第16話 逮捕劇

 クレイにしばしの別れを告げ、俺は墓穴に入る。

 視界の端にベンとアンナがいて、なにやら悪巧みっぽい感じで話していたが、こちらの視線に気づくと、それぞれ悪態と舌打ちをしながら人混みの中に潜っていった。

 やだなぁ、もう。



 ――外から「盗賊だ」の声に、僕はカウンター越しに対応していた剣士と目を合わせた。

 ――それまで騒然としていたギルドの中が、一瞬だけシンとなった。

 ――がなり立てる声が聞こえ、それをきっかけに、皆が一斉に騒ぎ出した。身軽な弓兵が吹き抜けの二階から飛び降りたかと思うと、そのまま外に飛び出していった。

 ――後に続くように、弓術士の名を呼びながら剣士風な男も出て行く。

 ――僕と隣にいた同僚とで、『緊急事態マニュアル』通り、落ち着くように言い、町の防衛のために力を貸してくれるよう要請した。

 ――さっきまで僕が対応していた剣士が出口に向かおうとするが、僕はそれをとどめた。同僚が町の地図を探しに事務所に入った。その間、町の大まかな作りを口頭で叫ぶ。

 ――ギルドの中には6名の冒険者がいた。3人が剣士で魔法使いと槍術士と薬術士だ。

 ――同僚が町の地図を手に戻ってくる。外では悲鳴や剣戟が聞こえ始めていた。剣士の一人が地図をひったくると外に飛び出した。もうひとりの剣士が同僚から地図を受け取ろうとしたところで、事件が起こった。後ろに立っていた槍術士が、いきなり剣士と同僚を槍でまとめて串刺しにしたのだ。

 ――薬術士が悲鳴を上げた。意に介さず、槍術士が二人からずるりと槍を引き抜いた。

 ――そこからは残った剣士と槍術士との戦闘だった。長年この町のギルドで働いていたが、こんなことは初めてだった。僕は両手を挙げ壁に張り付いた。

 ――槍術士の槍が、剣士を次の獲物と見定めたかと思うと、黒い蛇のようにうねった。槍術士の繰り出す無数の棘突に対して、剣士は真正面から挑み、これまた尋常ではない速さでいなし、躱し、剣の届く距離にまでじりじりと詰め寄る。

 ――やがて、槍術士が放った渾身の一突きを剣の腹で滑らせると、剣士は一気に間を詰め、槍術士を袈裟懸けに斬りつけた。

 ――血飛沫が飛び散り、槍術士は悲鳴も上げずに倒れた。この惨劇の勝者となった剣士に薬術士は『歓声』を上げた。最初はそう聞こえた。でもそれは間違いだった。

 ――僕は震える目でそっちを見た。薬術士は炎に包まれ藻掻いていた。薬術士は歓声ではなく、今度は自分のために悲鳴を上げていたのだった。そんな地獄のような光景を二階から見下ろす魔法使いの眼は喜々として歪んでいた。剣士が吠えると、魔法使いは再び呪文の詠唱に入った。

 ――僕はもつれる脚をどうにか動かし外に飛び出した。だが、次の瞬間、胸に強い衝撃を受けた。それが痛みだと気がつく前に脚は動かなくなり、力が抜けたかと思うと、僕は地面に顔面を打ち付けていた。

 ――空を見上げる……。僕が逃げ出したあと、おそらく剣士は魔法使いに戦いを挑んだのだろう、そして負けたのだろう。二階の窓から炎があがるのが見えた。



「…………」


 クレイに差し伸べられた手を無言で掴む。

 今までになく、全身から冷や汗が吹き出していた。クレイにもそれがわかったのだろう、「大丈夫か?」と声をかけてくる。俺は力なく頷くだけだった。

 結局、クレイに肩を借りてテーブルまで歩いた。

 本当は座りたかったのだが、椅子がないので仕方なく壁により掛かった。


 目を閉じてみる。

 そして先ほどの瀕死体験をもう一度思い出してみた。

 場所はギルドと呼ばれているところで、『僕』はそこの職員だった。盗賊が攻めてきたことに気がついた『僕』たちはギルドの中にいた冒険者達に町のために戦ってくれるようにと要請を出した。

