第6話 ★【ここから本編!】異世界転移【ここからでも読めます!】

 いい気分で居眠りをしていると、急にガクンと首が落ちて慌てて目を覚ます、そんな感じで俺は意識を取り戻した。

 はじめに感じたのは、明るさだった。ザァ…っという木々が揺れる音と共に、強い風が吹きつけ、俺は身体を強ばらせた。

 強い風はその一回きりのようで、あとはさらさらと心地よい風が髪を揺らしてくる。

 俺は目の前にあった自分の手足に安堵すると、ようやく周りを見渡した。


「――まいったな。やっぱり夢じゃなかったのかよ……」


 森の小道らしきところの真ん中で、俺はひとりぽつんと立っているようだった。

 まったく見覚えのない場所だった。少なくともウチの近所ではないことは確かだ。

 ゆっくりとあたりを見渡す。木々が生い茂っていて、小道が森を分断してなければ完全にただの樹海だ。

 小道には轍ができているものの、それ以外は草がぼうぼうと生えている。もちろんアスファルト舗装なんてされているわけがない。

 緑が多くて木々の隙間から光がこぼれ差す光景であるはずなのに、今いるこの場所から離れれば離れるほど、もう戻ってこれないような、そんなざわつき感じて俺は息を呑んだ。


 全く知らない道。

 知らない土地。場所。

 知り合いが全くいない、たったひとり、異世界で――


「ああ、まずい……不安で泣きそうだ……」


 俺は両手でワシワシと顔をこすった。

 とりあえず、俺が今することは後悔でも反省でも泣くことでもない。

 あの夢の中であった女に従うだけだ。


「【鑑識オン】俺」


 ・タカヒロ・トーダ <男・××歳>

 ・【ジョブ】ネクロマンサー Lv1

 ・アビリティ:宿罪

 ・スキル:教育

 ・クグツ:1/0

 ・人族

 ・アイテムボックス:1/1


 目の前に、おそらく俺だけに見える画面が浮かび上がる。

 ……ん。なんか名前がメリケンっぽくなってるな。一般スキルの【言語】の影響かもしれない。

 と、それよりも、この震え始めている俺の身体を止めることの方が最重要だろう。

 早くしないと、強がっている俺の心の方が先に崩壊する。

 小刻みに震える指を動かして、なんとか【一般スキル画面】にする。

 イザベラは、新世界に到着したあと「一番最初にしなければいけないこと」と言って【一般スキル】のオン・オフを指示した。

 ジョブのアビリティなどと違い、一般スキルは初期設定では【必須スキル】以外すべてオフになっているからという。

 俺は【一般スキル画面】から、一番下にある項目にチェックを入れた。


 【平常心】


 するとすぐに、不安に押しつぶされそうになりかけていた心が落ち着きを取り戻す。

 俺はひとつ息を吐くと、残りの一般スキルにもチェックを入れ始めた。


【必須スキル】

・鑑識

・暗幕

・記憶

・語学

・解読

・覚醒


【一般スキル】

・料理

・山菜知識

・薬草学

・採取

・調合

・裁縫

・野営

・罠設置

・暗視

・探知


【感情スキル】

・平常心


 これがネクロマンサーの初期の一般スキルになる。


「さて、向かうとしたら人の住んでる文明的なところがいいんだが」


 小道の真ん中に立ち、指先であっちとこっちを指さす。

 悩んだ末、俺はやや緩やかな下り坂を選んだ。


 てくてくと轍の上を歩く。

 轍があるってことは、おそらく馬車か何かが荷車を引いていった跡だろう。所々に砂利を敷いて穴の空いた道の舗装をしている箇所を見かけた。

 このまま進めば、そのうち町か村、人の住んでいるところに着くと思う。

 温暖な気候なのか、木漏れ日が温かい。木々の葉が青々と生い茂っているところを見ると、季節は春から初夏に向けてと言った感じだろうか。

