3:繰り返す現象

 さて、入学式の初日からとんでもない怪奇現象に遭遇し、危うく高校生活の始まりにとんでもない躓き方をするところだった交輪だが、しかしそこは中学時代の友人である木林のおかげというべきか、その後は何事もなく普通の高校生としての新生活に溶け込みつつあった。

 交輪はそれほど素直と言える性格をしているわけではないが、しかしだからと言って孤立を好んでいるわけでもない。社交性の塊である木林ほどではないものの、それでもそれなりに会話を交わす人間もでき、交輪の高校生活はとりあえず順調な滑り出しを遂げていた。

 もちろん、入学初日の怪奇現象を綺麗に忘れたわけではないが、しかしそれに関してはあのあと一日考えて、結局答えは出ないものと諦めてしまっていた。

 だから、とりあえず交輪は目下これからの高校生活を円滑に過ごそうと、そんな短期目標を掲げて新生活を始めていたのだが。


 この時、交輪はまるで意識していなかった。


 理解できるできないにかかわらず、現象というものは人の意思などお構いなしに条件さえそろえば何度でも発生するものであるということを。






「また、かよ……」


 四月六日。下校途中の、電車を降りたそのタイミングをまるで狙いすましたかのように、周囲の風景が幽霊へと変わり、歩く人々が一斉に静止した。

 以前の、世界の終焉とさえ感じたあの入学式の日と、まるで同じ状況である。


「今回もやっぱり、透けてるみたいだな……」


 自分が降り立った駅のホームで、そばに立つ柱に触れようとして、しかしすり抜けてしまう事実を確認しながら、交輪はそう現状を確認する。

 さすがに前回一度経験したことも相まって、今回は以前よりもわずかばかり冷静だった。


「もしかすると夢だったんじゃないかとも思っていたが、こうしてみるとやっぱりそうは思えないな……。いよいよ頭がおかしくなって白昼夢でも見てるのか、それとも本物の怪奇現象なのか……」


 とりあえず前回と同じように周囲を見て回ろうと考え、交輪は改札を通り抜けて駅を出る。

 当然のように改札機は素通りする羽目になったが、そもそも改札機自体が仕事をしていないのだから仕方がない。駅前のショッピングモールを眺めても動かない幽霊ばかりで動ける人間は一人もおらず、当然のように普段使うバスも動いてなどいなかった。

 仕方なく、家までの道のりは徒歩と言う選択肢を採用する。バスで行くよりも倍以上の時間はかかるだろうが、しかし歩いていけないほどの距離ではない。


「どいつもこいつも、完全に物体としての役割を放棄してやがる……。サボってんじゃねぇぞ世界……」


 遠目に見れば普通の物体であるはずなのに、近づいてみるとすべてのものが透けている。そんな現実を帰り道の中で何度も確認しながら、しかし交輪は前回よりは落ち着いて、今回のこの現象を見つめていた。


(この前はいきなりだが元に戻った。ってことは、待ってれば自然と元に戻るもんなのかね……?)


 幽霊に変わった駅前の商店街を歩きながら、なんとなく交輪はそんなことを考える。

 実際には時間経過で元に戻ったのか、それとも何らかの条件があったのか、前回元に戻った理由はよくわかっていない。そのことに不安はあるものの、しかし実際問題今の交輪には待つ以外に特にできることもなかった。


(つうか、結局のところこの状況、いったいどう解釈すりゃぁ良いんだ? 時間が止まって、ものが透けて……。起こっている状況はわからんでもないが、原理も原因も因果関係もさっぱり見当がつかないぞ)


 わかっているのは唯一結果だけ、何が原因でどんな理屈が働けばこうなるのかが、交輪にはさっぱりわからない。

 と言うかこんな現象、科学的に解析できるという気もしない。理科系科目に関して、一応平均程度の学力を収めていると自負する交輪だが、今起きているこんな現象が既存の科学で説明できるとは到底思えなかった。むしろ魔法や超能力のような、ファンタジックな要素で考えた方がまだわかりやすい。


「超能力、ね……。」


 さて、高校一年生、十五歳と言えば、交輪の迎えたその年齢はそろそろ適齢期である。

 何の適齢期かと聞かれれば、答えは主人公の適齢期だ。

 交輪が知る限り、彼自身が普段目にする創作物の主人公は、圧倒的に十五から十八歳くらいの年代であることがとにかく多い。

 もちろん、そうでない物語も相当多くあるだろう。それこそその年代を外れる、もっと年下の子供や、下手をすれば交輪の倍以上の年齢の人間が主人公の物語もあるし、ともすれば数百歳単位の、人間の寿命を超越した存在が主人公の場合もあるかもしれない。

