第15話 祈りの言葉

「いつくしみ深い神である父よ、あなたが遣わされたひとり子が、永遠に続く命の希望のうちに、天に備えられた住かに導き、聖人の集いに加えてください。人生の旅路を終えたあなたのこども達が、私達から離れてゆく、この兄弟姉妹の重荷をすべて取り去り――」


 パーソン神父の言葉が耳を素通りしていく。

 俺がこそこそと登場したときに少し周囲がざわついたが、それ以上のことはなかった。みな、穏便にしめやかに葬儀を終えたいのだろう。

 俺は墓穴の底に膝をつき、合図を待っていた。目の前には破壊された頭部に薄い布をかぶせられた状態のグールがいて、見下ろしている。


 グールの正体は、メーギル・スミス 30歳。大工だ。指輪をしていて、墓穴の外では美人の奥さんが泣いていた。

 腕に肉を引き千切られた痕があるので、死因はグール感染だろう。

 つまり、俺はグールに襲われて死ぬまでの短い間に『アンナ』に関する情報と『盗賊』についての情報を仕入れないといけない。

 今まで以上に『瀕死体験』での自我を目覚めさせていなくてはいけないことになる。襲われて死ぬだけでは情報は集まらない。グールに襲われて死ぬことは確定済みだ。それ以外の情報を、いやそれ以上の情報を『被害者の記憶』から得なくてはいけない。できるだろうか? アンナの時にはアンナ本人に同調しすぎた気がするが、彼女の感情や心の叫びに接触できた気がする。

 だが、今回からは違う。やり方を変えることにする。やや距離を置いて、『被害者の意識の外』に眼をやって、もう少し客観的に周りを見ることに集中することにしようと思う。


 パーソン神父の温かい手が俺の頭部に触れた。

 視界の端でクレイを見つける。アドニスと話していた。まあいいか。

 さて、死んでくるか。



 ――場は混乱していた。逃げ惑う人々。馬に乗り追う盗賊。叫び声。

 ――俺は必死で逃げ回った。何度か盗賊どもに斬り付けられたりもしたが、幸いにもかすった程度だった。馬上から剣を槍を振るわれるたび、頭を抱えカメのように縮こまったのが功を奏したようだ。

 ――這々の体で近くの民家に駆け込んだ。鍵は開いていて、中には誰もいなかった。すぐさま鍵をかけ、外から侵入できないようにする。

 ――すぐ近くから女の悲鳴が聞こえた。窓だ。窓が開いていて、そのすぐそばで女性が殺されたんだ。

 ――俺は恐怖で脚が震えたが、窓を閉めるため恐る恐る近づく。すると、バダン! と先ほど入ってきた扉が叩かれた。ガンガンと鍵をかけた戸を開けようとする音が家中に響いた。

 ――ここの住人だろう、なぜ開かないのか、ここは自分の家だと、開けてくれと、助けてくれと、懇願してくる。俺は歯の根がかみ合わず、がちがちがちがちと震えた。

 ――転がるように戸に飛びつき、鍵である鉄の棒を外す。と、二人のお年寄りが飛び込んできた。お互いの眼を見る.。恐怖で濁っている。うまく言葉が出せなかったが、お年寄りの指さした方を見る。戸が開いていて、近くから悲鳴が飛び込んできていた。慌てて締めて鍵をかけた。

 ――俺はうまく説明できなかったが、お年寄り二人にはなんとかわかってもらえた。しばらくこの場にとどまらせて欲しいと言うと、二人は快諾してくれた。

 ――その時、外で「火事だ」と言う叫び声が聞こえた。外に出て確認することは出来ない。俺はまだ閉まっていない窓に駆け寄った。少し先で2階建ての建物がごうごうと燃えているのがわかった。「窓を早く閉めて」と言われて慌てて閉めようとする。だが、窓のすぐ下にひとりの女性が倒れていた。腹部から出血していてぐったりとしている。だが、まだ息があるのか、身を小刻みに震わせていた。

 ――俺は後ろのふたりに声をかけた。ふたりはその人も家の中にかくまうことを了承してくれた。俺は盗賊どもを警戒しながら女性の肩に触れ、声をかけた。

 ――女性がそれに気がついたのか、震える手で俺の手に触れた。俺は窓からすぐ外に出て女性を担いで中に入るべきかどうか、逡巡し、そのわずかな時間、俺は彼女から意識をそらしていた。

