Chapter17 再起 05

「ファントム5。鎧装、展開」

 風葉かざはが構えた左腕。その手首に装備されたリストデバイス――を、模した術式制御中枢部から、霊力光が放たれる。

 光の線は精密回路の如く幾条にも分割し、風葉の体を包み込む。そして、一瞬の閃光。

 それが収まると、風葉の姿は白と赤の鎧装に置き換わっていた。

「ううーん。なんかスッゴイ久し振りだなあ」

「そうだネー。実際二年ぶり? くらいになるのかナ」

 膝立ち状態のままにこやかに頷くヘルガだが、その眼だけは笑っていない。じっくりと、風葉の状態を確認している。

 そもそも、現在の風葉は分霊体に近い状態だ。わざわざこんなプロセスを踏むよりも、身体そのものを変質させた方が早く済む。霊力装甲を発動させる時のように。

 それをわざわざ避けたのは、偏に風葉の精神のためだ。

 その存在を維持するため、今の風葉には記憶に特殊な処理を施している。今の鎧装展開もそれの一環なのだ。

 かつての自分が行ったプロセスをなぞる事で、認識を強固にする。自己を再定義する。

 いわば一種の自己暗示だが、肉体の無い今の風葉には中々に効果のある方法、の筈だ。

「……このやり方を悪い方向に使ったのがグレン・レイドウのイラつきなんだろうナー」

 だとすれば、ゼロスリーもつくづく不幸な事だ。精神的な自傷行為を、育ての親に強制されているようなものではないのか――そんな思考を走らせつつも、ヘルガがそれを表情に出す事はない。ただ淡々と、自分の格好をしげしげと見つめる風葉を観察し……。

「ところで風葉、どうかしたの? さっきからずっと鎧装を見てるみたいだけどサ」

「ん、あ、はい。大した事じゃないんですけど」

 軽く、風葉は両腕を上げる。

「前来てたヤツとは色が逆なんだなー、って思いまして」

「ああ、そーいうコト」

 自己再定義の為に同じ装備を用意こそしたものの、まったく同じ形状にするとそれはそれで認識齟齬を生じかねない。畢竟、今ここにいるファントム5は霧宮風葉の影法師に過ぎないからだ。

 故に、ヘルガは風葉の鎧装のカラーパターンを変更した。あえてだ。

 具体的には、上が白、下が赤というどこか巫女服を思わせていたファントム5鎧装の配色を、逆にしたのだ。

「ま、色々理由はあるんだけどサ。具体的にはアタシの趣味嗜好ってのが強いかナ?」

「それが最大の理由なのでは?」

 眼鏡のブリッジを押し上げながらツッコむオーウェン。ヘルガは肩をすくめた。

「ま、否定はしませんけどネ? 名付けるなら、そう、ファントム5アナザーバージョンってトコですかネー。うーんすごい限定版な名前!」

「んん、まあ、これはこれでカワイイ感じなのは分かりますケド」

 かつてと同じスラスター機構を内蔵した袖を撫でた後、風葉は改めて正面の建物を見た。

「に、しても。本当にここへ来る事になるのはびっくりだなあ」

 見上げる。入口の上、設置された時計が示す時刻は、午後十一時少し前。

 その建物は鉄筋コンクリート製の三階建てであり、北校舎と南校舎の二つに分かれている。

 二つの校舎は東西の端が二つの連絡棟でつながっており、真上から見ると丁度正方形のように見える。

 そんな、長年にわたる拡張を重ねた学校の名前を。

 霧宮風葉は、良く知っていた。

日乃栄ひのえ、高校」

 そう。風葉達は今、日乃栄高校北校舎の、正面玄関の前に居るのだ。

「正確には、ここの地下にある霊地に用がある訳ですけどね」

 補足するオーウェン。その服装は、既にBBBビースリー標準仕様の鎧装である。

 涼やかな立ち姿。だが手元に展開した立体映像モニタには、周囲の地図と霊力状況がリアルタイムで映し出されている。術式による周囲警戒だ。

「ま、そのためにこの二年用意を進めて来たようなモンですからネー」

 立ち上がるヘルガもまた鎧装姿である。そのカラーリングは、やはり風葉と同様に二年前のものとは反転している。もっとも、こちらは純粋に趣味のためだ。

 付け加えるとグレイブメイカーも携行していない。作戦の都合上必要な場面が無い事と、そもそも新規調達が難しい武器である事。この二つが重なったためだ。

「とにかく、準備は終わりましたヨ」

「お疲れ様です。それにしても実際、素晴らしいですね。先見術式の補助があるとは言え――」

 ぐるりと、オーウェンは周囲を見回す。日乃栄高校校門前。彼ら三人が立つ、半径五メートル。そのごく狭い範囲を、幻燈結界げんとうけっかいが覆っているのだ。

「――こうも見事に、既存の防備システムを欺く事が出来るとは」

 かつて辰巳たつみがchapter03で確認して回っていた、日乃栄霊地周囲の警戒網。完全な無人化、かつギノア・フリードマンの襲来前とは言え、その警戒レベルは決して低くない。酒月利英さかづきりえいが手掛けた防壁は、むしろ世界有数の厚さであった筈だ。

