第20話 ケイト

「――では、クレイ。昼前には先遣隊が出る。出発式にはおまえも出席しろ。それまでは休息を取り、身体を休めておくといいだろう」


 隊長はそう言い残して、墓場を去っていった。

 クレイはジルキースに治療してもらって動くようになった右腕から包帯をときながら、俺に向かって言った。


「カーゼス町長は、どうなってる?」

「今も木に縛り付けたままですよ。……ずっと隊長が『町の重大機密』について熱く語ってくれてましたから、言い出しにくくて悶々としてました」

「そうか……。悪いな。あと、すぐにパーティを解除したい。指輪を出してくれ」


 指輪を差し出し、クレイとパーティを解除すると、クレイは「魔力切れなんて、プールの女子更衣室で出るに出られなくなって以来だ」などととぶつくさ言っていたが、止めさしてやればよかったかもしれない。

 俺はクレイに肩を貸しながら、カーゼス町長が縛られている木まで歩いた。

 カーゼス町長は、町でうろうろと徘徊していたところをクレイが捕まえてきた。墓場に生えている数少ない木にぐるぐる巻きに縛り付け、猿ぐつわをはめた上でクレイは幻術魔法をかけたのだ。これで当初は姿が見えなくなっていたのだが、作戦中にクレイが魔力が尽き、気絶したので今こうして俺にでもその姿は見えているわけだ。


 カーゼス町長は、多少暴れた後はあったものの、ぐるぐる巻きにされた姿のまま、おとなしく木にもたれかかっていた。

 俺たちが近づくと、うなだれていた頭をゆっくりともたげ、こちらを見た。


「……あー……」

「…………クレイが悪いんですよ、2時間近く気絶するから」


 つんと臭うアンモニア臭と、カーゼス町長のやつれた瞳に、俺はクレイの脇腹を肘で突いた。

 一応、ベンはアンナ殺しを自供したので、ひょっとするとその時のショックで失禁したのではないかと思う。


「カーゼス町長、悪く思わないで下さいね。こうでもしないとベンは自白しなかったでしょうし、アンナさんの仇も討てそうになかったですし、重傷を負った町の住民達も助けることは出来ませんでした」


 俺はいいわけを並べながらカーゼス町長の猿ぐつわを外した。外した途端、大声で叫ばれるかとも思ったが、カーゼス町長のしたことと言えば口の中に溜まっていた唾液を大量に吐き出すだけだった。

 町長の権力は罪人を無罪にするくらい出来ると聞いているので、ひょっとすると俺たちのしでかしたことは万死に値するのではないかと、今更ながら危惧したりする。

 いざとなればクレイが殺して、俺が死体を消すだけなのだが、何となくそうならないような気がした。

 カーゼス町長がおもむろに口を開いた。


「すまないが、教えて欲しい。……ベンは、死んでしまったのだろうか?」


 俺とクレイは顔を見合わせた。

 クレイがなぜか唇を噛んで言いにくそうだったので、俺が代わりに言った。


「聞こえていたとおりです、ジルキースさんが殺してしまいました」

「……そうか。ベンも死んでしまったのか。そうか。……そうか……」


 カーゼス町長は身を震わせて涙を流したが、縄を解いた後でも暴れたり俺たちを非難したりすることはなかった。

 クレイがカーゼス町長を家まで送っていくというので、俺たちはここで一旦別れることにした。後で迎えに行くから、教会で待っていてくれと、クレイはカーゼス町長と共にふらふらしながら墓場を出て行った。

 ぽつんと一人墓場に残される。

 まあ、厳密に言うと、一人ではないのだろうが。


「そして誰もいなくなりましたよー……っと」


 俺はベンの剣と服とを回収しながら、アガサクリスティー風に言う。いや別に、アガサクリスティーが言ったわけではないのだろうが。

 カーゼス町長を木に縛り付けるために使っていた縄も丁寧に巻いて回収する。くるくるくる~。ロープじゃないよ、荒縄だよ。これは教会の用具入れから無断で借りてきたものだ。後で返しておかないといけない。

 あと、俺がベンから隠れるため、穴を掘るのに使っていたスコップも掘った穴もちゃんと片付けておかないとな。ざっくざっくと、“実際には使用されなかった方の穴”を俺は丁寧に埋め始めた。ふふふ、綺麗だった頃の俺はここに埋まるのさ。


 では、ここで問題です。

 ベンに追われて逃げ込む手筈だった墓場、クレイの奴があまりにあっさりベンにやられてしまったため、ほとんど隠れる時間がなかったのに、なぜ俺はベンに見つからずにすんだのでしょうか?