 同僚の持ってきた地図をひっつかみ、ひとりの剣士が飛び出していく。

 槍術士がひとりの剣士と同僚を後ろから突き殺し、残った剣士と槍術士が争って剣士が勝利した……。

 このあとだ。

 薬術士が炎にまかれ悲鳴を上げる。

 『僕』は魔法使いの方を見た――。

 魔法使いの顔を見る――その唇が『選出者』という言葉を呟いていた……。それは剣士へ向けた言葉ではない。剣士を卑下し、見下し、嘲笑うためにあえて使った言葉だった。

 思い過ごしでないのなら、俺のカンが正しいなら、このときギルドにいた魔法使いは……『選出者』だ。

 俺は――『選出者』が人殺しをした現場を見てしまった……。


「おい。時間がないぞ。わかったことがあるんなら、さっさと言え。おまえが始めたことだろうが」


 しびれを切らしたのか、アドニスがテーブルに広げられた地図をバンと叩く。いくつかのチェスの駒が倒れた。

 それを元の位置に戻しながらクレイが言う。


「……どうする? 辛いなら次でもいいんだぞ」

「いや。もう、だいぶ落ち着いてきました。とりあえず、聞いてください……」


 俺は一度大きく深呼吸すると、先ほどの瀕死体験を語って聞かせた。

 すると、クレイがこともなげに言った。 


「――その魔法使いは、ジルキース氏が殺したよ。最初に出て行ったっていう弓術士と剣士……かどうかはわからないが、そいつらもジルキース氏が、ずどん! だ。……とすると、今、町にいる冒険者の連中で、やつらとつるんでいた可能性のあるやつは、一応消える訳か」


 ――殺した? あの魔法使いをか? 選出者だぞ? 死ぬのか? やっぱり死ぬのか?


「クレイ、ひょっとして今向こうで燃やしている死体の中に、その魔法使いもいたりする?」

「なんだ気になるのか? ああ、盗賊共の死体は全部集めて今夜中に処分しちまおうって話だ。明日になれば討伐隊が出るからな。怪我人もおちおち寝てられねぇよ」


 クレイはケガをした腕を軽く指ではじきながら答える。

 今しかない。ひょっとしてもう間に合わないかもしれないが、それでも知っておく必要がある。

 俺はクレイに詰め寄り、怪我をしていない方の手を取った。そのままゴウゴウと燃えさかっている炎の方へと走り出す。


「案内してくれ! 確かめておかなくちゃいけないんだ」

「はぁ?! いったいどこへだよ」

「そのジルキースに殺されたって言う魔法使いを捜すんだよ。もちろん死体の方だ!」

「なに言ってんだトーダ! こっちの葬儀はどうするんだ?!」

「遠目から確認できればいいから。走っていってすぐ戻れば間に合う」

「馬鹿、見つかるわけねぇだろ。一体ずつ丁寧に焼いてるわけじゃねぇだぞ! 五体ずつそれぞれ山にして焼いてるんだ。行っても判別できるわけねぇだろ!」

「……くそ」


 クレイの手を離す。距離にして20メートルほどしか走っていないが、立ち止まった途端、膝が崩れた。疲労もピークに達しているのか、元の場所まで戻るためにはクレイどころか、アドニスの肩まで借りることになった。


