ChapterXX 虚空 11

「うひゃあー」

 そんな声を出す事しか、風葉かざはには出来なかった。

 背後で未来の術式――時空転移術式が消滅していくが、風葉は気にも留めない。

 それ程までに凄まじいエネルギーの大渦が、視界の全てを、三百六十度を覆い尽くしていたからである。

「うーん。改めてこうしてみると、つくづくとんでもないねえ」

 風葉の周囲をふわふわと飛びながら、立方体ヘルガも辺りを見回す。

 嵐、溶岩、土石流。

 そんな言葉ですら形容しきれない程のエネルギーが、極大の螺旋を描いている。

 描きながら、静止している――もとい、させているのだ。ヘルガの時空制御術式によって。

 理屈としては、術式や霊力武装が現出する際のワイヤーフレーム状態を形成する霊力線、のようなものなのだろう。だが、それを構成する霊力の桁が違いすぎるのだ。

 例えば、風葉のすぐ右隣。背丈の軽く三倍はあるような光の塊が、地平の果てまで届くような円弧を描いている。

 この巨大な霊力線一本だけでも、果たしてどれだけの霊力量を内包しているのだろうか。バハムート・シャドー二機分? 三機分? あるいはそれ以上か? 

 それ程までに途方も無い霊力が、数百、数千、数万――寄り集まるように、渦を巻いている。

 その最中で、凍り付いている。

「壮観、ですねえ」

 知らず、風葉は口にしていた。

「そうだねえ。正にちょっとした惑星の誕生に匹敵するかもだねえ~」

 相槌を打ちながら、ヘルガは一帯を調査。やがて、目当てのものを見つける。

「けど、今は手の届く目的を一つずつ片付けていこうじゃないか」

「あ、はい。そうでした」

 立方体ヘルガを伴い、風葉は凍結した嵐の中を進む。足場は無いが、そもそも飛ぶ事自体が容易なのだ。二年前とはいえ、ここはまだまだ虚空領域なのだから。

 右上。左。ややまっすぐ。回り込むように左下。巨大な霊力線が構成する無音の嵐の中を、風葉達は慎重に進んでいく。

「つくづく時間が止まってるのが有り難いですね」

 もう何度目になるだろうか。霊力線の隙間を跨ぎ超えながら、風葉は呟いた。ヘルガはくすりと笑う。

「そうだねえ。今そうやって跨いでるヤツだって、尋常で無い霊力が篭もってるからねえ。触った端から蒸発しちゃうだろうねえ」

「ひええ」

 身震いしながらも風葉は進み、やがて辿り着いた。

 巨大な何かへ寄り集まらんとしている渦の、端の方。今にも揉み潰されようとしている、陽炎じみた残響。よくよく見れば、それはヒトの形をしており。

「これ、が」

「そ。二年前……じゃないな、ついさっきか。虚空術式が発動した折、偶然引き込まれちゃったアタシの精神なワケだ」

 跳び回り、立方体ヘルガはしげしげと自分のなれの果てを眺める。

「ううーん。流石に我ながら笑えないなあ」

「そもそも、どうしてこうなってしまったんですか?」

「さてねえ。データが少なすぎるから類推するしかないんだけど……大きなポイントは二つあるね。一つはいわおが虚空術式を、レツオウガを破壊する事で無理矢理止めちゃった事。ほらアレ」

 立体映像モニタに矢印を表示し、ヘルガは下を指す。風葉は目で追う。

「わ」

 声を上げる風葉。さもあらん、足下のずっと下、この巨大な渦が立ち上る根源となっている場所に、開いている巨大な穴。

 その向こうに懐かしの現実が、そして映像で見た覚えのある初期レツオウガの姿が見えたからだ。

 更に目をこらせば、その手には何かを、誰かを、握っているのが見える。

「あれは」

 風葉は思い出す。辰巳の悔恨。

 霧宮さんはさ。人を、潰した事があるかい――なんだか随分昔の事に思える、食堂で聞いた独白。遠目とはいえ、心が痛む。

「今は時間止めてるから綺麗なモンだけど、あと数秒もしない内にレツオウガは巌の攻撃で半壊する。現実むこう側から見た虚空術式はそれで止まったように見えたけど……実際はとんでもなく荒ぶってたワケだね。ご覧の通りに」