 異世界の管理人イザベラの話じゃ、送り込む先は四季が存在すると言っていた。……だけど、俺がいた世界では季節は冬だったはずだ。

 まあ、だからこそここが異世界だって言う証拠になるんだけどさ。

 俺はジャケットの前を開けると、ブーツのつま先で石ころを蹴った。


 かれこれ1時間ほど歩いただろうか、視界の端にあるものを発見した。


「これは、【薬草】かな……?」


 おそらく【探知】のスキルが働いたのだろう、視界の中でなにかにくすぐられるように意識が揺れたのだ。手で摘んでみると、頭の中でふわっと『ソトカゲソウ』とでた。


 『ソトカゲソウ』

 ・解熱・鎮痛効果・食べられる。

 ・HP微回復

 ・使い方:よくすり潰し、傷口に当てる。


 これは【薬草学】のスキルだろうか。

 “読む”というより、もともとあったものを“思い出す”といった感じだ。頭の中にぽぽっと浮かんでくる。

 よく見ると、あちらこちらにたくさん生えている。薬草所持はRPGのお約束なので、とりあえずたくさん摘んでおくか。

 俺はそのまま両手いっぱいまで採取したが、結局入れる袋がないことに気がつき、ジーンズのポケットに入る分だけ詰め込み、あとはそこに残した。


 俺は【アイテムボックス】というものを持ってはいるが、今は中身がひとつしか入らないため、現在まるで役立たずだ。イザベラの説明ではレベルを上げることで、入れることができる容量を増やすことが出来て、入れている間は時間凍結されるため、品物は腐らないとのこと。便利だ。いずれ世話になるだろう。


 俺は羽織っているジャケットでくるんで大量に持ち運ぼうかとも思ったが、やめた。

 試しに『ソトカゲソウ』の葉の部分を口に入れかじってみる。

 歯ごたえがあって少し苦い、だからといってうまいわけでもない。ただの食える葉っぱのようだった。

 俺はあとを引く苦みにペッと吐き出すと、口を拭った。

 地面に生えてる山菜のようなものを直接口に含んだのって、一体いつぶりだろう。

 俺は周りをよく見渡し風景を記憶にとどめて、また小道を歩き始めた。


 途中、どれだけ歩けば人の住むところに着くんだろう、とか。

 着いたとしても金がないから食べるものもない。寝るところもない。知り合いもいない。そもそも今日中に着くんだろうか。

 などと悶々と考え続けるが、【平常心スキル】のおかげか、あまりストレスが溜まってこない。なんというか、感情袋の底が抜けている感じだ。

 それでも考えずにはいられないのは性分だろうか、ただただ答えがない自問自答が続いていくばかりだ。


 てくてくと歩く。

 小道は次第に右にカーブし、やがて左側には急な傾斜の先に沢が見えてきた。

 そういえば、そろそろ喉が渇いてきた。俺は傾斜面を降りようとしたが、もう少し行けばより沢の方に降りやすい地形がみえた。


「とりあえずは、あそこまで行ってから休憩にするか」


 俺はそう呟くと、また元気に歩き出した。

 しばらく行くと、やや開けた場所に出た。見ると小道が二手に分かれている。一方はそのまま右カーブに進む道でもう一方は沢に降りる道だ。

 轍も続いているところを見ると、ここはどうやら休憩所らしい。ここで馬車を止めて、沢で馬に水でも飲ませるんだろう。

 そう思い、沢の方に向かおうとすると、足下に何かが落ちているのに気づいた。


「なんだこれ。剣……の柄か?」


 はじめは十字架か何かと思っていたが、よくよく見ると、それは剣の柄の部分だった。

 肝心な刃の部分は柄に近いところから折れているようで、ほんの数センチ、刃が柄からはみ出ている。柄の長さからして片手剣だろうが、柄だけでもそれなりに重い。刀身がどれだけ長いのか見当が付かないが、これを片手で使うのは相当腕力がいるだろう。

