Chapter17 再起 04

 ヘルガ達がUSCに借りている区画は四つある。

 先程オーウェンと合流した指令室。各種資料の精査や状況の確認を行う作戦室。術式や大鎧装の研究開発を行う開発室。

 そして、彼女がこんこんと眠り続けている保管室。この四つだ。

 その、保管室に。

「ううーん。実際ヒサシブリになっちゃうんだナー会うの」

 ヘルガと、オーウェンは訪れていた。

 消えていく転移術式の光を背に、オーウェンは問う。

「約半年ぶり、ですか。あの子も大変でしょうね、目覚める度に時間がぐんと進んでいるというのは」

「んんーまあそのヘンはお互い納得済みでしたし。何よりそうしないと先見術式の整合性とか、あの子のメンタルが大変な事になりそうでしたしねえ」

「そうでしたか」

 薄い笑みを張り付けながら、オーウェンは思考する。

 彼女について、詳しく説明を受けた事はない。いずれ娘の、マリア・キューザックの友人になるという事が分かっている程度。しかもその知識さえ、封鎖術式が発動すれば閉ざされてしまう胡乱な代物。

 まるで午睡の夢だ。だがこの夢に現れたヘルガは、オーウェンにとって非常に重要なものを伴ってもいた。

 即ち、利益だ。ヘルガからもたらされた術式の各種データは、それこそ値千金のものばかり。ダストワールドの成功とて、彼女が……もとい、彼女らが居なければこうはいかなかったろう。

 更にはそれらがもたらした功績により、キューザックの名はBBB内部でもじわじわと存在感を確立しつつある。素晴らしい事だ。あるいは、それが協力を維持するための担保なのだろうが――どうあれ、オーウェンはヘルガの背を見る。彼女が忙しなく操作するコンソールは、この部屋の大部分を占める巨大装置の、制御中枢だ。

 その操作が、程なく終わる。

「よし、と」

 一歩引くヘルガ。手持ち無沙汰なオーウェンは、改めて装置と、この保管室を見回す。

 容積自体は、先程の指令室の半分くらいしかない部屋。

 その半分を、当然のように占拠している機械群が、件の保管装置。

 巨大なシリンダーがまず中心にあり、それを囲むように大小さまざまな装置群がひしめいている異様な光景。それはいわおが手塩にかけ、今もヘルガの肉体が保管されている装置にどこか似ている――しかしオーウェンには分かろう筈もない――その機構群が、一際大きな音を立てる。シリンダーの前面ハッチが開く。

 光。霊力。圧縮蒸気。

 それらが混合した煙がもうもうと立ち込め、オーウェンは思わず片眉を上げる。だが煙はすぐに掻き消え――程なく、保管されていた人物が歩み出てくる。

「ふわぁ……おひゃようございまあす」

 即ち。あくびをする霧宮風葉きりみやかざはが。

「オハヨウ風葉。寝心地はどうだったかな?」

「寝心地、と言いますか。なんか気が付いたら寝て起きてた感じですね。実感がわかないっていうか」

「おや、そうなんだ。そのヘンも結構気を使って調整したつもりだったんだけどねえ」

「んんー。多分慣れないからだと思うんですよ。そもそもパジャマじゃないですし」

 言いつつ、風葉は自分の格好を指差す。

 清潔な半袖のセーラー服に、プリーツスカート。首元には赤色のリボンが結ばれ、足元は動きやすいスニーカー。今の風葉は、日乃栄高校指定の夏服姿だったのだ。

 水着も結構可愛かったのにナー。そう思うヘルガだったが、口には出さない。風葉は続ける。

「何より、布団と違って横になってないですから」

「あー成程。じゃあ重力制御術式も組み込んどけばよかったかな、垂直方向に。ウォーターベッド風味だ」

「ん、んー。それはそれで落ち着かないかも」

 盛り上がる二人。にこやかに見守るオーウェン。やがて風葉は、その視線に気付いた。

「あ、すみません。なんか私達だけで盛り上がっちゃって」

「いえいえ、構いませんよ? 久々の再開で盛り上がるなというのが無理な話でしょうし」

 言いつつ、ふとオーウェンは思いつく。

「……ところで。『初めまして』霧宮風葉さん。オーウェン・キューザックです」

「あ、はい。はじ、め……」

 ザリ、ザリ、ザリ。

 風葉の輪郭が、歪む。それは一瞬。されど砂嵐がかかった画面のように、酷く不鮮明になる。

「……め、まして。霧宮、風葉です。マリアのお父さん、なんですよね? なんか、ヘンな感じですよね。これから知り合う相手の事を知ってるなんて」

「ええ、まったくですね」

 にこやかな笑顔を崩さぬまま、オーウェンは頷く。だが彼がこのやり取りを風葉としたのは、これが三回目だ。

 ――ヘルガは虚空領域からの移動や、その後の戦略展開を視野に入れ、入念な準備を進めて来た。知識と、精神を保持する術式で、幾重にも己を保護していた。

 だが、風葉は違う。半ば飛び入りのように虚空領域へ踏み入った彼女へ、そうした補助を用意する余裕なぞ、ヘルガには無かった。そしてその不手際が、予想以上に尾を引いた。

 端的に言うならば。紙コップに、穴が開き始めたのだ。

 レックウ・レプリカを用いたイギリスへの移動。オーウェンとの交渉。その他諸々の雑事。

 綱渡りするような事案が多かった事もあるだろう。だが何よりも、本物の霧宮風葉から切り離されている事実が、彼女の自我に負荷を与えていたの。

 気づけば、風葉は壊れかけていた。

 ヘルガの対応は迅速だった。chapter11で得た情報を元に保管装置を作成し、風葉をその中へ休めた。そこから解析を進め、崩壊の原因が記憶の齟齬にある事を突き止めると、ヘルガは風葉に説明した。それは長くなったが、要点をまとめるとこうなる。