 ――女性は両手で俺の手を掴み、がぶりと、噛み付いた。激痛が走り、俺は声にならない叫び声を上げ女性に向け拳を振り上げた。だが、女性は気も止めず、抱え込むようさらに強い力で俺の腕を噛んだ。俺はバランスを崩し、振り下ろす拳のまま窓の外に転がり落ちた。女性は俺の腕に食いついたまま離そうとしない。俺は悲鳴を上げてお年寄り二人に助けを求めた。

 ――お年寄り二人はすぐに窓辺まで駆け寄ってきてくれたが、なにも言わず窓を閉めた。俺は痛みと絶望に発狂したかのように叫んだ。肉がぶちぶちと噛み千切られる感覚。痛い痛い痛い。俺は女性の髪を掴む力一杯引っ張った。すると額の髪がひらけ眼が合う――俺は女性の濁った眼に戦慄し、殴った。力一杯殴って殴って、ラチがあかず、近くの石を拾って殴った。

 ――女性が動かなくなるまで殴り続け、俺はその場を離れた。全身が燃えるように熱くだるく、そしてもうその家に入ることが出来ないのはわかっていたからだ。

――腕の肉は食いちぎられていた。血がどばどばと噴き出している。全身が熱かった。

 ――町を歩く。歩き慣れた町を。

 ――死んでしまっていたはずの町の住人たちが血まみれのまま歩き回っているのが見えた。盗賊の姿はない。助かるかもしれない。試しに助けてと叫んでみた。

 ――女性と同じ、濁ったような眼が一斉に俺を見た。

 ――世界が暗転し、自分が倒れたのを後頭部の痛みで知った。



「う゛ぅ……」


 意識が現実に引き戻される。

 周囲が光り、右手にグールの崩れる感覚をおぼえた。肩を叩かれ振り返ると、差し出されたクレイの手を取って俺は墓穴から這い出た。


「どうだった、今回は」

「今回は町を逃げ回った男が女性に噛み付かれてグールになる体験でした」


 クレイに肩をかり、いつもの定位置まで引っ込むと、俺は地面に腰を下ろした。

 そして今回の『瀕死体験』の流れをクレイに語る。


「今回は『アンナ』と『盗賊』についての情報はなしか」

「そうですね。何度か盗賊に斬られそうになりましたけど、顔をはっきりと見た訳じゃないですし……そうだ、町の地図はありませんか? 思いつきなんですが、どこでなにが起こっていたかを地図におこしていきませんか?」


 地図があれば『瀕死体験』がどこで起こっていたかを説明しやすいし、それにこの町の見取り図も記憶することが出来る。


「なるほど……、それはいい考えかもしれないな。ちょっと待ってろ、アドニスの隊がいつも地図をもっていたはずだ」


 クレイも俺の意見に賛同してくれたのか、すぐに人混みの中にかけていった。

 周りに誰もいなくなり、俺はひとり安堵する。

 眼を閉じて考えてみる。

 今回の臨死体験はどうだったろうか。情報を探れただろうか。時間は有限だ。今後は数分程度で『瀕死体験』を語り、地図に記していかないといけない。

 思い出せ。もう一度思い起こせ。


 俺はある男になり、盗賊から襲われ、民家に逃げ込んだ。

 その民家の特長は? 木造平屋建て。それはどこも似たような感じだ。そう、老人夫婦が住んでいる。その老人の特長は? 眼鏡と口ひげのじいさんと白髪のポニーテールのおばあさん。柱時計があった。テーブル。窓があった。……そうだ、窓だ。窓から火事が見えた。

 地図が来たら、火事が見えた方角をチェックしてみれば場所がわかるはずだ。

 よし……これで地図の一件はもういいな。

 なら、ほかに何か気がついたことはなかったか?

 窓の方で悲鳴がして近づこうとしたら、老夫婦が帰ってきて……鍵を開けた。この世界に鍵は内側からしか開錠できないシンプルなものだ。鍵と言うより『閂』みたいな感じだった。

 次、老人夫婦を中に入れて、火事を見た。気づいたら窓のすぐ下に女性がいて、手を伸ばしたら噛み付かれた。女性がグールになっていたからだ。女性の腹部には刺されたような穴と大量の血がべっとりと付いていた。盗賊に襲われたんだろう。

 そして死んで、グールに、……に? ……? いや、女性はいつグールに? 【死霊の粉】をいつかけられた? 刺されてすぐに?

 んんん? ん? 

 【死霊の粉】かけられて、ない? だって時間的にスキンヘッドはもう南門の方へ行っていたはず? ならなんで殺されただけでグール化する……?