「……いいか、確認だぞ。その魔法使いとおまえの関係は何だ? 知り合いか?」


 クレイが問う。俺はなんて答えたらいいだろうか。


 無関係。知り合いでもない。予想でしかないけど、同じ選出者かもしれない。

 ――それに、あの顔。……中年ではあったけど、東洋系の顔だった。

 日本人かもしれない。お隣の国かもしれないが、日本中どこにでもいそうな顔つきだった。

 だから知りたかった。調べたかった。あの男の『名前』を。

 【鑑識】を使えばわかるはずだった。

 それで、もしも『日本人名』が出てきたら、俺はショックを受けるだろう。ショックを受けて、いろいろ考えを変えるかもしれない。甘えを捨てるかもしれない。

 俺の【ジョブ】は力を得て、力に溺れるようなタイプのジョブじゃないだろうが、いつかあんな風に他人を見下しながら、殺しを楽しむようになるんだろうか。人が死ぬのを喜ぶようになるんだろうか。

 あの魔法使いが日本人でないのなら、所詮他国の人間だ、と。生まれも育ちも違うのだと自分に言い聞かせることが出来る。自分は違うのだと言い聞かせることが出来る。


 ……日本でも犯罪が毎日のように起こっている。わかってる。わかってるってば。

 俺はそいつらとは違う。

 死体は死体だ。俺はネクロマンサーを選んだ。そういうジョブだ。そういうジョブだから死体を身近に置いている。【魄】が必要だから死体に関わるようにしている。


 だから。俺は。――死体を、ころしてまで作る人間には堕ちないならない――。

 手段と目的を間違わない。



「……言葉に、同じ『なまり』がありました。ひょっとすると同郷かもしれません。少なくとも俺は会ったことはありません」

「……わかった。疲れているだろうが、このままパーソン神父のところまで行くぞ」

「お願いします」


 途中まで二人の肩を借りて歩いていたが、アドニスが他の兵士から呼び止められたため、残り数メートルはクレイ一人で俺を引きずった。

 俺の具合を確かめるかのようにクレイは話しかけてくる。


「同郷ってだけで、気になるものなのか? 家族だって訳じゃないんだろ?」

「……正直わかりません。そもそも本当に同郷の人物なのか、今となっては確かめようがないです」

「その魔法使いも『転移』とやらでおまえの故郷から出てきたやつなのか?」

「おそらくそうだと思います。……それ以外であそこからこっちに来ることはまずないと思いますから。俺も……半強制的にこっちに飛ばされたんです……」

「半強制的にか? なんだそりゃ」


 クレイがあきれた声を出す。俺は苦笑しながら続けた。


「自分でもうまく説明できないんですけど、俺たちが暮らしていた所には【族長的な女イザベラ】がいて、住民を定期的に選別しては、一人ずつ『転移』してしまうみたいなんです」

「……なんのためにだ?」


 なんのためにだ? …………そういえば、お使いを頼まれていたんだっけか。


「ええ、たしか“アステアのオーブ”とか言うのを探してこいって言われました。見つけだしたら、うちに帰してやるって言われて、気がついたら南門の道のところに立っていたんですよ……。ひどいと思いませんか……」

「まあ、そうだな」

「たぶん、死んだ魔法使いも俺と同じように、住んでたところから家族と引き離されて、どこか遠くの方に飛ばされたんですよ。だからあんなやさぐれて、悪い盗賊共と組んで、あんな悪いことを……馬鹿。悪いのは【族長的な女】で俺たちはなにも悪くは……」


