第25話 さらなる困難へ

 そして、いよいよ馬に乗り込んで南門から出発することになった。

 そういえば、どのタイミングで俺は引き返せばいいのだろうか。それをクレイと打ち合わせようと思ったのだが、クレイは式には顔を出さなかったし、どこに行ったかもわからない。ただ、『ベン』でいることがまだ周囲に気付かれていないので、近くにいるはいるんだろうが……。

 南門をくぐり、結構なスピードで馬は走り出す。年寄り4名が先行し、俺とアドニスは最後尾を並んで走った。


「アドニス――」


 不安になり、隣をぴったりと付いて走るアドニスに呼びかける。


「喋るな。門がまだ開いている。このまま走らせろ。それまで振り落とされるなよ」

「お、おうよ」


 俺はアドニスのサポートのおかげで必死に馬にしがみつきながら走り続けた。

  ――早い。普通に早い。そして揺れる。

 へたなスクーターなんかより早いかもしれない。ドカカ、ドカカと馬の蹄が地面を蹴る音だけが聞こえる。前を走るお年寄りに付いていくだけで必死だ。

 平常心スキルで、速度や揺れに対する恐怖心はそれほどではないのだが、バルバ隊長に提案した作戦では南門から出てすぐに俺は引き返して待機、落ち着いた頃に町に入れてもらうといったものだった。

 決してこんな、20分近くも走らせるような話ではなかったはずだ。


「顔も服装も戻ったな、トーダ」


 ようやくアドニスが呟くように口を開いた。


「あの、それなら俺、もう戻っていいですか? 大丈夫です。ひとりで帰れますから」

「駄目だ。このまま進む」

「いや、だって俺の役割はもう終わったはずですよね。バルバ隊長にはそう伝えました」

「俺はそう聞いていない。トーダのサポートを指示されただけだ」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」


 そんなやりとりが前を走るお年寄りに聞こえたのか、うちひとりが振り返って、声を上げた。


「みんな、ベンの奴がおらんぞ!」

「なんじゃと。ほんとじゃ、ベンの奴がおらん、止まれ止まれ」

「どうどう、どうどう」


 先行していた馬がブレーキをかけて止まり、わらわらと俺の周囲に集まってきた。


「なんじゃいお主は。若造アドニス、ベンはどこ行ったんじゃい」

「ほうじゃ。ベンの姿が見えんぞい」

「あんた、誰かいの。出発式にはおらんかったよね?」


 爺さま達は次々に質問を投げかけてくる。

 アドニスに頼ろうとしたが、守る気はないのか目を閉じやがった。


「トーダと言います。昨夜からパーソン神父と共に葬儀に関わりました『浄洗師』です」

「ほい、トーダさんじゃな。兵士じゃないのなら、なんでこの場におるんじゃ?」

「それよりも、ベンはどこ行ったのかの? 姿が見えんが、便所か?」

「おお、おお、昨日威勢よく現れてベンと喧嘩しおった若造じゃな。何じゃ、今日はベンと仲直りのためにきたんかい?」


 矢継ぎ早に質問が飛んでくるが、さてどう答えたらいいものか。

 もう一度アドニスの顔をのぞき見るが、どうも庇ったり意見したりする気はないらしい。

 ならもう好きにするか。


「ベンは偉そうなことを言ってこの先遣隊に参加しましたが、どうも目的は別にあったらしく、南門を出てすぐ姿をくらましました。ひょっとすると、盗賊の一味であった可能性もありますが、確認するためには一度町に戻るというのはどうでしょうか」

「町には戻らない。このまま村まで行くのが我々先遣隊の任務だ」


 アドニスは目を閉じたまま言った。


「ほうじゃ。わしら無理を言って参加しとるんじゃ、成果を上げて帰らんと何しに来たかわからんじゃろ」

「うむうむ。町は若いモンが守りを固めとる。何をしようがわしらはわしらの仕事をするだけじゃ」

「ところでトーダさんと言ったかの、あんたはなんなんじゃい? 葬儀屋がここにいてはわしらもやりづらいのじゃがの」

「あ、はい。そうですね。今戻ろうかと思って……」

「こいつはバルバ隊長の命令で特別同行することになっています。戦力にもならない素人であるため出発式には参加させませんでしたが、『死体から情報を読み取る』という特別な力があり、もしもの場合『情報』を持ち帰るようにと言われてきました」


