13:休日の会合
さて、当面の危機を脱し、ここで二人の間で一定の知識共有が図られていれば、それはもう見事かつスムーズな流れだったのだが、しかし現実には青衣と交輪にそれをするだけの心の余裕と時間は残されていなかった。
なにしろ二人とも直前まで正体不明の化け物に襲われていた身である。今まで遭遇したことがなかったからと言って、一度現れた以上あの文字の影が再び現れないとは限らない訳で、とりあえず何かが現れた時に対処しやすい場所に移動して、周囲を警戒しながら過ごさなければならなかった。
加えて、交輪の方には幽刻直前まで教室で授業を受けていたため、幽刻が終わる前に教室に戻らなければならないという事情もある。そうしなければ、周囲からは交輪が突然テレポートしたように見られてしまうのだ。
結果、交輪たちの教室がある四階に近く、また周囲がある程度見渡せる屋上でとりあえず幽刻終了直前までを過ごすことにした。
「ってそういえば、おまえ授業中だってのに、この幽刻直前までどこにいたんだ? サボリってがらでもねぇだろうに」
「え……、そ、それは、えっと……、」
口ごもり、前髪と眼鏡の反射で視線を隠して俯いてしまう青衣に、交輪は追及を諦めてため息をつく。
それとなく探りを入れてはみたものの、青衣は交輪の干渉を弱々しく、しかし確かに拒絶する。
実際は交輪にも多少なりとも彼女の事情は推測ができているわけだが。しかし問うても答えないというならばそれ以上の何かをしようとは思わない。
影を一体倒せばよかった先ほどまでとは話が違う。通常時間でのクラス内での関係性の話など、いくらなんでもそう易々とは手が出せない。
結局、この日は幽刻の時間も残り少なかったことも相まって、詳しい情報の共有は後日に持ち越すことにし、次の日に会う約束だけ取り付けることとなった。ついでに、互いの連絡先を交換することも考えたのだが、驚いたことに青衣は携帯電話を持っていなかった。
「マジか……十年前とかならいざ知らず、いまどき、この歳になって……」
「えっと、さすがに大袈裟じゃ……」
「いや、大袈裟じゃねえよ。なんか特殊な信念でもあるの? 電波を浴びるとじんましんが出る体質とか?」
「それ、生きていけません……」
そんな、ツッコミなのか率直な感想なのかもわからない発言を受けながら、交輪は一人教室へと戻る。
教室にいなかった青衣は一緒に教室に戻る訳にもいかず、彼女自身も自分が直前までいた場所に戻ることとなった。とは言え、流石にあんなことが有った後である。交輪の勧めも相まって、青衣はそのまま、ほどなくして学校を早退することとなった。
そして、日付は明けて翌日、世間的には黄金の週間とも呼ばれる連休の初日を迎える。
いや、人や勤める会社によってはその前の土日や祝日と合わさって、その連休の金色の輝きはさらに増していたのかもしれないが、しかし交輪の通う高校は土曜日も祝日の間の月曜日も変わらず授業を行っており、その勤勉でどす黒い精神によって交輪の黄金はその価値を半減させるほどには色あせてしまっていた。考えてみれば入学式もやけに早かったし、この学校はそうした休みに対して恨みでもあるのかもしれない。
学生の身の悲しさをひしひしと噛みしめながら、さっそく交輪は外出の準備を整える。
「何を、しているのですか兄さん」
着替えて、財布や携帯などの外出必需品を鞄に収めていると、部屋の前を通りかかった妹の
「いつも休日は昼まで寝ている兄さんが起きているなんて。明日は電話機でも降るのでしょうか……」
背後からエキセントリックかつ地味に危険な心配をする妹の視線を受けながら、支度を整えて交輪は家を出る。
向かう先は自宅の最寄りの駅から電車に乗り、学校近くの駅を通り過ぎて三つほど先にある少し大きめの駅、以前青衣が眼鏡を壊した時、新しい物を買いなおしたあの駅だった。