 あらためてここが異世界なのだと思うことにした。

 現実世界ではコンビニで買ったおにぎりやパンの包装ゴミが捨てられているのに対し、ここでは折れた剣が野ざらしにされているのだ。

 ただ、その柄の装飾は結構精巧な作りをしていてかっこよかった。結構お高いのかもしれない。それに数センチとはいえ柄に刃が残っているので、木の実程度は割れそうだ。もらっておくことにする。


「トーダは折れた剣の柄を手に入れた」


 なんちゃって。



 そういえば、残りの半分は何処にあるんだろう。

 あたりを見渡すと、それは案外すぐに見つかった。すぐそばの木の幹に、刃の残り半分が深々と切り込まれていた。

 試しに柄の部分を当ててみると、折れた部分が一致した。

 どうやらこの剣の持ち主は木と戦っていたらしい。まだ刃の部分が錆びていないところを見ると、最近折られたものだろう。

 柄の部分と刃の部分。分離してはいるけど、これはこれで何かに使えるかもしれない。

 そういえば、お金ないなぁと思いつつ、刃の部分を、手を切らないようにして両手で挟んで引っこ抜こうとするが、いくら揺すってみても全然びくともしない。


「これは、ちょっと無理そうだな」


 まあ、剣が折れるほどの力で木に叩き付けたんだ。どんな腕力なんだか、食い込み方も半端じゃないし、今回はあきらめるとするか。

 俺は柄の部分だけを腰のベルトの間に挟み込むと、沢に降りていった。


 大きな岩や小石が転がる川辺を進む。

 結構浅い川のようだ。キラキラと光る水面からは水底の石がよく見えた。

 昔、林間学校でイワナのつかみ取りとかしたなー。今日中に村にたどり着けなかった場合、思い出が現実のものになりそうだ。急ごう。

 ようやく川岸にたどり着き、いざ水を飲もうと川に手を伸ばしかけ――その手が強ばった。

 そこに先客がいた。


 心臓が一度大きく鳴ると、バクバクとこれ見よがしに動き出した。

 は川岸に仰向けのまま寝ていて、仰け反るようにして顔をこちらに向けていた。

 ウエーブの掛かった、黒い髪の彫りの深い無精ひげの男。どう見ても日本人には見えない。

 血走った目が、天を睨むかのようにこちらを見つめている。

 でも、瞳孔が開いてる気がしなくもない。


 バクバクバクと心臓の音が激しく暴れ、痛いくらいだ。

 それなのに俺は恐怖ですくみ上がり、動けないでいる。動いてはいけないと本能が叫んでいた。

 その男は仰向けのまま、何か黒いものを腹の上にのせ、時折、不自然に腰を、肩を首を左右に振っていた。


 呼吸が鼓動につられてだんだんと荒くなり、苦しくて悲しくなってくる。

 俺は考えられないでいた。目の前に起こっていることに理解が追いつかない。思考放棄とはこういうことなんだろう。

 男の腹の上で、何か黒いようなものが一心不乱に動いており、男の腹の中からはらわたを引きずり出していた。


 身体が勝手に震えだし、足下の砂利がその音を拾い上げた。

 口元を真っ赤にしたそいつは、ようやく俺に気づいたのか、長い獣の鼻に苛立ちの皺を寄せ、「ぐるるるる」とうなった。


 ――逃げろ。


 思うより早く、身を翻すと、俺は死にものぐるいで走り出した。

 走る、走る、走れ――!!

