Chapter09 楽園 04

 ――時間は少しさかのぼり、辰巳たつみが目隠しをつけていた頃。

「ああ、クソが」

 モーリシャス某所。この日十四度目になる悪態を、グレン・レイドウは臆面も無く吐き捨てた。

 赤いシャツに、黒のデニム。随分とラフな格好をしているグレンは今、とある部屋の壁際で腕組みしていた。

 あえて一言でこの場所を表すなら、ガレージ、だろうか。

 床は十メートル四方あり、天井もそこそこ高いのだが、妙に息苦しい。打ち出しコンクリートのような建材に加え、窓が無い事がそれに拍車をかけているのだ。

 また、グレン以外に人影が無いのも頂けない。ついさっきまではモーリシャス担当のサトウも居たのだが、今はもう離席している。ギャリガンの通達によって移動したのだ。

 そしてもう、帰ってくる事もあるまい。先日、日乃栄ひのえ霊地へ撃ち込まれた時と同じように。

「鉄砲玉、か」

 通達内容を端的につぶやくグレン。身体構造が特殊なのは知ってるが、だとしてもよくやれるとつくづく思う。

「自分から進んで死にに行くなんざ、なぁ」

 口に出して、グレンはふと思い出した。

 そういえばファントム4も、五辻辰巳いつつじたつみも、自分から進んで死のうとした時があった。

 あれは、確か。

「レツオウガを発動させる直前、だったか……」

 またもや苛立ちが募ってくる。所在なく、グレンは視線を上げる。

 否応なく視界に映り込むのは、蜘蛛の巣じみた広がりを見せる巨大な術式陣。室内の壁、床、天井を這い回る同心円の中心には、グレンが背を預ける大きなコンソールがあった。

 そのコンソールの上の方。据え付けられている大きなモニタを、グレンは見上げる。

 逆さま画面に映っているのは、とある地点のレーダーマップ。示されているのは、現在絶賛稼働中である濾過ろか術式のリアルタイム状況。

 つまりこの部屋こそ濾過術式の制御室であり、現在グレンはその管理を一手に任されているのだ。

「ああクソが」

 十五度目を吐き捨て、仮面を小突くグレン。他に誰も居ないとは言え、イラつきを隠そうともしない。

 まぁ無理もあるまい。マップに映っている、いくつもの光点――もとい、霊力反応。目と鼻の先にあるその内の一つが、かの仇敵だと分かっていれば。

 その仇敵に、まだ手を出すな、と厳命されていれば。

「あああクッソがァ!」

 この荒れようは、むしろ当然なのかもしれない。

 そんな折だった。グレンの正面へ、立体映像モニタが不意に灯ったのは。

『やぁグレン、濾過術式の状況はどうだい?』

 画面一杯に映り込むのは、グロリアス・グローリィの首魁、ザイード・ギャリガン。唐突な上司の登場に、しかしグレンは臆面も無く鼻を鳴らす。

「……別に、何の問題もないスよ」

 薄く透ける立体映像モニタの向こう。部屋の中央でうずくまっているものを、グレンは見やる。

 眠るように、呼吸するように。規則正しく、濾過術式へ霊力を巡らせている車輌が一台。

 スポーツカー然とした流線型でありながらも、ところどころに不自然な亀裂を刻み込んだ奇妙な車体。

 どこかオウガローダーにも似た雰囲気を漂わせているその車輌こそ、以前雷蔵らいぞうが目の前で変形を目撃した、あの車型大鎧装だ。

「ご覧の通り、烈荒レッコウは問題無く仕事してるスよ」

 グレンが肩をすくめた通り、彼の愛車――もとい、烈荒は濾過術式の中核として、申し分の無い働きをしている。そもそもこの管理室自体、グレンと烈荒が濾過術式を効率よく運用できるよう造られているのだ。当然ではある。