 だが交輪の年代が主人公の年齢として選ばれやすいというのもまた、一つの事実ではある。

 それがなぜなのかは、この際あまり関係がない。

 交輪自身なぜそうなのかと問われれば、それこそ三つか四つはすぐに理由が思いつくが、今回問題となるのはそこではないからだ。

 では何が問題なのかというとこれも応えは簡単で、問題だったのは工和交輪という少年が “そういうお年頃”であったということだ。

 一つの魅力的な可能性が頭に浮かんで、思わず交輪は幽体化した街中で叫ぶ。


「ひょっとして俺、超能力に目覚めた!?」


 ちなみにこの後、もとよりそういうものだったのか、しばらくした後あっさりと、再び幽体化した世界はその在り方をもとの物質的なものへと戻していた。






 結論、どうやらこれは超能力ではないらしい。

 少なくともこの現象は、交輪自身の意図によって起こせるものではないのだろうと、交輪は三度目の現象に行きあってさすがに確信する羽目になった。

 日時は四月十日の日曜日、夜二三時のことである。短く儚い夢であったというほかない。

 何しろ先日の現象からここ三日というもの、なんとか自分の意思で世界の静止を起こしてやろうと試行錯誤を繰り返してきたわけだが、その結果は見事に惨敗。挙句頭のおかしいポーズと能力名を口にしていたところを妹に見られ、そこでようやく正気に返って自身の行いに悶絶する羽目になった。

 しかもその思い出もろとも頭の中の全てを洗い流そうとシャワーを浴びて、さて全て忘れたぞと思った直後に、自室で突然三度目の現象に行きあう始末である。

 こうも全てにおいて結果が伴わず、挙句交輪の意思とは関係なく、むしろあざ笑うかのように現象が起きれば、流石の交輪も心が折れる。


(さようなら、超能力者な俺)


 もしかすると何か自身の気付いてない法則性などあるのかもしれないが、しかしこうなってくるとこの現象は交輪のなんらかの超能力と考えるよりも、交輪自身の意思とは全く関係のない、文字通りの意味での“現象”なのだと考えた方が正しそうに思えてくる。相変わらず原理も交輪だけが幽体化しない理由も不明だが、しかしそこに関してだけはそろそろ結論付けてもよさそうだった。


(ちくしょう、この結論、至るまでの過程で失ったものが多すぎるぞ……。オリアの奴に明日からどんな顔して会えばいいんだ)


 ただでさえ普段から兄を兄とも思わない妹だったというのに、今回のことでさらに彼女からの視線に冷たいものが混じるようになってしまった。

 特に決定的瞬間を見られたあの時の、道端で干からびるミミズを見るような視線はもはや一生忘れられそうにない。


(……クソ、せめてあいつか俺のどちらかの記憶だけでも彼方にぶっ飛ばせないものか……)


 妹の記憶を彼方に吹っ飛ばせそうな存在として、あの姉貴へんたい帰ってこないかな、などと不毛な希望を抱きながら、とりあえず座ろうと椅子の背に手を伸ばして交輪は気づく。

 考えてみればこの現象が起きている間、交輪以外のあらゆるものが幽体化していて、触ることができないのだ。

 超能力と言うなら、一人だけこの状況下でも動くことができ、幽体化していないこと自体がすでに超能力と言えるのかもしれないが、しかしその超能力がもたらすものは、この現象が起きている間は交輪は一切座ることができないという地味に厄介な事実である。


「そう考えるとこの超能力マジ使えねぇな……」


 前回の現象の際に、この世界幽体化現象(仮)がおよそ二時間ほど続くことは既に判明している。ちなみに二時間と言う数字は、前回とその前の幽体化時に、交輪が身に着けていたせいなのか普通に動いていた腕時計を基準に算出した数字で、やはり現象は時間経過で元に戻るものなのか、およそ二時間が経過したころには前回の現象も自然に元に戻っていた。

 今回、交輪は腕時計を付けていない。

 それどころか、現在の交輪の格好は寝巻代わりのジャージだけと言う出で立ちで、時間を計るどころか暇をつぶすものすら持っていないという状況だった。

 何の暇つぶしもなく、ただ立ち尽くすだけの二時間。それは想像するだけでも暇そうな、苦行にも似た時間である。

 こうなるとせめて、床にでもいいから二時間を座って過ごしたいところなのだが、


「ってあれ? そういえばなんで床も透けてんのにすり抜けないんだ?」


 ここにきて交輪は、今まで考えても見なかった、しかし思えば当然の疑問にようやくたどり着いた。


 この奇妙な現象が起きている間は、周囲にあるものすべてが幽霊のように触れようとしても透過する。これは一回目と二回目の際、あちこちでいろいろなものを、それこそ人から鉄骨に至るまで様々な形で触れようとして、結局触れることができずに得られた経験則のようなものだ。今のところそれらの例外と言えるのは交輪自身の体と服、そして交輪が持っていたカバンなどの荷物だけで、それ以外のものはすべて例外なく、触れようとすれば空気の層を掴むように手ごたえ無く、向こう側へとすり抜けてしまっていたはずなのである。

 ただ一つ、交輪がこうして立つ床や地面以外は。


「ってことはあれか? 床とか地面は例外ってことなのか……?」


 他と同じく、よく見えればうっすらと透けているのにすり抜けずに立っていられる床の存在に首をひねりながら、交輪は何となく床にしゃがみ込み、両足をしっかりと受け止めるそれに触れてみようと手を伸ばす。