 アドニスは淡々と語るが、そんな話は聞いていない。


「それはその、アルバの村の住民が盗賊共に殺されてしまっておるという前提での派遣なのかの?」

「はい。おそらくそう判断されたのだと思います」

「馬鹿を言うな! そんなことがあってたまるか! あの村はわしらの故郷じゃぞ!」

「ほうじゃ。めったなこと言うたらあかんぞ、若造!」

「…………」


 噛み付くように怒声をあげる老人にアドニスは黙したが、その眼は決して怯んでなどいなかった。静かな炎を宿すような眼で、アドニスは老人達と睨み合う。


「勇敢な兵士の皆さん。それは村に近づけば分かることですじゃ。先を急ぎましょう。私たちが行けば、飛翔文が帰ってこなかった理由がわかるはずですじゃ」


 そこにこの緊迫したような空気を和ますような声が聞こえた。

 ケモ顔の亜人だ。

 カポカポカポと馬を歩かせ、こちらに近づくと、さっと馬を下りた。

 そしてその場に膝をつくと、フードを脱いでケモ耳を露わにした。その上で馬上の兵士達に言葉を紡ぐ。


「私には食べ盛りの3人の孫がおります故、夕刻には久々にこの老骨の稼ぎで腹一杯飯を食わせてやりたいと思いますじゃ。勇敢な兵士の皆さん、この場はこの亜人めの顔を立ててくださいませんか?」


 ケモ爺さんはぺこりと頭を下げた。

 爺さま達はその様に唖然とし、「うむ、まあ……」「わしは別に……」「なにもわしは……」と、居心地悪そうに目を反らす。

 と、アドニスが俺の馬の手綱を掴んだ。


「戻ることは出来ない。これは『新しい任務』だ。村まで同行してもらう。諦めろ」


 端的に短い言葉を綴っていくアドニスに、俺は頷きかけたが、納得いかない。


「最初から俺を同行させるつもりだったんですか?」

「そう聞いている。俺は全員を無事に町に連れ帰るのが仕事だ。そしてお前は『情報』を持ち帰るのが仕事だ」


 アドニスは感情を表に出さない顔のまま、俺の馬の手綱を操り、村の方向へと馬鼻を向けた。

 出発するぞー、の声。

 俺は乗っている馬を降りたりすることはせず、流されるまま再び走り出した。

 どうせここでキレて独りで村に帰ろうとしても、気がついたら村の入り口にいました、後頭部になぜかたんこぶが出来ていました、になるに違いない。

 ドカカ、ドカカ、と馬は順調に速度を上げる。アドニスは手綱を俺に返したが、俺の馬と併走して走っている。


「クレイもこのことを知っていたんですか?」

「俺が伝えた。あいつも来ると言い張って隊長のところに向かったが、結局来なかったな」


 アドニスは淡々と語る。その横顔からは何も読み取れない。


「……そうですか。ところでアドニスさんは昨日あれから寝ましたか?」

「いや。上が『先遣隊』に方針をかえる以前から、俺は討伐隊に組み込まれていた。準備がある。寝ている暇はない。……急にお前の分も準備しないといけなくなったからな」

「そうですか。ありがとうございます」


 俺の乗る馬にもみんなと同じ、鞍や鐙があった。普段から馬はこういう状態ではないだろうから、わざわざ付けてくれたのだろう。馬のおしりには手提げ鞄ほどの荷物入れがふたつ付いている。俺の乗る馬なので俺の荷物だろうか……。

 …………。

 まあいいか。どうせダダジム達と先遣隊の後からこそこそ付いていくつもりだったし。

 ただ、ダダジムタクシーでの楽ちん運送じゃないのが不満なだけで。

 …………。

 悪い人じゃないんだけどな、この人も。クレイほど気さくじゃないだけで。


「アドニスさん。あそこ、あのカーブの端、少し削れていますよね。見えますか?」

「ああ。見える」

「昨夜言っていた、カステーロさんが馬車の転落事故を起こした場所です。あの下にカステーロさんの荷馬車の中身が散乱しています。帰り……は暗いですかね、やっぱ。とりあえず教えましたよ」

