Chapter09 楽園 06

「あーあー」

 一面を塗り潰す薄墨色に、いわおは盛大な溜息をついた。

 予想以上に早く向こうが馬脚を現したから、というのはある。

 現状が向こうの思惑通りに進んでいるから、というのもある。

 だが今は、ビーチチェアが幻燈結界げんとうけっかいの向こうへ行ってしまったのが何より痛い。

 お陰で巌はチェアをすり抜けて落っこちてしまった。

「参っちゃったなぁー、っと」

 砂浜に寝転んだまま、取りあえず巌はぐるりと周りを眺める。

「GIGI、GIGIGI……」

 逆さまの視界に映り込むのは、ずらりと並ぶ竜牙兵ドラゴントゥースウォリアーの大所帯。しかも得物は剣でも槍でもなく、アサルトライフルに似た霊力武装だ。

 対するこちらは全員丸腰の上、服装は普段着ないし水着といった有様。このままでは勝負にすらなるまい。

「困ったもんだーねー、っと」

 勢いよく上体を起こす巌。途端、右手にいる竜牙兵の何体かが照準を合わせて来た。予想通りの反応だ。

 そんな竜牙兵達の動きを知っているのか、いないのか。薄墨の向こう側、サラの唇が動いた。

 その唇を、巌は読唇術で読み取る。

 ――さて。ここでやる事は終わっちゃったし、戻ろうかペーちゃん。引っ越しの続きしないと……え、なに? 腰ぬけちゃったの?

 クスクス笑いながら、サラはペネロペを抱え上げる。それからグレンに『そっちも抜からないでくださいよ?』と言った後、すたすたと歩いて行った。

「あのムスメ、なんと言っとったんじゃ?」

 サラの背中を睨む雷蔵らいぞう。その横顔を見上げながら、巌はよいしょと立ち上がる。

「引っ越しの準備中だから忙しい、だってさー。てか、なんか機嫌悪そうだね雷蔵」

「そりゃそうじゃろ、結局あのムスメだけ肉食いたい放題じゃったからな」

 視線を下ろす雷蔵。半分睨むような目が見据えるのは、薄墨の向こうに行ってしまったクーラーボックスだ。

「なんだ、雷蔵も食いたかったのかい」

「まぁの。しかしあのムスメ、もう一人のムスメともなんか喋っとったの」

「ペネロペ嬢だねー。腰が抜けたんだってさー」

「ずっと寝とったのにか?」

 首を捻る雷蔵に、巌は小さく肩をすくめる。眠そうな表情は変わらなくても、怖いものは怖かったようだ。

「そんな事よりも、だ」

 今度は反対側、グレンの方を巌は見やる。と、これ見よがしに竜牙兵達が引き金に指をかけてにじり寄ってきた。

 押され、集まってくる仲間達の背中。その向こうに立つグレンは、何故か風防を元に戻していた。先程これ見よがしに開けていた右腕装甲も、元通りに閉じている。

「あちゃー、肝心なトコ見逃しちゃったかも。しっかし、妙な事ばっかりしてるなー彼」

 仮面の最装着もそうだが、グレンの行動はつくづく腑に落ちない。

 突然の乱入に始まり、一方的な攻撃、挑発、情報開示。それに辰巳たつみはまんまと釣られてしまった訳だが、まぁまだ心配はあるまい。

 そう巌が考えている脇で、今度はメイがぼやいた。

「しかしまぁ、あの程度で動揺するとは辰巳もまだまだ脇が甘いな、帰ったら改めて鍛え直しだ」

 偶然耳にした何人かが背中を振るわせ、更に後退る。同時に竜牙兵達も一歩進む。

「GIGIGIGI……」

 狭まる包囲網。丁度その中心に立ちながら、巌は尚も思考する。グレン、サラ、ペネロペ。引いてはグロリアス・グローリィ。彼等の目的は何か。

 辰巳をさらいに来た? 間違ってはいまい。だが多分、それは手段の一つに過ぎないだろう。

 彼等は今、時間を稼ぎたいのだ。今し方サラが言っていた、『引っ越し』とやらを行うための。

 この幻燈結界とまがつの群れは、時間稼ぎのおもてなしというわけだ。

 では、このおもてなしをご破算にする事は可能だろうか。

 答えはイエスだ。皆リストコントローラはつけている。鎧装展開してしまえば、この程度の禍なぞ鎧袖一触に出来る。

 だが、その鎧袖一触にどれだけの時間がかかる?

