第175話「今度は、躊躇しないッ!」

「……、……」

 喉が。口の中が。一瞬で乾いた。

 水、水が欲しい。ああ、だが、その不快感さえも。

「作り物だと、いうのか。わたし、が……!?」

「あァ。そーだよ」

 にべも無く。容赦も無く。

 ハワードは、ギャリガンの言葉を肯定した。

 ふらふらと、ネオオーディン・シャドーの首が動く。アメン・シャドーⅡコクピットを見据える。

「いつ、から。知って、いた?」

「最初から。それこそあのヤロウにチェスボードを受け取った時ぐれエに聞いたのさ」

 言われて、ギャリガンは今更に気付いた。

 確かに自分は、もう長い間全ての活動を分霊で済ませて来た。今までの処務を行っていた老人の姿。あるいはこうした戦闘用である壮年の姿。そうした術式に精神の全てを投射する事で、老いた肉体の軛から逃れて来たのだ。

 そうした生活をする魔術師自体は、なるほど珍しくない。だがそれでも定期的に肉体に戻らなければ、精神に変調を、引いては霊力の運用に支障をきたし始める。

 だが、思い返してみればどうだ。少なくともここ三十年ばかり、本来の肉体に戻った覚えが、まったくない。あるいは、それ以上の長期に渡るのかもしれない。

「ああ」

 事ここに至って、ギャリガンは悟った。

 ファントム・ユニットの奇妙な動き。ハワードが己に見せた執着の意味。

 そして自分の、ザイード・ギャリガンの存在意義は。

 とうの昔に、それこそギノア・フリードマンよりも昔に、消え失せているという事を。

 だから、だろうか。

「何故彼は、そんな事を、キミに教えたんだ」

 そう問うギャリガンの声は、自分でも驚くほど穏やかだった。

「さァな。今となりゃア想像するしか無ェが……オレを確実に引き留めて置くための口実だったんだろォな」

「ああ。確かに僕がこのザマなら、ハワード、キミはいつでも好きなタイミングでグロリアス・グローリィを好きなように出来た」

「そォとも。オレにとってモーリシャスでの戦闘は、あの時点では、どっちの勝ちに転がろォが構わなかった。アイツから救出手段も聞いてたからなァ……ま、反故にされたワケだが」

「なーんかさっきからちょくちょく聞き捨てならん事言っとらんか?」

 ぼそりと、雷蔵らいぞうは呟いた。

「まあ良いじゃないか、今は同僚なんだから」

 窘めるいわおだが、ハワードは耳聡く聞きつける。

「ハん。そうとも、同僚、ファントム・ユニットのファントムX。そうなった。情報を統合すりゃア、そうなるしかなかった」

 淡々と言うハワード。その語調は、どこか懺悔にも似ており。

「オレの手で。オマエを、何も知らないまま、殺す。それがこの時代に蘇ってしまった、ファラオの義務――」

 ハワードは言葉を切る。強く、首を振る。

「――違エな。オレが……オレ自身が。少なくともダチだと思ってるヤツを、眠らせてやりたかった」

「……」

 沈黙は、果たしてどれだけ続いただろうか。

 十秒か。あるいは、十分か。

「そう、か」

 ギャリガンは、笑った。

「それはまた、随分と慈悲深い事だな。実は古代でも名君だったんじゃあないか?」

「ア? ンなの当然だろォがよ。知らなかったか?」

 ハワードも、笑った。

 そして、古い知己達の談笑は、そこで終わった。

 あるいは、最初から終わっていたのかもしれないが。

 一つ、ハワードは息を吐く。ファネルへ通信を繋ぐ。

「さて。待たせたな、メイド」

「お構いなく。待つ事も業務の内ですので」

 立体映像モニタ越しに、一礼するファネル。いつもと同じ表情。ハワードもまた、同じように努めた。

「じゃあ、まア、アレだ。やってくれや」

「分かりました」

 傍らのヘルガへ髑髏――ギャリガンの本体が入った箱を預け、ファネルは霊力武装を展開。独特な形状の二刀、ジャマダハル。それで何をする気なのかは、一目で分かる。

「待ちたまえ」

 だが。いや、だからこそ。

 ザイード・ギャリガンは、待ったをかけた。

「!」

 ファネルの反応は素早かった。背後、唐突に現れたギャリガンの分霊目掛け、振り向きながらの斬撃。髪を振り乱しながら放たれる円弧を、ギャリガンは避けもしない。

 斬。

 肩口から胸元。斜めに切り裂く裂傷を負いながら、しかしギャリガンは小揺るぎもしない。

「待ちたまえ、と言ったのだがね。いやはや、どんな仕事も手早くこなせる事は知っていたが、よもやこの身で受けるとは思わなかったな」

 にこやかに笑う、金髪で筋肉質の男。ザイード・ギャリガンの戦闘用分霊体。バハムート・シャドーⅡの霊力経路を用いて現出させたのだろう。その程度なら苦も無くやってのける。