「ははは! まァータネの割れた手品みたいなモンですからネ。どんだけ綿密に構築されたシステムだろうと、どこかに穴は必ず生じる……セキュリティホールみたいなモンです」

 あっけらかんと笑うヘルガ。だが先見術式の助けがあったとは言え、その苦労は並々ならぬものがあっただろう。何せあの利英の構築物が相手だったのだから。

 だがそんな裏事情なぞおくびにも出さず、ヘルガは風葉へ向き直る。

「ほいじゃー風葉……や、ファントム5アナザーっていうべきかナ?」

「あ、えーと、まあどっちでも」

「オーライ。じゃあファントム5アナザー。準備はよろしいかナ?」

「あ、はい。そっちは大丈夫ですけど」

 歯切れの悪い反応。少し、ヘルガは片眉を上げた。

「どったの?」

「あ、いやその。本当にやるんだなあ、って思いまして」

「ああー」

 ヘルガは得心する。考えてみれば、風葉が困惑するのももっともな話だ。

 対オーディン・シャドー。対バハムート・シャドー。対アメン・シャドー。虚空領域への迷い込み。

 なんだかんだで短期間に様々な鉄火場を潜って来たファントム5アナザーではあるが、それでも今から行われるヘルガ達三人の企みは、それらのどれとも異なるものだ。

「確かにファントム5アナザーは初めてだったかナ。ここまで完璧な奇襲はサ」

 しれりと言うヘルガ。そして、その言葉に偽りはない。

 ヘルガ達は今、日乃栄霊地に訪れるだろうギノア・フリードマンを抹殺すべく、手ぐすね引いて待ち構えているのだ。

「実際、中々骨が折れましたからね。ここまでの段取りを整えるのは」

 言って、オーウェンは思い出す。立案したのはヘルガだが、実働を担当したのは概ね彼なのだ。

「霊地と言っても結局は建造物ですから、定期的に内装の点検や部品の交換は必ずある。その担当術師に接触し、交渉なりニギニギなり袖の下なりをして仕掛けを施させる……と言うのが普通なん、でしょうけどね」

「けど、ソコは先見術式のデータがあるアタシらのイニシアチブを発揮するトコだよネ」

 オーウェンの言葉を継ぎながら、ヘルガは腰に手を当てた。

「どこの組織のどんな部品をどの辺りへ配置するのか、っていうのは風葉とテレビを見る前に先見術式で散々確認してたトコでサ。ロット番号単位で割り出してたワケよ」

「そして、その部品が倉庫へある内に僕が侵入しまして――」

 一旦言葉を切る。

 オーウェンは空を、遠くを見た。

「――ホント、大変でしたよ」

 しみじみとした一言の中に、押し込めきれない何かを、風葉は感じ取った。

「いやあホントにその節はありがとうござました。そしてその仕込みがうまーく動いたからこそ、こうした局所的な幻燈結界が動いてるワケであり、先見術式の正確性が改めて立証されたという裏付けであり……」

 言いつつ、ヘルガは立体映像モニタを展開する。

「……こうした、我ながら無謀に右足の半分と左足の全部を突っ込んだような作戦が建てられたワケだね」

「それ、だいたい両足つっこんでるようなものなのでは?」

「はっはっは、何をおっしゃるフェンリルさん。虚く……アタシに協力する事を決めた時点で、両足どころかヘソの辺りまでドップリってなモンだよ」

 立体映像モニタの中には、日乃栄霊地の内部構造3Dマップが映し出されている。オーウェンの調査活動によってもたらされたその描画制度は、実に正確無比。これ以上の精度を求めるならば、機密データである詳細建造記録くらいしか無いだろう。その出来を指さし確認しながら、オーウェンは嘆息する。

