19:異物の信条

 もはや単純に逃げ切ることは難しい。

 幽刻も半分の一時間を過ぎたころ、さすがの交輪も状況をかんがみて、そう判断せざるを得なくなった。

 当初、交輪は学校を離れて街へと逃げ去ってしまうことを考えていた。鬼ごっこにおけるルール違反にして必勝法、逃げていい範囲など決めずに、とにかく遠くに逃げ去ってしまおうという算段である。

 幸い、幽刻環境下ではあらゆる壁や塀は幽体化ですり抜けてしまえるため、当初この案が一番現実的で、確実な方法だと思っていたのだ。

 だが実際に逃げてみて、交輪のこの逃走プランはそのことごとくが頓挫した。

 要因はいくつかあるが、最大の問題は敵の数がやたらと多かったということだ。


 青衣を抱えて逃げる際中、交輪は行く先々で自分たちを探し回る影たちと遭遇することとなっていた。どうやら敵は影たちの数にものを言わせて人海戦術で交輪を探し回っているらしい。

 もちろん、一体に見つかっただけならばそいつを倒すなりやり過ごすなりすればよかったのだが、厄介なのがこの敵がインターネット出自の存在故なのか、情報共有の速度がやたらと早かったということだ。


 そして、幽刻という環境下故に、壁などをすり抜けられるというのは影たちにとっても同じこと。

 結果として生まれるのは、影の一体にでも見つかろうものなら、学校中に散らばった影たちが壁をすり抜け一直線に、最短距離を走って押し寄せてくるという厄介な状況だった。

 都合三度の遭遇の際は、なんとか幽体の影に身を隠すなどしてやり過ごすことができたが、しかしそれでも着実に包囲網は狭められ、交輪達は今学校の裏山とでも呼ぶべき場所へと追いやられ、木々に覆われた急な斜面を息を切らしながら登る羽目になっている。


「……工和、君、……私は、もう」


「うっせぇ。黙って抱えられてろ」


 肩で息を切らしながらも、何やら不穏なことを言い出しそうな青衣の言動を無理やり封じて、交輪は一歩一歩、裏山の急な斜面の上へと進んでいく。

 いくら相手が軽い女子で、交輪が赤熱強化と言う身体能力を向上させる能力を使えたとしても、それでも人一人抱えて急斜面を逃げ回るというのはやはり体力的にきついものが有る。

 幸い、全速力で逃げ回っていたため影たちの姿は見えなくなったが、それでもすでに包囲されているだろう現状、追いつかれるのはやはり時間の問題だ。


(だが、どうする……。幽刻はまだ一時間近くある。このままあの影どもから一時間逃げ切るのは多分無理。鬼ごっこで敗北確定なのだとしたら後は、――?)


 と、そうして善後策を検討しながら交輪が斜面を登っていると、交輪の進む雑木林の先が急に開けて、どこかで見たような建物が現れる。

 全体的に酷く古い、あちこちに汚れの目立つ、そんな建物。


「なんだ、これって」


「……多分、旧校舎だと、思います」


 言われて、交輪もようやく以前木林と話した会話の内容を思い出した。

 老朽化していて、立ち入り禁止の扱いを受けているという旧校舎。以前遠目に見たことのあるそれに、言われてみれば目の前の建物は酷似しているように見えた。


「ちょうどいい、か」


 意を決し、立ち入り禁止のプレートが付いた鎖をすり抜けて、交輪は足早に、とりあえず二階の教室の一つへと入り込む。どうやらこの場所、倉庫、と言うよりも壊れた椅子や机などの仮置き場として使われているようで、適当に選んで入った教室の中には足の折れた机などがあちこちに転がっていた。

 部屋の中に入ってようやく青衣を下ろし、交輪はようやく一息ついて、どうにかその場で疲弊した体を休ませる。


(クソ、ミスったな。鞄を捨てて逃げてきたのは失敗だったか。今あるのっつったらカッターの替刃が何本かと、手帳とシャーペンくらいか? クソ、武器になりそうなもんカッターと……、ああ、そういや昼のあれもあったか……。あとは――)


 荒い息で座ったままポケットを探り、そこに入っていた物品の少なさに舌打ちしながら、ならば青衣の方は何か役立つものは持っていないかと彼女の方へと視線を移す。

 だがそこにいた青衣はと言えば、交輪のように座り込むというよりも、ほとんどへたり込んでいるようなそんな状態で、相変わらず前髪と眼鏡で視線を隠したまま、それでもジッと真下の、幽体化した床を見つめていた。


(……)


