Chapter07 考査 02

 ティータイム。

 イギリスを代表する文化はいくつもあるが、中でも有名かつ重要なものがこれであろう。

 一口に言ってしまえば紅茶を嗜む時間を指すのだが、とにかくその種類は凄まじく多い。

 朝の目覚めにアーリー・ティー。朝食時にブレックファースト・ティー。十一時の小休止にイレブンジィズ。三時のおやつのミッディ・ティーブレイク。夕食後のアフターディナー・ティー。おやすみ前のナイト・ティー。他にもまだある。

 飲料水の性質が関係しているとは言え、凄まじい回数の紅茶である。

 そしてその中のミッディ・ティーブレイクを、スタンレー・キューザックはまさに嗜んでいる真っ最中であった。

 オフホワイトを基調とした、落ち着いた執務室。高い天窓から差し込む日差しを浴びながら、備え付けの机に座っているキューザックは、カップからゆっくりと口を離した。

「まずはありがとうと言わせてくれ、マリア。凪守なぎもりへの出向、よく引き受けてくれた」

「気にしないで下さい、お爺さま。キューザック家の者として当然の義務ですし、BBBビースリーの任務でもありますし、何より――」

 その対面で同様に、しかし妙に古びた机に座ってるマリアは、祖父と同じくカップを置いた。

「――去年のクリスマスの負けを消して頂けるなら、尚更です」

「そうかね。だが、新年のものは含まないぞ?」

「それも分かってますよ」

 ぷい、と横を向くマリア。視界に映る執務室の白壁は、しかしマリアとキューザックの丁度真ん中辺りを境目に、古びた漆喰へと切り替わっている。

 まるで別の建物を無理矢理繋いでいるような有様だが、さもあらん。マリアが居る側はイギリスから遠く離れた赴任先――即ち、日乃栄ひのえ高校付属の翠明すいめい寮女子棟の一室だからだ。

 なので、物理的に繋がっている訳では決して無い。壁一面に展開した立体映像モニタが、そう見せかけているだけだ。

 またモニタの裏には転移術式が実際に繋がっており、マリアの紅茶はそこからやって来た訳だ。

 カップに施された術式により、適温を保っている琥珀色。そこに映り込んだ白色の二つお下げ髪が、さらさらと揺れる。

「それにしても、そのミスター五辻いつつじのお話は興味深かったですね。敵の目的に関しては、特に」

 マリアの双眸が正面に戻る。キューザックと同じ銀色の瞳が、まっすぐに射貫く。

「その推察が正しければ、ですけど」

「うむ、そうだね。私もマリアと同じ意見だ。考え過ぎているとは思うよ……敵は何か、巨大な計画を遂行しようとしているのではないか、というのはね」

 翠明寮へ入寮する三日前、キューザックは地下室でいわおから受けた説明を、マリアに伝えた。今のマリアのつぶやきは、それを反芻した上での率直な感想だ。

「だがミスター五辻は、間違いなくそれを確信していた。怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドの遺言によってね」

 手を組み、キューザックは以前孫に話した情報を、改めて思い返す。

 事の発端はバハムート・シャドーと戦った際、『kill me』の下に刻まれていた暗号術式ダイイングメッセージだ。

 そこには、怪盗魔術師が自分で撮影した動画データが封入されていたのである。

 内容はこうだ。

『レディィィィスッ! アーンドジェントルメンッ!』

 やかましいドラムロール、舞い散る紙吹雪、いつか見たフェアリーのバックダンサー。それらを引き連れて現われた怪盗魔術師は、画面へ向かって恭しく一礼した。

『初めまして! あるいは久しぶりだね! きっと知っているだろうが、念のため名乗らせていただこう。僕の名はエルド・ハロルド・マクワイルド。ご存じの通り、稀代の怪盗魔術師である!』