 いやまて、一番最初の兵士の詰め所でもそうだ。死んだ兵士があっという間にグール化した。なぜだ? すでに【死霊の粉】をかけられていたのか?


 ――そうだ時間だ。柱時計の時間。何時だった?

 …………。

 …………。

 ああ、ダメだ。意識していなかった。おぼろげな残像映像じゃちゃんとしたデータにはならない。

 「火事だ」の叫び声があったその直後の出来事だったな。

 クレイが来たら火事が起こった時間を調べてもらうことにしよう。

 ゆっくり目を開くと俺は立ち上がった。


 ――ふと、誰かに裾を引っ張られる感覚があった。


「神父様」


 足下でそう呼ばれて振り向くと、そこには小学生の低学年くらいの男の子が目に涙をためながら俺を見上げていた。

 すみません人違いです。神父様じゃないです。浄洗師様と呼びなさい。もしくはネクロマンサー様。カッコイイお兄さんでも可。

 男の子は俺の裾をグーで掴み、涙声で言った。


「僕のお母さんは、毎日毎日、神様に祈りを捧げていました。朝ご飯を食べるときも、夜眠る前も『神様ありがとう』って神様を尊敬していました」

「…………」


 パーソン神父と間違えているんじゃないだろうか。いや、手伝っていたから同僚に見られたか。


「お母さんは優しい人でした。奴隷の人にでも優しかったんです。誰かを恨んだことも、誰かを傷つけたこともありません。ただ僕たちを育て、愛してくれていました」

「…………」


 そっか、この世界には奴隷ってのがいるんだ。


「お母さんの名前はなんて言うんだい?」

「ミリンダ・ヴァンレモン」


 うん記憶にない。

 でも、この少年は見たことがあるぞ……。

 あー、二人目のグールさんを片付けたときにそばにいた子供だ。どん引きしてた子だ。なるほど、神様狂いのお母さんのお子さんかぁ……。


「神父様。この世に神様がいるのななら、なななぜ神様はこのような仕打ちをするのでしょしょしょうか?」


 涙で潤んだ瞳は、よく見れば焦点を失い、自我の崩壊にまで追い詰められているかのように歪んでいた。


「しんぷさま。お母さんはかみさまにすべてをささささげてきました。でででも、それれなのに神様はお母さんの命にまでも手をおのののばしになってきたのでしょしょしょうか」


 今まで信じていたモノに裏切られたのではないかという、猜疑心と母との時間を共有してきた信仰との間で激しくせめぎ合っているのだろう。

 少年の顔からは目や鼻口など、だらしなく液体がこぼれ落ちていた。心に穴が開いてドロドロとした黒い何かが溶け出している。

 ここで、「神様なんていないさ! 神様なんて嘘さ! 寝ぼけたひとが見間違えたのさ!」なんて言おうものなら……いや言わないけどね。超泣かれそう。

 逆に、神はいるアルよ。ミナサン、神を信じなさーい。壺を買いなさーい、なんて肯定してみたら『神様を愛した母がなぜは死んだ』の答えが出てこない。

 良いことをしていれば幸せに生きていける。俺もそう思う。でも、それだけじゃ不幸から身を守ることは出来ない。

 …………。めんどくさい。

 信じていたものに裏切られたと勝手に感じている人は面倒くさい。

 寄る辺をなくした人は扱いが非常に面倒くさい。

 とりあえず、ここは『祈りの言葉』ってのを引用して、お茶を濁させて戴こう。

 俺は少年の目をじっと見つめ返すと、えほん、と咳払いをした。


「大事をなそうとして、力を与えて欲しいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった」

「え――」


 少年は目を丸くするが、俺は構わず続けた。


「より偉大なことができるように、健康を求めたのに、より良きことができるようにと、病弱を与えられた」

「あの……」


「幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった」

「……」


「世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに、神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった」

「……」


「人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるように、生命を授かった」

「…………」


 少年は涙を流すのをやめ、ただ呆然とこの『病者の祈り』という詩を聞き入っていた。

 この詩は俺が学生時代にラジオで聞いていたのを覚えたものだ。


「求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。

 神の意にそわぬものであるにかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ――」

「…………」


 黙って聞いていた少年の瞳からは、瞬きと同時に大粒の涙がこぼれ落ちた。


「君のお母さんは神様『だけ』信じていた。だから盗賊に殺されてしまった。なぜか? 君のお母さんは、盗賊たちのように、『罰を恐れない人たちが存在する』ことを信じていなかったからだ」


「……っ。お母さんは盗賊に殺されるような悪い事なんてなにもしていません。なのに何で……」

「君のお母さんは神様の声に『だけ』耳を澄ませていた。だからみんなが逃げろと叫んでいたのに聞こうとしなかった。君のお母さんは盗賊のずるさと恐さに気付こうとしなかった。なぜなら、神様が自分を守ってくれると信じて疑わなかったからだ」

「ひっく、でも……パーソン神父さまは、ひっく、神様に祈りを捧げていればきっと神様が助けてくれるって言ってました……」


 ばっかじゃねーの?