 恐怖で全身の血が噴き出すような感覚に、心臓が爆発しそうなほど動いているのがわかった。

 俺は傾斜を引っ掻きながら駆け上ったが、あと少しというところで強烈な体当たりをくらい、地面を転がった。

 鼻を打った痛みと、せり上がってくる悲鳴が目の前の獣に射すくめられ、喉の奥で「ほひゅ、ひっひっひっ」短く小さく渦を巻く。


「ガアアアッ!!」


 咆吼をあげ黒い獣が飛びかかってきた。

 俺は身を強ばらせ、とっさに両腕で顔を覆おうとした――その腕に噛みつかれる。

 激痛が走り、腕の骨がミシミシと鳴った。悲鳴にならない悲鳴が俺の口から漏れた。そいつはブンブンと頭を振り、腕を食いちぎろうと引っ張る。

 俺は腰のベルトに差していた剣の柄を引き抜くと、柄の部分でそいつを殴った。

 全くひるまない。

 殴る、殴る、殴る。どんだけ痛いか相手にわからせるために俺は壊れた機械のように反撃を繰り返す。最後の一発は、手首を返し、わずかに残った刃の部分で眉間あたりを狙った。

 「ギャン」との悲鳴があがった。皮膚を裂くようにして牙が抜かれ、ようやくそいつが俺から離れた。

 だけどそれは違った。ただそいつは距離をとっただけだった。そいつの眼は怒りに燃え、低いうなり声を喉の奥で振るわせると、再び襲いかかる姿勢を取った。

 万事休すか――

 そう思ったと同時に、俺は悪魔的な発想を思いついた。


 俺が剣の柄を手放すと同時に、そいつが勢いよく再び飛びかかってきた。

 覚悟を決めると腰を沈め、俺は体当たりに備えた。

 ざっとみて大きさは大型犬以上だろう。17~23kgぐらいだろうか。

 それが先ほどと同じ場所、左腕にのし掛かるようにして食らいついてきた。

 俺は奥歯を噛み締めて踏みとどまると、右手でそいつの頭の長い毛ごとがっちり掴んだ。そして、そいつが食らいついた左腕を中心に身体を回転させた。ハンマー投げの要領で、全身全霊を込めそいつを持ち上げる。


 1回転――引き離すためではない。がっちり掴んだ右手に力を込め、腰を入れて回す!

 2回転――遠心力が必要だからだ。狙いを定める! チャンスは一度きり、目を回す前に終わらせてやる。

 3回転――半!! こいつを殺すために!! 