 正解は、もう一人共犯――もとい、協力者がいたからでしたー。


「……本当に殺したんだ。最低ね、人殺し」


 どこに隠れていたのか、ケイトが後ろから声をかけてきた。俺は振り返らずに応える。


「そうだね。俺もこんなにうまくいくとは思わなかったよ。これも全てケイトのおかげだ」

「勝手に協力者みたいに言わないで。あと名前で呼ぶなんて、なれなれしいわよ」


 鈴の鳴るような澄んだ声に、俺は身体をぶるっと震わせた。獣顔に少女の声ではギャップが大きすぎて慣れるのに時間が掛かりそうだ。


「じゃあ、なんて呼べばいいのさ」

「教えないわ。だって、わたしは金輪際人殺しとは口を利くつもりないもの。早く町を出て行ってくれないかしら」


 ツンとしてて、なんかとりつく島もないな。ずいぶん嫌われたみたいだ。……助けてくれたのに。


「じゃあ、共犯者のクレイも町から追い出すって言うのか?」


 むしろクレイが主犯ですが。俺はざっくざっくと穴を埋め直しながら言った。

 ケイトは少し考える風に間を置いたが、何だか威張るみたいに腰に手をやると、


「……クレイさんは許してあげる。だってミイサはわたしと友達だもの」

「ミイサって誰さ」

「クレイさんの奥さん。たまにお菓子を作ってくれるの」


 クレイの奥さんはミイサと言うらしい。あとケイトはお菓子に弱い。


「ふーん。でも、俺に協力を要請したクレイに、そもそも暗殺なんて命令を下してきた人はバルバ隊長なんだけど、隊長も町から追い出すの?」

「……バルバ隊長は追い出さないわ。あの人は町を守る兵士長になる人だもの。それにおじいちゃんによくお酒を持ってきてくれるから」


 なに、君たちの一族ってワイロに弱いの? ずぶずぶなの?


「悪いけど、せっかく助かった命だから大切にするつもりだよ。なんかこの町の住民権がもらえるみたいだし、しばらくは町に滞在するつもりだ」

「出・て・いっ・て! 人殺しが教会に住んじゃ駄目だから! 悪い人は、悪いことを呼ぶっておじちゃんが言ってたもの!」


 いやだから、俺を犯罪の共犯者に誘ったのはクレイでそれを命じたのが隊長なんだが。


「俺がいると便利だよ~。グールになった人も浄化できるし。殺された人が誰に殺されたとか解っちゃうし。大きすぎて動かせそうにない死体とか溶かしちゃうし」


 何とか自分を売り込もうと自己アピールを試みる俺だが、


「結構よ!」


 一蹴されてしまう。

 ふふん。どうも9歳児には俺様の価値というものがご理解頂けないようだ。隊長の話じゃ、使い方次第では国を動かしたり国を傾けさせたり出来ちゃうみたいなのだ。


「それに俺の身柄はバルバ隊長が預かっているみたいだから、勝手に町から出て行けないんだよ。まあ、町の住民同士仲良くや――」

「じゃあもういい! 勝手に教会とお墓に入ってこないで! あと、もうわたしに話しかけないで!」


 獣顔でぷんすか怒りながら墓場を出て行こうとするケイトだったが、何を思ったのか入り口近くでくるりと向き直ると、大股でこっちに歩いてきた。

 そして俺の目の前で立ち止まり、『※※※※※※』と早口で何か唱え、膝をつき両手を地面に付けた。その瞬間、地面が微かに隆起し、俺が埋めようとしていた穴が水が湧き出るようにみるみるうちに塞がっていった。

