第26話 剣士アドニス

 クレイにまつわる昔話を聞いて盛り上がっていたとき、急に爺さま達が馬を止めた。慌てて俺たちも馬を止める。もっとも俺の馬を止めてくれたのはアドニスだったが。


「まだ沢には少し距離があるはずだが」


 アドニスはそう呟くと、なにやら騒いでいる爺さま達に向かって馬を歩かせる。俺もその後に続いた。


「どうかしましたか……?」


 アドニスが爺さん達に声をかける。爺さん達はほぼ同時に振り向くと、こちらに向かってニカッと笑ってみせた。

 俺はたじろくが、アドニスは平然と近づいていく。爺さま達はアドニスに馬を寄せると、道向こうを指さした。

 見ると、なにかでかいサルのような動物が2匹、道に沿って歩いている。赤い尻が見えているのだから向かっている方向はこちらではないのだろう。

 距離は40mと言ったところか。こちらに気付いた様子はない。


「おう、若いの。魔物じゃ。魔物がこの先の道沿いを歩いておるんじゃ。っかー、久々に腕前を見せるときが来たわい」

「何を言うとるか。わしが一番に見つけたんじゃ。ありゃわしの獲物じゃ」

「2体おるでの、手分けして倒そうまいか」

「ほいじゃ、ほいじゃ。血肉が踊るのー」


 三人の爺さま達は弓やら短槍やら剣やらに手を伸ばすと、喜々としてなにやら準備をし始めた。

 アドニスは嘆息すると言った。


「諸先輩方の手を煩わせるほどではありません。俺が行って片付けてきます。ネグレクトヒヒが2匹なら造作もありません」


 馬を走らせようとするアドニスの前に、爺さま達は我先と自分の乗った馬を割り込ませようとする。


「若造。お主ひとりであれとやろうっていうのか。加勢するぞい」

「小僧。わしも行く。ふたりで行けば、かかる時間は半分じゃ」

「ほいほい。じゃあ、わしは弓で援護してやるかの。久しぶりじゃが、上手く当たるかの。ほほっ」

「順番じゃ。おまえら、順番を守らんか。ありゃ、わしが一番に見つけたんじゃぞ」

「…………」


 一応、爺さま達全員のジョブを【鑑識】で調べてあるが、全員【兵士】になっていて、ひとりを除いて右手には指輪がない。これでは意味がない。……意味はないが、少なくともアドニスよりも兵士LvはLv21と上だった。

 あと、残りのひとりのケモ爺さんだが、調べてみると、思った通り【精霊使い】でLvは19だった。ケイトよりもずっと高いので期待できそうだ。それにサポート系がいるのは頼もしい。

 ちなみに俺は完全にアウェーなので巻き込まれないように静観を決め込んでいた。

あ、でも魔物の死体は俺がもらうから! これ絶対ね!


「失礼」


 アドニスは年寄り達の前に馬をせり出させると、馬を下りた。そして、素早く手綱を年寄り達の馬の手綱に結びつけた。


「あ、こりゃ、なにをするんじゃ」

「手綱同士を結びおって、どういうつもりじゃ! 」

「おい! 若造! ひとりで無茶をするな。戻ってこんかい!」


 年寄り達のお怒りを背に、アドニスは猛然とネグレクトヒヒに向かって走り出した。

 俺は心配になり、恐る恐る年寄り達に声をかけた。


「あの、ネグレクトヒヒって危険な魔物なんですか?」

「あん? この森の魔物に危険じゃないモノなどおらんわい。先走りおって」

「あれは縄張りに近づかん限りは襲ってこんやつじゃが、若いのはすぐに格好付けたがる!」

「ふん。……まあ、わしは若いときに倒したことがあるがな」

「わしもじゃ! というか、そのときはわしと一緒に倒したじゃろうが! 手柄を独り占めするでない!」

「はて? そうじゃったろうか」

「くわっ、誰ぞ老眼鏡貸してくれんか? 固結びじゃ! ほどけんぞ」


 俺は姦しい年寄り達からアドニスに視線を戻した。

 2匹ともひとりでやる気なのだろう。アドニスが剣を抜き放つと同時に、ネグレクトヒヒがアドニスに気付き向きを変えた。四つん這いの姿勢から立ち上がると、アドニスより頭ひとつ大きい。