 五分か、三分か、一分か。どの程度にせよ、今居る竜牙兵だけで終わりと言う事は、まずあるまい。

 多分きっと、倒した分だけ逐一湧いて来る。それをかまけている隙に大鎧装を鹵獲されたり、辰巳の救援が遅れたりしたら、目も当てられない。

 以上を踏まえて、巌は結論を出す。

「OK。皆さん、取りあえずここからお暇させて頂きましょう」

 まずは安全圏への後退だ。それも速やかに、可能であれば向こうの裏をかいた形の。

 その為の布石を、巌は既に用意していた。

 利英りえいと、何より風葉かざはに。

「ファントム5」

「……え。あ、はい」

 のろのろと振り向く風葉。未だ動揺している血色の悪い顔へ、巌は努めてリストコントローラを向ける。

「封鎖術式、解除」

 迸る霊力光。リストコントローラから放たれた光線――封鎖術式の解除シグナルが、風葉の眉間をまっすぐに射貫く。

「え」

 がく、と揺れる風葉の頭。銀髪が振り乱れ、くずおれた両膝が砂を突く。だが倒れはしない。膝立ち姿勢で硬直する。

 この瞬間、風葉は思い出した。砂浜で寝ぼけていたあの時、夢うつつの意識で見た術式陣の蓋――もとい、封鎖術式が解除された事によって。モーリシャスへ渡る前日、敵をギリギリまで攪乱するために封鎖された奇策の内容を。