 唖然として立ち尽くす俺に、ケイトは膝の砂を祓いながら立ち上がると、


「それ、ちゃんと片付けておいてよね! 縄は縄の置いてあったところに。スコップは水洗いしてから元の位置に返すこと! 毛布は畳んで元の位置に戻すこと!」

「あ、はい。そうします……」


 言いたいことを言って、さらに俺が神妙な感じになったのを見て、ようやくケイトは満足そうに鼻を鳴らした。


「助けてあげたんだから、ちゃんとわたしに感謝してよね、トーダ」

「う、わかったよ」

「敬語!」

「わっかりましたぁ!」

「それでいいわ。今後わたしのことは『ケイトさん』と呼ぶこと。いいわね」

「…………ハイ、ケイトサン」


 俺が下手したてになったのを見てさらに増長したのか、ケイトは満足そうに頷くと、弾むような足取りで墓場を出て行こうとする。その背中に俺は感謝の言葉を投げた。


「助けてくれてありがとうな! ケイト!」

「敬語! 『さん』付け!」


 入り口付近で振り返り、厳しい声で訂正を要求するケイトに、聞こえないふりで俺は彼女が諦めて出て行くまで手を振り続けた。

 ふ。9歳児め。知恵比べで大人を舐めるなよ。

 俺はケイトが見えなくなると、片付けを再開することにした。といっても、残りの作業は“俺が実際ベンから身を隠しおおせた穴”を埋めるだけだ。その穴も……いや、穴というか、俺が砂風呂みたいな感じで埋められていただけなのだが。



 以下、回想。


 俺とクレイは計画した『ジルキースにベン殺害を押しつけちゃおう作戦』の下準備に奔走していた。

 クレイがカーゼス町長を拉致りに町に行っている間に、俺は教会の倉庫から失敬したスコップで墓場で穴を掘っていた。身を隠せるぐらいの穴で、尚且つ、身を潜ませているのを見つけられないような、そんな穴だった。

 ようやく穴を掘り終えて、一息ついているところにケイトが現れたわけだ。その時もフードを深く被っていたため、一瞬誰か解らなかったが、「許可無く墓場に穴なんて空けないで。子供やお年寄りが落ちたらどうするの?」と真顔で言われ、「俺が入る穴を掘っているんだ。使ったらちゃんと埋め直しておくから見逃してくれないかな」と返答した。


「自分の墓穴を掘るんなら、ちゃんとした場所があるのよ。あなたが最後に『浄化葬』をしたところの隣が空いてるわ。埋まりたいならそこにして。……ここは墓守をしているわたしが管理しているお墓なの。勝手な場所に勝手に埋まらないで」