「……神様は助けてはくれないよ。ただ救って下さるだけだよ。君のお母さんは盗賊に対して争いをやめるように言ったんだ。でも盗賊はそんな君のお母さんを銃で撃って殺した。……わかるかい? 君のお母さんは、最期に神様に救いを求めていた訳じゃないんだ。争いをやめるように盗賊を説得しようとして、それが失敗したんだ」


 少年は目に涙をためながらジッと俺の話を聞いている。


「君のお母さんは立派だったよ。争いを止めようとした。でも、止めきれなくて殺されてしまったんだ。その場から逃げ出すことも出来たかもしれないのに、盗賊に立ち向かったんだ。ここの兵士だって立派だ。盗賊から町と住民を守ろうとして死んだ人や大けがをした人もいる」

「神様を信じていたのに、どうしてお母さんは死んだんですか!」


 少年が大声を放った。

 理解できないらしい。


「神様を信じていただけじゃ、信仰は守れても命までは守れないんだよ。お腹がすいたら食べ物を食べないと死ぬ。ずっと起きていたら眠くなって寝ないと死ぬ。ずっと動かないでいたら筋肉が固まってやっぱり死ぬ。寿命が来ても死ぬ。病気になって死ぬことだってある。そして――君のお母さんのように盗賊に撃たれて死ぬことだってある」


 続けて俺は言う。


「神様を頼るな。寄りかかるな。神様は助けてはくれない。ただ、神様の教えは正しい人間へと導いてくれる、それだけだ。君のお母さんは『神様の言葉を借りて盗賊を正しい人に導こうとした』でも、失敗して殺されたんだ。神様は決して勇気のある行動を妨害したりはしない。だけど――神様は自らの手で盗賊を殺すこともしない」

