ChapterXX 虚空 10

「でも、ですね。その前に助けなきゃ、って思ってるヒトがいます」

 僅かに、風葉かざはは言い淀む。けれども、決意を秘めた眼差しは変わらない。

「あれ、そうなの? 誰だいそれは」

 その変わらぬ眼差しで、風葉は正面の人物を射た。

「あなたですよ。ヘルガさん」

 すなわち、ヘルガ・シグルズソンを。

「……。ふむ、どうしてそう思ったワケかな」

 首を傾げるヘルガ。笑ってはいる。だが、今までのような気安さはない。

「決まってますよ。最初に見せて貰ったじゃないですか」

 言って、風葉は窓を見た。閉じているカーテン。その向こうに広がっている場所を、虚空領域の本質を思い返す。

「ここには、虚空領域には、全ての知識があります。やろうと思えばどんな知識でも引き出せる。それこそ未来の知識でさえ、ね。ですが」

 一端区切る。改めて、ヘルガを見やる。

「当然、代償もあります。最初に目が覚めた時、ヘルガさんはそれを教えてくれましたよね」

「……そうだね。まったくもってその通り」

 微かに、ヘルガの笑みが深まる。

「そしてあなたは既に虚空領域について、相当に熟知してる。それだけじゃない。現実世界あっちにはまだ存在しない術式を、当たり前のように使いこなしてもいる。最初にここへ来た時、私は――」

 思い出す。消えかけた指先。飲まれかけた意識。何よりヘルガに止められるまで、一切の疑問を持たなかった異様さ。

 それらを改めて噛み締めながら、風葉はヘルガの目を見た。

「相当に、無理をしたんじゃないんですか」

「……。ふ」

 ヘルガは、笑った。今まで見せてきたものとは違う、観念するような顔だった。

「さすがファントム5、修羅場を渡ってきただけの事はあるねえ」

 肩をすくめ、指を鳴らす。

 ぱきん。

 瞬間、ヘルガの姿は消失した。霧散する霊力光すらない、唐突な消滅だ。

「え、」

 後に残ったのは、壁へ既に展開されている時空転移術式。それと、ヘルガの胸があった辺りに浮かんでいる掌サイズの立方体。それだけだった。

 ネオンに似た光を放つ四角形。一目で分かる。この小さな箱の中に、凄まじい密度の霊力が凝縮されている事が。

 それは部屋に定義された重力に逆らい、ふわふわと風葉へ近付いて来る。

「これは」

 思わず、右手を差し出す風葉。掌の上へ着地するそれが何なのか、風葉は理解する。

「これが、ヘルガさんの……」

「そう、本体ってワケ! いや~実にビックリなダイエットぶりでしょ~?」

「わっ」

 思わず後ずさる風葉。ぐらぐらする掌の上で、立方体は抗議するように点滅する。

「ちょっとちょっと、揺らさないでよ危ないなあ」

「す、すみませんヘルガさん」

 反射的に頭を下げた後、はたと風葉は顔を上げる。

「……ヘルガさん、ですよね?」

「そだよー、ってさっき言ったジャン。けどまあ、確かにこんなナリで元気に喋ったらビックリするか。はははゴメンゴメン」

 ころころ笑うヘルガ立方体。何だか人型だった時より元気な感じがする。

「ですが、どうして……いえ。それ以前にその姿は、何なんですか?」

 風葉が訝しんだのも無理はない。そもそもこの立方体は、防御術式の一種だ。虚空領域への散逸を防ぎ、長期の活動を可能とする代物。ヘルガがここへ迷い込んでしまった二年前どころか、Chapter16時点ですらありえない術式のはずである。

 それがどうして存在し、かつヘルガの意識を守っているのか。

「うんうん、気になるよね~。けどその疑問と、何よりさっきの質問を説明するためには、いよいよアレを使わなきゃいけないんだよね多分」

 自身の斜め上へ、小さい立体映像モニタを展開するヘルガ。画面内には矢印がひとつ。先程から開きっぱなしの出口を、まっすぐ指している。

 即ち、時空転移術式を。

「取りあえず、入り口に立ってよ」

「あ、はい」

 手に立方体ヘルガを乗せたまま、風葉は術式の前に移動。改めて、見やる。

 無限地平の彼方まで、砂時計を思わせる光の粒が駆け下っていく霊力の通路。その凄まじさに反して微かな音しか立てない時空転移術式は、しかし神影鎧装なぞ及びもつかぬ程の霊力が渦巻いているのが解った。

