15:影か人影か

 そうしてその後、次の幽刻を迎えるための待ち合わせなどを済ませて、その日交輪は青衣と別れることとなった。

 遠慮する青衣に対して、レストランでの代金を交輪が無理やり払い、それぞれ分かれて帰路につく。交輪としては昼食を共にすることも考えたのだが、青衣の様子を見て今日のところはやめておくことにした。

 自分の駅で電車降り、帰りがけにファーストフード店で昼食を買い、妹も出かけて無人となった家へと帰り着く。

 そのまま昼食を済ませて、気晴らしに先日買った大作RPGにでも手を付けようかと考えていた交輪だったが、しかし直前に思いついて昼食の袋を持ったまま二階の自室に上がり、机の上のパソコンの電源を入れた。

 パソコンが立ち上がるのを待ちながらハンバーガーの包みを開け、デスクトップ画面からインターネットを起動させる。

 頭の中にあったのは、藍上青衣と言う自分以外の入刻者の出現によって浮かび上がった、一つの可能性。


(もし仮に俺以外にも幽刻で動ける奴がいた場合、そいつがどこかで情報を発信してたりしないだろうか?)


 今までは交輪以外に幽刻について知る人間がいないと思っていたから調べようともしなかったが、他にも人間があの時間に入刻する可能性があるというなら話しは別だ。更なる情報を得る意味でも、そういった人間を探す意味は十分にある。

 とは言え検索キーワードに『幽刻』は使えない。いや、一応使って調べてはみたが、やはりこの名は交輪が勝手につけただけの名前なのだ。いくつか全く関係のないホームページがヒットしたくらいで、関係のありそうなものは全く見つからなかった。


(考えてみりゃ、この手の話に共通する名前がないってのは不便極まりねぇな。都市伝説にでもなってれば勝手に名前が付くんだが……。いや、そうか都市伝説だ)


 思い立ち、検索キーワードに『都市伝説』と入力してそういった話のまとめサイトを探し出す。そういったところでまとめられている話の中に、幽刻と同じような状況についての体験がアップされていないかと考えたのだ。

 とは言え、やはりと言うべきなのか、世の中はそんなには甘くない。


「なんつうか、都市伝説って意外とたいしたことないのが多いんだな……」


 いくつかの都市伝説の概要だけ読んで、気になった話の詳細を読むという形で調べていた交輪だったが、昼食を食べきり、調べたまとめサイトの数が五つを超えるころにはさすがに飽きて眠気が襲ってきていた。

 出てくる都市伝説の数々は、想像していたのと違いただの偶然で済ませられてしまう話が多く、さらには嘘であることが説明づけられていたり、幽刻とは何の関係もなさそうな陰謀論だったりと、求める情報としての価値は皆無だったのだ。

 それでも、共通する部分、多少関連を疑える話はいくつか見つかったのだが、しかし同じ幽刻が関わっているにしては矛盾する点が有ったり、そもそも幽刻の存在を考えても不可解な話であったりと、それが本当に幽刻と関係しているかどうかまではわからなかった。


 続けてもっと直接的な幽刻の体験談がないかと、『幽霊』『時間停止』『一〇三時間』など、幽刻の特徴と言えるキーワードを片っ端から入力して検索をかける。

 だがこちらもやはり決定的な体験談は見つからず、それどころか出てくる情報は『心霊スポット』の類や素人が書いたネット小説など、むしろより情報と言える代物からは遠ざかった印象だった。


「……あ、この小説ちょっと面白い」


 結局、空が茜色に染まるころには念のためにと読んでみたアマチュア作家の作品にどっぷりとはまり込み、画面横のお気に入り欄にそのサイトを登録している始末である。

 小説を読み終えて一度パソコンを閉じ、体を伸ばして固まった筋肉をほぐして考える。


(やっぱネットの海は広いな……。これじゃたとえあったとしても見つけられん)


 ベッドに横になり、とりあえずネットで同一の体験をしている人間を探すのはあきらめることにする。

 一つの方法として、こちらから情報を発信して体験者を探すという手段も考えないではなかったのだが、それをやると不特定多数の人間に幽刻の情報が知れ渡ってしまう可能性があるため当然のように却下した。ただでさえ、幽刻の知識が入刻の条件となっている可能性が考えられるのである。仮にネットなどで不特定多数の人間に広まるようなまねをすれば、それによって大量の入刻者を生み出す結果にもなりかねない。