「……わかった」


 会話が終了してしまい、ドカカ、ドカカ、とまた地を駆る蹄の音と風だけが耳に届く。

 馬のスピードや操縦、方向などはアドニスがうまく誘導してくれるので、ほとんど手綱を動かさなくてもよかった。競馬みたいに馬の尻をピシピシ叩かなくても走るし、ジョッキーのような馬鹿な姿勢で馬に跨がらなくてもいい。

 速さになれてしまえば、馬を走らせるのも面白かった。あと、馬で股間が温かいなり。

 ……刺激されて、おしっこしたい。腹減った。


「アドニスさん。村に着くまで休憩って挟まないんですか?」

「前の連中次第だが、この先に馬を休ませることができる沢がある。一度そこで停まるはずだ」

「わかりました。……休憩をいくつか挟むなら村まで同行します」

「同行はしてもらう。休憩は前の連中次第だ」

「…………」


 悪い人じゃないんだけどなぁ……。

 【鑑識オン】――アドニスっと。何もしないのも暇なので情報収集でもするとしようか。


 ・アドニス・フィルハート <男・26歳>

 ・【ジョブ】 兵士 Lv11

 ・人族


 ふむふむ。兵士、Lv11ね……って【セカンドジョブ】を見てもあんまり意味ないんだった。

 でも、よく考えたらこれって【鑑識Lv】をどれだけ上げたところで、兵士のジョブの内容しか識ることができないんじゃないのか? 【暗幕】スキルの立場無いな。

 あー、そういえばベンの剣士状態での鑑識するの忘れてた。せめてLvだけは知っておきたかったのに~!


「アドニスさん、剣士なんですよね?」

「そうだ」

「“ラッシュ”って技をご存じですか?」

「……ああ。知っている」


 “ラッシュ”はベンがジルキースに向けて放った剣技だ。

 たしか、イメージ的には『集中連撃』ってところだろうか。自身に魔力でブーストかけてからの猛突進とそれに負けない斬撃の嵐だ。相手を一気にたたみ込むときに使われるんじゃないかなっと思う。ジルキースには軽く躱されてたけど。

 それにしても、アドニスは会話力に乏しいな。一応答えは返ってくるけど、必要なことしか喋らないタイプだ。

 ……まあ、俺みたいに嘘つきじゃないだけマシかな。


「使えるんですか?」

「使える」

「えーと、使った事ってありますか?」

「ある」


 この人との会話は疲れる。

 気をつかって話しかける必要もないだろうけど、一応嫌がる様子もないし、正直に話してもらえているので、情報収集もかねてこのままいくか。


「じゃあ“ラッシュ”を人間相手に使ったことはありますか?」

「ある」

「それは実戦でしたか? 相手は何のジョブを持った方でしたか? 相手を殺しましたか?」

「模擬戦と実戦だ。盗賊と戦士と剣士だ。模擬戦以外全員殺した」


 さらさら躊躇無く答えるアドニスが怖い。クレイとはまた違った感じで人殺しに慣れてる感じがする。


「魔物相手に使ったことはありますか? またそれはどのような魔物でしたか? 効果はありましたか? 反省すべき点などありましたらどうぞ」

「魔物に使ったことの方が多いな。獣人とゴブリンがほとんどだ。幾度かオークにも使ったことがある。使うタイミングさえ間違わなければ殺せる。“ラッシュ”は連撃系だから、突進系と正面からぶつかると体格差で吹き飛ばされることがある」


 お。なんか急に饒舌になってきたな。やはり戦闘ネタは話しやすいか。心なしかうれしそうだ。

 よし。恋愛ネタなどは振らないようにして硬派にいこう、硬派に。


「剣士は盾を使うと聞きましたが、アドニスさんも盾は使いますか? また“ラッシュ”以外にも他に技などがあったら教えて下さい」

「使える……が、兵士になってからは“盾”はしばらく使っていない。常備はしているが。“ラッシュ”の他には――」


 その後、なんだかんだと剣士について教えてもらった。

 剣術のこと、盾のこと、【両手持ち】のこと、ラッシュ以外の技についてもアドニスは隠すことなく、こちらの質問には全て答えてくれた。


 ぴこぴこぽーん。トーダは剣士事情についての知識を得た!