 既に知っている情報のため、確認時間は転写術式より更に短い一刹那。そうして風葉はバネ仕掛けの如く立ち上がると、がばりと勢いよく利英を見た。

「あのっ、酒月さかづきさん!」

「ふほほ、分かってマスドライバー! いわゆるひとつのプランBですな!」

 ベーゴマのような勢いで高速回転した後、利英はぴしりと地面を指差す。テンションこそ今まで通りだが、目つきだけは真剣そのものだ。

「ボクの完璧な演技で敷設は既に完了済みSA! YOU遠慮無くやっちゃいなヨ!」

「了、解っ!」

 利英の奇行と、またもや唐突に膝を突く風葉。二人の奇妙な行動に、竜牙兵の群れは少しばかり首を捻る。想定外の行動に困惑しているようだ。

 その隙に風葉は、今度は両手で地面に触れた。

「――あった」

 即座に探し当てる風葉。ペネロペ越しの先程は気付かなかった、ごく微細な霊力の流れ。利英によって敷設され、待機状態にある術式の存在が、手に取るようにわかる。

「は、あっ!」

 それに、風葉は霊力を流し込む。それもレツオウガの起動に匹敵するくらい、膨大な霊力を。

「GI、GI!?」「な、なんだ!?」「何をしたんだファントム5!?」

 竜牙兵共々動揺する隊員達だが、風葉は霊力放出を止めない。むしろ増量する。心中の動揺を吐き出すかのように。

 そんな大量の霊力を余す事無く受け止めて、術式陣は浮かび上がる。竜牙兵に追い立てられた隊員達を、丁度すっぽりと囲むように。

「これは……転移術式なのか!?」「ウソだろ!? 一体いつの間に!?」「てか、こういうのは天来号とかに据え付けてあるモンじゃないのか?」

 騒ぎ立てる仲間達。その動揺すら飲み込むかのように、転移術式はファントム・ユニット一行をどこかへ転移させた。

 かくて標的は全て消え、名残である霊力光すら霧散する。

「GI……?」

 気付けば一発の引き金すら引けなかった竜牙兵達は、ただ首を傾げるしかなかった。



 モーリシャス島の地下某所、レイト・ライト社が所有する第三番多目的格納庫。

 演習の準備用として割り当てられたこの場所に、ファントム・ユニット一行は転移を完了した。

 役目を終え、消えていく霊力光。だがそれが晴れるよりも先に、一行は周囲をクリアリングする。

 だが見えるのは灰色の壁や、備え付けの機材や、持ち込んだ荷物ばかりだ。禍どころか霊力のゆらぎすら見当たらないし、オウガローダーを含む三機の大鎧装、及びレックウも変わった所はない。

「……取りあえず、ここは安全そう、だねー」

 息をつき、手近なコンテナへ腰を下ろす巌。その隣で、利英は腕を組みながらふんぞり返った。

「ハハハ当然だよ! 英語で言うところのTOUZENだよ! 何せ僕がクラッキングしてそこな隔壁を閉じたんだからね! ギンギラギンにさりげない手付きで! サラ君達と砂浜へ出て行った五分後に作動するように!」

「あぁそうなんだ」

 利英の指差す向こう、連絡通路への扉が合った場所。

 確かにそこには、既に分厚い隔壁が降りている。更には側面のコントロールパネルが火花を散らしてもいる。

「素晴らしいさりげなさだねぇー」

 どうあれ、しばらくは安全だろう。

 なので巌は、現状で最も心配な仲間に声をかけた。

「それにしても大丈夫かい、霧宮きりみやくん」

「え、あ。実は、あんまり」

 皆が立っている中で、風葉だけは唯一床に手を突いたままへたり込んでいる。やはりまだショックを拭いきれないようだ。

「風葉……」

 気遣うマリアが寄り添うようにしゃがみ込み、優しく抱いた。細い肩は一瞬ぴくりと震えたが、嫌がるような気配はない。

 取りあえず今は、マリアに任せておくしかないか――そう結論づけた矢先、雷蔵の声が耳朶を叩いた。

「のう酒月、あの転移術式は、ギノアの騒ぎの時にオヌシが勝手に造っとったヤツか?」

「ヒヒヒーッそのとおりでヤンスともさ! 本体の装置はがんばってナントカ小型化出来たから、オウガローダーの追加装甲に偽装して持ってきたんだよねェーッ!」

 並んだ三機の一番右端、オウガローダーを示す利英の指。脚部に変形するコンテナの側面には、成程確かに増加装甲らしき物体が霊力光を走らせていた。更にはケーブルもどこかへ伸びている。

「なるほどのう。しかしあれは、あくまで既存の転移術式の中継器じゃろう? いくら何でもここから天来号はちと遠いんじゃないかの?」

「HAHAHAそのへんもノゥプロブレムさ! そもそもなんでコントロールパネルが火を噴いてたり、ケーブルが伸びてたりしてると思ってるんだね雷蔵クン!」

「……なんじゃい、まさかそこまでクラッキングしたのか?」

「そうですとも! いやあ実にセクシィだったよレイト・ライト社の術式の構成わ!」

「うわあ」「そういう事するから怒ったんじゃえねの向こうさんは」「うんうん」「というか、一体いつ砂浜に術式を設置したんだ?」

「HUHUHUのHU! サスガのチミタチも分からなかったやうだね! ビーチで騒いでいたあのトキ! キミ達を追いかけているドサクサに紛れて! この僕がこっそりねっぷり術式を接地していた驚きの事実に!」