駅を出て、駅前にあるモニュメントのある広場へと歩みを進める。
交輪としては女子を待たせるなどと言う甲斐性の無い真似をして姉に絞められる事態は避けたかったのだが、それでも行った先では青衣がすでに到着してジッと交輪のことを待っていた。
広場の端でベンチにも座らず、目立たない本当に隅の方で、本や携帯を見るでもなくただ俯いて。
(……すげぇ。あいつの周りだけ空気の色が違う)
周囲が比較的明るい、のどかで明るい雰囲気を醸し出しているというのに、なぜか青衣の周りだけ暗雲が垂れ込めている。
酷く近づきにくかったが、交輪はこれ以上待たせるのも悪いと早々に近づき、声をかけることにした。
幸い醸し出す雰囲気程暗くはなっていなかったようで、近づく交輪に気付いた青衣があわてたように挨拶して来る。
「――あ、く、工和君。おはよう、ございますッ。お待たせしましたッ!!」
「いや、待ってねぇよ。俺が今来たところだよ」
「う、あ……、そ、そう、ですよね。すいません」
「つか、ずいぶんと早いな。俺も結構早く着いたと思ってたのに。いったい何時から待ってたんだ?」
「いえ、その、だ、大丈夫です。ほんの四十分くらいですから」
「そんなにここで待ってたのか!?」
思わず大きくなる声に、目の前の青衣がびくりと肩を震わせる。
交輪のような人間にとっては、その反応はいくらなんでも気が小さすぎるのではないかと思ったが、しかしこの程度、この女子生徒と付き合う上ではむしろ序の口だった。
実際交輪も、彼女の発言のおかしさにはすぐに気づくこととなる。
「ってちょっと待て。俺も大概早く、それこそ二十分近く早く来てるはずなんだが……、お前が待ってたのは“待ち合わせ”の一時間も前ってことか? 十時の約束で九時に来てたってこと? ……いや、ごめん、マジでなんで? いったいどういう計算をしたらそんなに早く来るの?」
いったい何を考えれば一時間も早く来ることになるのかとそう思い、交輪は試しにその時間の内訳を聞いてみる。
すると青衣は視線を落として、どこか申し訳なさそうに彼女の計算式を白状した。
「えっと、家から、ここまでが、歩いて二十分くらいかかるんです。でも、何かあった時のためにと思って、一応倍くらいの時間を見積もって……」
「なにかあったらって……」
歩いて待ち合わせ場所に向かうのにいったい何があるというのかと思ったが、しかし今回はとりあえずその言葉を心の奥底へと飲み込んでおく。
そもそも、その計算でもまだ埋められる時間は二十分だ。待ち合わせの一時間前にこの場所につくにはそれでもまだ四十分は足りない。
「あ、後、その、もしかしたら、工和君が早く来るかもって思ったんです。そうしたら、工和君をお待たせしてしまうとそう思って、一応、三十分早くつくように、計算しました」
「なるほど、それで五十分、約一時間も早く着いちまった訳か。まあ、確かに予想通り俺も二十分も早く来て入るんだが……」
「い、いえ、着いたのは、一時間前です。来るのにバスを利用したので、十分短縮されて――」
「お前バカじゃねぇの……!?」
だったら最初からバスで計算しろとか、やっぱり余裕を見た二十分が理解できないとか、交輪が早く来るからなんで三十分も足すんだとか、この話題に限ってももはや言いたいことは山のようにあったが、しかしこの気の弱いクラスメイトにいちいちそれを追及したところで追いつめるだけかと考えてそこは自重した。
普段の交輪の性格を考えれば、相当に大人な対応である。
もっとも、この様子だと特に待ち時間をつぶす用意もしていなかったようで、スマホで時間つぶしを考えていた交輪にはやはり理解できない待ち時間であることに変わりはなかったが。
「す、すいません」
「いや、別にいいけどさ。……ってか、お前……」
