第24話 名演技

 新たなるボーナススキルは取得できなかったが、【転用】スキルのレベルが2に上がっていた。

 ネクロマンサーのジョブLvよりも早く【魄回収率】のLvが2に上がるなんて皮肉だなと思う。

 さて、あとはこの【転用】とか言うスキルの使い方を早急に模索しないとな。


「ケイトさん、お願いします」


 ケイトは両手を掲げ、地に手をつくと、カステーロさんの前に、墓穴に残された衣服を埋めるための土がせり上がってきた。

 ――あ、しまった。

 スコップ用意するの忘れてた。


 葬儀ごっこが終わり、カステーロさんとジルキースとは墓場で別れた。

 カステーロさんは弱々しく微笑むと、「あとでわしのところに訪ねてきてくれ」と簡単な地図を書いてもらった。ジルキースはまだ負傷者全員の治療が終わってないらしく、カステーロさんに叱られながらも出て行った。

 ジルキースは最後まで俺の目を見なかったのが少し気に掛かった。

 『見る時は斬る時、そう決めていた』じゃないよな。違うよな。俺べつにそんなにも悪いことしてないよな?!


「お疲れ様。ありがとう、助かったよ」


 俺はケイトに向け、ねぎらいの言葉を口にした。


「別にいいわ。いつもやってることだもの。それよりも――んっ!」


 んっ! と言っても、俺が9歳児のケモノ少女の唇を無理矢理奪ったわけではない。相手はまだ一桁だしね。ケイトが右手を出して、俺に金をせびっているだけだ。

 せめて「約束の金をくれ」とか「報酬を頂こうか」とか素直に言えないものかね。

 まあ、9歳児だから許すけど。俺大人だし。


「わかったよ。じゃあ、無理に葬儀のお手伝いをしてくれたお礼に、金貨1枚。そして指輪をうまいこと左手の手袋に入れてくれたお礼に銀貨1枚あげる」


 俺は袋から金貨と銀貨を1枚ずつ取り出すと、ケイトの手のひらにのせてやった。

 ケイトのケモ顔が、ぱあぁと明るくなる。

 ふ。子供は無邪気だな。お年玉に目を輝かす甥姪を思い出してニヒルに笑う俺。

 ケイトはいそいそとお金を懐にしまうと、俺をじっと見つめた。


「ねぇ、あなたってお金持ちなの?」

「いや。この袋のお金が今のところの全財産。まあ、あとからカステーロさんとバルバ隊長からいろいろもらえると思うからもう少し増えると思うけど」

「……ふ~ん。そういえばさっき塀の上にいた子達ってなに?」


 ケイトが塀を指さす。ダダジム達のことだろうか。


「友達だよ、一応」

「ふ~ん……」


 何か意味ありげに間を取ると、ケイトはケモっ子らしい笑顔を見せた。


「まあいいわ。可哀想だから詮索しないでおいてあげる。次も、報酬次第でまた手伝ってあげるわ」

「それってどういう……」

「ほらほら。お墓に用事のない人はお帰り下さい。はいはい、出た出た」

「ちょっ、ちょっと.押すなって」


 体当たりこそはされなかったが、今回もケイトに墓場の外まで押し出されてしまった。


「パーソン神父にはわたしから伝えておくわ。じゃあね」


 ケイトはそれだけ言うと、また墓場の中へと戻って行ってしまった。

 ぽつんと一人残される。


「ふぅむ。……まあ、いいか。一応一件落着だし」


 それよりも。


「【鑑識オン】――俺」


 呟いて、ステータス画面を確認することにした。

 【魄回収率:202%】とでた。ジャンバリン氏の【魄】の価値は4%ほどらしい。昨夜の【魄】の回収作業をしていて気付いたのだが、いくらLvが高くても一般ジョブであれば似たり寄ったりで2~7%程だった。

