第19話 騙す者、騙される者
「――と、こんな感じなんだが、出来そうか?」
クレイが手に持っていた小枝をペキンと折る。
「いえ、たぶんこれじゃ失敗すると思います。『俺』がベンを殺すには動機が不十分だと思います。おそらくですが、気絶させるのが関の山かと」
「あー、本当かよ。くっそ、いい作戦だと思ったんだがなー。どうする? もうじき夜が明けるぜ」
そういえば東の空がうっすらと明るくなってきている。東……だよな?
「……じゃあ、もうひとり――いえ、もう2人ゲストに呼んでもらっていいですか? そうすれば、問題が2つ解決します」
「ふたり……?」
クレイが聞き返す。俺はクレイがへし折った小枝を拾い上げると、それぞれの位置に立てた。
「ええ、ふたりです。ひとりは、カーゼス町長と、もうひとりは――」
彼の名を告げると、クレイが低く唸り、降参とばかりに兵士の指輪を俺に向けた。結局、クレイは作戦中俺とのパスを繋ぐことに決めたようだ。全スタータス微減による脱力感等は気力でカバーするらしい。
太陽が顔を出す少し前から俺たちは作戦を開始した。
クレイは部下を集めて人捜し、俺は墓場に行って自分が入る墓穴を掘ることにしよう。
――見つからねぇ、いやがらねぇ。オルドの野郎、西通りにいるなんて嘘つきやがったんじゃねーだろぉな!! いいや、あの野郎が俺に嘘つくはずがねぇ。つけるはずがねぇ。ガキの頃から俺はあいつを知っているんだ。あの野郎は俺に逆らったことなんて一度もねぇんだ。ちくしょう! ならなんでいねぇんだよ!!
――カザン通り、ラミット前通り、ミルバ商店街……。くそっくそっくそっ、いねぇ! もうすぐ夜が明けちまう。ボケ老人共は朝が早いんだからよ。オルドの野郎から話を聞いてすぐに飛び出しちまったが、あの野郎も一緒に連れてくれば良かったか? いや、あの短足じゃ「待ってよ兄貴~」っていつものパターンだ。くそっ。そもそも、あの野郎もとっつかまったらしいのに、どうやって出てこられたんだ? あいつもカーゼスの
――まあいい。重要なのはそこじゃねぇ。あのクソ野郎が、この時間この町の西通りを一人で歩いていたってところだ。殺してやる。ぶっ殺してやる。話しはそれからだ。ぶっ殺してからなら話し合いに応じてやる。あの野郎俺にゲロ吐きかけやがって、ちくしょう、許せねぇ。殺す殺す殺す。ぜってー殺す。
――しかし疲れたな。ここはどこだ? ……くそっ、北通りじゃねぇか。まっすぐ行けば、アンナの墓に着いちまう。……アンナ、おめーが悪いんだぜ。俺を怒らせたおめーが悪いんだ。あんときちゃんと謝ったじゃねぇか。聞き入れねぇおまえが悪いんだぜ。
――だが、クソ! せっかくあと少しでカーゼスの野郎を騙せるところだったのによ。邪魔しやがって、あのクソ野郎。だいたい何で知ってたんだ? どっかから見てたに違いねぇ。あああ、くそが! また腹が立ってきた!! イライライライラする。
――んん??! あそこにいるのはクレイと……あのクソ野郎じゃねーか!! そうか、クレイの野郎がこっちに連れてきやがったのか! しかし……どうする? 仲間を呼ばれるとやっかいだ。後を付けて一人になるのを待つか? それともまとめてやっちまうか。
――俺の右手には【剣士の指輪】がある。剣士の指輪をはめるのは久しぶりだった。アンナの奴が無くしやがったのをマーサが見つけてくれたんだったな。マーサはいい女だ。アンナみたいに暴力を振るわねぇし、胸もでけぇ。アンナと結婚したのだってカーゼス町長の娘だからって聞いたからだ。なのにあんなに気の短けぇ手の早い女だったとは思わなかったぜ。死んでせいせいする。
――おっと、あいつら墓場前の通りで立ち止まりやがった。なにか話してるな。いいから早く別れろよ。……なげぇ。……くそ。……早く行けよ、クレイ。……昨日の今日で、誰か来ちまうだろうが! …………いい加減にしろ! いいぜ、わかったよ。二人まとめてぶっ殺してやる!!