 俺は残りの力を全て込めて軌道を変え、そいつの腹を、木に叩き付けた。


 「ギャイン!!」と、断末魔が森に響いた。

 そいつは俺の腕を放し、じたばたと藻掻いていたが、腹に刺さった刃は抜けることはなく、やがて力尽き木にぶら下がった。

 余韻のように、血が、ぼたぼたとそいつの腹から流れ落ち続ける。

 俺は隣の木に身体を預けたまま、荒い息を繰り返していたが、やがてずるずると座り込んでしまった。


「は――はは、は……。さ、最初はスライムとか……そういう、低レベルから現れるのが常識だろうがよ……。何だよ、これ。腕、痛ってぇ……」


 見ると、獣の牙はジャケットの袖を突き破り、皮膚まで達していた。

 真っ赤な血がドクドクとあふれ出してきている。


「とにかく、止血しないと……」


 と、言ってみたものの、タオルもティッシュもなにもない。おまけに止血の知識もない。

 ただポケットから出てきたのは、『ソトカゲソウ』の葉っぱだった。

 効果は確か、解熱沈痛――HP微回復。

 俺は早速、何かすり潰すことのできる石などを探そうと立ち上がり、ガササっと草むらから出てきた、先ほどの狼より数倍は大きい狼と目があった。


「あ。俺、死んだ」


 さすがに死を感じて、逃げる気も起きず、ただ成り行きに身を任せることにした。

 大きな狼は「ガフー、ガフー」と赤黒い息を吐きながら俺の周りを回った。

 よく見ると、あの赤黒い息は炎と煙のようだった。もしかして、さっきのやつの親なのかもしれない。

 大きな狼は、俺が殺した小さな狼の前まで来ると、臭いを嗅ぎ、鼻で押したりした。

 もちろんそんなことをしても生き返りはしない。

 もう死んでいる。俺に殺されている。

 なら、大きな狼の考えることはひとつだろう。自分の子を殺したものへの復讐だ。


 俺は痛む腕を抱えながら、ゆっくりと後ずさった。

 ぽたぽたぽたと、俺の血が復讐の道しるべのように地面を赤く色づけする。

 俺はそのまま数メートルほど後ずさると、身を翻し、走った。逃げ切れるとは思わなかったが、今出せる全力で元来た道を駆けた。

 どのくらい行けば着けるのかわからない町への道を進むよりも、先ほどの『ソトカゲソウ』群生地まで戻り、全部使ってでもなんとか怪我の回復を優先したかった。

 だが、10メートルも走らないうちに、後ろから駆け寄ってくる気配を感じた。

 振り返る余裕もなく、俺は強烈な体当たりを食らった。

 さっきの比ではない。俺は吹き飛ばされ、2、3回転むちゃくちゃに地面を転がったあと、再び近づいてきたそいつに、前脚で胸を押さえつけられた。

 巨大な前脚だ。俺の手のひらよりずっとずっとでかい。全く身動きがとれない。


 そこで初めて、その大きな獣の目を見た。

 赤い目だった。爛々と光る赤い目。それは子供を殺されて怒っている親の目だった。


 だが、次の瞬間、視界がぶれた。

 俺のではない。大きな狼の頭が何かにブン殴られたかのような衝撃を受けたかと思うと、横倒しに、どうと倒れた。

 押しつけられていた胸から前脚が外れ、気道が確保されると俺は激しく咳き込んだ。

 涙でかすむ視界の端、大きな狼はなぜか横たわったまま、ぴくりともしない。

 俺は咳き込みながらも立ち上がると、よろよろとその場から離れようとした。


「大丈夫かのぉ~! 死んどりゃせんかぁ~~!」


 俺の歩いてきた小道の方から、そんな声が聞こえてきた。

 荷馬車がこちらに向かって走ってくる。

 そこで俺は助かったのだと理解し、その場にへなへなと座り込んでしまった。


 荷馬車は俺の前まで来ると停まった。

 まず、御者――馬車の操縦者が降り、続いて布で覆われた荷車から顔を出していた髪の白いお年寄りが降りてきた。


「おうおう、生きとったか~、よかったよかった。まさに危機一髪といった状況じゃったようじゃの」


 お年寄りは、こちらの心境などお構いなしで、興奮した様子で話しかけてくる。

 俺は疲労で混濁した意識を保つのに精一杯だったが、ふいに『あれ?【平常心スキル】は? 働いていないのか?』と思った。

 お年寄りは、やはり興奮した様子で、俺の噛まれた腕とかを指さしながら、しきりに何かを話しかけてきている。どうも俺の武勇伝を聞きたがっているらしい。


「【鑑識オン】俺」

