Chapter17 再起 03

 ダストワールド。

 アメリカはサンフランシスコに本拠を構えるベンチャーゲーム会社、コンダクターが一年ほど前にリリースしたスマートフォン向けゲームアプリの名前である。

 テンポよいキャラクター同士のかけあい、シンプルながら奥深い戦闘システム、そこかしこに散りばめられたストーリー上の謎などが評判を呼び、中々の売り上げを記録している作品だ。

 アメリカのみならず世界各国でもプレイヤーは増えており、日本でも公式ローカライズがなされた事で、いよいよ売り上げの勢いを増しつつある。

「ウンウン、イイ感じだねえ」

 先日ニュースサイトにアップされた、日本向けのダストワールド特集記事。スマホをフリックするヘルガは、その内容をもう五回は読み返していた。読み返しながら、にやにやしていた。なお、現在のヘルガは立方体ではなく元の人間の姿になっている。

 虚空領域から出た直後のあの日ならばいざ知らず、あれから大分時間がたっているのだ。何より、他者へ協力を取り付けるのにあんな姿では色々とトラブルを生むのは火を見るより明らか。故の換装であった。

「必要に迫られて被った擬装みたいなモンだったけど、ここまで評判良くなるってえのはやっぱ気分イイもんだネ」

 上体を預けた背もたれを揺らしながら、ヘルガは辺りを見回す。ファントム・ユニット執務室の二回り以上は広い、どうにも奇妙な雰囲気の部屋。

 西側の壁には大きなモニタを備えるコンソールが備わっており、その正面にデスクが一つ。これにヘルガが座っており、そのやや離れた正面へ更にデスクが二つ。

 最奥には衝立で囲まれた区画があり、はめ込まれた磨りガラス窓越しに、ソファを並べた接客スペースがうっすら見える。そしてその衝立にはポスター――ダストワールドのカラフルな絵が、額縁入りで飾られている。

 他にも書棚に収まった資料やデスク上のPCなど目に付くものはあるのだが、それでも違和感をぬぐい切るには至らない。

 原因は、主に二つ。

 一つ目は、人があまりにも居ない事。とは言え先程ヘルガが独りごちた通り、ゲームアプリ開発会社自体はもっと別の場所、霊力や魔術とはほぼ関係ない人達が運営している。下部組織、というよりもダミー企業だ。とあるプログラムデータを組み込む事を条件に、資金融資などの工面を図っている。

