第21話 FBI分析官 ジェーン

 数年前。

 ジェーン10歳。


 ジェーン・キャンベル。

 アイルランド系アメリカ人。

 母はジェーンを一人で育てた。

 いわゆるシングルマザーである。

 父親はわからない。

 母親は「パパは警察官だったのよ」と言い、ジェーンに写真と形見の44口径の銃を見せた。

 それが自分とは縁もゆかりもない伝説の刑事のものだと気づいたのはジェーン8歳の時である。


 FBIのオフィス。

 そこでジェーンはわずか10歳で分析官として働いていた。


「あー。あの子か。わずか5歳でハッキングで政府職員2000万人分の健康保険掛け金の端数を掠め盗った天才ってのは」


 頭のはげ上がった男と女性職員が話していた。

 だが、ジェーンは我関せずと仕事に励んでいた。

 肋骨の浮いた痩せぎすの体。

 目の下にクマを作り、ぼさぼさの髪の毛をゴムで適当かつ不器用にまとめている。

 数日シャワーも浴びてないため少し臭う。

 今の陽気な姿からは別人としか思えないみじめな有様である。

 男がジェーンに向かって歩いてくるのが見えた。

 ジェーンには男が誰かはわかっていた。

 男がジェーンの近くにまで来たことを横目で確認して、ジェーンは先制攻撃をすることにした。


「FBI副長官殿。児童労働を強いられている哀れな分析官になんのご用ですか?」


「そうかね? 選んだのは君だと聞いているが、いくつかの大学からもオファーがあったはずだが」


「ここが一番条件が良かったんですよ」


「それは、お母上のことかね?」


「まあそうですね」


 ジェーンがなぜ政府コンピュータに侵入し、電子窃盗をしたのか?

 それは単純な動機だ。

 母親が病気で倒れ、その治療費が欲しかったのだ。

 ジェーンは子供だ。

 最悪でも更正施設送りですむ。

 医療用マリファナを問題児童に処方している施設でさえなければ無事に出られるはずだ。

 だが幸いなことに逮捕後にジェーンの能力に目をつけたFBIがスカウトしてきた。

 各種保険の内容もすばらしい。

 何より中途解雇無しの5年契約なのだ。

 大学は年8万ドルを提示してきた。

 だが結果が出せなければすぐにクビだ。

 リスクが高すぎる。

 その点、FBIは給料は安いが長期の契約期間と医療費を提示してきた。

 ジェーンには他の選択はなかった。


 FBIでの初仕事はCIAに出向して盗聴装置を作れというものだった。

 業務内容はホワイトカラーの経済犯罪の分析や盗聴と聞いていたのにだ。

 CIAから帰ってきてからも経済犯罪の捜査ではなく凶悪犯罪の分析官をさせられている。

 完全にだまされた形である。


 結果、勤務態度はすこぶる悪い。

 仕事はするが媚びは売らない。

 それが副長官であってもである。


「で、なんでしょうか? 私は今このクソ野郎のケツの穴を増やすお手伝いをしてるわけですが」


 ジェーンのPCにはいかにも悪そうな顔の男が写っていた。

 現在捜査中のロシアンマフィアの幹部である。

 ジェーンが開発した新型エシュロンでここ最近の全ての行動を丸裸にしている最中だったのだ。

 

「ああ、そのことだ。そいつのグループだが……明日消滅する」


「痛風って脳みそ腐るんでしたっけ? あのね副長官、それができたらFBIいらないでしょ?」


「なぜそれを! ……まあいい。本当だ。明日CIAが秘密兵器を投入する」


「秘密兵器って……股間がピチピチの全身タイツ野郎でも呼ぶんですか?」


「まあ……それに近いな。エシュロンコード『大統領でもぶん殴ってやらぁ』を知っているかね?」


「私は開発者ですよ。政府からの追加の仕様書にそんなもんがあって、『この国もうダメなんじゃね?』って思ってますわ」


「その一人の弟子が来る」


 その瞬間、ジェーンは激高した。

 職員たちのイタズラに違いないと思ったのだ。


「はあ? バカじゃないの? あークッソ! そういうことか。 おいお前らぁガキからかって遊ぶな! このロリコンどもが! 副長官これ全部セクハラで内部調査にチクりますからね!」


 ジェーンが金切り声を出して叫び持っていたマウスを机に叩きつけた。

 完全にキレたのだ。

 子供だからと今まで何度も嫌がらせをされたが今回のは圧倒的に面白くない!