 そんな様子に、交輪は一度ガリガリと頭を掻いて、とりあえず青衣に対して何を話しかけることにする。

 幸いと、そう言っていいのかは不明だったが、しかし交輪の中には一つだけ、青衣に問いただしておかなければいけないことがあった。


「……なあ藍上。お前あいつをかばってたのか?」


「―-!!」


 単調な、たった一言のそんな問いかけに、青衣は肩をビクリと震わせて反応し、そして直後にうつむいたままの状態で、一度だけ頷いて竜昇のその考えを肯定する。


「そうか。やっぱりな。それで俺には、あいつのことを話さなかったって訳か」


 交輪が気になっていたのは、青衣が交輪に対して白美の存在を隠していたことの、その真意だ。

 これまで、青衣は白美が自身と同じく交輪の手帳を見ていたことを知りながら、明確な意思を持ってその事実を交輪に対して隠し続けていた。正直言って隠し事をされていたのだと思うと不快感が無いわけではないが、しかしかばっていたのだと考えるとその行動にもある程度納得がいくというものだ。

 ただし、それで納得できたのは、あくまでも交輪ただ一人だったらしい。


「……怒らないん、ですか?」


「あ?」


「なんで、怒らないんですか。ずっと、ずっと私は、工和君に隠し事してたのに……」


「別に、特段怒ることでもねぇだろ。誰かをかばってたなんて、そんなの」


 交輪自身、自分が万人受けするような性格であるとは毛ほども思っていない。

むしろ近寄りがたく、付き合いにくく、そして紹介しづらいという、そんな三拍子がそろった人間だという自覚すらあるくらいだ。実際幽刻関連の事情が無かったら、明らかに交輪のようなタイプを苦手としているだろう青衣のような人間に、むざむざ自分から近づこうなどとは思っても見なかっただろう。


 それだけに、そんな交輪との接点が、それも手帳を盗み見たことが発端という、いやな形の接点が生まれないよう、青衣が誰かをかばっていたのだと聞かされても、交輪はそれに対して怒りの様なものは感じられない。交輪が自身の中に怒りの感情を抱くとしたら、それよりもむしろまったく別の事柄だ。


「んなことより、むしろお前は怒らないのかよ、藍上」


「―-え?」


「友達だと、少なくともお前はそう思ってたんだろうが、あの女のことを」


「―-ッ!!」


 図星を刺されたからなのか、青衣の驚いたような視線が眼鏡と前が根の二重防壁をすり抜けて交輪の元へと向けられる。

 だが交輪にしてみれば、これまでの青衣の態度と、彼女から聞いた断片的な情報でその程度のことは容易に推測できる真相だ。


かつて青衣を眼鏡の修理のためにメガネ屋まで送った際、その眼鏡の仕上がりを待つ間に、青衣は一度だけ、彼女の唯一の交友関係を口にしていたことがある。

とは言っても、その時青衣は明確にその相手を友達とは呼ばなかったし、相手の名前も口にしたわけではなかったが、しかし席が近い、同じ掃除当番の相手となればおのずと絞り込めるというものだ。

 そもそもの話、まだ入学して間もない現在、席の並びはそれこそ初期の出席番号順のそのままだ。

 そうなれば、当然藍上青衣に次ぐ“あ”から始まる名前を持つ愛川白美のその席は、青衣のすぐ後ろの、非常に近しい距離ということになる。

 その上でさらに、先ほど白美自身も白状したように掃除の当番も一緒となれば、もはや白美が青衣から友達だと思われていた、その相手と同一人物であろうことは想像に難くない。

まあもっとも、この程度のこと、むしろクラスメイトなら推理せずとも把握できているはずの話なのだが、それはともかく、である。


「友達だと思ってて、だから庇ってたんだろうがお前は、俺みたいなやつからあいつのことを。なのにこのやり口、腹とか立たねぇのかよ。お前あいつに裏切られたんだぞ。それも一度や二度じゃねぇ。友達面して近づいておいて、裏ではお前を嫌がらせの標的にしてやがったんだ」


「――そんなのッ、……私が、勝手に思ってたって、思い込んでたって言う、だけじゃないですか」


「ハッ、だから悪いのは自分の方ですってか? ここまでのことやられといてよくそんなことが言えるな」


 どこまでも卑屈な青衣の言葉に、交輪は苛立ちすら覚えてそう吐き捨てる。

 交輪としてはこれ以上、この話題を続ける気にもならなかったのだが、しかし意外なことに交輪が放ったその一言に対して、青衣の方が小さく、しかし確かに反応を返してきた。


「……そんなの、仕方、ないじゃないですか」


「……あ?」


「だってそんなの、仕方ないじゃないですかッ!!」


 俯きながら、しかし声を荒げて放たれたそんな言葉に、流石の交輪もしばし唖然とする。

 だが何かのスイッチでも入ってしまったのか、目の前の少女の叫ぶ声は止まらない。


「仕方ッ、ないんですよ。……だって私ですよ。こんなッ、暗くて臆病で、意気地がなくて卑屈で……!! わかって、るんですよ、自分が人から好かれるような人間じゃないことくらい。こんな人間、嫌われて、当然だってことくらい……!!」