「いや、自分を埋葬するための墓穴を掘っているわけじゃないんだ。隠れるための穴を掘っているんだ。埋まるつもりはないよ」

「墓場は亡くなった人が眠りにつく神聖な所よ! 大人の遊び場じゃないわ!」


 その後しばらく本気で怒られ、ほとほと困り果てているところに、誰かが墓場に入ってくる気配がした。俺はとっさにケイトの手を引いて一番近くにあった木の陰に隠れた。

 ケイトの手は人間の手の感触とはまるで違って皮膚が硬く、手の甲にはごわごわした毛が生えていたが、俺はそれを醜いとは思わなかった。

 ありがたいことにケイトは悲鳴を上げることはせず、抵抗もなく一緒に木陰に身を隠すことが出来た。手を取ったとき「一緒に隠れて」と言ったのが功を奏したらしかった。

 墓場に入ってきたのは、クレイが言っていたとおり、ジルキースだった。クレイの情報では毎月、満月の明け方には亡くなった奥さんの墓参りに訪れるという話だった。


「どういうこと? あなたは何を企んでいるの? どうして隠れなくちゃいけないの?」


 矢継ぎ早に彼女の口から質問が飛び、俺は答えを窮したが、


「それよりも、昨夜はありがとう。ベンのことを教えてくれて」

「結局殴られてたじゃない。せっかく教えたのに損した気分よ。それにあなたのあれ、汚かったわ」


 リヴァースのことだろうか、ケイトは獣顔でも解るようなしかめっ面をした。


「アレは不可抗力だよ。お腹殴られたんだから。殴られたお返しで、いい気味だ。それに、そのあとも君はベンの足場を崩して俺を助けてくれただろ。助かったよ」

「別にいいわ。わたしあの人、大嫌いだもの」


 吐き捨てるように言うケイトのその横顔に、明らかな嫌悪感が滲み出ているのを俺は見逃さなかった。

 

「……ベンのこと、嫌いなんだ」

「大っ嫌い!!」


 結構声が大きかったので、俺はジルキースに聞こえないかと気をもんだが杞憂だったようだ。


「大っ嫌いなんだ。ふんふん……なにかあったの?」

「わたしに意地悪した! 弟に意地悪して泣かした! 妹に意地悪して泣かした! おじいちゃんに意地悪してお酒の瓶を割った!」


 最低だな、ベン。

 そして、俺の顔をじっと見ると、ケイトは言った。


「それにアンナを殺した」

「……それは、俺やバルバ隊長が言ったのを信じてくれたの? それともベンがアンナを殺したところを見たの?」

「ベンからアンナの血とアンナの死んだ臭いがしていたの。それをバルバ隊長に教えたのよ。……わたしはアンナのこと嫌いじゃなかったのに」


 ケイトは哀しそうな顔をした。


「ベンはアンナを殺した責任を取るべきだと思う?」

「あたりまえじゃない!」

「ベンなんて死んじゃえばいいって思う?」

「ベンなんて死んじゃえばいい!!」


 ケイトは怒りを込めて言い切った。

 ようやく俺の心に、むくりと黒い芽が生えてきた。大義名分とも言う。


「――実はね、今からクレイと協力してベンをやっつけようと思っているんだ」

「クレイさんと?」


 ケイトが聞き返す。


「クレイのことは知っているんだ?」

「知ってるわよ。たまに会うもの。それで、そのためにあそこに穴を掘っていたの?」

「そうだよ。あれは俺を追いかけてくるベンから身を隠すために掘った穴なんだ。だから、あの穴を使うのを許して欲しい。後でちゃんと埋めておくからさ」


 俺は両手を合わせてお願いのポーズを取った。

 今からこの墓場でベンとジルキースを殺し合わせますけど、いいよね? と胸中呟く。

 だが、ケイトから出た言葉は違った。


「そんなことより……どうしてわたしが9歳だってわかったの? 神父様にも誰にも教えてないのに」


 ケイトのピーナッツ状の瞳が俺に問いかけてくる。


「『浄洗師』は相手が何歳か、顔を見ただけでわかるんだよ」

「うそ。本当はネクロマンサーなんでしょ? だって指輪が紫色だもの」


 俺は慌てて右手の指輪を見た。夕べの赤紫色から紫色に戻っていた。


「ま、まあ、とにかく、俺には相手の年齢が解ったりするの。それより君は耳がいいんだな」


 あのとき思わず「9歳」を口に出してしまったけど、決してケイトの耳に入る声の大きさではなかったはずなのだ。


「耳も鼻も目も頭もいいわ。だからベン達があなたたちに仕返ししようとしているのがわかったの。教えたのだって、ただの気まぐれなんだから」

「気まぐれでも、助けてくれたのはありがたかったよ。ありがとう」

「別に……。わたしアンナのことが嫌いじゃなかったから、アンナが消えちゃうまで見てようと思ったの。そうしたら、ベンたち笑っていたの。信じられなかった。その直前まで泣いていたのに、アンナが消えた途端、ベンたちまるで自分たちの罪が消えたみたいに喜んでいたの。それが何だか悔しくて、でも、そのすぐ後にあなたが急に変なこと言い出したりしたから、ああ、やっぱりねって思った」