 クリスマスにサンタクロースの格好をしたチャッ○ー人形もらったときの方が数倍笑えた。

(仕返しに日本製のエロフィギュアや男の娘モノのゲームを首謀者達の妻や母親宛に送ったらカウンセリングルーム行きにされた)

 ジェーンが激高するのを見て副長官は慌てて否定する。


「い、いや違う。本当なんだ!本物の『大統領でもぶん殴ってやらぁ』の弟子なんだ!」


「じゃあ、私に何させるの! サポート? 懸垂もできないのに? 性的サービス? こんなそばかすだらけの顔で、目の下に隈があって、あばらの浮いたガキで喜ぶやつなんていると思うの?! ブルシット! てめえら10年先まで覚えてっからな!」


 それがクリティカルな連中を毎年200人くらい検挙してるよな。

 つうかお前つい最近、同じ職場のロリコン野郎に狙われたよな。

 と副長官は思ったが、黙って飲み込むことにした。

 容姿にコンプレックスを持つ女の子にそんなことを言っても仕方ないからだ。

(副長官は遙か昔に同じようなシチュエーションで娘に余計なことを言って、しばらく口をきいて貰えなくなった経験がある)

 収拾をつけるには権力を使うしかない。


「ジェーン・キャンベル! FBI副長官命令である! エージェント瞬殺グリマーのサポートをしろ。10分後に私のオフィスへ来たまえ! いいな!」


 瞬殺グリマー

 なにそのだっせー名前。

 50年代のアメコミかよ!

 つうか副長官ボケたんじゃね?


 脳内で激しくツッコミと罵声を入れながらジェーンは信じられないといった風に口を開けたまま、ただただ副長官を見つめていた。



 ワシントン・ダレス国際空港。


 ジェーンはCIAエージェント数名とともに空港に噂の少年を迎えに来ていた。

 念のためにPDAを出し写真を確認する。

 そこに移っているのは鬱陶しい金髪、丸眼鏡をかけた長髪の男の子。

 一見すると20世紀を代表するロックスターのような顔なのだが、目に妙な迫力がある。


 つい先ほど飛行機は到着していた。

 チャーターもせずに普通の定期便で来るVIP。

 なにこの変な生き物。

 ジェーンは不機嫌だった。

 だが仕方ない。

 金を稼ぐための腐れ仕事だ。

 我慢してあとは出てくるのを待てばいい。


「FBI屈指の情報分析官がこんなお子様とはな……」


 CIA職員の一人がそう言った。

 特に悪意があるわけではない。

 だがこの一言を聞いた瞬間、ジェーンはギロリと男を睨んだ。

 10歳児のものとは思えないあまりに荒んだ目つきの迫力に男は後ずさった。


(おいおい。なんだコイツ。ガキの目つきじゃねえ)


 本能的に恐れを抱いた男は話題を変えようと必死に話しかけた。


「い、いやそれにしても遅いな。あ、俺コーヒーでも買ってこようかな。あはははははは」


「カフェインマシマシ」


「あ、は、はい! 今買ってきます!」


 CIAエージェントを目で殺す少女。

 それがこの頃のジェーンである。


 ジェーンが人混みを見ていると、セミロングの髪をオールバックにした男が目に入った。

 それは人混みの中でも非常に目立つ男だった。

 まるで物語の王子様のような甘いマスク。

 異様な色気。

 だが、なぜか粘り着くような本能的な嫌悪感を感じる。

 明らかにただものではない。

 ああ、そうか。

 写真の少年は変装時の姿だ。

 ジェーンは納得した。


「あれが瞬殺グリマーだ!」


 ジェーンが指を差すとCIAエージェントは瞬殺グリマーへ近づいて行った。

 男がこちらに気づいてにこりと笑った。

 そしてこちらに手を差し出した。

 その瞬間、ジェーンの中で違和感が生じた。

 男の袖の中から何かが出てくるのが見えた。

 それは拳銃。

 火花が見えた。

 その瞬間、ジェーンの視界をCIAエージェント達がさえぎった。

 銃弾からジェーンをかばったのだ。

 悲鳴が響き蜘蛛の子を散らすように人々が逃げていく。


 なぜだ?

 ジェーンは混乱した。

 確かにジェーンは態度を除いては優秀な職員である。

 エシュロンの開発にも携わった。

 だが、あくまで18000人もいるFBIの専門職員の一人でしかない。

 管理職でも上級技官でもない。

 ましてや連邦捜査局国家保安部の上級国家安全保障セクションにいるわけでもない。

 どれだけ優秀でも人数と予算さえあれば交換可能な部品でしかない。

 CIAエージェントが身を挺してかばう程の価値はないのだ。


 コーヒーを持ってきたエージェントが見えた。

 ジェーンは危険を知らせようとするが、声を出す前に何発もの銃弾を浴びて崩れ落ちた。


 そしてジェーンは銃口が自分に向けられているのに気づいた。

 自分は死ぬ。

 ジェーンの中でそれは確信に変わった。


 だが同時に拳が見えた。

 その拳はオールバックの男の頬を打ち抜いていく。

 拳の主は鬱陶しい長髪を適当にまとめた男だった。

 そしてTシャツのフロント部分には力強い書体の漢字(おそらく日本語)で、


『童貞』


 背中側には


『クリスマス終了のお知らせ!!!』


 よく見ると、その奇妙な男はとてつもなく顔立ちが整っている。

 なんだろうか?

