Chapter09 楽園 05

 辰巳たつみは、絶句した。

「……」

 言葉が出ない。半開きになった口は、漫然と呼吸するだけで精一杯であり。

 見開いた双眸は真正面、グレンの顔に釘付けられていた。

 色以外、自分とまったく同じ形をした、その顔に。

 ――想定した事がなかった、と言えば嘘になる。

 二年前。五辻辰巳いつつじたつみを保護したその日から、凪守なぎもりはその素性を掴むべく、八方手を尽くしてきた。

 国籍調査、捜索願い、DNA判定。果ては流言に至るまで、あらゆる情報を調べに調べた。

 結果、全て空振り。どんな方面からいくら調べようと、辰巳の素性は分からずじまいであり。

 必然、明言こそなかったが、誰もが薄々ある推論を出していた。辰巳本人でさえも、だ。

 そして、今日この時。

 実像を持って証明されてしまった推論を、辰巳は呆然と呟いた。

「クローン、だってのか。俺は。俺達、は」

 知らず、辰巳の拳が緩んだ。どのような鉄火場だろうと、決して崩れなかった筈の鉄拳が。

「そういうこった。察しが良くて助かるぜ? キョーダイ」

 対照的に、グレンは笑った。先程ロックを外され、溶接面のように跳ね上げられた風防。その影からほんの少しの自嘲と、ぎらぎらした敵意が辰巳を射貫く。

 それが何を意味するのか、今は分からない。だが少なくとも、その強烈な敵意に立ち向かわなければならない事は、確かな事実だ。

 ならば。

「す、ぅ、う」

 強いて、辰巳は呼吸を深めた。

 驚いている。動揺している。思考はうまくまとまらない。

「は、あ、あ、ッ!」

 だが。だからといって、そんな事でこの拳を解く訳にはいかない――!

