第9話 ぬるいラブコメ44マグナム
それは考え得る限りの中で最悪のシナリオだった。
明人は当初、伊集院明人という存在さえいなくなれば全てのフラグは発生しないと思っていた。
ところがどうだ。
プレイヤーの知らないところで物語は進行している。
しかも悪質なのは当初思ったよりも、元の伊集院明人はこの世界では重要なポジションの存在ではない。
居ても居なくても結末は変わらないのだ。
明人は捜査手帳に『伊集院明人はモブである』と書き込む。
最早自分からはなんの情報を得ることも出来ないだろう。
ヤクザに乗り込むという手段はあるが、別の犯罪組織に移行するか、海外に高飛びしてしまうかもしれない。
やけを起こして新たな被害を出す可能性すらある。
捜査は完全に行き詰ったのである。
困った。
自分達ではこの事態を解決できない。
そんな明人の脳裏にある人物の顔が浮かぶ。
明人の人脈の中で諜報に関しては世界最高の存在。
連絡をとらねばならない。
明人はノートPCの電源を入れる。
UNIX系OSが起動する。
ソースコードからコンパイルし直して最適化したものだ。
こういうのに詳しい友人にレクチャーを受けて作った一品である。
その友人に連絡をとらねばならない。
そこから明人はフリーネットに繋ぐ。
アルカイダも使っていると言われる匿名通信システムだ。
フリーネットゲートウェイからフリーサイトの一つに繋ぐ。
44マグナム。
アニメ系交流フリーサイト。
ここに隠された暗号を解読。
BBSのキーを入手する。
フロントエンドから44マグナムのBBSを呼び出し、キーを入力。
BBSに入り一言『泣けるぜ』と書き込む。
これで連絡が来るはずだ。
明人の携帯が鳴り、メールが入って来たのを確認。
送信元はランダムで作られた適当な文字列としか思えない怪しいサーバー。
そこには一言、『lol』とだけ書かれていた。
『どういう意味だ』と返信。
『すぐにわかる』とすぐに返信が返ってきた。
どういうことだ?
明人は首を捻った。
◇
「甲賀組のものがまた一人殉職いたしました」
「……そうか」
田中老人は悲痛な顔をしてそう答えた。
一年前の明人レポート。
実は無視などされていなかった。
実は田中老人は田中麗華が言わなくとも、伊集院明人と明人の探っている内容に一部をよく知っていたのだ。
それは各機関で波紋を呼んでいた。
連続少女誘拐事件を見過ごしていた。
過去にさかのぼって責任をとらなければならないほどの事件である。
同時に疑心暗鬼になった。
身内に隠蔽に関わった人間がいるのではないかと。
各機関のトップはお互いを疑りながらも何度も話し合った。
その結果、最終的にシンプルな結論に着地した。
それぞれの機関から人間を出して捜査する事。
お互いを監視しあうこと。
埼玉県警をはじめとした緊急対策チームが極秘裏に動いていた。
だがその対策チームの捜査はまったく進展していなかった。
いつまでも掴めない証拠に焦る対策メンバー。
そしてある日、メンバーが次々と何者かに襲撃される事件が起こったのだ。
お互いがお互いを疑い命令形は崩壊。
もはや拉致事件の捜査など行い得ない有様になっていた。
「死因は何だ?」
「みな違います。ナイフで切り刻まれたもの。拳銃で撃たれたもの。打撃により頭蓋骨を割られたもの。凶器もわかりません」
「教頭と秋山の動きは?」
「全くありません……口座も動きがありません。どう考えても情報が漏れているとしか……」
「……どうやって伊集院明人はあの証拠を手に入れることができたのだ?」
「御館様……ジェーン・ドゥをご存知で?」
「アメリカのスパイチームだな」
「そのジェーンのなかにとんでもない変り種がいるそうです」
「……ほう」
「なんでもCIAきっての情報戦のエキスパートだとか……その彼女が伊集院明人と親しいそうです」
なんだか面白そうな半話しであるな。
田中老人は思った。
「それが何だ?」
「未確認情報ですがエシュロンの開発者らしいです」
「……伊集院明人は世界の王か何かになるつもりか?」
思わず口にしたがバカバカしい。
50年代の映画であるまいしそんな人間など存在しないだろう。
「お嬢様にはなんと?」
気を使ったのか男が話を変える。
「ありのままを伝えろ。最初から全部だ。当主代理としての最初の勤めだ」
できれば孫の耳には入れたくはなかった。
普通に生きて欲しかった。
だが伊集院明人と出会い、自ら忍の道を選んでしまったのだ。
これはもう運命というしかないだろう。
ここで心が折れてくれればまだ普通の人生に戻ることもできるだろう。
(恨むぞ伊集院明人よ)