「で、どうするんです?」

「こうするのさ」

 立方体ヘルガが立体映像モニタを切り替える。術式を操作する。直後、地平の向こうに出口が現れた。時空転移術式が、座標を定め始めたのだ。

「さあ、いよいよポイント・オブ・ノーリターンだ。緊張してきたかい?」

「そう、ですね」

 言って、風葉は気付いた。緊張はある。恐怖もある。

 けれど、それ以上に。

「懐かしい、ですね」

「へ?」

「Chapter03-09。グレイプニル・レプリカを外したあの時も、こんな感じだったかな、って」

「ああ」

 ころころと、ヘルガは笑った。

「そう言えば、風葉は最初からそんな感じだったっけね~」

 義憤と、その場の勢い。風葉の根幹にあるのはそれだ。それはゼロツー――五辻辰巳いつつじたつみの意識を変え、紆余曲折を経て、今日この場に風葉自身を導いたのだ。

「いやまったく。数奇なウンメイだねえ」

「う。そりゃあ、まあ、まーたやらかしちゃったなあとは思ってますけど」

「いやいや! ベツに呆れたとかそういうんじゃないんだ。その意志の強さと善意こそが、今こうして地球の、凪守なぎもりの、引いてはファントム4の危機を救う事になるんだろうからね。そう、キミを好きだと言った彼をね~」

「そッ、そこは良いですから!」

 顔を赤くする風葉。その赤さを至近距離で堪能した後、ヘルガは立体映像モニタを切り替える。画面から放たれる幾条もの霊力線。それらは風葉の眼前で寄り集まると、一個の塊を形成する。

「これは」

 まじまじと、風葉は見る。それはやはり立方体。色も、大きさも、現状のヘルガと同じくらい。だが決定的に違う所もある。

 外観が、針金細工じみているのだ。まるで、完成直前の霊力武装のよう。

 そんな未完成術式を、風葉はもう片方の手で受け取る。見比べる。

 構造を、直感的に理解する。

「ヘルガさんと……同じ!?」

「その通り……と、繋がったか。うぅーん。こうして見ると、アタシとしてもミョーな気分なってきちゃうなあ」

 立方体ヘルガは、時空転移術式の向こうを見ている。釣られ、風葉もそちらへ視線を向ける。

 嵐が、そこにあった。

「あ、れは」

「二年前。レツオウガが初めて起動した時、短時間だけど虚空術式が発動してた。その有様を、アタシ達は虚空領域側から見てるワケ。ついさっき座標が定まった時空転移術式越しにね」

 淡々と言う立方体ヘルガ。それを支える風葉は、言葉を失っていた。

 オーディン・シャドー。あるいはバハムート・シャドー。神影鎧装撃破時の爆発と、それに伴う霊力の嵐。今でも、風葉は鮮明に覚えている。

 だが。

 時空転移術式の通路を挟んだ向こう。二年前の虚空領域で渦巻いているあれは、そんなものなぞ比較にならない。

 まさに災禍。竜巻、台風、モンスーン。そんな言葉をいくつ重ねた所で、きっとあれには敵うまい。空間を、虚空領域そのものを揺るがせているあの渦には。

 音や衝撃は無い。時空制御術式が、向こうの時間を止めているからだ。だがそれでも、その異様は、圧力は、ひしひしと伝わってくる。

 四角く切り取られた通路。あの向こうで、一体どれだけの霊力が荒れ狂っている? 一秒間にメガフレア・カノン何発分のエネルギーが爆裂している? あれでは活火山の噴火口の方が、まだマシなんじゃなかろうか。

 知らず、風葉は唾を飲む。

「とんでもない、ですね」

「そだねえ。けど、それ以上にとんでもないのは――」

「そこへ行こうとしてる私達自身、ですか」

「ふふ。まったくだねえ」

 くすりと、笑い合う風葉とヘルガ。

「用意は全て出来てる、んですよね?」

「そっそ。外の時間に合流するまでの手順はもう組み立て済み。後はそれに沿って行動するだけ。取りあえずはね」

「そして、そこからは……」

 未知の領域。あのとんでもない怪物に勝てるかどうかは、自分達の行動に全てかかっている。

「……うーっ!」

 ぶんぶん、と風葉は強めに首を振る。長い髪が尻尾のように荒ぶった。

「おおっ、なんだいキアイかい?」

「はい! そんなとこです!」

 ふんす、と鼻息も荒げる風葉。その横顔の隣へ、立方体ヘルガはふわりと飛んで寄り添う。

「OK、じゃあ始めようか。私達の――一世一代の大勝負を!」

「はい!」

 一歩。気合いと共に、風葉は踏み出した。

 その足が床へ着くよりも先に、時空転移術式は彼女達を過去へと運んだ。一瞬で、その姿は消えた。

 後に残ったのは、ヘルガが造った安全地帯セーフハウスだけ。だがそれも末端から解け、消えていく。さもあらん。術者がこの場所、この時代から消えたのだから。

 やがて一分も経たぬ内に、風葉とヘルガがChapterを総ざらいした部屋は消えた。

 後に残ったのは、閃いては消える意識の星々。そしてその只中で、ひたすらにゆるやかに回転を続ける巨大な術式陣のみ。

 天井に阻まれて今まで見えなかったその術式陣は、二年前、レツオウガが展開した時と変わらぬ不穏な輝きを波打たせていた。今まで眼下に居た二人なぞ、意に介さぬかの如く。

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