 そうした形態の会社運営自体は、特に珍しいものではない。魔術組織が関与しているなら尚更に。だがそれを差し引いても机の数が少ないのは、成程おかしな話である。

 そしてそれ以上に奇妙、かつ単純なのが二つ目。

 出入口の扉が、どこにも見当たらないのだ。

 見回しても壁には継ぎ目さえ無く、目に付くのはせいぜい先程のポスターくらいなもの。

 だがまあ、それも当然だ。そもそもここは地下、かつまともな手段で出入りする場所ではないのだから。

「さてさて、今日の予定はーっと……おや」

 不意に、ヘルガは顔を上げる。

 衝立の向こう、立ち上る霊力光。見えない位置に設置された装置が稼働したのだ。

 光は瞬く間に像を結び、扉サイズの長方形――転移門を作り出す。そこにあったのは、転移術式の発生装置だったのだ。

 かくてその扉をくぐり、一人の男性が入室する。

「おはようございます。ご機嫌いかがですか?」

 衝立の陰からにこやかに現れたのは――マリア・キューザックの父、オーウェン・キューザックであった。

「おはよーございまーす、キューザックさん。というか、朝なんですね今?」

 ひらひらと手を振るヘルガ。親しげな仕草だが、実際その通りだ。ヘルガがオーウェンへ秘密裏の協定を結んでから、既に二年が経過しているのだから。

「ええ、その通り。ここからでは見えませんが、太陽は今まさに西の水平線へ沈もうとしていますよ」

「なるほどーそりゃまた爽やかな空気が吸えそうですねー」

 はっはっは、と笑いあう二人。

「ところで、飲み物はいつもので?」

「ええ、お願いします」

 言いつつ、自分のデスクに座るオーウェン。同時に、ヘルガの背後コンソールの左端ブロックが音を立てる。パネルが開き、うっすらと冷気が立ち上る。

 大仰な仕掛けだが、要するに冷蔵庫が組み込まれていたのだ。

 そしてその冷気の中に、入り混じる霊力光。それは瞬く間に寄り集まる。伸長する。オーウェンのデスクへ向かって。

 それは、緩やかな曲線を描く術式のレールだ。冷蔵庫内部の瓶を一つ取り出した術式は、曲線に沿ってオーウェンの手元へ速やかにそれを運送。

 滑らかに到達したそれを、オーウェンは受け止める。右手で。左手には、デスクの引き出しから取り出した栓抜きが握られており。

 流れるような手つきで、オーウェンは栓を開ける。椅子の背もたれにぐっと寄りかかりながら、一息に飲み干す。

「……っ、ふはあー! いやあいつ飲んでも頭がシャッキリしますねえ!」

「うーん。アタシは味覚を忘れて随分になるんですけど。それってそんなにウマいモンでしたったっけ」

 がこん。自動で閉まる冷蔵庫を背で聞きながら、ヘルガはオーウェンが持つ瓶をまじまじと見る。

「僕は好きですよ? ドクターペッパー」

 オーウェンはもう一口煽る。にこやかな笑顔。

 その表情のまま、切り出す。

「それにしても、本当にトントン拍子に行きましたね」

 ことん。オーウェンが瓶を置く。

 応じるように、ヘルガは指を組んだ。

「そうですねー。ダストワールドの開発と販売は、緩やかながらずっと右肩上がり。裏に組み込まれてるプログラムの具合も上々で」

 しれりとヘルガが言い放った通り、ダストワールドにはプレイヤーが放つ無形の霊力を計測するプログラムが、秘密裏に組み込まれているのだ。

 無論そうした取り組みをしている魔術師は、ヘルガ達以外にもそこそこの数が居る。だがダストワールドが計測するデータの精度は、前述のそれらを一回り上回っているのである。

 だが、オーウェンが言いたいのはそこではない。

「それもありますけど、何より僕達は出会い方が奇縁も良いところだったじゃありませんか」

「ああー。そういえばそうですね」

 くすくすと、ヘルガとオーウェンは笑いあう。

「オーウェン・キューザックさんですね。二年後、お宅の娘さんが友達になるのでどうか手伝って頂けませんか……いやはや。風葉かざはくんの懇願は、二年たった今でもありありと思い出せますよ」

 言って、オーウェンは目を閉じる。

 二年前。ロンドン、ウェストミンスター区。

 深夜。霧煙る路地の向こうから現れた、幽霊ゴーストじみたライダー。その異様な雰囲気に、オーウェンは当初気圧されかけたものだ。

 だが、それ以上に彼女達は切羽詰まっていた。具体的に言うと、霊力が切れかけていたのだ。

「あー。あの時は思った以上にタイヘンでしたからねー。世界の魔術的な監視網の穴はあらかじめ分かってたんですケド、それを差し引いても日本からイギリスに来るのは、大分キツかったんですよねー」

 隠密行動である以上、持ち出せる霊力の量は限られていた。秘密拠点にはまだまだ大量の霊力が隠されていたが、下手に大量に動かしてレーダーに捉えられては元の木阿弥。故に、ヘルガは風葉ですら目を剥く程に少ない霊力で行動を開始したのだ。

