Chapter17 再起 01

 そうして、風葉かざはは思い出した。

「あっ」

「ん? どったの風葉」

 隣から声。顔を向ける。酷く、懐かしい気がする友人が、そこにいた。

「いず、み」

 鹿島田泉かしまだ いずみ。かつてギノア・フリードマンに操られた同級生。服装は作業服。胸元のボタンは開いている。サイズが合わないのではない。開けているだけだ。涼むために。

「ああ、そっか」

 言って、改めて気付く。

「夏休みの実習中、だったんだよね、今」

 手を下ろす。その時ようやく、自分がスマートフォンを握っていた事を思い出す。画面にはどこかから送られた――否、違う。この日、この時に受信するよう調整されていたメールが一通。

 表示されているのは、画面いっぱいの術式陣。かつていわおが書類に用いていた術式と、同型の代物。

「そーそ。毎年メンドーだよねえ何か今年はめちゃめちゃ暑っついし」

 ぱたぱたと、脱いだ帽子で泉は胸元を仰ぐ。コメカミをつたう汗が光る。

 見上げれば、軒の向こうは雲一つない晴天。ぎらぎらと輝く太陽。

 まだ日本の上空にある。

 まだ、時間はある。

「……ん。そうだね。そうだったよね、っと」

 ふらふらと、立ち上がる風葉。

 日乃栄ひのえ高校、圃場、管理棟。その軒先の陰に座り込んでいた事さえ、思い出すのに難儀する有様。

 だが、まあ、無理もないのだ。

 過去の――未来の自分との、記憶の合一。

 恐らくきっと、歴史上どんな魔術師もなしえなかった試み。

 恐らくきっと、歴史上どんな魔術師も受けた事がない感覚。

 自分を殺す覚悟はあるか。そう言ったヘルガの言葉に、偽りは無かった。

 死。

 本当の意味でそれがどういうものなのか、風葉には知る由も無い。

 だが今し方。虚空領域こくうりょういきを経由した霧宮風葉が目覚めた、先程の瞬間に。

 今の今まで。何も知らず日常を過ごしていた霧宮風葉は、死んだのだ。

「……や、違うかな」

 首を振る。

 そうじゃない。日常を過ごしていた側の、自分かざはの記憶。それ自体は今も克明に思い出せる。例えば昨日の晩ご飯。

 白い御飯。焼き鮭。豆腐とワカメのみそ汁。

「お母さんがうっかり塩抜き忘れたから、とんでもなくしょっぱかったなあ」

 つい昨晩のごはんでさえ、意識しなければ思い出すのが酷く億劫。まるで遠い昔の出来事のよう。くすくすと、つい笑ってしまう。

 笑いながら、風葉は歩みを止めない。

 一歩。また一歩。

 ふらふらと遠ざかっていく友人の背中に、泉は慌てて声をかけた。

「ちょ、ちょっと風葉っち!? どこいくの!? 休憩そろそろ終わるよ!?」

「ん、ちょっとね」

 帽子を被りながら、風葉は振り返る。目元は鍔で隠れて見えない。だが、その立ち振舞に。

 泉は、違和感を覚えた。

「風、葉?」

「やらなきゃいけない事があるんだ。どんな事よりも優先して、ね」

 つい、と。

 風葉が片手を上げる。そのスマホ画面が光った、ような――。

「うん。わかったよ。きをつけてね」

 突然表情が消え、ゆるゆると頷く泉。周りで見ていたクラスメイト達、たまたま近くにいた志田しだ先生も、同様に表情が消えている。

 暗示。対象の思考を誘導改竄する、魔術の初歩の一つ。紐解けば幻燈結界げんとうけっかいの基礎にも組み込まれているそれの一種を、今、風葉は行使した。

「じゃあ、行ってくるね」

 向き直り、歩き出す風葉。その表情には。足取りには。

 揺らぐ様子なぞ、微塵もなかった。



 翠明寮すいめいりょう

 築五十年を超えるこの古びた学生寮には、凪守の手によって転移術式の門が幾つか偽装設置されている。

「ここかあ」

 そのうちの一つ。玄関扉の前で、風葉は立ち止まった。夏休み期間中の寮は閉鎖されており、玄関も当然施錠されている。このままでは転移するどころではないが、問題はない。

 風葉は右手を掲げる。その掌に、寄り集まる光。霊力。フェンリルに依存しない、風葉自身の。

 それはわずか数秒。しかし確かな質量を伴って凝集。収まる光。完成したのは、一個の鍵。

 赤く透き通るそれを、風葉は鍵穴へ差し込む。同時にこの鍵は、単に玄関を開ける合鍵ではない。

 ヘルガによって構築された、転移術式を秘密裏に起動するための、いわばクラッキングツールでもあるのだ。

「さ、てと」

 扉を開く。見えるのは寮の玄関ではなく、どこかの薄暗い場所。転移術式による空間の継ぎ接ぎ。

 躊躇なく、風葉は入り込む。

「おじゃましまーす、と言って良いのかな」

 こぉん。

 高く響く足音。開けた場所の証。事実、この場所はやたら広い。元来は大鎧装の整備を行うスペースでもあったのだから、さもあらん。

 しかして、この場所が大鎧装の整備で使われた事はない。少なくとも、ここ二年の間は。せいぜいあったのは、ファントム1とファントム4の小競り合いくらいなものだ。

 そう。この場所は、ファントム・ユニットがディスカバリーⅣを建造し、攻撃の牙を着々と研いでいたあの秘密拠点だったのだ。

 ――いや。だった、と言うのは語弊がある。今はまだ。

「んんー」

 風葉は見上げる。耳を澄ます。部屋の端、地上へ続く階段。術式と建材、二重に遮断されている振動と音が、微かだが伝わって来る。

 今。

 まさに今。

 ファントム・ユニットの総員は、アフリカの人造Rフィールドへ強襲をかけるべく、最後の詰めを行っている真っ最中なのだ。

 だから、今。あの階段を昇れば。

五辻いつつじくん、に」

「はいはーい、会っちゃダメだからねー? わかってると思うけどサー?」

「わ、分かってますよ!?」

 慌てふためく風葉。その背後で、転移術式が音もなく消えていく。クラッキングが凪守なぎもりへ露見した気配はない。幻燈結界が発動した形跡もない。当然だ。この二年間、ヘルガが入念な隠蔽処置を施していたのだから。