 眼をむき出しにして敵意を露わにしたネグレクトヒヒは、遠目から見ても醜い顔だった。威嚇のためか「ギャギャギャギャアアアー!!」と、この距離ですら耳を塞ぎたくなるほどの奇声を上げ、アドニスを迎え撃つ。

 だが、アドニスはそんな奇声に臆することなく、さらに加速すると崖側にいたネグレクトヒヒに両手で斬り付けた。【両手斬り】――血飛沫が舞ったのが見えた。年寄りのミーハーな歓声が沸く。

 大きく仰け反ったネグレクトヒヒは、その一撃で終わったかに見えたが、倒れなかった。2匹目が繰り出した左フックをアドニスが屈んで躱した隙に、大きく後ろに飛ぶと「ギャギャギャギャアアアー!!」と再び咆吼した。


 けれど、アドニスは強かった。1匹目が距離を取ったのを見て、すぐさま目の前の2匹目へとターゲットを移す。右拳を振りかぶったネグレクトヒヒ渾身の一撃を、アドニスは身体を回転させ、左手1本で斬り飛ばした。甲高い悲鳴を上げるネグレクトヒヒに、アドニスは追撃の手を緩めず【両手斬り】を放ち、袈裟懸けにした。


「どれ、加勢してやろうかの」


 弓に矢を継がえた年寄りがそう呟くのを、俺は止めることが出来なかった。

 ひゅんと矢が放たれ、そしてその矢が、距離を取ったネグレクトヒヒの剥きだした目に突き刺さるのを見た。


「ギャギャッ、アアア-!!ギャギャッ、アアアアー!!」


 目を押さえ、ネグレクトヒヒが叫ぶ。それがそのネグレクトヒヒの最期の叫びになった。

 アドニスが素早く駆け寄るとネグレクトヒヒの心臓部分を突き刺したのだ。剣は身体を突き通し、根本まで刺さったのが見えた。そのまま剣をこじったのだろう、ネグレクトヒヒの身体がビクリと震え、やがて力なく地に崩れ落ちた。

 俺はアドニスが無事だったことにほっと胸をなで下ろした。

 アドニスがこちらを見やり、腕を振り、なにかを口にしたが、年寄り達の歓声にかき消された。


「…………?」


 アドニスがこっちに走り出してきた。血の滴った剣は拭われることもなく、走る邪魔にならないようにと左逆手に持って走り来る。

 勝利の後とは思えない、緊張を孕んだ顔だった。アドニスは森の中を指さし「もう1匹いるぞ」と叫んだ。

 それと同時に、目の前に先ほどのネグレクトヒヒよりもさらに大きなネグレクトヒヒが森の中から飛び出してきた。

 あまりの出来事に、お年寄り達の歓声がプツリとやんだ。俺の思考も停止する。

 アドニスが必死の形相で「逃げろ!」と叫んだのがわかった。

 そこからは、時間がゆっくり動いたように思えた。

 ネグレクトヒヒの目を剥いた醜い顔からは敵意がほとばしっていた。仲間を殺された怒りなのだろうか。ふと、昨日のファイヤーウルフを思い出してしまう。

 アドニスとは15m以上離れていて、ネグレクトヒヒとは5mも離れていなかった。

 ネグレクトヒヒが大地を蹴って躍りかかってきた。筋肉の躍動が見えた。

 不思議と恐怖は感じなかった。

 それはたぶん、次の瞬間死ぬのが、俺以外の――より近くにいるお年寄りなのだろうと、高をくくっていたせいかもしれない。

 それとも。

 最初から――お年寄りの皆さんが言い争っているときからずっと、馬を下りて片膝をつき、見守ってくれていたケモ顔の【精霊使い】がそばにいたからかもしれない。


『******』


 その言葉は知っている。

 ケイトがよく口にしていた言葉おとだ。そして彼女は大地に手を付けて、精霊魔法を発動させるんだ。

 ――そう、こんな風に。


 突如、何の前触れもなく大地から突き出してきた土色の槍にネグレクトヒヒは身体を貫かれた。振り上げた腕の腋から槍は突き刺さり、顎を跳ね上げると、そのまま頭蓋骨を突き破って停まっていた。