『結構。それで現状、霊力はどれくらい溜まっているんだい?』

「そりゃもうスゲー事になってますよ」

 後ろ手で背後のコンソールを操作するグレン。ギャリガンの元にデータが転送され、受信したタブレットが立体映像モニタを投射。

 それらの情報に目を通したギャリガンは、ほう、と小さく声を上げた。

 アフリカ本土からマダガスカルを経由し、上空を流れてくる莫大な量の虹色――もとい、無形の霊力。

 もしもそれに触れたなら、魔術師のみならず、いずみのような勘の鋭い一般人ですら卒倒するだろう。それくらいに強烈な雑念の奔流を、しかし件のビーチを中心に展開された濾過術式は、難なく処理していた。

 ギャリガンはもう一枚モニタを表示する。接続先はモーリシャス上空、次の手に備えて旋回し続けているカラス型の使い魔、アカの視界だ。

 かくて画面に映りだしたのは、モーリシャス島全てを覆い尽くしかねない虹色の大河。

 それを苦も無く吸い込んでいく濾過術式の様子は、さながら台風の目のようであり。

『采配したのは確かに僕だが……いやはや。ここまで凄まじいとは、流石に予想外だったね』

「Eマテリアル持ってるヤツが居るからなんじゃないスかね」

 やや大げさに肩をすくめるグレンだが、それは違う事をギャリガンは知っている。

 そしてその原因の解析が、先日予知したあの光景にも繋がって来るのだろうが――そんな態度はおくびにも出さず、ギャリガンは立体映像モニタを更にもう一枚呼び出す。

 映りだしたのはレイト・ライト社地下、表向きは当然秘密になっている霊力貯蔵場。

 日乃栄高校地下よりも、優に二回りは巨大な湖は今、光り輝く霊力でなみなみと満たされていた。

 湖の中央には、今なお注ぎ続ける光の瀑布。ファントム・ユニット一行は未だ気付かない膨大な光に、グレンはコメカミを小突いた。

「濾過術式内の転移術式も相当霊力を食ってるスけど、ご覧の通りそんなの差っ引いても出て来る釣りで溢れそうスよ」

『うんうん、良く分かったよ。もう十分過ぎるくらいだ。フィールドの展開どころか、引っ越しにすら回せる余裕がある。やはり僕の眼鏡に適った方々が濾過術式を動かしていると、モノが違うねえ』

「そスね。んじゃーモノが違うついでにそろそろ濾過作業終わってもいいんじゃねえスか? いい加減パンクしそうだ」

 半分冗談、半分思いつきでまろび出たグレンの軽口。

 だが。ギャリガンはそれに、至極大真面目に頷いた。

『そうだね。ここも引き払う事を決めた以上、必要量以上を溜め込む必要も無いか。ご苦労だったね、グレン君』

「おや、そうですかい」

 意外な命令に、仮面の下で片眉を吊り上げるグレン。だがこれで手持ち無沙汰にもなってしまった。

 どうするか。そうコメカミをつついた矢先、ギャリガンはタブレットを操作する。

『では、次の指令を伝えよう』

「ああはい、何なんスかね次の仕事は。連中が散らかしたゴミ掃除ですかい? それとも引っ越しの手伝いとかスかね」

 投げやり気味な態度のグレンに、しかしギャリガンは微笑を向ける。

『ふふ。どちらも魅力的な提案ではあるが、ね』

 ギャリガンの指がタブレットを撫でる。グレンの背後、コンソールのモニタが切り替わる。

 何気なく、グレンはそれを見上げる。

 映りだしたのは砂浜の映像。日本とイギリスからやって来た客人達が、思い思いにはしゃいでいる一部始終。

 楽しそうな、風景。

『ところで知ってるかいブラザー! このモーリシャスにはインドアフリカフランス中国系の人種が混ざり合っているんだうほほー!』『ためになるけどこっち来んなよ利英りえい!』『あっ逆立ちした! 一体何を……うっうわあ!?』