フン!」

 強く。腹の底から吐き出した呼気と共に、辰巳は改めて拳を握った。

 驚愕を、気合いと戦意で塗り潰す。陽光を弾く鉄拳が、動揺をぎしりと握り潰す。その様子を見ていたメイは、小さく笑った。

「ほぉー? 以外と冷静だなキョーダイ。ま、そうでないと困るんだが」

 グレンもまた拳を構える。眼前の仇敵キョーダイへ叩きつける怒りが、ぎりりと軋みを上げる。

 激情。仮面越しですら見えていたそれを、より一層剥き出しにする構えだ。

「やれやれ。盛り上がるのは結構だが、僕の方には挨拶も無しか?」

 横合いから鼻を鳴らす冥だが、当然グレンは取り合わない。

 無論、冥の方も期待はしていない。構わず続ける。

「にしても驚いたぞレイドウ、まさかそんなオトコマエな顔をしていたなんてさ」

「っていうか、冥くん、知り合いだったんだ?」

「ああ、風葉かざはは知らなかったか。前にちょいと遊んだ事があってね……しかし、オマエは一体何なんだ? 何がしたい? スイカ割りの飛び入り参加か?」

「ンなワケあるか。まぁ面白そうだけどよ」

 視線を正面に固定したまま、グレンは答える。答えながら、半歩右に踏み出す。

「だがまぁ、アンタの弟子よりハイスコアを叩き出せる自信はあるぜ? 最低でも、よ」

「ほぉ。大きく出るじゃないか」

 仏頂面を貼り付けたまま、辰巳は答える。答えながら、同じく半歩右に踏み出す。

 右へ、右へ、右へ。辰巳とグレンは踏み出し続ける。お互いの隙を探りながら、時計の針のようにぐるぐると。

 砂が鳴る。闘気が張り詰める。誰かが唾を飲む音が、やたらと大きく響く。

 気がつけば、立ち位置が入れ替わっている。グレンの背後でざぁんと波が砕け、同時に跳ね上がっていた仮面の内側へ、不意に立体映像モニタが灯る。

『準備完了 今から起動する』

 二センチ四方の小さな窓に浮かんだのは、ごく簡潔な文章だった。

 グレンの笑みが、更に深まった。

「こっちも色々用事があってよ、さっさとケリつけたいのは山々なんだが……ま、さしあたってはアレだな」

 さりげなく視線を辰巳へ戻しつつ、グレンは背後を指差す。風葉を筆頭に、外野の視線が幾つか動く。

 水平線の向こう、相変わらず宝石のように美しいモーリシャスの海。

 その只中へ、突如として霊力光が噴出した。

「な、なんかひかったっ!?」

 霊力光を見るようになって随分になるが、それでも声を上げてしまう風葉。それくらい巨大な光のドームが、水平線の上に突然現われたのだ。

 そして、即座にかき消えた。鎧装と同様、精製に伴う余剰光なのだから、当然ではあるのだが。

 どうあれ光を割って現われたのは、石油採掘プラットフォームからクレーン等の機器を全て取り除いたような、巨大でのっぺりとしたフィールドであった。

 相当離れている筈なのに、真っ平らである事が一目で分かる。それくらいに何も無い正方形を支えているのは、恐ろしく巨大な四本の柱。

 思わず、風葉は目をしばたく。

「でっかい、テーブル?」

 その例えは非常に的確だ。そしてこの巨大テーブルこそ、凪守自衛隊出向部とBBBビースリーが合同演習をする予定だった霊力エーテルの演習場――Eフィールドなのだ。

 まるで示し合わせたかのようなその出現に、辰巳は目を細める。

「……俺達の使う予定が入ってた演習場だな。アレがどうしたって?」

「別に大した事じゃねえよ。アレの準備が終わるまで、キョーダイの実力を軽く見ときたかったのさ」

「へぇ。まるで関係者のような口振りだな」

「当然だろ? あれに霊力を流した濾過術式は、さっきまでオレが制御してたんだからな」

「へ、ぇ」

 辰巳の目が更に細まる。背後でざわりと動揺が走る。

 さもあらん。グレンはレイト・ライト社と自身の、引いては怪盗魔術師とグロリアス・グローリィとの繋がりを、自ら暴露したのだ。

 唐突に確定した疑惑。一気に輪郭を露わにした、一連の事件の黒幕。

 その驚きは、握り直した辰巳の拳すら、少なからず振るわせてしまい。

「だからもうちょい見せて……貰う、ぜッ!」

 この瞬間、グレンは一足飛びに間合いを詰めた。

 放たれるは正拳突き。全身全霊、愚直なまでにまっすぐな一撃は、しかし稲妻のような速度を伴っており。

「っ!?」

 その拳が突き刺さる直前、辰巳はそれを辛うじてブロックした。

 十字に組んだ腕の芯が、みしみしと軋む。凄まじい衝撃が、辰巳の身体を後退させる。轍のような足跡が、砂浜を深く斬り裂いた。

「ぐ、」

 噛み締めた歯の隙間から、呼気が漏れる。真芯に響くグレンの強打が、ほんの一瞬、辰巳の動きを鈍らせる。

 まばたきよりも短い、しかし致命的な間隙へ、グレンは更なる連撃を叩き込む。

、ァ、アアアッ!」

 ケダモノの如き咆哮。その荒々しさに違わぬ速度の打突が、嵐のように襲いかかる。

 手刀、前蹴り、肘打ち、裏拳、アッパーカット。それらをどうにか捌きながら、辰巳は反撃の糸口を探る。

「こ、の――っ」

 嵐は止まない。カカト落とし、拳打、拳打、拳打、フェイント、足払い、回し蹴り――この回し蹴りに、辰巳は活路を見出した。

「ナ、メ」

 バックステップで距離を取る辰巳。鼻の数ミリ手前、横切っていくグレンの蹴撃。足裏にこびりついた砂粒を睨みながら、グレンは改めて拳を握る。

「る、なっ!」

 着地、反射的に曲がる膝。衝撃吸収のための屈伸を、辰巳はあえて更に大きく屈める。全身をバネとする基点として。

イィ――」

 かくて解き放たれたのは、連撃の隙を巧みに突いた渾身の飛び込み突きである。

 反撃開始と、何より今しがたガードしたグレンの正拳への意趣返し。二つを兼ねたその一撃は、しかし悪手であった。

「――ッ!?」

 飛び込む足が地面を離れた、その直後。辰巳はグレンの顔が、今まで以上の喜色で歪んでいる事に気付いた。待ってたぜ、と言わんばかりに。

 誘われた。反射的に身をよじる辰巳だが、もう遅い。グレンの頭上、風防内側へ浮かんでいたモニタへ『フォースアームシステム 急速展開』の文字が灯る。事前に登録していたコマンドを実行したのだ。

