第6話 全世界のおにいちゃんの怒りを受けろ

 明人の担任の内藤和江は、大学時代の後輩でロイヤルガーデンパレス警察署の少年課の刑事である中本孝子なかもとたかこと警察署で会っていた。


「いやあー悪いなタカっち。こんな夜中に」


「いえいえ。内藤先輩の相談ですから~。いつも事件の情報頂いてますし~。またクラスの子の家出ですか~?」


 間延びした受け答え。

 中本は一見すると、とろくさい印象を受ける女性だが、その熱心な仕事ぶりから少年課では一目置かれている。

 中でも少年犯罪を未然に防ぐことに関してはベテランに勝るとも劣らない。

 その手法は基本に忠実だ。

 管轄内の学校にコネをつくり、マメに会って話を聞く。

 ただそれを徹底して行うのだ。


「い、いやな……それがな……なんと言っていいかわからんのよ。とんでもないヤツが入学してきてな」


 中本のまぶたがピクリと動いた。

 おかしい。

 いつも余裕がある内藤がこんなに狼狽しているなんて。

 こんな内藤は初めてだ。


「その子がどうしたんですか?」


 語尾が間延びしなくなった。

 脳が仕事モードに切り替わったのだ。


「ああ。いやな……悪いヤツではないと思うんだ。そのな、昭和の番長というか……」


 どうにも歯切れが悪い。

 一生懸命庇っているように感じられる。


「あー! もうヤメだ! 正直に言う。一日で五人殴って三人病院送りにしやがった。でもヤツは正しい」


「いやいやいやいや。それアウトでしょ。サバンナの猛獣ですかそいつ!」


「明人に殴られた連中は女の子をレイプしようとしたんだ!」


「っちょ! それ大事件じゃないですか!」


「幸いなことに未遂で済んだんだ。全部明人のおかげだ。それにだな……これを見てくれ」


 内藤がカバンから明人から渡された資料のコピーを取り出し、中本に差し出す。

 中本は神妙な面持ちでそれに目を通す。


「どうやらウチの学校の教師が誘拐事件に関わってるかもしれないんだ……それも何人もだ……私はバカだ。教師だというのに子供がいなくなったことにすら気づかなかったんだ……」


 中本の目つきが変わった。


「先輩。これは内緒の話です。今、本庁のお偉いさんが何人もうちの署に集まってます。実は全国で連続誘拐事件が起こってるんです。うちの管轄でも何人も。おそらくこの管轄内で何かあるんでしょう。いえね、学校にはまだ警告出してません。本庁は教師それと警官が犯人の可能性も視野に入れてるんです」


「おい……その資料の最後……」


「ええ。ですのでこれは刑事課の信用できる人に渡します」


 そう言うと中本はニコッと笑った。

 中の良い先輩である内藤を安心させようとしたのだ。


「ところで……内藤先輩も隅に置けませんなー。不良少年と道ならぬ恋とは。ぐひゅひゅひゅひゅ!」


「ねーよ! バカじゃねえの!」


 即座に否定。

 だが脳裏に生徒会室でのやり取りが浮かぶ。


「ほほう。お前は『成り行き』で一日に三人も病院送りにするのか?」


「必要とあれば」


 あそこで言い切るなんて、今まで周りにいなかったタイプの男だ。

 ああいうのがモテるのか?

 たしかにカッコイイ。

 いやカッコイイってなに言ってる?!

 私は教師だぞ。

 それに10個近く上じゃないか!

 いやいやいやいや! そうじゃねえ!

 無いわー。無いはずだ!

