7:昼休み

「やあ交輪。今日はからあげ弁当かい?」


 購買で弁当を一つ調達し、自分の教室の自分の席へと戻ってみれば、そこでは木林が交輪の一つ前の席をひっくり返して、そこに自分の弁当を広げていた。

 交輪が軽い返事と共に席に着き、プラスチック製のパックを開いてついていた割り箸を割ると、目の前で木林がにやにやとした表情で交輪の右手を見ている。


「……なんだよ?」


「いやいや。工和交輪の習性その一、それがどんなものであれ、使えそうなものはとりあえずとっておく。たとえば外した輪ゴムは必ず腕にはめる、ってね」


「……」


 指摘されて自身の右手首を見ると、確かに直前まで弁当の梱包に使われていた輪ゴムが一つはまっている。特に汚れているわけでもないため、言われた通りほとんど習性のような癖で手首にはめてしまっていたのだ。

 自身の意識していない癖を見破られていることにわずかばかりの不快感を覚えながらその輪ゴムを外すと、交輪は腹いせとばかりに輪ゴムを木林の方向に飛ばすように構え、碌に狙いも付けずにそのまま発射した。

 ぺしっ、という音すらたてず、木林の制服に着弾した輪ゴムが情けなくも机の上へと落下する。


「やれやれ、こうして実際に受けてみると大して痛くもないのに、どうして人は輪ゴムを飛ばされそうになると変に恐怖感を覚えるのかね?」


「別に、痛いときだってあるだろう。素肌にほぼゼロ距離で叩き付ければ、こんな輪ゴムでもそれなりに痛いぞ」


「そりゃ、ゼロ距離ならそうだろうけどさ」


 そんな適当で下らない話をしながら、交輪は木林と弁当の中身を口に運ぶ。

 その話が話題に上ったのは、そんなたわいない話のさなかだった。


「そういえば交輪ってさ、何か部活には入ったのかい?」


「いんにゃ。俺は今も昔も、生粋の帰宅部員ですよ」


 口に入れた最後のから揚げを飲み込みながら、交輪はそう木林に対して返答する。

 実際交輪は、あちこちで行われる各部活の新人部員勧誘競争からもしっかりと距離を置き、いまだどこの部活にも属さず今日この日を迎えていた。大きな理由は特にないが、特にやりたいこともないのに集団に属するという行為にあまり乗り気になれなかったことと、入れと言われると入りたくなくなる交輪特有の気質に由来する。


「そういうお前はどうなんだよ。中学の時は新聞部だったよな? 高校でもやっぱりそういう部活に入ったのか?」


「うーん、僕も本来はそのつもりだったんだけどねぇ」


 問いかけに対して帰ってきた木林の煮え切らない返事に、交輪はむしろ意外という感想を抱く。中学時代から、情報というものに一過言持って新聞部に属していたこの友人ならば、当然のようにすでに新聞部へと入部を果たしていると思っていたからだ。


「いや、見学にはいったんだよ。そのまま入部するくらいのつもりでさ。けどどうにも先輩たちと馬が合わなそうでね」


 交輪の表情からその内面を読み取ったのか、木林は苦笑しながらもそう話す。だが交輪は、この友人が見学しただけの部活の先輩と『馬が合わない』とあっさり断言したことに、わずかながらも驚きを覚えていた。


「珍しいな。お前とそこまで馬が合わない人間がいるなんて。一体全体どんな先輩たちだったんだよ?」


「どんな先輩、ね。ちょっとあれを公平に伝えるのは難しいな。馬が合わなかったもんだから、僕が喋るとどうしても悪口になりそうだし」


「……おいおい」


 帰ってきた返答に、今度こそ交輪は驚きを露わにする。

 この友人が過度に主観の混じった情報というものを嫌悪する性格であることは交輪も以前から知っていた。だが交輪は木林から、悪口になるから話しにくいなどと言われるのはこれが初めてだ。それはつまり言い換えれば、その先輩たちに対して“この”木林が、かつてないほどに相当なマイナス感情を、その先輩たちに抱いているからに他ならない。