「~~~~~~っ!!」


 その場にいる全員が言葉を失ってそれを見上げていた。

 時が動きだしたのは、アドニスが駆け込んできた1秒後だった。その1秒があれば、おそらくネグレクトヒヒはお年寄りの誰かの首を刎ねていただろう。

 そんな、生死を左右する1秒だった。

 到着したアドニスも呼吸を荒くするばかりで、なにも言葉にすることが出来なかった。

 馬が身を震わせブルルッと鳴いた。お互いが繋がれているので、逃げることも叶わなかった馬は今更ながらネグレクトヒヒを見て、嫌がるように後ずさる。


「勇敢な兵士の皆さん。出過ぎた真似とは思いましたが、この亜人めが横から手を出させて頂きました。どうかお許し下さい」


 ケモ顔の精霊使いはそう言うと、青ざめたままのお年寄り達を前に平伏した。どさりと、ネグレクトヒヒの身体が地面に落ちる。槍は消えていた。

 アドニスはそんなケモ顔の精霊使いに歩み寄ると、震える手で立ち上がらせ「ありがとう」と言った。そして、お年寄り達に振り返り、「勝手な真似をしてすみませんでした」と頭を下げた。

 しばらくの沈黙ののち、誰彼となく「あー、うむ……」「あー、だな……」「まあ、その、な……」と視線を泳がし言葉を濁し始め、最後には咳払いの後にこう言った。


「助かったわい。ありがとう、ザイル氏」

「いいえ。いいえ。お恥ずかしい限りですじゃ。ようやく勇敢な兵士の皆さんのお役に立つことができたと、この亜人めは胸を撫で下ろしておるところですじゃ」


 うむうむ、と年寄り達は満足そうに頷き、続いてアドニスに顔を向けた。


「わか……アドニスも自分勝手な行動は感心せんが……剣技の冴えは悪くはなかったぞい」

「まだまだ修行が足りませんでした。……あと少しで沢に着きます。そこで少し馬を休ませて、我々も食事を取りましょう」


 アドニスが結びつけた手綱をほどきながらそう提案すると、年寄り達は次々と賛成を口にした。


「うむ、そうじゃ。馬を休ませねばな」

「そうじゃそうじゃ。馬の休憩は必要じゃ」

「ほっほー。寿命が三年縮まったぞい。寿命三年分食わねばな」


 俺は、無理矢理気力を取り戻そうと虚勢を張っているお年寄りのそばを通り、アドニスに近づいた。


「道端に魔物の死体を転がしておくわけにはいかないでしょう。今からネグレクトヒヒの浄化葬をしますけど、構わないですよね」


 アドニスが頷くのを確認すると、俺はケモ顔――ザイル氏にも軽く頭を下げた。ザイル氏はケモ顔を緩めて微笑んだ。

 俺はネグレクトヒヒの死体の前に膝をつき、一度手を合わせると、右手を頭に付けた。

 【魄】の吸い取りが始まる。思った通り、魔物相手には『瀕死体験』が始まったりしないようだ。


「……なにをしとるんじゃ、おまえさん」

「『浄化葬』です。すみません、もうすぐ終わりますから」


 馬上から声が掛かり、俺はぺこりと頭を下げた。


「魔物にまで祈りを捧げておったのか? ……そういう無駄なことはせんでもええ。それよりも皆でこの死体を崖下にでも捨てまいかの? 王都から来るっちゅう騎兵の邪魔になるでの」