 一、今後霧宮風葉は基本的に保管装置内で眠って過ごす。

 二、必要局面ではヘルガが起こすが、基本的にする事はない。出来ない。

 三、保管装置へ入った日を基底とし、それ以降の記憶は装置へ戻る度消去する。

『つまりさ。風葉の記憶領域をいじるしか、方法はないってワケ』

『そう、なんですか』

 風葉は了承した。他に方法は無いし、何よりヘルガを全面的に信頼していたからだ。

『自分を殺す覚悟はあるか、なんて聞いときながらアタシ自身がこうするなんてねぇ……ヒッドい皮肉だよ』

 最初に保管装置を起動した日、ヘルガは思わず漏らしたものだ。

 どうあれ、それ以外の状況は概ね予定通りに推移した。術式の開発。大鎧装の設計。chapter16をひっくり返すための、下準備。約二年間、そうした物事をヘルガ達は推し進めて来た。

 だが、今日は。

 今日だけは、別だ。

「ところで、今回は何をするんでしたっけ」

 いつもと同じ、風葉の問いかけに。

「うん、今回はね。日乃栄高校に行こうと思ってるんだよネ」

 いつもと違う笑みを、ヘルガは返した。

「……? 私の学校に、ですか?」

「そ。正確には、その地下。日乃栄霊地に用があるのさ」

「……んん?」

 状況が飲み込めない風葉。ヘルガはリストデバイスを操作し、人数分の椅子を生成。全員腰掛ける。

「起きたばっかで自覚無いかもだけどさ。今日は、十日前なんだよネ。風葉に、フェンリルが憑依する日の」

 ヘルガは更にリストデバイスを操作。三人の前にそれぞれ立体映像モニタが展開し、同じ映像が、日乃栄霊地の概略図が映り出す。

「ギノア・フリードマン。彼が最初に日乃栄高校へ現れたのは、風葉に犬耳が生えた日じゃあない。その前に一度ここへやって来ていたらしい事が、その後の巌や帯刀たてわき一佐の調査で分かる、事になっている」

 ぴん、と。ヘルガはモニタを弾く。

「だから、それを、叩き潰す」

 ヘルガの言葉に嘘は無い。それは既に、先見術式で観測された事象だ。

 だが、具体的に彼は何をしたのか。

 何らかの下準備? あるいは無形の霊力のサンプル入手? 巌や利英は仮説を幾つか立てたものだが、結局それが明らかになる事はなかった。痕跡が少な過ぎた事もあるが、何よりもそこから続いた状況が推理を許さなかったためだ。

 だから、そこは先見術式でも見る事が出来なかった。

 そして同時に、全ての状況の出発点でもある筈だ。

「僕にとっては未来の出来事なんですけどね」

 肩をすくめるオーウェンに、ヘルガは薄く笑う。

「アタシらだってそうですよ。ひょっとしたら、今まで積み重ねた全部が引っくり返っちゃうかもしれないワケですからネ」

 霧宮風葉へのフェンリル憑依。そこから始まってしまった、一連の事件。

 その、起点となった人物と、物事が。

 あと数日の内に、日乃栄霊地へ忍び込む。

 だから。

 ヘルガ達は、そこへ急襲をかけるのだ。

「一体、何が起こるんでしょうか」

 疑問を呟く風葉。それは酷く素朴なものだが、明確に答えられる者は居ない。

 眉間にシワを寄せながら、ヘルガは口を開く。

「分からない。今までと違って、情報が何もないトコロだからネ。さっきも言ったけど、今まで先見術式で見て来た事柄の全部を、アタシら自身の手でひっくり返そうってワケだからサ。色んなコトを、ブチ壊しちゃうかもしれないワケさ」

 つまるところ、それは未来の改変だ。

 これを行えば、戦況が有利になるかもしれない。ザイード・ギャリガンの動きを封殺出来るかもしれない。そもそも戦い自体を、無くす事が出来るかもしれない。

 だが、それは同時に。

 五辻辰巳いつつじたつみと霧宮風葉が知り合うキッカケを、潰してしまうかもしれない、という可能性にもつながっている。

 いわゆるバタフライ・エフェクト。そしてもしそうなってしまえば、本体が昏睡状態のヘルガはともかく、風葉は意識の齟齬が大きくなり過ぎ、合一が不可能となるかもしれない。

 そうなれば、待っている未来は――。

「つまり、思い切りが肝心って事ですね」

 しかし、それでも。

 いや、だからこそ。

 風葉は、迷いなき双眸でヘルガを見た。

 かつて。

 そして、これから。

 己の消失に慟哭する男を、知ってしまっているが故に。

「……。オーケー、その通りだ」

 一旦目を伏せ、ヘルガは息を吐く。顔を上げる。

「それじゃあ、改めて作戦を詰めていこうか。敵を倒すために」

 その表情は風葉と同様、堅い決意に裏打ちされたものだった。



 ――そうして会議を始める三人であったが、しかし一つだけ誤算があった。

 その日。日乃栄霊地へ忍び込むのは、ギノア・フリードマンではなかったのだ。


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