Chapter09 楽園 03

「ごちそーさまでした」

 満足げにサラは手を合わせた。居住まいこそ慎ましげだが、彼女が座るテーブルの上には、空の紙皿が山と積まれている。つい先程まで、焼肉奉行が管理していた焼肉の抜け殻だ。

「お粗末。ほれぼれする食いっぷりじゃったぞ」

 トングを拭きながら破顔する焼肉奉行、もとい雷蔵らいぞう。幾度も修羅場を潜った鋭い眼差しが、サラの全身を不思議そうに見据える。

「しかしまぁ、その細っこい身体のどこにあの山が入ったのかのう」

「それは乙女のひみつです」

 口元に人差し指を立てるサラ。目だけは割と笑ってないのだが、雷蔵は気付かずに「そうかそうか」と笑った。

 そんな二人をやや遠巻きに眺めるのは、先程地獄のスイカ割りに失格した凪守なぎもり自衛隊出向部とBBBビースリーの男達だ。

「食われた……食われちまッたッ……」「ヒレ、タン塩、ホルモン、ロース……っ」「でもっ、食ってるとこ可愛かったよなっ」「それは同意するが……だがっ……!」

 男共は嘆いていた。本気で狙っていたのだ。

 そんな連中の端の方、仏頂面で腕を組む男が一人。

 言わんや、辰巳たつみである。

「サラさん、だったな。食いっぷりもそうだが……その体術、目が覚めるようだ。一体どんな仕事をしてればそこまで至れるんだ?」

「それも、秘密です」

 やはり明言を避けるサラ。辰巳はコメカミを小突いた。

 ――さて、そもそもなぜこんな状況になっているのか。

 始まりは十五分ほど前、サラが辰巳のスイカ割りにビーチボールを打ち込んだ事に端を発する。



『これは一体――』

 砂浜の入り口、ロッジへ続くちょっとした高台。そこから見下ろして来るビーチボールの持ち主を、辰巳は見上げる。

 薄緑色のツナギを着込み、長い金髪をアップで纏めた若い女、すなわちサラ。

 長く垂れた前髪に隠れるその目を見据えながら、辰巳は問おうとした。どういう事なんだ、と

『イヤァーッハッハッハァ! よおやく大鎧装とか例のアレの調整が一息ついたからこっちに来て見たヨ! みなさんゴキゲンうるわしう!』

『ああそいつの差し金か』

 サラの背後から海老ぞり気味に飛び出したのは、言わんや、すっかりキマってしまった酒月利英さかづきりえいである。なので辰巳のみならず、その場のほぼ全員が納得した。

『イヤァこの子達にちょいと大鎧装の稼働チェックとか手伝ってもらったんだけどネ? 実にすんばらスィ身体能力をしていらっしゃることがわかったり分からなかったりしたのだよ深海のいきもののやうに!』

