第173話『オレの話を聞け、最後まで』

 墨色の点。

 そうとしか形容できない何かが、人造Rフィールドの天井にへばりついている。

「そんな」

 馬鹿な。

 そうギャリガンが言い終えるより先に、蜘蛛の巣状のヒビが走っていく。中心は見上げた墨色の点――もとい、穴だ。先程のインペイル・バスターによって、オウガがブチ抜いて行ったのだ。

 ヒビは広がる。広がり続ける。そして、十秒も立たぬ内に。

 ごう、ごう、ごう。

 土砂降りにも似た音を轟かせながら、赤色の残骸が落ちて来る。ガラス片にも似た、しかし余りにも巨大な霊力塊。それらは重力に引かれて落下しながらも、地面にたどり着く事は決してない。術式の制御が無くなったため、ただの霊力となって分解しているのだ。

 崩壊は続く。Rフィールドは崩れていく。かつて霧宮風葉きりみやかざは――ファントム5の駆るレックウが、フェンリルの力でもたらした破壊と同じように。

 そしてそのフェンリルは、現在マリア・キューザック――ファントム6が所持していた筈だ。

「成程」

 努めて思考を冷却しながら、ギャリガンは状況を分析する。

 先程のチムニー・カタパルトによって、オウガは撃ち出された。恐らくその際、フェンリルによる何らかの術式を付加されたのだろう。だが何故、そうまでして今更Rフィールドの外へ出るのか。

 オウガは既にネオオーディン・シャドーのレーダー観測範囲ギリギリに……いや、今出ていった。あの速度と上昇角度から察するに、このボツワナどころかアフリカ大陸そのものを軽く飛び越えていく軌道ではなかろうか。

 単機で? そもそも何をするために?

「分からない事だらけではあるが……」

 ゆるりと、ネオオーディン・シャドーが構える。グングニル・レプリカの切っ先が、ぬらりと光る。

「……確かな事が、一つある」

「ほー。それは?」

 応じたのはグレン。呼応するフォースカイザーが拳を握り、他のファントム・ユニット所属機達も武器を構える。

「お前達が、私の計画を台無しにしてしまったという事実だ」

 隙無く長槍を構えながら、ギャリガンは見据える。フォースカイザーを。

「特にグレン、キミだ。キミの行動はまったく不可解極まる。現状の状況修正も含めて、何もかも大幅に手を入れる必要があるだろう」

「成程。つまりこの状況からなおやり直せると思っているワケか」

 横から口を挟むメイ・ローウェル――ファントム3に、ギャリガンは取り合わない。

「当然だ。世界中の魔術組織は、依然私の手の内にあるのだ。手間はかかるだろうが対処不可能ではない。そして今、この場で」

 轟。

 ネオオーディン・シャドーの背部スラスター、のみならず。全身の装甲の隙間から、圧縮蒸気じみた霊力光が一瞬噴出。出力最大状態となった証だ。

「キミ達全員を始末し、オウガも追って撃墜すれば、全ては解決する」

「そいつァ奇遇だな」

 ネオオーディン・シャドーから見て、左方向。

 ゆるりと。無造作に距離を詰めたのは、アメン・シャドーⅡ。ハワード・ブラウン――ファントムXが駆る機体であった。

「ああ、キミか」

 目を向けぬネオオーディン・シャドーであるが、その構えに隙は微塵もない。

 ともすれば質量さえ感じる程の敵意が、ハワードへ、アメン・シャドーⅡへ向けられる。

 さながら強風。けれどもハワードは、それを真正面から受ける。そして小揺るぎもしない。

「悪いがキミも対象だ。僕にも堪忍袋というものがあるからね。言い残したい事があるなら――」

 一呼吸。

 その僅かな瞬間で、ネオオーディン・シャドーはアメン・シャドーⅡに肉薄した。完璧な挙動の踏み込みに、背部スラスターの爆発的な加速が乗算された結果だ。

「――死ぬ前にしたまえ」

 音を置き去りにしかねない体捌き。そこから放たれるは、超高速の刺突である。

 命中すれば容易く装甲を貫通するであろう一撃を、アメン・シャドーⅡは上体を傾けて紙一重回避。そこから反撃に、移れない。

 ネオオーディン・シャドーの刺突が、またもや恐るべき速度で閃く。

 アメン・シャドーⅡは際どいタイミングで回避。反撃に映るより先に、三度刺突が閃く。回避する。刺突が閃く。回避する。刺突が閃く。回避。刺突。回避。刺突――。

「あ、れは」

 サラは瞠目した。ギャリガンの技量もさることながら、驚くべきはネオオーディン・シャドーの機能であろう。刺突を一撃放つ度に、あるいは刃を引き戻す度に、装甲の隙間から霊力光が輝いている。機体内部、フレームにまで刻まれた術式が駆動している証だ。