「なぜですか?」

「盗賊どもは――この町の兵士達の手で罰せられるからだ」


 少年が大きく目を見開いた。そして頷く。涙が地面に落ちた。


「神様を信じたいのなら、信仰を貫きたいのなら、自分の命は自分で守らないといけない。助けてくれようとしている人の言うことを信じなければいけない」

「……わかりません」


 んもう、めんどくさいな。


「じゃあ、たとえ話をするからな。えっと、少年はなんて名前なんだ?」

「ミケル」

「ミケルは、海を見たことはあるか?」

「ないです」


 ないのか。海ないの? えーとどうしようかな。


「じゃあいいや、森にしよう。――あるところに、神様をすごーく信じている男がいました」



 あるところに神様をすごく信じている男がいました。

 その男は毎日毎日神様のために祈り、神様を崇拝していました。

 そんな男がある日、森の中で木を切っていると、あやまって木の下敷きになってしまいました。

 藻掻いても自分ひとりでは抜け出せそうにありません。

 男は自分は神様を信じているからきっと大丈夫だと思い、神様が助けに来てくれるのを待ちました。

 しばらくすると、旅人が通りかかり男に声をかけました。

「大変そうだね、助けてあげようか?」

 男は応えます。 

「構わず行って下さい。私のことは神様が助けてくれますので」

 旅人は行ってしまいました。

 だんだんと夜が更けてきて、今度は男が帰ってこないのを心配した村の人たちが探しに来ました。

「大変だったろう。今助けてやるからな」

 男は応えます。

「構わないで下さい。私は神様に助けを求めたのです。それなのにあなたたちに助けてもらったのでは、神様はきっと嫌な思いをするに違いない」

 村人達は男を説得しますが、男は聞き入れず、村人達は帰って行きました。

 男はその後何日も神様の助けを待ちましたが、結局神様の助けはありませんでした。

 男はやがて空腹で死んでしまい、神様の元に行くことになりました。

 男は神様の前に立つと、開口一番こう言いました。

「私は神様を信じて疑わなかったのに、どうして助けてくれなかったのですか?」

 神様は不思議そうな顔で言い返しました。


『だから助けを寄越したろう? それも二度も』



「って言う小話なんだけど、俺の言いたいことはわかるか?」

「…………」


 ミケルは俯き、唇を噛んだまま答えようとしない。


「つまり、神様はこう言いたいんだと思うよ――」

「坊主の仇は俺たちが討ってやる――ってな」


 いつの間に後ろにいたのか、クレイが俺の言葉を継いでミケルの前に出た。そのまま片膝をつき、ミケルの前髪を撫でる。


「おまえの父ちゃんと母ちゃん、残念だったな」

「…………」

「……坊主のことはパーソン神父にお願いしておいたから、大丈夫だ。あとのことは俺たちに任せろ。坊主、今日はもう遅い。帰って寝な」

「…………奴隷」

「ん? なにか言ったか?」

「僕は奴隷になってしまうんですか?」


 ミケルの唇がぎゅっと締まり、小さく震えている。


「いいや。坊主の両親はきちんと税金を払っていたし、なにも悪いことをしていない。奴隷になるやつは、盗賊みたいなヤツらだけだ。坊主は奴隷にはならない。させない」

「…………」


 クレイの言葉に、心なしかミケルの表情が和らいだように見えた。

 ぽんぽんとミケルの頭を手のひらで叩きながらクレイは続ける。


「だけどな、この町でこれからも生きて行くには15歳までに立派な大人になっておく必要がある。坊主も11歳まではこの町が面倒を見る。だけど、12歳からはみんなと一緒に王都に行って【ジョブ】を身につけなくちゃいけない。これはみんな一緒だ」

「……うん」

「『うん』じゃない。『はい』だ」

「はい」

「いい返事だ。じゃあ、もう帰って寝ろ」

「…………はい」

「一人で帰れるか? 一緒について行ってやろうか」

「……いいです。一人で帰れます……」


 ミケルはそう言い、ぺこりと頭を下げると、とぼとぼと歩き出した。そんな寂しそうなミケルの後ろ姿を見つめていると、クレイに後頭部を小突かれた。


「親を殺された直後の子供にあんまり酷なこと言うなよ。言葉で理解させられる歳じゃないだろ……。まずは無理矢理にでも安心させてやれよ」

「……すみません。子供の扱いに慣れてなくて」

「いいさ。明日になったらまた俺がフォローしといてやるよ。今は浄洗師やってくれ、浄洗師。行こうぜ、今は目の前にあることを片付けなきゃ、俺たちゃゆっくり涙も流せねえくらいなんだぜ」


 クレイが俺の背中をバンバンと叩き、活を入れる。


「わかりました。地図は見つかったんですか?」

「おうよ。ここにあるぜ」


 クレイは肩から吊ってある三角巾の間から、くるくると巻いてある巻物を摘んで見せた。

 と、ちょうど墓穴を掘り終えたのか、ケイトが奧に引っ込むのが見えた。


「っと、そろそろですね。では、次の『浄化』が終わり次第、書き込みを始めましょう」

「わかった」


 じゃ、しっかりな。とのクレイの声に押されて俺は墓穴へと入る。

 そこにはご遺体が寝かされていて、俺は鑑識を使って名前と年齢、グール化済みを確認する。


『神父様。この世に神様がいるのなら、なぜ神様はこのような仕打ちをするのでしょうか?』


 ふと、ミケルの言葉が甦る。

 俺はため息をついて、ご遺体の頭部に右手を添えた。


「神父じゃねーし、わかんねーよ」


 後ろに本物がいるので、小さく小さく口ごもりつつ、俺は瀕死体験を始める。



 ――混乱のなか、介抱していた奥さんに何故か噛まれる。逃げ出す。

 ――よく行くお店の旦那さんに助けを求めたら何故か噛まれる。逃げ出す。

 ――知り合いの友達にも何故か噛まれる。脚がもつれる。もう一度噛まれる。兵士さんに助けられる。

 ――お礼を言おうとしたら、その兵士さんがその知り合いの友達を斬り殺してしまった。逃げ出す。

 ――亭主の同僚を見つけ助けを求めるも、逃げられる。ドアを叩いても、開けてもらえず。怖くてただひたすら泣く。

 ――目がかすむ。どうにか街角までくると、ギルドにいた自称魔法使いさんが家を燃やしていた。ゲラゲラ笑っている。目が合う。とにかく逃げる。動悸がひどい。壁伝いに逃げる。