 いっそブリッジしかねない勢いで反る利英。ここ数日新型大鎧装の調整等に追われていたため、寝不足ですっかりハイになってしまわれたのだ。

 未だ爆睡しているいわおを除き、皆引いている利英オンステージ。

 その只中に、溜息をつきながらメイが割り込んだ。

『この子、『達』?』

 ボールが打ち込まれた瞬間に強制停止した地獄のスイカ割り。楽しみに水を差した連中を探し出すため、冥はじろりと利英を見やる。

『そのサラとやら以外にも、まだ誰かいるのか?』

『オゥイェス! ザッツライト! それはこの子だったとおもうのだ85%くらいの確立で!』

『残りの15%はなんだ』

『ボクもわからんないヨ! あの夏のテトラポットとかじゃないかな!』

『どの夏だ』

 久々なので色々絶好調な利英に、さしもの冥も頭を振る。その隙を縫い、利英は後ろに居たもう一人の手を引いた。

『と、いうわけで! ぢゃーん! これがそのモンダイのペネロペ嬢だ!』

 かくて現われたのはサラよりも一回り小柄な少女、ペネロペであった。白Tシャツにジーパンというえらくラフな格好の上、なぜかアイマスクを付けっぱなしにしている。

 そんなペネロペの格好は、利英との体格差も相俟って、妙な空気を辺りへ一気に充満させた。

『誘拐?』

 誰かがそう呟いたのも、まぁ仕方の無い事であろう。

『ほらペーちゃん、ちゃんと起きて挨拶しなよ』

 そんな空気をどうにかするべく、サラはペネロペの頬をむにむにする。

 むにむにされたペネロペは、のろのろした手付きでアイマスクをずらす。

『あー……どーも……自分、ペネロペッス……』

 眠さを隠そうともしないペネロペは、挨拶した勢いのままサラにしだれかかった。

 そして、寝てしまった。

『ちょっ、ペーちゃん? んもう私よりよく寝るんだから……どうしよ』

 ペネロペを支えながらキョロキョロするサラ。その慌てぶりを眺めていた冥は、不意にイタズラっぽく口元を吊り上げた。

『その辺の椅子にでも寝かせておけば良いさ。それよりもキミ、サラと言ったか。さっきのビーチボールから察するに、中々いい身体能力をしているようだな?』

『ホホーウ! そうなんだよローウェル殿! こんな可憐な姿をしていながら、二人とも中々どうして素ン晴ら――』

『話がややこしくなるから黙れ』

『あいン』

 直立不動になる利英。それを余所に、冥は咳払いをする。

『改めて、サラくんとやら。そこな坊主が感心する程の体術があるなら、さっきのスイカ割り、ちょいとやってみないか?』

 言うなり、冥はまたしてもタブレットをなぞる。霊力が走り、ビーチボールの乱入で途切れていたスイカ割りの舞台が、再び姿を現す。

『心配しないでくれ、難易度は下げるからさ』

 ひらひらとタブレットを振る冥。その画面を少し眺めた後、サラは思い出したように手を振った。

『え、でも、私なんかじゃ』

『今ならこの焼肉全部つけるぞい。野郎どもは皆失敗したからのう』

『やります』

 長い前髪の下からでも、サラの目の輝き具合が見て取れた。

『……即答じゃのう。半分冗談じゃったんじゃが』

 こりこりと頬をかく雷蔵に目もくれず、サラはきびきびした動作でペネロペを空いてるビーチチェアに寝かせる。

『では、お願いします』

 そして、意気揚々とリング中央に立ったのだ。



「素人じゃないってのは確かだな」

 それまでの経緯を改めて思い返した辰巳は、ふとある事に気付いた。

「ところで、俺の肉は?」

「オマエはトラブルで中断したから失敗扱いだ」

「ええっ」

 冥に一蹴され、がっかりする辰巳。それを横目に苦笑しながら、マリアは聞いた。

「ところで、そのう。さっきから奇声を上げながらスクワットやら反復横跳びやらしているあのひとは、どちらさまなのでしょうか」

「酒月利英だよ」

「……同姓同名でなく?」

「同姓同名でなく」

 紳士的、かつ常識的な状態の利英しか見た事が無いマリアは、無表情な風葉かざは達と暴れまくる利英を三回くらい見比べた。

「ええっ」

 そして、真実であるらしい事を悟った。

「なんでまた、あんな、ユカイなことに」

「フトモモ! 人体で一番でかいフトモモの筋肉を鍛える! それが効率的な筋トレの方法らしいですヨ奥さん!」「知ってるよ!」「うわぁこっち来た! そしてなぜ這う!」「チィーッますますお盛んになってやがる!」