「はい? 何か言ったかの?」

「あー、いえ、なんでも」

「それでなぁ、ジルキースのやつが言うんじゃ『御館様、ファイヤーウルフです』とな。わしは、もうビックリしてしまっての……」


 俺は話半分に、【鑑識】による感情スキルのチェックをする。

 思った通り、平常心スキルのチェックが外れていた。他もいくつかチェックがはずれているスキルがあった。

 俺は操作し、とりあえず【平常心スキル】にだけチェックを入れた。

 途端、ふぅ、と安堵の息がこぼれ、動悸が落ち着いていくのを感じた。みるみるうちに頭の中がクリアになっていくのを感じる。

 俺は改めてお年寄りの顔を見た。人なつこそうな顔つきで、つぶらな瞳が印象的のおじいさんだ。御館様と呼ばれているところを見ると、結構いい身分の人なのかもしれない。

 俺は老人を見ながら【鑑識オン】と頭の中で呟いた。


 ・オベロ・カステーロ <男・73歳>

 ・【ジョブ】 商人 Lv3

 ・人族


 なるほど、商人か。身なりからして裕福そうだが、レベルが低い。この場合のレベルって商才とかなんだろうか。

 見たところ商人のようだし、戦闘に関わったりしない職業だからだろうか。


「いえ、こちらこそ助かりました。あなたは命の恩人です」


 俺は座ったままカステーロさんに深々と頭を下げた。

 と、噛まれた腕が地面に接触し、激痛が走る。


「ほらほら、無理をするでない。傷を見せてみい」

「ははっ、逃げようとして噛まれちゃいまして。なんか今更痛くなってきました」


 左腕のジャケット部分はすでに血でぐっしょりと濡れていた。

 俺は痛みに耐えながらジャケットを脱ぐと、傷口を見た。二度にわたって噛まれたあとが生々しい。肉がひどく抉れている。やっぱりあれって命がけの死闘だったんだなぁ、すごい経験をしたもんだと他人事のように思った。

 とにかく早く治療しないとまずいだろう。

 俺はポケットから『ソトカゲソウ』を取り出そうとしてポケットをまさぐっていると、


「これはひどい……、ジルキース。ジルキース!! こっちに来い」


 カステーロさんは、少し離れたところにいる御者を呼んだ。ジルキースと言うらしい。

 木にぶら下がっているファイアーウルフを見ていたジルキースが、ゆっくりとした足取りでこちらにやってきた。

 細身だが、シャツの上からでも鍛え上げられた筋肉の隆起が見えた。鋭い目つきとその物腰からして、この人が何かしてファイアーウルフから俺を助けてくれたのだろう。

 俺はジルキースにも【鑑識】をかける。


 ・サルゴス・ジルキース <男・45歳>

 ・【ジョブ】 砲撃士 Lv28

 ・人族


 思った通り、かなりレベルが高い。

 【砲撃士】というジョブからして、ファイヤーウルフの頭を一撃で吹き飛ばしたのは、間違いなく【銃器】による射撃だろう。

 アビリティは確か……『急所を狙う』。なるほど、一撃だ。

 ジルキースはカステーロさんのそばまで来ると、耳元に口を添えた。


「御館様……ちょっとお話が……」

「おお、ジルキース。先に『例のアレ』で彼の傷を癒してやってくれ。このままじゃ可哀想じゃ」

「……わかりました」


 ジルキースは頷くと、俺の前まできた。


「君は【剣士】か?」


 片膝を着き、ジルキースは俺の顔をじっと見る。

 『平常心スキル』のおかげか、俺は動揺することなく、ジルキースを見つめ返し「違います」と言った。


「そのようだ。指輪はしているようだが、これは【剣士】のものじゃない。『紫色』、見たことのない珍しい色だ」


 ジルキースは、噛まれた方の腕ではなく、ネクロマンサーの指輪をはめた方の腕をつかんだ。そのまま指輪をよく見ようと、自分に方へと引き寄せる。


「ちょっと、離して下さい」


 俺は抵抗しようとしたが、捕まれた腕はまるでびくともしない。あのファイヤーウルフに噛まれたときでさえ、抵抗できたっていうのに。


「まだ子供とはいえ、あのファイアーウルフを樹木ごと斬り付け、あまつさえ剣の柄をへし折るなど、並の剣士にはできないことだ」

「違います。俺がここに着いたときには、もう剣の柄は折れていて、刃は木に刺さっていました。それに、そこの沢に男の人が倒れています。きっとその人の剣です。その人は小さい方のファイヤーウルフに食われていましたが」