 兵士であればそれよりもわずかに高く、5~11%、そして同じ職種であればLvの高い方が回収率は高いことがわかった。


 ステータス画面を改めてみるが、ボーナススキルが【転用Lv2】に変わったぐらいで、そのほかは変化がない。

 果たしてこの転用スキル、使い道はどうするのか。使い方はどうするのか、さっぱりわからない。

 これ以上、ステータス画面を見続けていても何も変わらないだろう。

 俺は目を閉じて視界をリセットした。

 おそらくこの【転用】スキルだが、クグツを作製した後にいろいろするものではないかと思う。たとえば、デコトラのような感じで。いや、ここは今風にアバターに服着せる感じで。だからそれを作製するまでは意味のないものである可能性が高い。


「……クグツ、ねぇ……。【任務】を引き受けていくなかでステキな出会いがあるといい、かなぁ……」


 主に死体とだけどね。

 俺は頭をポリポリ掻きながら、何度も往復している南門へと歩くことにした。

 そろそろ出発式も終わった頃だろうか。

 お腹が減ってきた。クレイに会ってお昼ご飯を頂きたい。あと、奥さんの顔見てみたい。アンジェリカの件はその後でいいだろ。別に。


 南門の近くまで来ると、何だか喧噪に包まれていた。

 人だかりが出来ていてなにやら事件の匂いがしたが、周囲の声に耳を傾けていると、どうも女がひとり騒いでいるらしいと言うので、なあんだと思い、その場から離れクレイを探すことにした。

 比較的若そうな兵士のひとりに声をかけて、クレイの居場所を聞いた。すると懇切丁寧に居場所を教えてくれたので、早々にクレイを見つけることができた。


「クレイ、出発式はもう終わったんですか?」


 声をかけると、同僚と話していたクレイはこちらに駆け寄ってきた。


「トーダ、ジャンバリン氏の葬儀は終わったのか? こっちはうるさいのがやってきて出発式を妨害しているんだよ」

「うるさいのって、ジルキースさん?」

「あの人は別にうるさくないだろ。相手はおまえに暴行していたマーサだよ」

「げっ。……あの人今度は誰に喧嘩売っているんですか?」


 どんだけ血の気が多いんだよ。クレーマーか。

 クレイはうんざりした顔をしながら人混みを顎でしゃくって言った。


「兵士長だよ。出発式してるときに怒鳴り込んで来やがった。『ベンがいなくなった。ベンを探せ、おまえ達はこの町の治安を守るためにあるんだろ、ベンが行方不明になった、異常事態だ。グールがまだいるに違いない。彼の身が危ない。それなのにおまえらわざわざ兵力を割こうって言うのか、ふざけるな、私はそんなの許さないぞ』ってな。別に逮捕してもいいんだが、その、カーゼス町長がまたトンチキなこと言い出したから収拾が付かなくてな」

「カーゼス町長って、町長辞職したんじゃなかったんですか?」

「まあ、辞めたは辞めたんだが、町長選挙で次が決まらない限り、こういう行事ものには【町長】って存在が不可欠なんだよ。それでまあ、おかしくなってるわけだ」

「それでカーゼス町長はなんて言い出してるんです?」

「『出発式の前に、ベンを見つけてきなさい。彼の身の安全が確認されるまで、誰ひとりとして町から出さない』だぜ。……わかってて言っているのか、本気でおかしくなっちまったのか」