「お前にそこまで言わせるって、いったいどんな先輩だったんだよ……」


「そうだねぇ。まあ、主観が混じらない程度に起こった事実だけを話すなら、この学校の裏サイトについて詳しく語られた、かな」


「学校裏サイト? この学校にもそんなもんがあるのか?」


「あるんだってさ。この学校にも。それで、そのサイトについて『どのスレが傑作だった』とか、『このハンドルネームはどのクラスの誰だ』とかいう情報から、『最近管理人が代替わりしたらしい』みたいな推測まで、いろいろと自慢げに……。いや、これは僕の主観だね。とにかく、そういう話題でいろいろ話を聞かされたんだよ。普通のサイトだったらまあ、それでもよかったんだけど、何しろ裏サイトって呼ばれてるくらいだから話題がね……」


「……うわ。いい性格の先輩だな。お友達になれそうだ」


「心にもないことを……」


 うんざりした様子でそう語る木林の様子に、交輪はなるほどとその先輩たちに呆れながらも同時に納得する。確かにそんな先輩たちが相手では、木林のこの反応もうなずける。交輪とてそんな情報を悪びれもせずに、自慢げに語って聞かせる先輩とはあまりお近づきになりたくない。


「にしても、裏サイトの管理人って代替わりとかするもんなのか?」


「さあね。僕もそういうのには詳しくなかったから……。でも、高校ってところは三年で卒業する場所だから、学年をまたいで利用されているサイトなら、学校を去るにあたって誰かに引き継がせたって可能性はあるんじゃない? それこそ後輩の、今の二年や三年の先輩の誰かに」


「そこまでして残すようなもんかねぇ……」


 適当な予想に適当に反応しながら、交輪は弁当に入っていた、最後のたくあんを口へと運ぶ。時計を見るとまだ時間まで少し間があるようで、少しであればまだこうしてしゃべっていられそうだった。

 と、そんな確認をしていた交輪のそばに、何やら人の気配が真っ直ぐに近づいてくる。


「ねぇねぇ。えっと、木林君と、工和君、でよかったっけ?」


 声をかけられ、振り向いて初めて交輪はその相手の顔を視認する。

 なんとなくどこかで見たことがあるような気がする、と言うよりは恐らくクラスメイトなのだろう女子生徒が、気やすい笑顔と共にそこには立っていた。

 美人と言うよりはかわいらしい顔立ちと、そこに浮かぶ人懐っこい表情に、交輪の捻くれた神経が自然と反応して警戒の意思を示す。とは言え、流石にそこまでの天邪鬼は交輪だけだったらしく、隣にいる木林はやはりというべきか同じように気さくな態度で応じていた。


「やあ委員長。昼休みの集まりはもう終わったのかい?」


「そりゃぁもうバッチし!! あ、えっと、工和君、でよかったんだよね。あれ?直接話すのは初めてだっけ?」


「ああ……、えっと……、若林だったか?」


「一文字もあってないよ!? えっ、ちょっと待って、覚えてくれて無いの? クラス委員長だから流石に名前くらいと思ってたんだけど……」


 誰だったかと言う交輪の反応に女子生徒は驚きとショックが混ざり合ったような反応を見せる。

 個人的には誰もが自分を知っているはずと言うそんな考え方が気に喰わなかった。仮に彼女がクラス委員長だとしても、それは決して変わることはない。


「って言うか、今年の学年代表の挨拶をしてたのも彼女だよ。ついでに言えば名前も比較的覚えやすい。なにしろ自己紹介で覚え方まで教えてくれたからね」


「……」


 訂正。どうやら知らない交輪は相当に非常識な存在だったらしい。


「しかたないなぁ。じゃあ初対面的ご挨拶だ。ああ、その前に。工和君ってさ、卵の白身と黄身、どっちが好――?」


「――殻」


「ごめんね。交輪って基本こういう奴なんだ」


 どこか作為的なにおいを感じて、ほとんど反射的に交輪は第三の選択肢を投げ返す。

 とは言え、これに関しては質問のお約束を知っていたからこその解答とも言える。ここで『黄身』と答えると、相手は『君』と解釈して告白されたことにされるという、今時小学生でも知っている下らないネタふりだ。