――俺は愛用の剣を引き抜くと、剣気を込めた。俺の気に呼応して刀身が淡く光を放つ。ふぅぅぅ。久しぶりだったが、うまくいった。これでいい。あとは近づいていってぶっ殺すだけだ。……大丈夫だ。二人は話に夢中でこっちに気付いてねぇ感じだ。だが、どっちから殺すか? あのクソ野郎か? それともクレイか? 選択を誤ると、クレイに仲間を呼ばれちまう。あいつは【兵士の指輪】を付けているはずだ。
――なら、クレイから先に殺っちまおう。所詮は怪我人だ。あの腕じゃ剣も満足に抜けないだろうしな。それに目の前でクレイが死んじまったら、あのクソ野郎も腰抜かすだろう。それからじっくりぶっ殺せばいい。逃げられねぇようにまずは脚だ。悲鳴を上げられねぇように下あごを斬り飛ばす。泣いて脅えるところを早く見てぇな。よし、じゃあクレイからだ。
――俺は木の陰から身を躍らせると、剣を手に一気に間を詰めた。あのクソ野郎が俺に気がついてクレイに知らせる。クレイが振り返る。馬鹿が! 今更身構えたって遅せぇんだよ。一撃で殺すため、俺は剣の柄を両手で握った。力が漲る。剣気を込め、俺はクレイめがけて一気に振り下ろした。
――確かな手応えがあったはずだった。だが、それは肉を斬った感覚ではなく、クレイがとっさに投げつけた『兵士の剣』をへし折る硬質的な手応えだった。
――なかなかやるじゃねぇか。だがよ、兵士風情が【剣士】に勝てると思うなよ! 俺は剣先を切り返しての横なぎを放つ。今度こそなにかを断ち切る感触が伝わった。クレイは糸の切れた人形のようにその場にグシャリと崩れ落ちた。
――次は手前だクソ野郎! 俺は周囲に眼を走らせるが、いねぇ。どこ行きやがった! と、墓場の方に向かって「ああああああ」とかワケのわかんねぇことを叫びながら逃げて行くクソ野郎の姿があった。クレイが襲われているのを見ても、助けようともせず、むしろ全速力で逃げ出しやがったのだ。
――俺はクレイの生死もロクに確認せずに、すぐさまクソ野郎のあとを追った。手応えはあったし、クレイはぴくりとも動かない。それよりも叫びながら逃げているクソ野郎を黙らせる方が先だ。距離はわずか50mほど、余裕で追いつける。墓場の方に逃げたのは好都合だ。殺してすぐに埋めてしまえる。あとのことは知ったことか。
――目算でクソ野郎との距離が30mを切ったところで、クソ野郎が墓場の中に入り、最初の角を曲がった。そこにはついたてがあり視界から隠れるが、ここまで追いついてしまえば関係ない。墓場には多少の木々はあるものの、隠れるところがほとんどない。袋のネズミってワケだ。
――俺は舌なめずりをすると、速度を上げ一気に駆け抜ける。墓場の入り口でブレーキをかけ、俺は慎重に周囲を見渡した。五感をとがらせ、クソ野郎を探す。……クソ野郎はどこかに隠れたのか、姿がみえない。地に伏せているか、木の陰、草むら、はたまた奧の入り組んだ場所にでも隠れたか。特長のある足跡――は、なぜか途中で途切れてしまっている。空でも飛んだか? ……まあいい。墓場の入り口は一カ所。他に出口はない。裏を掻かれないようにと、俺は息を整え、慎重に進んだ。
――クソ野郎はすぐに見つかった。木の陰の向こう側で、こともあろうか誰かの墓に向かってお祈りをしていたのだ。俺は思わず吹き出してしまった。ぶっ殺してやるという怒りの塊がゲラゲラ笑っているうちに消えてしまっているのに気がつく。
――俺はクソ野郎にゆっくりと近づいた。せっかくのお祈りの時間を邪魔しちゃ可哀想だからだ。俺は優しいからよ。首を切り落としたらそこに埋めてやるよ。
――おまえの第一声は何だ? 「くっ、殺せ」か? 「助けて下さい、何でもします、許して下さい」か? 何でもいいや。どうせ最後にはぶっ殺すんだ。何でも聞いてやるよ。