(……まあ、それでも入刻してきた人間が善良なやつ等ばっかだったら問題もないんだろうけど……、そんなわけもねぇよな……)


 時間が停止して常人には知覚されず、あらゆる物体が幽体化して意味を失う幽刻と言う現象は、犯罪を行うにはまさにもってこいの環境だ。物体に触れないという制約があるため、盗みを行うのは難しいかもしれないが、しかしそれでもあの幽刻と言う現象を犯罪に悪用する方法など、交輪が軽く考えただけでも何通りも思いつく。


「犯罪……、犯罪か……」


 改めてその言葉を口にして、ふと交輪は昨日の文字の塊、あの黒い影の怪人のことを思い出す。

 これまで、交輪はあの怪人の正体を、幽刻と言う環境で生まれて襲い来る化け物か何かではないかと考えていたわけだが、しかし別の可能性と言うのもないわけではないのだ。


 すなわち、誰かがあの影を生み出し、操って、人を襲わせる犯罪行為を働いているという可能性である。


「……まさか、なあ……?」


 あの幽刻環境下において、工和交輪と言う少年は自身を強化する赤熱強化と、物体と幽体を融合させる融合現象と言う、二つの異常を起こして見せた。

 ならばあの文字の怪人も、何者かが引き起こした異常な現象、否『能力』であるという可能性とてゼロではないのではないだろうか。

 影が何者かの発現させた能力である可能性。はたしてそれはいかほどのものなのか。


「……だとしたらなんだ? あいつはなんで襲ってきた?」


 幽刻について知った青衣への口封じ、ではないように思う。それなら同じように入刻した、そもそもの情報ソースであるところの交輪の存在を、あの影が無視していた理由がわからなくなるからだ。

 あの影は明らかに青衣に対して敵意を示し、交輪をそっちのけで彼女一人を狙い、襲ってきていた。青衣のことも最初から知っていた節があるし、狙いは最初から彼女だったとみて間違いはない。


「……いや、そういえばあの黒いの、俺のことも知ってるような節があったな」


 記憶を手繰り、そういえば影の顔に遭った画面の中に、『クワ』と言う文字もまた流れていたのを交輪は思い出す。あの時あの瞬間、確かあの怪人は交輪の存在を認識し、それが工和交輪と言う人物であることを理解していたのだ。

 つまり、あの影は、あるいは影の生みの親は知っているのだ。入学して間もない、藍上青衣と工和交輪と言う二人の生徒を、あの学校と言う環境の中で。

 そんな相手、今のあの学校内にはクラスメイトしかいない。


「……あの三人」


 クラスメイトで、青衣に対して危害を加えたがっている人間など、交輪にはたったの三人しか思い浮かばない。すなわち、先日交輪が幽刻内でマヨネーズをぶっかけた女子生徒三人組である。思い返せば、最初に影が発生していたその場所が、確かその三人のうちの一人が座っていた席だったようにも思える。


「となると、犯人はあいつらか?」


 口にしてみて、しかし直後に交輪はその考えも早急だと考え直す。影の存在が人為的なものであるという可能性だって、言ってしまえば現段階ではまだ可能性の一つにすぎないのだ。

 幽刻の理が未だはっきりしていない現状、あの怪人が自然発生的な存在である可能性も十分すぎるほど高くある。

 加えてあの三人、昨日はほとんど注意してはいなかったが、しかし幽刻を抜けた後も特に変わった様子はなく、少なくともあの影を倒してしまったことによる影響を受けた様子はなかった。交輪に対して何かを言ってくることもなかったし、それほどあの影との直接的なつながりがあったようにも思えない。


(いや、かといってまったくの無関係とも言い切れないか……)


 交輪とて物心つくころからアニメや漫画に囲まれて育った、いわば訓練されたオタクだ。情報不足で論理的な推論が立てられなくとも、一つの発想の飛躍の形として、それらしい設定の一つや二つは簡単に思いつく。

 当初交輪があの影の正体、その“設定”として思いついていたのは、あの影が人の悪意が集まって、幽刻という特殊な環境故に生まれた怪物である、というものだった。

 悪意などの良くないものが集まって怪物になる、というのは、それこそ漫画などでは結構あちこちで見られる設定である。そう言った作品群を思い出して、交輪は当初からあの文字の怪物が、それに近い存在なのではないかと印象だけを根拠に思っていたのだ。


(もしそっちの可能性があたりだとしたら、あの三人のうちの誰かがあの影の犯人、ではなく発生源って可能性は出てくるか)


 もちろんこの仮説にも大きな穴がある。

 特に大きいのが、悪意が直接形をとるというのなら、なぜこれまで交輪が無事でいられたのかがわからないという点だ。

 いっそ青衣とは別の意味で卑屈とも言える考え方だが、しかし交輪は自分が万人に好かれるタイプの人間だとは思っていない。そんな自分が無事で、しかも何の片鱗も感じていなかったというのに、青衣の方は入刻したとたんに襲われたというのは少々納得できないものがある。


(もしくは、あいつに対しての悪意は明確に、形に残るものがあった、とか……?)