 ほうじゃほうじゃと馬を下りる年寄り達。1人は危なく落馬しかけ、危ういところでアドニスに腕を支えられた。


「その必要はありません。『浄化葬』は死体を浄化し、大気に還します。そして千の風になって世界を吹き渡るのです」


 一応、【魄】の回収が終わったので、俺は膝の砂を払って立ち上がった。

 む。年寄り達が俺を指さしひそひそと悪口言ってる。やな感じ。悪口は本人の見えないところでやってよぅ。


「死体が溶け出しますから、離れた方がいいですよ」

「ばかばかしいことを言うな。ほいじゃ、あんたもそっち持っとくれ。いち、にーの、さんでいくからの。腰に気をつけ…………は? べとべと?」


 年寄り連中がネグレクトヒヒの死体を取り囲む中、融解が始まる。

 なにも知らない年寄り達は、死体が瞬く間にドロドロになり地面に溶け落ちていくのを目の当たりにし、黄色い悲鳴を上げるのだった。

 結果、お年寄り兵士3人が腰を抜かしてしまった。ちなみに現在【魄吸収率:215%】。ドロップアイテムは【ヒヒの犬歯】だった。

 俺は申告せず、そっとポケットに忍ばせた。


「すまんな。少しすれば元に戻るからの」

「最近の葬儀屋は違うのー、土葬火葬に『浄化葬』か。わしも年を取るはずじゃい」

「ほっほっほっ。わしらの時はどんなになるのかの」


 少し早い休憩と言うことにして、年寄り連中は地べたに座り、足や腰をもみはじめたので、俺は残り2体のネグレクトヒヒの回収に徒歩で向かった。

 その途中、なにか気配を感じ振り返ると、ザイル氏がいた。


「浄洗師さま。ひとりは危のうございます。邪魔はいたしませんから、どうかこの亜人めをお供にして下さい」

「あ、いえ、俺の方も勝手に離れてすみません」


 ぺこりと頭を下げてくるザイル氏に、俺も慌てて頭を下げた。 

 並んで歩く。ネグレクトヒヒの死体まで距離はわずかだが、こういうのが大切なのだろうと思う。

 並んでみると、ザイル氏の背丈は俺の胸ほどしかなく、足腰もどことなく頼りなかった。ひょっとすると、あの年寄り兵士達よりもご高齢なのかもしれない。


「あの、ザイルさんはケイトさんの親族の方ですか?」


 聞いてみると、ザイル氏はつぶらな瞳のケモ顔をこちらに向け微笑んだ。


「ザイルと呼び捨てて結構ですじゃ。こんな老いぼれの亜人に『さん』などと付けられると、笑われますじゃ」

「いえ、笑われるのには慣れてますから。俺も地元ではそれほど有能ではなかったですし、それに今日からミサルダの町に暮らすことになったばかりで、昨日までよそ者で、日も浅いから……って、これは理由になりませんよね。ザイルさんじゃ、迷惑ですか?」


 ザイル氏は俺の顔をじっと見上げると、「光栄ですじゃ」と目を細めた。


「自己紹介が遅れました。俺は『浄洗師』のトーダと言います。よろしくお願いします」

「私は、クリスラガー族のザイル・フェルゲバスロトーハン・ハルバロンズ・バルトと申します。トーダ様。あなたのことは孫娘のケイトから聞いておりました」

「ああ、やっぱりそうだったんですね」


 ザイル氏はゆっくりと頷いて見せた……と思ったら、頭を下げたまま戻らない。


「あの子がなにか迷惑をかけていたのでしたら、このザイル、孫に変わって罰を受けますじゃ」

「いいえ。いえいえ。ケイトさんにはお世話になっています。今朝も俺のわがままをひとつ聞いて頂いて、本当に助かったんです」


 俺は慌てて否定する。危うく殺されかけたこととか、様付け強要されたとか、敬語で話せと怒られたりとか、埋められたとか、お金をせびられたとか、そういうのは怒ってないですから。俺大人だし、心広いし。ケイト9歳だし、子供だし。

 ザイル氏には頭を上げてもらう。


「町の方々にはくれぐれも失礼の無いようにと躾けてはおるのですが、まだ幼く、勝ち気なところもあるので、どうか子供のすることと思い、ご容赦下さい」


 一体ケイトは、俺のことをどんな風にザイル氏に話したのだろうか。ザイル氏は懇願するような目で俺を見上げている。

 これは話の方向性を変えないと、ずっとこのままな気がする。

 ここはひとつ、孫パワーに期待するしかあるまい。だが、これは諸刃の剣、失敗すればそれは刃となって、自身を傷つけることになるだろう。


「お孫さんの精霊魔法はとても優美ですね。昨夜の葬儀の時は、俺も『浄洗師』としてお世話させて頂いていたんですけど、ケイトさんの精霊魔法は繊細で優雅で、品があって思わずため息を漏らしてしまいました」

「ほほほっ。孫はああ見えて根は良い子でしてなぁ、土崩属性の精霊魔法を使わせたら、それはそれは一族の中でも、そうそう右に出る者はおりませぬですじゃ。何年前じゃったかの、年の暮れに、精霊魔法を競う催しが王都でありましての。そこで見事に土崩属性部門で最優秀精霊玉麗賞に輝きましてな。(中略:3分)それがまた最年少記録を更新となっての。しかも! しかもじゃ、(中略2:分)つまり、私の息子の嫁になるわけなのじゃが。親子二代で――」

