第7話 お兄ちゃん2 怒りのメガトンパンチ

 鉄パイプを持った二人の男が対峙していた。

 兄という名の下に妹を、いや己すらも取り戻す戦いに身を投じる男、藤巻隆二。

 対するは全世界のお兄ちゃんを敵に回した腐れ外道、村田。

 村田はガマ蛙のような顔を歪めて笑った。


「おい金髪野郎! 本当に藤巻ぶっ殺したら見逃してくれんだな!」


「無論だ」

 

 明人はつまらないものを見たかのように無感情な声でそう言った。

 藤巻はそんな明人を一瞥し、申し訳なさそうに笑うと、鉄パイプを地面に捨てた。

 それを見た明人は眼鏡の奥で満足そうな笑みを浮かべ藤巻の背中に言った。


「正しい選択だ。最高のお兄ちゃんになれ」


 藤巻はサムズアップで返した。


「てめえら、無視するんじゃねえ!」


 村田の鉄パイプが藤巻を襲う。

 藤巻は明人のように熟練した戦士ではない。

 そんな藤巻にできるのは、頭部だけを守ることだけだ。

 低い打撃音がし、少しだけよろける藤巻。

 だが膝はつかない。

 後ろにも下がらない。


 怪我など恐れない。

 ここで無様に倒れ霞を失うことよりは恐ろしくはないのだから。


 例え死んだとしても喰らいつくのだ。

 あの金髪野郎がくれた最後のチャンスなのだから。


 藤巻は傷ついた足を引きずり村田ににじり寄っていく。

 そんな藤巻に村田は容赦なく鉄パイプを振り下ろす。

 何度も何度も。

 だが追い詰められていたの村田だった。

 

「どうして倒れないんだ! なんでだ! なんでだよ!」


 何度も何度も藤巻に鉄パイプを振り下ろす。

 だが藤巻は避けないし下がらない。

 ただ一歩一歩村田に近づいていく。

 村田はそんな藤巻の気迫に押されどんどん後ろに下がっていく。

 村田の背中に堅いものが当たった。

 村田はいつの間にか壁際まで追い詰められていたのだ。


「ひ、ひいいいいいッ!」


 それは最後のチャンスだった。

 藤巻は拳を握る。

 その構えは格闘家のそれではない。

 ただ思いっきり振りかぶる。

 そして、全ての思いを拳に込め、村田目掛けて放つ。

 放たれた拳は村田の顔を捉え、拳は壁を破壊するかのような勢いで村田の顔にめり込んでいった。

 