 ぎゃーぎゃーと騒ぐファントム・ユニットご一行。喧噪は雪だるま式にモリモリ膨れ上がっていく。

「ちょっとうらやましい、かな」

 少々やかましいが、おおむね平和な、ゆったりとした空気。多分きっと、二度と吸えないだろうその空気を深呼吸した後、サラは思考を切り替えた。

 ファントム・ユニットが何をしようとしてるのか、軽く偵察して来なさい――そんなギャリガンの指示に従い、サラとペネロペはこうして接触した。

 資料と、戦場でしか知らなかった相手。そんな彼等と改めて相対して、分かった事がある。

「……」

 ちらりと。前髪の隙間から、サラは一番端のビーチチェアを振り返る。

「くあ、あ、あぁー。いーやぁーよく寝たなぁぁー」

 五辻巌いつつじいわお。目を擦っているこの昼行灯が、実は相当なタヌキだと言う事だ。



「くあ、あ、あぁー。いーやぁーよく寝たなぁぁー」

 目を擦りながら軽く身体を捻る巌。背骨がぼきぼきと音を立てた。こんなに寝たのはいつ以来だろう。

「……つい昨日まで仕事漬けだったからなあー」

 会議、書類整理。会議、書類整理。会議、書類整理。今日に至るまで、巌の日常は大体そんな感じだった。

 しかもそれらの会議には、巌の必要性がほぼ無いものばかりだった。

『あー五辻くん。これこれのアレについて色々話し合うから出席してくれたまえ。神影鎧装について詳しいキミの知識が必要かもしれんのだ』

 そんな名目で呼ばれるのだが、実際に意見を求められる事はあんまり無い。あったとしても神影鎧装とは無関係な質問ばかりだ。寝不足の原因は大半がこれである。

「もうちょい、加減するんだったかなぁ」

 二年前。『五辻』を名乗る時から始めた仕掛けと、恐らくは間者サトウによる凪守内部の思想誘導。それが重なったせいだろう、と巌は見ていた。

「歓迎すべきこと、なんだろうーけどねー。それだけうまくいってるってことでさー」

 首を回す巌。骨は相変わらずばきばき鳴る。

 ついでに辺りを見回す。利英を筆頭とした喧噪の向こう側、サラの金髪が微かに揺れている。こちらを盗み見ていたか。

 質問、と称してさんざっぱらカマかけて来たろうに――上がる口角を隠すべく、巌はパラソルを見上げた。

 彼等は知りたがっているのだ。今回の模擬戦に、ファントム・ユニットが割り込んで来た理由を。

 巌がどんな情報を、どこまで掴んでいるのかを。

 ファントム・ユニットが独自に疑惑を掴んでいる事は、グロリアス・グローリィ側も分かっているだろう。だがその内容――怪盗魔術師の遺言までは知らない筈だ。他ならぬ巌自身が差し止めているのだから。

 だから敵はそれを掴むため、会議中に「質問」と称して幾度かカマをかけて来たのだ。

 無論、巌はそれを回避した。昼行灯を装って、のらりくらりと。

 かくて隠蔽は功を奏し、モーリシャスという敵の懐へ、堂々とやって来る事が出来たのだ。

 だがそれは同時に、巌としてもグロリアス・グローリィを表立って糾弾出来ない、諸刃の剣にもなってしまった。

 故に巌は、まずザイード・ギャリガンに関する情報を徹底的に洗いつくした。幸い時間はたっぷりあった。確かに会議は退屈で窮屈な時間だったが、分霊ぶんれいを使うにはまたとない機会でもあったのだ。

 結果。巌はある時期からレイト・ライト社、及びグロリアス・グローリィが、著しく増益しているのを発見した。

 そして、その時期とは。

「二年前、になるんだよねー」

「何がじゃ?」

「んー、あー。……ヘルガが、あんなことになってからさ」

「そうか。思い返せば、ワシの口調がこうなったのもあの事件が原因じゃったのう」

 クーラーボックスから新しい肉を取り出す雷蔵。視界の端、背を向けたサラが耳をそばだてているのを感じながら、巌はもう一度横になる。

 そう、二年前。あの霊力暴走事件。

 恐らくあの現場に、ギャリガンも居たのだ。そしてきっと、何らかの能力を得たのだろう。

 ――ひょっとすると、その能力は未来予知ではなかろうか。

 巌は、そんなアタリを付けていた。

 根拠はある。

 なぜなら、二年前のあの日。巌も、未来を見たからだ。

 酷くおぼろげで、著しく断片的で。

 けれども縋らざるを得ない、一縷の可能性を。

 だからギャリガンもそこに居たのなら、同じような幻視を見た可能性はあり得るのだ。

「ところで知ってるかいブラザー! このモーリシャスにはインドアフリカフランス中国系の人種が混ざり合っているんだうほほー!」「ためになるけどこっち来んなよ利英!」「あっ逆立ちした! 一体何を……うっうわあ!?」

 ――無論、ただの思い込みかもしれない。だがそれを差し引いても、近年のギャリガンの会社運営は、余りに的確過ぎていた。それこそ、未来を知っているかのように。

 そもそもグロリアス・グローリィは、この二年間で純利益を2.5倍に伸ばしているのだ。何かカラクリがあるんじゃないか。そんな勘繰りを入れる者は、巌でなくとも少なからず居る。

 それに巌は、そもそもある程度規模がある霊力組織なら、何らかの未来予知術式を秘匿している事も知っている。

 無論全ての組織が、と言う事はないだろう。コストが膨大だからだ。だが少なくとも、凪守にはそれがある。巌はそれを知っている。そもそもそれが、二年前の発端となったのだから。