 立方体ヘルガは辺りを改めて示す。惑星を構成できそうなくらいの霊力が渦を巻いている現状を。

「なる、ほど」

「で、だ。もう一つのポイントは死にかけのアタシが、そんな術式を行使してた神影鎧装と接触してた事だね」

 立方体ヘルガは見下ろす。穴の向こう、レツオウガに潰される自分自身を。

「どういう、事なんですか?」

「おいおい忘れちゃったのかい風葉? フェンリルを経由して自壊術式を行使する事になった時……えーと、Chapter06-17だったかな? あの時も冥王ハーデスが接触してたじゃない」

「あ」

 思い出す。確かにあの時、冥は風葉の肩を叩いていた。フェンリル憑依者へ、直に触れていた。

「魔術的な観点から見ると、アレは有線接続みたいなモンなんだよ。術式発動中なら尚更、一番お手軽な干渉手段ってワケ。そんな状況で発動中のレツオウガは巌の手で半壊状態にさせられた挙げ句、アタシはその手の中にいたもんだから――」

 立方体ヘルガは向き直る。正面、虚空術式に取り込まれた自分自身の精神を。

「――こうして面白おかしく吸い寄せられちゃったワケ」

「……大丈夫、じゃないですよね」

「そりゃあ勿論。このまま時空制御術式を解いたら、何秒もしない内に消えちゃうだろうね」

「それ、は」

 風葉は、言葉を見つけられない。だがヘルガはけたけた笑う。気にした素振りもない。

「ま、それを解決するために今アタシらがこうしてやってきたワケなんだろうけどね! と言う訳で風葉、ソイツを頼むよ」

「へ。あ、コレですか」

 半ば忘れかけていた、ヘルガから渡された霊力の格子状立方体。それを、風葉は掲げる。封入されていた術式が発動する。

 蓋を開けるように展開する立方体、内部に折り畳まれていた高密度の情報と術式が、樹木のように伸びる。

 わっ、と声を上げる風葉。その間にも枝葉を伸ばす木はヘルガの残滓を包み込み、一体化し、強固に補強してしまう。

 気付けば、残滓のヘルガは等身大の霊力立方体に包まれ、保護される恰好となっていた。風葉が掲げていた術式立方体は、もう無い。これになったのだ。

 その術式を、風葉はつつく。恐ろしく固い。これならば、時間が動き出したとて周りの渦に耐えられるだろう。更にこの中には、立方体ヘルガが経験した知識や対処法が封入されており。

「二年前。私達が、ここで、こうしておいたから……」

「うん。二年後、キミがここへ来た時つつがなく対処できたってワケだね」

「……うはあ」

「なに、どしたの?」

「いや、その。改めて実感したっていうか、思い知っちゃったんですよ。ホントに時間を超えちゃったんだなーって」

「ああ、そう言う事。うんうん、ワカルよその気持ち」

 ヘルガも思い出す。二年前、虚空領域で目覚めたあの時。何も知らない、途方も無い場所に放り出されながら、どうすれば良いのか知っていた。誰がやって来るのか分かっていた。転写術式でも有り得ない経験をしたものだ、とつくづく思う。

「ま、とにかくコイツには再生術式も組み込んであるからさ。虚空術式の嵐が収まった後で、昔のアタシの壊れたトコを補填してくれるってワケよ。至れり尽くせりだねえ」

「そして、この後は……」

 風葉は下を見る。改めて、外に――現実世界に繋がっている巨大穴を眺める。

「……あそこから、いよいよ出て行くんですね」

「そう。過去にも未来にも虚空領域と現世が繋がる日はいくつもあるけど、ここまで激しく繋がる状況なんてのはそうそう無い。ましてアタシ達が干渉しやすいタイミングなんてのはねえ。この日以外にありえないワケだよ」