「……はぁ、なんだか大変ですね」


 正直どうでもいい話だな。もういっそのこと王都からの援軍を待った方がいいのかもしれない。それなら権力的にカーゼス町長を黙らせることが出来るだろうし。

 まあ、治安とかグールとか叫びだしている以上、町内会や兵士側としては町の住民の不安を取り除くために何かしないといけないだろうけど。


「まったくだ。だから言ったろ、一緒に片付けときゃ面倒なことにはならないって」

「それは駄目ですよ。当人、殺人には関わっていないんですから」


 そこはきっぱりと言っておく。マーサまで殺せば、それはただの殺人だ。

 『邪魔する奴は全員殺す』なんてのは、どう考えても悪者側の考え方で、長生きできないと歴史が語っている。

 ならベンはいいのかって? 『いんだよ、細けえ事は!! 』ってドーベルマン刑事もそう言ってるし。


「おまえ、あんだけぼこぼこにされてて、よくマーサを庇えるな。感心するぜ」


 クレイが心底あきれた口調で言った。


「庇ってるつもりはないですけど。でも、包丁を手に向かってこない限りはそんな気になれないですね。マーサも酒場では常連客に人気みたいですし、いなくなると寂しがる人も大勢いるんじゃないですか?」

「ははは。かもな……。ただよ、アンナのファンも今後はマーサに乗り換えるだろうし、こりゃいよいよトーダの命も風前の灯火だな。おまえ今日からマーサのファンから虐められることになるだろうぜ」

「…………そこで考えたんですけれど、クレイ、幻術は無理なく使えますか?」

「まあな。長時間使うってんでなきゃ問題ないくらいには回復してきているぜ。どうした?」

「じゃあ、あとはバルバ隊長の許可だけですね」


 俺はクレイに向かって指を立てたとき、後ろからそのバルバ隊長の声が聞こえてきた。


「私の許可が欲しいようだが、話によってはこの場でその許可を下すことも出来るのだがね」

「バルバ隊長」


 クレイがきちんと敬礼し、俺は一応頭を下げた。

 バルバ隊長は軽い会釈で応える。


「それで話というのは何かね?」

「俺の提案で恐縮なんですけど、この場を丸く収める方法を思いついたんです。それにはクレイの協力が不可欠ですし、クレイの協力を取り付けるにはバルバ隊長にも話を通しておこうかなと思ったんです。何しろ、『ベン』絡みのことですから」

「……なるほど。話はここで聞く。クレイ、人避けをしろ」

「わかりました」


 クレイは周囲を気にかけつつ『****』と何事か呟くと、クレイの手に茶色の仄かな光が灯った。それを軽く振るい、大気に溶かすようにしてクレイは幻術魔法を発動させた。


「では聞こうか、トーダ氏」

「わかりました。うまくできるかわからないですけど、こんなのはどうでしょうか」


 俺はただの思いつきを二人に話してみることにした。

 かくして俺の思いつきは了承され、本日二度目の作戦スタートとなった。



「だから、アンタじゃ話にならないって言ってンのよぉ。わかる? この町の住人のひとりが行方不明になったって言ってンのぉ。これってどう考えてもおかしいことよねぇ? 町の門は昨夜から閉まってるし、出入りもない。だったらベンの姿が見えないっておかしなことよねぇ? どうしていなくなっちゃったんだと思う? ――アンタ達!! ベンをまた逮捕したんでしょ!!! あの人が何をしたって言うのさ!! それともなにかい? ベンがまだ残っていたグールに食い殺されたとでも言うのかい? そうなんだね? でもそれって、アンタ達の落ち度じゃないのかい? 町の治安を守るのが兵士の役目でしょぉ? それが昨日のあんな様じゃぁ守られている気がしないね。ねぇ、そうだろ貴方たち……」