「それが私の売りですので。ところで何か御用でしょうか、元ご主人様」

「ふふふ。元、と来たか。実際その通りなのだが。まあちょっとした事なのだがね――」

 苦笑を浮かべながら、ギャリガンは片手を掲げる。

閃断テイワズ

 そこから放たれた白光が、ヘルガの掲げていた物を真っ二つにした。

 即ち。ザイード・ギャリガンの、本体を。

「うわッ!?」

 驚き、箱を取り落とすヘルガ。箱は床で一度バウンドして転がった後、思い出したように真っ二つに裂けた。中身の髑髏諸共に。

「すまないね、お嬢さん」

 にこやかに、ギャリガンは笑う。

「だが、これは僕の失態だ。僕がケリをつけるのが筋というものだろう」

 ギノア・フリードマンの時と同様、風化し崩れ去っていく髑髏。ギャリガンは改めて、ハワードへ向き直る。ファネルは既に一歩身を引いている。

「ハワード……いや。トゥト・アンク・アメンと呼べば良いのかな」

「ハワードで良いぜ」

「そうか」

 ギャリガンは見回す。ハワード。アメン・シャドーⅡ。その周りに集まっているファントム・ユニット各機。彼らも既に知っていた。そしてこれからどうなるか、予測もある程度ついているのだろう。

 随分と回りくどい芝居――いや。

 そうしなければ、ハワードが首を縦に振らなかったと言った所か。

 死んでいた事にさえ気づけなかった間抜けな敗者に、随分と情け深い事だ。

 故に、ギャリガンは手を翳す。密集するファントム・ユニット達から離れ、方々でバラバラに戦っているグラディエーターやディノファングの群れ。

 それらの内、グロリアス・グローリィ側の全てが動作を停止。即座に霊力光となって分解霧散する。

「所詮負け犬の僕に出来るのは、この程度だろうな」

 自嘲するギャリガン。その掲げた右腕から、霊力光が解け始める。振り返れば、既に髑髏どころか入っていた箱さえない。骨は既に風化しきって消滅し、箱は霊力切れで幻燈結界内から放り出された。今ここにいるギャリガンの分霊も、消滅するまであと何秒か。

 ギャリガンはそれを待たず、自ら分霊を消去。ネオオーディン・シャドーに意識を戻し、コクピットを開く。ハワードへ向き直る。

「ハワード」

「なンだ」

 しばし。ギャリガンは、言葉を選び。

「……。手間をかけたな、友よ」

 直後、消滅した。

 ネオオーディン・シャドーも膝をつき、うなだれるように制止する。

 ハワードは、しばし瞑目。頭をかく。息をつく。

「……。ああ、まったくだぜ」

 そして、絞り出すように、呟いた。

 こうしてグロリアス・グローリィの首魁――と思われていた魔術師、ザイード・ギャリガンは、あまりにも呆気なく消滅した。

「……」

 無言のまま、ハワードは機体を操作。コクピット回りの霊力装甲が再展開し、アメン・シャドーⅡが通常状態に戻る。

 ハワードは悼まない。悼んでいる時間がない。何より、友を侮辱したアイツが未だのうのうとしているとあっては――!

「自衛隊!」

 半ば怒鳴るようなハワードの声に、零壱式の田中三尉は答えた。アメン・シャドーⅡ変形直後に、彼らへ与えていた勅命。それを、彼らは守っていたのだ。

「捉えています! 百舌谷もずたに二尉!」

「了解!」

 百舌谷の乗る零壱式れいいちしきが背部二連装キャノン砲を展開、発射。斜めに空を切り裂く大型霊力弾だが、その照準先には何もない――否。一羽の鳥が飛んでいるではないか。

 幻燈結界の中だというのに、こちらを悠々と見下ろしていた、怪しい影。

 霊力弾は、その鳥を粉微塵に吹き飛ばした。

 一瞬遅れて、地表に到達する轟音。ヘルガは手でひさしをつくり、ファネルはうっすらと目を細めた。

「あーもう。なんてことするんスか。僕の兄弟を」

 その二人に、背後から何者かが声をかけた。

 それは、胸に青い宝石のような石が輝いている一羽のカラス。すなわち、ギャリガンの使い魔である筈の、消滅していなければおかしい筈の、アオであった。

 その姿形は、先程零壱式が撃破した鳥、即ちアカと同じであり。

「今度は、」

 振り向きながら、ヘルガは二挺の自動拳銃を構える。

「躊躇しないッ!」

 そして、撃ちまくった。

 銃声、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声が轟く。

 至近距離から叩き込まれた容赦のない弾雨は、ちっぽけなカラスの身体をずたずたに引き裂く。

 かくて黒い破片と化した元使い魔は、霊力光となって分解消滅――しない。

 落下しかかった破片は一旦制止した後、逆再生映像のように元に戻る。ヘルガは察する。未だ制圧しきれていないバハムート・シャドーⅡのどこかから、霊力が供給されているのだと。

 そうして寄り集まった破片は膨張し、変形し、一つの形を編み上げる。

 それは、襤褸じみたローブを纏った一人の男。フードを目深に被っており、一切の表情が伺い知れない。

 知れないのだが。

「いやいやいや。まったくまったく。ねえ。何もかも台無しじゃあないか」

 大きく両腕を広げながら。酷く楽しそうに。その男――無貌の男フェイスレスは、改めて一帯を見回した。

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