 ふとパソコンの画面を見てそんなことを思いつき、交輪はその考えを詰めつつ自身のベットから起き上がる。

 相変わらず根拠のない、妄想の域を出ない推測ではあったが、しかし学校関連の形に残る悪意として、一つ思い当たる節があったのだ。


「こういうことを知ってそうなのは……」


 スマホを手に取り、登録数の少ないアドレス帳から一つの番号を選び出す。そういえばあいつ今日は何してるんだろ、等と考えながら電話してみると、目当ての相手の声と共に妙な騒がしさが電話口からきこえてきた。


「やあ交輪。君から電話なんて珍しいじゃないか。明日は目覚まし時計でも降るのかい?」


「なんでテメェらは俺が何かするたびに機械を降らせたがるんだ。んなことよりなんだそっち? 随分騒がしいな」


「いや、実は今ちょっと決起集会みたいなことをやってるんだけど、先輩方のタガが外れて皿が飛び交っててさ」


「決起集会!? お前俺の知らない所で何してんの!?」


 思わず電話の向こう、そこにいるはずの木林生基へとツッコミを入れる。

 あまり交輪の知らない所で何をしているかわからない友人ではあったが、まさか決起集会などと言う単語を自分の人生の中で聞くことになるとは思わなかった。


「って言うか何よそっちの音、どうなってんのよそっちの状況!? なんか聞こえちゃいけない断末魔みたいな声まで聞こえてきてんだけど……!!」


「ああ、気にしなくていいよ。僕はもう気にしないことにしてるから。それより、そっちはいったい何の用?」


「……そっちのその音を聞きながら話せってのかよ、ったくよぉ……」


 ぼやきながらも、しかしかけなおすという選択肢は今の交輪にはない。前回は事なきを得てはいるものの、しかし起きている事態は実はかなり深刻なのだ。せめて関連する情報くらいは次の幽刻を迎える前に早めに集めておきたい。


「あー、ちょっと聞きたいんだが。お前ってうちの学校の裏サイトにはどれくらい詳しい?」


 聞いて、その瞬間に音が止まった。まるで何かの冗談のように、電話向こうで聞こえていた喧騒が、誇張なくその瞬間にぴたりとおさまったのだ。

 同時に、電話口から幾分硬くなった木林の声が聞こえてくる。


「あー、交輪。君なんでまた突然そんなことを?」


「あ? いや、ちょっとトラブルに巻き込まれててよ。それにもしかして前に聞いた裏サイトってのが関わってるんじゃないかと思ったんだよ」


 木林に次げた言葉は嘘ではない。実際交輪はあの文字の影の大元として、以前木林から聞いていた、自身の通う学校にあるという裏サイトの存在をおぼろげながらも連想していたのだ。

 大きな理由としては影の姿、文字で構成された体や画面のディスプレイ、加えてそこを流れる動画サイトのコメント表示のような文字の数々が、ネットで使われる表示形式と似通っていたというのがそれにあたる。それでいて交輪や青衣を知っているとなれば必然学校関連、しかも“悪意の形”となったときに思い浮かんだのが、件の裏サイトの存在だったのだ。


「とりあえず何でもいいから教えてくれないか。もとよりそう言うのがあるってこと以外は何も知らねぇんだ」


「……ちょっと待っててくれ。かけなおすから」


 交輪としては軽い気持ちで問いかけたつもりだったのだが、思いのほか重い返事が返ってきて直後に電話が切れる。

 確かに後ろ暗い話ではあるが、そこまで言うのもはばかられる内容なのかとそんな感想を抱いていると、数分ほどで木林から折り返しの電話が返ってきた。


「すまない。待たせたね交輪」


「いや、別にいいんだけどさ。なんだ、そんなヤバイ話なのか? 俺は別にマフィアの内情とか探りいれたつもりじゃなかったんだが」


「ああ、いやそういう訳じゃないんだよ。ただこっちの事情とタイミングが合いすぎただけで」


 なにやら気なる言い回しだったが、しかしそちらを問うても話が本筋からずれそうだと判断し、交輪はすぐ話の本題にはいることにする。

 重ねて言うが時間がどれ程あるかはわからないのだ。今まで会うことのなかった怪人が昨日の次回ですかさず襲ってくるかは微妙なところだったが、しかし一方で幽刻を警戒するとなるとそのインターバルはたった一〇三時間しかない。すでに一日以上を消費していることを考えれば、他のことに首を突っ込んでいる猶予はさすがに無い。