――はぁ? 今こいつなんて言った? 「ベンか……。どうした、アンナに会いに来たのか」って言ったぞ?? 俺が「ああ?」って言ったら、「ここは私の妻の墓だ」って、なに言ってンだおまえ。「眠れずここに来たか。同じだな。……私にも経験がある」なに笑ってンの? いや、意味わかんねぇし、つまんねぇし、もう死ねよ。
――柄に手をかけたところで、墓場の入り口から俺を呼ぶ声がした。クレイの野郎だ。あの野郎生きてやがったのか。ちくしょう、仲間を呼ばれ……?! いや、よく見りゃクレイは【兵士の指輪】をはめてねぇ。しかも、息も絶え絶えって感じじゃねーか。ありゃ、ほっといても死ぬな。
「もうこれ以上、暴れるな。おまえとアンナになにがあったかは知らないが、そいつはもう許してやれ」
――ああ? うるせーよボケ。引っ込んでろカス。おまえはクソ野郎のあとに殺してやるよ。
「おまえは昔はこうじゃなかっただろ? もっと一本筋の通った男だったぜ。アンナと結婚して、あんなに幸せそうだったろ。なのになんでマーサと浮気なんてしたんだよ。アンナが可哀想だったじゃないか」
――ぐちゃぐちゃうるせぇよ! おまえには関係ないだろうが! ……ははん、クレイ、おまえひょっとしてアンナに惚れていたな? どうだ、そうだろ、その顔図星だな! だから葬儀のときも、このクソ野郎に絡んで俺をはめようとした、そうだろう! いいぜ、あんなアバズレ女、おまえにくれてやるよ。このクソ野郎のすぐあとでおまえも同じようにぶっ殺してやるからよ。仲良くあの世で一緒になんな!
「ベン……? 何を言っている。アンナは盗賊に襲われて亡くなったのだろう?」
――今更なに言ってンだクソがああああああああ!! 俺は剣を抜き放つと、クソ野郎に斬りかかった。だが、その渾身の一撃はふわりと躱された。避けンじゃねぇよ、死ねよ! 袈裟懸けからの切り返しで、左足首を払う――が、紙一重で避けられる。回し蹴りからの打ち下ろしも、地面を蹴りあげて目つぶしからの必殺二段突きも――ふわりふわりと躱される。なにもんだコイツ!
「ベン、止すんだ。――アンナを失って自棄になっているおまえの気持ちはわかる。だが、自分を責めるな。アンナの死はおまえのせいじゃないことは私が一番よくわかっている。――私もそうだった。妻を亡くしたとき、全てが憎かった。全てが妻の敵に見えた」
――があああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!! てめえどの口でそれをクソがああああああああ!!!!
「自分を責めて、相手を責めて、酒に溺れても……だが、その先には安らぎなどはない。無いんだ、ベン。何も出来なかった自分の愚かさに苦しみ、私は今でも闇に溺れている。妻を失った夜は満月だった。私は、今でもその光を浴びると、眠れずに落ち着かず、夜が明けても、目は覚めたまま。過ちを今も思い出す――ベン、私はおまえなんだ――」
――意味わかんねえええええええええええ!!!! うぉぉぉぉぉ!!! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!! 死ねよ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇ!!!!!
「私はおまえに殺されるべきなんだろうな。あの頃の弱かった自分が、今のおまえだ。妻が目の前から消え、残ったのは悲哀だけ。そして私は堕落したんだ。頭の中は激怒と後悔にまみれ、狂気の種を植えられた私は全てを憎み、妻を殺したヤツらを――」
――避けンな、避けンな、躱すなあああああああああ!! うおおおおおお!! 葬儀の時もそうだったが、どうしてコイツこんなに――くそっ! くそくそくそっ!! こうなったら、アレを使うしかねぇ!
