第28話 ザイルの追憶【前編】

「……ーダ様。トーダ様。起きて下され。トーダ様。お話がありますのじゃ」


 俺は身体を揺すられて目を覚ました。

 ゆっくりと身体を起こす。まだ完全に覚醒はしていないものの、さっきよりはかなり身体の調子が戻って来ていた。やはり昼食をしっかりとったからだろうか。

 俺は伸びをしながら辺りを見渡した。目の前には神妙な顔をしたザイル氏と、少し後ろにアドニスの姿があった。

 俺は頭をポリポリかきながら、ザイル氏と向き合った。


「今何時頃ですか?」

「さきほど時計を見たら、2時を少し過ぎておりましたじゃ」


 少しだけ厳めしい声だった。

 ひょっとすると、食べてすぐ寝たら牛になるから怒られたのだろうか。

 だとしても、おおよそ1時間以上寝かせてくれていたわけだし、怒っている理由が他にあるのかもしれない。

 そんなことを思っていると、ザイル氏が口を開いた。


「トーダ様、もしもミサルダの町に孫と住めなくなったとしたらどうしますのですじゃ」


 直感的に、ああこれはあれだなと気付いた。

 クレイの言っていた【町移設・建設計画】の事だろう。新しい町候補地が発見されて、町の住民がもめているといった話だ。まだ構想段階に過ぎないが、着実に動き出していると言った話だった気がする。

 なるほど。それで、俺に『どっち側に住まうつもりなのか』と問うているわけか。新しい町建設側に付けば新しい町へ。ミサルダの町側に付けばミサルダの町に定住することになるだろう。

 ザイル氏の言う、『孫と住めなくなる』はどういう意味だろうか? それを聞こうにも、ザイル氏は真剣な眼差しで俺を見つめていて、答え以外は聞かないと言った感じだ。


 【町移設・建設計画】。まあ、確かにこれは俺のこれからの生き方に関わることだと思う。……思うが、それは俺の意思でどうこうできる問題ではない。 

 現段階で、独りで外の世界で生きていくことの出来ない俺になんの権限があるだろうか。結局は、バルバ隊長やクレイの助け無しでは暮らしてさえいけないのだ。


 バルバ隊長は俺に仕事を与え、見返りに住居を与えると言った。その仕事とは、クレイと組んで町の治安を維持すること。そして、死亡した被害者の記憶を読み、事件解決に貢献することだ。

 そうすれば、俺は町で生きていける。必要とされること。それは町の住人としての義務を果たしていると言えるからだ。たとえそれが、血生臭いことであっても。


 俺が黙り込んでいると、ザイル氏は業を煮やしたかのように言ってきた。


「トーダ様。このままの関係を続けておれば、孫はいずれ遠くに行ってしまうですじゃ」


 ……つまり、ケイトは新しい町の墓守としてスカウトされているって事か。

 そういえば、クレイも新しい町に派遣されそうだ、みたいなこと言ってたな。ただ、バルバ隊長はミサルダの町に残るとかどうとか。

 この場合、俺はどっちになるんだろう。

 新しい町→神父様がいない→俺、立候補→【魄】吸いたい放題やりたい放題で俺がルールブック→若くて可愛いシスターなんか雇ったりなんかしちゃったりして→ババーン「残念、わたしでしたー」ケイト見参→「ぐはっ(胃潰瘍で吐血)」(以下略。


 でも、人々の前でなんかお説教したり、演説したりするのは苦手だな。やはりパーソン神父みたいな人と共同運営の方がいいな。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、なぜかザイル氏がうろんな目で俺を見ていた

 俺はひとつ咳払いをすると、


「まあ、俺もそっちに行くことになると思うから。まだわかんないけど」

「……そうですかじゃ。でしたら、私からはもうなにも申し上げることはありませんじゃ。あとのことはこのザイルがすべて引き受けると致しましょうじゃ」


 ザイル氏は深く息を吐くと、目を閉じた。

 つまり、ミサルダの町にはザイルさんが残るということか。いや、ケイトは弟がいると言っていたから、弟はミサルダの町に残るのかもしれない。

 何年先か分からないが、ザイル一家はばらばらになるだろう。でも、それはこっちの世界では普通のことだと、クレイは言っていた。クレイもアドニスも親元を12歳で離れて王都で暮らし始めたと言っていたからだ。