 急速展開の言葉通り、電子音声も無く投射される霊力の光。グレンの右手首、辰巳と同型の装置から投射された霊力は、コンマ数秒で像を結んだ。

 グレンの背丈とほぼ同じ大きさをした、青色の術式陣を。

 その術式陣を、辰巳は知っていた。

 頭上。今し方グレンが潜って来た転移術式のそれと、まったく同じ図形だったのだ。

 大きさこそ違えど、その機能は当然同じものであり。

 しまった、と思った時にはもう遅い。飛び込み突きの勢いのまま、辰巳は転移術式の向こうへと吸い込まれて消えた。

「一名サマご案内、ってなぁ」

 即座に転移術式を消去したグレンは、歯を剥き出しにした笑顔で周囲を一瞥する。

「なっ、てっ、テメエ!」「ファントム4をどこにやっ「い、五辻くん! 五辻くんをどこやったの!?」

 激昂する仲間達。特に風葉は周りの男共が気圧される勢いで叫んだ。

「どこにやった、てか」

 対するグレンは、嫌みったらしいくらいゆっくりと右腕に手をかける。辰巳のものと良く似た腕時計、そのやや下側のカバーを開き、何かの操作をする。

 がこん。前腕部の装甲が展開し、圧縮されていた空気と蒸気が排出。スリットから覗くコネクタから察するに、何かが入っていたのだろうか。

 でも、何が――と眉をひそめた風葉の背中を、ぞわりと悪寒が撫でる。おかしい、と直感が叫ぶ。

 グレン・レイドウ。辰巳と瓜二つの顔立ち、辰巳のものと同型らしき機械義手、そして辰巳へ向けた激しい憎しみを持つ男。

 そんなグレンがあからさまに辰巳をさらったとあれば、成程イヤでも目を引くだろう。

 更にはあまつさえ、己の腕部ギミックを披露してすらいる。

 これ見よがしに、見せつけるように。

「でも、なんか、それって」

 いくら何でも、不自然じゃなかろうか。自分に、あえて視線を集めようとしてるんじゃないのか。

 だが、何から? 何を? 何の目的で?

「、あ」

 愕然と、風葉は思い出した。

 今、この場には。

 利英りえいがうっかり連れて来てしまったグロリアス・グローリィの関係者が、二人も居るでは無いか。

「サラ――違う、ペネロペッ!」

 背中を刺す冷気と、魔狼フェンリルがもたらす直感。その二つに導かれるまま、風葉はぐるりと振り向いた。

 果たして、そこには銃口があった。

 恐らく霊力武装であろうその拳銃を握るのは、この瞬間まで寝ていた表情を隠そうともしないペネロペ。ビーチチェアへ気だるく寝そべりながら、しかし風葉へ正確に照星を向けている。

「あ、ぶ」

 危ない。そう口が発音するよりも、身体の反射が先んじた。

 半歩、左へ踏み込む風葉。コンマ二秒後、頭があった場所を銃弾が通り過ぎた。

 劈く銃声を引きずりながら、まっすぐに飛んで行く霊力の弾丸。水飴のようにゆっくりとしたその一部始終を、風葉はまじまじと見た。

 凍り付いた世界。本来なら、いわゆる達人と呼ばれる者達が至れる領域の光景。それをこうして風葉が知覚出来たのは、やはりフェンリルの憑依によるものである。

 更に深さを増したフェンリルの憑依が、先程の冷気感知ともども、このような状態を引き起こしたのだ。

 だから、風葉には見える。トリガーを引き絞る、ペネロペの指が。マズルフラッシュと共に、銃弾が吐き出される瞬間までもが。

 当たるつもりは無い。こうまであからさまに見えている以上、回避は虫を潰すより簡単だ。

 さりとて、逃げに専念するつもりもない。状況が逼迫している以上、即座に黙らせる必要がある。辰巳の行方も知れないし。

 だから、その為には。

 フェンリルわたしを縛っている、この枷が邪魔だ。

 故に。風葉はやや身を屈めながら、僅かに首を傾けた。

 風葉の頭上、文字通り間一髪の距離を通過する、二発目の銃弾。衝撃は風葉の柔らかい髪を踊らせ、更にポニーテールを結わえていた革紐を――グレイプニル・レプリカを掠めた。