「さて、まず何から聞きたい? 一応わかる範囲でなら一通り答えるけど」


「まあ最大の欲を言うなら、そのサイトの利用者と元締めがだれか知りたいんだが。確か最近、管理人が代替わりしたとかって言ってたよな?」


「さすがにそれは無理だよ。こっちもそこまでは調べは進んでないし、知ってたとしても個人情報だ。そうおいそれと言いふらせないよ」


 予想通りの答えに交輪もまあそうだろうと納得する。これに関しては、木林生基と言う友人がそういう人間だと知っているが故の納得だ。

 ただ一つ気になったのは木林の『そこまでは調べが進んでない』という発言の方だった。

 そこまでは。

 では一体どこまでは調べていたのだろう。


「まあ、それじゃサイトの概要を大まかに語っとこうか。

 この裏サイトができたのは大体二年くらい前。って言っても最初は学校での話題を話すだけのそれほど当たり障りのないサイトだったみたいだ。人数もこの頃は大分少なかったらしい。それがだんだんと話題に愚痴が混じるようになり、それが悪口に発展し、人数も大分増え、さらにはサイトそこのものがそういう方向を意識してバージョンアップして、今の裏サイトなんて呼ばれる形になったって流れみたいだね」


「なんつぅか、そう聞くとありがちな流れに聞こえるな。実際ありがちなのか?」


「まあね。元々学校関連の情報交換コミュニティから発展する場合が多いから、そう言う意味じゃありがちかもね。まあ、最近はSNSとかの形をとる場合も多いから、古風……、って言うには少し早いかもしれないけど。

 話を戻そうか。現在のサイトを積極的に利用している利用者は三十人前後。見ているだけの人間とかならさらに倍くらいじゃないかって言うのが先輩の見立てだ。この中には驚くことに僕たち一年生も含まれている。たかだか入学してひと月でって言うのは結構驚きだよ」


「先輩?」


「ああ、それは……、いや、話が脱線するから今度にしよう。それより肝心なのはサイトがどんな風に運営されてるかだけど、正直かなり質が悪い」


 予想通りの木林の言葉に、交輪も内心『まあそうだろうな』と納得すら覚える。実際お上品なサイトであったならば“裏”サイトなどとは呼ばれていない。

 とは言え事前に予測しておいたとしても、実際に言葉として聞くのでは受ける印象が全然違う。


「一応大雑把に語っておくと、常態化しているのが他人の悪口、社会問題化してる誹謗中傷の類がしっかり完備されている形だ。先生に始まり、先輩、クラスメイト、後輩、と、まあとにかくムカつく奴として挙げられた人間について、それを知っている人間がこき下ろす、と言うのが常態化しているみたいだ。しかも言われていることの正確性にはかなり疑問がある。どうも話が盛り上がって来るとその人間について知らなくともあることないこと言いまくって、火に油を注ぐような真似をしている人がいるみたいでね……。

 一応、標的にされている人の名前は本名でなくイニシャルや仇名で呼んではいるようだけど、これはどちらかと言うといちいち名前を打ち込むのが面倒だから略称を使っているって感じだな。個人の特定に関してはほとんど配慮されていない」


 聞いていて交輪は、あの影が使っていた『AA』やら『ア行ちゃん』と言った呼称を思い出す。イニシャルや仇名と言うなら、『AA』も『ア行ちゃん』もまさしく藍上青衣のそれだ。