 なら、ザイル氏のような少数部族の場合はどうなのだろうか。


「ザイルさんはこの町に来る前はなにをしていたんですか? ずっと昔の話なんか聞かせてもらえませんか?」

「若い頃の話ですか? 私の?」


 うっすら目を開けるザイル氏。少し考え込むように額に手をやると、目元を軽く押さえた。


「わかりましたじゃ。少し長くなりますが、構いませんですかじゃ」

「はい。良かったら聞かせて下さい」


 そしてザイル氏は語り出した。

 眠気はもう無いし、休憩もまだ先だろう。フルオープンカーでのドライブには相方との会話がなくちゃ楽しくない。たとえ、それが男同士だったとしてもだ!


「私の暮らしていたところは、王都より西のスカルパーチの森の奥にある小さな集落でした。私は男ばかりの兄弟の四男坊として産まれましたじゃ」

「男だけで四兄弟ってなかなかやんちゃっぷりがすごそうですね。ちなみにうちも四兄妹なんですが、男は俺ひとりであとは姉と妹二人なんですよ」

「ほほほっ。トーダ様のところはバランスがよろしいですじゃ。私の集落では、男はせいぜい二人までしか嫁をもらえませんですじゃ。……恥ずかしい話、実家は貧しく、母親も私を産んですぐ亡くなったこともあり、私の父親には3番目の兄と私の結婚に必要な結納金がないと言われましたですじゃ。私も3番目の兄も精霊魔法は共に『土崩属性:6級』と『水流属性:8級』しか契約に至りませんでしたじゃ」

「精霊魔法にも1級とか2級とかあるのですか?」


 ザイル氏は頷いた。


「精霊の性質と特性によってクラス分けされていますですじゃ。同じ『土崩属性』でも1~9級までのランクがあって、1級がもっとも高く、9級が低いですじゃ。いかに自分が優れているかは、精霊との契約の儀によって判別されるのですじゃ。全12の精霊に関わる儀式を終えて、私が授かったのは『土崩属性』と『水流属性』だけだったのですじゃ」

「つまり、『土』と『水』のふたつというわけですよね? なら、平均的な精霊との契約数はどれくらいなんですか?」


 イザベラが言っていた『属性』の話なら知っているが、精霊魔法でいう属性がそうとは限らない。知らないキーワード、『契約』って言うのが出ているからだ。


「おおよそ、3つか4つですじゃ。1番目の兄は4つ、2番目の兄は5つも契約が成功していましたですじゃ。ほほほっ、3番目の兄とよく喧嘩したものじゃった。『おまえが女だったら、結納金がもらえ、俺は嫁をもらえたのに』と。3つ上の兄には結局最後まで敵いませんでしたじゃ」

「なんか、そういうとこって男兄弟って感じがします。俺の兄妹は女ばかりだったので少しだけ憧れます」


 ザイル氏は少しだけ目を細め、ほほほっと笑った。

――以下、「~じゃ」を省略します。見やすく改行しますが、ザイルの一人語りです。


「結局、私と3番目の兄は集落を出ました。クリスラガー族は精霊魔法に特化した獣人でしたので、私と兄は亜人として人族の前に姿を現すことにしました。

 冒険者としてギルドに登録することが目的でした。何度か王都には来たことがあり、人族にも抵抗はありませんでした。それに、王都では私たちと同じような境遇の亜人が多くいて、獣人もそれほど目立つ存在ではありませんでした。


 兄とは兄弟そろって頑張っていこうと話していたのですが、ギルド登録を済ませて三日後、兄だけが冒険者のパーティに誘われました。私は兄と離れたくないと、そのパーティとギルドに対して懇願しましたが、私と兄とはまったく同じ属性の精霊と契約した精霊使いで、パーティからしてみればひとりで充分だったのでしょう。私は泣く泣く兄を見送りました。

 それから半年間、私は薬草採取など、独りでも可能なギルドの仕事をこなしながら、アルバイトで生計を立てていました。


 考えれば当然だったのだと思います。当時の私は12歳。兄は15歳でした。

 亜人に対してギルド登録の年齢制限は基本かからないものの、人族の方々はどうしてもそこが引っかてしまうのでしょう。私が年齢を話すと、皆、私を子供扱いしてパーティに引き入れようとはしませんでした。