 工場の壁が揺れたような気がした。

 その場にいた全員がそう感じた。


 前歯が吹き飛び、白目を剥いて気絶する村田。

 それを確認すると、藤巻はようやく膝を落とした。


 明人は満足した。

 良い勝負だった。

 兄は理屈を超えなくてはならない。

 なぜならお兄ちゃんだからだ。

 そして明人はお兄ちゃんを助けなければならない。


「お前ら村田のようになりたくなければ監禁場所を言え」


 明人は笑う。

 その笑みを見たその場の全員が死を連想した。


「む、村田の家だ! 今日仕入れた女は全員そこにいる」


「そうか。では死ね」


 カラーひよこの集団に笑いながら突っ込んでいく明人。

 粛清の時間だ。

 工場内に悲鳴が響いた。


 明人が藤巻を肩に担ぎ工場の外に出ると、情けない顔をした花梨がいた。

 警察と一緒に。


「伊集院明人ぉッ!」


 振り向くと田中がいた。

 鬼のような形相をしている。


「伊集院いいいぃんッ!」


 内藤もいた。

 こちらも鬼のような表情だ。

 明人の額に冷や汗が浮かぶ。


「こんのばかああああああッ!」



 ロイヤルガーデンパレス警察の取調室。

 中本孝子は興味深げに明人を見ていた。

 両の頬に手形がついている。 

 中本が吹き出しそうになっていると中本の横にいた中年の男性刑事が怒鳴った。


「30人も病院送り! 特に村田はアゴと前歯全部折れてたそうだ! わかってんのか! お前だけは豚箱に突っ込んでやる!」


 刑事が威嚇する。

 だが明人からすれば、そんなことはどうでもいいことだった。


「刑事さん。拉致された女性はどうなりました?」


「……っこ、この野郎! 舐めてんのか! オイコラ! 俺を舐めてんのか!」


「まあまあ、ヤマさん。ここは私に任せてください」


 中本が口を挟む。

 警察に捕まってあの落ち着きよう。

 目の前の少年は格が違う。 

 警察伝統の『良い刑事と悪い刑事』の作戦は通用しないと思ったのだ。

 男性刑事は舌打ちして音を立てて椅子に座り込んだ。


「あのあと村田の家に乗り込みました。全員無事です。襲われてもいませんでしたよ。明人君のおかげです」


 明人は安堵のあまりため息をついた。

 こんな状態でも自分より他人の事を気にしている。

 中本はこの少年に好感を持った


「藤巻は?」


「現在集中治療室で治療を受けています。大丈夫ですよ。命には別状ありません。でもあちこち骨折してるんで念のためです」


「良かったあ……無茶させすぎたから……」


 明人は机に突っ伏した。

 そんな明人を見て中本はクスリと笑った。

 案外可愛い。

 本当に内藤の言うとおり色々とぶっ飛んでいる。


「ところでどうするんですか? ここまで大事になったらもみ消せませんよ」


「まあどうにでもなるでしょう」


 何を言ってるのかわからない。

 不良少年にありがちな捨て鉢タイプとは思えない。

 首をひねると取調室のドアが開いた。

 ドアを開けて出てきた男。

 いや男達だった。

 署長に本庁のお偉いさん。

 警察庁の偉い人。

 勢ぞろいだった。


「伊集院明人君は釈放だ」


「っちょ! 何言ってんですかアンタ!」


 男性刑事が叫んだ。


「彼は埼玉県警の人間だ。我々の身内だ。これ以上は言えない。わかるな!」


「俺はMI6にも埼玉県警にも入った覚えはないんですけどね」


 呆れたように少年は言った。

 何者だ?

 中本は背中に薄ら寒いものを感じた。

 たった今、自分の目の前で不正が行われようとしているのだ。

 しかもなんだMI6って?