 お辞儀に合わせてどぱーん、と背後で爆発が連続する。エルドが益体の無い事をまくし立てる。BGMがどんどん盛り上がる。ダンサー達が一層激しく舞い踊る。

『ふぅ! いい汗かいた! さぁて――』

 それらが一段落した後、おもむろに上げられたエルドの指が、ぱきんと鳴る。

 途端、喧噪を生み出していた爆発とBGMとダンサーが、一斉に消えた。

『――前置きはこれくらいにして本題に入ろう。この映像を僕以外の誰かが見るとは思えないが、まぁ、保険ってヤツだ。僕が独自に調査した、ザイード・ギャリガンに関する諸々の情報を、ここに記録する』

 かくしてエルドは情報を語り始めるのだが、その合間にも大げさな身振り手振りと小粋なジョークは忘れなかった。単なる保険映像にここまでの手間暇をかける辺り、肩書きにふさわしい傾奇者ぶりだ。

 先日巌に見せられたその映像を思い出しながら、キューザックは天窓を見上げる。

「ミスター五辻が怪盗魔術師の遺言を隠蔽したのも無理はない。何せザイード・ギャリガンと言えば、グロリアス・グローリィの最高責任者だからね」

 グロリアス・グローリィ。

 それは凪守やBBBのみならず、世界各国の魔術組織に様々な品を卸している老舗の会社の名前だ。鎧装のインナースーツ、大鎧装の駆動フレーム、術式の刻印受注等々、その事業は多岐に渡っている。

 形態こそ時代によって違うが、それでも十九世紀から続いているこの老舗は、世界中の霊力組織から結構な信頼を寄せられているのだ。多かれ少なかれ、関わっていない組織なぞまずあるまい。

 だが怪盗魔術師の遺言では、その社長であるギャリガンが、神影鎧装にまつわる一件の首謀者なのだと言う。

「仮にそれを正直に上へ伝えていたら、今頃ファントム・ユニットは解体されてたでしょう」

 それに、こうして私の滑り込む隙間も無かったでしょうね――そんなつぶやきを、マリアはアールグレイと共に飲み込む。

「うむ。それにその話を前提にすれば、ギノア・フリードマンの最初の出現の唐突さにも説明がつく。ミスターギャリガンは、そのコネクションを用いてサトウのような内通者を凪守へ食い込ませていたのだろう。周到な事だ」

 小さく息をつくキューザックだが、その口元はどこか楽しげだ。

「そして、ミスターギャリガンが次に何をしようとしているのか……ふふふ、思い出すだけで愉快になってくるね」

 ――ギャリガンの目的とは、一体何か。地下室で記録映像を見終えたキューザックは、核心に一息で斬り込んだ。

 対する巌は、臆面も無くこう返した。

 詳しい事はぜんぜん分かりませんねー、と。

 まぁ、仕方の無い事だ。調査記録と言えば聞こえは良いが、要するにギャリガンから聞いた話や、気まぐれに閲覧したデータ類を、エルドがとりとめも無く話しているだけだったのだから。

 とは言えそんな断片でも、繋ぎ合わせていけば見えてくる情報がある。

「デモンストレーション、ではなかったんでしたね」

 確認するマリア、頷き返すキューザック。

 敵は神影鎧装や人造Rフィールドと言った独自技術を、どこかへ売り込もうとしているのではないか。日乃栄霊地に端を発する一連の騒動は、動作実験を兼ねた宣伝デモンストレーションなのではないのか――この情報を入手するまで巌はそう予測しており、その裏付けとなる動きをしている連中も、方々で見て取れた。