「……当然?」


「私だって、自分で、それくらいのこと、わかってます……。わかって、るんですよ……。だって私自身、自分のことなんか嫌いですから……。自分の悪いところが嫌というほどわかってるくせに、それを直せない自分が、大嫌いですから……!!」


 言葉を詰まらせ、時に擦れさせながら、青衣は泣き出しそうな声で自分自身を否定する。

 たとえ褒められたものではないとわかっていても、人間の性格というものはそう簡単には変えられない。それは形こそ違えど、やはり決して褒められたものでない、そんな性格の持ち主である交輪自身がよくわかっている。

 人間の性格などというものはそう簡単に変わるものではない。どんなに自分自身を嫌っていても、その性格は依然変わらず嫌った形のものであり続ける。


「むしろ工和君は、なんでッ、こんな私に付き合ってるんですか?」


「あ……?」


「もう、いいじゃないですか。こんな私に、工和君が無理して付き合うことなんてないんですよ……!!  愛川さん達が追っているのは私なんですから、こんなの、私が少しッ、我慢すればいいって、それだけのそういう話です。こっちの気も知らない癖に、無理やり、こんな風に構おうとなんて、しないでください……!!」


 ほとんど自暴自棄のように、言葉を詰まらせながらそこまで叫んで、再び青衣は力尽きたように肩を落として消沈する。


 おとなしく、主張せず、ほとんど言葉を発しなかった少女の、初めて聞く大きな叫び。

 こいつはこんなに声を出せたのかと、普段の交輪だったならばそんな場違いな感想すらこの場で抱いていただろう。


 だがしかし、今の交輪の精神状態は決して平常時のそれではなく、それゆえ直後に取った行動も普段の交輪よりも数段過激なものだった。


 立ち上がり、一気に青衣へと距離を詰め、同時にその胸ぐらをつかんで無理やり引き寄せ、その額に向けて思いきり頭突きを叩き込む。


「――っ、あ――!!」


 悲鳴を漏らし、よろける少女の体を無理やり引き戻し、今度は無理やり目線の高さを合わせて、青衣の目を強引に覗き込む。前髪と眼鏡の防壁を突破して、交輪の視線が青衣の瞳に直接届く。


「舐めてんじゃねぇ。なにが『もういい』だ。適当な理由でヤケになりやがって!! 自分の気も知らないでつったな? だったら当ててやろうか?

 『どうして自分がこんな目に』か?

 『友達だと思っていた相手に裏切られて悲しい』か?

 それとも『関係の無いクラスメイトを巻き込んで申し訳ない』か? それとももっと単純に『巻き込んで迷惑をかけるのが怖い』か?

 『どうにもならないのに抗うのがつらい』か?

 『あれだけたくさんの人間が自分の不幸を願ってるなら、それに従うべき』とでも思ったか?

 『悔しい』『悲しい』『怖い』、あるいは孤立して『さびいし』『心細い』か? 『ここに居たくない』『いっそ消えてしまいたい』『もう何も見たくない聞きたくない』、挙句に『もう死んでしまいたい』とでも思ったのか――!!

 さあどうだ。答え合わせだ。一つくらいは当たったか言って見ろ!!」


「――な、ぁ……!!」


 マシンガンのようにまくしたてられて、青衣は目を見開いて驚き言葉を失う。だがそんな反応すら、交輪にとっては予測できた反応だ。


「舐め腐ってんじゃねぇ。こんな状況でテメェが考えそうなことくらい、ちょっと想像力が働きゃ見当くらいつくんだよ。ああそうだ。別にこんなもん、お前の気持ちなんてもんをわかって行ってるんじゃねぇ。共感して(わかって)なくとも理解できる(わかる)ってだけのそういう話だよ」


 ついでに言えば、交輪はそもそも自分の発した言葉のどれかが、本当に青衣の思いと合致していたとすら思っていない。

 こんな極限の状況下で、この気弱な少女がそんな“まとまった思考”ができるはずがないのだ。

 恐らくはぐちゃぐちゃになっているだろう頭の中。具体性を持たない恐怖や不安と言ったマイナス感情の坩堝。具体的な言葉にならないそんな感情は、しかしだからこそ“それらしい言葉”で言い表してしまえば本当にそうだったように、まるで言い当てられたように思えてしまう。