「もうノリが悪いなぁ。……まあ、いいとしよう。改めまして、クラス委員長の愛川白美(あいかわしろみ)です。“誰からも愛されるかわいいシロミちゃん”と覚えてくださいな」


「ああ。わかったよ。シラ――」


「シ・ロ・ミ、ね。お約束の害虫ネタは小学生の時に聞き飽きてるから」


 かなりきつい視線で睨まれて、交輪は思わず決していいとは言えない顔を引きつらせる。

 とは言え、名前を聞いて先ほどの問いかけの意味も理解できた。要するにこの委員長、黄身だろうが白身だろうがどちらと答えても相手に告白したことになる名前だと言いたかったらしい。


「ところで愛川さん、何か用があったんじゃないの? そっちは大丈夫?」


「え? ああ、そうだった。いやね、藍上さんどこに行ったか知らないかなと思ってさ」


「藍上? それって一番前の席の藍上青衣のことか?」


「そうそう。名前が全部母音のすごい名前の子。って言うか工和君、私の名前は知らないくせにあの子の名前は覚えてるんだ」


 ふくれっ面でそう言う愛川から視線を逸らし、そういえばと交輪は自分が座る席の一番前、そこにある藍上青衣の席へと注意を向ける。


「そういやいないなあいつ」


「流石にどこに行ったのかまではわからないな。なに、愛川さん、藍上さんに何か用だった?」


「ううん。ちょっとどこにいるのか知りたかっただけで特に用事って訳じゃないんだけど」


「知りたかった?」


 愛川の不可解な物言いに交輪が眉をひそめるが、しかし愛川本人はそれには気づかず、教室の入り口から友人らしき女子たちに呼びかけられてそちらへと意識を逸らした。


「ああ、呼んでるからもう行くね。二人ともごめんね邪魔しちゃって」


「おう。これに懲りたらもう二度とするんじゃないぞ」


「ごめん、本当に交輪のことは気にしないで。それじゃあまた」


 苦笑いしながら去っていく愛川の背中を見送り、そうしてふと教室の黒板の上にかけられた時計が目に入る。

 どうやら話している間に時間が迫ってきたらしい。


「まったく君って奴は。つくづく初心者に優しくない性格をしてるよね」


「ああ。俺の性格は超・上級者向けなんだ。まあ、何となく俺がああいうタイプを好きになれないからってのもあるがな」


「……へぇ。好きになれない、ねぇ」


 眼を細め、考えるような表情を浮かべる木林に『なんだよ?』と問うと、木林からは『いや、別に』と言う明らかな嘘が返ってきた。とは言え、そこをあえて根掘り葉掘り問うほど交輪も野暮ではない。

 と言うか、実際にはあまり時間もなかった。


「悪い、ちょっと飲み物買いに自販機行って来るわ」


「あれ? 弁当と一緒に買ってこなかったの?」


 さりげなく生徒手帳をポケットに収める交輪にそう問いかけながら、しかし直後には木林も『まあいいか』と思ったらしく、問いかける代わりに別の要望を交輪へと突きつけてきた。


「ああ、どうせ買に行くんだったら僕の分も一本頼んでいいかい?」


「どんなオチが付いてもいいならな」


「だったらそれなりに面白い物を買ってきてくれよ」


 返ってきた思わぬ返事に、交輪は『げ』と声を漏らして上がったハードルの高さを後悔する。これでは半端なものを買ってきてもこの友人は絶対納得するまい。しかしだからと言って学校内の自販機で買えるものなどたかが知れている。このノリにつけられるオチのような飲み物が果たして学内にあるだろうか。


「参ったな」


 愚痴りながら教室を出て、とりあえず飲み物の調達へと歩を進める。時間まではあと数分、急ぐ必要性はそれほど高くないが、要件は先にすましておくに限るだろう。

 向かう自販機の位置を頭の中に思い描き、交輪は少しだけ目的地に向かう速度を速めて歩き出す。できるだけ人目の少ない場所を探しながら。その瞬間を迎える際に誰にも見られないように。

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