Chapter17 再起 06

 跳ね回る足音が、通路の奥へと消えていく。

 その後を追うように、三人は歩みを進める。

 ヘルガ。風葉かざは。オーウェン。それぞれ油断なく武器を構えながら、しかし迷いなく進んでいく。標的の位置も人数も分かっている以上、当然ではある。

「静か、ですね」

 だがそれでも、風葉はつぶやかずにはいられなかった。

「そりゃーそうだよ。さっきのヴォルテック・バスターで、霊地の中にあったヤツは一掃しちゃったからネ」

 にこやかに笑いながら、しかしヘルガの視線は立体映像モニタから離れない。左手首、リストデバイス。そこから投射されている画面には、今三人が進む通路が俯瞰表示されていた。即ち、日乃栄ひのえ霊地の概略図である。彼らは今、日乃栄霊地に無断侵入しているのだ。これもまたオーウェンが仕込んだバックドアの賜物である。

「にしてもまー、我ながらウマく決まったもんだ。惚れ惚れするネェ」

 ヘルガが見るマップの中に、霊力の反応はほとんどない。先程ファントム5アナザーが放った、広域攻撃用の調整が為された特注のヴォルテック・バスター。その嵐が、霊地内部を余さず薙ぎ払ったからである。

 無論、ヘルガが事前に張った幻燈結界げんとうけっかいのお陰で霊地自体には傷一つない。ギノア・フリードマンが展開しようとしていた術式の痕跡もない。唯一残っているのは、微動だにしない光点が一つだけ。即ち、ギノア・フリードマンの反応である。

「こちらでもざっと調べましたが、日乃栄霊地も特に問題無いようですね」

 オーウェンもヘルガと同様、リストデバイスから立体映像モニタを浮かべている。だが画面に映っているのは、概略図ではなく霊地の稼働状況だ。

 先程使用されたヴォルテック・バスター、それに撃破された敵の残滓、そして幻燈結界を構成していた霊力。それらは全て、オーウェンの操作によって日乃栄霊地内の貯蔵湖へ注ぎ込まれたのである。キューザック家に伝わる看破の瞳、及びカルテット・フォーメーションを扱う高い霊力操作技量の合わせ技だ。

「じゃあ、証拠隠滅もダイジョウブって事ですね」

 にこやかに言うヘルガの言葉通り、既に日乃栄霊地で術式が使われた痕跡は、ほぼ残っていない。日乃栄霊地へ調査の手が入るのはオーディン・シャドー撃破後であり、それ以前に手が入る事は絶対にない。

「あとは、ギノア・フリードマンを、倒せば……」

 呟く風葉。知らず、グリップを握る手に力が篭る。

 彼女が持っているのは、他の二人のようなハンドガンではない。

 ソニック・シャウト・ブースター。一見すると拡声器のようにも見えるそれは、ファントム5の、引いてはフェンリルの固有術式であるソニック・シャウトを補助するため、ヘルガが製作した霊力武装だ。

 今の風葉も、一応フェンリルが憑依してはいる。だが、その状態は不完全だ。尻尾は生え、犬耳もある。だが目の金色は片方のみであり、髪の灰銀色も前髪に幾筋が流れている程度、だった。

 しかし。今の風葉の髪には、明らかに銀色の面積が増えていた。全体的に、まだらになって来ているのだ。

 これもまた、風葉が分霊となっているが故の悪影響である。かつて風葉に憑依したフェンリルは、chapter10の戦闘において暴走を強制され、引き裂かれた。その後大部分はファントム6ことマリア・キューザックが受け継ぐ事となったが、それで全て風葉からフェンリルが消えた訳ではない。残滓とも言うべきそれは、未だ風葉の、ファントム5アナザーの内部に残留している。