 その術式がもたらす効力を、サラは知っていた。

「灼装と、同じ」

 そう、嘗てのライグランスが纏っていた灼装。それに搭載されていた重力制御術式の改良型を、ネオオーディン・シャドーは行使しているのだ。

 それはあくまで、機体制御の補助。槍を突く時、穂先方向へ。槍を引く時、塚尻方向へ。それぞれ慣性を制御して、動きを加速させる。ライグランスのような攻防一体ではない、だからこそ長く、早く、隙無く行使し続けられる刺突の雨霰。

「ち、ぃ――」

 恐るべきその嵐に、アメン・シャドーⅡは、ハワードは真っ向から立ち向かう。小刻みなステップを踏むような足さばきで避け、あるいはゴールド・クレセントで受け流す。受け流す。受け流す。

 高速の刺突連撃は、やがて一分が経過。その間ハワードは、一秒たりとも反撃に転じる隙を見いだせない。そればかりか腕部、肩部、脇腹などの装甲にじわじわと裂傷を刻み始めてすらいた。

 致命ではない、しかし完全な無視も出来ないダメージの蓄積。ハワードは、遂に音を上げた。

「ああクソ! 先見術式の補助があってもこれが限界か! 性能差がデカすぎんだよ!」

 牽制の薙ぎ払いを残しながら、アメン・シャドーⅡは大きくバックステップ。間髪入れず空中で刃を打ち振り射出。五枚の回転刃はことごとくグングニル・レプリカに破砕されるが、アメン・シャドーⅡが距離を稼ぐには十分であった。

「フー……」

 ネオオーディン・シャドーは、追撃をしなかった。訝しんだからだ。

 例えグラディエーターやディノファングすらも含めたファントム・ユニット全機が相手となろうとも、ギャリガンには勝つ自信があった。それだけの技術が、ネオオーディン・シャドーにはつぎ込まれているのだ。

 実際、それはファントム・ユニット側も承知している筈。ファントムX、ハワード・ブラウンとの内通があった以上、その程度の情報は掴んでいただろう。

 だが。

 もとい、だから。

「……何故、攻めない?」

 純粋な疑問を、ギャリガンは言い放った。

「何故、ってエのは?」

 ゴールド・クレセントの刃を再構成しながら答えるハワードに、ギャリガンは眉をひそめる。

「とぼけるな。先程、アメン・シャドーⅡの刃を私が迎撃した時……いや、それ以前。そもそもアメン・シャドーⅡを攻め立てていた一分間。あの間に、キミ達は幾らでも援護を挟む事が出来た筈だ」

「アー。そりゃ、アレだ。オレとオマエの一騎討ちを邪魔しねエように気を使ってくれたのさ。ドイツもコイツも人がイイ連中ばっかりだからなア」

「ふふ、本当の事を言うなよ。照れくさくなっちゃうじゃあないか」

 アメン・シャドーⅡの背後、着地した黒銀くろがねからメイの通信が入る。

「オメーは人じゃねエだろ。つーか話の腰を折らねエでくれませんかねエ?」

「そう、それだ」

 ハワードと冥のやり取りに、ギャリガンは冷ややかな態度を崩さない。その視線はアメン・シャドーⅡの背後へ、集結したファントム・ユニット機体群へと向けられる。

 そう、そこに居るのは黒銀だけではない。おぼろ。セカンドフラッシュ。少し離れた場所にフォースカイザー。更には自衛隊出向部の某とか言う連中までが、ずらりと機体を連ねている。つまり未だ戦闘している無人機と、この場を離脱したオウガを除く全機が揃っているのだ。

 つまり、これは。

「仕切り直しのフォーメーションを組み直していたワケか? いよいよ小賢しい小手先しか手札が無くなって来たようだな」

「違エな。半分正解だ」

「何?」

「仕切り直しってエのはアタリだが、それは別にオマエを倒すためじゃあねエんだ」

 ぶっきらぼうな、いつものハワードの物言い。だがコクピット内の彼は、少し目を伏せていた。

「時間稼ぎ、兼オレのワガママさ。最後に打ち合ってみたかったんだ。オマエと。全力でな」

「そうか。もういい」

 意味不明。だが敵機が一所に纏まっているのであれば、一網打尽にしない理由がない。

 ギャリガンはネオオーディン・シャドーの構えを変える。突き出される右掌。収束する霊力。発動するは、絶大な威力を持つ氷嵐のルーン。

 それが、放たれる直前。

 唐突に、ハワードはアメン・シャドーⅡの霊力装甲を一部解除。胸部と頭部が消失し、ハワードの姿が露わになる。

 更に間髪入れず、ハワードは柏手を打つ。

 一回、二回、三回。

 そして、言い放つ。良く通る声で。まっすぐに。

「まあ、そう言わずによ。『オレの話を聞け、最後まで』」

「――」

 発射直前まで移行していたハガラズの霊力光が、唐突に霧散する。更にネオオーディン・シャドーは、グングニル・レプリカの構えすら解いてしまう。

「――良いだろう」

 その、異様なまでの素直さ。話には聞いていたが、それでも目の当たりにしたマリアは、目を伏せた。

「……」

 何も、いう事が出来なかった。

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