「おお、そうだそうだ! マーサの言うとおりだ! 兵士達は反省しろ!」

「だいたい、東門が壊されたのだって、兵士の中にスパイがいたって言うじゃないか。どういうわけだ、説明しろ!」

「ベンがいなくなったのって、グールの仕業なの!? 逮捕されただけなの?! はっきりしてちょうだい!」


 マーサを筆頭に、やいのやいのと兵士ともめているところに、無謀にも入っていくことが出来るのは、やはり『平常心スキル』のおかげだろうか。

 それとも俺自身がこういう環境に慣れつつあるのか、定かではない。

 とにかくまあ、この機会を逃せば『俺の命はマーサの餌食、からの脱却』『バルバ隊長に恩を売る』の2本のフラグが消失してしまう。

 頑張るとしよう。


「マーサ!!! 俺ならここだぞ!」


 俺は大声でマーサに呼びかけると、手を振った。

 一瞬シンとなり、その場にいた全員が俺に振り返った。俺の姿と声はクレイの幻術魔法によってベンに見えるはずだ。

 驚きと、落胆と、歓喜の声が入り交じる一瞬ののち、


「ベン!! あんたどこにいたのさ! 探したんだよぉ!」


 マーサが転びそうになりながらも俺の胸に飛び込んできた。やっぱりこの二人、こういう関係だったのか。

 俺はしっかりとマーサを受け止めると、「悪い、悪い。心配かけちまったか?」と抱きしめてやった。おっぱいが俺の胸のに当たってオッパイイッパイしているのだが、そこは後で楽しむことにしよう。


「そういうわけだ! 俺は無事で無罪で健康で、そんでもってアンナのことは残念に思っているが、今はこの恋に生きている。文句ある奴はぶっ殺すから後で酒場にきな! 今この場でも構わないぜ!!」


 俺は中指を立て舌を出してやった。ベンはこういう奴だとクレイに聞いていたからだ。


「馬鹿! なに言ってンのさ、ベン」


 マーサが俺の胸に顔をうずめながら言う。もう完全に俺がベンだと認識したようだ。

 盛大なブーイングが巻き起こる中、俺はマーサを連れて退散することにした。

 手を引いて逃げ出す最中に、「カーゼス町長が倒れたぞ!」とと言うどよめきが起こったが、俺は振り返らず公園に向かって走った。

 クレイの幻術魔法の効果範囲は30mが限界だと言うから、すぐ近くにいるのかもしれない。ちなみに、この公園まで来る時にも追加の幻術魔法をかけたのだろう、誰ひとりとして追ってはこなかった。


「ははは。見たかあいつらのあの間抜け面。すっとしたぜ」

「ベン、今までどこにいたのさ。私心配になって、ミレッサに金払ってまで探してもらったのに、全然見つからなかったのよぉ」


 マーサは身体を俺に密着させながら聞いてくる。

 時間も限られているので、さっさと本題に入りたかったが、知らない人物の名前が出てきたので思わず聞き返してしまう。


「ミレッサっつーと……」

「なに言ってンのさ、魔物使いのミレッサよぉ? 銀貨1枚払ってベンのこと探してもらったら、あの女この町にいないって言いやがったのよ。私さぁ、心配になっちゃって……」


 マーサは消え入りそうな声で言うと、俺の胸の中に顔をうずめてくる。

 俺はマーサの髪を撫でながら言った。


「ははは。そりゃ地下に降りてたら『町の外』さ。いいじゃねぇか、俺は無事でここにいるんだしよ。それより、地下で何してたか話を聞きたくねぇか?」

「……地下で何してたのよぉ、私をほっぽっといてぇ」


 マーサは甘えたような、下半身をくすぐるような声で聞き返してくる。


「う、うむ。あの野郎とちょっと大人の話をしてたわけだ。で、コレよ」


 俺は金貨と銀貨の入った袋を取り出すと、ジャラジャラさせてみせた。


「わぉ! すごいじゃん、どうしたのこれ?」

「結構持ってやがったぜ、あの野郎。最後は『コレで勘弁して下さい』って泣きついてきたぜ。おまえにも見せてやりたかったなぁ、あの泣きっ面」

「あははっ、なんだそーいうことだったの。そりゃ、誰にも見せたくないわよねぇ。あ、そうだ。私もさっきあいつに会ってさぁ、先にシメといたのさ。あいつ、なんか言ってなかったぁ?」