「あ、あのすみません。あとでちゃんと聞きますから、今は『浄化』の方を優先しても構いませんか?」

「ふぅ、ふぅふぅ……。そうですじゃな。ふぅふぅふぅ……。私も少し興奮してしまって……。孫のこととなると、も、申し訳ありませんじゃ……」


 孫パワーすげー。孫自慢大会が始まるところだったぜ。

 すっかり興奮してしまったザイル氏をどぅどぅ、と落ち着かせると、俺はネグレクトヒヒの隣に膝をつき、手を合わせてから、その頭部に手を置いた。

 ずびびっと【魄】の吸収が始まる。まるで点滴のような清涼感が右手を伝っていく。【魄】の吸収を終えると、俺はもう一度手を合わせた。

 ごちそうさま。


 残り1匹のネグレクトヒヒの【魄】回収も済ませて、みんなの元に戻ると、アドニスがお年寄り達の腰をもんでいた。

 アドニスさんてば、腕まくりしてノリノリですね……と言おうと思ったが、眉間の皺がすごかったので喉まで出かかった言葉をゴクリと飲み込んだ。


「おー、うまいのぉ、アドニス。もう少しじゃ、もう少ししたら良くなるでの」

「歳は取りたくないのぉ。弓は引けるが足腰がたたん。わしゃこれでも、ミサルダの町一番の弓術士じゃったんじゃがのぅ……」

「メイリーばあさん大丈夫じゃろうか……」


 これはまだ当分掛かりそうだが、この分では村に様子見に行って帰ってくるだけでも夜中になってしまう。下手をすれば野営になるだろう。

 仕方ない。ダダジムさんを使うか。

 俺は森の中に目をこらしてみた。木々の一本一本を数えるように探してみる。

 一応、出発の準備はさせておいたし、絨毯もちゃんと干しておくように言っておいた。ただ、出発がほぼだまし討ちみたいになってしまったため、ひょっとするとまだ町の南門近くで待ちぼうけしてる可能性も無きにしもあらずと言ったところだ。

 森の中は鬱蒼としていて、蔦葉が絡まりあまり遠くまで見ることが出来ない。せいぜいが視界20mほどで、あとは今まで通ってきた道をぼんやりと眺めるくらいだ。


「ダダジムさん、集合ー」


 試しに小声で呼びかけてみる。アドニスの隣で年寄りの腰をもんでいたザイル氏がこちらを振り向くが、アドニスに達は聞こえた様子がなかった。

 やっぱ無理かなーと思い、手頃なところに腰掛けようとして、赤い絨毯がひかれていたのにはさすがに驚いた。

 目の前にはダダジム戦隊ヒトクッタンジャーが鎮座していた。


「おまえたち、馬の後をずっと追いかけてきていたのか?」


 はーい、と手を上げるダダジム隊員一同。よしよし、意思疎通はできるな。

 俺は親指を立てると、後ろで寝ている老人達を肩越しにかっこよく指さした。


「どうだ。あそこにいる3人の年寄り達をお前らの担ぐ絨毯の上にのせて、移動できそうか?」


 はーい、と手を上げるダダジム隊員一同。ふむふむ、なかなか役に立つ。こいつら1匹で1馬力くらいあるかもしれない。アンジェリカに返すには惜しいと思う。死んでないかな、あの女。なんて、うそうそ。


 ちらりとみんなの方を振り向くと、険しい表情でアドニスが腰をもんでおり、ザイル氏が目を丸くしながらこちらを見ていた。そういえば、耳が良いんだったっけ。下手なこと口に出来ないな。

