。

 息子たちの暮らしていた町が土石流に遭ったというのでした。

 幸いなことに、避難誘導がうまく行われ、その土石流に巻き込まれて亡くなった者はいなかったというので、胸をなで下ろしていたのですが、その10日後にケイトから『飛翔文』が届きました。

 いつもは息子からだったので、不思議に思いましたが、中を見て私は愕然としました。

 ケイトはまだその頃はろくに文字を書けませんでした。ですから、その手紙は文字では無く、絵でした。

 手のひらほどの紙に描かれていた絵は、死んでしまった父親と、泣いている自分と母親と弟と妹が描かれていました。

 一番泣いているのが母親であることが涙の粒の多さでわかりました。

 私はすぐにバルバ隊長とカーゼス町長に相談すると、亜人でも町に入ることができる『通過証』を作って頂きました。

 私は兵士様が使っている早馬を貸してもらい、息子たちがいる町を目指しました。


 四日後に町に着くと、私はすぐにケイトの姿を見つけました。

 ケイトは私がすぐに自分を見つけられるようにと、幼い弟たちをその町の教会に預け、四日前からずっと門のところにいたというのです。

 私はケイトに手を引かれながら息子の家に駆け込みました。そして、私はどうして息子たちに一緒に暮らさないかと誘われたとき、断ってしまったのか後悔しました。


 息子が寝かされていた部屋は、異臭がしていました。息子の遺体からは腐臭が臭い始めていましたが、それよりも、その部屋は糞便と尿の臭いでいっぱいでした。


 息子の遺体にすがりつくようにして、ラフィア様はいました。

 おそらく四日前に息子が死亡してから変わらぬ格好でいたのでしょう。臭いの元はラフィア様の下着からでした。

 そして、その場から動こうとせず、ずっと息子の顔や肌をなでていたのでしょう。

 たとえ、娘が引き離そうとしても、我が子が背中をたたいたとしても、次女が泣き止まなかったとしても、ラフィア様はその場から動かなかったのでしょう。

 もしくは、町の住民が動かそうとして、精霊魔法を食らったのかもしれませんでした。テーブルや椅子が壊されていましたから。


 私はラフィア様に声をかけ、息子から引き離そうとしました。

 ちゃんとお葬式をあげてもらおうと説得をしました。その間中、ケイトは私の背中で泣き続けていました。

 ですが、ラフィア様はただ息子を見つめ、息子だけを見つめ続け、何事か呟くばかりで動こうとしませんでした。


 私はラフィア様を息子の遺体から引き離そうとしました。

 その瞬間、私の体は強い精霊の加護を受けたナニカに吹き飛ばされ、気がつけば、テーブルや椅子の残骸の中に埋もれていました。

 ケイトは母親の背にすがりつきながら泣きじゃくっていました。


 私は、持ちうる最大の力でラフィア様に挑みましたが、私の精霊がラフィア様を害することはありませんでした。

 精も根も尽き果てたとき、私は、それまで泣いていたケイトが泣き止んでいるのに気がつきました。

 ケイトは……まだ7つになっていない私の孫娘は、母親の前に立つと、いきなりラフィア様の頬を叩きました。大きな音がして、ラフィア様は床に倒れました。

 私が慌ててラフィア様に駆け寄ると、ラフィア様は気を失っていました。それもそのはず、ラフィア様は約2週間もの間飲まず食わずの不眠不休で、死んでしまっている息子の看病をし続けていたのでした。


 私は里の先代長老に飛翔文を飛ばし、王都の知り合いにも飛翔文を飛ばしました。

 先代長老はすぐに来てくださいました。そして、変わり果てた娘の姿を見て泣き崩れました。そしてすぐに息子の葬儀が行われました。


 その葬儀で、息子が町の英雄となっているのを知りました。

 息子たち家族はあの日、山にハイキングに出かけていました。急に天気が崩れ始めたため、息子は『土崩属性』の精霊魔法で洞穴を作り、雨宿りをしていました。

 ですが、精霊魔法を使ったことで、『土』の精霊たちが騒いでいることがわかってしまいました。そのときラフィア様はまだ『土』の精霊とは契約を結んでいなかったので、息子がなにを感じ取っていたのか理解できなかったのでしょうが、息子が感じ取っていたのは、先月の大雨で出来ていた『土砂ダム』の存在でした。

 『土』の精霊たちはそれを息子に伝えたのでしょう、息子はラフィア様にそのことを話すと、大雨の中にひとり飛び出していきました。

 ラフィア様は子供たちを守りながら、自らも『水』と『風』と『木』の精霊を操り、土石流が起こるのを遅らせようとしました。


 もしもこのときラフィア様が『土』の精霊と契約を交わしていたならば、結果は変わっていたでしょう。

 もしも、息子が町を見捨てていたのなら結果は違ったものになっていたでしょう。


 ですが、そうなりませんでした。

 息子はその町ですでに受け入れられ、信頼されていましたし、ラフィア様もその力で町に貢献していました。

 私が王都を離れたのも、ラフィア様の力を王都のためにと、この国の大臣から直々に依頼が来たのを断ったためでした。


 かくして、息子たちの町は大雨の中に行った息子の避難誘導とラフィア様の精霊魔法のおかげで救われることになりましたが、その結果、息子は重い肺炎にかかりました。

 その二日後、雨が上がり、崩れて歩けなくなった山肌を、子供たちを連れてどうにか降りてきたラフィア様が見たのは、すでに冷たくなっていた息子の姿でした。


 それで、ラフィア様の心は壊れてしまったのでしょう。町中に響き渡るような奇声を上げ、息子に泣きついたそうなのです。

 あまりの憐れな姿に町の人は同情し、声をかけましたが、ラフィア様は狂ったように泣き続け、3日経ち、5日経ち、常軌を逸した状態に、さすがに町の人たちもラフィア様を息子から引き離そうとしてくれましたが、ラフィア様の精霊魔法を食らい、全員昏倒したというのでした。


 私の元に届いた飛翔文は、町長の提案でケイトに描かせたということでした。

 息子がよく私に飛翔文を送っていたのを知っていたからでしょう。そうして四日後、私がその町にたどり着いたのでした。


 ラフィア様は目を覚まされても、食事をとろうとしませんでした。

 気絶している間、果蜜酒だけはかろうじて口に含ませていたのですが、目を覚ますと、それすらとろうとしなくなりました。

 医者はおろか孫たちの声もラフィア様の耳には届いておらず、ラフィア様はただ、息子の名前だけを繰り返し呟くのでした。


 そんな折、ようやく王都からあるものが送られてきました。

 それは『エルフの飲み薬』と呼ばれるものでしたが、それはただエルフを揶揄したものであり、薬ではなく、塗ると肌から直接栄養がとれるという病人食でした。

 先代長老の奥方はラフィア様の肌の毛を剃り、『エルフの飲み薬』を肌に塗り込みました。

 そして数日経ち、ラフィア様は退院し、里に帰られました。

 ケイトたち孫も、最初は里に帰っていたのですが、ひと月後に飛翔文が届き、書いてある内容に私は戦慄しました。


 なんと、ラフィア様が孫たちと『無理心中』を図ったとのことでした。

 ただ、発見が早くラフィア様の精霊魔法の力も落ちていたこともあり大事には至らなかったのですが、先代長老と話し合った結果、私が孫たちを預かることになったのです」



 ザイルさんはそこまで言うと、目元の涙を拭き、深いため息をはいた。

 ため息を吐きたいのはこっちだと言いたかったが、よもやここまで重い話とは思わなかった。

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