 しかして、その予測は半分間違いだった。製作総指揮を執ったギャリガンは、それら一連の術式を売り出すつもりなぞ毛頭無いのだと、エルドは遺していた。

 つまりギャリガンは、独自技術を何かに使うつもりなのだ。多分、自分の目的のために。

「口調から察するに、どうも怪盗魔術師とギャリガンは古くからの知己だったようだからね。どこかでポロッと聞いたんだろうさ」

 そんな知己に裏切られた怪盗魔術師は、果たして今際の際に何を思ったろうか。真実は電離層の遙か上に散ってしまったが、少なくとも納得していなかった事は確かだ。

 そうでなければ、あんな意趣返しのような遺言なぞ遺すまい。

「何にせよ、怪盗魔術師は最後にこう残していた。ミスターギャリガンは日本やイギリスとはまた別の場所で、大規模な実験を計画している、とね」

 それは一体どこなのか、今度は何をするつもりなのか。

 詳細は分からない。何せ調べたエルドすら小耳に挟んだだけであり、『続きは次回を待ちたまえ!』との宣言と決めポーズを最後に、記録映像を止めてしまったのだ。

 無論、これだけならただの与太話かもしれない。だがこの与太話に、先程の独自技術の件を重ねると――どうにも、厄介な状況しか想像できなくなる。

「だからその計画を突き止め、告発する。場合によっては武力による妨害も厭わない……ご自分の提案で無いとは言え、随分と荒唐無稽な計画に参加するつもりなのですね、お爺さま」

「なに、取りあえず手を貸すだけさ。ミスター五辻もまずは探りを入れると言ったし、本格的に協力するかどうかはその後考えるよ。そうしてくれて良い、と先方も言っていたからね」

 その取りあえずで動かされる私の身にもなって欲しいんですけど、という不満を、マリアはまたアールグレイと一緒に飲み込む。保温は相変わらず万全だが、味や香りはまったく感じない。

 当然だ。それを楽しむ心の余裕が、今のマリアには無いのだから。

「それに並行して、私は、ファントム5に近付く、と」

 一語一句、区切るようにマリアはつぶやく。

「あわよくば、彼女のフェンリルを、奪うために」

 善意の裏に隠された、本当の狙い。それを吐き出す孫の仏頂面に、キューザックは柔らかく微笑んだ。

「こらこら、人聞きの悪い事を言うんじゃ無い。私はただ、ファントム5くんが心配なのさ」

 ぬけぬけと語るキューザックであるが、その本心はマリアの言葉通りだ。

 キューザックは、風葉かざはのフェンリルを手に入れようとしているのだ。

 全ては、BBB内での権力闘争を優位に立ち回るために。

 ――そもそもBBBとは大小様々な魔術組織、あるいは個人が集まって出来た団体だ。

 血筋、思想、魔術系統、その他諸々。区分けの種類は多岐に渡るが、言ってしまえば寄り合い所帯である。

 そのため最近こそなりを潜めているが、BBBはどうしても内部対立が絶えない構造を抱えてしまっているのだ。

 思想や技術、あるいは金銭や権力。そうした諸々の理由で派閥が対立する、という状況は特に珍しくもない。BBBのみならず、他の組織でもままある光景だ。凪守におけるファントム・ユニットの処遇なぞ、まさにその好例であろう。

 だが。

 そうした余所の組織と比較しても、とかくBBBは軋轢が大きいのだ。組織の屋台骨が空中分解しかけた回数が、二度や三度では済まない程に。

 そのためBBBの魔術師達は術式の研鑽と同等か、あるいはそれ以上に組織内の根回しを腐心するのが常となった。スタンレー・キューザックもその慣習を守っている一人だ。

 基本的にBBBの上層部へ上り詰めるには、己の賛同者を増やし、派閥を拡大する必要がある。役員選挙で勝つために。

 その為には、より多くの構成員へ『こちらの陣営へ着く事に利点がある』事をアピールする必要がある。

 富、名声、快楽、恐怖、その他諸々。使われる要素は多岐に渡るが、やはり最も重視されるのは、『どれだけ潤沢な霊地を確保しているか』と『どんな固有術式を所持しているか』の二点に尽きる。

 霊地は魔術師にとっての血液たる霊力を供給するため、固有術式は派閥自体に箔を付けるため、それぞれ必要となる。

 そして今、キューザック家はその二つへ手を回している真っ最中なのだ。

「ところで、お父様は今も会議に?」

「ああ、出ておるよ。ニュートンの霊力供給術式は、久し振りの大型物件だからね。皆目の色を変えているのさ」

 マリアに返答する傍ら、キューザックは指をぱきんと鳴らす。すると傍らのティーポットが表面に術式の紋様を走らせ、独りでに浮かび上がって二杯目をカップへ注いだ。

 ――マリアの父オーウェンは、キューザックの言葉通り今も会議室に籠っている。

 議題は、ニュートンの霊力供給術式をどうするか。

 本来の供給先だった遺産は先日消滅したが、ウェストミンスター寺院にある供給術式は、今も順調に稼働し、霊力を集めている。あと数日もすればまた先日のように霊力を放出し、黒死病ペストの化身が大量発生してしまうだろう。