 そういう意味でも、交輪は青衣の気持ちを“理解できてわかってはいる”が“共感してわかっていない”。


「ああそうだ。俺にはテメェの気持ちなんざさっぱりわからねぇ。この期に及んで無抵抗なんて、こいつ馬鹿かとしか思えねぇ!! だがなぁ、そもそもお前の気持ちを分かってくれる奴の言うことだけが、お前を助けてくれる正しい言葉だなんて思うなよ……!!」


「――っ」


 結局のところ、交輪は青衣の気持ちに共感などできていない。推測で『こうだろう』と考えることはできるが、それは青衣が求めているであろう『共感』とは程遠いただの『理解』、『理屈で解っているだけ』だ。

 だが、下手に共感していないからこそ、第三者の立場に立っているからこそ、そこから見ていてわかることがある。


「おまえどんな気分でいようがいまいが、今やるべきことは変わらねぇ。おまえはあいつらから逃げるべきだし、捕まりそうなら死に物狂いで抵抗するべきだ。目の前の俺に助けを求めるべきだし、そのためなら生き残る意地を見せるべきなんだ。でなけりゃお前、あんな怪力ゾンビみたいな連中に集団で群がられてみろ。あの女にそのつもりがなくとも、冗談抜きで八つ裂きにされるぞ!!」


「―-ぅッ……!!」


 交輪が突きつけた事実に、目の前で目をそらすことすらできずにいた青衣の瞳が恐怖に染まる。

 恐らく、先ほど捕まった時点でその可能性には薄々気づいていたのだろう。それでもおとなしく捕まった方が楽だなどと考えていたのなら、本当にそれは心底甘い考えだ。


「それにテメェ、さっき嫌われるような欠点が多いから、だから何されてもしょうがないみたいなことぬかしてたな。じゃあ何か? お前は最高に性格の良い、完璧超人や聖人君主でもなけりゃ、嫌われようが排斥されようが、最悪殺されようがしょうがないんだって、そう言うつもりかよ?」


 先ほどから聞いていて、交輪があるいは諦めを口にした時以上に頭に来たのがその部分だ。彼女にそんなつもりはなかったのだろうが、それでも“自分にも当てはまってしまうがゆえに”、交輪は青衣のその発現が一番聞き捨てならないと感じていた。


「俺は御免だぞ。……ああそうだ。俺はそんな生き方は意地でも御免だ。俺だって自分の性格が決して褒められたもんじゃねぇってことは知ってるがな。だからって俺は、自分が何をされてもしょうがないとか、排斥されるのが当然だなんて、そんな風には絶対に思わねぇ」


 目の前にある青衣の両目、前髪や眼鏡の向こうにある彼女の意識を直視しながら、交輪は一切の容赦なく、自分が決めた自分の生き方を言葉に変えて暴露する。

 身勝手だと言われようがなんと言われようが関係ない。自分がこうと決めたその生き方を、あまりにも弱い目の前の少女へと宣言して見せる。


「俺は曲げねぇぞ。俺は自分の人間性を曲げてなんかやらねぇ。俺はこう言う性格のまま、こんな集団の中じゃ異物みたいな性格のそのまんまで、人の輪って奴にしがみついて、その一部にキッチリ交わってやる……!!」


 視線の先で、前髪と眼鏡の向こうの瞳が色を変える。

 交輪に詰め寄られ、諦観から恐怖へと色を変えていた青衣の視線が、今度は衝撃を受けたような、驚きに満ちたものへと色合いを変える。

 その様子に交輪の方もようやく気が晴れて掴んでいた青衣の胸ぐらから手を離す。

 同時に我に返り、これからどうするべきかという、眼の前の問題に思考が立ち戻ろうとしたちょうどそのとき。


「―-ふぅん。あっそ。工和君って、そんなこと考えてたんだ」


 不意に旧校舎の教室内に、どこか冷ややかな、そんな声が響いてくる。

 わざわざ振り返らずとも、その声の主が誰かはすぐにわかった。そもそもこの幽刻内に、言葉を発することができる人間は三人しかいないのだからそれは当たり前だ。

 実際予想通り、振り向いたその先、旧校舎の教室の、その後ろの方から見覚えのある人影が歩み出てくる。


「愛川――!!」


 否、現れる気配は一つだけではない。続いて最初に現れた人影のすぐ隣に彼女自身のものと思しき影が現れ、さらに周囲の壁の向うから、幽体越しに黒い影の姿が見え隠れしている。

 もはや疑う余地もない。交輪達が揉めているその間に、この廃校舎の一室は、悪意の影たちによって完全に包囲されてしまっていた。

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一〇三時間後の幽刻に 数札霜月 @kazuhudasimotuki

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