第10話 惨劇の町 

「カステーロさん、そろそろミサルダの町に着きます」


 俺は死体に寄り添い寝ていたカステーロさんを起こす。カステーロさんは不意に起きようとしてバランスを崩しかけ、俺は慌ててそれを支えた。


「おお、危なかった。うっかりしとったわい」

「すみません。大丈夫でしたか?」

「ついいつもと同じように起きようとしてしまった。怪我をしていることを忘れとったわ」


 カステーロさんは怪我をした足をさすりながら言った。


「じゃが、薬草が効いみたいじゃな。だいぶ腫れがひいてきたようじゃ」

「それはよかったですね。でも、無理はしないで下さい」

「おお、わかっとる。……トーダ氏、灯りが見えるな。もうすぐ町の入り口じゃ」


 見ると、カステーロさんの言うとおり、木々の向こう側からかがり火だろうか、灯りが見えた。俺はダダジム達に停止を命じた。


「カステーロさん、このまま進んでダダジム達を人の目にさらしたくはないので、ここからは俺がおぶって行くことにします。……すみませんが、ジャンバリンさんの遺体は森の中に一時隠し、後ほど運ぶという方法で構いませんか?」

「わかった。いろいろ助かった。トーダ氏、ありがとう」


 カステーロさんは改めて俺に頭を下げた。


「いいんですよ。お互い様ですから」


 俺はダダジムに遺体の警護と待機を命じると、カステーロさんを背負い、灯りを目指して歩き始めた。

 町の入り口の門の前には、かがり火がいくつも焚かれていて、十数名の武装した男達が整列していた。まだこちらには気がついてないか感じだったので、ひとりに【鑑識】を使う。


 ・ジャン・アミルド <32歳>

・【ジョブ】 兵士 Lv.11

 ・人族


 ジョブは【兵士】とでた。男達の中には剣や槍を持っているものもいる。剣士や槍使いとどう違うのか、よくわからない。

 だが、ものものしい雰囲気は盗賊団の被害が大きかったのを窺わせていた。

 見つけられて「あやしいヤツ」と槍を向けられるよりもこちらから声をかけた方がいいだろう。何せ俺は全身泥まみれで、所々破れていてみすぼらしい格好なのだから。

 でも逆に言えば、ジャケットにジーンズといった、こちらの世界にはなさそうな服装を隠せているとも言える。

 カステーロさんもいることだし、大丈夫だと思うのだけど。


「カステーロさん。もしかして『通行証』とかって必要なんですか?」

「ふむ。わしは町の人間で、顔が知れとるから必要はないがの。ひょっとしてトーダ氏は通行証を持っておらんのかの」


 通行証どころか、少し前まで無一文だったのですよ。それどころか住所不定のネクロマンサーですよ。


「すみません。……その、この町に来るのは初めてなので……」

「……? そうじゃったか。わしはてっきり……。いやなに、わしが何とかしてやろう」

「すみません。山奥の田舎育ちな者で」

「んん? トーダ氏はミルソド村の者ではなかったのか」


 ミルソド村ってどこよ。


「えええっと。もっと遠くの山奥から来ました。世間知らずな者ですみません」


 山奥、田舎、世間知らず。これだけ言っておけば少しぐらい常識がなくても許されるはずだ。


「ミルソド村ではないとすると……」

「あー……、知り合いがアプリコット修道院にいました」

「……ふぅむ」


 なにやらぶつぶつと呟くカステーロさん。頼むから俺の身元を聞かないでくれ。異世界から来ましたなんて言われても困るでしょ?

