12:混成接続
思い返してみれば、あの時も確かに似たようなことを考えていた気がする。
授業中に静止した教室内で、持ち込み損ねた手帳灯っていたペンが融合してしまったあの時も、確か交輪は幽体化したものに触れることはできないかと、そんなことを確かに考えていた。
そしてついさっき、握っていたカッターナイフが路面と融合した、その時も。
(……まさか、そう言うことだったって言うのか?)
起きた現象に共通点を見出して、交輪の脳裏に一つの可能性が瞬き浮かぶ。交輪達を、否、明確に青衣を襲おうと襲撃してくる文字の影に対して、交輪が対抗しうるそんな可能性が。
(ったく、この手の発想はこの前の勘違いで懲りてんだけどなぁ……)
なんとなく、幽刻の存在を知った当初に自分がしていたバカバカしい思い込みを思い出す。今交輪の中にある発想は、あの時していたのとまるで同じ発想だ。あの時はその妄想染みた考えを本気で信じ込んで、挙句妹にそれを知られて酷いものを見たような目を向けられる羽目になった。
けれど今回、間違っていたときに被る被害はきっとそんなものではない。
交輪とて気付いている。いかに今いる環境が、周囲のものすべてが幽体化した幽刻であるとは言っても、やたらと力が強いらしいあの文字の影の怪力ぶりを考えれば、影からの反撃は容易に交輪の命に届きうる。
ならば、今という瞬間は引き下がることのできる最後のチャンスだ。恐らくこれ以上手を出してしまったら、どうやら青衣を狙っているらしいあの影とて、こちらを無視することはもう期待できなくなるだろう。
そんな風に、頭の中で青衣を見捨てるという、その選択肢を明確に意識して――。
(冗ッ談、じゃねぇッ!!)
心中で吐き捨てるようにして、交輪はその選択肢を心の中から排除した。
痛む体を押さえて立ち上がる。路面と融合したカッターナイフの、そのそばに落ちる、折れた替刃の方を拾い上げ、交輪はふらつく体に鞭打って、自身が見定めた一つの可能性へと歩み寄る。
危険があるのは百も承知、自分のすがる考えの、その頼りなさもすべて自覚して、それでも交輪にはここで引くような気は毛頭なかった。
「だから試してやるよ。お前で、コイツで。この幽刻の中のルールって奴を――!!」
広げた手の上で、折れた刃が光を帯びる。
先ほどの校庭で交輪が馬鹿げた力を発揮した際、身を包んでいたのと同じ赤い輝き。
先ほどよりも数段まばゆいそんな輝きに包まれて、手の上にある折れた刃が重力を忘れて浮き上がる。
「……な、に……?」
暴力によるショックで地に伏していた青衣が、驚きの面持ちで顔を上げる。
『なにそれ』 『意味わからん』
『光ってる』
『いみふ』
『なにあれ怖い』 『うざい』
『異常事態乙』
突き立つ影の顔に混乱の文字が流れだし、混乱の中に、まるで恐怖を感じたように一瞬、身を震わせる。
両者の注意が自身に向くのを肌で感じて、交輪は内心でほくそ笑みながら、目の前に突き立つ校内徐行の道路標識の看板へと視線を向ける。幽体化し、透き通ったままのポール目がけて、手の中の輝きを捻じり込む。
『――カキン』という金属同士をぶつけたような音がして、手の中の輝きが道路標識全体を包み込む。
伸ばしたその手が幽体だったはずのポールを掴んで、同時に輝くポールのシルエットが交輪の望んだ方向性へと変化する。
教室での時も先ほども、融合現象が起きたその時、交輪はどちらの時にもある共通の思いに囚われていた。
自分と自分の持ち物以外、すべて幽体化してしまうこの幽刻という環境下で、それでもどうにか幽体化した物体を後からこの幽刻に持ち込むことはできないのかと、あの時の交輪の中にはそんな思いが確かにあった。
それが引き金になっていた保証はどこにもない。
そんなものはただの偶然で、実際には他にもっとそれらしい、あの現象へと至る理由があるのかもしれない。
けれどもし、幽体化したものを物質化したいと交輪が願って、その状態で物体を幽体に重ねたことで、あの融合現象が起きていたのなら。
そしてもし、この融合現象に交輪自身の意思が介在する余地があるのだとしたならば。
(さあ、混ざりあえ――!!)