「ならば、死体がファイヤーウルフを斬り殺したと?」

「いや、殺したのは……その、俺だけど」

「おまえ……」


 ジルキースの握力が強まり、俺の腕はあっという間に赤黒くなっていく。

 いたたたたた。だから勘違いなんだって。


「何を話しているんじゃ、ジルキース。彼の治療は終わったのか」

「いえ、御館様。これからです。……おい、おまえ、おかしな真似はするなよ」


 ジルキースは敵意むき出しの目で俺を睨むと、握っていた俺の腕を離し、代わりに噛まれた方の腕を掴んだ。

 傷口に触れられた痛みで、喉の奥まで叫び声がでかかったが、奥歯を噛み締めて耐えた。


「彼の者の傷を癒したまえ、“ヒール”」


 捕まれている俺の腕が光に覆われる。

 温かい光の奔流が傷ついていた左腕を優しく包み込んでいく。やがて、その光が薄れていき、完全に消えたかと思うと、俺の腕の痛みも完全に消えていた。


「終わりだ」


 ジルキースは掴んでいた俺の腕をぽいっと捨てるように放し、身を起こした。


「……ありがとうございます」


 一応礼を言う。命を助けてもらった上に、傷まで治していただきまして感謝感激、と本来ならすがりつきたいところだけど、なんというか敵愾心むき出しの態度では感謝しにくい。

 離れていくジルキースと交代するようにカステーロさんが近づいてきた。


「終わったかの? どうじゃ、すごいじゃろう。ジルキースのアレは」

「すごいですね。瞬く間に治りました。ほんとすごいです」


 魔法ってヤツを初めて生で見たものだから、俺は少し興奮していたのかもしれない。

 平常心スキルがあったとしても、うっかりはカバーしきれないのようだ。


「治癒魔法ってヤツでしょう、今の」

「ほえ? 何でおまえさん、それを知っとるんじゃ?」


 きょとんとした目が、俺を見つめた。

 ――しまった。うかつだったか。


「おい!!!」


 ものすごい怒号と共に、ジルキースが駆け戻ってくると、いきなり俺の首元を締め上げた。


「俺を騙そうったって、そうはいかんぞ! おまえは何者だ! いいか、この剣は隣国の、カルガディスの王族の物だ!! 俺はおまえの顔を知らない!! おまえはなぜ、これを持っていた!!」

「く、くるじい……、息が……」


 ものすごい力で俺の首を締め上げる。やがて俺の身体が、ジルキースの片腕一本で持ち上がった。

 じたばた藻掻こうが、ジルキースは力を弱めない。

 ただ憎々しげに俺をにらみつけてくる。


「やめんか、ジルキース!」


 カステーロさんの制止の声に、ジルキースがあっさりと手を放した。

 俺は地面に尻餅をつくと、げほげほと激しく咳き込んだ。


「ジルキース、おまえは少し向こうに行っておれ。もう彼に近づくんじゃない」


 そう言って、カステーロさんがジルキースを追いやる。


「……ファイヤーウルフの毛皮を剥いでいます。何かあったらお知らせください」

「わかった」


 ジルキースは俺に背を向けるとファイヤーウルフの方へ歩いて行った。

 この二人の関係は少し気になったが、今はただ、カステーロさんがまともな人で心底感謝したい気分だった。


「何度もすみません」

「ああいや、いいんじゃよ。こちらこそジルキースがすまないことをしたの」

「いえ、助けていただいたうえ、治療までしていただいて本当に感謝しているんです。治癒魔法については、聞いたことがあるだけで実際見るのは初めてだったので、気に触ったなら許して下さい」


 俺は立ち上がると、向こうでファイヤーウルフの毛皮を剥いでいるジルキースに向け頭を下げた。

 ジルキースは目もくれず、黙々と作業をしている。俺を完全に無視しているようだった。


「ジルキースは優秀じゃが、ちと気の利かないところがあってな。……ふむ、どうじゃろう、君。ああっと、名前は……」

「ええと、タカヒロ・トーダです。名乗るのが遅れました」

「おお、トーダ氏か。ふむ、わしは町で商売をやっておるカステーロというものじゃ。で、あっちがジルキース。わしの息子の部下なんじゃがな。まあ、腕は立つんじゃが、まあその、許してやってくれ」