「……あのあとで、クレイとアドニスにめちゃめちゃ怒られた。ごめんな、よそ者の俺がお葬式の最中にあんなこと言い出したりして」

「それは別にいいの。アンナの代わりに怒ってくれているんだって思えたから。それにベンは捕まったんでしょ?」


 ケイトの言葉に少しだけ胸がすっとしたのを覚え、俺は息を吸い直した。


「ベンはカーゼス町長に頼んで釈放してもらったらしいよ」

「え?! そうなの? どうして?!」


 ケイトが目を丸くする。

 俺はクレイから聞かされたことをかいつまんでケイトに説明すると、ケイトは憤慨した。


「サイテー! 本当に信じられない!」

「うん。だから、ベンをここでやっつけるために、穴を掘っていたんだ。朝までに全部解決するから、ケイトはしばらく見て見ぬふりをしてて欲しいんだ」


 ケイトは俺の目をジッと見つめると、俺の掘った穴を指さした。


「掘った穴にベンを落とすの?」

「違うよ。そこには俺が入るんだ。ベンをやっつけてくれるのはジルキース」


 俺は遠くの方で墓にお祈りをしているジルキースを指さして言った。

 ケイトは怪訝そうに首をかしげる。


「そうなの?」

「うまくいけばね。俺はこうやってベンを墓場まで追いかけさせる役目なんだ。そして――素早くこの穴に飛び込んで、隠れる!」


 そう言って、俺は予行練習もかねて掘った穴に飛び込むと、素早く砂を盛った板きれで蓋をする。

 穴の大きさはちょうどよく、俺が膝を抱えてすっぽり入れるくらいで、蓋を閉めれば外からは見えないはずだった。


「どう? うまく隠れてる?」


 返事がない。待てども返事はなく、不思議に思い、蓋を開けて外に出るとそこにはもう誰もいなかった。


 そして作戦は開始された。

 クレイと合流した後、墓場前の道まで移動し、そこでベンの襲撃を待つ計画だった。

 ベンは俺たちを見つけると、後を付けてきたのだが、かなりへたくそな尾行で、時折悪態が俺たちまで聞こえてきたくらいだった。墓場前までベンを誘導し、そこで気を張りながらベンが動くのを待った。

 やがて、業を煮やしたのか、姿が完全に見えている状態からベンはクレイに斬りかかってきた。計画では、クレイは幻術を駆使して、俺が墓場の入り口まで走る時間を稼いでくれる手筈だったのだが、なぜかクレイはあっさりと倒れてしまい、ベンの標的はすぐさま俺に移った。

 その時はさすがに、実はこれは巧妙に仕組まれた俺を殺すための罠なのではないかと本気で疑ったものだ。

 「クレイの馬鹿ぁあああああ!」と叫び、墓場まで死にものぐるいで全力疾走する。後ろからものすごいスピードでベンが追いかけてくるのがわかり、本気で泣きたくなった。

 墓場のついたての角を曲がる。俺の掘った穴まで20メートルほど。だが、たとえ穴までたどり着けたとしても、隠れるまでに掛かる時間が10秒ほどいるのだ。ベンとの距離はざっと30メートルほど、時間にしてみればわずかしかないのだ。

 だが、急いでいるときほど焦りから来るミスが表面化するものなのだ。俺は急ぐあまり、足下をよく見ていなかったらしく、穴の手前10メートルで足下をすくわれた。

 ちょっとのミスが命取りになるこの現状で、俺は迂闊にも転んでしまったのだ。

 だが、勢いのまま地面に顔が接触して、それがそうではないと気がついた。

 それはまるで深い新雪に顔から飛び込んだかのように、柔らかく、地面は俺をすっぽりと包み込んだのだ。深さは40cmほどだろうか。反射的にすぐさま這い出ようとするが、しかし、それすらも赦さないかのように土が締まり、俺はそのまま地面に埋もれてしまった。

 そして――次の瞬間。


「どこに行きやがった、あの野郎!」


 ベンの荒い息がすぐ近くで聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る