 無いに違いない。

 ……でも。


「だりゃあああああああ!」


「ぴいいいいッ! 冗談っす! 冗談ですって!」


 内藤がキレたそのときだった。

 中本といた部屋に中年の男が駆け込んで来た。


「中本! 抗争ゲバだ! 署内の手が空いてる人間は全員出動! 10人以上怪我人が出てるらしい。なんでも学ランを来た若い男が殴りこんだとか言ってるらしい」


 その言葉に内藤の背筋に冷たいものが走った。

 思い当たる節がある。

 こんな無茶ができるのは一人しかいない。

 犯人の目星が付くと一気に怒りが噴出した。


「あんのバカアアアアアアッ!」


 内藤の怒り咆哮が署内に響き渡った。



 明人たちは目的地に着いた。

 明人を抱きしめながら花梨はとろーんとした目をしている。


「三島。大丈夫か?」


「え? ひゃい! 固いけどいい抱き心地でした!」


「何を言っている?」


「あ、何でもねーよ!伊集院、ここがやつらのたまり場だ」


 工場には『藤巻板金』という看板が掲げられている。

 なかなか大きい工場だ。


「この工場さ昔はいっぱい人がいてさ……なのに藤巻の親父さん死んじまって。それで藤巻もモトクロスやめちまったんだ」


 花梨はずいぶん親しげな様子であった。


「友達なのか?」


「昔、近所に住んでてさ。まー腐れ縁ってやつだ。でもさ最近は変な連中と付き合うようになってさ。少しは藤巻の気持ちがわかるかなと思って髪を染めたりしたけど……やっぱダメでさ」


 寂しそうな顔をする。

 そんな設定を全く知らなかった明人は掛ける言葉が見つからなかった。

 だから……


「三島。15分経ったらこの携帯で警察に電話しろ」


「アタシも行くよ!」


「お姫様は騎士の帰りを待つものさ」


「な、な、な、おひめしゃま!」


 花梨にはこれからの事は見せられない。

 それだけが明人にできる唯一のことだった。

 顔を真っ赤にしてフリーズする花梨に携帯を無理矢理押し付けて、明人は入り口へ向かった。

 店舗のシャッターは閉まっていた。

 明人はシャッターにそっと耳を近づける。


「うおおおお! 霞を霞を返せぇッ!」 


 男の叫び声が響いた。


「るせえ! もう売っちまったんだよ! もういいやコイツバラそうぜ!」


「クソッ! クソッ! クソッ! 殺す! 殺してやる! 村田ぁッ!」


「なんだその目はぁッ! 藤巻ぃッ! 昔からてめえは気に食わなかったんだよ!」


 藤巻が殴られているのだろうか。

 椅子を叩きつける音が響いている。

 音からすると相手は複数だろう。


 そして先ほどから明人の中で何かが引っかかっていた。

 藤巻。

 霞。

 妹。

 突如、明人の中の前世の記憶からある情報が呼び起こされる。


 水谷霞みずたにかすみ

 監禁された斉藤みかんと励ましあうロリ要員。

 義理の兄が助けに来てくれると言い続ける薄幸の少女。

 その壮絶な最期はネットユーザーの怒りを一身に集め、爆破予告祭りに発展。

 同じ頃、通販で手に入れたイタリア人が児童ポルノ所持で逮捕。

 その内容を見た偉い人が激怒。

 欧州議会の非難決議騒ぎにまで発展した。


 そうか。

 そうだったのだ。

 水谷霞は藤巻の妹だったのだ!

 