「自分を見失うな、ベン。おまえはまだ若い。おまえにはまだ支えてくれている仲間もいる。今は辛いだけだろうが――むっ!」
――ふん、ようやく顔色を変えやがったな、クソ野郎が。もう遅えよ。くらいやがれ、俺の【ラッシュ】を!! 俺は全身に魔力を解放し、全身の血が沸き立つかのような躍動感に身を委ね、多連続剣技――【ラッシュ】を放った。
「逃げろ! そいつを本気にさせるな!」
「黙っていろ、クレイ。これは私とベンの問題だ。部外者は口を慎め!」
――
「亡くなった者は還らない。だが、アンナのおまえへの愛は本物だった。私は――おまえ達が羨ましかった。過去の私たちを見ているようで辛かった。だが同時に、二人のその姿が私を――私と妻の幻影を癒してくれていたのも事実だ」
――意味わかんねぇぇぇぇ!!! だからテメェはさっきから一体何を言ってるんだごるるるぁぁ??!
「ベン。その苦しみも、胸の痛みも、すべてアンナへの愛がそうさせている。今はただ耐えるしかないだろう。それは、他人には癒せない痛みだ。やがて時が経ち、彼女を想い涙を流すことがなくなったとき――――
――うるせぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!! アンナアンナアンナアンナ、うるせぇんだよ! アンナなんざ、もともと愛しちゃいねぇんだよ。スケベな女が色目使って来やがったから相手してやっただけだ。町長の娘だから結婚してやった! 【剣士の指輪】を無くしやがったから出て行かなかっただけだ。
「…………ベン。嘘をつくな。もう自分を貶めるな」
――うぜぇ。こいつ本気でウザ過ぎる。マジ殺してぇ。
「おいベン。それは本当か? やっぱりアンナの死にはおまえが絡んでいたのか? どうしてなんだ? おまえ達夫婦だったんだろう?」
――アンナは俺がぶっ殺してやったんだよ! 俺がマーサといい仲になったのが気にくわなかったんだろうよ。カーゼスのじじいに言いつけてやる、町から追い出してやるみたいなこと言い始めてよ、だから床に何度も頭を叩き付けて殺してやったんだよ!
「……アンナはグールになって町を……」
――ありゃマーサの変装だよ。アンナぶっ殺してやったって言ったら手伝ってくれたのさ。傑作だったぜ。みんなだまされやがんの。……ん? なんだこれ、懐のなかに何かあるぞ……これはマーサがくれた……。ようし、こいつを目つぶしに使えば……。俺は身を起こすと、ゆっくりとクソ野郎に近づく。警戒されないように剣先は下げておく。と、クソ野郎の視線が急に俺の後ろに移ったかと思うと、カッと眼を見開いた。
「ふむ。……そうか。それは自白と考えていいのかね、ベン」
――聞き覚えのあるような声がして振り返る。墓場の入り口を見ると、そこにカーゼスのじじいが立っていた。しまった! 調子に乗って全部喋ったのを聞かれちまったか?! 隣のクレイの奴はもうそろそろくたばるのか、地面に手をつき真っ青な顔をして脂汗をながしている。聞かれちまったんならしょうがねぇな、カーゼスのじじいもついでにぶっ殺す!
「おやか……」
――そう言いかけたクソ野郎に、俺はマーサからお守り代わりにともらった塩の袋をぶちまけた。クソ野郎がうめき声を上げ、目を押さえ怯んだところに俺は斬りかかった。さっき手首を捻られたせいで両手で斬りつけることは出来なかったが、はっきりと何かがへし折れた音が聞こえ、そして肉を裂く確かな感触が左手を伝った。そしてクソ野郎は小さく呻き崩れ落ちる。ざまあみやがれ。あとは――
「残念だ、ベン。君は私が思っているよりもずっと愚かで短絡的な男だったようだな」
――あとはテメェだけだ! ボケじじいが、
――ズグン、という衝撃が俺の背中を貫いた。途端に脚がもつれ、よろよろと力なく膝をついたかと思うと、俺は口から大量の血を吐いて倒れた。
「御館様を、傷つける者は誰であっても許さ――、……?」
「ふむ。よもや君が私を助ける日が来ようとはな。喜ぶべきことではあるが、ジルキース、ベン殺害の現行犯でおまえを逮捕する」
――意味わかんねぇ……。ジルキースの兄貴がなんだって……?