 対して、交輪に対する呼称が普通に『クワ』だったことを考えると、もしかしたら交輪については裏サイトでも話題にはなっていないということのかもしれない。

 それでホッとするべきなのかは、また別の話だが。


「でも、これくらいならまだかわいい方なんだ。最近どうもこれに実害を伴う行為の発表、嫌な呼称を使うなら『武勇伝』の発表が始まってるらしい」


「『武勇伝』?」


「ああ。要するにサイトで語られている『嫌な奴』に対して、『やってやったぜ』って言う報告を上げるって言うのがね。ここまで言えば何となく内容はわかるだろう?」


「……ああ。反吐が出そうだよ」


 悪戯、いじめ、嫌がらせ。そういった行為の活動報告を『武勇伝』として挙げていく。普通であれば眉をひそめる行為であっても、そんな他人に対する悪感情を煮詰めたようなサイトの住人達には絶好の話のネタだろう。善良な市民が殺されれば心を痛める人間も多いだろうが、その人間に悪感情を持つ人間が多ければ、その分心を痛める人間の人数はグッと減っていく。

 実話と噂そして作り話を材料にした悪人と、その悪人に正義の鉄槌を下す武勇伝の生産体制。知る者の少ない学校の裏側ですでにそんなものが出来上がっているのかと思うと、ひねくれていると言われる交輪でも本当に吐き気がするような気分になって来る。


「最近では写真なんかまで証拠としてアップする連中まで出てきてるらしい。まだ数は多くないし、入り込むのには登録とパスワードが必要なサイトだから表には出てきてないけど、流出でもすれば大ごとになるだろうな」


「それは俗にいう手遅れって奴じゃねぇの?」


「まあ手遅れだね」


 いやな言葉だと思いながら、交輪は今日会ってきたばかりの、あの恐ろしく気の弱いクラスメイトのことを思い出す。

 実際交輪から見ていても、あの弱々しさはその手の連中にとっては格好の獲物だろうと思う。あの影が使っていた青衣の呼称が裏サイトのものだとすれば、すでに彼女がサイト内での話題にされているのは想像に難くない。

 それ以上はどうなのだろう。まだ入学してひと月もたっていない現在、彼女はそれ以上の事態に、文字通り晒されているのだろうか。


「その話題にされている奴ら。あるいは『武勇伝』の被害に遭ってるのが誰かってのはわかるのか?」


「生憎だけど全員は把握してないな。実のところ、僕が知ってる情報って、部屋サイトの中に入れないから外で聞き耳立てて情報を集めて、その話を総合して語ってるってだけなんだよね。……ねえ交輪。君さっきトラブルに巻き込まれているって言っていたけど、それは“君自身”の話かい? それとも別の誰か?」


 いつになく真剣な声でかけられる問いかけに、交輪はどう返事したものかと考え込む。

 答えを返すなら、この場合トラブルに巻き込まれているのは交輪ではない。それだけを応えればいいという話ではあるのだが、ではいったい誰がと聞かれた場合、果たして答えていいのかは微妙なところだ。

 少なくとも当の本人は、周りにそれを知られることを望まないだろう。

 今日交わしたわずかな会話でも、あのクラスメイトがそういう性格であることだけ、いやというほどはわかってしまった。

 そんな交輪の葛藤を見透かされたのか、木林は答えない交輪に対して別の忠告を投げかける。


「まあ、交輪の場合言っても無駄だろうから関わるなとは言わないけどさ。けど首を突っ込むなら気を付けた方がいいよ。さっきも言ったけど、このサイトの利用は妙に早い速度で一年生の間にも広まってる。交輪みたいな性格じゃ、ただでさえ目を付けられやすいんだから、迂闊な首の突っ込み方をするといらない被害をこうむるよ」


「ああわかってるよ」


 木林の言い分だと、いかにもこの手の話に交輪が首を突っ込みそうだと言われているようだったが、しかし別に交輪とてそこまで積極的にこの話に首を突っ込む気はなかった。

 交輪にとって重要なのは幽刻内での安全であって、裏サイトへの関与はあくまであの影と通常時間のつながりを探るためのものでしかない。交輪とて保身と言う言葉くらいは知っているのだ。青衣との接触も、幽刻以外では最低限のものにするべきだろうと、そんなことまで交輪はこのとき考えていた。

 そう。この時までは。


「……そういえば、肝心なことを聞いてなかったな」


「肝心なこと?」


「名前だよ。そのサイトの名前。その末期的なサイト、いったいどんな名前で活動してるんだ?」


「ああ、そういえばそうだね。えっとね――」


 そう言って、木林は失笑気味に交輪に対して名前を告げる。

 いずれ交輪が敵に回すことになる、諸悪の根源のようなサイトの名を。


「――サイトの名前は、【見憎いアヒルの子ヘイトフルダックチャイルド】。公平性を欠いた意見を言わせてもらうなら、ずいぶんと皮肉の効いた嫌な感じの名前だよ」

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