 そんな事態を二度も許す訳にはいかないので、新たな接続先をどうするか、という話がいよいよ白熱して来たのだ。

 オーウェンが出席しているのは、そうした会議である。術式を引き込むだけで、自派閥の霊地を格段に拡大出来るのだ。皆の目の色が変わるのも当然と言える。

 なので、落とし所がどうなるのかは検討もつかない。一つだけ確かなのは、十中八九オーウェンの交渉が失敗するだろうと言う事だけだ。

 当人も中々頑張ってはいるし、キューザックもそれは認めている。だが、いかんせん分が悪い。何せ最大派閥のブラウン派が出張って来ているのだ。勝ち目なぞまずあるまい。

 だから、キューザックは孫娘のマリアを日本に送ったのだ。根回しを有利にするもう一つの条件、『どんな固有術式を所持しているか』を満たすために。

「何にせよ、これはちょっとした研修旅行のようなものだ。こちらでは吸えないアジアの空気を、たっぷり堪能してくるといい」

「ええ、そうさせて頂きます――ごちそうさまでした」

 アールグレイを飲み干したマリアは、カップをソーサーに戻した後、縁を指で弾く。やはり霊力光を帯びるソーサーは、机の上を音も無く滑り行くと、キューザックの手元で止まった。お開きの合図だ。

 笑いながら手を振るキューザックに、マリアも手を振り返す。それを最後にまず立体映像モニタが消え、壁の転移術式も消滅。

「……はぁぁぁーあ」

 それを確認した後、マリアは立ち上がって大きく伸びをした。それからベッドに振り向くと、一直線にダイブする。古びた平べったいシーツは、それでも何とかマリアの身体を柔らかく受け止める。手入れの行き届いている証拠だ。

 そのままもそもそと寝返りを打ち、マリアは大の字になって天井を見上げる。

「部屋のつくりがそんなに嫌いじゃないのは、せめてもの救いですね」

 少々趣が足りないが、これもまた一種のアンティークだろう。それに壁や天井裏へ格子の如く刻まれた幻燈結界げんとうけっかい術式は、古びた寮の一室に十分過ぎる程の華を添えていた。

 無論、普通なら見える物では無い。だがマリアには、見ようと思えばこうした霊力の流れが視えてしまうのだ。

 これこそキューザックの血筋に伝わる秘術『看破の瞳』である。キューザックの先祖達が独自に編み出し、血筋の中へ刻み込んだこの固有魔術は、あらゆる霊力の流れを可視化出来るのだ。以前キューザックが術式を使わず幻燈結界の向こうを見ていたのは、このためである。

 だがそんな能力を持った目でも、この先どうなるのかは見通せない。

「霧宮風葉、か」

 つぶやき、マリアは時計を見上げる。針が指す時刻は午前零時三十八分。八時間の時差があるマリアはまったく眠くないが、ターゲットであるフェンリルの禍憑まがつき――霧宮風葉はよく寝ている頃合いだろう。

 そのフェンリルを、手に入れる。

「……檻の中ですね、まるで」

 格子状に走る術式と、今の自分の状況。それらを一纏めに吐き出した後、マリアは気だるげに指を立てる。

 指揮棒のように天井を指す人差し指。その先端に淡い霊力光を灯しながら、マリアは慣れた手付きで図形を描く。円の中にいくつかの文言と図形が描かれたそれは、対象を強制的に眠らせる睡眠術式だ。

 その光を無表情に一瞥した後、マリアは布団をかぶり、目を閉じる。

 やがて起動した睡眠術式が、時差を修正するためマリアを深い眠りに誘い込んだ。

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