 そして、その風景の中には。

 仇敵が。ファントム4が、居た。

「――」

 グレンの背中が壁から離れる。右拳からは、みしみしと音すら聞こえる。

「これが、なんなんだ」

 激情を貼り付けたまま、グレンはギャリガンへ視線を戻す。

 憎悪。仮面越しでもありありと見て取れる激情。

『サラの報告から状況を分析した結果、予定がかなり前倒しになってしまってね……ああ、本当に助かったんだよ? 霊力がこんなにも集まってくれて』

 その激情をモニタ越しに受け流しながら、ギャリガンは情報を送信。

『だからまず結論から言おう。ぶちかませ』

 送られた電子情報が仮面を経由し、グレンの脳裏へ直接刻まれる。転写術式だ。

 その内容を、グレンは三度ほど繰り返し確認する。

「マジですか」

『大マジだ』

「外して、いいんスか」

『勿論だ。もっとも、誘導はきちんとしてくれよ?』

「――」

 拳が解ける。ようやく訪れた枷の外れる日を、グレンはしばらく噛み締める。

「――、ハ」

 そうしてこの日、この時。

「ハハ、ハハハハッ!!」

 グレン・レイドウは、生まれて初めて、心の底から笑った。

 その喜びを顔に貼り付けたまま、グレンは烈荒を遠隔操作。床に転移術式を描くと、その中に飛び込んだのだ。


◆ ◆ ◆


 かくして、その男は現われた。

 きゅうりがどうのと騒ぎ立てる利英達の上空、濾過術式の少し下。

 そこへ何の前触れも無く、術式陣が像を結んだ――ように、ファントム・ユニット一行には見えた。

「えっ」

 そんな声を上げたのは、果たして誰だったか。砂浜のほぼ全員が硬直する中で、一際大きく目を見開く男が一人。

 言わんや、雷蔵である。

「まさか、あれはっ」

 幻燈結界げんつおけっかい越しで無いため色こそ違うが、間違いない。

 以前、レイキャビクで見た転移術式と同じじゃないのか――そう雷蔵が叫ぼうとした矢先、一人の男が術式陣中央から現われた。

 男は膝立ち姿勢で着地する。結構な高さがあったのに、猫のようにひらりと、何の危なげも無く。

「おや、誰かと思えば見覚えのある仮面だな」

 次に口を開いたのはメイだ。以前拳を交えた相手の出現に、知らず片眉が吊り上げる。

 だが仮面を被った本人――グレンは、耳を貸さずに辺りを一瞥。

 そして、見つけた。

 ファントム4を。五辻辰巳を。

 宿敵の、姿を。

「っく、く」

 口元が歪んだ。酷く鋭利な、三日月の形に。

 なにか、まずい。そう辰巳が直感したのと同時に、グレンは叫んだ。

「る、あ、ア!」

 爆発。

 実際に砂塵を撒き散らす程の踏み込みで、グレンは突貫した。無論、辰巳へ向かって。

 今までの霊力弾スイカなぞ比べものにならないその速度に、辰巳は辛うじて反応できた。

「ッ!?」

 半歩、どうにか身体を反らす。ヒトの形をした砲弾が、辰巳の一ミリ脇を通り過ぎる。コメカミから吹き出た汗が、グレンの風圧で弾け飛ぶ。

「一、体っ、!?」

 振り向きざま、辰巳は目を見開かされた。

 十分に早かった辰巳の反応。だがそれにコンマ一秒先んじる格好で、グレンが既に振り返っていたのだ。地面に片足を突き立てて、遠心力で強引に勢いを殺しながら。

 踏み潰され、舞い飛ぶ砂粒。散弾銃さながらに乱れ飛ぶ飛礫が、割り込もうとしていた隊員達を牽制する。

「うおおっ!?」

 十二人の内、誰かが驚愕を叫ぶ。皆の動きが止まる。

シャ、アァァッ!!」

 そんな外野の怯む声を、グレンの咆哮が塗り潰す。

 連打。遠慮も容赦も見当たらない打突が、雪崩を打って辰巳に襲いかかる。

「く、ぅ!?」

 防御。対する辰巳は困惑しながらも、打撃の雪崩をどうにかかき分ける。

 切れ味鋭い回し蹴りを、再度身体を反らして回避。その勢いを乗せたショートフックを、掌打を当てて逸らす。強引に割り込んできた逆手の手刀を、首を傾けて避け、きれない。