 とりあえず、現状打破といこうか。

 俺はギリギリと歯ぎしりを始めたアドニスに向かって声をかけた。


「アドニスさん。話がありますから、こちらまで来てもらえますか?」

「わかった。すぐに行く。……すみません、話を聞いてきます」

「すぅー……すぅー……」

「……っ」


 よく見れば、年寄り達3人は寝息を立て始めていて、アドニスは起こさないようにその場をたつと、眉間に皺を寄せながらこちらに向かってきた。


「なにか用か、トーダ」

「すみません、ザイルさんもこっちに来てもらえますか?」


 話が二度手間にならないようにザイル氏にも声をかける。

 二人が目の前まで来たところで、ダダジム達を紹介した。ダダジム達は整列し、臆することなく黒い眼を二人に向けた。


「俺の仲間の、ダダジム1号から5号です」

「クルルルル...」


 アドニスは反射的に剣の柄に手をやったが、俺がダダジム達を庇うように前に出ると、その手を下ろした。


「……魔物、ではなさそうだが。トーダ。お前はネクロマンサーではなかったのか? それとも魔物使いの素質も持ち合わせているのか?」

「早速ばらさないで下さい、アドニスさん!」


 俺は慌てて言った。

 なに考えてるんだこの人は。ザイルさんだっているのに。


「ふぇ? トーダ様は『浄洗師』と伺っていたのですが??」

「『浄洗師』です、ザイルさん。いいですか、ザイルさん。俺はネクロマンサーではないです。俺が出来るのは『浄化』だけですから、『浄洗師』なんですってば!」


 ザイル氏の両肩を掴んで軽く揺すって、俺が『浄洗師』だと必死に訴えてみる。


「ほ、ほほほっ。私は年寄りじゃからその、耳が遠くて、ほほほっ。で、『浄洗師』様はこの……ダダジム様達とはお仲間で?」

「はい。ですが、彼らはこの森の魔物ではありませんし、俺が直接使役する下僕でもありません。ダダジム達とはミサルダの町に着く以前からの知り合いで、まあ、町の外では俺のことを助けてくれているんです」


 あまり余計なことを言わない方がいいかなと、アンジェリカのことは伏せておくことにした。


「……それで、こいつらがどうしたというんだ? トーダ」

「彼らにあのお年寄りの兵士達を沢まで運ばせようと思います」

「そんなことができるのか? 連中の馬はどうするつもりだ?」


 アドニスがちらりと後ろを見やりながら言う。年寄り達はのんきに寝ている。


「ダダジムは人を乗せて運ぶのがとても上手な連中です。俺も乗ったことがありますし、乗り心地は保証します。ただ、途中で起きられると危ないので、とりあえず沢まで運ぶことにしましょう。俺たちも昼食をとりたいですから。それで馬ですが、ザイルさんにお願いしたいと思いますけど、できますか?」

「はい、もちろんですじゃ。なんせわしは、町の北の馬場でこの馬達のお世話もさせてもらっておりますからのぉ。お任せ下さいですじゃ」


 ザイル氏は得意そうに胸を張った。よし、何とかなりそうだ。


「では、アドニスにさんは魔物に気を配りながら先導してもらって、次にお年寄りを乗せたダダジム。その後に俺とザイルさんと馬たちで隊列を組み直したいのですが、アドニスさんはそれで構いませんか?」

「……わかった。沢までは15分ほどだ」

「速度は来たときよりも遅めにしていただけると助かります。ダダジム達はほとんど揺らさずに人を運ぶことは出来るのですが、俺の方がアドニスさんのサポートなしでは馬を上手く扱えません。加速も減速もスムーズに出来るか分かりませんから」

「その点につきましては、私がお手伝いできると思いますじゃ。私が馬に声をかければ、よほどのことがない限り言うことを聞いてくれるはずですじゃ。トーダ様は手綱を放さずにいて下されば、馬の扱いは私が引き受けましょう」

「ありがとうございます。お願いします」


 俺はザイル氏にぺこりと頭を下げた。ザイル氏は困ったような顔でちらちらアドニスの顔を見ていたが、アドニスは気にとめた様子もなく、年寄り達の方へと歩いて行った。

 俺はダダジムに年寄り達を絨毯の上にのせて運ぶよう命じると、絨毯の下に待機している3匹と、年寄りをひとりずつ絨毯に乗せる2匹とに別れ、なんかすごい手際よく全員を絨毯に乗せていった。

 結局一番出発に時間が掛かったのは、立ちションベンをしていた俺だったとさ。


 ドカカッドカカッ、と馬の蹄が地を駆ける。気分は暴れん坊将軍。ぐははっ、どこかに悪人はいねがー、アドニスさんザイルさんやぁっておしまいなさい!