いちいち謝られることにやりにくさを感じながら、しかし思わず交輪は青衣の今日の服装に視線を向ける。
ゴールデンウィークの休日と言うこともあり、青衣もさすがに制服ではなく私服姿だった。交輪としてはプライドにかけて期待などしていないと心の中で明言する次第だったが、しかし制服と言う、個人で着こなし以外に差が出ない服装に慣れきって早四年目である。同年代の女子がどんな服を着るかについては、期待はなくとも好奇心は持っていた。あくまで知的好奇心である。別に期待はしていない。
していなかったのだが。
(……なんだろうな)
白いブラウスの上に黒のカーディガン。紺色のスカートと、足は黒いタイツに包まれたその姿は、配色が黒っぽいあたりは予想していた青衣の性格を如実に表していたのだが、それ以上に気になったのはその服の着方と組み合わせであった。何というか彼女の服装。
(……なんか、制服っぽい私服だな)
「……あの、なんでしょう?」
交輪の視線に、青衣はさらに居心地悪そうにうつむいてしまう。あるいは前髪同様、よっぽど服装のセンスと言う形でも自分というものを見せたくなかったのか。だとしたらこの服装、相当な逃げの格好だった。
まあとは言え、いくらなんでもただのクラスメイトの格好や行動に、いちいちケチをつけてもしょうがない。別に似合っていないというわけではないし、見方を変えれば交輪の方が、女子を待たせた挙句格好にケチをつけるなど、いったい何様だとすら言える所業である。
「いや、何でもない。とりあえずどっかはいろうぜ。たぶん長い話になるんだ。立ち話なんてしてられないだろ」
それでも内心先が思いやられると思いながら、交輪は青衣に対してまずはそう提案した。
店の選定には若干迷ったが、最終的に交輪は近くにあったファミレスを選択した。
とりあえずとそろってドリンクバーを頼み、二人分のドリンクを調達して席に着く。
気の利く奴なら、ここで相手の緊張を和らげるべく軽い雑談から入るのかもしれないが、生憎と交輪は自分でも気の利く人間だとは到底思えず、むしろ余計な能書きを挟むよりもとっとと話題に入ってしまった方がいいと考える人間だった。
「そんじゃ、さっそく昨日の話に入ろうか。たぶんそっちも気になってんだろうし、昨日遭遇した【幽刻】って現象についてわかってることを……」
「あ、あの――!!」
と、交輪が手帳を取り出し、さてどこから話したものかと悩んでいたその時、意を決したように青衣が声を上げ、震える手で下げたままの肩掛け鞄のベルトを胸の前で握りしめながら、ずっとテーブルへと落としていた視線を交輪の方へ向ける。
「き、昨日は、あ、ありがとう、ございました。……工和君が、来てくれなかったら、その、私は……」
言っていて昨日のことを思い出したのか、青衣は右手で自分の首を押さえて微かに身を震わせる。
その気持ちは、いかにに交輪であっても想像できなくはない。なにしろ同じ怪物と実際に対峙しているのだ。しかもその相手に命を狙われていたとあっては、その時感じた恐怖もひとしおだろう。
「……、別に礼なんていらねぇよ。一〇〇パー善意でやったって言える訳でもねぇし」
「あのっ、それと、もう一つ」
視線を手帳の方へと逃がす交輪に対し、青衣は再び声を上げて、交輪の注意を自分の方へと呼び戻す。
いったい何だと視線を手帳から青衣に戻すと、今度は青衣は交輪に対しておびえるように、まるで怒られるのを恐れているように身を縮こまらせてこう言った。
「……ごめん、なさい。実はもう、知ってるんです。工和君の言う、【幽刻】って言うのについてとか、少しだけならルールも……。あの日、工和君の手帳を拾った時に、手帳の中身、見てましたから……」
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