 明人は二階に駆け上がった。

 許さん。

 明人は激怒した。

 この世にロリを助けぬ大きなお友達など存在しない。

 戦車に追われた時よりも必死に駆け上がる。

 三階に駆け上がると、二階に相当する部分に大きな天窓が見えた。

 明人はごくりとツバを飲み込み。

 そして助走をつけ、天窓目掛けてダイブした。


 明人の足がガラスを蹴り破り、パリーンという音とともに大量のガラスの破片が降り注いだ。

 ただで床に落ちれば大怪我をする。

 だから……


 5点着地。

 実際に行うのはパキスタンの刑務所を脱獄して以来だ。

 肘をぶつけないようにしっかり締める。

 着地した瞬間、体の力を抜きながら足、膝、腰、背中、腕と着地して行き、さらに合気道の受身のようにローリングする。

 こうして落下の衝撃を分散したのだ。


 明人が起き上がると20人以上の視線が明人に集まった。

 明人は眼鏡を直しガラスを払った。


 明人は辺りを眺める。

 工場では短髪の男が頭の悪そうな髪の色をした集団に囲まれて倒れていた。

 あれが藤巻なのだろう。

 明人はカラーひよこ達を無視すると藤巻に話しかけた。


「藤巻隆二だな?」


「お、お、お前」


「水谷霞はまだ売られていない。マンションに監禁されているはずだ」


「ほ、本当か?」


「ああ本当だ。だから……助けるぞ!」


「で、でもどうするんだ!」


 明人は眼鏡をクィッと上げ、カラーひよこ達に言い放った。


「全世界のおにいちゃんの怒りを受けろ」


 そう宣言した瞬間、長いものが明人を襲った。

 チェーンだ。

 明人は全身の力を一気に抜き、地面に伏せた。

 チェーンは明人の頭の上を掠めていく。

 明人を通り過ぎたチェーンは地面に打ち付けられる。

 明人は這った状態から一気に飛び上がりチェーンを掴む。

 そのまま膝立ちになりチェーンを引っ張る。

 チェーン男。紫色のモヒカンが倒れこんだ。


 膝立ちになった明人に鉄パイプを持った男が襲い掛かる。

 取った!

 男は確信した。

 だが、次の瞬間振り下ろされた鉄パイプが打ったのは地面。


 膝行しっこう

 

 合気道などの日本武術独自の技法。

 元は神前での作法に由来する。

 正座した状態からの膝を使った移動技術である。


 明人は座ったまま鉄パイプ男の横に並んでいた。

 鉄パイプ男の手を掴みながら。

 手首を捻られたと思った瞬間、鉄パイプ男が宙に浮く。 

 それはいわゆる小手返しだった。


 明人は鉄パイプを持った手を上から握り潰し、鉄パイプをひったくった。

 そのまま起き上がり、ジャンプしチェーンの男の首の付け根に鉄パイプを振り下ろした。


「ぎゃああああああッ!」


 悲鳴と鎖骨が粉砕される音が響いた。


「死にたい奴からかかって来い」


 仲間を倒された火蜥蜴達。

 彼らは激昂し鉄パイプを振り上げ襲い掛かってくる


「死にさらせええええッ!」


 振りおろされる鉄パイプ。

 明人はそれを横薙ぎに迎撃する。

 ただし狙いは鉄パイプを掴む指。


 なぜか低い音がし、鉄パイプが宙に舞う。

 あまりの痛みに指を確認しようとする男の顔面に明人の拳がめり込んだ。

 

 明人は鉄パイプをもう一本拾いヌンチャクを背に構えるように二本とも頭の後ろに構える。

 そして右左右、左右左と連続で素振りした。


「このハッタリ野郎!」


 横薙ぎの鉄パイプが明人に迫る。

 明人は横からそれを弾きもう一方を顔面に叩きつける。

 ハッタリなどではなかった。


 四人が一瞬で倒されると、さすがに明人に迂闊に近づくものはいなくなっていた。

 明人は無造作に藤巻に近づいていく。

 そして鉄パイプを差し出す。


「藤巻。自分の手で奪われたものを取り戻せ」


「お、お前……恩に着るぜ!」


 よろよろと藤巻は立ち上がる。

 それを見て明人は怒鳴る。


「村田ァッ! 藤巻と戦え! 勝てたら見逃してやる」


 明人は村田を指した。

 がま蛙のような顔をした村田は、癇に障る声で喜んだ。


「げひょ! げひょひょひょひょ! おいおい。いいのかよ! そんなくたばりぞこないで!」



「お前は神聖にして崇高なる『兄ちゃん』には絶対に勝てない」



 お兄ちゃんの全てを懸けた戦いが始まった。

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