あの融合現象は、目の前の不条理に対抗するための、交輪の最大の武器となる。
光が飛び散り、手の中で変貌したポールが姿を現す。
現れるのは道路標識のポールの下半分が、巨大化したカッターの刃となっているという異形の武装。
金属の折れる澄んだ音が周囲に響く。
ポールを掴む手に力を込めたことで、大地とつながっていた折る刃式の刃がきれいに折れて、その切っ先の鋭さを失わぬまま、地面から切り離されて自由になる。
結果、生まれるのは巨大な道路標識のポールの、その半分が刃へと変貌した異形の矛。
明らかに振るうには適さない重さのそれを軽々と振り回し、交輪はその切っ先を立ち尽くす影へと突きつける。
同時に気付くのは、自身の体を包み込む、先ほどにも一度見た赤熱のようなオーラ。
(さっきの馬鹿力、こっちも何かの拍子に発動したのか……)
自身の体に起きた変化を妙に冷静な思考で受け止めながら、交輪は一度大きく息を吐き、目の前の敵に視線を向ける。
見れば、青衣の方へと向かっていた文字の影は、すでにこちらへと意識を向けて狼狽えるような様子を見せていた。
実際、顔の画面には『なんだ』や『どうなってる』など、明らかに現状の変化を受け止められずに、混乱しているような様子が見て取れる。
そんな相手の様子を見て、冷静になった思考がようやく一つの事実に気が付いた。
「そう言えば、その顔面の方はどうなんだ……?」
燃え上がるようオーラを纏い、今しがた異常な現象を起こして作り上げたばかりの武器を構えて、しかし妙に冷静になった竜昇の思考が、思えばもっと早くに思い至ってもよかったような、そんな考えにたどり着く。
文字の影の体には攻撃は効かない。厳密にはどんな攻撃も効かないというわけではないだろうが、しかし大量の文字を人型に固めたようなこの敵の体は、殴っても突いても、まるで砂の塊でも相手にしているようにその攻撃を無効化してしまう。
「――けどその顔面はどうなんだ? テメェのそのスマホ画面みたいなそのツラは。もしもそいつを叩き割られでもした日には、テメェはいったいどうなる?」
問いかける交輪の、まるでその闘志に応じるかのようにして、交輪の全身を包み込む赤熱のようなオーラがひときわ激しく燃え上がる。
両手でつかんだ矛を思い切り後ろに振りかぶり、身を沈めて己が両足に力を込める。
道路標識まるまる一本を担ぎ出して、それを軽々と振り回せるような異常な力。だが交輪自身、先ほどの経験でその力が決して長続きするものではないことを知っている。
ならば必然、仕掛けるべきは一撃に全てを賭けた短期決戦。赤熱する肉体の馬鹿力と、融合によって生み出した矛の重量にものを言わせて、目の前にいるこの相手の、その弱点と思われる部位へ眼がけて全霊の一撃を叩き込む。
『ヤバい』
対する文字の影も、武器を構える交輪の姿を見てようやく己に危機が迫っていることに気付いたのだろう。
『なんだそれ』 『ヤバい』 『ふざけるな』 『ヤバいヤバい』
『ヤバい』 『なにをする木田『ヤバい』 『ヤバヤバい』
『ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい』 『ヤバい』
『ヤバいヤバいヤバい』
『ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい』 『ヤバい』
明らかな焦りをディスプレイの文字として大量に流し、迫る交輪を迎え撃とうと文字の影が身構える。
交輪の両脚が幽体の大地を蹴る。赤熱する肉体の、増幅された身体能力に任せた疾走が周囲の光景を置き去りにし、影との間に横たわる距離を一瞬のうちに駆け抜けて、振りかぶった己の刃を上段から勢いよく振り下ろす。
もはや影の抵抗など、なんの意味もありはしなかった。
防御のために構えられた敵の腕をその腕ごと叩き斬り、振り下ろした交輪の刃が相手の顔面を叩き割る。
それでも衰えない勢いが相手の体をそのまま地面へと叩き付け、影の体が幽体の地面をはねた次の瞬間には、文字でできたその肉体が周囲に散るようにして消滅していた。
後に残るのは、目の前で目を丸くする、まるで諦めを丸ごと砕かれたような、そんな表情をした女子生徒が一人だけ。
「よお、藍上」
声をかけたのとほとんど同時に、交輪の体から赤熱の輝きが消えていく。赤い輝きが薄れて消えて、替わりに矛を掴んだ両腕に忘れていた重さが帰還する。
「悪いな藍上、お前目当ての客だったのに、実験に付き合わせて追い返しちまった」
「あ、え……。あ……」
地面から起き上がってこちらを見上げながら、なにを言っていいのかわからず茫然とこちらを見上げる青衣に対し、交輪はどこか痛快な気分でニヤリと笑う。
重さが戻り、持っていられなくなった道路標識の矛を放り出し、そうして放り出された刃が音もたてずに付近の地面に着地する。
即席の武器を手放したことで両手が空いて、交輪は少し迷ってから、そのうちの右手をへたり込む少女の方へと突き出した。
「……まあなんだ。ようこそ幽刻へ、って一応言っとくよ」
視線を逸らし、自分でも意図のわからないそんな言葉を口にして、そうして交輪はまたしてもこのクラスメイトへと自身の手を差し伸べた。
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