 確かに私は兄弟の中でもとりわけ身体が小さかったせいもありますが、やはり、原因は魔物を殺せなかったことでしょうか。


 パーティに入れてくれるように頼むと、必ず実力を見せてくれるよう言われました。

 すでにギルドには精霊魔法の『土崩属性:6級』『水流属性:8級』習得と登録されていて、隠しようがありませんでしたから。彼らが提示する実力審査はいつも、どの程度の魔物まで殺せるかでした。そして私が魔物を殺せないことを知ると、皆、去っていきました。

 それからは、ギルドでは独りで出来る仕事だけをこなすようにし、パーティに迎え入れてもらう話は取り下げてもらうことにしました。


 やがて、私も15歳になりました。

 3年間アルバイトとギルドの仕事で得た給金をほぼ全て使い、私は学校で学び直すことにしました。

 一年間だけの『精霊使い』コースを選び、精霊術の強化と新しい精霊との契約に関しての知識や技術を磨きました。おかげで、『土崩属性:5級』『水流属性:6級』『疾風属性:6級』『光属性:6級』を身につけることができました。

 私は、また3年間ギルドの仕事とアルバイトをして、再び1年間の『精霊使い』コースを受講し直そうかとも思いましたが、ひょんなことからギルドの仕事で知り合ったパーティと初めてチームを組むことになりました。


 私ももうすぐ16でしたし、何よりも城壁の外に出て、新しく身につけた力を試してみたかった。それに、うれしいことにそのパーティは私のことを戦力とは見ていませんでした。

 リーダーからは「君にはサポートをお願いする」と言われていました。

 私は土と水の精霊魔法を駆使することで『水源』を掘り出すことが出来ましたし、風の精霊を使うことで、嗅覚や物音を感知したり、逆にかき消したりすることが出来ました。

 戦闘では『光属性』の精霊を使い、相手の視界を無効化したりしていました。魔物はパーティの皆さんが片付けてくれましたし、私はその後始末をするだけでよかったのでした」



 俺は話の腰を折らないように、あえて口を挟まないようにし、相づちに徹していた。

 途中、俺が気を利かせてピッツィーを差し出して渡そうとすると、「好きではないので」と断られた。

 なるほど、こやつも俺のピッツィーノルマに加算した側の連中か。こうなるとアドニスも怪しい。


 

「初めのパーティとは3年ほど続きました。解散の理由は、ギルドからの仕事を完了したとき、パーティだったメンバーのひとりが故郷に帰ると言い出したからでした。

 彼女は人族では珍しい、【魔闘士】のジョブに就いていました。彼女の流れるような動きが私は好きでした。エネルギッシュで逞しく、勇敢なところも好きでした。


 彼女がパーティを離れる理由は年齢でした。

 35歳を間近に迎え、体力的にもきつくなり、故郷に戻って結婚でもして、子供が欲しいと願っていたと言うのでした。

 パーティの中では女性は二人いて、もう一人はまだ二十代前半だったのですが、男の中に女がひとりでは嫌だとその方が言い出し、また別の方も以前から他のパーティに誘われていたと告白し、ならばと、リーダーがパーティの解散を提案しました。


 パーティ解散を告げられた私は、身の置き場に困りましたが、やはり王都に戻り、もう一度学び直したいと思いました。精霊はある儀式でしか契約できません。そして、王都の学校ではそれが出来ました。

 解散した時期は11月の終わりで、学校は4月開校だったこともあって、私は故郷に帰ると言いだした彼女に、遊びに来ないかと誘われました。


 私たちのパーティはギルドから受諾した仕事に『運び屋の護衛』が多くあって、国内の主な町々や村々を巡り歩きました。ただ、彼女の故郷へ続く道は人や物流の行き来が多く、比較的安全に通れるほど道も整備されていたこともあり、訪れる機会はありませんでした。

 私が学校が始まるまで時間があることを知ると、彼女の勧めもあって一緒に行くことを承諾しました。


 彼女の名前は、パールパールと言いました。

 そして彼女の故郷は北の国境近くの山間にあって、ローズローズという町でした。

 ここで、ぴんと来たかと思いますが、この町に住む人族は名前を付けるとき、短い名を繰り返して付ける風潮があるようでした。

 ローズローズへの旅路はとても快適でした。国境近くとはいっても、そこは友好国だったため、王都からの往来が多く、宿泊馬車がとても安かったこともありました。


 7泊8日ほどかけて彼女の町まで馬車は順調に走りました。

 途中、何度か魔物と出くわしましたが、御者が空砲を撃つとすぐに逃げていくような、そんなおとなしい魔物ばかりで、ギルドの仕事をこなしていた私たちにとっては平和な旅でした。