 このダビデ像にマジックで落書きしたかのような残念な生き物は。

 ジェーンは自分の危機そっちのけで残念な生き物のことで頭がいっぱいになってしまった。


 殴り飛ばされた暗殺者が吹き飛んでいき地面に叩きつけられた。

 拳の勢いは恐ろしく強く、そのままバウンドしごろごろと転がって行った。

 だが、ノックアウトではなかった。

 オールバックの男はゆらりと立ち上がった。


「貴様、瞬殺グリマーだな?」


 オールバックの男は口から血を流しながら拳を振るった

残念な生き物にそう言った。


「おめさ、なに言うとるんけ? もっとしわしわ(ゆっくり)言うてくれんと、わからんがなもし」


 LとRの区別がついていないところにパキスタン人訛りとコックニー訛りを混ぜっぱなしにしたような、今だかつて聞いたことがないほど酷すぎる発音だった。

 おそらく、世界中のありとあらゆる方言が混ざっているのだろう。

 コイツはどこで英語覚えやがった!

 ジェーンの頭の中がツッコミでいっぱいになる。


「そうか。お前が来たって事は噂は本当だったのか!!! 」


「何言ってるのけ? あんましワニワニ(ふざけて)してっと、えんぞ(側溝)に放り込むど」


 圧倒的スケールの台無し感がジェーンを襲った。

 カッコイイのだ。

 カッコイイのに……


「いいから死ねよ!」


 暗殺者が引き金を引く。

 火薬のはぜる音とともに弾丸が発射される。

 その射線を残念な生き物はその身を地面につくほど低くしくぐり抜ける。

 そのまま地面につきそうな程低い体勢から拳を振り上げる。

 残念な生き物の地から振り上げられた拳が脇腹に打ち込まれる。

 暗殺者は胃液を吐きながらくの字に身をよじった。

 残念な生き物が再び膝を下げタメを作る。

 そして二発目の拳が暗殺者を襲った。

 それは単純な攻撃だった。

 顔面を下から拳で突き上げる。

 いわゆるアッパーカットである。

 ガラスが砕けたような音が響き渡る。


リア充爆発しろロミオ・マスト・ダイ!!!」


 すかさず残念な生き物がそう咆吼しながら暗殺者の胸ぐらを掴み、己の額を暗殺者の顔へと振り下ろす。

 糸の切れた人形のように暗殺者は崩れ落ちた。


 スラムのギャングより容赦ねえ……

 こいつリア充に恨みでもあるのか?

 そうジェーンが思うほど、容赦とか慈悲とかというものがない戦い方である。

 それは完全に猿の惑星とか原始人の戦い方だった。


 素手で拳銃に勝ちやがった。

 なんだろうこの原始人。

 ジェーンはあまりのことにツッコミが追いつかない。


「おめさジェーンだな? 大丈夫け?」


 目標を破壊した台無し男がジェーンの方へ駆け寄って来た。


「あ、あんたが瞬殺グリマー?」


瞬殺グリマー? なにそれ知らね。オデ明人」


 そう言うとジェーンに優しそうな表情で手を差し出して来た。

 どうやら名前からすると日本人のようだ。

 ジェーンはその手を払いのけると日本語で言った。


「お前は緑色のトロルか! いいから日本語で喋りなさいよ! あんたの発音酷すぎんのよ!」


 明人と名乗った男が、えーと言う顔をしていた。

 その姿は、まるで「なんとなく伝わればいいんじゃね?」と本気で思っているヒスパニック系のようだった。

 日本人ってこうだったっけ?

 もっと厳格な民族だったよな。

 ジェーンはかなり本気でイライラしていた。

 なんだかこの男を見ていると訳もなくイライラする。

 髪ボサボサなのに見るんじゃねえ!

 優しくするんじゃねえ!

 王子面で笑うな!

 顔を真っ赤にしながらジェーンは爆発しそうになっていた。 

 このいらつきの原因に気づくにはジェーンはまだ幼すぎたのだ。


「そうか。俺は伊集院明人。君がジェーンか? 先生の命令で君を守りに来た」


 これがジェーンと明人の出会い。

 ジェーンの大切な大切な記憶である。

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