 アタマがぐるんぐるんとまわる。自分でもなに言っているのかわからなくなる。

 ううむ。【暗視】が効いてるはずなのに、目の前が暗くなってきたぞ。


「おいトーダ。しっかりしろトーダ。おい目を開けろ。おい!」

「う、う、う」


 なぜかクレイにビシビシと頬を叩かれる。何故クレイまで俺をいじめるのか。

 口元になにか冷たいものが触れた。


「ほら、飲め。少しは気分が落ち着くぞ。ほら、口開けろ。飲まねぇと鼻から流し込むぞ」


 俺は口に突っ込まれたものから、なにか液体が口いっぱいに広がるのを感じた。

 ごくりと、喉を鳴らして飲み込む。


「……なんですこれ。……うまい、気がする……」

「蜂蜜入りの果蜜酒だ。いいから飲め。喉を動かせ」

「俺、酒は飲めないんだけど……」

「子供でも酔わねぇよ。いいから飲め。ゆっくりだ」

「ごくごくごく……」


 俺は喉を鳴らしながらそれを飲む。それは革袋に入った液体のようだった。

 口いっぱいに広がる甘みと酸味。細かな果肉が喉を伝い、空きっ腹の胃袋へと流れ込んでいく。体が糖分を欲しがっていたのだと言うことが胃に染みてわかった。

 夢中で差し出されていたものを飲む。最初は重かった革袋も、喉を鳴らすたび少しずつ減っていき、そしてとうとう飲み干してしまった。


「………………ふぅ。なんか、少し落ち着きました。ありがとうございます」

「大丈夫か?」


 気がつけばクレイが心配そうな顔で俺を見下ろしていた。

 俺はクレイの手を取って立ち上がる。


「はい。なんか……大丈夫そうです。まだふらつきますけど、何とかなりそうな気がしてきました。うまかったです」

「そりゃよかった。アドニスがもってきてくれたんだ。あとで礼を言っておけよ」

「あ、そうでしたか。わかりました。そうします」

「そろそろ出番だ。もう先が見えてきたんだ。終われば寝かせてやる。それまで頑張ってもらからな」

「わかりました。……と、ケイトが戻って来ますね。行きましょう」


 二、三歩歩いてみて大丈夫そうなので、俺はケイトと入れ替えにパーソン神父の元へと歩み寄ろうとした。

 ところが、すれ違うだけのケイトが、なぜか立ちふさがるように俺の前に立った。

 驚くと同時に、ケイトと直接目が合ってしまう。

 完全に獣の目だ。顔には若干の人間性は見られるものの、その造形は人のものより明らかに猫や犬に近い。

 俺が驚き戸惑いまごまごしていると、「あっち」と、予想していたよりもずっと澄んだ若い声で、遺族達が集まっている方を指さした。

 だが俺はケイトからは目を反らせずにいて、その瞳を見つめ返し続ける。


「教えたから」


 ケイトはそれだけ言うと、何事もなかったかのように俺から視線を反らし、行ってしまった。

 しばらく、ぼぉっと目で追っていると、クレイが俺の肩を叩いた。


「トーダ。ベンのやつが近くまで来ているぞ。アレはなにか企んでいる顔だ……」

「ベンだって……?!」


 ちょうどケイトが指さしていた方向に、遺族に紛れるような格好で身を潜めているベンの姿があった。わざわざフード付きの服に着替えて、顔を隠すようにこちらを窺っているようだった。


「また騒ぎを起こそうってのかよ、あいつ」

「スコップで襲われるのはもう勘弁なんですけど……」


 あのときのベンは、なぜか幻影を追うような調子でスコップを振り回していたが、当たりどころが悪ければ一撃死であることは間違いないだろう。

 ベンのあの殺意に血走った目を思い出して俺は身震いした。


「……トーダ。作戦変更だ。右手を出せ」

「右手……? なに作戦って……」

「いいから出せ。指輪をはめてる方の手だ」


 クレイに言われるまま俺は右手を預ける。

 すると、『*****』と、クレイがなにか呪文のような言葉を呟いた。


「これでよし。保険だが『識別色』を一時的に【紫】から【赤紫】に見えるように変化させた。……気をつけろよ。ベンのやつはなにか仕掛けてくるはずだ」

「なにをするつもりなんですかね……」

「さあな。……ただ、あの野郎の考えることだ、迷惑なことに違いないだろうぜ」

「クレイ。俺は浄洗中はまるで動けないから、もしもベンがまたスコップ振りかざしてきたら助けに入ってほしいんだけど」

「わかったよ」


 軽く手を振るクレイから離れ、俺は墓穴に入る。

 小さな子供の遺体のそばに身をかがませると、フードの隙間からベンの方を窺い見た。ベンは遺族の集団の後ろの方にいるようだったが、その表情を盗み見ることは出来なかった。