……ふぅ。気合いを入れすぎたせいか、少し疲れた。
俺はベンの後頭部に当てていた手を戻すと、マッサージ代わりにぶらぶらと揺らした。疲れや痺れはないものの、瀕死体験中の
「ご苦労だった。君の協力に感謝する、トーダ氏」
「あ、はい」
背後から声をかけられて反射的に振り返ろうとしたが、崩れ始めたベンの遺体に俺は目を止めた。ブクブクと泡だったかと思うと、さあっと波が引いた砂浜のように地面に溶けて消えた。ベンがこの世からいなくなる。
そこに残ったのは、ベンの衣服と鞘と【剣士の指輪】。そして、ベンの背中に刺さっていた『風のナイフ』だ。俺は無意識にそれを拾い上げようとして、やんわりと止められた。
「そのナイフは私が預かっても構わないだろうか。犯行に使われた凶器を加害者ではない第3者が手にすることで、事件が迷宮入りになった事例がいくつもある」
俺は伸ばしかけた手を引っ込めると、隊長が「すまんね」と風のナイフを拾い上げた。
「ジルキース。このナイフが仕舞ってあった鞘を渡して欲しい。君が持っていては、せっかくの司法取引が名探偵によって暴かれてしまうことになりかねないからな」
「…………」
クレイに治癒魔法をかけていたらしいジルキースが隊長に向かって無言で鞘を投げた。隊長はそれを指の間で器用に受け取ると、風のナイフを鞘に収めた。
「しかし、君は頑丈だなジルキース。私の目には君はベンに斬られて死んだと映ったのだがな」
「……それも答える必要があるのか? ミハイル」
クレイの治療が終わったか、ジルキースは立ち上がり、ミハイル・バルバ隊長に向き直った。
「君が私の目を欺くために、ベンの剣をわざと受けたのではないかという疑念が拭えなくてな。――たとえば、ベンの標的を次に私へと向けさせるために、とかかね」
「ならば、投げたナイフはベンではなく、貴様の心臓に突き刺さっていただろうな」
ぴりぴりとした空気の中、静かに睨み合う二人。とてもじゃないが口を挟める空気ではないので、俺はおとなしくして傍観を決めこんだ。
先に口を開いたのはジルキースだった。ベンに切り裂かれた服の上から手を置くと、
「服の中に入れておいたマスケットが私の命を繋いだ。これで満足か?」
「では、それもこちらに渡してもらおうか」
隊長は容赦なく言うと、ジルキースに手のひらを向けた。
一瞬ジルキースから凄まじい殺意のような念が噴出したように見えたが、隊長はジルキースを見据えたまま顔色ひとつ変えていない。
ジルキースは唇を細かく振るわせた憤怒の形相のまま、外套を脱いだ。そこには左半身を覆うような形で、マスケットライフルらしきものが折りたたまれた形で結びつけてあった。ジルキースはその結び目を解くと、銃を隊長の胸に押しつけるようにして渡した。
隊長は俺より少し背が低く、170cm前後であるのに対して、ジルキースは180cm後半ぐらいの長身だ。その身長差はかなり大きいはずなのだが、二人が並ぶと、何故か同じくらいに見えてしまう。
「君の妻が守ってくれたのか」
隊長が銃身がひしゃげたマスケットライフルを見ながら言った。
俺の心臓が跳ね上がる。アンタそういうデリケートなことを今言っちゃまずいでしょーが!