 ようやく声の届く距離に近づいたので俺は声をかけてみることにした。


「すみませーん」

「誰だ! そこにいるのは」


 俺の呼びかけに、がちゃがちゃと武装した兵士がランプを手に3人ほどやってくる。


「カステーロさんをお連れしました。馬車の事故で足を怪我されています。手当をお願いします」

「オベロ・カステーロじゃ。ジルキースを呼んできて欲しい」

「なに、カステーロ氏だと……? 本当だ! おい! ジルキースさんを早く呼んでこい! あと医者だ!」


 兵士二人はまたがしゃがしゃと音を立てて……壊れた門の中に入っていく。

 俺とカステーロさんも後に続こうかと思ったが、残った兵士に止められた。


「すまないが、まだ町の中には入れない。危険なんだ。治療なら詰め所のほうで出来るはずだ」


 俺たちは兵士に促され、門の外にある詰め所の方へと向かう。


「まだ盗賊どもが暴れておるのかの」

「いや、盗賊どもはもう町の中には残っていないだろう。それより【死霊の粉】をまかれたことの方が重大だ」

「【死霊の粉】じゃと!」


 背負われたカステーロさんが身を震わせ大声を上げた。


「ちょ、落ち着いて下さい、カステーロさん。【死霊の粉】ってんなんですか?」


 バランスを崩しかけたカステーロさんを慌てて支え直す。

 カステーロさんは興奮した様子で、


「【死霊の粉】は死者を蘇らせる、呪われた道具なんじゃ」

「死者を蘇らせる……?」


 俺は眉をひそめ聞き返した。

 いやいや、そんな道具があるのならネクロマンサー商売あがったりではないか。


「どうやら盗賊の中にネクロマンサーがいたようだ。【死霊の粉】なんてものはヤツらの専売特許みたいなものだと聞く。盗賊どもの襲撃によって何人もの被害者がでた。そこに【死霊の粉】をまかれたんだ」


 兵士は吐き捨てるように言った。

 ……どうやら同業者が盗賊団の中にいたらしい。

 うわぁ、この世界、完全にネクロマンサー悪役じゃねぇか。超アウェーすぎる。

 詰め所に到着すると兵士は入り口のドアを開いた。中から何やら消毒用のアルコールのような薬品の臭いがしてくる。


「ここに入ってくれ。他の兵士の中でも死傷者が出てグール化したものもいる。火事も起きている。今はまだ人手を割けない状況なんだ」


 言い置いて、案内してくれた兵士はどこかに走っていった。

 俺はカステーロさんを担いだまま詰め所のドアをくぐる。町の外に作られているので、なんだかほったて小屋のような感じだが、ランプの薄明かりの中、数人がムシロをひいただけの地べたに寝かされていた。皆どこか怪我をしていて巻かれた包帯が赤く染まっていた。

 俺はカステーロさんを下ろすと、三角巾で腕を吊った兵士が毛布を渡してくれた。礼を言って毛布を受け取ると、カステーロさんに渡した。


「カステーロさん。さっき言っていた【死霊の粉】について知っていることがあるなら教えて下さい」

「……わしも話を聞いただけで、実際どういうものか知らんのじゃ。ただ、死者に振りかけることで、魔物として蘇り、人の血肉を喰らうグールになるという話じゃ」

「グールに……?」


 さっきの兵士も言っていたけど、グールって言えば、屍食鬼とか言われている魔物で、ゲームとかにもよく出てくるあれだ。ゾンビとかとはまた違うらしいけど、違いはよくわからない。

 だいたい、そんな粉で死んだ人が蘇ったりするのか? と思ったが、自称ネクロマンサーで異世界人の俺がこの世界のコトワリに文句なんかつけられない。

 蘇る、というんなら蘇るんだろう。『魂』が抜けた死体には『魄』が残っている。なら『魂に似た何か』を入れれば、動き出すのかもしれない。盗賊側にネクロマンサーがいるというのなら、どんな理屈でも論より証拠になってしまう。

 イザベラも「魔力が充満している世界」って称していたし、魔力とスキルさえあればどうとでもなるのかもしれない。理屈じゃ説明できないんだろうけど。


「死人が蘇るなど、にわかに信じられん話じゃが……」

「あんたたちは町の外にいたのか?」


 毛布を渡してくれた三角巾の兵士が聞いてくる。

 俺は三角巾の兵士に【鑑識】を使うと、Lv.13の兵士で、名前が『クレイ・ケイゲス(26歳)』とでた。


「南門の外にいました」

「南門?! じゃあ、馬に乗った盗賊どもに出くわさなかったか?!」


 クレイは驚いたような顔をした。


「じつは、こちらのカステーロさんが馬車の事故にあって、崖から落ちたんです。俺はその救出に崖下まで降りていて、運がよかったんだと思います。盗賊達とは顔を合わせていません」