 パーソン神父の合図があり、俺は遺体に右手を乗せた。

 始まる感覚。俺はそれに飛び込んだ。



 ――今日はいい天気。昨日の雨が嘘みたい。雨は嫌いだな、お外で遊べないから。

 ――今日の放課後にアリス達と遊ぶ約束をした。早く放課後にならないかな。

 ――算数は少し苦手。1足す1は何で2になるんだろう。1でいいじゃない。くっつけた分大きくなった1。泥団子でもくっつけたら大きな泥団子。

 ――そう言ったら先生は困った顔で笑った。

 ――どかん、と教室のドアが叩かれた。みんな驚いてシンとなった。ドアから一番近いわたしが一番驚いた。心臓が止まりそうだった。

 ――どかん、ともう一度大きな音がして************************************************

 ************


「**********、ろ、みんな! 町でみんなも見たはずだ! あの【紫色の光】を! こいつは盗賊共の仲間だ! いただろ、盗賊共の中に紫色の【識別色】を放っていたスキンヘッドのやつが! 紫色は、ネクロマンサーの色だ!!」


 何かが近くでがなり立てている。

 なんだ? ここは教室か? 先生は……? くらいな。もう夜? 放課後は?


「自分で立てよ! クズ野郎!!」


 腹に衝撃を受けて、俺は胃の中のものが逆流するのを感じた。

 ごばば、と喉から勢いよく吐瀉物が飛び出し、辺りから悲鳴が上がった。

 腹を押さえて蹲りたい気分だったが、何故か俺は右手を誰かに引っ張り上げられたまま、力なく直立しているようだった。


「トーダを離せ! ベン! おまえ自分が何やってるのか、わかってるのか!」


 チャンネルがうまく切り替わらない。

 視界が戻らない。

 先生どこですか? 大きなお団子。

 わたしはだれですか? ここはどこですか? どかんて教室の戸が……。雨は嫌いだな。外で遊べないから。


「この盗賊野郎! みんなを殺しやがって。こいつが! こいつが! アンナを殺した!! アンナを殺した!!」


 どか! どか! どか!

 腕を掴まれて宙づりになった俺が、サンドバッグみたいに殴られている。

 

「こいつは、ネクロマンサーだ! みんな見ろ! 【紫色】の魔力光だ!!」


 ああ、ばれちゃったのか。

 しまったな。……ベンのやつ、どうやら俺が瀕死体験に入ってる間に近づいて、【接続】している右手を無理矢理引っぺがして、紫色の光を放っている状態をみんなに見せびらかしているみたいだ。

 まいった。町で暴れたっていうネクロマンサーは、紫色に光る右手から【死霊の粉】をまき散らしながら町を駆け回ったって話だ。

 そういえばクレイにも言われたっけ、『おまえは疑われている』って。

 でもなんでベンはこのこと知ってたんだろ。

 ……そっか。南門の詰め所で、大勢の兵士を前に【接続】の外れたその現場を見られていたか。たぶん、ベンはそこから噂を聞きつけ、全ての罪を今度は俺にかぶせるつもりなのだろう。


 ――でも、そうならないようにって、クレイが俺に何かしてなかったっけ?