 ぶち、という音が聞こえるより先に、風葉は大きく首を回す。連獅子の如く振り乱れる長髪が、革紐を吹き飛ばしながら色を変える。

「なっ、なんだ銃声!?」「かっ、風葉!?」「誰だ撃ったのは!」「おいまさか――」

 灰銀。魔性の色に染まる髪を振り乱す風葉は、周囲のどよめきの一切を吹き飛ばした。

「ア、ア、アァァッ!」

 ソニック・シャウト。音の形を借りた霊力衝撃波は、ペネロペが既に撃ち出していた三、四、五発目と衝突。相殺の炸裂によって砂が爆ぜ、パラソルが倒れる。だがペネロペの銃口と双眸だけは、微動だにしない。

「それだけは――」

 口端を吊り上げながら、風葉は右の五指をまっすぐ揃える。

 手刀。その先端に、うっすらと霊力光が灯った。爪のように。

「――大した、ものねッ!」

 風葉は跳んだ、恐ろしく俊敏に。ぎらぎらと金色に輝く双眸で、獲物を睨み据えながら。

「う、わはぁ」

 驚いたのか、それともあくびをし損ねたのか。この期に及んで眠そうなペネロペは、それでも精密に引き金を引いた。

 狙い違わぬ六発目を、風葉はしかし僅かに首を傾げるだけで回避。

 ならば七発目を――と引き金が引かれるよりも先に、風葉はビーチチェアの脇に着地した。

 そして、霊力に輝く爪を、まっすぐに突き下ろした。

 ペネロペの胸へ、心臓がある位置へ、一瞬の躊躇も無く。

「かっ、風葉!?」

 目を剥くマリア。その驚愕に先んじて、勢い余った風葉の爪が、モーリシャスの砂を抉る。

 それだけだ。

 血は出ない。ペネロペは表情を変えない。ビーチチェアも砕けない。

 辺りを覆い尽くす薄墨色の帳が、風葉の一撃よりも更に先んじたからだ。

 二度、三度。風葉は目をしばたく。瞳の金色が、徐々に輝きを失っていく。

幻燈げんとう結界けっかい

 腹の底。わだかまっていた熱を吐き出すように、風葉は呻く。双眸はもう元に戻っている。

 そのまま、風葉はへたりこんだ。がくりと、糸の切れた人形のように。

 薄墨の向こうではサラがペネロペを抱え上げたりしていたが、今の風葉にはそんな事を気にする余裕が無い。

「わたし、は」

 右手を持ち上げる。霊力光なぞ既に失せた手のひらを、じっと見下ろす。

 今、何をした? 何を、しようとした?

 決まっている。敵を殺そうとした。人を、殺そうとしたのだ。至極当然に、迷う事無く。

「う、ぁ」

 今更ながら、風葉は身体をかき抱いた。爪が、腕に食い込んだ。

 怖い。そういう判断をした自分が。当然の判断だったと、どこかで納得している自分自身が。

「なん、で」

 ほとんど嗚咽するような風葉に、冷め切った自分がどこかでつぶやく。

 今更何を驚いているんだ、と。

 レックウのハンドルを握ったあの日から、似たような事は散々してきたじゃあないか、と。

「で、も……!」

 それでも。

 初めて。本気で。同じ人間を殺しかけたその事実に。

 成り行きで背負ってしまった、ファントム5という名前の重さに。

 風葉は、おしつぶされそうだった。

 ――これもまた、フェンリルの憑依が進行した影響だ。風葉の人格が、獣の本能に少しずつ蝕まれ始めている証左なのだ。

 そして現状、風葉を心配してくれる仲間は、残念ながら一人も居ない。

 なぜならば。風葉達がいる砂浜へ、凄まじい数の竜牙兵ドラゴントゥースウォリアーが現われたからである。

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