 びょうと空気が裂ける。辰巳の右頬に、浅く赤い筋が走る。

 ぬぅ、と呻る辰巳は、しかしようやく好機を掴んだ。研ぎ澄まされた鋭い左拳が、僅かな隙を縫うように射出される。

ィッ!」

対するグレンは、はぁ、と息をつきながら笑った。さもあらん、あえて見せた攻撃の隙へ、予想通り辰巳がねじ込んで来たとあれば。

ァッ!」

 かくて上半身の回転を十二分に乗せたグレンの右拳が、辰巳の鉄拳と激突する。

 鋼が響く。空気がたわむ。鏡写しのような体勢で、辰巳とグレンは静止する。

「な、に」

 そうして、辰巳は顔をしかめた。叩きつけた鉄拳越しに、伝わってくるグレンの右腕の感触。

 その感触を、辰巳は知っているような気がしたのだ。

 それも、とても身近に。

「……なんだ。オマエ」

 知らず、辰巳は問うた。

「なんだオマエ、と来たか」

 対するグレンは、歯を剥き出しにして笑った。

「ハ。考えてみりゃァ虚しい話だな。オレはオマエの事をよーく知ってんのに、オマエはオレの事をなーんも知らないワケだ」

 ぎし、とグレンの拳が軋む。周りの者達は誰一人動かない。二人の闘気に当てられたために、あるいは状況の推移を観察するために。

「ま、気にすんなよファントム4。単にオレがオマエを一方的にブチ殺したがってるってだけの話だからよ」

「は、」

 一瞬辰巳は目を丸めたが、すぐ真顔に戻った。

「……二人目だな。そういう嫌悪感を、俺へ剥き出しにして来たのは」

「んむっ」

 スクール水着姿の約一名が顔をしかめる。辰巳へ向かうグレンの殺気が、にわかに密度を増す。

「そう、か、よっ!」

 拳の拮抗を強引に崩しながら、勢いのまま蹴りを放つグレン。砂粒を伴う大振りの一撃を、辰巳はバックステップで回避。更に宙返りしながら大きく間合いを開けた。

 着地、即座に構える辰巳。

 対するグレンは踏み込まない。拳を握ろうとさえしない。辰巳に隙や油断が微塵も無いから、という訳では無い。

 両腕をだらりと垂らしたその立ち姿は、攻めようという気概が見当たらない。

「最初じゃねえってのはちと残念だが……いいさ。教えてやるよ」

 グレンの右腕が動く。手首に輝く腕時計型の装置が、緩やかに口元へ寄っていく。

「なに、あれ」

 風葉かざはは顔をしかめた。よくよく見ると、それは辰巳の左腕にあるEマテリアルの制御装置と、瓜二つの形なのだ。

「偽装、解除」

『Roger Cloak Off』

 それに、グレンは命令する。回答した電子音声が、仄かな霊力光を走らせる。

 ぱり、と小さな音を立てたのも一瞬。グレンの右腕から、淡雪のような霊力光が立ち上り始める。霊力の供給を断たれたため、擬装用の皮膚が剥がれたのだ。

「……」

 辰巳は、声を上げる事すら忘れてそれを凝視する。

 まぁ、さもあらん。自分と同じ偽装法の下から、自分とほぼ同じ形状の機械義手が現われたのだから。

「驚くのはまだ早いぜ? ……拘束、解除ッ」

『Roger Lock Off』

 同じ語調の電子音と共に、今度は仮面のロックが外れた。

 排出される蒸気。それが収まった後、鋼鉄の右腕がゆっくりと仮面を外す。

 グレンの素顔が、明らかになる。

「よーく見て貰いたいもんだな。俺が、オマエを、ブチ殺したがってる理由をよ」

 かくて現われたグレンの素顔に、ファントム・ユニット一行は息を飲んだ。

 赤い目、金髪、浅黒い肌。

 構成する色こそ違えど、見間違えようのないその顔を、辰巳は凝視する。

 そして、絞り出すように呟く。

「俺と、おなじ顔、だと」

 ほとんど呻き声に近い辰巳の呟きに、グレン・レイドウは、五辻辰巳とまったく同じ顔をした男は、ひどくゆっくりと頷いた。

 その口角を、三日月のように吊り上げながら。

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