 ざわめきが徐々にはっきりとしてくる。

 掴まれた手首の痛みに、俺は顔を上げた。右手の光はもうすぐ消えそうだった。


「馬鹿か、おまえ」

「あ゛あ゛?!」


 俺はクレイの声がする方に視線を向けた。

 なんだよー、何で助けてくれなかったんだよー、職務怠慢じゃんかよー、と文句でも言おうかと思ったが、胃がでんぐり返ししていてそれどころじゃなかった。

 でも、あっちはあっちで、この短い時間に一悶着あった感じだった。

 クレイは額に青筋立てながら、ぐったりしたベンの弟者の顔面を掴んでいるし、その後ろではアドニスが誰かに馬乗りになって、ひたすら拳を振り下ろしている。


「俺には【紫色】には見えないね。周りに聞いてみな。【赤紫色】ってどんな色ですかってよ」

「……にいってんらろあああああ!! っろすぞるぁああ!!」

「そいつは【浄洗師】だ。識別色は【赤紫】。昼間の一件でグールの対応に困ったうちの隊長が、頼み込んできてもらったわけだ」

「嘘いってんじゃねぇぇぇ!! こいつはネクロマンサーだろうがぁぁぁ!!!」


 うるさい。耳元で発狂してんじゃねぇかってくらいの大声を放つベンと、


「だからそいつは【浄洗師】だっつってんだろ。そもそもさっきの光も【紫色】じゃなかっただろうが」


 こうなることを見越してか、俺の右手の光を【赤紫色】に変化させてしまっていたクレイの言い合い。

 どちらに分があるかは、ギャラリーの声を聞けばわかる。


「――今のはどう見ても赤紫色だったぞ……」

「――昼間のは、もっとこう……なぁ……」

「――赤紫だろ。紫色じゃないぞ」

「――ネクロマンサーはグールを造り出すが、浄洗師はグールを消したぞい」

「――赤紫色に見えたわ。それにあの指輪の色。赤紫色じゃない?」


 その言葉に、皆が俺の指輪を見上げる。ベンのやつが俺の右手を高く掲げているものだから全員に見られたことだろう。鮮やかな赤紫色の指輪を。


「な、なんじゃこりゃあああ??! は、話が違うじゃねーか!!」


 ベンがようやく俺の指輪の色が【赤紫色】に変わっていることに気がつく。

 自分で『ネクロマンサーは紫だ』とか言っちゃったもんだから引っ込みがつかないだろう。


「だから、おまえの勘違いなんだよ。さっさと気付け馬鹿。――それと、おまえ逮捕だから。神聖な葬儀の場で暴れ、【浄洗師】に暴行を加えた罪な。抵抗するなよ」


 クレイは掴んでいた弟者の顔面をポイ捨てすると、指をポキポキ鳴らしながら近づいてくる。

 

「近づくんじゃねぇよ、ごるるるぁぁあ!! こいつぶっ殺すぞ!!」


 ベンは腰に巻いていたベルトからナイフを抜くと、俺の首筋に突きつけた。

 異世界に来て、その日のうちに、よもや人質の気分まで味わうとは思わなかった。

 こういうベタな場合は、犯人が刑事役の男に気を取られているうちに、ナイフを持つ腕に噛み付くなり、激しく抵抗するなりして隙を作るべきなんだろうけど、思った以上にボディーブローが強烈だったため、ぐったりするのがやっとだ。


「おまえさ、墓場で無関係な人にナイフ突きつけて、一体どうしようってんだ? 今すぐそいつの手を離して投降するんなら、牢屋に一週間から半年ぶち込むだけにしといてやるよ」

「うるせぇぇぇぇ!! 全部こいつが悪いんだろうがぁ!! 盗賊が来たのも! アンナが死んだのも! 全部こいつのせぇだろうがぁぁあ!!」

「アンナを殺したのはおまえだろうが」

「俺じゃねぇぇ!! アンナは勝手に死んだんだよ!! 俺が殺したんじゃねぇ!!」


 あらら……。はい俺、無罪放免。


「語るに落ちたとはこのことだな。アドニス、手伝え。この馬鹿、確保するぞ」

「わかった」


 さっきからずっと殴り続けていたアドニスは、ようやく拳をおさめてクレイの後に続く。


「よ、寄るんじゃねぇ! こいつぶっ殺すぞ!」

「……いいからナイフ仕舞って落ち着けよ。今日いろいろあったろ? 俺たちみぃんな気が立ってんだよ。それなのにそんなオモシロイコトされるとさ、わかるか? 馬鹿。埋めるぞ、コラ」