 宿泊馬車は、最初は私たちとは他にもう一家族、子供と赤ん坊連れの夫婦の方がいらしていたのですが、途中にある村で降りたため、馬車の中はとても広く感じました。

 パールパールはとても社交的な人柄でしたので、その家族ともすぐに仲良くなることが出来ました。獣人である私もまた、その家族の温かい輪の中で楽しい時間を過ごさせて頂きました。

 ですが、その家族が去ってしまうと、馬車の中は当たり前ですが、広くなり、同時に火が消えたかのように静かになりました。

 彼女と私の二人だけになったそれからの二日間は、食事の時以外ほとんど何も話しませんでした。不仲になったわけではありません。彼女はパーティを組み始めた当初から気さくに話しかけてくれ、そして獣人である私にとても優しくしてくれました。

 私と彼女は気の置けない間柄だったからこそ、二人きりになった広い空間では今更話すようなことはありませんでした。私たちは向かい合って座っていて、時折目が合うばかり。いっそ、協力し合わなければいけないほどの強い魔物が現れてくれればと願ったくらいでした。


 彼女の町はもう冬支度が始まっていました。

 私は獣人なので寒さには平気なのですが、彼女は魔闘士で、動かしにくい厚手の装備は好みませんでした。ですが、息が白く凍る町の空気に、彼女は「子供の時とは違う!」と私に抱きついてきました。

 私はいつも獣人であることを目立たなくするために頭からすっぽりとフードをかぶっていたのですが、あまりに彼女に強く抱きつかれたため、背中の部分が破れてしまいました。昔らか使っているもので生地も古くなっていたのでしょう。


 彼女は弁償すると言い、断ろうとする私を連れて町の防具屋に行きました。

 ですが、ギルドに登録していない冒険者にはなにも売れないと突っぱねられ、私たちはローズローズにあるギルドに向かいました。

 その町のギルドは酒場と一体になっていて、大勢の冒険者や探索者がいました。ローズローズは、今でも探索者が地の深奥へと潜ることのできる名物ダンジョンのひとつに数えられているほど、有名なダンジョンの町でした。

 だからでしょうか、世界中から冒険者や探索者が集まり、ギルドの中はごった返していました。


 私たちが光の差し込むカウンターでギルドの手続きをしていると、誰かが私に向かって「獣人がいるぞ。破れた服を着た奴隷獣人だ」とはやし立てました。

 お酒が入っているのでしょう、と私は気にもとめなかったのですが、私の見ている前で、パールパールはペンの柄をへし折りました。

 私は血の気がひくのを感じ、咄嗟に彼女の手を握りました。彼女がこうすると落ち着くと、以前言っていたことがあるのを思い出したからでした。彼女の拳は堅く強く握られていて、私は怖くて彼女の顔を見ることが出来ませんでした。


 ギルドに集まってお酒を飲んでいた方々は続けざまに言いました。


「あのババアがそいつの飼い主だぜ! 寒くて寂しいローズローズの夜も安心だぜ、バター犬も一緒ならな!」


 その言葉がなにを意味することだったのか今でも分かりませんが、彼女は大気を振るわせるほど咆吼すると、手続きをしていたカウンターを粉みじんに破壊しました。ギルド中が一瞬のうちに静寂に包まれたのを覚えています。


 私は彼女の目を見て凍り付きました。

 即座に窓から差し込む光から、『光属性』の精霊を呼び起こすと全力で行使しました。光属性の精霊は昼間の光に触れていなければ扱うことが出来ません。もしもこれが夜だったらと思うと今でも肝が冷える思いです。あとで、彼女には叱られましたが、その時はそれが最善だったと思いました。