 喜々とした笑いをあげるマーサ。不良グループのカツアゲ事後ってこんな感じなんだろうかとしみじみする。


「おうよ。そんなこと言ってたぜ。てめぇ、誰に断ってマーサに近づいてンだよって殴ってやった。そしたらピーピー泣きだして、おまえは鳥かよってな、ボコボコよ」


 二人して笑い合う。

 あらゆる意味で自虐ネタ過ぎるけど、コレって後で姿見られないようにしないといけないな。怪我してなかったらおかしいし。


「で、この金を巻き上げてやったんだ。まあ、これであいつを『許してやった』わけだからよ。マーサ、おまえも今後あいつに会っても殴ったり蹴ったりするなよ。コレで俺たちは『ダチ』になったってことにして言いくるめたんだからよ。“傷害事件”じゃなくて、友情パンチってやつさ。マーサ、いいな?」

「うん。わかった……」


 俺はマーサの目を見て確認をとる。これで円満解決でござる。

 これでおまえは用なしだぜぇ、と身を離そうとしたところで、マーサが俺の腰に手を回してきた。


「じゃあ、私からもプレゼント……。赤ちゃんが出来たみたいなの。あんたと私の子よぉ」

「……ぇ」

「あーあ、当分お酒は呑めないねぇ。酒場で働いているのに困った困ったわぁ」


 マーサはクスクスと笑い、俺の腰に回した手を少しだけ強くした。


「……産んでもいいよね? ベン」

「お、おう」


 『平常心スキル』が切れたのか、全身からおかしな汗がだらだらと流れてきた。

 落ち着け落ち着け、俺は当事者じゃないし、関係もない。マーサが必死で俺を捜していた理由もわかったが、いやはやこういう展開とは予想だにしなかった。

 というかベン、てめぇ、やっぱ死んで正解だったわ。


「あー……と、うん。よしよし。お酒止めてタバコ止めて、元気な赤ちゃん産むんだぞ」

「? ……らしくないよ、あんた。でも、ありがとう、ベン。うれしいわぁ」


 満ち足りた表情で顔を俺の胸にすり寄せてくるマーサ。

 あー、困った。あー困った。なんか気が引けるー。


「ところでな、マーサ。俺、今回の先遣隊に参加することにしたんだけどな」

「え? なんで? 今までそういうのみんな蹴ってきたじゃん。面倒くさいって」


 マーサは俺の胸から顔を上げると、目を丸くした。


「……いや、だからよ。ほら、アンナのアレがらみで色々アレになって、カーゼスのジジイも町長辞めるって言い出して、ちょっとまずいんだわ」

「そんなの今まで通り無視してればいいじゃないのぉ。お金だって今まで通り私が稼いであげるわよぉ。なんなら今から一緒にあの野郎から全財産取り立てに行ってもいいのよぉ」


 マーサは再び豊満なおっぱいを密着させて、心と身体全てを使い俺を離すまいとしてくる。ああん。おっぱいにくじけそう。

 ベンにとって、マーサはなんて都合のいい女に映っただろうか。自分勝手でわがままな感じを受けたアンナとは一線を画す女っぷりだ。

 ベンが駄目になるのもわかる気もする。そして、マーサが率先してアンナの死体遺棄に手を貸した理由もここにあるのだろう。


「あの野郎の全財産は今ここにあるだろ。これ以上奪うものったら命しかねぇし。カーゼスの後ろ盾ももう期待できねぇ。それに一応『ダチ』にってことにしちまったしな。あの野郎のことはもう忘れろよ」