「……わしのところにジャンバリンをよこしたじゃろう。アレから話を聞いた。ジルキースが代わりに町に向かったはずじゃが」

「そうだったのか。君らは本当に運がよかったな……いや、すまない。馬車の事故は残念だが、ヤツらともし鉢合わせしていたら、おそらくは命を落としていただろうからな」

「ジルキースさんは無事なんですか?」


 おそらくは鉢合わせになったのはジルキースだろう。先ほどの兵士の話で、生きているらしいが、いったいどうやって切り抜けたのやら。


「ああ。彼の【砲撃士】としての腕前は一流だ。彼のおかげで形勢は逆転したと言ってもいい。火事を起こしていた魔法使いと弓術士を倒したのも彼だ。……そういえば、ひどく『御館様』ってのを心配していたが、それはあんた達のことなのか?」

「カステーロさんのことだと思います」


 俺が言うと、カステーロさんは大きく頷いた。


「うむ。ジルキースが役に立って何よりじゃ」

「とにかく、よかったよ無事で。あとから会ってやってくれ。彼もきっと安心するだろう」

「ええ。さっきの兵士のひとに伝言を頼みましたから大丈夫だろうと思います」

「そうか。……とにかく場が混乱していた上に、火事やグールだろう? 南門から出て行った盗賊に人を割ける状況じゃなかったんだ。今になってようやく討伐隊を向けようか、話し合っているところだ。だが、想像以上に被害は大きかった。俺たち兵士も西門を固めていた連中以外はどこかしら負傷している。そのくらいヤツらは最後まで必死で抵抗していたし、俺たちは訓練通りには行かなかったってことさ」


 クレイは肩から吊られている腕を見せて笑った。


「彼ら以外にも負傷者はいるってことなんですか?」


 俺は床に寝かされている8名ほどの負傷兵を見ていった。


「ああ、ここにいる連中は俺を含めて南門の警備兵だ。盗賊どもが南門を突破するのを防いでいて負傷したんだ。結局門は破られたわけだが、幸いにもここだけは死者が出なかった」

「ここだけって、……死者の数は多いんですか?」

「そうだ……兵士だけで12名の死亡が確認されている。住民に至ってはおそらくそれ以上だろう。そこに【死霊の粉】がまかれた。まいったよ。……ああ、仲間だったやつはグールになるわ、グールはまた次の住民を襲うわで、ジルキース氏がいなかったらと思うとゾッとするね」


 クレイは悲痛そうに頭を振る。


「他の負傷者はどうなったんじゃ」

「負傷者は東門の詰め所と、ほとんどは町の北にある医療施設に運ばれた。負傷者の数はまだわかっていない」

「でも、見る限りこの町は高い塀で囲まれていて、通行証を調べるくらいに警備は厳重だったんでしょう? 盗賊達の襲撃の備えはなかったんですか?」

「備えてはいたさ。だが、考えても見ろ、盗賊どもは100を超える数でいきなり襲ってきたんだぜ。それに、町の中に盗賊どもを手引きした者までいたんだ。ヤツらは東門から入り、さんざん暴れまくった後、東門と南門から出て行った」

「東門に……? それは西門を突破しなかったって言うことですか? 南門の先は小さな村があるばかりで、袋小路になっていると聞いていますが」

「ああ。ヤツらは東門を襲撃し破壊した後、すぐに二手に分かれ、一方は南門を破壊するとそのまま出て行った。もう一方は町を襲撃し住民を殺して回った……」

「ギルドには冒険者達もいたじゃろう。剣士や槍使い、それに弓術士も! いつもたむろっとるあの連中じゃ!」


 淡々と話すクレイに苛立ったのか、カステーロさんが口を挟んできた。

 改めて『冒険者』とかいう言葉が出てくると、この世界がいかに『未開の世界』だってことがわかる。


「確かにギルドには複数の冒険者達がいた。彼らも盗賊どもの襲撃に対し加勢してもらったんだが、そのうちの数名がヤツらの仲間だったわけだ。魔法使いがあたり一帯に火をつけ、弓術士も火矢で家々に放火し始めたんだ」