 冗談のようだ。


「しょ、署長!」


 情けない声を出す。

 上の命令は絶対だ。

 だがこれはさすがに納得いかない。


「黙れ! ……こちらは埼玉県警の本部長だ」


 優しそうな雰囲気の男がぺこりと頭を下げる。

 若い。

 おそらくキャリアなのだろう。

 それも相当優秀な。


「今回の件は後日正式な書類として報告する。彼は君からは逃げないしちゃんと学校に通う。いつでも会える。そうだろ明人君」


「まあ逃げません。逃げたら俺の目的は達せられませんから」


「ならいい。では明人君一緒にディナーでもどうかね?」


「いえ。友人に釈明をしないとならないもので……さっきから睨んでいますので……」


 中本が本部長の奥を見ると高校生位の少女が明人を睨んでいた。

 明人は先ほどとはうって変わり、額から滝のように汗を流している。

 中本は気がついた。

 内藤の学校の生徒会長だ。


「あはははは。明人君もお年頃か! じゃあディナーはまた今度」


 カラカラと本部長は笑った。

 すると奥にいた少女が明人の襟を掴む。


「ほら伊集院! 行きますわよ!」


「は、はい……」 


 完全に置いていかれた。

 反論すらできなかった。

 でも……中本には去り行く明人が『助けて』と囁いたかのように見えた。

 だからいいやと納得することにした。



 沖縄県某所。

 基地内にブザーが鳴り響く。

 慌てて駆けつけた一人の男。

 それは在日米軍の司令官だった。


「何事だ!」


「司令! エシュロンコード『大統領でもぶん殴ってみせらぁ』が発生しました!」


 若い士官が叫ぶ。

 エシュロン。

 アメリカNSAの通信傍受システム。

 その性能は一分間に300万件もの通信を傍受でき、その対象はアナログ無線通信から携帯電話、データ通信、電子メールやFAXまでに及ぶ。

 その中でも重要情報を傍受したときに発せられるコード。

 その一つが『大統領でもぶん殴ってみせらぁ』である。


 これは世界中の『個人』でホワイトハウス襲撃をできうる人物の動きに警告を発するコードである。

 ライアン、英国の伝説のスパイ、NY市警伝説の刑事とその息子。

 それに伊集院明人などがその対象になっている。


「NSAのエージェント伊集院が警察に捕まったそうです。どうやら何かを探っている途中のアクシデントのようです」


 司令官は戦慄した。

 二年前のアメリカ人ジャーナリスト誘拐事件で記者を奪還した師弟。

 ライアンと明人。

 彼らはパキスタンの刑務所に侵入。

 アメリカ人ジャーナリストを無事奪還。

 そのままパキスタン軍の戦車を奪ってインドへ逃亡した。

 インド国境を越えるパキスタン軍の戦車。

 それを必死になって追うパキスタン軍の戦車部隊。

 インド政府はパニックに陥った。

 結果……危うく核戦争が起こる所だったと言われている。


 二人を恐れたホワイトハウスは彼らに勲章を授与。

 以降、明人をCIAとNSAの所属と言い張って所有権を主張している。

 引きつった顔で勲章を渡す大統領の姿は伝説にすらなっている。

 そのエージェント明人に動きがあったのだ。


「ジェーンを呼べ……アキトを止められるのはやつしかない……」


 司令官は対伊集院明人用最終兵器。

 ジェーン・ドゥーの召集を要請することにした。



 次の朝。

 教室。

 今日から通常の授業が始まる。

 明人は数学の教科書を開き目を通していた。

 周りの生徒たちがひそひそ話をするのが聞こえた。


「番長。ヤクザの事務所に殴りこんだんだって?」


「ああ、なんかな……暴走族の音がうるさいからってバックのヤクザを壊滅させたらしい」


「すげー! まじか!」


「かっけー!」


 情報は歪んで伝えられた。

 ダスティエンジェルの件はガス爆発事故となり、火蜥蜴の事件はヤクザによる誘拐事件に置き換わった。

 明人は目を細める。

 藤巻は妹に会えただろうか。

 お兄ちゃんとして胸を張れただろうか?

 それだけが気になって仕方ない。

 明人が思いを馳せていると、ざわざわという声が聞こえた。


「お、ウルフだ!」


「なんでウルフが! 一年の教室に」


 ウルフ?

 三島花梨だ。

 明人が入り口の方を見ると、三島花梨が入ってくるのが見えた。

 花梨は入り口で室内を睨みつけると明人を発見したのか、一瞬だけパァーッと嬉しそうな顔をする。

 すぐに眉をへの字にしてしわを寄せ、明人の方へ来た。


「三島。なんか用か?」


「あ、あのな昨日はありがとう! こ、こ、こ、これはお礼だ」


 それは布に包まれた四角形の物体。

 伝説の青春アイテム。

 レア中のレアアイテム。

 手作り弁当だった。


「かかかかか、勘違いするなよ! それはお礼だからな!」


 顔を真っ赤にしながら弁解をする。

 だが明人にはそんな様子を楽しむ余裕など無かった。

 意思に逆らい涙が溢れてくる。

 涙で前が見えない。

 そう存在したのだ。

 男の子の憧れ。

 手作り弁当は。

 かの伝説のタコさんウインナーは存在したのだ。


「なななな、泣くなよ! これからも作ってやるから!」


 三島花梨はそう言うと嬉しそうに笑った。

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