 で、総合的に評価すると、剣士は極めれば強いかもって感じがする。魔物を手頃なヤツから倒していって徐々にレベルアップしていけば傭兵として充分やっていけそうだし、対【選出者】戦にもかなり手強い存在となること間違いなしだと思う。


 イザベラが【剣士】をお薦めしていた理由が分かるというものだ。簡単に言えば、『○属性無効の盾』やら『貫通無効の盾』やら、お金さえあれば結構チートな盾が普通に売られているらしい。お高いらしいが。それに加えて『剣士ジョブのスキル』があれば鬼に金棒だろう。

 ドラクエ2で言えば『もょもと』みたいなものか。【クグツ】を造らないと何も始まらないネクロマンサーとは対照的だ。


 いいもん。剣士なんて所詮、命を奪うことしかできないんだから。

 その点、ネクロマンサーはねー、すごいんだぞー。亡くなった人々に新たな命を与え「う゛ぁー……」とか「ゲッゲッゲッ……」とか、ミサルダの町中、グールさんでいっぱいなり……。


 うっかり昨夜の『瀕死体験』を思い出してしまって気分が悪くなる。そもそもグールとクグツとの違いってなんなのだ? どうやったらクグツを作製できるのか。【転用】ってなんなの?

 他のジョブの情報や知識が集まるのはいいけれど、かなめのネクロマンサーについては、タイ語で書かれた説明書をもらったかのようで、いかんともしがたい気分になる。


「アドニスさん、左手の『兵士の指輪』を外してもらうことって出来ますか?」

「駄目だ。外すことは任務上できない」


 ついでにアドニスの剣士Lvでも見ておこうと思ったのだが、これはさすがに断られた。

 せっかくよくなってきた雰囲気を壊すのも不味いと思い、俺はすぐにフォローを入れる。


「あ、いえ。馬上ですし、危ないですよね。すみませ――」

「一度外してしまえば、今一度パーティ編成をし直さなくてはいけなくなる。前の連中にも迷惑が掛かる。それはできない」


 アドニスは前を行く年寄り達を顎で指すと、ちらりと俺を見、また前に視線を戻した。


「クレイとのパーティ編成に失敗したと聞いた。お前とパスを繋ぐと、死ぬほど辛くなるらしいな」

「え、ええ。まあ、そうみたいです。でも体調が悪くなったのはクレイだけで、俺は平気だったんですけど」


 俺がそう言うと、アドニスは指輪をはめた右手をヌッと俺に差し出した。兵士の指輪ではない、剣士の指輪の方だ。


「この先遣隊パーティのリーダーは俺だ。クレイの言っていたことが気になる。パスを繋いでみる。右手の指輪を出してくれ」

「いいですけど。……馬乗りながらじゃ危なくありませんか? クレイは学生時代にノゾキがばれて土嚢袋担いで校庭20周走らされたあとの気分だ、なんて言ってましたけど」

「……そういえば、そんなことがあったな」


 アドニスがおかしそうに眼を細める。昔を懐かしむような柔らかな笑みだ。


「もしかしてアドニスさんも一緒に走ったんですか?」

「……俺は当時、風紀委員をしていた。クレイとは逆の立場だった。クレイを何度捕まえて生活指導教員に引き渡したことか。……その時の様子は覚えている。校舎の二階からクレイが20周走るのを数えていたからな」


 校庭のトラックを土嚢担ぎながら走るクレイ。それを校舎の二階から見るアドニス。

 青春と見るか、BLと見るか。


「はぁ……そうですか……。それでクレイはまじめに走りきったんですか? 土嚢持って」

「ああ。逃げ出したり、数をごまかしたりはできない。トラックの端で生活指導員が見ているからな」

「幻術魔法でごまかしたりしてませんでした?」

「あいつは……クレイは、罰だけはなぜか真面目に受けていた気がするな。それに幻術の届く範囲は今ほど広くない。校舎から監視していれば気付く」


 ああ、なるほど。そういうズルを見破るためにあえて離れて見ていたのか。なにこの元風紀委員怖い。


「でも、クレイの性格上、そういうのはパスしたがると思うんですけどね」

「俺も聞いてみたことがある。クレイは『巧くできなかった俺への罰だった』と言っていた。……動機はともかく、反省と向上心は持ち合わせた男だった。逆に成功したらしいときは、告げ口されて懲罰房に三日間入っていたと言っていたな」