「……ギルドの冒険者は盗賊の仲間だったと言うことですか」

「皆がみな、そうじゃなかったみたいなんだが、とにかくもその冒険者達は場を混乱させることに一役買ったことは確かだな。全員、ジルキース氏と町の兵士、それに他の冒険者達に倒された」


 盗賊どもの襲撃に手を貸した冒険者達が、撤収ルートを確保できず討伐されたと言うことなんだろうか。自分が死んだら意味がないだろうに。

 第一、犯罪に協力した時点でお尋ね者だろう。……いや、お尋ね者が冒険者のフリをしていた訳だろうか。ややこしい。


「住民達は放火されたことで大混乱となった。逃げ惑う住民達を盗賊どもは襲い、殺していった」

「ちょっと待って下さい。それじゃまるで殺戮が目的のテロ攻撃じゃないですか。盗賊なんでしょう? 襲撃によってなにか盗まれたものはないんですか?」


 盗賊を名乗るのなら何か盗んでいかないと。

 襲撃―陽動・混乱―(目的)―撤退。ってな具合に、場を混乱させて兵士を陽動した後、お宝をせしめてからズラからないとおかしい。


「……いや、わからない。とにかく状況が混乱していたからな。住人の避難誘導と消火活動、それに盗賊どもとの戦闘。終いにはグールの発生だ。全てがあの場で起こっていた」


 クレイは疲れた目をこちらに向けた。


「町に残った盗賊は暴れ続けて、死傷者は増え続けた。今でも悲鳴が耳に残っている。目の前で次々人が死んでいくんだ」


 なんと言っていいかわからず、俺はごまかすように会話を続ける。


「町を襲った盗賊の人数はどれくらいだったんですか? 南門から出て行った盗賊達を除いて、町に残った方の人数です」

「わからない。60人ぐらいいたかもしれない。全員布で顔を隠していた。ヤツらの半数は最後まで抵抗していたが、残り半分ほどは引き上げの合図で――一斉に【死霊の粉】を振りまきながら東の門から出て行った」


 ……違和感を感じる。

 場の混乱に乗じて目的を達するためだけなら、【死霊の粉】とかいう物騒なものは使用する必要がないはずだ。真っ先に南門を破壊したというのもおかしい。

 ネクロマンサーの“死者を蘇らせる”は、=グールにすることではない。

 『クグツ』として操るのがネクロマンサーだろう。少なくともイザベラはそう言っていた。逆に、【グール】なんてのは初耳だったわけだし。


「あなたは――」

「ぎゃぁぁ!! ごふっ、ゲホッゲホッ!」


 俺が口を開きかけたところで、詰め所の奧から悲鳴が上がった。


「よせっ! 何をしているんだ。バルガス! 馬鹿なまねはよせ!!」

「おい! よせっ! 死んじまうだろうが!!」


 悲鳴と怒号が交差する。

 見ると、奧で寝かされていた負傷兵の上にのしかかるようにして、ひとりの兵士がその喉笛に食らいついている姿が目に入ってきた。真っ赤な鮮血が首もとから吹き出している。


「ゲボォ、ゲボォ! ガガガ……ッ」


 周りで寝かされていた兵士達も、事態の異常さに気がついたのか、傷を負った体で飛びつき、噛み付き男を引きはがそうと躍起になっている。だが、負傷で力が入らないのか、服や腕を引っ張った途端、すっぽ抜けた感じで後ろにひっくり返った。

 クレイが「まさか……」と呟き、俺を見た。


「グールになっている! 動けるなら君も手を貸してくれ!」

「わ、わかりました」


 反射的にそう言ったものの、どうしていいかわからず、とりあえず噛み付いている男を引きはがそうと飛びつき、男の髪を掴んだところで――


「離れるんだ!!」


 誰に言ったのか、クレイの容赦ない蹴りが男の顔面を捉えていた。

 バキィ! と首の折れるような音がして、180°、男の首が俺の方に曲がった。振り子のように捻れた首に一瞬向き合う。男――グールは、目と首に包帯を巻かれていて表情はわからなかったが、両目に巻かれた包帯から染み出した血で、俺にはまるで、何かに取り憑かれたような、化け物のような顔に見えた。