墓場を出て行こうとしていたジルキースが振り返る。案の定、その眼は視線で人が殺せるんじゃないかってくらい殺気が込められていて、俺は心臓を握られたかのように息苦しくなった。
「なんだと……?」
「この銃のことだ。君の命を守るもの全てが、君の妻だろう」
泰然としたまま隊長が言った。
俺には何のことだか意味がよくわからなかったが、ジルキースは苦虫を噛み潰したかのように顔を歪め、
「――ふん、こんな奴をよもや御館様と見間違えるとはな。……ベン。……おい、ベンの遺体はどこに行った」
ぎくり、とする。
よもや「浄化しちゃいました。この世にありません、てへぺろ」と言おうものなら、ジルキースの怒りの鉄拳で鼻血ブーになりかねない。もしくは脳みそパーンだ。俺は慌てて隊長を見るが、隊長は涼しい顔をしたままだ。
「それに、何故コイツがこの場にいる。おまえは一体何者だ……」
ジルキースは足早に俺に近づこうとするが、それに割ってはいるように隊長が俺の前に立った。
「彼は本日より私の預かりとなった。彼の処遇に関しては私に一任されている。ジルキース、君は先ほど私の提示した条件をのむと言っただろう。『ベンの殺害を見逃す代わりに、負傷した民間人の治療。および、全兵士の治療。王都からの援軍を待ってからの討伐隊の編成の承認』。この2つが守られなければ、投獄にすると」
「…………」
「投獄となれば、当然、君の主人であるカステーロ氏の知るところとなるだろうな。どうするかね、カステーロ氏は先日ジャンバリン氏を亡くしたばかりだと聞く。心労が重なると、体調を崩し倒れてしまうかもしれないな」
「…………」
ぎりり、と歯ぎしりの音が聞こえる。俺は平伏したまま怖くて面を上げられない。
「……さあ、サンミュル診療所で君の到着を待っている者が大勢いる。彼らはこの町に尽力した若者達だ。君が力を使うに足る者たちばかりだと思うがね。急ぎ、助けてやってほしいものだ」
「……覚えていろ、ミハイル」
低く、押し殺した声でジルキースが呟く。
「『忘れて欲しい』の間違いだろう。……まあ、今回の件は君の努力次第と言うことだ。がんばりたまえ」
ジルキースの足音が遠ざかり、俺はようやく面を上げることが出来た――が、なぜだか知らないが、哀しそうな顔でジルキースの後ろ姿を見送る隊長の横顔に、俺は再び目を反らした。
しばらくして、隊長はきびすを返すと俺に言った。
「疲れただろう。昨夜に引き続き、早朝から『浄化葬』とはな。まだしばらく休んでいるといい」
「はい。……クレイは大丈夫なんでしょうか」
俺は未だ倒れたままのクレイを見ながら言った。瀕死体験中に倒れたのを見てから、今までずっと気を失ったままだ。
「クレイが【幻術士】であることは聞いているね?」
「はい。いくつか幻術を見せてもらいました」
隊長は頷くと、
「クレイの幻術の腕前は王都でも指折りの術士であると同時に、この町の暗殺者としても働いてもらっている。町の治安と平和は、信仰や教育だけでは守れたりはしない。外敵を廃し続けてこそ成り立つものだと、私は思っている」
……暗殺者。
コロシヤ。クレイから聞いてはいたが、改めてその上司からぶっちゃけられると、黒いどろんとしたような重いモノが心臓の上にのし掛かってくるような気分になる。
俺はなんて答えていいのか解らず、ただ頷くのみにとどめた。隊長はそれを是と捉えたのか、わずかに頬を緩めた。
「クレイは幻術の使い過ぎで魔力が底を尽きたのだろう。なに、しばらくすれば目を覚ますはずだ。心配はいらない」
「そうですか、よかった」
何となくほっとする。MPが尽きると気絶するらしい。ちぃおぼえた。
ちなみにクレイに【鑑識】をかけてみても、なにもでていないので心配していたのだ。そういえば、今更だがこの【鑑識】、Lv.1なせいか、HP、MP、その他ステータスが一切見られないため、あまり当てにならない。
「私も安心したよ。君がクレイに協力をしてくれたことで、ジルキースにベンを『殺させる』ことができた。今回の作戦も、詰めは君のアイデアだと聞いている。おかげでジルキースに、兵士達の治療に専念させることが出来そうだ。協力を感謝する」