 クレイは声を押し殺したように言ったが、その表情からは殺意がまったく抜けていない。アドニスが血に濡れた両の拳をがつんがつんと打ち合わせながら、右側から無造作に近づいてくる。

 ああでも、そういう行動は犯人を追い込むだけだし、うん、とりあえず人質の安全が最優先でお願いしたいところなんですけど。


「こいつが全部悪いんだろうが!! こいつが! こいつが! 邪魔しやがあぁぁぁぁ!!」


 こういう追い詰められた犯人の取る行動って、人質を利用して逃げるか、人質殺して逃げるかだよね。

 ベンは血走った目で俺を見ると、ナイフを振りかざした。

 【平常心スキル】が効いてるおかげで恐怖は感じていない。割と冷静だ。

 ふむ。殺される前になにか一言言ってやろうかと思ったが、口を開けばそれだけでリバースしてしまいそうだったので、俺は即座に大きく息を吸い込むと、ベンに向けて口を開けた。


「げえええええぇぇ」


 勢いよくびちゃびちゃと吐瀉物がベンの顔に掛かった。ベンは俺の右手を離して飛び退ると、情けない悲鳴を上げながら顔を何度も拭った。

 キメテやったぜ! という優越感はなく、俺はその場に倒れ込む。

 そのまま第二波の「おええええ」と戦う羽目になった。


「ぶぶぶ、ぶっ殺してやる!!!」


 気を取り戻したベンが吠える。が、それと同時に、耳を着けた地面からも腹の鳴るような『ゴゴゴッ……』という音が聞こえた。

 次の瞬間、またもやベンの間抜けな悲鳴が聞こえ、足でも踏み外したのか、墓穴に転落したベンの姿がそこにあった。しかも落ちた際に墓穴の側面でも崩れたのだろう、右手左足が土に埋まっていて、半分埋められたような感じになっている。


「とりあえず、人質は無事保護っと。アドニス、浄洗師さまを後ろまで引っ張ってってやってくれ」

「わかった」


 アドニスは頷くと、俺の両手をとってずりずりと引きずりながら後ろに下げた。

 何かもう、俺ってこんな扱いばっかりだな。


「……っくそが!! 汚ねぇぞおまえら! 俺にこんなことしてただですむと思ってンのか! ぜってー許さねぇからな!!」

「面倒くさいやつだな。このまま埋めるか」

「あの……、すみません、ここは娘のお墓なので……すみません……どいてもらえませんか……」

「知るかボケ!! さっさとここから出せよ!」

「おまえいい加減にしろよ……」


 遺族らしい人を巻き込んだクレイとベンの言い合いが続いている。時折、パーソン神父が仲裁に入ろうとするが、ベンがわめき散らし、どうにもならない。

 ようやく吐き気が収まってきて、どうにか身を起こした俺のそばに誰かがやってきた。

 バルバ隊長だった。


「無事かね。またずいぶんと痛めつけられた様子だが……」

「浄化中にベンが乱入してきまして、しこたま殴られました。今クレイが穴に落ちたベンを逮捕しているところです」

「ふむ。……状況を察するに、ベンは君の右手の光を周囲の人間に曝させることによって、自分の立場と行動を正当化しようと考えていたようだね。失敗したようだが」


 隊長はそう言いながら、タオルを俺に差し出してくれた。ありがたくそれを受け取る。


「危なく殺されるところでした。ベンの足場が偶然崩れなかったら俺が墓穴に埋められるところでした」


 ははは、と笑う俺に、隊長は神妙な顔をして言った。


「偶然なんてあるものかね。君は、あとでちゃんと『彼女』に礼を言っておくべきだろう」

「え、あ、はい? 『彼女』って……?」

「まあとにかくだ。君にはもう少し頑張ってもらうことになる。町の住人の葬儀はこれでおしまいだ。あとは、殉死した兵士達の葬儀だけになる。この場は私が収めよう。片付けば町の住民を家へ帰すことが出来る」