 そしてその残留フェンリルは、少しずつ、風葉と同化しつつあるのだ。

 風葉の無意識が欠損を補おうとしているのか。あるいはフェンリルの本能が自己を保全しようとしているのか。それは分からない。あるいは両方かもしれない。

 どうあれ生身という自己の器と、凪守なぎもりからの十全のバックアップ。それらがある平時であれば、こんな事態は起こらなかっただろう。

 だが、今の風葉にはどちらも存在しないのだ。

『こんなにもミスター酒月さかづきの手を借りたくなる日が来るなんてねえ』

 最初にこの問題に気付いた日、ヘルガはそうぼやいたものだ。

 だが無いものをねだっても始まらない。故にヘルガは保護装置など、数々の手段を作り出した。ソニック・シャウト・ブースターも、その一つだ。

 かつてファントム5が考案した攻撃術式、ソニック・シャウト。ファントム5アナザーも、同じように使用する事が可能だ。

 問題は、その威力がかつてよりも上がっている事である。これもまた、フェンリルとの合一が進んだ影響の一つだろう。だがこれを自覚した風葉は――最初に保護装置から起きた時――衝撃を受けた。

『考えようによっては、良かったかも、ですね。次に起きた時は、覚えてない、ワケですから』

 力なく笑いながら、風葉はそう言ったものだ。

 だがどうあれ、このままで良い筈がなかった。自我が動揺すれば、それだけ隙間が生まれる。フェンリルは、そこへ容赦なく入り込んでくる。

 そうなれば、その先にあるのは。

『でしたら、いっそ強化してしまえば良いのでは? そうすれば誤魔化せるでしょうし』

 提案したのはオーウェンだ。そしてそれはすぐさまソニック・シャウト・ブースターという実を結んだ。

 この拡声器型の霊力武装は、その名の通りファントム5アナザーのソニック・シャウトを増幅する機能を持っている。のみならず、着弾地点を絞り込む事でピンポイントでの破壊も可能となった優れものだ。

 だが。最大の機能はやはり、これによって風葉自身が己とフェンリルの混濁に気付かなくなった点だろう。実際、二度目に起きた風葉は己の変調をまったく自覚しなかった。

 先程のインペイル・バスターの引き金、加えて今この制圧戦闘要員。ギリギリの人員で廻している以上、この土壇場で欠けてもらう訳にはいかなかった。

 そして、今。

 ヘルガ達は最初の元凶を、ギノア・フリードマンを追い詰めた。

 立ち止まる。目の前には、一枚の鉄扉。感慨深いな、などと呟くには早すぎる。

 右手側には認証パネル。ここへ管理権限者が手を翳す、あるいはパスコードを入力すれば扉は開く仕組みになっているが、ヘルガはどちらの手段も取らない。

 その代わり、振り返る。

「オーウェンさん」

「ええ、分かっていますとも」

 リストデバイスから霊力武装を生成しつつ、オーウェンは天井を見やる。

 無機質な天井の中心、等間隔に並ぶ四角い光源。そのカバーの下にあるのは、一般のLED照明ではない。霊力灯だ。

 形状はほぼ蛍光灯であるが、電気ではなく霊力で光る。建造物の性質上、おいそれと電線を引けない場所へ、ちょくちょく用いられる物品の一つだ。

「ああ、あれですね」

 そのうちの一つに刻まれた隠し術式を、オーウェンの看破の瞳が見つけ出す。霊力武装――マリアやスタンレーと同型の、指揮棒を構える。

「さてさて。では手短な即興曲をば」

 指揮棒が振られる度、起動した隠し術式がきりきりと歌う。するすると幾本かの霊力線を伸ばす。カバーの隙間を抜けながら、微かな音色と共に、光の束は編みあがっていく。認証パネルと良く似た形に。

「さーすが。見事なクラッキングですね」

「いえいえ。それだけ先見術式の精度がよろしいという事でしょう」

 にこやかな表情のまま、オーウェンは指揮棒で偽認証パネルのボタンを押す。霊力灯、引いては取り換えられたばかりの建材を伝い、内部配線へ干渉。本物の認証パネルのランプが点灯。