「どさくさに紛れるって事ですね」

「うん、まあ、身も蓋もない言い方をするとそうなるねえ」

 明滅する立方体ヘルガ。苦笑するような雰囲気。だがそれに気付く事なく、風葉は疑問を続ける。

「……うーん。でも、ちょっとおかしい気がするんですよね」

「ん? 何がだい?」

「だって、私達は未来から来たじゃないですか。で、この先何が起きるのか分かりきってる。だったら、もっとこう、的確な対処も出来るんじゃないでしょうか?」

「ああ、うん。言いたい事は分かるよ。けど多分、そううまくは行かない……」

 言いつつ、ヘルガは立体映像モニタを展開。術式を起動。

「……いや。何もかもうまく行った上でああだったと思うんだよね、多分」

「どういう、事ですか? だって――」

「うんうん、疑問はいろいろあるだろうけどまずコレを見てよ」

 ヘルガのモニタから投射される霊力光。それはすぐさま像を結び、一個の乗り物となって現出する。

 それは一台のバイクであり、風葉が良く知っている車輌でもあった。

「えっ? これ、レックウ!?」

「そ、見た目だけはね。レックウ・レプリカってトコかな」

 ふわふわと移動する立方体ヘルガは、そのままハンドル中央の窪みへピタリと収まる。オリジナルのレックウには無かった部位だ。

「これ、は?」

「このレックウもどきの正式名称は、圧縮術式。風葉を取っ付きやすくするためにこんな見た目に調整したワケだけど、実質はそんな乗り心地の良いモンじゃない。何せ、乗った術者の意識やら霊力やらを、ZIPとかLZHよりも容赦なく圧縮縮小しちゃう代物だからねえ」

「えっ、ちょっ、何でそんなものを!?」

「だって、そうしないと紛れらんないもの。どさくさに」

「どさくさ……あ、機械を誤魔化す都合で?」

「そ。外は今まさにレツオウガが荒ぶってる真っ最中とはいえ、何だかんだ大鎧装のセンサーは高性能だからねえ。絶対にバレないようにするためには、これくらいの保険をかけておきたいワケ」

「なるほど」

「それに、それ以上に大変なのがそこから先だ。これからアタシ達は二年間、Chapter01から16の記録に映らないような動きをしなきゃならない……いや、してしまう……? うーん」

 悩む立方体ヘルガ。バイクのハンドルが連動して傾く。

「まぁーとにかくだ。虚空領域でやれることは、もう無い。ここから先は、世界最高レベルの先見術式ですら見えなかった不確定要素の一発勝負ってワケ」

「……改めてそう言われると、おっかないですね」

 風葉はバイクに跨り、ハンドルを握る。震える手。きっとエンジンの震えが伝わっているのだ。強く握りこみ、押さえ込む。

「どうする? やめとくかい?」

 くすくす笑うヘルガに、風葉は笑い返す。自分でも頬が強張っているのが分かった。今まで戦意を引き上げてくれた魔狼。その助けは、もう無いのだ。大部分はモーリシャスでマリアに引き抜かれ、今残っているのは僅かな残滓だけ。まるで残り火。

 だが、それでも。

「やります。やれます。決めた、事ですから――!」

 風葉はアクセルを吹かす。レックウ・レプリカが発進する。目下の穴を、現実世界を目がけて。

 勇壮なその姿は、しかし数秒もせぬ内にヘッドライトから投射された霊力光に包まれ、球体となる。球体は瞬く間に豆粒以下まで縮小、しかしスピードは落ちぬまま外へと出て行く。

 同時に、術者を失った時空制御術式は今度こそ途切れる。虚空領域の穴は塞がり、いずれ虚空術式へと編み上がる霊力の嵐が、超新星爆発にも匹敵する勢いで荒れ狂う。

 時間は、動き始めたのだ。

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