 室内であったことも効果的でした。

 私は視力を失った彼女の手を引いてギルドから出ました。後にギルドからの被害届もなにも出なかったところを見ると、あちらも事情は察していたのでしょう。

 カウンターを壊した代金を財布ごと投げ出してきたことも、今思えば良かったのかもしれません。


 彼女の手を引いて、とにかくギルドから離れました。

 普段温厚な彼女なだけに、一度怒り出すと手が付けられないことはパーティの誰もが知っていました。そして、彼女が怒る理由もパーティを侮辱されたことに限られていました。


 彼女と私はギルドから遠く離れたところまで来ると、彼女の目の回復を待ちました。

 光の精霊では目を眩ませることは出来ても、一度つぶれた目を即座に回復させることは出来ません。私は小川で冷やしてきたタオルを彼女の目に当てたりして夕方まで過ごしました。

 彼女はタオルを目に当てたまま、「ごめんね」と呟き、私は「慣れています」と返しました。

 人族の社会で生きているのですから、これが当たり前だと思っていましたし、実際、そういう目にもたくさん遭ってきました。

 それに、護衛の仕事では一番多く襲ってきた盗賊が、『獣人』だったことも、私たちが嫌われる原因となっているのでしょう。獣人は獣人同士、などと人族は言いますが、すでに盗賊に身をやつしてしまった彼らに、私からなにが言えるでしょうか。


 太陽の日が降り注いでいても息が凍るほど寒いのに、日が沈んでしまえばさらに冷えてきました。彼女はこんな状態で、今日はうちに帰りたくないというので、宿を取ることにしました。幸いにもあの事件は『彼女だけは』ギルド登録をした後だったため、私たちは彼女名義で宿に泊まることが出来ました。

 私は財布を投げ出してきてしまったので、一文無しだったため、どこかの軒下で休むと言ったのですが、彼女に怒られ、ぶたれました。


 そこは安宿ではありましたが、暖房設備が整っていました。

 そして、タオルで目を押さえた彼女と、同じく目元をはらした私の姿を見たその宿の女将が事情を察してくれて、私と彼女を同室にしてくれたうえに、食事まで部屋まで運んできてもらうことが出来ました。

 ギルドにいた私を除く全員がこの状態であるなら、宿の食堂で食べても構わなかったかもしれませんが、治癒士が仲間の目を治し、私への報復を考えると、やはり人目に付かない方がいいと思いました。


 私は目の見えない彼女に食事を与え、着替えを手伝いました。そしてその日は同じベットを使うことを提案されました。

 私は床でもいいと言ったのですが、「目が見えないと不安」という理由で、彼女に抱きつかれたまま、その日は眠りにつきました。


 翌日も彼女の目は回復しませんでした。

 朝から目にタオルを押しつけたまま、なにも言わず過ごす彼女に、私はつきっきりで看病しました。

 目が見えないと髪が洗えないというので髪を洗ってあげ、身体が拭けないというので身体を拭いてあげました。食事を食べさせ、髪をとかし、爪を切り、トイレに連れて行き、化粧を施してして過ごし、夜はまた抱きつかれて眠りにつきました。


 その翌日も、そのまた翌日もそうやって過ごしました。

 要求は激しくなる一方で、以前の彼女とは思えないほど、私に甘え、頼り、縋るようになってきました。身体に触れるように要求され、唇を吸うように要求され、とうとう人と獣との一線を越えてしまいました。


 ですが、一向に彼女の目は良くなりませんでした。

 一度医者を呼びましたが、その医者に彼女の目の容態を聞くと、「ご本人に聞いてみるといいでしょう」とだけ言われました。

 彼女に聞くと、「まだ見えない」と目にタオルを巻いたままでした。

 私はだんだんと心配になってきました。もしもこのまま、彼女の目が治らなかったらどう償えばいいのか、そればかり考えて過ごしました。


 そんな日が、10日続きました。いつものように髪を洗っていると、


「いつもごめんね。迷惑でしょう?」


 彼女が笑いかけてきたので、私はいつものように彼女の目を潰してしまったことをわびたあと、


「パールパールさんにはいつも優しくしてもらったので、その恩がこうして返せています」


 そう言うと、彼女は「そう」と短く言って黙り込んでしまいました。私は彼女の髪を乾かしながら、今後の生活設計を聞いてもらうことにしました。


「そろそろギルドに行って、仕事を受けてこようかと思います」

「駄目よ! あそこに行ったらあなたは掴まってしまうわ! この宿から出ないで!」

「ですが、もう何日も宿に宿泊しています。安い宿とはいえ、パールパールさんには私の分も出して頂いています。それに、もっと良い医者に診せるためにもお金が必要でしょう?」