『だーいじょうぶだって! アタシらが発見される可能性は先見術式でもあんまり見なかったから、多分きっと割とナントカなるって! イケルイケル!』

 などという口車に押し切られ、レックウ・レプリカは発進してしまった。

 そして、多大な労苦を味わったのだ。

「いやーもうホント。思い返せば二年前のレツオウガん時よりもよっぽど死にかけてたなあ」

「まったくですね。僕もそこそこ長く魔術師をやってはいますが、分霊のような存在が行き倒れかけているというのは初めて見ましたからねえ」

 感慨深げに言い合う二人。その夜からこの秘密提携関係は始まったのだから、さもあらん。

「しかもその分霊が、僕の進めているダストワールドの事を、僕以上に詳しくしっているとありましてはねえ。興味が沸いてしょうがなかったワケですよ」

「でしょうねえ。コッチとしても何とかなるだろうナー、っていう期待はあったんですけど……先見術式で予測する事は、もう出来ないですからねえ。戦々恐々でしたよ、割と」

 ダストワールド配信による、世界規模の無形の霊力の分布計測計画。その配信方法やプログラムの改善案を出会い頭に告げて来た立方体に、オーウェンは目を剥いたものだ。

「でもまあ、その後はもう絵にかいたようなトントン拍子で」

「ええ、ことごとく上手く行きましたね」

 実際、上手くいかない筈がなかった。何せヘルガはダストワールドの評判や売り上げを、先見術式である程度知り得ていたのだから。

 そうした情報を、オーウェンは戸惑いながらも信用した。厳重に隠匿しながら。

 その徹底ぶりを思い返したヘルガは、改めて苦笑する。

「しっかし、思い切った事しましたよねオーウェンさんも。アタシらとの秘密を守るためとはいえ、自分で自分に封鎖術式を施すなんて」

 封鎖術式。

 かつてモーリシャスへ赴いたあの作戦時、秘密を守るため風葉に施された記憶制御術式の一種。その感触を、オーウェンは思い返す。

「なに、大した事でもないと思いますよ? 組織内でも秘密を守るため、そうした使い方をする術者は少なくありません。それに、こうして時間を指定して解けるよう設定しておけば、セッションの時間に遅れるような事にもなりませんからね。不便はありません」

「だと良いんですけどネー。奥さんに勘繰られたりしませんでした?」

「……」

 無言のまま、オーウェンはドクターペッパーの瓶を弄んだ。

「……まあ、それはともかく。ダストワールドは順調に実績を積み重ねています。USCとの合同計画でもあるので、BBBの派閥が関わって来る事もほぼありません。快適そのものです」

 USC。アンダー・シップ・コネクション。しれりと、オーウェンはその名を言った。

 サンフランシスコ地下に、幾つもの秘匿施設を持つ魔術組織。そのうちの幾つかをオーウェンは借り受けており、ダストワールドの開発及びヘルガらを匿うのに用いている。

「USC、かぁー」

 こつこつ。何となく、ヘルガは机を小突く。何気なく、右の壁を見やる。

「こうしてる今も、近所のどこかで……それこそ、この壁の向こうでグロリアス・グローリィがなんかしてるのかもしんないんですよねぇ」

「そうですね。もっともそれを察知したり邪魔したりなんてのは、まず出来ないのですが」

 他の魔術組織に比べて、圧倒的に歴史が浅いアメリカの魔術組織、USC。彼らが魔術世界に根を下ろすため行ったのが、地下施設の貸し出し、及び強固な結界による匿名性の担保であった。

 盗聴。透視。洗脳。果ては場所や器物からの記憶読み取り。魔術による秘密裏の情報収集の手段及び正確さは、今も昔も凄まじい精度を誇っている。ちょっとした内緒話すら、細心の注意を払わねばならぬ状況。

 そこに、USCは商機を見出した。地下に建造された貸し施設には、グレードによって差異こそあれど幾十、幾百にも及ぶ術式の防護壁が施されている。

 特にグロリアス・グローリィや、今オーウェンが借りている部屋は、最上級である空間分割レベルの術式が施されているのだ。これを突破するためには、それこそ中規模の霊地を丸ごとつぎ込むくらいの霊力が必要となるだろう……と、USCの宣伝担当は初期から言っていたものだ。

 またUSC自体が若い組織であるため、組織間のしがらみが全く無い。つまり中立であり、世の魔術師達はそれを大いに利用した。そうしてUSCは、魔術世界での足場を確たるものにしていったのである。

 ヘルガが言った通り、こうしている今も近くのどこかで、それこそ壁一枚の向こうでおぞましき策略がうごめいているのかもしれない。だが、それは考えたとて詮無い事。

 それに、何よりも。

「現状、最も邪悪なコトを企んでるのは、他でもないアタシらですからねえ」

「ええ、まったくですね」

 ヘルガとオーウェンは、にやりと笑いあう。そして。

「んじゃまあ、ボチボチ起こしに行きましょうか。眠り姫を、ね」

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