 特に気負いもない、触れられることを疑いもせずに、床へと触れようとした指先はしかし――、


「……ん?」


 手ごたえを返すこともなく、先ほどの椅子の背もたれがそうだったように、ごく当然のように床面をすり抜けた。

 何の抵抗も感覚もない。周囲の他のものとまったく同じ幽体の感覚。

 それが意味する事実を、しかし交輪の意識はなかなか理解しようとはしてくれない。ただただ床に手を伸ばしたままの姿勢で硬直し、しばし幽体化した床に手を浸したまま沈黙の時間が経過する。

 だがいかに交輪が理解を拒絶したところで、まるで浸水のように脳裏に現実が入り込んでくる。


「………………………………………………………………あれ?」


 なぜかを理解する前に、交輪の顔から血の気が失せて、いやな汗が頬をつたい始めていた。頭が理解するその前に、体の方がその現象から意味を抽出し、危険を判断してそれを表に出し始めている。

 生まれる疑問はごくシンプル。


「え、あ……、あれ? なんで俺、こんなところに立ってられてんの・・・・・・・?」


 口にして初めて、それこそ幽体のように朧げだった危機感が、まるで実態を持ち始めたかのように交輪の中で確かなものとなる。

 弾かれたように立ち上がる。自身が抱いた疑問が意味することを自覚して、見てはいけない恐ろしいものを見てしまったような心境で。


「――なんで、なんで俺は立ててるんだ……!?」


 こんな幽体化した床の上に、“本来ならばすり抜けるはずの”床の上に、自分が立てている理由がわからない。

 床の上に、あるいは地面の上に立てるというその当り前の状態に、今まで交輪は何一つ疑問を抱いたことなどなかった。それはこの奇妙な現象に、世界が止まって幽体化するという前代未聞の現象に自分が陥ってからも同様で、そんな非常識な状態に陥ってもなお、交輪は自分が地面の上に立てることを“当然”と思い込んでいたのだ。

 だが今その“当然”が、今交輪の足元で、文字通り幽かに薄れて揺らいでいる。


「……待て、……待て、待て、待て……、待て待て待て待て……!!」


 いやな想像が頭をよぎりかけ、それを振り払うように首を振りながら、交輪の両脚は自然と後退る。

 そうするうちに自分の腹から机が生え、そうなったことで自身が幽体化した机をすり抜けて、その後ろにある壁すらもすり抜けてその向こうに落ちかけていることをようやく自覚して、慌てて交輪は部屋の中心、元の位置へと飛びのいた。

 そしてその瞬間、先ほど頭をよぎりかけた想像が完全な形で姿を現し、絶大な恐怖を交輪めがけて叩き付ける。


(もしも……、もしも俺の脚が、この地面に“立っていられなくなったら”、いったいどうなるんだ……!?)


 もしも今いる床までも、交輪の体がすり抜けてしまったならば、その先に待つ交輪の運命は建物の下の地面への転落だ。

 否、地面が受け止めてくれるならばまだいい。もしも“地面すらすり抜けて落ちていくことになったら”、その後は果たしてどうなってしまうのか。


(そうなったら……、そうなっちまったら俺は、いったい“どこまで”落ちていくんだ……!?)


 このあたりに地下道などありはしない。このあたりにあるものなどあっても上下水の水道管くらいで、その下にあるものなど精々土と岩盤、さらにその下の地殻と言った物ばかりだろう。

 いや、そもそもそんなことは問題ではないのだ。あらゆるものが幽体化している現状、床をすり抜けるということは地面をすり抜けるということであり、地面をすり抜けるのならばその下に地下道があろうが地底都市があろうがそれは全て同じことである。

 何となしに、交輪の脳内に自分が転落する光景が浮かび上がる。

 落下した体が地面をすり抜けて、そのまま地球の中心まで落ちていくチープな絵面。

 だがチープでありながらも最悪の想像に、交輪は全身をこわばらせて震えあがる。力が抜けそうになる足に、なんとか倒れまいと必死に力を込める。荒れた呼吸を必死で整えながら、どうにか床の上に立った今の状態を維持しようと努力する。

 ある種の矜持で、その場に立ち尽くしていたのではない。床に膝をついた瞬間、膝から交輪の体が床をすり抜けて、その下へとまっさかさまに転落してしまうのではないかと、そんな想像が頭をよぎって、恐ろしくて倒れることすらできなかったのだ。


「なんだよこれ……、冗談じゃないぞッ!! ヤバかったんじゃねぇかよ実は……!! 戻れ、早く戻ってくれよ触れるもんに!! ちゃんとした物質に……!!」


 必死に願って、たまらず叫んで、それでも幽体化した世界は交輪の呼びかけに答えない。

 物質に触れられるという、その当り前すら放棄したこの世界が、まるで交輪を見離したかのようにただただ幽体としての在り方を保っていた。

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