「駄目よ! 絶対駄目!! お金ならいくらでもあるわ! わたしが何年冒険者をしていたと思っているの?! 二人で1年以上この暮らしが出来るわ!! ここにいて! お願いだから私のそばにいて! なんでもするから! なんだってあなたのことなら……」


 彼女の声は懇願からやがて哀願になっていました。

 濡れた髪のまま私にすがりつくと、彼女は泣き出してしまい、私は彼女を抱きしめたまま、なにも言わずタオルで彼女の髪を乾かし続けました。

 その日の夜、泣き疲れて眠った彼女から身体をほどくと、私は服を着て、夜の町に出かけることにしました。宿の女将さんに以前来てもらった医者の住所を聞き、そこに行ってみることにしたのです。


 夜も遅かったこともありましたが、医者は私を中に入れてくれ、話を聞いてくれました。

 そして、彼女の目が――すでに治っていることを知りました。彼女の目を潰してしまっていたと思い込んでいた私にとって、それは歓迎すべき最高のことでした。

 そしてその医者は最後にこう言いました。


「実は、あのとき彼女から、目のことは君に伝えないで欲しいと言われていたんだよ。自分からちゃんと教えると」


 私はその言葉に疑問を抱きつつも、医者に別れを告げて帰路を急ぎました。

 宿に着くと、足を忍ばせながら部屋に戻ろうとしました。ですが、そこには眠っているはずの彼女の姿はありませんでした。慌てて外に飛び出し、探し回りましたが、いくら探しても探し回っても、もう2度と彼女を見つけることは出来ませんでした」



 ザイル氏は肩で息をするような溜め息を吐くと、空を見つめ、まぶしそうに目を細めた。

 俺はピッツィーを口の中に放り込むと、続きを待った。

 ザイル氏は俺の視線に気付いたのか、手のひらを差しだしてきた。俺は少し笑うと、ザイル氏の手にピッツィーをひとつ乗せた。ザイル氏も同じようにそれを口の中に放り込み、喉を潤した。



「次に彼女に触れたのは翌年の秋だったのですじゃ――


 次に彼女に触れたのは翌年の秋でした。

 彼女を捜し旅をしていた私の元に、隣国のサウスロンドという町から、私宛に『飛翔文』が届きました。実際にはギルドを通じて連絡をもらったのですが、その飛翔文には短い謝罪の言葉と「会いたい」と書かれていました。

 私はすぐさま隣国への手続きを行おうとしましたが、獣人である私は申請が通りませんでした。仕方ないので、単身で国境を越える事にしました。


 彼女に会いたい一心で、なにも考えていなかったのでしょうか、ギルドの仕事中には決してしなかったミスを犯し、国境付近の森の中で、ばったりと野盗の集団に出くわしてしまいました。

 野盗の集団は全員フードを深くかぶっていましたが、ひとりだけ、見知った顔がありました。


 私の3番目の兄でした。

 兄も私を覚えていてくれたらしく、私を追い詰めるフリをして隙を作り、もちろん私も『土崩属性』で落とし穴を掘ったり、『光属性』で目を眩ませて、逃げて隠れて逃げてを繰り返し、最後は川に飛び込んで『水流属性』で下流まで息継ぎせずに一気に泳ぎきりました。