 ――剣戟が聞こえる。あっちはやめておこう。悲鳴が聞こえる。こっちもやめておこう。

 ――どっちに行けば安全だろう。周りには似たような人がいっぱいだった。噛み付いたり噛み付かれたりしている。

 ――噛み付かれたお腹が痛い。噛み付かれた腕が痛い。噛み付かれた脚が痛い。重い。

 ――そのうちだんだんと暗くなる。昼間なのに暗くなる。

 ――だんだんと動けなくなる。

 ――困った。



「…………ふぅ」


 浅め浅めにと思い、感情移入を押さえつつ瀕死体験に臨んだせいか、割とマイルドな感じで終えられたようだった。

 どうやらひとつ前の瀕死体験の男が、窓の外で見つけた女性の体験だったようだ。

 時系列がまたひとつ繋がった感じがする。

 今回は女性が辿った道を記憶していたので、あとで地図に起こしていくことにしよう。

 そう思っていると、発光が始まり、その光に隠れるようにしてご遺体も溶解し始める。

 光が収まり、墓穴の中には彼女が着ていた衣服。そして、彼女が薬指にはめていた指輪が残ってた。

 俺はクレイに引っ張り上げられて奧に引っ込む。後ろからは、彼女の旦那と思われる男の慟哭が聞こえてきていた。


 クレイと所定の位置まで戻ってくると、アドニスが机を用意して待っていた。ランプの明かりもある。

 無骨そうだが気の利くやつ。

 べ、別にあんたのためなんかじゃないんだからね! ってか。

 口に出した訳じゃないのにアドニスにじろりと睨まれる。目をそらす。べ、別にあんたのこと考えてたわけじゃないんだからねっ! ……いや、もういいか。


「――で、十三番目の人が……たぶん、ここで……この道を通って……ここで亡くなりました。十四番目の人がここ。この人は――…………で、次ですが、この建物は学校ですよね。じゃあ、次はここから――……この角を曲がったここ、ですね」

「ここと、……ここだな。アドニス、駒が足りない。これと同じサイズのチェス駒をもう1セット用意してくれ」

「わかった。だが、続きは戻って来てからにした方がいいだろうな」

「休憩時間って変ですけど、戻ってから呼ばれるまでの間にだいたい三人~四人くらいのペースですね」


 俺の記憶を頼りに、被害者の位置に小さいチェス駒を置いていくクレイと、それを報告書として記載していくアドニス。

 あの少年――ミケルが帰ってからの休憩時間は、しばらくは被害者の位置と死亡原因とかを地図に起こしていく作業に追われていた。

 ありがたいことに俺の【記憶】はスキルのおかげで、いくら瀕死体験を繰り返しても記憶が混同することがないので、正確な情報を報告することが出来ていた。

 最初のうちは俺の【瀕死体験が視える】発言に懐疑的だったアドニスも、何人かの兵士からの目撃証言とかで裏がとれたため、何度か繰り返すうちにイチイチ突っかかってこなくなった。


「ただ、俺が“視える”のはあくまでその人が亡くなる直前の映像ですから、その後、グールになって動き回ったあとの位置はわかりません」

「わかってる。だいたいでいいんだ」

「それはそうと…………少し向こうで結構大きな炎が見えますけど、あっちでは一体なにが行われているんですか?」


 壁側から右手の方に結構大きな炎があがっているのに気づき、クレイに聞いてみた。墓場の敷地内ではなさそうだが、なにをするにしても少し炎が大きすぎる気がする。

 ゴウゴウと炎があがっていて、あの一帯だけ昼間のように明るく、煙もすごい。


「ん、あれか。たぶん盗賊共の死体を燃やしているんだろう。あっちは可燃ゴミの焼却場になっている。……さすがに、町の人間と同じようにして埋葬するわけにはいかないんでな」

「そうなんですか……。いや、なんなら全員の葬儀が終わったあとでも俺が……」


 【魄】を頂きたいのですが。限りある資源を大切にしましょう。


「駄目だ。……盗賊共はあそこで、恨みや怒りをぶつけられながら燃やされるべきなんだ。悲しみは遺体と共に地に沈め、怒りは盗賊どもと共に炎で灰にしないといけない。……葬儀って言うのは故人への感情に終止符を打てるかどうかの大事な儀式なんだ。仮にトーダが善意で盗賊共を『浄化』してしまったら、遺族の怒りのやり場がなくなる。へたすりゃ、おまえが背負うことになるんだぞ」

「ぶるるるる……。いえ、やめときます」

「それが賢明だ。じゃ、頑張ってな」

「わかりました」


 クレイにしばしの別れを告げ、俺は墓穴に入る。

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