「でもぉ、なにもベンが先遣隊で行かなくても……」


 ごねるマーサを一旦肩を掴んで引き離すと、俺は目を見ながら言った。


「もう一度やり直すんだ、『俺』を。先遣隊の誘いはそのきっかけになると思う」

「……らしくない。らしくないよ、ベン。どうしちゃったの? なんか変だよ……」


 うろたえたように表情を硬くするマーサを俺はしっかりと抱きしめた。

 これ以上見つめ合っては正体を暴かれかねないと思ったからだ。やはりクズ男にはなりきれない。


「ここで町のヤツらにも恩を売っとけば、昨日のことなんか忘れちまうさ」

「でも……私なんか嫌な予感がするんだよぉ……」

「大丈夫だって。それに父親が昼間から酒飲んで母親を働かせてたら、カッコ悪ィだろ? な? これが夫としての初仕事だ。俺のこと笑顔で送り出してくれよ、マーサ」


 マーサの身体をぎゅっと抱いてやる。


「……なんか、急に優しくなったよね、ベン」

「アンナがいなくなったからかな」

「かもね。……あの野郎のことでちょっと苛ついていたベンも私嫌いじゃなかったよ」

「そうか。……なら、あの野郎が必死で小銭を貯めた頃見計らって、取り立てに行ってやろうぜ」

「うふふっ。それ、いいわねぇ。楽しみ。うふふっ」

「へっへっへっ。いいか約束だぞ、『あの野郎の取り立てには“二人”で行く』。ひとりでは絶対に行くなよ」

「わかったよぉ、ベン。愛してるわぁ」

「俺も愛してるぜ、マーサ」


 そう言って目を閉じてキスをねだるマーサに、俺はほっぺに口づけをするにとどめた。

 若干不満そうなマーサに、「今からここで始まっちまうだろうが!」と笑って腰をカクカク動かしてみせると、マーサは「馬鹿ベン」と笑った。


「じゃあ、行ってくるぜ。夜には戻ってくるからよ。続きはそこでだ」

「行ってらっしゃい」


 手を振るマーサに背を向けて公園の角を曲がる。


「……名演技だな、トーダ」


 すぐそこにクレイがいて驚いた。


「全部聞いていたんですか。なんかそう思うと今になって恥ずかしさが……」


 俺は顔が赤くなってくるのを感じた。

 そういえば『平常心スキル』を入れ直すのを忘れていた。……ほい、ぽちっとな。

 とすると、さっきの『なんちゃってベン』は俺の地の姿だったわけか。


「出発式が始まるぞ。急いで南門のところまで行ってくれ。……アドニスも先遣隊に同行することになった。トーダ、馬は乗れるか?」

「乗ったことはありますけど、走らせたことはないです」


 学生時代にカナダに研修旅行に行ってしばらく乗せてもらった。人を乗せるのに慣れた馬だったので面白かったのを思い出す。


「そうか、ならアドニスにそう伝えておく。出来るだけアドニスを頼れよ」

「? あ、はい。出発式ってなにをすればいいんですか?」


 なんとなくクレイの様子がおかしい気がする。焦っているような、慌てているような。気ぜわしさが伝わってくる。


「何もしなくていい。南門から出たらあとはアドニスの指示に従ってくれ。――もう始まるぞ、『ベン』」

「あ、はい」

「『ベン』。真面目にやれ」


 おっと。


「チッ……うるせーぞ、クレイ。さっさと運びやがれってんだ」

「それでいい。……頑張れ」

「……?」


 クレイは険しい表情のまま俺を南門まで誘導した。

 出発式では、兵士が見守る中、簡単な任務内容を伝えられ、生きて帰るように命令された。

 先遣隊の数は俺を含めて6名だった。うち、俺とアドニス以外はみな年寄りだった。結局、兵士長はお年寄り達に譲歩した形となったわけだ。ただ、そのお年寄り達の中で、ひとりだけフードを深くかぶった『ケモノっぽい爺さま』がいた。

 ひょっとすると、ケイトの言っていた『おじいちゃん』かもしれない。こっそり隣にいたアドニスに聞くと、「そうだ」と教えてくれた。

 ならいるかなと思い周囲を見渡したが、出発式にケイトの姿はなかった。ついでに言えばカーゼス町長の姿もなく、代わりに副町長から激励の言葉を受け、パーソン神父から祝福を受けた。

 そして、いよいよ馬に乗り込んで南門から出発することになった。

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