 真っ赤に染まった歯をむき出しにして唸り声を上げ、ブグブグと血泡を吹いていた。まさに、『グール』と呼ぶにふさわしい面構えだった。

 首の骨を折られ、それでもなお負傷者の服を掴むグールの手首を、クレイは容赦なく踏み潰す。

 ドゴンという音が詰め所内に響き、クレイが続けざまに吠えた。


「今だ! 引きはがせ!!」

「はい!」


 俺はグールの襟首と髪を掴み、力を込めて一気に引っ張った。

 だが、力を入れすぎたのか、負傷者から引きはがすことには成功したが、俺はグールごと後ろに倒れ込んでしまった。


「ゴァァァッ!」


 どこにそんな力があるのか、グールは身を震わせながら、今度は俺に食らいつこうとのし掛かってきた。グールの指が肩に食い込む痛みに、俺は顔をしかめながら、グールを引き離そうと必死に牽制する。

 俺の右手が、グールの頭に触れると、右手に熱い重圧を感じた。魂魄のオーブが発動したのだ。

 しまった、と思ったが、今右手を動かすわけにはいかなかった。


「待ってろ、今行く!」


 クレイが仲間の助けで、片手で剣を抜き、振りかぶるのが見えた。

 だが、次の瞬間、俺の意識が切り替わった。



 ――町の中から喧噪が近づいてくる。俺たちはバンサー氏を送り出した後、南門を閉めた。閂をかけ、槍を手に構えた。

 ――黒い覆面をした連中が馬でこちらに駆けてくるのがわかった。

 ――覆面の男達は馬上から矢を放ってきた。だが、精度が悪く、牽制にもなりはしない。

 ――乱戦になった。多勢に無勢で相手は馬上だ。南門は閉めてある。応援が来るまで時間を稼ぐしかない。

 ――町から煙が上がっている。悲鳴も聞こえてくる。仲間も次々倒れていく。応援はまだか。

 ――俺は覆面のひとりを馬上から引きずり下ろした。せめてこいつだけでも。

 ――剣を振りかぶった俺の脇腹に、痛み。なぜか――



「……ダ氏。トーダ氏! 聞こえておるか? しっかりせい!」

「あ、あれ……?」


 目の前には、俺の名を呼ぶ心配そうなカステーロさんの顔があった。

 

「よかった。気がついたんじゃな……どこも怪我をしておらんか?」

「間一髪だったな。もう少しで君もヤツらの仲間入りになるところだった、――?」

「え……、ああ、それはどうも……」


 口を開くと、顔に掛かっていた生暖かいモノが口の中に入り込んでくる。血だ。のし掛かっていた首なしの死体から半身を起こし、思わず右手の袖で拭う。


「……ところで、君」


 クレイは血の付いた剣を片手に俺を指さした。心なしか俺を見るクレイの目が鋭くなっている。


「その右手の光はなんだい?」


 俺の顔から血の気がひくのを感じた。思わず右手の袖で拭ってしまったため、手のひらを相手に向けてしまったのだ。魄を完全に吸い取らないうちに死体から手を離すと、魂魄のオーブが手のひらからむき出しの状態になるのを見られてしまった。

 慌てて隠したところで、見られてしまった事は隠せない。

 クレイだけではなく、カステーロさんをはじめ、詰め所の兵士全員がこちらを向いていた。


「こ、これはですね……」


 俺はしどろもどろになり、答えに窮していると、もっと悪いことに首なしの死体が溶け出したのだ。

 ブクブクと泡を吹きながら一気に溶け落ち、俺の体に降り掛かってくる。その瞬間、熱いとか冷たいとか感じることはなかった。まるで体温の温かさのままの液体をかけられた感じだった。あっという間に流れ落ち、服に中にしみこみ、肌をくすぐるようにして床にこぼれ、それすらも透過するように消えてしまった。