「いやーしかしホントよく出来てますねえ」

「でしょう? あの時用意した部品に仕込ませた術式がウマーく機能してるって証拠ですヨ」

「ええ、ええ。これほど見事なものが見れただけでも、綱渡りをした甲斐が……おや」

 オーウェンは片眉を上げる。3Dマップの一点、霊力貯蔵区画へ通じる通路の中ほどへ、揺らぎが唐突に生じたからだ。

「描画バグ、ではないですよね」

「モチロン。誰かがこの場所に転移して来たって証拠ですよ。多分恐らくは、フォースアームシステムで」

 ヘルガの言葉を裏付けるように、揺らぎは大きくなり、やがて収束する。代わりに現れたのは、人型の反応が一つ。

 監視カメラまで手は回らなかったため、霊力センサーによる計測ではある。

 だがこの日、この時。日乃栄霊地に忍び込む目的を持っている者の名を、ヘルガは一人しか知らない。

「遂にいらっしゃいましたねえ。ギノア・フリードマン殿」

 ヘルガは笑おうとして、しかし果たせなかった。全ての元凶……というワケではないが、それでもこの状況の、最初の引き金を引いた魔術師。

 彼がこの時、何かをしたから、霧宮風葉はchapter01-01でフェンリルを憑依してしまった。オーディン・シャドーは完成してしまった。

 全てが、始まってしまった。

 だが、ならば。

 それを、今この時。叩き壊してしまったならば、一体どうなるか。

 ――ああ、そうだ。ヘルガ自身、その危険性は重々承知している。何せ歴史を変えようというのだ、何が起きるかなんてわからない。下手をすれば生身の自分との齟齬がため、合一を果たせず風葉共々消滅してしまうかもしれない。

 だが。いや、だからこそ。

 敵の。グロリアス・グローリィの初動を、挫く事が出来る。

 そしてそれは、途方もないイニシアチブとなり得るはずだ。

 ヘルガはそう判断し、風葉とオーウェンは了承した。

 その為の積み重ねは既に終了しており、満を持して、このタイミングが訪れた。

 一回。大きく、ヘルガは深呼吸する。

「じゃあ、始めようか」

「はい」

「ええ」

 頷く風葉とオーウェン。その二人の前へも立体映像モニタが投射され、更に裏面から光の線が幾本も伸びる。線はいつの間にか地面へ展開されていた術式陣に接続し、術式陣は更に地下へと延びる本体へと経路を繋いでいく。

 風葉には解る。術式を通じ、伸びる経路が日乃栄霊地を包んでいく感覚が。その経路の基点となり、幻燈結界の調整を行っているオーウェンの繊細な作業が。

 看破の瞳を持つキューザック家の者だからこそ行える、霊地の構造を完璧に読み切った干渉行為。それは言わば高度なクラッキングにも似ており、リアルタイムで変動する霊地の索敵範囲を、都度適切に修正しなければならない。敵に、世界に、気づかれないように。

 ヘルガの方も同じく暇ではない。彼女が担当するのは、この日のために特注された幻燈結界術式。未だ発動してはいないが、ひとたび放たれればマーキングした対象を除いて、コンマ数秒で日乃栄霊地内部を覆いつくす事が可能だ。

 方向性は違えど、これもまた強力な術式。故にかかりきりであり、最後の引き金を引く事は出来ない。

 そしてそれは風葉の、ファントム5アナザーの役目だ。

 彼女は、霧宮風葉は、本来ただの高校二年生だ。それはつまり、二年間日乃栄高校に通っていた事を意味する。

 日乃栄霊地に、無形の霊力を提供し続けていた事を意味している。

 総体から見れば、それは一パーセントにも満たない。だが少なくともファントム5アナザーは、この日乃栄霊地と霊力面での繋がりがある。そしてファントム5アナザーの鎧装には、その繋がりを元にした日乃栄霊地限定の索敵機能が備わっており。

「見つ、けたっ」

 そのセンサーが敵の、ギノアと思しき男の正確な位置を捉えた。

 ファントム5アナザーには解る。ギノアの立ち位置のみならず、姿勢、一挙手一投足までもが。

 ギノアはかがみ込み、床へ両手をついている。何らかの術式陣を敷設しようというのか。

 させない。風葉は、ヘルガを見やる。

 ヘルガは、頷きを返した。

「十秒後だ! カウントスタートするよ!」

「はい!」

 モニタ上へ現れるカウントダウン。瞬く間にゼロへ近づいていく数字を眺めながら、風葉は右手を画面へ押し当てる。うっすらと、笑う。

 まさか、私がこれを使う日が来るなんて――そう思考した矢先、ヘルガは己のモニタを操作。作戦通りに術式を起動する。

「特注幻燈結界! 発! 動!」

 タップされるボタン。地下施設内、一瞬で覆いつくす薄墨色。一気に霊力量が上がったため、秘匿経路の隠蔽に苦心するオーウェンの無言。それら全てを感じながら、風葉は叫んだ。

「ヴォルテええええええぇックっ!・バスタあああああああっ!!!」

 かくて発動した破壊術式は、幻燈結界に囚われたターゲットを、僅か三秒で蹂躙した。

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