 そしてそもそも、一地方の不具合如きをリアルタイムチェックしている余裕なぞ、今の凪守には――いや、世界中どの魔術組織にさえ、無いのだ。

「分かってますけど、でも」

 言いつつ、風葉は歩む。部屋の奥へ。かつて行われた辰巳と巌のやりとりに、思いをはせる。

「でも?」

「不思議な気分ですよね。これから起こる事を知ってる、なんてのは」

「あー、うん。その辺は同意するね」

 愉快そうな声を聞きながら、風葉は立ち止まる。見上げる。

 壁に備え付けてあるのは、巨大な円筒形の装置。内部には青色の液体――巌が手ずから作り上げた、特注の生命賦活剤が満たされており。

 そこへ、備え付けられた窓からは。

 未だ意識を取り戻さない五辻巌のパートナー――ヘルガ・シグルズソンの顔が覗いており。

「いやーそれにしても何だね。久しぶり、って言えばいいのかな?」

 その手前。ぶんと音を立て、表れたのは手乗りサイズの立方体。

 かつてヘルガが己の意識と、虚空領域から抽出した莫大な霊力を封入した箱……の、立体映像だ。よく見れば、細かい埃が透けている。天井備え付けの立体映像モニタ投射装置を使っているのだ。

「そう、です、ね」

 曖昧に、風葉は頷く。

 ヘルガ・シグルズソン。知っている相手。知ってはいる、相手。

 妙な感覚。記憶の統合がまだ不完全という事か。

 ふと、実家での出来事を思い出す。

「ふふ」

「なに、どったん?」

「いえ。この前ウチに来た五辻くんとマリアを思い出しちゃいまして」

「ふーむ?」

 首をかしげるよう傾くヘルガ立方体。やがて得心する。

「OK。じゃあ準備を始める前に、改めて認識のすり合わせをしとこうか」

「え、でも時間が」

「大丈夫だいじょーぶ。まだなんぼか余裕はあるし。何より風葉が状況を熟知しててくれないと、作戦の立てようも無いよ」

「んむっ」

 ぐうの音も出ない風葉。その正面、降り注ぐ霊力光。投射される光の線は針金細工じみた形状を編み上げ、やがて現出。かくて完成したのは、一脚の椅子と机であった。

「お茶とお菓子も出せれば良かったんだけどねえ。ご覧の通り、今のアタシは手も足も出ないもんだからさ」

「まあ、それ以前に居候ですけどね。しかも無許可の」

「おおーっとぉ、それじゃあまるでアタシが不法侵入者みたいじゃあないか」

「まるで、も何も。だんだん思い出してくると、そうとしか言いようのない気がして」

苦笑つつ、風葉は椅子に座る。

「ふぅん? だんだんと思い出してきてはいるワケか。じゃあ、その調子で最初から順番に思い出していこうか」

「そう、ですね。ええと」

 風葉は机上で指を組む。目を閉じ、ゆっくりと思い出していく。

 二年前。今まさに暴走中のレツオウガが凍り付いた、あの光景を。


◆ ◆ ◆


「え、っ」

 レックウ・レプリカのシート上で、風葉は目を剥いた。

 渦巻く霊力。台風の只中じみた風景。中心にはレツオウガがおり、周囲では何機かの大鎧装が対応すべく動いて――もとい、動こうとしている。

 凍り付いた風景。時間が止まっている、のではない。自分達が、超高速で動いているのだ。

 虚縺上≧領域にいる間、ヘルガが編み上げた特性の縺?s縺コ縺術式。その効力である。無論周囲への霊力隠蔽も抜かりない。そもそもこの戦闘のデータを取っている者なぞ居ない事は、縺帙s見術式で分かり切っている。

「あ、れ」

 だから、風葉が驚いているのは、もっと別の事柄。

「思い、出せない」

 頭を押さえる。息が詰まる――ああ、そう言えばヒトは呼吸をする生き物だったなあと、頭のどこかが呑気な感慨を覚えている。

 とにかく、おかしい、腑に落ちない。

 自分達は今まさに、繧ウ繧ッ繧ヲ領域から出てきた筈なのに、その名前さえ、座っ縺ヲ縺?◆繝ッドの柔らかさすらおぼろげで――。

 その様子を察し、立方体ヘルガがハンドル中央から問う。

「ん、どしたん風葉。ひょっとして思い出せないカンジ?」

「は、い。そうなん、です、けど」

 まじまじと、風葉は立方体を見据える。

「あなた、は。ヘルガさん、で良いんですよね?」

「うん。そう。その通り」

 即答するヘルガ立方体。その口調に今までの軽さはない。

「とにかく、今は安全地帯へ急行するのが最優先だね。座標はこっちで示すから、運転ヨロシク」

「え、あ、はい」

 混乱しながらも、風葉はアクセルを捻る。急発進するレックウ・レプリカは、みるみるうちに戦場から離脱。

 やがて時間は動き出し――巌は、レツオウガのコアユニットを破壊した。

 彼女達の存在に気づくものは、誰もいなかった。

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