孫が家業を継いでくれるという嬉しい思いと、陰惨な事件を孫に見せたくないという思い。
その二つの思いの板ばさみになった田中老人は頭を垂れた。
◇
校門を抜け教室へ向かう明人に次々と声が掛けられた。
「あ、番長! あざーっす!」
「番長! ありがとな!」
「番長! 抱いて(ウェイトリフティング部)」
何かがおかしい。
明人は違和感を抱いていた。
原因に思い当たる節がない。
しいて言えば30人病院送りの件だが、それもお礼を言われるようなことではない。
明人は首をひねっていると後ろから声が聞こえた。
「明人君おはよー!」
飯塚亮だ。
「ああおはよう」
「明人君。みんなの財布取り返してくれたんだって?」
初耳だ。
「取り返した?」
「うん。この辺の子はみんな火蜥蜴に財布取られてるんだ。僕もだけど」
「ほう」
「昨日、警察から連絡あって財布が返却されてさ。なんでも村田って人の財布を集めるのが趣味だったんだって。中身もほとんどの人は返ってきたみたい」
なんとなく理解できた。
「俺が直接やったわけではないな。お礼は警察に言えばいい」
「クールだね」
「全然。手作り弁当で泣くレベルだ」
明人は今でも泣ける。
何度でも泣ける。
「ウルフも顔真っ赤にして喜んでたね」
そうだったら明人も嬉しい。
亮も斉藤と見事くっ付いたのだ。
花梨と明人が付き合っても問題はないはずだ。
明人は心に決めた。
飯塚とたわいもない話をしながら明人が下駄箱に入ると、いつもと空気が違うような気がした。
見られているような気がするのだ。
ふと上を向くと紙袋が置いてある。
明人はじいっとそれを見続ける。
「どうしたの? 明人君」
「飯塚。先生呼んで来てくれ。盗撮されてる」
◇
朝仕掛けられていた盗撮用のビデオカメラ。
それは無線ネットワーク式のピンホールカメラだった。
無線ルーターのログには東欧のIPが記されていたらしい。
大量のエロ動画配信サイトの接続記録とともに。
緊急職員会議は盗撮そっちのけでエロサイト視聴犯を炙り出す魔女狩りの場へと変化した。
……と明人は内藤に愚痴られた。
なぜ男はエロサイトを見るのか?
そこにおっぱいがあるからさ。
……と一瞬考えたが口が裂けても言わなかった。
犯人はわかっている。
ヤツだ。
明人はため息をついた。
昼休みがやって来た。
タコさんウインナータイムだ。
もう花梨と付き合ってしまおう。
うんそうだ。
フラグは立っているのだ。
「おいーっす明人!」
明人に声がかけられた。
花梨ではなかった。
声の方を見ると制服を着た少女が居た。
茶色っぽい細い赤毛。
ツインテール。
ロリ。
「……ジェーン?」
明人は驚かなかった。
今朝の盗撮カメラ。
わざわざ東欧のサーバーに繋ぐやり方。
ジェーンしかいない。
「やっほー! 来ちゃった!」
嬉しそうな顔をした盗撮犯がそこにいた。
「番長それ誰っすか!」
「ウルフに飽き足らずロリまで囲って!」
恥ずかしがりながら明人に弁当を渡す姿が目撃されてるせいか花梨は男子に大人気である。
「リア充許さねえぇッ!」
好き放題言われていた。
明人はリア充などでは断じてない。
むしろぼっちである。
悪逆非道なリア充呼ばわりは許されない。
弁解しなければならない。
「ジェーンはともだ……」
「明人の女だよ!」
そのとき何かが落下する音が聞こえた。
明人が音の方を見るとそこにいたのは三島花梨。
弁当は無残な姿で地面に転がっていた。
「ひっく……」
「いや違う! 三島!」
「誰あれ? 明人。浮気?」
ジェーンが堂々と嘘をつく。
「……ごめんね。迷惑だったよね。弁当なんて」
三島は涙目だった。
「だから違う! 三島!」
「うわああああああん」
走り行く花梨。
「タコさんウインナー……」
明人は何もない空間に宙を掴むかのように手を差し出していた。
◇
怒涛の昼休みが終わり、五時限目が始まった。
だが明人は灰のようになっていた。
「番長どうしたんだ?」
「ウルフを遊ぶだけ遊んでポイ捨てしたらしいぞ」
「さすが明人さん! 俺(略)」
「しかも次の奴隷は外人ロリらしいぞ!」
「明人さん性欲魔人マジぱねえ!」
勝手なことを言われている。
あれから弁解に行ったが花梨に会ってもらえなかった。
誤解を解くことが可能なのだろうか?
コミュ力の劣った明人にはわからない。
少しでも動くと涙が溢れてくる。
涙で前が見えない。
こうしてロイヤルガーデンパレス第二の事件は明人の涙とともに始まったのだ。
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