 隊長は立ち上がると、ギャアギャア騒いでいるクレイ達のところに歩いて行った。

 ぽつんと取り残されて、俺は隊長が残した『彼女』の存在を考えてみる。

 この世界に来て『彼女』と呼べる存在は少なかったので、俺は周りを見渡してようやく『彼女』を見つけた。隅っこの方で独り、クレイ達の様子を眺めているようだった。

 大きな声を出すとまた気持ち悪くなるので、せめてもの礼と軽く手を振った。

 ケイトはそんな俺に気がついたのか、ふいっと横を向くと歩いて行ってしまった。

 あとでまた改めて礼を言えばいいかと、俺は地面に寝転がりながら思った。少しでも体力を回復しておきたい。

 見上げると、星空が綺麗だった。



「だから知らないっつってるでしょ! ベンはそんなことには関わっちゃいないわけ! だいたいそんなことを言うなら、証拠を見せてみなさいよ、ショーコを!」

「いい加減にしろよ。そこをどけマーサ。邪魔だ」


 いつの間にかクレイと押し問答しているのは、マーサに替わっているようだった。


「証拠を見せろと言うのかね」

「あっと、隊長。すみません。事態収拾に手間取っています」


 そこに隊長が登場することで、周りに漂っていたおろおろとした空気が換気されていく。


「そうよ、証拠。ショーコが欲しいわけ。あたし達を犯人扱いするなら証拠を出しなさいよ」

「ふむ。証拠か。……私は先ほど、君が勤めいている酒場に顔を出してみたのだが、店の従業員が店の床いっぱいに葡萄酒をばらまいていたよ。なんともったいないことをするものだ。あれはどうしてかね?」

「そ、そんなの知らないわよ。床を洗うのに水を汲んでくるのが面倒くさかっただけじゃないの?」


 マーサがしどももどろに答えるが、さすがに無理があるだろう。


「聞けば、君の指示だと言うじゃないか。それに、一番最初に葡萄酒を床にまいたのが、マーサ、君だという話は本当かね?」

「あ、あたしはただ手が滑って床に葡萄酒を零しただけよ。それがあんまり目立つから、明日までに目立たないように掃除しときなさいって言っただけよ!」


 ふむ、と隊長が髭を撫でる。


「ところで、酒場の南側にいつも掛かっているカーテンが外されているようだったが、洗濯中かね?」

「そそ、そうじゃないの? あたしは知らないわよ。いいじゃない、カーテンなんて」

「そうだ、俺たちはカーテンなんて知らねぇ!」


 明らかに動揺した声でマーサ。後に続くベン。


「ふむ。ところで昼間、盗賊達が暴れていた時刻に君たちが布にくるまったなにかを運んでいるのを目撃した者がいるのだが。なにを運んでいたのかね?」

「な、そ、」

「嘘だ! あんときは周りに誰もいなかったぞ?!」

「馬鹿!」


 マーサがベンを叱りつける。


「屋根からの景色はいいものだと言うが。君たちは登ったことがあるかね」

「上から見てやがったのかよ! くそが!」

「いい加減にしてよ、ベン!」


 マーサの声には泣き声すら混ざっている。


「それでアンナが発見された現場近くで、血の付いたカーテンが見つかったのだが」

「それが、酒場のカーテンである証拠が、どこにあるって、いうのよ!」


 マーサの声には力がない。


「あのカーテンは、アンナが作ったものらしいじゃないか。ちゃんとカーゼス町長にも見てもらい、酒場の西側のカーテンと同じ生地で作られている事も確認できたわけだが」


 まだ続けるかね? と隊長が訪ねるが、マーサからは返答はなかった。

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