 人間が溶け出すという異常事態に、周りから悲鳴に似た大勢の叫び声があがった。

俺はパニックになりかけている頭で溶け残った男の服を握りしめる。


「い――痛っ!?」


 おそらく服の中――いや、体に刺さっていた矢尻を握ってしまったんだろう、俺は鋭利な痛みに、思わず握りしめた手を離した。血に濡れた手のひらから新しい血が滲み出している。

 だが、それで少し頭が冷えたのか、俺は自分に鑑識をかけ、『平常スキル』にチェックを入れた。

 パニックになりかけていた脳みそが途端にしゃっきとする。


「おい、これは――君が、やったのか?」


 剣を手にしたクレイに肩を掴まれ、無理矢理に振り向かされた。

 クレイの険しい目が事態収拾を急ぐかのように俺を見つめてくる。

 彼らはこの『現象』を知らないようだ。……まあ、俺もよくわかってはいないんだけどさ。

 なら、舌先三寸、全て俺の有利になるように踊ってもらえるとうれしい。


「どうなんだ?!」

「“浄化”です。魂の抜けたグールの汚れた肉体を俺が“浄化”したんです」

「“浄化”だって?!」

「はい。穢れた肉体を分解し、大気の力を借りて“浄化”し、大地に還す――それが『浄化葬』と呼ばれる、俺の住んでいた土地の『死者の弔い』の方法です」


 ぶっはー! 吹いちまったぜ!

 クレイは何か言いたげに唇を動かすが、言葉を出せないでいる。だが、一応信じてくれているのか、俺を見る目の険が少しとれたような気がする。

 後はこの人と絡んで一件落着としよう。


「……俺が出来るのは今はこの術だけです。とっさに使いましたが、俺の“浄化”ではグールになった人を元に戻すようなことは出来ませんでした。……カステーロさん」


 適当なことを言うと、俺は期待を込めてカステーロさんの名を呼んだ。

 苦笑してみせる。味方してね。


「道であったとき、俺のことを聞きましたよね。俺は、死者の鎮魂のために国々を回っている、ただの旅人ですよ」

「トーダ氏……」

「『殺された人間の死体は不浄である』というのが、俺の住んでいた土地の教えです。恨みや、孤独感、喪失感、悲しみや苦しみ、全ての負の感情を抱いて『自殺した人間』もまた魂は決して浄化されず、その亡骸にもやがて『魔』が宿り、グールにこそなりませんが、魔の宿ったその亡骸は、その土地を腐らせ、大気を淀ませます」


 俺の作り話に皆がため息を漏らす。

 クレイが負傷兵のひとりから何か耳打ちされ、神妙に頷いている。


「俺は旅をして、それらの魂を解放して回っているのです。……といっても、まだ始めたばかりで、しかもずっと同じところで暮らしていましたし、右も左もわからない状態なんですけれど」

「……。そうだったのか……。とにかく立ってくれ。いや、バルガスのことはいい。……それよりも君の今の力が必要になるかもしれない。アドニス、悪いが隊長を呼んできてくれ」

「わかった」


 アドニスと呼ばれた兵士が外に飛び出していく。


「……どういうことです?」


 俺は差しのばされた手に捕まり、立ち上がろうとする――が、疲労とかいろいろで太ももがガクガクとしてうまく立ち上がれない。

 クレイは心配そうな顔で、俺の肩を支えながらもしっかりと立たせた。


「グールになったものはまだいる。……おそらくは、もう戻らない者たちだろう。君の言う“浄化”をしてやって欲しい」

「え、っと。はい。……わかりました。喜んでこの力、使わせて戴きます」

「なら、早速で悪いんだが、たった今バルガスに殺されたミハイルを浄化してもらえるか? ……おそらくだが、このままではグール化するだろう」


 クレイがジッと、俺の目をのぞき込むようにして言う。

 周囲の負傷兵達は、何事かひそひそと遠巻きに俺を指さしている。


「やってくれるな?」


 有無を言わせぬ態度で迫るクレイに、俺は頷くしかなかった。

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