「……そうなんですか」


 なんか現実世界の学校風景とあまり変わらない気がするな。一部だけ刑務所っぽいけど。

 全寮制って言うところに学園青春ドラマを感じてしまう俺は年かもしれない。

 俺は右手の指輪を差し出すと、クレイとしたときのように指輪と指輪をくっつけた。

 アドニスが「*****」とパーティ編成の言葉を紡ぐ――と、同時にアドニスの身体が蹌踉よろめいたかと思うと、突然馬の首にもたれ掛かるように脱力してしまった。

 少なくとも、こんな冗談をこの場でやるキャラではなかったはずだ。


「ア、アドニスさん?! ちょ、しっかりして下さい!!」


 俺は慌てて呼びかけるが、ピクピク痙攣を繰り返すだけで応答がない。幸か不幸か馬は双方ともスピードを落とさなかったので、俺は落ちないように気をつけながらアドニスの背を揺すった。

 すると、小さなうめき声と共にのろのろと力なく右手が挙がり、指輪を俺に向けた。すぐさま身を乗り出してアドニスの手を取ると、指輪と指輪をくっつけた。

 道がカーブに掛かろうとしていた。


「アドニスさん、指輪を付けました。パスを解除して下さい。カーブに入ります、早く!」

「****」


 パスの解除と同時にアドニスは跳ね起きると、俺の馬の手綱を操り、同時に俺の肩を掴むとカーブに合わせて引き寄せ、遠心力を相殺させた。

 馬と俺たちは割とギリギリのところでカーブを曲がりきり、先を行く仲間に遅れまいとひた走る。

 もう少しアドニスの判断が遅ければ、カーブの外側にいた俺が崖下に放り出されるところだった。

 俺は胸をなで下ろしていると、アドニスが謝ってきた。


「すまん……。軽率な行動だった」


 アドニスは疲労の滲む青い顔で額の汗を拭った。下唇が微かに痙攣を起こしているのが見えた。ほんのわずかな時間で、人はこんなにも疲弊できるものかと逆に感心した。


「大丈夫ですか? 前の人たちに声をかけて、少し休みませんか?」

「いや、もう大丈夫だ。クレイの言ったとおりだ。確かにきつい……」


 アドニスは一度深呼吸すると、軽く頭を振った。

 気温はそれほど暑くもなく、馬を走らせているので汗をかくほどでもないはずなのだが、アドニスの額にはまだ大量の汗が滲んでいた。


「校庭を土嚢担いで20周でしたか?」


 そう聞くと、アドニスはげんなりとした顔で応えた。 


「それ以上だ。仲間二人の死体担いでダンジョンを逃げ回っていた時のことを思い出した……。空腹でないだけマシだったが……なるほど、クレイが断るわけだ……」


 聞かなきゃよかった。

 俺はアドニスに乾いた笑いを返していたが、内心少し荒れていた。

 ネクロマンサーとパーティを組むと非道い目に合うぞ云々の自虐ではなく、アドニスがダンジョン内であった最悪の出来事を、疲労の引き合いに出してしまえることに苛立った。

 だが、それと同時に、俺はアドニス達とは違う生き方をしてきたんだなと気付かされてしまう。


「【鑑識オン】――俺」


 俺はアドニスには気付かれないよう呟くと、ステータス画面を開き、案の定オフになっていた『平常心スキル』をオンにする。そして、小さくため息を吐いた。

 そのあとしばらくは無言で進み、アドニスの顔色が戻るのを見計らって、また話を振った。沈黙に耐えきれなかったと言うこともあるが、今がアドニスと仲良くなれるちょうど良い機会でもあるようにも思えたからだ。

 仲間でも友人でも何でもいい。この世界での繋がりをもう少し広げたいと思った。

 この世界から逃げ出せない以上、俺はこの世界に適応するしかないのだから。


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