「いえ、大丈夫ですから」


 申し訳なさそうにするカステーロさんに、俺はそう言って手を振った。

 それよりジルキースが何か誤解してるようなのでなんとかしてくれ、と口走りかけたが、俺の方もよく事情がわかっていないので、あまりなにも喋らない方がいいかもしれない。


「それよりも少し訪ねたいことがあるのですが」

「ふむ。なんじゃ?」

「ああっと、俺はその、結構遠方から来たもので、ここのことはまだよく知らないんです。カステーロさんたちはこの先の道をまだ進むつもりだったのだと思いますけど、あとどれくらい進めば、その、着くのかなと思いまして……」


 この先に何があるのかわからないようでは怪しまれるし、この先が町や村でないのなら引き返すことも考えなければいけなくなる。


「着くとは、ミサルダの町にか?」

「はい、そのミサルダの町に。あとどれくらいの距離になるのかなと……」


 町と言う言葉が出てきたので、内心ほっとする。

 とにかくも町の中に入って、あんな危ない目には合わないような方法で目的を達せないものかいろいろ考えたい。


「そうじゃな。わしらは今日中に町に戻れればいいと思っておったところじゃ。馬車であと2、3時間といったところかの」

「そうでしたか。時間を取らせてしまって申し訳ありません。俺のことはもう大丈夫なので、ここに置いていって下さい」

「なになに、ここで会ったのも何かの縁じゃ。また魔物に襲われんとも限らん。行き先が一緒ならわしらと共に馬車で行かぬか?」

「ええっ、いいのですか?!」


 思っても見なかった申し出に、俺は思わず声がうわずってしまった。


「おお、よいとも。トーダ氏の武勇伝も聞きたいからの」

「私は反対です」


 もう作業を終えたのか、ジルキースが血のついた手を布で拭きながら現れた。

 あのでかいファイアーウルフの毛皮をこの短時間で剥いだのか?! とか思ってそちらを見ると、生っぽい巨大な肉の塊が道の端にごろんとしているだけだった。手際よすぎだろうと、ジルキースを見る。

 ジルキースは俺を一瞥すると、


「何かと虚言癖のある男です。信用なりません。それに今剥いだファイヤーウルフの毛皮で、荷台はいっぱいです。その男は乗せられません」

「じゃ、じゃが、トーダ氏は怪我をしておるし、剣だって折れてしまったじゃろう。丸腰の人間をここに残してはいけんじゃろうが」

「怪我は治しました。それでも動けないというのなら、腰が抜けているのでしょう。それこそ荷台の中で漏らされても困る。武器がないというのなら、……チッ、こいつを貸してやる」


 ジルキースは小さく舌打ちをすると、腰に着けていたナイフのような物を鞘ごと外し、俺の胸に押しつけてきた。


「“風のナイフ”だ。護身用にはなるだろう。だが、町に着いたら返してもらう。それまで預かっていろ。御館様。先を急ぎましょう。ハンクスが迎えをよこしているかもしれません。この男は傷も癒え、武器もあり、腰が抜けているので置いていってかまわないと言っています」

「あ、えっと。はい。……ありがとうございます。町に着いたら必ず返します」


 俺は深々と頭を下げた。

 ジルキースはなんだかんだと俺を助けてくれた上、今こうして武器まで貸してくれたのだ。一応感謝しておくことにしよう。

 頭を上げると、ジルキースはもう馬車の前にまで移動していた。

 というか、なんで俺こんなに嫌われてるんだろ。何か悲しくなるな。


「……ふむ。すまないな。トーダ氏、町に着いたらわしを訪ねてくるといい。町の者にカステーロの名を出せば……ああ、今行く。ジルキース。出発しよう」

「お気をつけて」


 何か言いたげなカステーロさんだったが、眉間に皺を寄せているジルキースを見てやれやれとため息を吐くと、荷馬車に乗り込んでいった。

 やがて、馬車が視界から見えなくなるくらい遠ざかると、俺は小道の真ん中で大の字に寝転がり、


「あー。疲れたー。おウチ帰りたい……」


 青い空に向けそう呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る