「…………ええ。まあ、はい……」
隊長に握手を求められ、俺はながされるようにそれを受けた。……また強く握ったまま離してもらえないのかなとも思ったが、今回は案外すんなりと解放してもらえた。
作戦開始前にクレイが語った内容が、今まさに隊長が言ったことそのままだった。
1,ジルキースにベンを殺させるため、トーダの立ち位置は傍観者であり、共謀者。
2,ベンが死ぬことでトーダは命を狙われることが無くなる。ジルキースは投獄されるのをいやがり、見逃す交換条件として町の住民と兵士達の治療をしてもらう。住民、兵士達は助かり、人助けにもなる。一石二鳥だ。
実際、事がうまく運べば、ジルキースは負傷者数十人の人の命を助けることが出来るだろう。ベンの死が、俺を含めたくさんの命を救うのに貢献したのだ。
めでたし。めでたし。あと、アンナの
「さて、話を変えよう。トーダ氏、ジルキースとの会話にもあったように、本日より、君は私の預かりとなった。今後は私の命により、ふたりで暗殺の任についてもらうことがあるだろう。無論この町の平和を守るためにだ。このことをこの場で了承してもらう必要がある。構わないかね?」
思った通りの展開に、俺は「はい」と答えた。
そう答えるしかなかったのは、それ以外の答えでは俺が死ぬからだ。殺されて死ぬ。ベンのように、その存在すら利用されて、死ぬことになる。
鼻の奥が痛くなるくらい哀しい気持ちになりそうなものだったが、そこは平常心スキルのおかげで持ちこたえてしまえた。
ああ、困ったな。本当に困ったな。自分で自分が嫌になる。
でも、毒を食らわば皿までだっていうだろ。クレイの共謀者になった以上、ただ冷静に、今ここにある
――でないと、この世界で、ネクロマンサーが平和且つ安全に、死にたての死体にたどり着ける機会なんて、果たしてあるだろうか。
飼われているペットが飼い主から定期的に与えられるカリカリのように、飼われていない限り、ネクロマンサーにできたての死体を『浄化』させてもらえる機会なんてない。ははは。本当にイカレてるね。
ああ、そうそうさっき【鑑識】で確認したら【魄】は現在198%まで溜まっていた。
うまくいけば、あと一人分は今日中に溜まるだろう、そう思ってしまえるくらい、俺は狂い始めてきているのだから。
クレイが目を覚ますまでの間、俺は隊長と雑談をしていた。もっとも、雑談と言っても俺の死活問題と言える話なのだが。
「――だが、今回のことで君の活躍は認められたことになるだろう。君の【追憶】の能力は、君が意図的に偽らない限り、正確であると言えるだろう」
「君の存在を快く思わない者がいるが、今朝の働きはそれらを黙らせるには十分の働きだった」
「君のその能力は、この国を揺るがす驚異にもなり得る。生かしておくことで『他者』に利用されるくらいならと、引き入れに動いたというわけだ。断れば、解っているだろうが、国の平和のために命を落としかねなかっただろう」
「王都では、王位継承問題でもめているという噂もある。そこに君を『売り込もう』という話も出た。おそらくは使い捨てになるだろうが、王のご子息のいずれかが暗殺されたときの『真相究明』に役立たせるためだ。ただ、ご子息は4人いるため、後継者問題が解決する前に君は殺されてしまうだろう」
「君の死体を浄化する能力にも注目した者がいる。暗殺者と共に組ませれば、標的の死体すら消してしまえるため、仕事が行いやすいだろうと言う理由だ」
もはや内容が雑談の域を超えてしまっているのだが、早く誰かここから俺を助け出してはくれないだろうか。平常心スキルがなかったら、本気で発狂するレベルですよ。
俺はそれでも根気よく、相づちを打ちながら話を聞いた。
クレイが目を覚ます頃には、俺は冷や汗が止まらなくなっており、太陽はすでに顔を出してしまっていた。
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