「え、マジ?」「あれそういう意味があったのかよ」

「SOU! じつはそういう段取りだったのさ! いくらなんでも敵地のド真ん中で、僕がただ無目的にはしゃぎ回るだけだと思っていたのカネ?」

「うん」「はい」「思ってた」「むしろそれ以外の何なのかと」

「チックショー! 予想してた反応の通りだけどもっ、実際に聞かされるとヒジョーにチビスィー!」

 ほぼ全員に即答を返され、頭をかきむしる利英。

 てかてかと照明が反射し、眩しさに巌は目を逸らす。と、その鼻先に湯気の立つお茶が差し出された。保温ポットごと雷蔵が持って来ていたのだ。

「すまんのう紙コップで」

「いやー構わないよ。丁度欲しいと思ってたとこさー」

 熱い一杯を傾けながら、巌は考える。

 何故、こんな状況になったのか。

 どうしてグロリアス・グローリィは、こんな強硬手段に出たのか。

「……ちぃと見通しが甘かった、てぇのが最初の躓きかなー」

 確かに巌は未来を予知する術式を知っている。だがグロリアス・グローリィが所有しているそれは、どうやら凪守なぎもりのものを上回る性能を持っているようだ。

「その辺はまぁ、無理もない、か」

 金銭、霊力、厳重な秘匿。しがらみが多すぎる凪守と違って、グロリアス・グローリィはザイード・ギャリガンのワンマン経営である。こちらの想定以上にフットワークが軽かったとしても、なんら不思議は無い。

 だが、だとすれば。ギャリガンは果たして、こちらの動きをどこまで予知しているのか。

 ひょっとすると格納庫に退避する事を、あちらは予測していたのだろうか?

 封鎖術式を用いた攪乱は、結局無意味だったのか?

「――その可能性は低い、と思いたいなー」

 もしそこまで予知しているなら、利英が離席した時点で大鎧装へ何かちょっかいをかけている筈。

 だが現状、その様子は無い。もしそんな物があったなら、既に利英が見つけている筈だ。あれでも一応天才なのだから。

「あるいは、わざと泳がせてるのかなー」

 予知した未来の光景の中に、ファントム・ユニットが大鎧装で反撃する一部始終があった。そう仮定すれば、この警備の薄さにも説明はつく。覆せない未来なら、いっそ放っておくのが利口というものだ。

「けど、だとしても……」

 今この瞬間、グロリアス・グローリィが本拠地を移そうとしている事は間違いない。その為の時間を稼ごうとしている事も間違いない。

 足止めの竜牙兵の出現や、辰巳がさらわれた事がそれを裏付けてくれる。

 そして巌達は今し方、その竜牙兵どもを、丸ごと無視して来た。向こうが想定していただろう足止め時間を、ごっそり無視したのだ。

 どうやら今この瞬間は、好機であると見て良いらしい。

「我ながら酷いねじ込み加減の好機だけどねー。さて、ごっそさん」

 空の紙コップを置いた後、巌はコンテナの上へ立ち上がった。微妙に変わった表情を察し、雷蔵はエプロンを外して畳む。

「どうするか、決まったようじゃな?」

「ああ。皆、聞いてくれ」

 静かな、しかし良く通る声が格納庫に響く。ざわめいていた隊員達が、一斉に口を閉じて巌を向いた。

 現状この部隊全体の指揮も受け持っている巌は、皆の顔を見回した後、告げる。

「我々凪守及びBBBビースリー混成部隊は、これから三つの班に分かれる。ファントム4の救出班、グロリアス・グローリィ本社への強襲班、そして待機班。この三つだ。内訳は――」

 説明を続けながら、巌は風葉をちらりと見る。皆がこちらを見ている中、やはり風葉だけはまだへたり込んだままだ。

 何とか立ち直って欲しいものだが――残念ながら、今はカウンセリングにかまけている時間は無い。

 巌は編成を進めていく。粛々と、努めて合理的に。

 その知性と直感は、成程確かに並々ならぬものがある。

 だが、だからこそ、さしもの巌も読み切れなかったのだ。

 グレンの攻撃に端を発する、グロリアス・グローリィの強襲。その真の目的が、今まさにへたり込んでいる霧宮風葉――ファントム5へ、揺さぶりをかける為だった事を。

 たった一人の小娘を、動揺させる為だった事を。

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