 でも実際は丸腰だ。懐にはまだ結構な額の金貨や銀貨があるので、銭形平次も務まるかも知れない。いや、しないけど。

 人と会話していないと、こういう馬鹿なことばかり考えてしまう。たぶん、不安で情緒不安定になっているんだろうけど、【平常心スキル】のおかげで、表面上はなんともない。脈拍も呼吸も、胃が締め付けられる感じもない。平常心スキルって素晴らしい。

 ただ、わかったのは平常心スキルってのは、負の感情に伴う身体の不調をコントロールして平常運転に戻しているだけで、不安そのものが無くなるわけじゃない。心の不安が身体に向かない分、リバウンドして思考の方に【焦り】みたいなものが産まれるのだろうと思う。

 心を早く安定させなければいけないという焦りが思考をかき乱していく。

 たとえるなら、なにも予定のない土曜の夜のはずなのに、何となく落ち着かない感じ。もちろん明日の予定もない。朝も早く起きなくてもいい。そんな平穏無事な土曜の夜に、なぜか不満を抱いてしまう困った感じだ。


 ……会話がないのがいけない。

 でも、隣でザイル氏が浮かない顔をしているので、声をかけ辛かった。

 ちなみに、俺の心が不安がっている理由は、①盗賊がいるかもしれない村まで、のこのこ向かっているということ、ではない。①である場合、惨殺された村人達と対面することになること、でもない。惨殺された村人から【魄】を頂きまくることでもない。

 たぶんだけど、間違っているかもしれないけど、俺の不安って言うのはダダジムの雇い主に関係することなのかもしれない、と思う。


 つまり、アンジェリカのことだ。

 あの女が――盗賊に攫われたアンジェリカが無事なのかどうなのか、俺はたぶんそこが気になっているのだと思う。

 もしもアンジェリカが死んでいれば、ダダジム達は『消える』、もしくは『大暴走』しだすだろう。これはイザベラが口にしていたことだ。

 主従関係は全て『指輪』が関係していると。指輪を外せば“関係”はリセットされるし、それは指輪の持ち主が死んでも同じだ。

 アンジェリカが死んでしまえば、ダダジムは消滅する。だが、現にダダジムが生きていて、尚且つアンジェリカの元に帰ろうとしている。つまり、アンジェリカは生きていて、盗賊共に掴まったままということになる。ダダジムは帰巣本能に従おうとしているだけだろう。

 昨日のだいたい同じ時間、この道でアンジェリカは攫われた。

 まるまる1日、24時間、アンジェリカは盗賊に拘束されていることになる。


「…………」


 村に飛ばした『飛翔文』が戻ってこないことから、盗賊が村まで押し寄せてきたことは明白だろう。


 …………。

 正直言うと、俺はアンジェリカに会うのが怖いのだ。

 俺がアンジェリカからダダジムを借りたせいで、アンジェリカは身を守れずに盗賊にとらわれてしまった。盗賊に攫われたことを俺が知っていても、俺は自らの保身のため……アンジェリカの救出には向かわず、カステーロさんを理由にミサルダの町に向かってしまった。

 俺はカステーロさんを町に帰しても、すぐにアンジェリカの救出に戻らなかった。自分とはまったく関係のない町の葬儀に参加して、朝まで過ごし、先遣隊の出るのを待って、仕方なく出発しようと考えていた。

 俺は、アンジェリカの救出を、出来るだけ後回しにしていた……。


 ――いっそ、死んでてくれたら良かったのに。


 俺は怖い。

 アンジェリカに会って「卑怯者」となじられるのがたまらなく怖い。同じ世界から来た『選出者』に、臆病者呼ばわりされることが怖い。舌打ちされるのが、たまらなく怖い。

 言いわけが通じることはないだろう、なんせダダジムという密告者がいるのだから。


 前を駆けるダダジムの後ろ姿を見ながら、俺はため息を吐く。

 願わくば、アンジェリカが村で盗賊共を返り討ちにしててくれてますように。

 せめて無事を祈ることにした。

 手足縛られて陵辱でもされていたら目も当てられない。拷問とか受けて生きているだけの芋虫状態で見つけてしまったら、俺はどんな言葉をかけてやればいいのだろうか。


 そうなったら、殺すしかないよな……。


 でも、そんなことしようものならダダジムが襲ってくるだろうし……。アドニスは俺のこと守ってくれるだろうか。

 ああでも、もしそういう状況であった場合、盗賊がいっぱい村にいるだろうし、アドニスも俺も先遣隊で来ているわけだから、町に帰って報告しないといけない。

 うん。ダダジムとはそこでお別れになるな。うん。それがいいかもしれない。盗賊がいっぱいいるのに近づくなんてとんでもない。ダダジムさん達とはそこで別れることにしよう。そうしよう。

 一応、自分なりの答えを見つけ、大きく息を吐いて、ゆっくりと吸った。

 でもそうなった場合、「卑怯者」のレッテルって、一体誰が剥がしてくれるんだろう。

 俺はもう一度ため息を吐いた。

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