 兄が盗賊に身をやつしていたことには、少なからずショックを受けましたが、もう私の頭の中は彼女に会うことしか考えていませんでした。


 ですが、彼女には『会う』ことは叶いませんでした。

 私がサウスロンドに到着する3日前にはもう息を引き取っていたのでした。

 彼女は私の子供を身ごもっていました。異種族であっても、子供を身ごもることはあるとは聞いていましたが、実際に赤ん坊を抱かされると、何とも言えない気分になりました。

 彼女は産後の体調が優れないまま、子供を産んで一月後に――つまり、三日前に亡くなったと言うことでした。


 彼女は自分の命が長くないことを知って、私に手紙を書いたのでした。

 私がこの町の病院に駆けつけたときも、なんの不都合もなく彼女の遺体のそばまで来られたことも、すべて彼女の予測のうちだったのでしょう。


「わたしが死んでも、三日間だけは葬儀を行わず、夫が来るのを待ってください」


 そう言い残していたらしいのです。私は愕然としましたが、同時に彼女らしいとも思いました。

 生後一ヶ月の赤ん坊はもう目が開いていました。私がその子を抱くと、『彼』はむずがりました。そして産毛の生えている頬にキスをしました。


 その赤ん坊は、“この世のコトワリ通り、『母親側の種族』――人族でした。


 ”耳や目や尻尾など、獣人の特長を持ち合わせてはいましたが、出生届には『獣人』とは書かれず、『人族:獣人ハーフ』と書かれていました。

 毛むくじゃらな私にとって、その子は人族――彼女の形見、そのものでした。


 私はその子を我が子として引き取ることを病院側に提案すると、病院側もその提案を無条件でのんでくれました。それもまた、彼女が事前にお願いしてあったことでした。


 病院への支払いも、葬儀の手配も全て済ませてありました。

 さらにはそれから一月分の赤ん坊のミルクと、一ヶ月分の安宿の前払いがされていました。そしてそこにはおしめなどありとあらゆるものが用意してありました。

 ただ、必ずあるはずの物がありませんでした。私は病院にもそれがないか聞きましたが、いい返事は聞けませんでした。


 私が欲していたもの、それは彼女の【手紙】でした。

 でも、どこを探しても見つかりませんでした。彼女がなぜ私の前から姿を消したのか、消さなければいけなかったのか、それを知る手がかりは未だみつかっていません。


 それから四ヶ月は、その町で過ごしました。

 サウスロンドという町は、ローザローザよりもさらに北にあることから、とても寒く、とてもではありませんが赤ん坊を連れて旅など出来そうにもなかったからです。


 私の子の名前は『セイル』と言いました。

 彼女が悩みながら名前を付けていたと、病院の看護婦が言っていました。

 セイルは他の赤ん坊に比べ、おとなしい子で、夜泣きなど一度もしなかったと看護婦が驚いていましたが、獣人の子は赤ん坊のうちはみな大人しいと教えてあげると、へぇ~と感心していた様子でした。


 セイルは順調に成長していきました。

 町に一件しかない産婦人科の病院では、十人近くの出産ラッシュがあり、病院側の理解とセイルが可愛いこともあって乳に困ることはありませんでした。


 病院側が気を利かせて、私の身分証を作成してくれました。

 このときの私は恵まれていたのだと思います。病院側が私に【妻】の姓を名乗ることを提案してくれたのです。

 妻の名前は、パールパール・ハルバロンズ・バルト。私の名前は、ザイル・フェルゲバスロトーハンから、ザイル・ハルバロンズ・バルト。そして子供は、セイル・ハルバロンズ・バルトとして、出生届を提出しました。


 町での生活は楽しかったのですが、ようやく冬の季節が終わろうとする頃に、私は町を出ることを決意しました。

 町の住民は私を『亜人』として温かく迎え入れてくれ、決して偏見や差別といった事はありませんでした。それは獣人とのハーフであるセイルにもあてはまりました。親心にもセイルは可愛いと思いましたし、看護婦や町の人たちにも受け入れられていました。


 私が町を去ろうとした理由はふたつあり、ひとつはお金の問題でした。

 パールパールが持っていた預貯金は、彼女が死亡したときに半分はその国の法律で税金としてとられ、残り半分は病院の支払いとセイルと私との宿屋暮らしに使い、残り少なくなっていたのでした。


 もうひとつは、精霊使いとしての私のふがいなさにありました。

 この国の冬は長く、年の半分近くを雪と共に暮らしていかなければいけないほどでした。

 主な収入源は、豊富にあるダンジョンの魔光石や魔石などで、探索者がギルドの仕事の多くを占めていました。

 私が契約を交わした精霊は、『土』『水』『風』『光』の4つでしたが、そのほとんどが、厚い雪雲とブリザード、そして凍る大地の前では役に立ちませんでした。


 だからといって、ダンジョンに潜る探索者になるのもはばかれました。

 一度パーティを組みダンジョンに潜ったなら、数日から数週間地上に戻ることは叶わないでしょう。それに魔物を殺せない私になんの役が務まったでしょうか。

 頼みの綱の『光属性』もダンジョンの中ではまるで意味をなしません。そしてなによりも、私がセイルのそばを片時も離れたくない思いでいっぱいでした。

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