 鉄扉が、滑らかに開く。

 ここからは、もう一呼吸だ。言葉は無い。打ち合わせは既に済んでいる。

 敵は一人。それも十中八九、瀕死。されど神影鎧装オーディン・シャドーを操った強者である事も間違いない以上、先見術式で拾いきれなかった手札を隠している可能性も十分ある。風葉に、ファントム5アナザーにソニック・シャウト・ブースターを持たせて来たのはこれが理由だ。現状ヘルガ達が取り得る選択肢の中で、最も威力と速射性と取り回しを備えている武器はこれなのだ。

 手筈通り、三人は踏み込む。素早く、隙無く、武器を構える。三方から包囲する。

「抵抗は無意味よ! ギノア・フリードマン! 大人しく――」

 無論、本当の意味でギノア・フリードマンを倒す事は出来まい。そもそも彼の本体は、霊力増幅装置と嘯かれた箱の中にあるのだ。だがその事実自体を、今のギノアは知らない。

 あえてそれを伝え、ギノアを味方に引き込む。あるいは撃破し、予想外の動揺を裏で手を引くグロリアス・グローリィへ与える。ヘルガの目論見は、大別するとその二つだった。

 だが。

「――え」

 そこに、いたのは。

「だ、誰!?」

 銃口こそ微塵もブレないが、ヘルガの思考は千々に乱れた。何故ならば。

「い、五辻いつつじ、くん?」

 風葉が絶句したのも無理はない。何故なら、ソニック・シャウト・ブースター発射口の先に居たのは。

 五辻辰巳いつつじたつみに、よく似た人物だったたからだ。

「ち、がう。そんな筈はない」

 言葉を絞り出すヘルガ。実際、今ここには辰巳もグレンも居ない。絶対に居る筈がない。

 そして、何よりも。正面の人物は、辰巳と瓜二つという訳でもないのだ。

「何かあるだろう、と予想はしちゃあいたが。これ程とはな」

 飄々と、正面の男は肩をすくめた、のだろう。何せ肩が無いのだ。

 そもそも肩どころか上半身がごっそりと削れており、右足も膝から下が欠損している。それでも緊急用と思しき霊力線で作られた人体の輪郭が、彼を辛うじて人型たらしめていた。

「確かに。ギノア・フリードマン氏ではないようですが、さて」

 二人よりも動揺の少ないオーウェンが、より油断なく銃を構える。ヘルガと風葉も、改めて武器を構える。まじまじと、見やる。

 首から下とは打って変わって、顔にはほとんど傷がない。防御術式で守り切ったのだろう。そこに核があると見るべきか。

 だが、やはりそれ以上に。

 その、顔の作り自体が。ヘルガと風葉を大いに混乱させた。

 前述の通り、この男は確かに辰巳、あるいはグレンと似ている。だが瓜二つではない。

 彼らが十五年、あるいは二十年ほど歳を経たら、あるいはこんな顔つきになるかもしれないが――いや、今重要なのはそこではない。

「ふ、う」

 一つ、深く、ヘルガは息を吐き出す。混乱も、まとめて無理矢理締め出す。

「それで、アナタ。一体、どこの誰なの?」

 そして改めて、銃口を突きつける。引き金を絞る。あと少しでも指を動かせば、弾丸が発射位置。

「答えてくれないと、通気性が更に良くなっちゃうコトになるよ?」

「は。瀕死の相手にする要求じゃないよな、それ」

 にやにや笑いを顔へ張り付けながら、しかし男は応じた。

「まあ良いさ。敗者は勝者に従う。連綿と続いてきた歴史の常識の一つだ、な?」

 男の額へ、唐突に赤い点が生じる。レーザーポインタの光だ。オーウェンが己の銃のオプションを起動したのである。

「簡潔、明瞭、手短に」

「ああはいはい、まったくオッカネエな。じゃあまあ名乗らせて貰うがね。俺の名は令堂紅蓮れいどうぐれん……」

 男――令堂紅蓮は、一旦言葉を切る。にやにや笑いを深める。

「……いや。先見術式を込みで考えるなら、こう名乗った方が分かりやすいかね?」

 ヘルガ。風葉。オーウェン。三人の顔をじっとりと見回した後、紅蓮は言った。

「俺は、ゼロワンだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る