 そうした経験則と、グロリアス・グローリィの純益と、怪盗魔術師の遺言。

 それらを統合した上で、巌は一計を案じたのだ。

「ふ、」

 口角がもう一度つり上がる。我ながら良くこんな手を考えたものだ、と。

 ――ザイード・ギャリガンは慎重な魔術師である。凪守自衛隊出向部と、BBBの合同演習訓練。それ自体は、さほど怪しむ事無く了承しただろう。

 だが。

 その予定の中に、目下の敵であるファントム・ユニットが突然滑り込んで来たら。

 慎重な魔術師殿は、一体どんなカードを切るだろうか。

 知りたい筈だ、敵の思惑を。

 行う筈だ、未来の予測を。

 帯刀たてわきとスタンレーへ協力を申し入れた理由が、ここにある。

 第六小会議室へ秘密裏に集まったあの日、巌はスタンレーにこう伝えていた。

 僕達の合流をグロリアス・グローリィに伝え次第、モーリシャスへ流れる無形の霊力を監視して欲しい、と。

 もし本当に予知術式を使ったなら、相当な霊力の消費を観測できる筈だ、と。

 ――もっとも現在に至るまで、スタンレーからの連絡は無い。まだ何かカラクリがあるのか、盗聴防止の通信封鎖後に使ったのか。それは分からない。

 どうあれそんな手を打った巌は、予定通りモーリシャスへ移動した後、待った。

 敵地の鼻先で、あえて何もしないという選択肢を取ったのだ。

 お互い腹の内はどうあれ、少なくとも名目上はただの合同演習だ。何の変哲も無い公式の仕事である。

 そしてグロリアス・グローリィはギノアやエルドのような、目的不明瞭の敵とは違う。社会にきちんと根ざした一企業なのだ。

 例え未来を知っていようと、何の理由も無くファントム・ユニットを攻撃したなら、それだけで世界全ての霊力組織を敵に回してしまう。

 つまり巌は敵の予知能力を、地政学的な抑止力で封殺しようと試みたのだ。つくづく大胆極まる判断である。

 かくして、巌は待った。ビーチチェアの上で爆睡しながら。

 果たして、ギャリガンは動いた。巌の目論見通りに。

「ふぅーむ」

 頭をかきながら、巌はごく自然に視線を向ける。

 サラ。相変わらず金髪が眩しいこの娘は、ただ美人というだけではない。

 態度、服装、何よりバイザー。何もかも違うため、詳しい解析は必要だろう。だが恐らくこの娘は、以前エルドと共に日乃栄ひのえ高校近くのハンバーガーショップへ現われた片割れだ、と巌は見ていた。一般の監視カメラの映像も、巌は注意深く調べていたのだ。

「後は……」

 この情報を、帯刀に送信する。照合はすぐしてくれるだろう。

 そうすれば先のオーディン、及びバハムートによる神影鎧装事件とグロリアス・グローリィの繋がりが明らかになる。更にこの情報は、スタンレーにも共有される。

 必然、展開されるのは凪守とBBBの両面作戦だ。しかもこの作戦には『あわよくば神影鎧装術式や、それに類する技術が手に入るかもしれない』という利益が暗に含まれている。巌でなくとも、霊力を扱う者なら垂涎の的である術式の情報が。

 どこにどれだけ間者が居ようとも、火が点いたその欲目を止める事なぞ、出来はしまい。

「……」

 知らず、巌は手首を掴む。リストコントローラ。装着者の霊力を正確に読み取るこの装置は、巌が脳内で組み立てた報告文書を、忠実に書き上げてくれている。

 後は折を見て、この文書データを送信するのみ。

 問題は、こちらにいつまでも熱視線を注いで来るサラと、十中八九濾過術式に組み込まれているだろう盗聴網をどう誤魔化すかだが――。

「キュウカンバアアアアッ! キューカンバーってヤツは全体の九割が水分なのだ! 世界一カロリィの低い野菜としてギネス登録されてらっしゃるんDAZE!」「そうなんだ!」「割とためになる!」「でも普通にきゅうりって言えよ!」「そして追っかけて来るな!」

「……どうするか、なー」

 騒ぎ立てる利英達に、目を細める巌。腑抜けた微笑の仮面の下で、冷徹に回転する思考。

 しかして、その計画は阻まれる事になる。

 なぜならば。上空へ唐突に、青色の転移術式陣が現われたからだ。

 そしてそこから仮面の男が、グレン・レイドウが現われたからだ。

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